第296回夏期セミナー特別教本『気の霊的科学と人類革新の道』 「質疑応答集編」(2016年8月15日 60min)
(2016年8月15日)
夏期セミナー最後の講話として色いらな質問に答えながら、仏教その他の思想哲学を開設した講話です。その回答の要点は、以下の点を含んでいます。
1)向上心のあり方、競争心の限界、真の勝利の意味と道
1.純粋な向上心とは、勝利ではなく、自分の能力の絶対値が高まることを目的すること。その場合、優れた他者は妬みではなく、助力者となり、自他の向上・成長はセットとなる。
2.勝利絶対主義では本当には勝利できない。武術等で最強とされる達人は、無欲の集中力(無心の境地)を持っている。スポーツ他で最高のパーフォーマンスとされるゾーン状態・フロー状態も同じ。
3.人生は長く、マラソン・長期戦であり、勝利を焦り、無理や不正をなせば、逆効果になる。心身の健康を保ち、地道な努力を継続し、目先・短期の勝利を絶対視せず、失敗・挫折・敗北を成功の元とする粘り強い努力が、真の勝利の道。自分の中の弱さが最大の敵で、自分に勝てば、外側の敵は、自ずから消えていく(孫子の兵法で言う「戦わずして勝つ」こと)
2)気の科学に関して
1.「気」(体の中を流れる生命エネルギー)の通り道=気道は、初めからあるのか、それとも作るのか、と言えば、無数の潜在的な気道は最初からあるが、その中のどこを活性化するか(太く大きくするか)が修行であり、その考え方が宗派・学派で異なる。
2.主な気道が三つあり、それが仏教が説く3つの根本煩悩(無智・貪り・怒り)に対応するが、その3つの気道が、最後に一つになって、頭頂に至るとされているのでは、三つの煩悩が本質的には一体であるからで、煩悩が解消される時には、3つが1つになるためだと思われる。
3)悟りの境地や、エゴの解消
1.自他が一体であり、そのため、自他の幸福が一体であると悟るという境地は、自他の区別を超えて、自分が他人と一体なっている(究極的には宇宙と一体になっている)状態であり、もう少し現実的に言えば、広い心の状態(意識の拡大)である。広い心はすなわち妬みを超えて他の幸福を喜ぶことができるものだと考えればわかりやすいだろう。
2.自分のことを自分でするという道徳的な考えは、少なくともその分他人に迷惑をかけないという意味で、仏教の利他行と通じる面がある。仏教の利他行には、消極的な利他行と積極的な利他行があり、前者は、他を苦しめずに生きるという意味であり、後者は他に幸福を与える、(自分が直接の原因ではない)他の苦しみを取り除くという意味である。