⑦オウムの脱却・払拭の歩み
(2015年1月19日)
以上の「脱麻原」「反麻原」の活動に加えて、「ひかりの輪」が、その発足以来続けてきた改革努力について述べます。
(1)観察処分の適否の審査は、観察処分更新請求時点(2014年12月)の状況を対象にされるべきであること
当然ながら、観察処分の適否の審査においては、観察処分更新請求の時点、すなわち2014年12月における「ひかりの輪」の状況が処分要件を満たしているか否かが審査されるべきです(※2022年時点で「ひかりの輪」は2020年12月に更新請求された第7回更新の観察処分を受けていますが、この記事は前記の通り2014年12月更新請求〈第5回更新請求〉に対する団体側の主張書面に基づいて作られているため、上記の記載となっていることをご了承ください)。
このことは、団体規制法の第5条において「引き続き当該団体の活動状況を継続して明らかにする必要があると認められるときは、その期間を更新することができる。」とされていると同時に、第6条において「当該団体の活動状況を継続して明らかにする必要がなくなったと認められるときは、これを取り消さなければならない。」とされていることからも明白です。
しかし、「ひかりの輪」においては、次に示すように、アレフ脱会前の2005年から2014年12月に至るまで、年を追うごとに、その構成員・団体の麻原やその教義に対する考え方は、大きく変化してきている事実があることを踏まえなければなりません。
詳細は後にも述べますが、アレフ脱会前にさかのぼり、ここでは大まかな変遷のみ記しておきます。
(2)2005年前後アレフ内部での対立
アレフ(当時はアーレフ)脱会前に、アレフ内部において、上祐らが「代表派(上祐派)」を発足させた2005年前後は、麻原を盲目的に信奉する「アレフの主流派」と対立し、アレフの中で、オウム真理教事件を振り返り、麻原や教団の現実を見る独自の活動を本格化させた時期です。
アレフ内部の麻原を教祖とする体制の中に所属する中、麻原やオウムの問題点を指摘し続け、アレフ内部の信者たちに、現実を伝える活動を行いました。代表派の人々は、自身が、オウムや麻原の実態を知る中で、懸命にその作業を行い、麻原を絶対とする教えから離れていきます。変化には個人差もあり、麻原に依存する傾向との闘いの時期でした。
しかし、この過渡的な時期から、人によって個人差はあるものの、徐々に麻原に対する相対的な見方が深まっていき、2006年後半からはさらに大きな変化が始まっていきます。
(3)2006年後半から 脱会の準備、麻原の教材の破棄
まず、2006年10月から11月に、アレフを脱会して、新団体を発足させる上での件等として、「麻原・オウム真理教の教材」の扱いに関して、専従会員の会合が繰り返し開かれました。
その中で、麻原に対する依存から完全脱却するために、その教材を一切破棄することを決定しました。
その後、「アーレフ時代の全ての教材」まで破棄するように拡充されました。
(4)2007年 アレフを脱会、「ひかりの輪」の発足
次に、翌2007年になると、
①3月までに、麻原の教材の破棄作業がほぼ完了し、アーレフを正式に脱会し、
②上祐らを中心に、オウム時代のヴァジラヤーナ活動の詳細な総括・反省や、そのグルイズムやヴァジラヤーナ教義などの緻密な反省・修正がなされて、脱会してきたアーレフの信者にも送付するとともに、ひかりの輪の公式HPで発表し、
③5月に「ひかりの輪」が新たに設立されるとともに、専従会員全体で、麻原や麻原の教義を乗り越えるエッセンスを記した団体の基本理念・会則が採択され(この基本理念・会則は非専従会員にも読了が要請された)
④その後も、上祐らを中心として、オウム教義の否定が繰り返されるとともに、新しい団体の新しい思想が提唱され始めました。
以上の、2005年から「ひかりの輪」発足の2007年に至るまでの経緯に関する、より詳細な事実関係は「オウム脱却から『ひかりの輪』設立の経緯の詳細」の記事もご覧ください。
(5)2008年 オウム時代の総括を公表
さらに、2008年に入ると、その前半から、以下のような徹底した反省・総括の取り組みがなされました。
①団体によるオウム時代の詳細な総括
オウム時代を時系列に詳細に分析し、麻原やその教義への信仰に関する具体的かつ詳細な反省をした総括を行いました。専従会員全員で話し合った上、役員全体で採択した総括文書が作成されました。
②団体による心理学的な知見からの詳細な総括
心理学的な知見や、麻原の幼少期からの人格を調査した外部の資料を含めた広範な資料に基づいて、麻原が人格障害者であったと結論づけた総括(その1、その2)を行いました。役員全体で採択した総括文書が作成されました。
③役員を初めとする専従会員・非専従会員個人が、自分自身のオウム時代等を振り返って、詳細な反省・総括を繰り返してなし、それを文書にまとめる作業を繰り返しました。そして、これらは、記者会見やHPで広く社会に公表されました。なお、以上の総括については、後でも詳細に述べます。
④オウムの教義の否定や新しい教義の提唱に関する多様・広範な取り組み
上祐らによる多数の講話、会員向けメッセージ、教本などによって、オウム時代の教義の反省と、それを乗り越えた新しい思想の提唱がさらに繰り返し行われました。その成果は、その後の特別教本等に結実しています。
⑤オウムの総括作業により、過去を反省し、長らく両親との連絡を絶っていた専従会員が、連絡を回復しはじめました。
(6)2009年 内観、慰霊行事、被害者賠償契約の締結、総括の講演
①外部の内観の専門家(2名)を「ひかりの輪」にお招きし、刑務所等の矯正施設でも用いられている自己反省法「内観」を「ひかりの輪」の役員はじめ主な会員で実施し、これまでのオウム・麻原・自分自身の自己中心性に対して、より深い反省を深めました。また、長らく両親等との連絡を絶っていた専従会員が、連絡を回復するようになりました(詳細は前記の通り)。
②「内観」から気づかされた親子関係の重要さを「ひかりの輪」の思想の枢要に据え、親子関係の破綻からオウム問題が発生、坂本弁護士事件という外部社会への攻撃が始まったことを総括しました。また、内観的手法を「ひかりの輪」の修行法に導入しました。
③約3カ月に一度、オウム事件犠牲者の冥福をお祈りし、負傷者の早期回復をお祈りする慰霊儀式を執り行い、オウム・麻原の間違いを強く心に刻みつけるようになりました。
④オウム真理教犯罪被害者支援機構との間に被害者賠償契約を締結し(7月6日)、定期的な賠償に励むことによって、さらに強くオウム・麻原の間違いを心に刻みつけ、償いの気持ちを深めるようになりました。
⑤このようにして気づいてきたことを、「ひかりの輪」指導員が市民団体の会合に招かれて講演する等して、社会に還元する活動を始めました。
(7)2010年 トークショーや出版でのオウムの総括の公表、一般社会との交流
①前年までのオウム総括の深まりを社会に還元するために、さらに上祐ら「ひかりの輪」幹部が、一般市民向けの講演やトークショーに招かれ、講演を重ねるとともに、一般の出版社からの出版を行うなどして、オウム・麻原の再来を防ぐことを広く訴えました。
②上記のような理念に基づく「ひかりの輪」の活動を広く社会に公開するために、「ひかりの輪」の講話会を一般公開するとともに、誰もがインターネットでも視聴できるようにしました。
「ひかりの輪」の聖地巡礼修行も一般人が参加できるよう公開し、懇親会も開いて一般人と交流するなどして、「ひかりの輪」の主な活動の全てを公開することにより、いっそうオウム・麻原の再来を防ぐことを訴えるための活動を広く展開しました。
(8)2011年 一般社会とのさらなる交流、伝統宗教からの指導、外部監査委員会の発足
2011年には、前記までの活動をさらに充実させるとともに、
①かつて麻原が否定した聖徳太子の思想=和の教えを重視して展開。
②特定のシンボルを有さず、個人にあったシンボルを良しとする信仰概念の導入。
③オウムの閉鎖性を超えた完全開放型の団体づくり。
④科学的・理性的・人道的・平等主義・民主的な団体を目指す。
⑤他宗教とのさらなる交流、伝統宗教の指導を受ける(羽黒修験道等)。
⑥外部監査制度の導入、外部監査委員会の発足。
を行ってきました。
こうした結果として、麻原やその教義への信仰から本質的な脱却が図られていき、前記の通り、2012年から現在に至るまでの「思想哲学の学習教室」としての改革につながっていったのです。