第408回『意識は自分の行動を決めていない!:最新脳科学と仏陀の無我の思想』(2019年5月26日東京 60min)
(2019年5月31日)
1.仏教が説く無我・縁起の思想
仏陀は、実際には、「私」「自分」というものはない(無我)、ないしは、私たちが「私」「自分」と思っているものは、実際には、私・自分とは言えない(非我)の思想を説いて、自分・自分のものに過剰にとらわれること(自我執着)を戒めた。
また、無我の思想は、万物が相互依存であることを説く縁起の法とも関連しており、他から独立した私・自分は存在しないことを意味する。逆に表現すると、実際には私は世界全体に繋がり広がっており、世界全体が本当の私であるともいうことができる
2.最新の科学が示す万物一体の世界
(1)分子生物学:自分だけの分子はない
実際には、自分だけの体を構成する分子は存在しない。人は、他者・外界と、分子を絶えず交換・循環させている。そのため、実際には、過去と変わらぬ自分は存在しない(自己同一性は幻想)。
(2)脳神経学:自と他の区別は頭頂葉が作る幻想
人の脳の「頭頂葉」と呼ばれる部分が、視覚などの感覚情報に基づいて、自分と他者・外界を区別した構図の映像を作って、我々の意識に感じさせている。頭頂葉の機能が低下すると、いわゆる宇宙と一体となったワンネス体験をする。
(3)脳科学:意識が無意識的な脳活動の結果の観測者に過ぎない
我々の常識では、自分の「意識」が、自分の行動を決めており、自分の中心であると考えている(「能動的意識説」・「意識中心の自分説」)。しかし、様々な科学的な実験結果は、意識とは、無意識的な脳の活動が作る、自分に関する記録映画(エピソード記憶)を見ている観測者に過ぎない可能性があることを示している(「受動的意識説」「非意識中心の自分説」。
ただし、その記録映画は、その観測者(意識)が、自分の行動を決め、自分の中心である、と錯覚するように作られている。私たちの行動は、他者・外界と?がっている体の一部である脳の無意識的な活動の結果であり、その意味で、仏陀が説く、無我の思想や、万物一体の思想と通じるものがある。
(4)古今東西の哲学・宗教の思想
古今東西の哲学・宗教の思想を見れば、仏陀の無我・非我の思想や、老子の無為自然、荘子の万物一体の思想、さらには、キリスト教のアウグスティヌスの自由意志を否定する思想、近代哲学の構造主義・ニヒリズムなど、受動的意識説・非意識中心の自分説に通じる思想は多数存在している。