2015年9月
第256回『言葉による思考の弊害:心の苦しみ』(2015年9月13日 大阪 76min) (2015年9月15日)
1.言葉による思考は、実はメリットだけ無くデメリットがある
言葉による思考のメリットは、この世界の物事の間の「違い」の理解を助け、分析的思考を育て、科学技術の進歩を促した。しかし、それは、物事の「つながり」の理解を阻む弊害がある。言葉で名前を与られた物は、他の名前の物とと全く別のものだと錯覚されてしまう。実際は、自分・他人、私・彼・彼女は科学的見ても深く繋っている。
また、物事を実際より「固定的」に感じる錯覚も生じさせる。「私」の体の分子は絶えず入れ替わり、一人の変わらぬ私などなく、「私」とは絶えず変化する無数の私の総称に過ぎない(自己同一性は科学的には存在しない)。
また、良い悪い、楽しい苦しみなど、言葉で善悪を区別するが、実際には、善悪・苦楽も全く別のものではなく繋がっている(苦楽表裏、短所と長所は裏表)。そのため、言葉により、実際よりも良く(悪く)物事を見てしまう錯覚も生じる。
こうした錯覚のため、人は、自分と他人を区別し、自分に過剰に執着し、自分のものを無制限に増やそうとして、貪り・怒り、慢心・卑屈・妬み・軽蔑といった煩悩で悩む。
2.言葉のデメリットを克服するために
西洋の思想哲学では、言葉による思考が、自分自身であり、人間と紙の違いであり、疑う対象にならない、絶対的な位置づけがある。しかし、仏教の悟りの哲学では、言葉による思考は、自分自身(の真の本質)ではなく、多くの間違いを含み、悟りの境地も言葉による思考の中にはないとする。
よって、生活の中で、言葉による思考から距離を置く一瞬を作るべきだ。それが瞑想の極意の一つ。時々は、思考や感情が静まった状態を作ること。問題があるときも、いったん心を静めた上で考えると、冷静・合理的・直感ひらめきのある思考ができる。しかし、考えてばかりいても、堂々巡りで悩むばかりとなる場合多い。
3.人工知能について
今後、人工知能が人間の知能を超える日も来るだろうが、コンピューターが得意とする知識の収集や、知識を応用する知能とは、人間の言葉による思考を模倣した知性である。
しかし、人間のみが持つのが、言葉による思考を超えた知性であり、仏教が言う智慧。静まった平安な心(悟りの境地)、慈悲、直感など。この智慧は人間の聖域である。第255回『仏教の心理学:唯識思想から』(2015年9月6日 福岡 65min) (2015年9月11日)
仏教の心理学とも言われる唯識思想が説く、心の苦しみの原因と対処法を解説。
1. 人は、実際は一体で流動的な物を別々で固定的であると錯覚をする。
特に、「私」は、他とは別者で、固定的な存在だと錯覚する。2.そのため、「私」に過剰に執着し(=我愛)、財や富、地位・名誉などを貪り、他と争うなどして怒り、色々と苦しむ。さらに、私こそ価値があるという欲求(我慢)があり、慢心・卑屈・妬み・軽蔑にも陥り、苦しむ。
3.仏陀の智恵は、私と他者が繋がっていて、すべては変わるものと理解するもので、その智恵を鍛えることで、「私」への執着と貪り、怒り、慢心、卑屈などの苦しみを和らげることできる。
第254回『言葉、言葉による思考について』(2015年 8月30日 55min) (2015年9月 1日)
悟りとは、言葉の外にあるものである。