2017年4月
第323回『マインドフルネス瞑想の本質と効果と限界』(2017年4月23日 大阪 60min) (2017年4月24日)
1.マインドフルネス瞑想とは
仏教のサティ(念)に由来し、今この瞬間のある対象に対して、是非・良し悪しの判断をせずに注意を向ける(気づいている)状態を培う瞑想。人の意識は、過去や未来に向いて今現在には向かず、対象に対する好き嫌いの感情に巻き込まれることが多い、それを避けた意識を持つのがポイント。具体的には、呼吸・身体・動作・思考・感情などを対象とする事が多い。そもそもは、鬱病等の緩和などの心理療法だったが、一般の人のストレス解消・能力向上・健康にも役立つとして広まった。
2.マインドフルネスと仏教ヨーガとの関係:心は自分ではない!
マインドフルネス瞑想は、自分の思考や感情に距離を置き、落ち着いた意識を培う。通常は、思考や感情に没入して、その奴隷になっているが、思考や感情を観察するメタ認知(超自分)を培う。仏教では、心(思考や感情)は、自分の本質ではないと説き(無我)、ヨガでも、心は真我(自分の本質)ではないと説く。メタ認知は、ヨガの真我の概念に通じる。自分(の本質)は思考や感情ではないと体得すれば、否定的・有害な思考・感情に巻き込まれずに済む。
3.認知行動療法とマインドフルネス:心は変えることができる!
マインドフルネス瞑想は、認知行動療法と組み合わされ、マインドフルネス認知療法として用いられる。認知行動療法とは、鬱病などの負の感情が、不合理で極端な物の見方(=認知)によるものであり、認知を修正すれば、負の感情が和らぐとする。通常は、不合理な見方とそれによる負の感情が習慣になっているが(言わば条件反射)、これに気づいて不合理な見方を修正する。その前提として、マインドフルネスを培い、思考や感情に没入せずに、それを客観的に観察して、不合理な認知の存在に気づくのである。
マインドフルネス瞑想だけだと、負の感情を冷静に受け止め、影響を受けにくくはなるが、それを直ちになくすことはできないが、認知行動療法を組み合わせるならばできる。これは、健常者にも当然有効であり、自分の負の感情・心を変えやすくなる。4.マインドフルネスを超える仏教の瞑想:すべての苦しみを滅する
2500年前に遡る仏教こそは、認知行動療法よりも遥かに以前から、物の見方が、負の感情の原因だとする思想である。そして、仏教が扱う範囲は、心理療法よりはるかに広く、人の全ての苦しみは、間違った見方(無智)が生む煩悩から生じると説く。そして、正しい見方(智慧)を培う修行をなし、無智による煩悩と苦しみを一切滅するのが、仏道修行が目指す「悟り」である。
無智とは、自と他(の幸福)を区別し、自分だけに過剰に執着する自我執着である。これを修正する考え方・言動を修するのが仏道修行である。座って瞑想する時だけが瞑想ではなく、日常全体で自分の意識や言動の制御=戒律の遵守が修行課題となる。言い変えると、24時間が瞑想とも表現できる。
一方、一般のマインドフルネス瞑想では、ストレスの低減などには効果があっても、苦しみ全般の解決には遠い。また、瞑想で自我執着が一時的に弱まっても、日常行動の中で、自我執着が強まれば、瞑想の効果が減滅する。5.心理学の4大潮流について
心理学には、1.精神分析(心理学の始祖ともいえるフロイトなど)の流れ、2.行動主義心理学(実験を重視する心理学)、3、人間性心理学(精神疾患者に限らず、健常者の幸福のための心理学)、4.トランスパーソナル心理学(個人・自我の意識を越えた意識を扱う)という四つの潮流がある。認知行動療法やマインドフルネス認知療法は、2番目の行動主義心理学の流れから生まれたものであり、3番目と4番目とも関係がある。
6.心理療法の担い手の問題
心理療法は、体の病気ほどには、科学的なアプローチに馴染まない。マインドフルネス認知療法の有効性は、統計的な証拠があるともされるが、厳密なテストができるかは疑問で、薬の有効性のテストには及ばないと思われる。
担い手に関しても、臨床心理士という資格があるが、国家資格ではなく、人によっては、夢分析など、治療の内容が個々人の患者に応じた臨機応変のもので、言わば個人芸となる療法を中心に行う人もいる。各大学の心理学科にも、実験・統計を重視する流れ(実験心理学)と、個人芸を含む臨床心理学の流れがある。
今後、国家資格である公認心理士の制度が導入される予定だが、心理療法として何を重視するかは、議論の対象となっている。心の問題を扱う心理療法の特殊な状況のためか、医師・弁護士・税理士と異なり、臨床心理士や公認心理士でなければ、心理療法をしていけないという制度ではなく、心理療法を教える出版物は多く、自助努力も可能である。結論として、心の問題に関して、医学・心理学・社会学・教育界・宗教界など各界の様々な努力が期待される。第322回『人生は長い夢と気づく悟り、その障害は自己特別視』(2017年4月16日 福岡 76min) (2017年4月17日)
1.無常・無我の悟り
悟りの要点は、釈尊が説いたように、人生は必ず終わる長い夢(幻影・マーヤー)であることに深く気付くこと(無常の悟り)。「私」とは消え去るもので、その意味で、本当には存在しない(無我の悟り)。
2.人生は夢の如し
夜の夢の中では、それが夢だと気づけば、夢や夢の中の私への執着は消え、夢の中の全ての苦しみは消える。現実の私も、いつかは終わる「長い夢」と深く感じれば(=悟れば)、自分へのとらわれが滅し、全ての苦しみは消え、静まった大きな意識を得る(涅槃・大慈悲)。
3.死ぬ際に気づいても遅い
問題は、謙信が「(人生は)一睡の夢」、秀吉が「夢のまた夢」、信長が「夢幻の如くなり」と辞世の句で詠ったように、死ぬ際には皆が、人生は夢のようだと気づくが、それでは遅く、死ぬよりもずっと前に気づくことが悟りであること。スティーブジョブズもそうだった。
4.悟りの秘訣=自己特別視を避けた輪の悟り
死ぬ以前に気づけない理由は、気づかないうちに、人生の無常から目をそむけ、根拠もなく、あたかも自分だけは(すぐに)死ぬことはないかのようにかのように思い込むこと。この気づきにくい自己特別視に十分に気づくことが悟りの秘訣。
自他を区別せずに、今も無数の人々に起こっている老・病・死といった人生の無常の苦しみを共有すること。自と他の繋がりを意識する「輪の悟り」。自分に身近な人達、親族や友人・知人の死は、人生の無常を教える重要な教師であり、ブッダの御使いである。5.人は誰しも皆、死刑囚という教え
死から逃れられないこの世に生まれた我々は、その意味で誰しもが死刑囚のようなものと仏典は説く。その死と無常による苦しみ・束縛から解放してくれるのが無我の悟り。上祐代表自身の体験・立場に基づく深い話が最後に語られる。必見!