麻原遺骨引き渡し問題:国と麻原家族が係争中
(2025年6月29日)
1.遺骨引き渡しの裁判の状況と社会の各方面から不安の声について
麻原遺骨問題に関しては、朝日新聞によれば、麻原の次女(44歳)が国に麻原の遺骨と遺髪の引き渡しを求めた訴訟で、東京地裁は昨年(2024年)3月13日、「返還を拒める法令上の根拠がない」などとして、国に引き渡しを命じる判決を言い渡しました。
遺骨と遺髪の所有権は次女にあるとの判断が2021年7月に最高裁で確定していましたが、遺骨などを保管している国との引き渡しに向けた協議がまとまらなかったため、次女が2022年10月に提訴していました。訴訟で国側は、「遺骨などを次女に引き渡せば、オウムの後継団体(アレフなど)や信者に渡り、利用されて重大な犯罪が生じる可能性が高まる」などと主張しました。
これに対して、地裁の判決は、法令の根拠なく公益を理由に返還を拒めば「法律とは無関係に私人の財産権を制約するに等しく、法律による行政の原理を脅かす」として、慎重な検討が必要だとした上で、国の主張は証拠による裏付けのない抽象的な可能性の域を出ないもので、「所有権行使の制限は正当化されない」と指摘。一方の次女の請求は「父の死を悼む目的で、通常想定される権利行使だ」とし、「万が一、遺骨が他者に渡り、公共の安全が害された場合の影響は甚大で、(引き渡しを拒む)政策判断も理解できなくはない」が、そうした判断は国会で議論した上で立法で解決されるべきで、死刑判決や死刑執行から長期間経過していることも踏まえ、「司法による応急的な対応が必要な状況ではない」と結論づけました。
なお、この裏事情として、週刊文春電子版(2024年3月27日)では、司法担当記者の情報として、弔うためという次女が遺骨を保管するかを明らかにせずに国との交渉が決裂し、裁判に至ったことを報じています。
その後、国は、判決を不服として控訴しました。その際、法務大臣は閣議後の記者会見(2024年3月19日)で、控訴した理由を問われて、「御指摘の判決は、国としてその判断を受け入れることはできないというふうに我々は判断しまして、控訴したものであります。取り分け本件では、判決の内容が公共の安全及び社会秩序全体に大きな影響を及ぼし、国民の皆様に不安を与えるものであることから、昨日控訴し、この判決に対する国の立場を速やかに明らかにすることとしました。詳細については、今後控訴理由書で明らかにしてまいります。引き続き適切に対応していきたいと思います。非常に慎重に対応すべき重要な事件だと思います。引き続き適切に対応してまいりたいと思います。」と答えました。
また、読売新聞の報道によれば、オウム真理教による地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんらは18日、法務省と公安調査庁を訪れ、「遺骨が資金獲得の道具として悪用されないよう、あらゆる対策を講じてほしい」などとする要望書を提出しました。
さらに、アレフ関連施設が多く存在する足立区の区長が、足立区のHPにおいて「今回の判決及び控訴を受け足立区でも、旧オウム真理教関連施設周辺住民をはじめ多くの方々が多大な不安や恐怖を感じていることから、国に対して、遺骨等をめぐる問題が大きな社会不安に発展しないよう適切な措置を講じていただくことを引き続き求めてまいります。」との声明を出しました。
また、自身が被害者でもあり、被害者団体の理事である滝本太郎弁護士は、「オウム事件では、殺されて焼却された信者7人の遺骨が遺族に戻ってきていません。それにも拘わらず松本の骨を後生大事に持っていたいなどとは、言えた筋合いではありません。松本の遺骨は太平洋の誰も知らない場所に散骨すべきだと思っています(中略)カルト教団教祖の処刑散骨は、例えばアメリカのチャールズ・マンソン、アルカイダのウサマ・ビン・ラディンなどは、警察、米海軍の手によって行われています。松本の遺骨もテロ対策の一環として国が責任を持って後始末をつけるべきです。」と述べています(出典HP)。
こうした中、高裁での審議は長期化して、まだ結審・判決の見通しは立っておらず、重要な社会問題となっています。
2.遺骨が次女に引き渡された場合のアレフ教団に渡る可能性について
(1)次女が同じ家族の一員である次男・妻に分骨などすれば、アレフに渡る可能性がある
まず、訴訟で国側は、「遺骨などを次女に引き渡せばオウムの後継団体や信者に渡り、利用されて重大な犯罪が生じる可能性が高まる」などと主張しましたが、判決は、「国の主張は証拠による裏付けのない抽象的な可能性の域を出ない」としました。
そこで、国ではわからなかった(がゆえに訴訟では主張できなかったと思われる)遺骨の利用法やそこから生じる影響について、元信者の私たちだからこそわかることを、私たち自身の体験や知識に基づいてお伝えしたいと思います。
まず、オウムの後継団体や信者に渡るという国の主張において、第一に、アレフ(後継団体)に渡る可能性について述べたいと思います。この点について、2024年4月4日号週刊文春電子版によれば、この訴訟に至る前に、国と次女の間で引き渡しの交渉が行われたものの、次女が遺骨を保管するのか明らかにせず、国として、アレフなどに悪用される懸念が拭えないとして交渉が決裂したということです。
そして、このアレフに渡る可能性を示す事実・証拠として、昨年10月ごろから今年にかけて、麻原の次男がアレフを裏から支配してきた事実が発覚し始めました。まず、匿名の元幹部信者による告発情報が、次男の信者との会話の音声データと共にネットで出回り始めました。そして、賠償を拒絶し資産を隠すアレフに対して寄付の受領や施設の使用禁止の再発防止処分が科せられた2023年以降に続々脱会するに至った幹部信者達の証言によって、それが裏付けられました。こうして、次女が、同じ麻原の家族であってアレフを裏支配する次男(および次男の前には裏支配を主導した一人である妻)に遺骨を分骨などすれば、遺骨は家族の中にとどまらず、即アレフにも共有されると思われる状況になったのです。
まず、麻原家族のこれまでの経緯を説明するならば、麻原の次女は、三女(42歳)・長男(32歳)と共に、2013年から2014年、当時の次男の教団復帰の計画に反対して、麻原の妻(=次女・三女らの母でもありますが、以下、単に「妻」と記します)・次男と対立し、教団の裏関与を離れたとされています。しかし、その後も、まさにこの麻原遺骨問題を巡っては、遺骨を引き渡されれば散骨するという四女との争いにおいて、妻・次男と次女・三女・長男が連名で、法務大臣に要求書を提出するという連携がありました(産経新聞記事)。こうした協力関係があったことからも、さらにそもそも同じ家族であるということからしても、次女・三女が、妻・次男に分骨を行う可能性は否定できないと思います。
次男は秘密裏にアレフ教団を裏支配し(これは団体規制法において構成員を報告する法的な義務に違反する疑いがある)、その教団は、賠償を拒絶し、資産を隠し、国への資産報告義務を履行しない一方で、正体を隠して秘密裏に「オウム事件を陰謀」と主張するなどの不法で詐欺的な入会勧誘によって多数の信者と資金を集めるといった、秘密裏の反社会的な活動を続けてきた経緯があります。次男は自分自身を隠し、資産を隠し、信者はアレフとの正体を隠し、度重なる隠密・秘密行動です。そして、最近流出した次男と信者の会話の音声によれば、この団体規制法違反の「不報告」が、次男の指示によるものと思わせる内容があります。こうして秘密裏に違法活動をしてきた次男が、同じように遺骨を家族内にとどめず、再び秘密裏にアレフ教団の信者に対して利用する可能性は否定できません。
もちろん、次女が、最大限社会側に立って、①家族といえども、アレフを今も裏支配していることが発覚した次男(妻)には渡さないことを誓約するとともに、②2014年前後に自ら次男の教団復帰に反対して教団が分裂した経緯からしても、賠償を拒絶する反社会的な教団運営を裏支配によって行っていることが最近発覚した次男(妻)について、率先してその問題を告発し、アレフの賠償の再開を含めた合法的な教団運営を要請する(ないしは次男・妻の教団裏関与の離脱を要請する)などをしているのであれば、別かもしれません(アレフは2018年以来、賠償を拒絶し、資産を隠し、国への資産の報告義務を履行していない)。
しかし、そうしたことは一切していない一方で、③次女および次女に近い三女は、2003年頃から家族内で対立した2014年前後までにおいて、自らがなした教団の裏支配の事実を否定・隠蔽しており、その期間に、麻原を相対化する上祐らの改革路線を妨げて、教団の麻原絶対路線への回帰を主導した事実があります(いわゆる麻原回帰)。
(2)次女と共にいる三女も、かつて教団を反社会的な方向へと向かわせる裏支配を主導していたこと
また、それまでの間に、次女と行動を共にしてきた三女に関しては、当時は未成年であったとはいえ、観念崩壊セミナーによる信者への健康被害、麻原奪還テロを企てたシガチョフ事件を招く要因一つとなった不適切な言動、長女との対立の中で長女宅に暴力的な不法侵入をなして長女と同居した長男を連れ去った旭村事件といった成人前の問題に限らず、成人後においては、教団を裏支配し(団体規制法違反の疑い)、教団関与を否定した虚偽の主張に基づく損害賠償請求裁判、分派グループで起きた傷害致死事件(ケロヨン事件)における不適切な対応といった、様々な反社会的な行動があったといわざるをえません。その詳細は、こちら(記事①、記事②、記事③)に記載しましたので、ご覧ください。
そして、2000年以降、三女・次女・妻らが教団の裏関与を始めて以来、教団は賠償の支払いを停滞させました。賠償問題の解決のために、被害者団体は、教団を相手に東京簡裁の調停の申立てを余儀なくされる一方で、正体隠しや事件陰謀論等の不法な布教によって多くの信者と資産を獲得するに至り、末端の信者が繰り返し逮捕される状況に至りました。
しかしながら、三女・妻らは、こうした活動を自ら主導したのでなければ、少なくとも、社会的に問題になる中で、それを止めようとすれば止められる影響力があったにもかかわらず、それらを止めようとしなかった(としか思われない)事実があります。これについて、依然として率直に、(そして次男や妻より率先して)反省・謝罪することもしていません。
なお、次女・三女ら麻原の子供は、麻原の指示で、すべての弟子・信者の上の立場を与えられており、特に、三女は、麻原の獄中からの指示として、後継教祖に指名された次男・長男がまだ幼少であることもあって、次男・長男を差し置いて、教団運営の執行部である長老部の座長に指名されるなどの強い権限が与えられていました。そのため、2014年に後継教祖に指名されていた次男が教団運営の裏支配を始める前は、教団において最も強い権限・影響力を持った存在だったと考えられます。このあたりの詳しい経緯も、こちら(記事①、記事②、記事③)をご参照ください。
むしろ、次男の裏支配を自らの体験・知識に基づいて告発をしないことで、今現在の次男・妻の教団の裏支配(の開始)と、過去の自分達(次女・三女ら)の教団の裏支配を共に隠蔽している結果となっており、その意味で、互いにかばい合っていると思わざるをえません。なお、教団の裏支配とは、教団を運営する役職員や構成員を報告することを義務付けた団体規制法に違反する疑いがある行為であり、当然、その点の反省・謝罪も本来は必要だと思います。
なお、三女・次女・妻によるアレフ教団の裏関与は、2003年頃から、上祐らの進めた麻原を相対化する教団改革を妨げる目的で開始されました。上祐は軟禁状態(いわゆる上祐幽閉)となって実権を奪われ、その後、上祐が軟禁状態を自ら脱出して、自らに共鳴する者と共に2007年にアレフを脱会した後も、三女らの裏関与は続き、三女(および次女・長男)に関しては、上記の通り、2014年前後に、次男・妻と対立して、裏関与から離脱するまで続いたと思われます。この経緯を示す証拠として、それを2003年以降脱会まで実体験した上祐ら(今ひかりの輪のスタッフである)当時の幹部信者の証言に加え、公安調査庁の調査結果(2014年12月時点で三女を教団幹部と認定)、警視庁の捜査結果(2011年前後)、その他の複数の当時の最高幹部や中堅幹部の証言があります。
また、アレフに加えて、依然として麻原に帰依をしている「山田らの集団」もあります。彼らは、アレフ教団の金沢支部でしたが、三女・次女が、2013年頃から次男の教団復帰に反対し、麻原家族の中に対立が生じて、結果として三女・次女の主張は受け入れず、裏支配を始めた次男と入れ替わる形で、次女・三女は裏関与から離脱した際に、同じように教団を離脱しました。この「山田らの集団」には、麻原の家族はいませんが、こうした経緯から、次女・三女が対立した次男(が裏支配するアレフ)よりも、次女・三女に心理的に近い可能性があるということはできるため、その意味でアレフに限らず、分骨される可能性には注視が必要だと思います。
3.三女・次女に近い、アレフに籍を置かない信者達が遺骨に接する可能性について
(1)オウム事件被害者弁護士からも、アレフには属さない出家信者グループ「三女派」の存在が主張されたこと
第二に、次男・妻を通じてアレフ教団に渡らないにしても、次女・三女の周りには、アレフには籍を置かない出家信者の存在が指摘されています。
まず、次女は三女に近いと思われ、2003年時点では同じ住居に住み、2003年からの教団の裏関与でも行動を共にしており、2014年の家族内の分裂においても、次女は三女と共同して次男や妻と対立しています。さらに、麻原の遺骨の継承の争いの中では、①麻原の四女、②妻・次男、③次女・三女の三つ巴の争いとなった結果、次女への引き渡しが決まったという経緯があります。
そして、この次女に近い三女に関しては、2003年から教団の裏支配をしており、2014年11月の時点で、公安調査庁は、教団主流派「アレフ」の実質的な教団幹部に当たるとみて調査しており、実質的にアレフの「現職役員」に当たると見ていることが報道されました。私たちが、公安調査庁の2014年12月の観察処分請求時の主張を調べた限りでも、「三女が現在もアレフの役員」「現在も教団の運営や意思決定に直接関与している」と認定していました。その後、三女は、その認定の取り消しと損害賠償を求めた訴訟を提起しましたが、2019年6月、東京地裁は三女の請求を退ける判決を言い渡しました。
この点に関しては、①公安調査庁の調査に加え、②教団の信者が三女と妻に秘密裏にお伺いをする文書を発見した2011年の警視庁の捜査結果もあり、③2003年頃、三女・次女・妻の教団への裏関与を直接経験して2007年に脱会した上祐らひかりの輪のスタッフに限らず、④当時の最高幹部の野田・二ノ宮、さらに他の中堅幹部も一様に、三女らの裏関与を証言している事実があります。
ただし、この2014年前後に、前に述べた通り、三女・次女・長男と、妻・次男との間の対立が生じ、その後、三女らは、アレフ教団本体の裏支配から離脱したとしています。
しかし、その一方で、仮にアレフ教団本体に関わりがなくても、いわゆる「三女派」の存在が、オウム真理教事件の被害者でもあり、オウム事件の被害者団体(オウム真理教犯罪被害者支援機構)の理事でもある滝本太郎弁護士によって主張されました。滝本弁護士は、2018年に、自身のブログにも掲載した公安調査庁あての「上申書」において、「オウム集団には「三女派」が存在しており、監視されるべきものである。「山田らの集団」も三女派である。三女は、お付きの人の支援で生活し、オウム集団から離れていない」との趣旨を記しました。
この滝本弁護士は、三女の父親(麻原)のサリン殺人未遂事件の被害者ですが、三女派の存在を主張したため、三女に逆に損害賠償請求されるという、オウム事件の被害者側と加害者側が逆転した形の、驚くべき訴訟に至りました。裁判の結果としては、滝本弁護士側には、三女派の存在の真実の証明はないが、真実と信じるに足る相当の理由があったということで、同弁護士の責任は問われませんでした。十分には確認できませんが、真実と信じるに足る相当な理由として、滝本弁護士は、①1996年頃に三女が「長老部」(当時のオウム真理教の最高意思決定機関)の座長とされたことや、②2005年より前に三女や家族が教団から経済的支援を受けていた旨の新聞報道がされたこと、③2012年に弟の教団復帰について反対意見を述べたことなどが挙げられたとされます。
(2)2000年以降のアレフに属さない三女周辺の出家信者グループについて
では、実際のところはどうなのでしょうか? まず、アレフの発足時には、アレフ教団には籍を置かないが麻原家族とその周りの出家信者達のグループは確かに存在していました。この出家信者たちで、「警備班」とか「お世話係」と呼ばれることがありました。
それは、アレフが発足した2000年にさかのぼります、2000年2月のアレフ発足の直前である1月に、三女・次女らが、長女・長男・次男が住む家に暴力的に不法侵入して身柄を拘束され、保護観察に付される事件が起き(いわゆる旭村事件)、長男・次男は児童相談所に収容されましたが、その犯行も、三女・次女と共に、彼女らが率いる側近信者達の一部と共に行われました(当然信者達も逮捕)。
事件後に、保護観察などに付された三女・次女とその側近信者達は、その前後のアレフに改称されて発足した教団の本体には籍を置かない形としました(置かない形を余儀なくされました)。こうして、2000年の時点で、三女・次女と側近信者たちは、麻原への信仰は維持しながらも、形式上はアレフに入会せず、独自のグループを形成していました。このグループは、アレフではないならば、もう一つのオウム後継グループともいうべきものでした(その意味で、前に述べた分派グループのケロヨンなどと同じです)。
その詳細は、教団が公安調査庁へ提出した初回の名簿報告(2000年3月)において明らかです。この際、教団は、発足したアレフに未加入のオウム真理教の出家信者を報告しており、「麻原氏の子女と周りの人々で宗教団体・アレフに未入会の者。昨今の騒ぎのため身の振り方を検討中か、連絡不能の人。」として麻原の子女6名に加えて、6名の出家信者、「(旭村事件で)勾留中の旧オウム真理教出家信徒(接見禁止のため当然宗教団体・アレフには未入会)」として3名の出家信者を報告しています。
そして、少なくとも2003年頃までは、三女の周りの出家信者達の一部について、上祐らが、三女宅を訪問した際などに直接見聞きしており(その中には上記の報告にはない出家信者も含まれており)、その一部は三女を経済的に支えていると聞いていました。また、2002年末に、妻が出所すると、妻もアレフ本体に籍は置かないことになりました。一方、それまで妻に代わって長男・次男を世話していた出家信者が、妻の出所と入れ替わりに、家族のもとを離れたことなどもありました。
なお、出所後の妻に対しては、アレフから著作権使用料の名目で月40万円ほどの生活費が支払われており、それが社会的に批判されることがありました(ただし、このお金は妻向けであり、少なくとも直接的には三女側には流れなかったと思われますし、2014年以降、妻・次男と、三女らが対立して以降は、なおさらそうだと思われます)。
この後、三女や家族のもとを離れた人達がいることなどを時々伝え聞く一方で、2007年には、上祐らがアレフを脱会して、ひかりの輪を設立しました。この2007年前後においても、三女を経済的に支援していると主張する(アレフに籍を置かない)出家信者の話を聞いたという元信者の情報がありました。
(3)2014年以降のアレフに所属しない三女に近い信者らについて
その後、2014年前後までに、次男は三女・長男らから離れて、妻の元に身を寄せ、次男の教団復帰を巡る家族内の対立が起こり、三女・次女・長男は、教団本体とは距離を置くようになりました。その際に、その三女らの影響を受けて、例えば、上記のアレフの元金沢支部道場の出家信者達(公安調査庁が現在は「山田らの集団」と呼ぶ)や、相当数の出家信者(のグループ)がアレフを離脱しました。また、複数の中堅幹部(師)が三女への共鳴のため、当時の最高幹部の二ノ宮氏と対立し、次男・妻が主導する教団本体から除名されました。
この点について、公安調査庁・公安審査委員会は、「平成25年末頃、麻原の妻・松本明香里及び正悟師・二ノ宮耕一らが、麻原の二男を「Aleph」へ復帰させようとしていたのに対し、麻原の三女・松本麗華らが、これに反対するよう「Aleph」の幹部構成員らに働き掛けたことにより、「Aleph」内に意見対立が生じ、平成27年1月、「Aleph」の幹部構成員であった山田美沙子を中心とする集団(以下『山田らの集団』という。)が、かかる意見対立の結果、「Aleph」とは一定の距離を置いて活動を開始した」と認定しています(官報(平成30年1月30日)より)。
これら、三女と同時期にアレフを脱会した出家信者達は、参上を中心として、アレフのようには組織化されてはいないと思われます。ただし、脱会した元幹部信者は、上記の家族内での対立の際に三女との接点・共鳴が深く、その後脱会、ないし除名された出家信者などをはじめ、緩やかな個人的な繋がりがあると推測しています。推測の域を出ませんが、その理由は、例えば、①アレフを脱会した者たちの間には、緩やかな繋がりがあり、脱会後もお互いにあって交流する傾向がある、②アレフを脱会しても信仰が残る信者達は、同じく脱会している「高いステージ人(教団での階級が高い人)にお布施をして功徳を積みたい」といった欲求がある人が少なくないからです。そして、麻原三女ら麻原の子供達は、すべての弟子の上に置くという麻原の指示・通達があり、三女には近くに次男と共に後継教祖に指名された長男もいます。
そもそも、脱会してグル(霊的指導者)との縁が切れるならば、地獄にさえ落ちるとも考えることがある教団の信者にとっては、脱会するためには、それを教義的に(心理的に)正当化する何かが必要ですから、そのためには、三女と共に後継教祖の指名を受けた長男が教団の裏関与から離れたことが助けとなったことが想像されます。言い換えれば、この時期にアレフを脱会した出家信者達と三女らの間には、麻原には帰依しつつも、次男・麻原の妻を帰依の対象とはしないという点では、心理的な共通点が存在すると推測されます。
(4)現在のアレフに所属しない三女周辺の信者達について
さて、三女らのごく近い出家信者達に関して言えば、2000年当時よりも、全体数としては相当に減りつつも、今も一定数いると思われます。そして、その一部については、アレフを脱会した元幹部信者らによる証言もあります。
また、近年において、私たちの中に舞い込んできた情報として、アレフを脱会した元出家信者複数から、三女が彼らと関係を持っており、①三女が、自分と元出家信者との関係が滝本弁護士などにばれると三女派(がある)とみなされることを懸念しているという話(2021年。三女と滝本弁護士の裁判は2019年に提起され、2022年に判決)や、②三女が自分にお布施をしないかと言ったという話や(2019年の話)、③三女の近くにいると思われる者から三女のグループの仕事の協力を求められたという話(2025年)を聞くことがありました。こうした情報が脱会した者の間では出回っているのかもしれません。
こうした事例の一つ一つについて、私たちは、三女側にその真偽に関して直接的に確認することができる立場にはありませんが、私たちが意図することなく偶然にも舞い込んできた情報だけでも複数あるわけですから、実際には、どのくらいの人数に登るのだろうかと思います。ただし、こうした働きかけ自体があったとしても、それに応じて、三女らと緊密な関係を持つ出家信者の数が、どのくらいに上るのかは、判然としません。しかし、緊密な関係ではなくても、緩やかな関係を持つ者はより多くいる可能性があると思います。
そして、こうした三女に身近なアレフに籍を置かない出家信者や、緩やかな関係を持つアレフを脱会した出家や在家信者の繋がりを滝本弁護士のように三女派と呼ぶべきかは、そもそも三女派の定義が曖昧であり、公安調査庁が公に用いていた事実も確認できませんので困難です(公安調査庁は、2014年の時点で三女を教団幹部とは認定しましたが、その後教団の裏関与を離脱した三女らについて三女派という言葉を使用していることは確認できていません)。しかし、脱会した元幹部出家信者などが、脱会信者同士の間で、三女派という言葉を用いることがあります。
(5)三女に近い信者達の傾向に関する推測
とはいえ、先ほど述べたように、三女や次女が、いかにアレフに籍を置いていない出家信者や、アレフを脱会した信者をグループ化しようとも、父親の一連の事件を素直に認めて謝罪し、さらに自分のアレフ教団における問題を認めて反省・謝罪し、賠償に協力しているのであれば、様々な違法行為をなしているアレフの下で、次男の裏支配の中で、組織化されているよりは、良いと思います。
しかし、三女は、依然として、父親の一連の事件に対する謝罪を素直にしようとせずに、それを拒んでいることがあります。また、父親の問題の前に、自らの過去の刑事犯罪や犯罪的な行為の事実、信者の犯罪の抑止に対する不適切な対応をした過去を率直に認めて反省していないことがあります。また、三女が麻原の妻らと共に、アレフ教団の裏支配をし、教団が麻原絶対の路線に回帰し、賠償にきわめて消極的になって調停に至る一方で、教団は、正体を隠して、オウム事件を陰謀と騙す教化活動で多くの新たな信者を獲得し、多額の資産を集めましたが、この点に関しての謝罪・反省の表明もありません(その当時の三女の教団への強い影響力を考えれば、こうした教団の違法行為をやめさせようと思えばできたはずだという見方があります)。
そして、三女らが教団の裏関与を離れた後、現在の教団を裏独裁支配している次男の下で、教団は2018年以降、完全に賠償を拒絶し、資産隠しをするに至りましたが、この次男の教団の裏支配を2014年時点の家族内対立・騒動を通して知りながらも、それを告発して解決しようという動きがありません。そもそも、2014年までの三女らも、それ以降の次男に関しても、教団の裏支配は、教団の役職員・構成員の報告を義務付けた団体規制法・観察処分の違反にあたる可能性がありますが、それについては三女を含めて、家族全体が依然として否定・隠蔽しており、反省する言動は見えません。
こうした現在の三女の姿勢に基づいて考えると、仮に、そうしたグループあるとするならば、または、仮に今後形成されるとしたならば、一連の事件の謝罪・反省・賠償の促進などに関しては、アレフ教団と同様に期待することは難しいと思われます。
(6)アレフを脱会する信者が増え、アレフの内外の信者の区別が薄くなり、三女らの求心力が強まる可能性
こうしてみると、地裁判決は「次女が後継団体と関係を有していることや、遺骨を悪用する意図があると立証されていない」としましたが、単に次女・三女らが、後継団体と関係を有しているか否かという視点だけでは、本件の判断には不十分ではないかと思います。なぜなら、信者は、後継団体の中だけにいるのではなく、脱会しながらも麻原に信仰を持つ「脱会信者」の問題があって、三女らが彼らに働きかける可能性があると思われるからです。
そもそも、アレフ発足時から、アレフの内外の双方に、麻原に信仰を持つ家族や出家信者達が存在していたことを述べましたが、今後は、アレフの外の出家・在家信者(アレフ教団には籍を置かないが麻原への信仰がある者)が特に増えると思われます。というのは、2023年3月以来、賠償を拒絶し資産を隠すアレフに対して、寄付の受領と施設の使用を禁止する再発防止処分が科せられ、アレフからは多くの信者が脱会を始めています。最高幹部(正悟師の階級)や、少なくとも4名の中堅幹部(師の階級)の脱会が確認されており、さらには、当局筋によれば、多くの在家信者が脱会し始めているとされています。
さらに、再発防止処分がかけられたアレフは、地下に潜るために、偽装の自主解散をするのではないかという話も、最近脱会した元幹部出家信者がしています(賠償命令の裁判の前には、アレフ教団の中枢であり、家族の側近と思われる荒木浩広報部長や経理主任の上田竜也氏などが、元幹部信者に自主解散の可能性を語ったという情報もあります)。こうして今後、アレフの中と外の境界は薄くなっていくと思われるのです。自主解散となれば、ほとんどなくなってしまいます。そして、そのようにして脱会していく多くの信者に三女らが働きかける可能性は否定できないと思います。
よって、今後三女側の脱会者への働きかけの余地が広がる可能性は否定できません。しかも、次女三女のもとに麻原の遺骨が引き渡されるならば、アレフに籍を置かない信者にも、さらには、今はアレフに所属していても、再発防止処分を受けたアレフに疑問を感じてやめようかと思っている信者に対しても、強い求心力になる可能性があります。
そもそも、三女次女と行動を共にした長男は、麻原の獄中メッセージにおいて、麻原不在の状況では、麻原と一体として観想する対象(=麻原の子供達)の中心と位置付けられており、共に後継教祖に指名された次男をも上回って、信者にとって麻原に次ぐ崇拝対象と解釈する信者は少なくないと思われます。元後継者・救世主ともされた三女と長男と麻原の遺骨は、純粋に麻原の指示・教えに基づくならば、信者にとって次男と妻を上回る崇拝対象と言うことになります。
長男自身に関しては、父親やオウムの教えや一連の事件の問題に対する姿勢は今のところ全く不明であり、大家に(ネットなどで)発言する言動も見られません。三女との相性が悪く、三女から妻の元に言ったという噂がある次男に比べると、家族内対立でも三女と歩調を合わせるなど、三女に従順のように思われ、麻原の遺骨とセットで、長男が周辺の人物に利用される可能性は、否定できないと思います。
こうした意味でも、次女・三女らは、単純に2014年前後、次男や麻原の妻と対立してアレフを離れたとか、すべては父親の問題であって自分たちの問題ではないとか、遺骨の返還は家族の権利とばかり主張するのではなく、父親の事件と自分の教団在籍時や裏支配の時期の問題を率直に謝罪・反省し、次男の教団裏支配を告発して教団の賠償の再開を促して賠償に協力するなど、明確に(父親が始めて自分たちが継承してしまった)反社会的な立場と縁を切って、100パーセント社会側に立つことが、遺骨返還が認められる場合の条件となるものと考え、私たちはそのように繰り返し提言してきました。
ただし、こうした姿勢を三女・次女がとる可能性は今のところ低いように思われます。公共安全の不安を地域住民が抱える中で、引き続き、父親の問題であり子供の問題ではないとばかり主張し、遺骨の返還などの家族の権利ばかりを主張するだけで、自分たちが裏側で行った反社会的な教団運営や、対立しながらも連携もする次男・妻との関係を踏まえるならば、次女や三女も含めて、依然として父親の反社会性の影響下にある教団教祖家族の一部というイメージが強くなるのではないでしょうか。
4.麻原の遺骨の引き渡しが公共安全・公共の福祉を脅かす可能性について
判決では、「遺骨などを次女に引き渡せば、オウムの後継団体(アレフなど)や信者に渡り、利用されて重大な犯罪が生じる可能性が高まる」という国の主張に対して、証拠による裏付けのない抽象的な可能性の域を出ないものとして退けながら、「万が一、遺骨が他者に渡り、公共の安全が害された場合の影響は甚大で、(引き渡しを拒む)政策判断も理解できなくはない」と判示しました。また、一般的にも、旧統一教会の問題で話題になったように、憲法上、公共の福祉が脅かされる場合には、(遺骨などの家族の財産権を含めた)個人の人権を制約することができるとの法理があります。そこで、公共安全・公共の福祉への脅威となるようなものが、引き渡しで生じるかを私たちなりに検討しました。
その前提として、公共安全・公共の福祉への脅威というもの自体について、それがサリン事件のような重大犯罪であれば議論の余地はないでしょうが、旧統一教会の宗教法人解散命令請求の際にも争点になったように、その範囲・定義は、曖昧なものだと思います。この点に関して、オウム真理教の後継団体を規制する団体規制法では、「国民の生活の平穏を含む公共の安全の確保」が同法の目的とされ、同法の所轄官庁の公安調査庁もそのHP「国民の生活の平穏を含む公共の安全の確保に寄与しています」と述べ、例えば、「(教団施設のある地域の)住民の恐怖感・不安感の解消に資するため」様々な活動を行っているとしています(以上、公安調査庁のHPより)。
こうした視点を踏まえながら、地裁が、国の主張に対して「証拠による裏付けのない抽象的な可能性の域を出ないもの」として退けたと言う点に関して、かつてオウム真理教・アレフに籍を置き、麻原家族とも様々な接点があった私たちの立場から、一定の証拠に基づいた、具体的な可能性について検討してみました。これは、裁判の内容は、今現在閲覧が認められていないために定かにはわかりませんが、元信者だからこそ分るものであり、場合によっては、国・公安調査庁が、地裁の審議では示すことができなかった可能性もある思い、皆さんの情報提供したいと思います。そのため、一定の根拠・証拠に基づいた、具体的な行動ではありますが、あくまでも可能性であることをご理解ください。
(1)遺骨が置かれる物件とその周辺を信者が巡礼する可能性
まず、麻原の遺骨は、信者にとって神聖な崇拝の対象(国は「聖遺物」と主張)となり、それに接することがあれば、その信仰を高める可能性が高いと思います。
宗教の教祖の遺体は、冒頭の滝本弁護士が指揮するように、一般論としても、崇拝対象になる可能性があります。それに加えて、麻原の遺骨の場合は、オウム真理教の時代に、麻原は自分の体の一部を信者に対する聖なるエネルギーの移入(イニシエーション)として与えたという事実があります。例えば、麻原の血を与えるイニシエーション(100万円以上のお布施が必要とされた)、麻原の血から作った麻原のDNAのイニシエーション(同様に100万円以上のお布施が条件)、麻原の入ったお風呂の水(ミラクルポンド、1リッターで10万円以上のお布施)、麻原の髪の毛(御宝髪→なお、今回の引き渡しの対象は遺骨並びに遺髪だとされます)などです。こうして、①麻原の遺骨は信者にとって神聖な崇拝対象(聖遺物)となることは確実と言わざるを得ません。
第二に、麻原の遺体は、麻原の獄中メッセージにある、遺言修行に関係する可能性があります。これは、少し複雑ですので、順に説明します。まず、逮捕後の麻原が獄中から出した極めて重要なメッセージ(接見した弁護士が麻原の言葉を書き留める形で教団に伝わった)があります。それは、以下のものです。
「1996年1月9日(中略)最後に心が乱れたら、警視庁の周りを歩くなり、車で回るなりしなさい。心が落ち着くであろう」
すなわち、麻原が逮捕された後に、麻原に身近に接することができなくなった信者にとって、麻原の収監されている施設の周りを巡ることが、麻原が指示した重要な信仰実践だったのです。そのため、実際に、麻原が勾留された警視庁と東京拘置所の周りを多くの信者が巡るようになりました。まず、信者達が拘置所の周りを巡る様子は、これまでに繰り返し報道もされている現象でよく知られています(例えば、麻原の死刑が執行された2018年に拘置所の周りを巡る信者の様子も報道されてきました(記事①、記事②、記事③、記事④)。こうして「東京拘置所が聖地である」という印象を信者は持っているのです。
そして、可能性の域を出ませんが、仮に、麻原の遺骨引き渡されて納められた場所が、信者にとって東京拘置所の代わる場所になる可能性があります。というのは、この1996年1月9日の麻原の獄中メッセージは、その中ごろに、
「今日の話の最後に遺言とも取られる内容が書かれていますが、皆さんに示す解脱の状態の経典にない隠された部分として受け取ってください。」
という内容があり、この日のメッセージの最後にある内容が、先ほどの「1996年1月9日(中略)最後に心が乱れたら、警視庁の周りを歩くなり、車で回るなりしなさい。心が落ち着くであろう」というものだからです。すなわち、麻原が、警視庁・東京拘置所に生きて勾留されている時だけでなく、麻原の遺言として、麻原の死後においても(おいてこそ)行うべきものとして、麻原の遺骨の周りを歩くなどすることが説かれたと信者に解釈される可能性があるということです。
さて、これとシンクロするのが、釈迦牟尼の遺言とそれにまつわる修行です。麻原・オウム真理教は、仏教開祖の釈迦牟尼を独自に「サキャ神賢」と呼び、原始仏典などを独自に解釈し、その教義に取り込んでいました。そして、釈迦牟尼は、その遺言として、自分を火葬し、その遺骨を仏塔(ストゥーパ)に収めるように、そして供養は在家信徒が行うと言い残しました。遺骨(仏舎利)は8つに分骨され、遺骨が入っていた瓶と、灰を含む合計10の仏塔が建てられ、崇拝の対象となったと伝えられています(大般涅槃経)。
その後は、さらに分骨されたとされ、今や世界各地に存在します。これが、今に伝えられる仏舎利(仏陀の遺骨)と、それを収めた仏塔を信仰対象とする仏教の伝統です。そして、仏教には、右繞と言い、仏舎利を収めた仏塔(や仏像)などを右側にして、その周りを歩く伝統的な修行があります。こうした意味でも、麻原や、麻原を仏陀と見るオウム信者にとって、仏教徒が仏陀の遺骨=仏舎利を崇拝対象とし、それを供養したり、それを納めた何かの周りを巡るということは、自然かつ重要な修行だと受け取られる可能性があります。
これに関連して、既にご紹介した通り、国や地域住民の方が、麻原の遺骨が崇拝対象になって悪用されることを恐れる中で、次男の教団復帰の際にはお互いに対立した三女・次女・長男と、妻・次男が、社会の不安を解消するために散骨を表明した四女に素直に賛成しないどころか、この時ばかりはと協力して、5名連名の要求書を法務大臣に提出して訴訟を行うなどして、四女の散骨処分を妨ぐ結果となる行動に出たことは、麻原の遺骨を社会不安の解消を無視しても手に入れるべき重要な崇拝対象と考えたのでないか、という疑いを持たざるをえません。獄中メッセージの解釈によっては、麻原の遺骨は、単なる崇拝対象ではなく、麻原の遺言の信仰実践に必要であるところ、散骨されてしまえば、崇拝対象は雲散し、麻原にまつわる聖地は消滅し、遺言の信仰実践(と解釈される可能性があること)が出来なくなってしまうからです。
しかし、これを公共安全・国民の生活の平穏、そして地域住民の恐怖感・不安感の回避という視点から見るならば、大きな問題になる可能性は明らかでしょう。一般の地域住民の皆さんにとっては、拘置所の代わりに、自分の近所を麻原の信者達が繰り返し周回(徘徊)することになれば、聖地巡礼どころか、地域の平穏が脅かされる、悪夢のような状況と感じられるかもしれません。
それは、麻原の遺骨を受けとった次女・三女・長男などの自宅、更に、仮に他の遺族に分骨されるならば、次男・妻の自宅であり(皆が埼玉県に居住とされます)、次男が、自ら裏支配するアレフ教団に秘密裏に提供すれば、全国各地の教団施設に納められることになります。そして、その周辺が、信者が巡るべき聖地となる可能性があることになります(なお、アレフ教団の施設は全国にありますが、東京の足立区や埼玉県に多数存在しており、先ほど述べたように、足立区の区長は遺骨引き渡しに対する不安を訴えています)。
現在は、それは、東京拘置所の周り1カ所に限定されています。同拘置所は元から多くの凶悪犯者らが収監され、ここ30年の間、麻原が収監、なしひその遺体が保管されてきた場所ですから、失礼な言い方になるかもしれませんが、周辺地域にも慣れがあると言えるかもしれません。しかし、遺骨引き渡しの後は、拘置所の周りではなく、全く一般の地域となります。そして、それが1カ所に限られる保証はありません。そして、それがどこなのか公開される保証はなく全て秘密裏に行われる可能性があります。
こうした状況が、地域社会の公共安全・公共の福祉への脅威と言えるか否かは、国・裁判所の判断となりますが、冒頭でご紹介した滝本弁護士の見解のように、こうした状況を避けるためにも、米国の場合は、凶悪犯罪を起こしたカルト宗教の教祖の遺体・遺骨は、国家が散骨して、崇拝対象や聖地を残させないようにしているのだと思います。
加えて、現在、仮に麻原の遺骨がアレフの教団施設に納められたとしても、ほとんどの信者は、施設の中に入って、麻原の遺骨を拝んだり、その周りを歩いたりすることはできないのです。なぜかというと、アレフ教団は、国に資産を報告しないために、2023年3月以来、教団施設の使用を禁じる再発防止処分が科せられており、教団施設に居住する出家信者達を除いて、多くの(在家)信者達は、東京拘置所と同じように、教団施設の中には入れないのです。だとすれば、拘置所の周りで行ったように、その周辺地域を巡る信者が出てくる可能性があることになります。
(2)麻原の遺骨がある場所の近くに信者が住みに集まってくる可能性
麻原を収監した東京拘置所は、その周りを信者が巡礼しただけではありませんでした。実際に、その近くに引っ越して住む信者達が出ました。近くにいれば、麻原のエネルギー・祝福を受けることができると考えてのものでした。しかし、これも、周辺地域の住民の方には、問題となることだと思います。
なお、麻原の教えの中で、麻原がエジプトのピラミッドを三女や妻らと共に訪問した時に、自分の前生は、古代エジプトの王(イムホテップ)であり、ピラミッドをポア装置(死者の魂を高い世界に転生させる装置)として作ったと主張したことがありました。その後、信者やその親族の遺骨を納めて高い世界に転生させるものとして、ピラミッド型の骨壺を作って販売した経緯があります。そして、一般の仏教信仰においても、例えば、高野山真言宗において、弘法大師が入定した(死してその遺体がある)高野山奥の院の周りに多くの信者の墓がありますが、これも弘法大師の遺徳にあやかって死後の冥福(来世の幸福)を願うものだと思います。
こうして、麻原の遺骨を納める場所の近くの空間は、信者にとっては、生きている間の信仰実践のためにも、死後に自分が高い世界に転生するためにも、重要な場所と解釈される可能性があると思います。
(3)遺骨が、崇拝対象として超高額で信者に販売されて教団資金を増大させる可能性
先ほど述べたように、麻原存命中の教団では、麻原の身体の一部等、たとえば、麻原の髪の毛、血液、さらには麻原が入浴した風呂の残り湯が、修行を進めるものとして、極めて高額で販売されていました。また、麻原の脳波を受ける装置のPSIのイニシエーションは1000万円で販売されたことがありました。
ましてや麻原の遺骨=信者にとっての仏舎利ともなれば、それらと比較にならないほどの崇拝対象であり、超高額で富裕な信者に販売されることも予想されます。現に、現在アレフを脱会している元幹部は、麻原の死後は、教団特製の骨壺に遺骨を入れて、在家信者に高額で販売しようと考えていたということを証言しています。
さらに、現在、先ほど述べたように、国に資産を報告しないアレフは、公安調査庁にとっても、その資産を把握することが難しくなっています。そのため、アレフは教団施設使用の禁止とともに、寄付の受領を禁止する再発防止処分を科せられています。その結果、公安調査庁が(あくまで)推測するアレフの資産は徐々に減少傾向であり、資金的に弱体化しているとも報じられています(朝日新聞記事)。
これに対して、最近脱会した幹部信者によれば、アレフは、経済的な破綻を回避するために、賛助会員制度という新制度を導入し、資金集めに躍起になっているとの情報があります。この賛助会員とは、なりたい人がなれるものではなくて、帰依心の強い信者に限定した、秘密の集金システムであるという情報もあります。こうした状況においては、信者に秘密裏に「麻原仏舎利」を授与することによる多額の資金は、資金集めに苦しむアレフにとって、死去した麻原が残した起死回生の救世主であり、教祖は死してもなお教団を救う、と映るかもしれません。
一般論においても、オウム後継団体を規制する団体規制法においても、資金力は団体の危険性の重要な指標です。そのため、同法では、「当該団体の役職員又は構成員が、団体の活動として、構成員の総数又は土地、建物、設備その他資産を急激に増加させ又は増加させようとしているとき。」(第8条1項7号)は、「金品その他の財産上の利益の贈与を受けることを禁止し、又は制限すること。」(第8条2項5号)ができると定められています。
こうして、遺骨の引き渡しの後に、冒頭でご紹介した地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんが言う「遺骨が資金獲得の道具として悪用される」という懸念が現実になる恐れを検討する必要があると思います。
(4)米国ではテロ組織のリーダーや凶悪犯罪の教団教祖の遺骨は遺族に引き渡さず国が処分した
今後のアレフに関して、遺骨の引き渡しによって、重大犯罪の発生の可能性を高めるかについては、様々な見解があると思われます。これに関連して、この裁判の前の内幕に関して、週刊文春電子版(2024年4月4日号)は、国と次女の間で引き渡しの交渉において、次女が遺骨を保管するのか明らかにせず、アレフなどに悪用される懸念が拭えないとして交渉が決裂したと報じています。
また、同記事においては、司法担当記者の見解として、「国はアレフなどが『無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認められる団体』だとし、遺骨が次女を通じて団体に渡れば『重大犯罪につながる』と主張した。ただ、次女が遺骨を所有する権利を最高裁が認めている以上、法的には無理筋。地裁判決は『重大犯罪につながると裏付ける証拠はない』と国の主張をにべもなくはねつけた」とし、ここまで国が引き渡しを拒む理由としては、「オウム関連団体を監視対象とする公安調査庁の意地だろう。他のインテリジェンス機関から一等下に見られている公調にとってオウムは聖域。公調存続のためにも関連団体は危険でなければならない」という警察関係者の見解が紹介されています。
その一方で、「遺体や遺骨はテロ集団にとって重要なアイテム。01年の米同時多発テロ事件の首謀者ウサマ・ビンラディン容疑者を米軍が殺害した際にも、崇拝の対象とならないよう遺体は海に沈められた。引き渡しを拒む理屈は理解できる」という公安関係者の見解も紹介されています。さらに、オウム事件の被害者であり、被害者への支援を行う団体(オウム真理教犯罪被害者支援機構)の理事でもある滝本太郎弁護士も、ビン・ラディンに限らず、凶悪な犯罪をなした米国のチャールズ・マンソンなどの「カルト教団教祖の処刑散骨は(中略)警察、米海軍の手によって行われています。松本の遺骨もテロ対策の一環として国が責任を持って後始末をつけるべきです。」 と述べて(出典記事) 、国・行政による処分が、米国におけるテロ対策に習うべきだとの見解を示しています(チャールズマンソンとは、ヒッピーのコミューン指導者で連続殺人の凶悪犯罪者)。
この意味で、日本と同様の民主主義憲法下の財産権を認める米国などにおいても、崇拝対象となる可能性がある凶悪犯罪者であるカルト教団の教祖や、宗教原理主義のテロ団体のリーダーの遺体に関しては、テロ対策・公共安全政策の一環として、遺族の財産権を認めずに、国が処分することが国際基準であるという見方からは、国が引き渡しを拒むことは、不当ではないと考えられるかもしれません。
(5)アレフにおける重大犯罪の具体的な可能性
次に、地裁判決が『重大犯罪につながると裏付ける証拠はない』として国の主張を退けた点については、その理由が、2024年3月の地裁判決までの時点では、国側から、遺骨がアレフに渡る現実的な可能性の証拠が示されなかったということであれば、地裁判決後の昨年10月から現在にかけて、麻原次男の教団の裏支配の事実が最近脱会した幹部信者の告発等によって発覚し始めたという事実は、地裁とは異なる判断を高裁がなす可能性を高めることになると思います(すでに公安調査庁は、麻原次男の自宅の立入検査を行ったという情報も出回っています)。なぜならば、次女から同じ家族の次男・妻に遺骨が分骨がなされるならば、それは即、次男が裏支配するアレフに渡って、その信者達の信仰を高めたり、資金力を高めたりするために利用される可能性を意味すると思われるからです。
また、地裁判決が裏付ける証拠がないとした『重大犯罪』というものが、サリン事件のような重大な暴力犯罪という意味ではなく、一般的な意味での深刻な被害をもたらす重大犯罪ということであるならば、これもまた、地裁判決とは異なる判断を高裁が示す可能性があると思われます。というのは、地裁判決前後以降に、長引く再発防止処分を招いた麻原次男の教団運営に対する不満などから、最高幹部を含めた幹部信者が多数脱会しており、彼らによって、アレフには、例えば、被害者団体による強制執行を組織的に妨害した疑い(組織的強制執行妨害罪、民事執行法違反の疑い)や、また、不合理な理由によって業務停止や長期の修行を強いるなどの強要罪の疑いがある事例の情報もあります(参考記事)。これらは、現在当局が捜査中とも思われますが、こうした行為が、重大犯罪か否かは、国・裁判所の判断するところとなるでしょう。
そして、遺骨の引き渡しが、現在進行形で犯罪をなしている疑いがあるアレフ教団の信者の信仰を高め、資金力を増大させることになれば、それらの犯罪とその被害の疑いは今後も継続していき、新たな犯罪にも至る土台となる可能性があると思います。そして、いくら犯罪をなしても、教団組織によって秘密裏に、特に信者に守られた教祖の犯行は隠蔽されることが続けば、麻原時代のオウム真理教のように、トップが自己を錯覚して増長していく可能性もあると思われます。
(6)重大な暴力犯罪の具体的な可能性の立証の要求は団体規制法と矛盾する
なお、地裁判決が裏付ける証拠がないとした、遺骨引き渡しにつながる重大犯罪が、サリン事件のような重大な暴力犯罪という狭い意味であり、そうした犯罪の具体的で現実的な可能性が今存在しないという意味であれば、それ自体は正しい判断ではあっても、そうした証拠がなければ、財産権などの人権を制約することができないとするならば、従来の団体規制法の観察処分や再発防止処分(に関する従来の裁判所の司法判断)と矛盾する恐れがあることになります。
確かに、麻原の遺骨がアレフに渡り、アレフ信者の信仰を高めたり、その資金力を高めたりする可能性があったとしても、そうであろうとなかろうと、現在のアレフに、サリン事件のような重大な暴力犯罪の具体的な可能性はないと思われます。団体規制法・観察処分で認定されているのは、わかりやすく言えば、将来の潜在的な可能性、ないしは理論上の可能性にすぎません。
しかし、そのアレフは、現在、団体の構成員・資産・意思決定などの公安調査庁への報告や、定期的な立入検査を受ける義務が科されており、さらには、団体の寄付受領の禁止や、多くの施設の使用禁止の処分を受けています。これらは明らかに、団体ならびに個々の権利の重大な制約です(団体に寄付をしたり、納入した会費によって保証された教団施設の使用権を制約することは、地裁判決において国が麻原家族に遺骨を引き渡すべき根拠とされたのと同じ、個人の財産権の制約にも当たるかもしれません)。しかし、これは裁判所の司法判断では、合憲・合法とされています。
その意味では、先ほどご紹介した「オウム関連団体を監視対象とする公安調査庁の意地だろう。他のインテリジェンス機関から一等下に見られている公調にとってオウムは聖域。公調存続のためにも関連団体は危険でなければならない」とする警察関係者の見解のように、具体的・現実的な危険性がないオウム関連団体を公安調査庁が(潜在的・理論的な危険性を強調して)危険な団体であると主張しているだけだから、地裁は国の主張を認めなかったという意味ならば、それは団体規制法の運用を合憲・合法としてきた司法判断と矛盾するものではないかと思われます。
ただし、麻原の死刑執行後の状況を見れば、潜在的・理論的な危険性さえないという見解は、むしろ合理的だと思われます。例えば、米国国務省は、1997年に開始したオウム真理教の外国テロ団体指定を「もはやテロを行う意思も能力もない」と認定して、解除しました。関連報道によれば、解除の理由は(その時期からして)麻原の死刑執行があるとされます(時事通信の報道)。オウム真理教の教義では、麻原のみが、テロ・殺人等を実行・指示する権能があるという事実があり、麻原が死刑執行になった時点で、オウム信者によるテロの可能性は、潜在的にも理論的にも根絶したと言うことができると思われるからです。そして、ひかりの輪は、現在継続中の公安審査委員会相手の観察処分取消請求訴訟において、この点を主張しています。
(7)アレフの潜在的・理論的な危険性を主張する公安調査庁の見解
ただし、私たちが知る限り、アレフに関して言えば、公安調査庁の見解として、麻原の死刑執行後であっても、次男の存在を中心として潜在的・理論的な可能性が継続しているという見方があると思います。
その概略を説明すれば、①麻原の長男と次男は、麻原の獄中メッセージによって、最終解脱する者とされており、すなわち麻原と同じ宗教的なステージに至る者であり、②麻原の密教のヴァジラヤーナ五仏の教えの解釈によれば(麻原のような)タントラヴァジラヤーナの成就者は、「アクショーブヤの法則」といって人を殺すことが許され、③それゆえに、例えば、次男が自分が最終解脱者であると自覚し、信者もそれを信じるならば、次男に、麻原と同じく殺人をなす権限=潜在的な可能性が生じるというものだと思います。こうした解釈は、先ほど述べたように、具体的な重大な暴力犯罪の可能性を示すものではなく、あくまでも理論的・潜在的な可能性に過ぎず、多数の信者が受け入れる教義の解釈といえるかはわかりません。しかし、一部の信者が受け入れる可能性までは否定できないと思います。
また、公安調査庁の見解として、①麻原による教団武装化と一連の事件の根源には、麻原が(暴力手段によって)日本の祭政一致の王となる政治的な構想(団体規制法・破壊活動防止法上の「政治上の主義」)に基づいており、②麻原の死亡後に、麻原に代わって日本の祭政一致の王となる権限の継承を受けた者(王権継承者)が長男・次男であるというものがあると思われます。
さらに、③最近流出した、麻原次男と信者の会話の音声データの中では、麻原次男が、父である麻原から、自分は「宗教の王」として認められたと語っているものがあり、次男の言う王の意味は不明なものの、公安調査庁としては、次男が王権継承者と自覚している可能性があると主張することは可能でしょう(なお、長男は「現世の王」だそうです)。そして、偶然かもしれませんが、④麻原が次男に与えた宗教名が「アクショーブヤ」であり、これは先ほど述べた殺人を肯定する密教の教えに出てくる仏の名前です。オウムでの宗教名は、その弟子のカルマ(業)に合わせたものが麻原から与えられるとされています。この点は、衆議院法務委員会での公安調査庁幹部との質疑の中で、オウム真理教問題に詳しい立憲民主党の有田芳生氏も、以下のように指摘しています。
「(麻原次男は)二代目の教祖として位置づけられていて、本人もそういう自覚があり(中略)そのホーリーネームなんかは当然つかんでいらっしゃいますね。つまり、ホーリーネームというのは教団名ですけれども。(中略)つまり、アクショーブヤという法則だと、悪業を積んだ者はその命を奪っていいという、そういう内容なんですよね。だから、地下鉄サリン事件など一連のあの凶悪事件につながるような内容を持った教団名を持っている次男が今第二の教祖としているという、そういう理解をしているんですけれども、そういう状況の下で、やはりもっともっと社会が、問題、事件を風化させることなく、更に監視を強めていかなければいけないと思っているんですよ。」(第217回国会 衆議院法務委員会 令和7年3月12日の議事録より)
そして、こうした理論的・潜在的な可能性を示すものでも、それは麻原の遺骨の引き渡しを受ける家族が住む地域の住民の皆さんの恐怖感・不安感の原因になることが考えられます。
(8)三女の過去の問題に対する反省の欠如や責任転嫁に関する懸念
また、重大な暴力犯罪に関連する要素としては、麻原三女に関して、未成年ないし成人間もない時であったとはいえ、直接体験した信者・元信者などを中心に彼女に強い恐怖・不安を抱く暴力的な言動、ないしは暴力を肯定する言動があり、さらに、その一部に対して成人後も反省を表明せず、一部は他人に責任転嫁しているという事実があります。かといって、それらの問題行動から既に20年ほどはたっていますので(今現在42歳)、今後の危険性を直接的に裏付けるものではなく、あくまで参考情報という位置づけになります。
まず、1996年(当時三女は12歳)に行われた観念崩壊セミナーは、三女が主導し、参加した出家信者に過度な精神的・肉体的負担を強いるものでした。出家信者数十名を一組として、交代で何度か行われましたが、その度ごとに負傷者が出るという異常なものでした。大人数で一人を取り込んで怒鳴り続けたり、両足を交差して座る蓮華座という厳しい座り方を長時間強いたり、男性信者を女装させて警備の警察官の前で踊らせたりするのはまだよい方でした。
悪天候の中、連日屋外に放置して食事を与えない、食事を与えなかった状態でいきなり無理やり大量に食べさせ、吐いたら吐いたものをまた食べさせる、水を浴びせ続ける、単純な運動を長時間繰り返させる等の、行き過ぎた「修行」が課せられたのでした。その結果、救急車で搬送され、入院して両足を切断しかけるほどの重篤な症状になった者、その後も足に後遺症が出て足を引きずることになった者、転倒して頭を打って負傷した者、酸素吸入が必要な状況になった者、意識を失いあやうく死にかけた者、断食後の無理な食事で胃の手術を受けることになった者、熱射病に罹患する者が出るという異常事態となりました。
このセミナーに強い精神的・肉体的なショックを受けて、そのまま脱会した者も多数出たほどでした。セミナーは三女らが主導して行い、セミナーを修了するためには三女の判定が必要だったことから、三女に多大な恐怖を感じるようになった出家信者が増えたといわれています。一方の父親の危険な教義の影響を受けていたためか、三女らは、このようなセミナーを開いたのは、出家信者らに対する慈愛に基づくものであると話していました。
これは三女が12歳の時のことですが、一番問題と思われることは、成人後の今になって、自分が同セミナーを主導した事実を否定し、他の幹部信者に責任転嫁するという不合理・理不尽な対応をしていることです(たとえば三女の映画の中での三女の発言や、Xの投稿①、投稿②)。しかしながら、三女が主導したということは多くの当時の出家信者が目撃した事実であり、多くの公開された当時の関係者の証言があります。たとえば「正悟師」という最高幹部の1人であった二ノ宮氏も、「三女が行った奇々怪々な行動で、そのもっともたるものが、96年8月位から上九撤退期限の10月末までの間に行われた、上九にあった第六サティアンで行われた『観念崩壊セミナー』である」と、教団出家信者向けのメールマガジンで断言しています(※記事①、記事②、記事③、記事④、記事⑤)。
事実、観念崩壊セミナーを含めて、出家信者相手のセミナーの開催は、麻原逮捕前は、麻原の指示・主催なしに行われたことはありません。そして、観念崩壊セミナーの参加者は、「師」の階級の者が含まれ、三女が責任転嫁したある幹部信者よりも、教団の階級が上の者が多く含まれています。よって、その者が主催することなどは全く不可能であり、荒唐無稽な主張です。
この麻原が不在であった1996年当時、三女は、麻原の逮捕前に、①皇子(麻原の子供)・正大師と位置付けられ、皇子は全ての弟子の上に位置付けられ(こちらの記事の「第1の1」)、②長男・次男が後継指名される1996年以前には、麻原に後継者・救世主と位置付られており(『マハーヤーナNo.19』オウム出版:1989年3月15日発行)、麻原の逮捕後には、その獄中メッセージで、③麻原不在の間の教団運営の執行部の長老部において、新たなに後継教祖指名をされた長男・次男がまだ幼少であるからだと思われますが、彼らを差し置いて、長老部の座長に指名されており(こちらの記事の「第1の2」)、当時の教団では最大の権限・権威を有していました。こうして、中堅幹部(師の階級)を対象とし、心身の健康を害するほどの過激な修行を強いるセミナーが、三女による主催であったことは、多くの証言者と共に、教団の教義・組織構造・階級制度からしても議論の余地がありません、麻原に準じる宗教的な権威があったからこそ強いることができたのです。
また、本稿で述べているように、三女の暴力的な傾向や暴力行為の容認の傾向は、この12歳の時から成人する期間の他の時期にも彼女に散見される傾向であって、①観念崩壊セミナーに加え、②下記の2000年の旭村事件の暴力的な不法侵入、③シガチョフ事件、④ケロヨン事件などの、他者の暴力行為に対する防止努力の欠如などに共通してみられたものです。三女の観念崩壊セミナーに関する無理な反論・弁明は、自分の過去の問題を反省せずに、隠そうとする自己保全と思われますが、それが、麻原遺骨引き渡しの際にも不利な要素となると考えてのものではないことを願います。
次に、2000年(当時16歳)の旭村事件と呼ばれる事件では、三女・次女と側近の出家信者3名が、暴力的に長女宅に不法侵入し、長女と共に住んでいた長男を連れ去りました。三女は逮捕・家裁送致を経て保護観察に付され、他の出家信者は刑事摘発されました。また、事件の発生直後に、関係者の中には精神を病み、奇行のために一時的に勾留される者もでました。
長女宅に向かう前に、三女は、幹部出家信者に、長女の言動がおかしく、長男が危険にさらされていると主張し、その意味で長男を長女から保護したいこと、長女に(獄中の麻原によって、次男と共に後継教祖に指名された最終解脱する者とされ、麻原が教団に不在の当時、麻原と一体とみなすべき崇拝対象の中心だった)長男を利用されることを懸念していることなどを伝えていました。
次に、同じく2000年のシガチョフ事件に際しての三女の言動にも問題がありました。この事件は、ロシア人出家信者ドミトリー・シガチョフが東京拘置所に勾留中の麻原を奪還するため、日本各地で爆弾テロを起こすことを企図したものの、それを察知した上祐らが捜査当局に通報し、当局との連携によって未然に防止し、シガチョフらの検挙に至ったという事件です。
まず、前年(1999年)12月に、シガチョフが企てた計画が三女に伝わった際、三女は、父親の影響を深く受けていたためだと思いますが、シガチョフを「なんと帰依の深い信者がいるのか」と称賛し、その言葉が当時の最高幹部の一人によって、シガチョフに伝わるという事態となりました。麻原の子供であり、一時的にでも後継者とされた三女の言葉は、その奪還計画に宗教的なお墨付きが得られたとシガチョフに感じさせたことが判明し、計画が進んでいきました。
それを知った上祐が、このままでは大変なことになると考えて、シガチョフと連絡を取り説得しましたが、シガチョフは納得しませんでした。そのため、上祐は、このままでは大変なことになると三女を説得して、計画に反対するメッセージをビデオ収録し、当時の出家信者複数が、それをシガチョフに見せて犯行を思いとどまるように説得するために、直接会いに渡航しましたが、説得は成功しませんでした(参考:こちらの記事の(10))。
この事件は文字通り、不特定多数の日本人を殺害しようとする凶悪なものであり、それを賞賛することは、旭村事件と同様に、崇拝対象を暴力的にでも奪還することを肯定する点では共通しています。16歳の未成年時ではありますが、それだけでは説明できない異常な言動であり、その背景には、麻原とその教えの強い影響が残っていたと思われますが、問題は、彼女が成人後の著作(30歳時に出版した「止まった時計」189ページ)において、自分の言動が一因となったことを隠しながら、上祐が求めるままにシガチョフの計画に反対する動画の撮影に応じたという不誠実な釈明をしていますが、この件は、三女の言葉を最初に伝えた最高幹部の出家信者、シガチョフとやりとりをし、三女の動画を持ってシガチョフと面会した出家信者ら多数が、三女の賞賛の言葉の問題を知っています(なお、仮に三女の賞賛がなければ、三女が長老部の座長とは知らないロシア人信者には、宗教的階級だけであれば、三女より上の四女(や長男次男)の反対の声を伝えた方が効果があったと思われる状況でした)(※参考記事)。
さらに、2004年(三女が20歳当時)前後に発生した、分派グループのケロヨン事件に対する対応の問題です。ケロヨンクラブは、アレフから分派したであり、そのリーダーは、アレフを否定し(三女ら麻原の家族にも従わず)、自ら獄中の麻原の示唆を受けていると主張し、数十名の在家信者を集めて分派を形成しました。そして、非常に過激な修行を繰り返し、2004年9月には、竹刀で何度も殴打するなどの過激な修行で、一人が死亡する事件が発生しました。しかも、同グループでは、それ以前も同様の過激な修行によって死亡者が出ており、これは二人目の死亡者でした。
同グループは、死亡した者は自分で自分の足を叩いて死亡したと偽装して警察を騙し、事件の隠蔽がいったんはなされました。しかし、良心の呵責に耐えかねた同グループの一人の男性信者が、知り合いのアレフの幹部信者に真実を打ち明けたところ、それが上祐、三女、他の幹部信者にも伝わりました。3人目・4人目の犠牲者が出るのを防ぐために、上祐は、他の最高幹部などの幹部信者と対応を話し合った結果、同グループ男性信者を説得して、警視庁に自首させました。その結果、警視庁によって摘発され、グループのリーダーは逮捕され、事件は解決しました。
ところが、当時上祐を軟禁修行の状態にした三女らは、警察に通報することに消極的でした。しかも、三女に近い信者は、警察に通報し自首させた上祐らの対応を批判するほどでした(参考:こちらの記事の(20))。これもまた、麻原と離れてから約10年経ち、20歳になった時点でも、依然として麻原とその教えの影響を受け、分派したとはいえ同じ麻原信者側に立って、父親が敵対した警察とは距離を置く(ないし敵視する)という反社会的な傾向が残っていたことを示していると上祐らは感じました。また、信者達の中には、このケロヨンの過激なセミナーや死亡事故を、三女自身が行った観念崩壊セミナーの過激な修行や負傷者とダブらせるものもおり、三女らの告発に対する鈍い行動は、自らの過去の問題に対する懸念(自分も同様に告発されるのではないか)があるのではという推測もなされました。
その後、この2004年以降は、三女はアレフに籍を置かずに(近しい教団幹部信者を使って)裏で関与するにとどまり、さらには2014年からは、次男が三女にとって代わり教団の裏関与を主導することなり、三女らは教団離脱したこともあり、信者達に対する暴力的な修行は行っていないと思われます。また、信者の暴力犯罪自体が2004年以降は見られず、そのためにその防止努力を怠ることもなかったと思われます。
しかしながら、順法精神という視点からすれば、2003年以降の教団の裏関与の開始以降に、団体規制法違反の疑いのある教団の裏関与・支配をなして、麻原絶対の路線に教団を回帰させて、その中で、教団が賠償に消極的となる一方で、正体を隠し、一連の事件を陰謀と偽わる不法な入会勧誘活動などを行ったこと(そのため末端信者は多く逮捕される事例が発生した)、また、現在も教団の裏関与の事実を否定・隠蔽して、その責任を自覚して反省していないという問題があることは、すでに述べた通りです。
(9)加害者家族の人権を主張し、被害者遺族への配慮に欠ける三女らの姿勢
また、私たちの視点から見ると、自分たち加害者家族の人権を強調しながら、被害者遺族への配慮には全く欠けているように思います。その例としては、以下のようなものがあります。
①自分の父親(麻原)に殺された信者7名は、死亡後に父親に散骨されたため、その遺族には遺骨はありません。確かに、加害者側の家族にも、加害者の遺骨を得る権利は(公共安全・公共の福祉を脅かさないのであれば)ありますが、三女の言動を見れば、父親の被害者である信者の遺族がその遺骨を得ることができなかったことを考える気配もなく、2018年の麻原の死刑への反対活動や、本件の遺骨引き渡しの要求など、自分達家族の人権ばかりを主張していると思われます(※参考:こちらの記事の中の「2018/09/11 オウム真理教と30年間戦ってきた弁護士」)
②三女は、父親(麻原)の被害者の滝本太郎弁護士に対して、前に述べたように、名誉毀損で損害賠償請求をしましたが、敗訴しました。確かに加害者家族にも、名誉毀損を受けたと思う状況においては、損害賠償請求する権利はありますが、滝本弁護士は、オウム事件の被害者としての賠償受け取りをまだ完了していません。三女の起こした訴訟は、父親の起こした事件(サリン散布による殺人未遂事件)と共に、同弁護士にとっては、心労をもたらすものとなったと思われます。そして、三女が教団に裏関与した後に、教団は賠償に消極的になる一方で、正体を隠してオウム事件は陰謀であるとする入会勧誘活動を行なっています。
③三女らの裏関与時代に停滞を始めた賠償が、次男の裏支配の時代になって、2018年に完全に停止・放棄されて以降、唯一賠償を履行してきたのはひかりの輪だけであるにもかかわらず(※参考:こちらの記事の「第2の2」)、三女は(アレフと共に)ひかりの輪の解散を要求しています。しかし、ひかりの輪は、被害者団体の弁護士の方から、被害者側が解散よりも賠償を優先する意思を確認して賠償契約を締結しており、ひかりの輪が解散すれば、誰が賠償するのかを三女は考えたことがあるのだろうかと思います。こうして自分は賠償せず、アレフは賠償しない方向に裏から関与し、唯一賠償しているひかりの輪には解散を求めているわけですから、被害者賠償のことは全く考えていないのが明らかです。
5.さいごに
最後に、本稿の趣旨は、未成年期の麻原家族の問題を責任追及したり、一般的な遺族の遺骨に対する財産権を否定する趣旨のものではありません。その趣旨は、麻原家族の裏関与の下で、教団は反社会的な活動・行動を20年以上継続し、事件被害者の賠償は行き詰っていることと、家族らは、この関与に関して依然として、その事実の存在を否定・隠蔽し続けていること、それによって遺骨の引き渡しが公共安全・公共の福祉を脅かす可能性があることを明らかにすることです。