第410回『心や体は無意識が動かす=意識は単なる傍観者』(2019年6月23日 大阪 64min)
(2019年7月 6日)
1.ヨーガが説く真我(本当の自己)=純粋に見ている存在
ヨーガの哲学において、本当の自己とされる真我とは、純粋観照者と呼ばれるように、単に見ているだけの存在である。真我は、心でも体でもなく、心の思考や感情を見ている(感じている)存在であり、その意味で、心や体は、本当の私(真我)ではなく、本当の私に見られている側なのである。
2.普通の人が陥っている錯覚:真我が心を自分と混同・錯覚
しかし、解脱していない普通の人の場合は、真我が、心を自分と混同してしまい(自分だと錯覚し)、その心が自分の体を動かしていると錯覚している。実際は、本当の自分は、心ではなく、心を見ているに単に過ぎず、自分の体・行動を制御しておらず、単に見ているだけである。それは、他人の心や体を自分が見ているだけであることと大きく変わりはない。ヨーガと同様に、仏教が説く無我(非我)の思想も、体・感覚・心などは、私ではないとする思想である。
3.最新の認知科学・脳科学が裏付けるヨーガの思想の正しさ
最新の認知科学・脳神経学などの研究結果は、①意識は単に見ているだけの存在であって、心の働きである知覚・感情・意思決定などは、無意識の脳活動が(意識から見れば勝手に)行っていること、②意識は、その無意識の脳活動が作る「自分の経験のハイライト映画」を単に受動的に見ているだけに過ぎないこと、③にもかかわらず、意識は、あたかも自分こそが意思決定をし、自分の体などを動かしていると錯覚している、といった驚くべき事実を示している。
そして、これは、本当の自分(真我)が、純粋に見ているものであって、体など動かしている心とは別の存在であるにもかかわらず、心と自分を混同しているとするヨーガの思想と見事に一致している。あたかも映画を見ている観客が、映画の主人公と感情移入して一体化して、主人公と共に苦しんでいるかのようなものでらい、人類にとって最大の錯覚にして、その様々な苦しみの根本的な原因である。
4.錯覚がもたらす自と他の区別・対立と、それからの解脱
この錯覚が、自分と他人を過剰に区別し、他人よりも自分を偏愛して(自我執着)、自分と他人を対立的な関係に置き、他と奪い合う心や行動のく根本的な原因になっている。そして、本当の自分がわからないことが全ての苦しみの原因であり、本当の自分を取り戻し、不要で有害な執着(自我執着)を脱却することが、真の幸福・解脱の道である。