第376回『真実か幻覚か:神秘体験の科学:妄信を超えるために』(2018年7月22日東京 63min)
(2018年7月23日)
人がが宗教を信じる時、非日常的な宗教体験が大きな役割を果たす。いわゆる神秘体験、霊的体験、瞑想体験、心理学的には、変性意識状態と呼ばれる。オウム真理教の妄信の原因でもあり、イスラム・キリストの一部にも、強固な信仰の形成の過程にあるという。その真偽を宗教と科学的な研究の両側面から検討、その影響、落とし穴、正しい評価・考え方について解説。
1.神秘体験は真実か厳格か:徐々に進む科学的な研究
(1)体外離脱体験
①脳内の現象か・脳外の現象か、又は脳の内外は繋がるか=量子脳理論
②瞑想せずとも、大脳辺縁系への電気的な刺激でも生じるし、解離性障害者も。
③しかし、幻覚ではなく、脳外の現実を認識した(霊魂?)と思われる事例も
(2)内的な歓喜・至福の体験
気(プラーナ)による現象か、脳内麻薬の現象か、双方の結合の結果か
(3)内的な視覚・聴覚(霊視・透視)、霊言・異言などの体験
幻視・幻聴か(統合失調症か)、霊視・透視・超能力・正夢か。
2.仏教的な宗教体験と、解離性障害の状態が混同されている可能性
(1)仏教の無常・苦の思想と、解離性障害の現実感や自己の喪失感との類似性
夢の中にいる、自分を外から見る、現実感がない、体外離脱の体験
仏教瞑想が解離性障害を悪化させた事例も。
(2)解離状態=脳機能一部が抜け落ちた状態とも。
創造的・芸術的な効果もあり、病的な解離状態の区別は難しい。
本人が苦痛を感じたり、社会生活で困る場合は病的となる
カルトの教祖のように、本人は困らず社会に迷惑をかける場合も。
(3)偶発的な体験か制御可能な体験か
高僧の見解:体験は悟りにあらず、それを制御できることが悟り。
煩悩の制御の結果として自ずと(副産物として)生じるのが瞑想体験か?
(4)魔境:増上慢・自我肥大
神仏との合一体験などの結果、自己を絶対視する。
主観的な体験に過ぎないが、信者が集まれば教祖になり、信仰の問題に。
自己を絶対視して、自己を否定するものを悪魔・陰謀・弾圧者と見る傾向
→誇大妄想・被害妄想の心理状態=解離性障害などの精神疾患に通じる?