2019年2月
ひかりの輪への観察処分を認めた東京高裁判決(2019.2.28)の不合理さについて (2019年2月28日)
「ひかりの輪は、オウム真理教の後継団体ではないのに、なぜ公安調査庁の観察処分を受けていて、裁判所もそれを認める判決を出しているのですか?」という質問が、しばしば寄せられますので、以下にお答えします。
●東京地方裁判所は2017年に観察処分を取り消したこと
まず、2017年に、東京地方裁判所は、ひかりの輪への観察処分を取り消す判決を下しています。 ひかりの輪が、麻原の意思に基づいて設立された団体とは認められず、現に当初から麻原への帰依を否定しており、麻原への帰依を続けるアレフと対立関係にあり、オウム真理教の後継団体であるアレフとは別個の団体であると認め、観察処分を違法として取り消したのです。 その詳細は、こちらの記事をご覧ください。
●東京高等裁判所は不合理な理由で東京地裁の判決を2019年にくつがえしたこと
この東京地裁の判決に対して、国は不服を申し立て、東京高等裁判所で控訴審が開かれました。 その結果、2019年2月28日、東京高裁は、ひかりの輪への観察処分は適法であるとして、先の東京地裁の判決をくつがえしました。さらに、最高裁判所も、この高裁判決を実質的な審理なく、そのまま支持したため(最高裁は一般的に事実関係に踏み込んだ判断はしないため)、この高裁判決は確定しました。 現在継続している観察処分も、実質的に、この東京高裁判決を踏襲して行われているものですが、この判決が不合理なものであることは、以下の通りです。
●問題となった「オウム真理教の教義」とは何か?
現在行われている観察処分とは、「オウム真理教の教義を広め、これを実現すること」を目的とする団体に対して行われるものです。 ですから、ひかりの輪が「オウム真理教の教義」を有しているかどうかという点が、まず裁判で検討されるべきなのですが、では、この「オウム真理教の教義」とは何かというと、裁判所や国(公安調査庁や公安審査委員会)は、おおむね次のように述べています。
(1)麻原への絶対的帰依を培う。
(2)殺人をも肯定するタントラ・ヴァジラヤーナを最上位に位置付ける。
(3)麻原を王とする祭政一致の専制国家を構築するという政治上の主義と密接不可分に結び付いている。
特に、国は裁判において、(1)については「麻原に対する絶対的な浄信と帰依を培う」ものであることを強調しており、(3)については「(オウム真理教の教義がいう)『衆生救済』は、麻原の唱える理想郷の建設、すなわち麻原が独裁者として統治する専制国家体制の樹立を意味しているのである」と述べています。
このように、上記(1)~(3)の3点こそが「オウム真理教の教義」の特質ともいえるのであり(以下、この記事では仮に「オウム真理教の教義の3大特質」といいます)、ひかりの輪が「オウム真理教の教義」を広め実現することを目的としているか否かは、ひかりの輪の思想の中に「オウム真理教の教義の3大特質」が含まれているか否かという観点のみから厳格に判断されなければならないものです。
●「大黒天やミシャグチ神を通して麻原を崇拝」という不合理な判決
では、まず、ひかりの輪に「オウム真理教の教義の3大特質」の1つ目=「(1)麻原への絶対的帰依を培う」教義があるのかという点について、どう判断されたか見てみましょう。
東京高裁判決は、ひかりの輪が、仏教ではごく一般的な大黒天や、長野県諏訪地方で信仰対象とされてきたミシャグチ神を通じて麻原を崇拝しているという公安調査庁の不合理な主張を、そのまま安易に追認してしまっているのです。
麻原がかつて自分自身をシヴァ神になぞらえたことがあり、シヴァ神が仏教に取り入れられて大黒天となったのだから、すなわち、大黒天=シヴァ神=麻原であるから、大黒天を通じて麻原を崇拝しているに違いないという不合理な「理論」です。
また、ミシャグチ神についても大黒天と同一視しているとして、すなわち、ミシャグチ神=大黒天=シヴァ神=麻原であるから、ミシャグチ神を通じて麻原を崇拝しているのだろうという、まるで連想ゲームのような不合理な「理論」です。
そして、大黒天やミシャグチ神に対する「崇拝」の事実として具体的に挙げられたのは、以下の事実です。
①大黒天の象徴物、仏画、写真等を施設内に掲示していた
②大黒天と同一視できる三仏(釈迦・観音・弥勒)を施設内に掲示していた
③ミシャグチ神の象徴物や写真を施設内に掲示していた
④ミシャグチ神を祀る場所(長野県の諏訪大社等)を繰り返し訪問した
⑤東京本部施設の「厨子」の中にミシャグチ神(石棒)の写真を保管していた
⑥ミシャグチ神を祀る長野県の神社(御頭御社宮司総社)の写真を団体施設に掲示・保管していた
しかし、ひかりの輪が、大黒天やミシャグチ神を麻原やオウム真理教におけるシヴァ神と位置付けたことはありません。もちろん、ひかりの輪の活動に参加する多くの会員も、大黒天やミシャグチ神を麻原と見立てたことなど全くありません。 むしろ逆に、ひかりの輪では、それらを麻原やオウムへの反省・克服の象徴として明確に位置付けてきました(それを裏付ける詳しい証拠も提出済み)。
オウム真理教の思想に詳しく、ひかりの輪についても深く研究した宗教学者・大田俊寛博士も、ひかりの輪における大黒天が麻原とは関係ないことを意見書(裁判所に提出済)において詳細に述べています。
そもそもひかりの輪は、一貫して、オウム真理教及び麻原の過ちを批判的に総括し、徹底した「反麻原」の活動を展開してきました。こうした取り組みの結果、ひかりの輪は、これまで150名以上のアレフ信者を麻原への信仰から脱却させ、脱会に導いてきました。これらの実績は、数多くの外部識者や、ひかりの輪外部監査委員会等も等しく認めるところです。
その「反麻原」の姿勢については、東京地裁判決においても、「松本(麻原)に対する絶対的帰依が否定されており」「原告(ひかりの輪)とAlephの性格は相当に異なるものとなっている」と認定されているとおりです。
さらには、国ですら、ひかりの輪が「執拗な松本(麻原)批判」を行い、「松本(麻原)に対する否定的な感情を抱く」ことをしていると裁判で認めざるをえないほど、徹底したものです(控訴審における国の準備書面より)。
こうした「反麻原」の事実を裏付ける膨大な事実と証拠があるにかかわらず、それでも、そのような証拠をあえて無視してでも、ひかりの輪が麻原に帰依し、崇拝していると認定するためには、普通の人が見ても納得できるだけの相当な証拠が本来は必要なはずです。
ところが、東京高裁が認めた証拠とは、大黒天やミシャグチ神を通じてひかりの輪がシヴァ神=麻原を崇拝しているという荒唐無稽なものですが、その実態も、上記①~⑥の通りであり、特に⑤にいたっては、ミシャグチ神の象徴である石棒の写真が普段使っていない物(中古の電話機等)を納めた箱(以前は厨子として使っていたもの)の中に一緒にしまってあったとか、④のようにミシャグチ神が祀ってある一般の神社(諏訪大社等)に行ったとかいう程度のものであって、およそ不合理といわざるをえないものばかりなのです。
●「日本の死刑制度を認めているから殺人肯定の危険教義がある」という不合理な判決
次に、ひかりの輪に「オウム真理教の教義の3大特質」の2つ目=「(2)殺人をも肯定するタントラ・ヴァジラヤーナを最上位に位置付ける」教義があるのかという点について、どう判断されたか見てみましょう。
大まかには、①上祐代表が殺人を肯定する教義を説いた、②ひかりの輪の複数の会員も危険な教義を肯定した、③ひかりの輪がオウム真理教の危険な教義が記された書籍を保管していた、というものです。
しかし、①については、取り上げられた上祐代表の発言は、いずれもタントラ・ヴァジラヤーナの危険性を説いたものであって、肯定するものでは決してありません。
たとえば、殺人を認めるタントラ・ヴァジラヤーナのような教義は、麻原や一般の人は絶対に行ってはならないことと明言した上で、人を殺すことが国家において許されるとすれば、それは裁判官のような司法機関だけであると上祐代表が述べたものであって、いわば日本国家における死刑制度を認めたものです。
また、生きていく上での肉や魚を食べるための殺生はやむを得ないと述べたりしたものです。
つまり、死刑制度や猟師・漁師の殺生はやむをえないと述べたことが、殺人を肯定する危険なタントラ・ヴァジラヤーナの教義を保持しているという根拠にされているのです。
②については、危険な発言をしたとして取り上げられた人物の一人は、調べてみたところ、そもそもひかりの輪の会員ではありませんでした。実際には、ひかりの輪によって、オウム信仰からの脱却の支援を受けていた人だったのです。
また、他にも、ひかりの輪の会員とされる人物の発言も取り上げられていましたが、その発言は、「オウムはけしからんので、タントラ・ヴァジラヤーナ、こういう危ないことをやっている」というもので、文面上も明らかにオウムやタントラ・ヴァジラヤーナを批判しているのにもかかわらず、なぜか「危険な教義に理解を示している」という正反対の趣旨に解釈されているのです。
そもそも、国から提出された証拠には、そのように話したという人物の署名・捺印はなく(もちろん氏名は伏せられていて)、単に公安調査官が、「このような話をひかりの輪の会員から聞いた」と書いているものにすぎず、本当にそのような話があったのか、そのような「会員」が実在するのか、というレベルの信用性が非常に低い証拠なのです。
③については、確かに、ひかりの輪では、オウム真理教の書籍・資料を一セット厳重に保管しており、それは公安調査庁にも自ら進んでその保管場所も含めて報告しています。 しかし、その目的は、この裁判のようなオウム真理教の教義が関係する裁判等の法的手続や、アレフの著作権問題(現在、被害者組織が所有しているオウム関連書籍の著作権をアレフが侵害し、勝手にオウム書籍を印刷し、信者に頒布している問題)の解決に使用するものであって、これらの用途以外に用いられたことはなく、そこに記載された危険な内容がひかりの輪の思想・教義として導入されているものでは全くなく、それを裏付ける証拠も国から提出されていません。
現に、東京地裁判決では、これらのオウム教材は、麻原の著作物をアレフが使えないようにするために、ひかりの輪が被害者組織に協力するために活用していることが事実認定されています。すなわち、アレフが危険な教義を流布することを阻止するために、ひかりの輪はこれらの教材を活用してきたのです。
にもかかわらず、東京高裁判決は、これらのオウム教材の存在をもって、ひかりの輪がオウム真理教の危険な教義を維持しているというのです。 前記の通り、ひかりの輪では、オウム真理教の危険な教義を総括、否定し、その流布を阻止するための活動を一貫して行ってきましたし、それを裏付ける大量の主張と証拠を裁判所に提出しました。にもかかわらず、そのような事実を無視して、上記①~③のような事実をあげて、危険な教義を有している根拠としているのです。
●「麻原の王国をつくるという政治目的がある」という理由は示されなかった不合理な判決
最後に、ひかりの輪に「オウム真理教の教義の3大特質」の3つ目=「(3)麻原を王とする祭政一致の専制国家を構築するという政治上の主義」があるのかという点について、どう判断されたか見てみましょう。
実は、この点については、明確な理由は全く示されていないのです。 東京高裁判決は、「『タントラ・ヴァジラヤーナ』等のオウム真理教の教義は本件政治上の主義と密接不可分に結び付いていたと認められ、被控訴人(ひかりの輪)においても、そのような教義を継承・維持しているものと認められる」と述べているだけなのです。
しいていえば、上記のように、「大黒天の仏画をかけたり、ミシャグチ神(石棒の写真)を箱に入れて保管したり、諏訪大社に参拝したりして、麻原に対して絶対的な帰依を培い、死刑制度や肉・魚を食べるための殺生を肯定しているのだから、オウム真理教の教義を実践しているということができ、オウム真理教の教義の中には、麻原を王とする王国を樹立することが含まれているのだから、ひかりの輪も、そのようなオウム王国建設という政治目的を持っているに違いない」という論理なのだと思われます。
ひかりの輪がそのような政治目的など持っていないこと、むしろ麻原は死刑になる(つまり王などになるわけもない)と早くから団体内部でも主張していたことは、多数の証拠を提出しましたが(むしろ公安調査庁が作成した証拠の中に、それを裏づけるものさえあったのです)、それを全て無視して、このように結論付けられているのです。
以上の通り、「オウム真理教の教義の3大特質」がひかりの輪にあるという公安調査庁の主張や、それを追認した東京高裁判決は、まことに不合理なものといわざるをえないのです。
●「危険性のない一般的な仏教・ヨーガを扱っていてもオウムの教義」とされる不合理な判決
上記のような「オウム真理教の教義の3大特質」以外にも、ひかりの輪が危険性のない一般的な仏教・ヨーガを扱っていても、それはオウムもやっていたことだからという理由で、オウム真理教の教義を実践しているとも、判決の中で示されています。
具体的には、ひかりの輪が「四つの柱」という修行体系、すなわち、①「教学」、②「功徳」、③「行法・瞑想修行」、④「イニシエーション」を有しており、これがオウム真理教の教義と共通しているというのです。
しかし、これらは、何らオウム真理教に特有のものではなく、日本の内外で一般的な仏教・ヨーガの徳目であったり、またはそもそもそれを裁判所が曲解しているものなのです。
◎「教学」について
まず、①「教学」については、ひかりの輪の教本の内容に、麻原の説法と類似の内容が含まれているというのですが、それは、たとえば、苦しみを耐えて乗り越えようという、一般的な仏教で重要視される徳目の話にすぎません。
また、ひかりの輪が「八正道」「四預流支」「四念処」「六波羅蜜」の考え方を説いている点も、オウムを継承していて同じであると指摘されていますが、これらも全て、オウム特有の教えでもなければ、危険な教えでもなく、仏教のごくごく一般的な教義にすぎません。 麻原も、これらについて説法で触れていたことがあるから、ひかりの輪がそれらに触れれば、それはオウム真理教の教義を実践していることになるという「理論」なのです。
◎「功徳」について
次に、②「功徳」については、ひかりの輪ではオウム真理教と同じ「功徳」を目的とした出家制度を維持していると判決で指摘されているのですが、ひかりの輪では出家制度を採用しておらず、単に経済的理由により生活互助を目的としたごく小規模な集団生活をしているのみであって、それを仮に出家と呼ぶか否かは別としても、「功徳」を目的になどしておらず、それを裏付ける証拠も、国からは何も提出されていないのです。
そもそも、功徳という概念自体が、一般的な仏教に基づくものであって、オウム真理教特有の教えでもありません。
◎「行法・瞑想修行」について
次に、③「行法・瞑想修行」についても、判決で取り上げられているヨーガや瞑想、呼吸法などは、いずれも日本の内外の仏教・ヨーガの世界では一般的なものであって、オウム・麻原特有のものではありません。
また、「麻原の説法内容の要約」であるひかりの輪の経文を、オウム真理教のマントラ同様に繰り返し唱えていると判決で示されており、その具体例として、麻原も説いていた「感謝」や「愛」が、ひかりの輪の経文に含まれているというのです。
しかし、感謝や愛の実践を行うことは、オウム真理教特有のものではないことはむろん、一般的な宗教に限らず、ごく当たり前の倫理・道徳として広く社会で勧められていることであって、これをもって麻原の説法と類似しているというのは不合理と思われます。
◎「イニシエーション」について
最後に、④「イニシエーション」についてですが、ひかりの輪で行っているヒーリングや、神社仏閣・自然の中を訪れる聖地巡りが、オウム真理教において麻原のエネルギーを注入するイニシエーションに当たるものであるとされています。 美しい鐘の音を聞いてリラックスしたり、一般の神社仏閣や自然の中を巡ったりすることで麻原のエネルギーを受けているということなど、あるはずもなく、これも、全くのこじつけといわざるをえない認定です。
●一般的な仏教・ヨーガ・聖地巡り・思想探究をするだけで「オウム」とされている事実
以上のように、この東京高裁判決に従えば、ひかりの輪は、たとえば次のような実践をすることによって、今後も「オウム真理教の教義を広め、これを実現すること」を目的としていると認定され、観察処分が継続することになります。
1,ごく一般的な仏教や神道の神仏である釈迦・観音・弥勒・大黒天・ミシャグチ神及びそれらの神仏と関係があると指摘される恐れがある神仏(例えば大黒天と読みが同じになるため一般に同視されることが多い神道の大国主命など)の像(立体像、画像など)、ならびに、ごく一般的な神道の神社である諏訪大社・御頭御社宮司総社及びそれらと関係があると指摘される恐れがある寺社の画像を掲示したり、保持したりすること。
2,上記1に挙げた、ごく一般的な仏教や神道の神仏を参拝したり、それらの神仏と関係がある、または関係あると指摘される恐れがあるごく一般的な寺社を参拝したりすること。
3,八正道、四預流支、四念処、六波羅蜜などの、ごく一般的な仏教の教義の話をしたり、指導したりすること。
4,他者への「感謝」の実践や、全ての存在を「愛」する等の、ごく一般的な道徳や倫理に属する思想の話をしたり、指導したりすること(たとえば「両親にありがとうと感謝を述べよう」等という話すら、麻原の教義となり、抵触する)。
5,ごく一般的なヨーガの修行である瞑想、マントラ、呼吸法等の修行法を実践したり、指導したりすること。
6,ごく一般的なヒーリングを行うこと。
7,ごく一般的な仏教・神道の寺社及び自然景観に勝れた地などを「聖地」と認め、訪問すること。
8,国家による死刑制度や、猟師・漁師による殺生を、やむをえないものとして容認すること。
現に、以上のような行為が、「オウム真理教の教義」に基づくものとされ、ひかりの輪への観察処分が継続しているというのが実態なのです。
●「麻原の意思に従って設立された団体ではない」という東京地裁の重要な事実認定を無視した不合理な判決また、この東京高裁判決は、ひかりの輪が、組織の存続を求めた麻原の意思に従って設立された団体であるという公安調査庁の主張を追認しており、それを否定した東京地裁判決の重要な事実認定を無視するという不合理なものとなっています。
つまり、公安調査庁は、
「「ひかりの輪」は、平成19年5月、「Aleph(アレフ)」の前身組織である「宗教団体・アレフ」の代表などを務めた上祐史浩が、組織の存続を求めた麻原の意思(※)に従って設立した団体である」
と述べており、さらに、
「※麻原は、地下鉄サリン事件後の平成7年5月、法務大臣が団体に対して破壊活動防止法の適用を検討する旨を表明したことを受けて、団体が存続できなくなる事態を危惧し、幹部構成員に対して、①団体の危険性を除去したように仮装すること、②組織を分割して、一方の組織の存続が困難となった場合にもう一方の組織がその受皿となれるよう準備することを指示しました。」
と付記しています(同庁のHPなどより)。
しかし、ひかりの輪は、麻原の意思に従って設立された団体ではありません。
前述の通り、2017年の東京地方裁判所の判決は、
「原告(ひかりの輪)の設立は、別団体を組織して、別団体との間で役割分担しながら活動することを求めていた松本の意思に従ってされたものであるとまでは認めることができない。」
と判示しています。
確かに、公安調査庁が述べているように、麻原は平成7年(1995年)に、別団体を作るような指示を出したことはありますが、ひかりの輪の設立は、その指示とは全く無関係なのです。
それは、前記の通り東京地裁も認めているとおりですが、麻原の指示内容をよく見れば、ひかりの輪が、麻原が設立を指示した別団体では全くないことが、よりいっそう明らかになります。
というのも、麻原は、破壊活動防止法の適用によって団体が存続できない非常事態が生じた場合、麻原の家族らとよく話し合った上で、「衣替え」した別団体、すなわちオウム真理教が信仰していたシヴァ神やその化身とされた麻原への帰依を培う別団体を作るように指示していたのですが、ひかりの輪は、その指示に全く反したものとなっています。
ひかりの輪は、破壊活動防止法の適用の可能性が皆無となっていた2007年に、麻原の家族らとの話し合いなど全くないまま(むしろ麻原信仰を維持しようとする麻原の家族らと激しく対立した結果として)設立されたものであり、シヴァ神や麻原への帰依を培うどころか、正反対に麻原への徹底的な批判を行い、麻原を信じるアレフ信者らを脱会させたり、アレフへの入会を阻止したりする活動を展開してきましたから、麻原が意思した別団体とは到底いえないものなのです。
その詳細については、こちらの記事をご覧下さい(麻原からのメッセージの原文を付けて詳細に説明しています)。
以上が、東京高裁判決の概要ですが、このような不合理な判決は容認できないので、ひかりの輪は最高裁判所に上告(ならびに上告受理申立て)をしました。しかし、最高裁判所は、事実認定に関する判断は実質的には行わないため、2020年に上告等は棄却されました(日本では「形式的には三審制だが、実質的には二審制」といわれるゆえんです)。 よって、この東京高裁判決が確定し、この判決に沿った観察処分が現在でも継続しているのです。
●東京高裁判決が不合理であることは、公安調査庁内部からの証言や東京地裁判決からも明らかであること
以上のような東京高裁の判決が不合理であることは、多くの人の目にも明らかなことだと思います。 それは、一審の東京地裁が、観察処分を取り消す判決を最初に出したことからもわかりますが、公安調査庁の内部においても、東京地裁によって取消判決が出されることを予想するほど、ひかりの輪への観察処分には無理があると考えられてきたのです。
それは、35年間務めた公安調査庁を退職した後、ひかりの輪の外部監査委員を3年間にわたって務めた元公安調査官が証言されています。 元公安調査官は、2017年に、次のように証言されています。観察処分取消訴訟の判決に対する庁内の反応
ひかりの輪は2015年に観察処分の取消しを求める訴訟を東京地裁に提起し、本年9月、同地裁は、ひかりの輪の請求を認めて、同処分を取り消す判決を出しました。 この訴訟について、公安調査庁の内部では、昨年くらいから、末端職員から幹部に至るまで、「今度のひかりの輪の裁判に関しては(観察処分が取り消されるだろうから)危ないだろうな」という声が、少なからずありました。特に、現場に近ければ近いほど、そういう感覚が濃厚でした。 ですから、今回の判決について多くの職員たちは、「むべなるかな」「出るべくして出た判決だ」と、そんな冷めた反応であるようです。(意見書より)このことから、ひかりの輪への観察処分には相当な無理があることが公安調査庁内部でも共通認識だったことがわかるのであり、現にその通り、一審の東京地裁は観察処分を取り消したのでした。 しかし、上記の通り、東京高等裁判所は、相当に不合理な事実認定を重ねた上で、東京地裁の判決をくつがえしたのです。
●東京高裁の不合理な判決の背景と、今後の団体の方針
なお、ひかりの輪への観察処分を最初に取り消した東京地裁の判決が、特別に異常だったというわけではありません。
それは前記の通り、取消判決が出るだろうと公安調査庁内部でも事前にささやかれていたことからも明らかですし、取消判決を出した東京地裁の裁判長は、最高裁判所事務総局の行政課長を経験し、現在は最高裁判所の上席調査官を務めるほどの非常に優秀な経歴を持つ裁判官ですので、その事実認定や法解釈は、きわめて正当なものだったと考えられます。
現に、裁判官に詳しい、ある大手マスコミの司法記者も、「あの裁判長は"政治色"がない、良い裁判官ですよ」と、地裁判決後に、ひかりの輪の関係者に語っていました。 逆をいうと、東京高裁での控訴審の判決では「政治色」が出たということではないかと思います。
一般的に、国を相手にした行政訴訟では、地裁よりも、高裁において、より「政治色」が強く出る、つまり、事実認定や法解釈のレベルを超えた判断、たとえば「判決が社会に及ぼす影響」などを考慮した判断が出るといわれています。
ひかりの輪の訴訟においては、やはり、一連のオウム事件によって、いまだに苦しんでいる被害者の方々がいらっしゃることや、ひかりの輪のみならずアレフも含めた地域の住民の皆さんのご不安というものも考慮した上での「政治的判断」も加わったものと考えられます。 それが、上記のような不合理な事実認定の背景にあるものと考えられます。
ひかりの輪としましては、今後も、公安調査庁等から主張される事実について、事実ではないことは事実でないこととして、冷静に司法手続等の場で訴えていく予定ですが、このような東京高裁判決の背後にある、市民の皆様が抱いているひかりの輪への不安や誤解を払拭していけますよう、今後とも努力してまいります。ひかりの輪がオウムではない一連の事実の概要 (2019年2月28日)
当団体「ひかりの輪」は、いわゆる「オウム真理教」ではありません。
これまで公安調査庁は、「ひかりの輪」が、オウム真理教から名前を変えたアレフと基本的性質を共にしていて一体といえるので、「ひかりの輪」も「オウム真理教」であると主張してきました。
しかし、そのような公安調査庁の主張は、2017年9月に公安調査庁の観察処分を取り消した東京地方裁判所の判決によって、明確に誤りであるとして否定されています。
これらの裁判所の判決は、当団体がオウム真理教=Aleph(アレフ)から完全に離脱し、オウムを批判的に反省・総括してきた長年の取り組み等の事実を踏まえて下されたものです。
これらの事実と、関連する事項を、当団体が裁判所に提出した資料等に基づき、以下にご紹介します。
1,当団体が、オウム・麻原を反省・総括したメンバーによって発足した事実
当団体は、オウム真理教や麻原について、批判的に反省・総括したメンバーによって発足しました。
アレフ内で上祐や上祐を支持したメンバーは、その現実的・合理的な考え方に基づき、アレフ内のA派(=反上祐派=現Aleph)が奉じていた麻原の危険な教えや政治上の主義・違法な性質を徹底的に排除しようとしたため、A派と激しく対立し、アレフを脱会し、当団体の発足に至りました。当団体発足(2007年)に至るまでの経緯と、思想の詳細は、こちらの記事「離脱・設立の経緯と詳細」(①総論・②時系列)の通りです。
2,当団体が、Aleph(および麻原の家族)と激しく対立してきた事実
当団体は、発足以前のアレフ代表派(M派・上祐派)時代も発足後も、①様々な点で麻原の教えに反し、麻原への帰依に反してきたため、②麻原を絶対視するアレフと激しく対立し、深い断絶の関係にあります。
その詳細は、こちらの記事(記事「麻原への帰依に反する」、記事「アレフと対立・断絶関係」)の通りです。
3,当団体が「麻原を王とする」政治目的を有さず、そのための違法行為を否定してきた事実
当団体は、発足以前のアレフ代表派(M派・上祐派)時代も発足後も、公安調査庁が主張するような「麻原を独裁的主権者(王)とする祭政一致の専制国家」を樹立するという政治目的など有しておらず、その実現のための違法行為を当然に否定してきました。
つまり、政治目的達成のための違法行為を規制する団体規制法・観察処分の適用要件は、当団体には全く存在していません。
その詳細は、こちらの記事「政治上の主義・違法行為否定の経緯」、記事「具体的な詳細の総論と時系列」の通りです。
4,当団体が麻原の死刑執行に賛同し、執行後は危険性がないことを政府も認めている事実
当団体は、当団体発足前のアレフ代表派(M派)時代から現在に至るまで一貫して、麻原への死刑執行に賛同してきました。そして、死刑執行後、ますます当団体に対する観察処分の必要性が低下していることを政府も事実上認めていることが報道されています。
その詳細は、こちらの記事「政府も認めている事実」の通りです。
5,有識者などの第三者も当団体を評価してきた事実
当団体が、オウム・アレフから離脱し、それらを徹底的に反省・総括してきたことは、有識者からなる当団体の外部監査委員会や宗教学者等の第三者からも評価されてきました。
その詳細は、こちらの記事「外部監査結果報告書」の通りです。
6,公安調査庁の主張・証拠が極めて不適切であった事実
公安調査庁は、ひかりの輪がオウム真理教であるという虚偽の主張を展開してきましたが、その主張を裏付ける同庁作成の証拠は、その内容が捏造・歪曲されたものであるばかりか、作成のプロセスも違法・不当で、極めて不適切なものであることが明らかになっています。
その詳細は、こちらの記事「公安調査庁の違法不当な調査・証拠等」の通りです。
7,ひかりの輪とアレフに大きな違いがある事実
ひかりの輪とアレフ(Aleph)には大きな違いがあり、それが、ひかりの輪がアレフ=オウムと全く別の団体であることを示しています。
その詳細は、こちらの記事「ひかりの輪とアレフの大きな違い」の通りです。
8,公安調査庁による「麻原隠し」の主張の誤り
公安調査庁は、ひかりの輪がオウム真理教であると主張する根拠として、ひかりの輪が麻原を信仰しているにもかかわらず表向きはそれを隠している「麻原隠し」をしているからだと主張していますが、そのような主張が全くの誤りであることは、こちらの記事「公安調査庁による「麻原隠し」の主張の誤り」の通りです(なお同庁がHPで主張していることに対する反論は、こちらの記事をご覧ください)。
――以上に記した事実につきましては、ひかりの輪が裁判所に提出した書類に詳しく記してあります。
その内容は、こちらのページからご覧ください。【0】ひかりの輪がオウムではないことを示す裁判資料の目次 (2019年2月28日)
上祐代表ら「ひかりの輪」のメンバーは、2007年3月に、アレフ(現Aleph)から脱会し、離脱しました。
その理由は、当時、上祐の性格上、現実的・合理的な考え方から、アレフ内のA派(=反上祐派=現Aleph)に存在していた麻原の危険な教えや政治上の主義・違法行為に対し、徹底的に排除しようとしたために、A派と激しく対立することとなったからです。
以下に、その経緯と思想の詳細を記します。
ひかりの輪は、公安調査庁による観察処分の取消しを求めて東京地裁に訴訟を提起し、2017年には、その訴えが認められて、取消判決を受けることができました。
2018年10月段階では、その控訴審が東京高裁で係属中ですが、その控訴審において、ひかりの輪が裁判所に提出した書類の内容を基本的にそのまま転載しています。
(なお、裁判所に提出した書類の原文には、記載を裏付ける大量の証拠の証拠番号を随所に記載していますが、ここでは、読みやすくするために、それらは全て削除しています)
それでは、以下に、 ①オウム真理教時代(1989年~1999年)の上祐代表 ②オウム真理教から改称後のAleph(アレフ)時代(2000~2007年)の上祐代表及びM派(上祐派・代表派〈2004年11月~〉)の言動から時系列に示していきます。
それによって、「ひかりの輪」が、アレフを脱会するまでに、どのようにして麻原の依存から脱却してきたかの、詳細の事実をおわかりいただけると思います。
具体的には、
・麻原を絶対とする盲信を排除し、
・現実的・合理的な考え方を持って、
・Aleph時代からA派(現Aleph)と対立しながら、
・麻原の危険な教え・政治上の主義・違法行為を、徹底して排除する改革を行い、
・段階的に麻原を相対化して、
・最終的に麻原の依存から脱却を果たしたという経緯です。
まず、【1】において総論を述べ、次に【2】において時系列にその言動を示し、次に【3】において「ひかりの輪」の思想について述べるものとします。
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【1】オウム脱却から「ひかりの輪」設立の経緯
1,総論
(1) 現実的・合理的・合法的性質を有する上祐の言動
(2)Alephでの上祐の合理的・合法的運営に反発した松本家
(3)A派(現Aleph)の麻原絶対視・違法性に反発したM派(上祐派・代表派)
①2000年1月:旭村事件
②2000年7月:シガチョフ事件
③2004年~2006年:三女ら麻原家族の訴訟詐欺疑惑
④2004年9月:ケロヨン事件
⑤上祐に毒を盛る議論をした疑惑
(4)両派対立の最大の争点「合理的・合法的な運営か、帰依と違法性の容認か」
(5)識者も認める「教祖(麻原)を使った宗教の穏健化のプロセス」
(6)2017年東京地裁判決も政治上の主義の消失と、M派とA派の帰依に対する解釈の違いを認めていること
(7)まとめ
以上のとおり、アレフ時代のひかりの輪設立前の上祐及びM派は、初期は、麻原の言葉を用いながら、違法性のない教団運営を実現しながら、徐々に麻原を相対化して、最後には麻原を否定・批判し、麻原・オウムの違法性を完全に否定するに至りました。 全体を通して見ることで、その事実を、確認することができます。
上祐及びM派の「実際の行動」は、公安調査庁等の主張とは正反対に、「ひかりの輪」は、違法行為に関しては、麻原に準ずる存在である松本家の者さえ批判し、公安当局に通報・告発することはおろか、時には協同捜査さえして、信者の違法行為を封じ込め、逮捕・受刑に追い込むことを繰り返してきました。
それを、麻原時代の教団から見れば、「教団側」ではなく、「国家・社会側」の立場に立って行動してきたために、アレフのA派からは「公安のスパイ」とまで噂される状態という揺るがぬ事実がありました。
【2】上祐及びM派(上祐派・代表派)の時系列別言動
ここでは、時系列別に、言動をまとめています。
(1)1989年8月頃:上祐が、麻原はじめオウム真理教の衆院選出馬に反対。
(2) 1989年9月:上祐が、麻原の毎日新聞社爆破計画や教団の敵対者の
ポア(殺害)に反対し、坂本弁護士事件の疑惑にも不満を呈する。
(3) 1990年:上祐が、麻原による熊本地検襲撃の発言に反対し、麻原の教団武装
化計画に対して協力するも、葛藤が強かったこと。
(4) 1995~1999年:一連の事件の発覚・麻原の逮捕と変調・予言の不的中などの結果、
紆余曲折を経て、上祐が、麻原を相対化し始めた。
(5) 1998年:上祐が、獄中から教団に事件の謝罪表明・被害者賠償を勧める。
(6) 1999年12月~2000年2月:上祐が刑務所から出所、教団に復帰、アレフ体制の発足。
(7) 2000年初期:上祐が、アレフ規約制定にあたり、麻原の指示に絶対的に従うとした
幹部信者を除名。
(8) 2000年1月:松本家の子女による、いわゆる「旭村事件」が発生。
(9) 2000年1月:教団に対して初の観察処分適用決定
(10) 2000年6月:ロシア人・シガチョフによる麻原奪還計画を、上祐が警察に通報し、
入国したシガチョフと警察と協力して監視して阻止。
(11) 2002年1月:上祐が教団代表に就任した。(13) 2003年2,3月:上祐主導による教団改革の開始。麻原を含めた教団の事件関与を
明言、麻原と教団が主張してきた国家権力の陰謀説を否定。
(14)2003年3月ごろから、麻原の家族が再び教団に関与し始め、上祐の改革を批判し
てストップをかけ始め、週末を除き修行入り、教団活動の関与を禁
じられる。上祐失脚。上祐による教団改革の中止。
(15)2003年10月:上祐が教団から麻原色を排除したのは誤りとして、その責任を追及
する内容の幹部会が開催され、改革の反省と松本家の尊重を迫る。
上祐を毒殺するという話が反上祐のグループの中で出された。
(16)2003年10月:上祐が完全に修行入り。外部連絡を絶たれ幹部監視下の修行を強要。
(17)2003年10月:荒木が「上祐の改革は誤り、許されないグル外し」と「お話会」で
出家信者対象に何十回か連続開催。
(18)2004年5月:三女が、入学拒否した大学に対し、自分は教団と無関係と虚偽の
事実を述べて損害賠償請求訴訟を提起。
(19)2004年9月:正悟師全員(村岡以外)が上祐批判に疑問、上祐は活動復帰の意思。
(20)2004年9月:・ケロヨン事件(分派グループによる傷害致死事件)が発生し、
上祐らが警察と協力して解決。
・上祐らは、警察に相談の上、通報、グループの関係者を説得、
警視庁石神井警察署に自首させた。
・松本家は、警察への通報に消極的で、松本家側の信者は、
警察に通報し自首させた上祐らの対応を批判。
(21)2004年11月:松本家に軟禁状態に置かれた上祐が、活動復帰を一部幹部らに宣言。
(22)2004年11月:「教団の問題について考える会」が開催され組織的なM派が成立。
(23)2004年12月松本家の家族派が「上祐の指導部排除がグルの意思」と主張。
(24)2005年1月:M派が、「オウム事件は麻原・オウムが起こした事件で誤り」と主張。(25)2005年5月:A派最高幹部が「公安調査庁は寄生虫」「権力を震え上がらせるだ
けの帰依を見せつけろ」等と説法。
(26)2005年5月:上祐らが戸隠神社地域での個人的修行を契機に、上祐攻撃が激化。
(27)2005年6月:在家信者も派閥形成が始まる。A派は、上祐の行為は「グル外し
で魔境」で、上祐や上祐を支持する出家信者と話すことの禁止を指導。
(28)2005年夏:M派は、会合でオウム事件の総括を促進。
A派は、100名以上の会合で「刑事裁判の検察の主張は信用できない」
等とし、上祐の行為は「グル外しで許されない」と批判、
「松本家を尊重すべき」と主張。
(29)2005年8月:M派の船橋道場長がA派の教団運営に従わないとし、
A派幹部が、大挙して船橋道場に来訪する騒動が発生。
(30)2005年9月:A派が、上祐を教団代表職から罷免する計画を立案。
(31)2005年9月:M派が、文書やブログで教団内に広く主張を訴える。
(32)2005年10月:M派の信者2百数十名が「アレフの活動が合法的、社会的に行な
われ違法で反社会的にならないよう要請」する文書をA派に提出。
(33)2005年10月:教団大阪道場の家主が、反社会的発言を繰り返す幹部のいるA派
を契約解除、家主は、上祐派を信頼すると居住を許可。
(34)2005年10月:中間派幹部を仲介人とし、A派とM派の代表者同士での話し合いは
平行線をたどる。
(35)2006年1月: 教団に対する。第2回観察処分期間更新決定。
(36)2006年1月: A派の、M派を解体する計画が判明。
(37)2006年3月: 上祐らM派スタッフが京都・広隆寺の弥勒菩薩を拝観、
麻原脱却へ大きな心境の変化が生じた。
(38)2006年3,4月: A派とM派の代表者間で、経済問題を話し合う会合が開催。
(39)2006年2月~4月:松本家の「裁判詐欺疑惑」の高まりと、M派の脱会の宣言。
(40)2006年4月: 3月27日に麻原の控訴棄却で、死刑の可能性が高まり、
上祐は、信者らに、「麻原は死刑執行の可能性が極めて高く、
「麻原が刑死せず、復活や予言を信じるA派」は妄想的であり、
現実的・合理的・合法的な活動をするために、
別の団体の検討を始めていると説いた。
(41)2006年4,5月:上記の両派の合意情報が一部曲がって外部に流出、
上祐が新教団設立に動くと大きく報道される。
(42)2006年5月: 上祐が、教団内の出家信者(A派含む)に対する説明会
(新教団発足の報道内容の真偽、M派の思想)を開催。
主な内容は、
・「麻原を信じなければ救済されない」ということはない
・「麻原の現人神(あらひとがみ)信仰」は危険
・オウム真理教の位階制度を熾烈に批判
・オウム・アレフ教団が魔境
・麻原だけからイニシエーションは生み出されるものではない
・麻原の位階制度は、あまりにも単純
・麻原の解釈したキリスト・絶対者の弥勒菩薩(マイトレーヤ)は、
「オウム教団の問題」を表しており、上祐が目指すものは、完全で
はなくて、不完全な存在としての菩薩であること。
・「麻原の絶対視」は、「自分達の絶対視」。やめる必要がある
・人は、はまると馬鹿なこと(一教団が政権取ること)をやってしまう
・裸一貫にならねば、誰かに頼っていては、真っ当な道を行けない
以上の上祐の、多数のAleph信者に対しての言動は、公安調査庁作成の上記証拠からも明らかです。
(43)2006年7月: M派とA派が、居住区域及び会計を完全に分離。
(44)2006年9月15日:麻原の死刑判決が確定。
上祐らM派が「死刑判決は当然」と報道各社にコメント。
(45)2006年11月: M派において、麻原の著作をはじめとする
オウム真理教・Alephの教材の全面破棄を決定。
(46)2007年1月: 上祐が麻原への絶対的な帰依を否定、自立を宣言・推奨する講話を行う。
(47)2007年3月~5月: 2007年3月に、M派はAlephを脱会し、準備期間を経て、同年5月に「ひかりの輪」を発足。
【3】新団体の理念を説いた2007年以降の上祐の講話等の概要
【4】アレフ(及び麻原の家族)と激しく対立してきた事実(「ひかりの輪」が様々な点で麻原への(絶対的な)帰依に違反していること)
【5】「ひかりの輪」とアレフが、長年の深い断絶と対立の関係にあること
【6】「麻原を王とする」政治目的を有さず、そのための違法行為を否定してきた事実【1】オウム脱却から「ひかりの輪」設立の経緯(総論) (2019年2月28日)
前の記事に引き続き、ひかりの輪が観察処分取り消しを求めて裁判所に提出した書類を、以下に掲載します(読みやすさやプライバシー等を考慮して、一部、削除したり伏字にしたりしている箇所があります)。
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【1】オウム脱却から「ひかりの輪」設立の経緯
1.総論
(1)現実的・合理的・合法的性質を有する上祐の言動
上祐ら「ひかりの輪」が、アレフ(現Aleph)に在籍していた時代に、麻原の家族を初めとする当時の反上祐派(いわゆる「A派」=現在Alephのメンバー)との決定的対立を招いた決定的相違点とは、端的にいうと、麻原を盲信しない現実的・合理的な考え方に基づく合法的な活動(ひかりの輪)か、麻原への盲信・狂信に基づいて違法行為をも容認する面のある活動(現Aleph)か、ということである。
換言すれば、団体活動において、現実的・合理的な考え方によって、徹底的に違法性を排除し「合法」を志向するのが「ひかりの輪」である一方、麻原の意思であればむろん、麻原を盲信し、違法的な活動をも容認する傾向を有するのがAlephということである。
結論を先にいえば、現実的・合理的な考えと合法性を求める「ひかりの輪」は、狂信・盲信と違法性を容認するAlephとは、共に活動をすることができないと考えた上祐ら構成員が、Alephを脱会して、結成されたということである。
そもそも上祐自身は、オウム真理教時代から、現実的・合理的な性格を有し、例えば、選挙の惨敗が国家の陰謀であるとする麻原の主張をただ一人否定したことなどは、一般にもよく知られており、時に触れて麻原の非現実的・非合理的な指示や、それに基づく違法行為に反対してきた。そのため、一般にも「麻原に対して唯一ノーといえる男」ともいわれる。
そのような上祐ではあったが、オウム真理教時代は、自著で述べる様々な精神的な要因による麻原とその教義への盲信のために、麻原に強く迫られると抗しきれずに、炭疽菌散布実験など、武装化計画にも一部荷担したことがあるし、サリン事件の後も教団を擁護する広報活動を行った。
しかし、他の幹部信者に比べて、自分の頭で考えて、その現実的・合理的な視点から、麻原に異論を述べることが多く、最終的に従う場合にも、他の幹部信者と違って二つ返事ではいかない性格のために、結果として、麻原に疎まれ、1994年にロシアに派遣されることになった(=日本から追い出された)ともいわれている。
ところが、1995年の麻原逮捕後は、現実として麻原の武力路線が破綻したため、上祐の中で、本来の合理的・合法的な傾向が強まり、麻原逮捕後に教団の運営を主導すると、現実的・合法的な方向に導いた(いわゆる上祐の「ソフト路線」と呼ばれる社会融和的な教団運営)。その一環として、麻原に要請して、信者にこれ以上の破壊活動を禁じる指示を出させ、出頭しない逃亡犯を教団は匿わない意思を明確にするために除名するなどした。
獄中の麻原は、その上祐の方針を破防法対策として、しばらく容認していたが、やはりついには嫌がることになり、上祐が1995年10月に国土利用計画法違反事件に絡む偽証の罪で逮捕されると、麻原は、上祐のとった路線を強く否定し、上祐に教団運営に関与しないように命じ、教団には、「上祐色を一切なくし、路線転換するように」と強く指示した。
また、1996年には、麻原は再び従来の予言を繰り返し、神のような身体(いわゆる「陽身」)を得るとして、死刑にならず復活することを示唆したため、その影響を受けた獄中の上祐は、一時的に再び麻原に対する盲信を深め、1996年の自らの公判などで、麻原への帰依を表明するなどした。
しかし、1997年以降に、麻原のハルマゲドン予言が外れ、さらには麻原が不規則発言や奇行を始めて連絡がなくなったことなどから、上祐の中で、再び麻原の相対化が進み始め、1999年末に出所するまでには、麻原の教えの危険性の一角を形成しているハルマゲドン予言は外れたと出家信者に明言するほどになっていた。
(2)Alephでの上祐の合理的・合法的運営に反発した松本家
1999年末に上祐は釈放され、教団に復帰した。2000年2月には、上祐が主導する形で、オウム真理教を改称したAleph(当時はアレフ。その後アーレフと改称しAlephに至るが、以下Alephで統一する)の体制を発足させた。
上祐の合理的・合法的性質は、Aleph体制に如実に反映されていた。麻原自身が裁判でも自分の事件への関与をほとんど認めず、獄中から予言や復活を説いていたために、上祐が復帰した教団の信者の中には、麻原の事件関与を認めず、その予言や復活を信じている者が少なくなかった。しかし、上祐は、麻原の一連の事件への関与を明言し、現実的な視点から麻原の予言や復活を否定し、麻原の死刑は不可避だと主張し、現実的な教団運営を主張した。
そして、破防法対策としても麻原が許可したことがないのに、教団内部の反発・反対を抑え込んで、2000年(平成12年)の2月に、麻原をはじめとする教団の事件への関与を公に認めて謝罪した。それとともに、教団の名称を「アレフ」と改名し、麻原の公の位置づけを、優れた瞑想家であるが、その事件は間違いとして相対化した新体制を敷いた。
さらに、これもまた破防法対策としても麻原が許可したことがないのに、教団内部の反発・反対を抑え込んで、被害者への賠償を開始し、同年7月には、被害者賠償契約を締結した(なお、上祐らの脱会後、Alephは被害者賠償契約の更改に応じず、被害者団体と裁判所で調停に至るも不調に終わっているが、それはそもそも被害者賠償契約の締結に対する麻原の指示・許可がないからである)。
さらに、教材においては、ヴァジラヤーナなどの危険な教義を廃止するだけでなく、これまた破防法対策としても麻原が許可したことがないのに、麻原を最終解脱者とする記載をなくし、特に2003年には、麻原を前面に出した従来の体制を弱める教団改革に着手した。
ところが、こうして進む改革に対して、麻原の教え・指示を絶対とする、麻原の妻(松本知子あらため明香里)や三女(松本麗華)が激しく反発するようになり、麻原の家族を全ての信者の上に置く麻原の指示を使うなどして、Aleph教団内で多数派工作を行った挙げ句、上祐を失脚させ、2003年6月以降、「修行入り」と称する軟禁状態に置き、一般信者から隔離した。
その上で、麻原の家族・松本家主導のもとで、教団は、麻原への絶対的帰依を強める方向へ「原点回帰」していった。
(3)A派(現Aleph)の麻原絶対視・違法性に反発したM派(上祐派・代表派)
そのような原点回帰・麻原絶対視は、自然と、教団の反社会的な性格を強め、団体活動の違法性を容認する傾向を帯びることになった。現に、松本家は、後述のように、上祐が教団に復帰した1999年末以降、上祐の軟禁後に至るまで、少なくとも以下の4つの事件において、明らかに違法または違法性の高い行動をした。
①2000年1月:旭村事件 麻原の長女と、次女・三女との間で争いが起き、次女・三女が長女の住居に不法侵入した容疑で逮捕された事件。このため、松本家は、表面上は教団運営から離れることになった。
②2000年7月:シガチョフ事件 ロシア人元オウム信者シガチョフが、武器を用いて麻原の奪還を計画した事件。それを知った三女が、シガチョフについて「帰依がある」と賞賛したため、シガチョフの犯行を心理的に後押しする結果を招いた。
③2004年~2006年:三女ら麻原家族の訴訟詐欺疑惑 和光大学から入学を拒否された三女は、自分は教団とは無関係であると嘘の主張をして、2004年に同大学に損害賠償請求訴訟を提起し、2006年2月に30万円の賠償金の支払いを得たが、この三女の行動は詐欺の可能性があるとして捜査当局が注視し、オウム事件の被害者の弁護士も批判した。 さらに、2006年4月には、次男の入学拒否に関して5000万円もの多額の賠償金を求めた訴訟を提起した。これが、この2006年4月前後に、合法的な教団運営を追及する上祐らが、Alephから脱会し、新団体を設立する必要性を議論する一つの理由となった。
④2004年9月:ケロヨン事件 Alephを脱会した、麻原への過激な個人崇拝を行う信者らのグループ・ケロヨンクラブが、他の信者を竹刀で叩く等の過激な修行を行った結果、信者を死に至らしめた傷害致死事件。 同事件発生直後、直ちに教団側に情報が入ったものの、松本家側は、事件を明るみにすることを極力避ける傾向にあり、逆に事件を明るみにした上祐等を批判した。このケロヨン事件の問題が、上祐が家族に強いられた幽閉から自分の意思で脱出し、2004年11月に、上祐派(M派)を形成する一つの理由となった。
⑤上祐に毒を盛る議論をした疑惑 2003年に、二ノ宮と麻原の家族の中で、上祐に毒を盛ることが議論されたことがある。その事実を上祐が知ったのも、ケロヨンと同じく、2014年に、上祐がM派を形成し始める少し前のことである。
上記①②は上祐軟禁前のことであるが、上記③④⑤は上祐の軟禁中に発生したことである。
こうした違法性の高い行動がまた繰り返されようとしていることに危機感を抱いた上祐や、上祐を支持する者達が、2004年11月に、M派(上祐派・代表派)を結成した。一方、そうした上祐らの行動を封じ込めようとする者達が、A派(反上祐派・三女アーチャリー〈三女の宗教名〉支持派)と呼ばれるようになり、激しく対立するようになっていった。
この両派の結成と対立については、2017年東京地裁判決も認定しているところである。
(4)両派対立の最大の争点「合理的・合法的な運営か、帰依と違法性の容認か」
この両派対立の最大の争点は、頭書の通り、①麻原の事件関与・刑死を直視し、その予言・復活を否定した現実的・合理的な視点による「合法的」な団体活動か、②麻原の事件関与を直視せず、国家権力による陰謀論(国家権力の陰謀によって無実の教団が陥れられたとの論)を保持し、麻原の予言・復活を信じて、麻原への絶対的な帰依(盲信)を保ち、違法性をも容認するか(違法か)ということであった。ある意味で、イスラム教(やキリスト教などで言われる)穏健派と原理主義派とよく似ている。
合法性に関して、さらに言えば、M派は、教団信者の違法行為を防止・排除するためならば、あえて警察とも協力するということであった。しかし、麻原は、警察・マスコミ・国家権力を強く敵視し、悪魔の手先と説いていたので、上祐は、麻原と同じく警察を敵視・悪魔視するA派からの激しい反発を招くことになり、「公安のスパイ」呼ばわりされるようになったのである。
M派は、麻原を盲信し、上記①~④のような明白な違法性を有するA派の団体運営に対して、強く異を唱えた。M派は、その主張内容を繰り返し文書にして、A派を含む教団内部に配布し、周知に努め、時にはA派に直接要請書を突きつける等の取り組みを行ったが、それらはいずれも、合法的な教団運営を第一に求める内容であった。
それは、決して言葉だけのものではなく、確たる行動をともなうものであった。
現に、上祐は、上記②のシガチョフ事件においては、情報を真っ先に日本とロシアの公安当局に伝え、シガチョフの逮捕に結びつけ、当局との共同作業によって、事件の早期解決を導いた。
上祐およびM派は、上記④のケロヨン事件においては、一度はケロヨン関係者によって事件の隠蔽が図られ、捜査当局も騙されていたところを、真っ先に公安当局に情報を提供し、事件を再捜査させ、関係者を出頭させる等して、当局との共同作業によって、事件の解決に貢献した。
上記①③については、M派はたびたび教団内で問題提起し、三女の行動を批判した。
以上のことから、M派の行動は、松本家率いるA派の違法な言動に対する抗議の念から生じていたもので、そのためならば国家権力・公安当局とも協同するものだったのである。
なお、合法的な活動を追求する上で、上祐らは、ハルマゲドンが起こって麻原がキリスト(王)になるという麻原の予言を完全に否定し、麻原の死刑による死を前提に活動した。これは本件観察処分で、麻原を武力行使により日本の専制君主とするオウム真理教の政治上の主義とされるものを完全に否定したものである。しかし、麻原自身は、獄中からも予言をし、麻原が神のような身体を得る(ゆえに死刑にならない)ことを示唆しており、上祐らはこれに逆らったことになる。
(5)識者も認める「教祖(麻原)を使った宗教の穏健化のプロセス」
なお、M派が教団運営の合法性・社会性を訴えて作成した当時(2005年・平成17年頃)の文書やブログには、「合法的な教団運営こそが麻原(グル)の意思である」旨が、繰り返し説かれ、「麻原の意思」が強調されている。
公安調査庁等は、こうした点をとらえて、「ひかりの輪」についても「麻原の意思」を実践することを「特定の共同目的」としていると主張しているのであるが、その見立ては完全に誤っている。
これは、一言で言えば、M派は、自分達が望む現実的・合理的・合法的な活動の実現のために、その主張に沿う麻原の発言を用いた(いわば利用した)にすぎない。
M派の主張を伝えたい相手であるA派や大多数のAleph信者は、麻原に対して強く帰依しており、その発言を金科玉条のごとく奉っていた。特に、麻原がすべての信者の上に置くとし、本来は上祐らが従わなければならない麻原の家族が、麻原を盲信しており、違法行為を容認する一面があった。そのような相手に対して、教団運営の合法性を訴え、教団を穏健化させることを説くためには、教祖・麻原の言葉を使うことが、現実として唯一の方法であった。
ただし、上祐らM派自身も、麻原の過ちやオウム事件を直視する勉強会を通じて、麻原を相対化して、麻原への絶対的な帰依は消失していたとは言え、その当時は、依然として麻原への一定の依存が残存していたために、自分達のためにも、麻原の言葉に頼らざるをえなかった面があることも事実である。
また、こうして現実的・合法的な路線のために、それを助ける麻原の言葉を用いたのであるが、麻原の教え・指示・言葉の全体をよく見るならば、そもそもの麻原の妄想的・非合法的な性格・性質のために、上祐らの麻原の言葉の使い方には無理な一面があり、しかも、麻原がすべての信者の上に置いた麻原の家族に従わなかった。そのため、麻原を絶対とし、その言葉通りの実践=麻原への絶対的な帰依をする者たち(A派)は、上祐らが麻原に帰依していない、(社会対策のために)麻原を隠しているのではなく、実質的に麻原を外して否定し相対化(グル外し・グル否定)しており、代わりに上祐がグルになろうとしているとされた。
しかし、こうした麻原の言葉を用いた行動は、あくまで麻原を相対化はしつつも一定の依存が残存していた初期の対応であり、その後は、2006年から2007年にかけて、麻原から完全に脱却する過程を歩み、2006年11月には、麻原への依存を完全に脱却するため、その教えと教材も全て破棄する決定をした。
上祐も、違法行為に繋がるような場合は、麻原の教えを文字通りに、言葉通りに解釈してはならないと明確に説き、それまでの麻原の危険な教えや指示を事実上、無に等しいものとし、麻原の絶対性を否定した。なお、原審の原告準備書面(1)・第5で詳述したように、麻原への絶対的帰依とは、まさに麻原の言葉通りに実践することであるから、これは上祐やM派が、麻原への絶対的帰依から離れていったことを物語っている。
そして、ついには、麻原を否定・批判し、麻原の言葉に頼る必要もなくなっていき、M派はAlephを脱会、「ひかりの輪」「ひかりの輪」の設立に至るのである。
以上のとおり、上祐及びM派、そして「ひかりの輪」がたどったプロセスは、
①麻原を否定せず、麻原の言葉を用いながら、麻原の危険な教えを排除して、信者・教団の違法行為を防止して、事実上、麻原を相対化する②違法行為に繋がる「麻原の言葉」に関しては、その言葉通りの実践を否定して、直接的に麻原への絶対的な帰依を否定して麻原を相対化し、違法行為を否定・防止し、③麻原を明確に全面的に否定・批判することで、違法行為を否定する
というものであった。
また、M派や「ひかりの輪」に生じたこのようなプロセスは、麻原の説法や言葉に限ったことではなく、その崇拝対象についても生じたのである。すなわち、オウム時代やAleph時代の初期は、崇拝対象は麻原だったものの、その後は、以下の順に変化していった。
①麻原を維持しつつも、麻原の絶対性をなくして相対化する(2006年までのAleph時代)②麻原を含めた特定の人物の絶対視を否定しながら、シヴァ神、大黒天、一般的な三仏を宗教的なシンボルとする(ここでのシンボルは崇拝対象とは異なる意味を持つ)(2007年の「ひかりの輪」発足から2013年頃まで)③特定の何者をも崇拝しない哲学教室へと改編(2014年の哲学教室への改編の開始から現在まで)
このように、過激な宗教が穏健化するプロセスとして、その初期においては、かつての絶対者・権威者の言葉や、それに関連する象徴を用いるなどして段階的に変化・変革し、最後には完全な脱却を果たすということは、一般的なものであり、さらに言えば、唯一現実的な過程ともいうことができる。
それは、キリスト教の過激派に自ら接し、イスラム過激派を含めた国際テロリズムの調査にあたった元公安調査官のN氏や、同じくキリスト教の反社会的・異端的勢力の歴史の研究にあたった宗教学者の大田俊寛氏の見解からも明らかであり、両氏とも、公安調査庁等の見解を早計・先入観であるとして、以下の通り、誤りと批判している。
◎元公安調査官・N氏の見解
◎宗教学者・大田博士の意見書
ところで、国は、上祐氏ら「ひかりの輪」の幹部が、Alephからの脱会直前に麻原の言葉を用いてAleph構成員に話をしていたことを根拠に、「ひかりの輪」にも麻原の教義を広める「特定の共同目的」があり、Alephと同一団体であると主張しています。 しかし、それらの事実を指して、「ひかりの輪」が麻原に帰依していると見るのは早計に感じます。 たとえば、キリスト教の教団の中には、神の命令に基づく「聖戦」を主張し、核戦争の到来を待望する過激派があります。いわゆるキリスト教過激派です。そのような彼らを穏健な方向に変わるよう説得するために、その信仰の土台となる用語--たとえばイエスや聖書の言葉を用いるのは、別段おかしなことではありません。それだからといって、説得する側が過激思想を有しているというわけではないのは当然です。
これは、そのようなキリスト教過激派にも接してきたことがある私自身の体験からも言うことができます。 国は、今いちど、上祐氏らの過去の発言について、先入観をなくして、その意図するところを一つ一つ慎重に調べ直す必要があると思います。 昨年9月の東京地裁判決は、その点について、十分に時間をかけて慎重に調べた結果として導き出されたものであると私は見ています。
加えて、しばらく前まで「ひかりの輪」は、「大黒天」や「三仏(釈迦・弥勒・観音)」を宗教的シンボルとして用いていたのだが、公安調査庁はこれらを、麻原彰晃に対する崇拝が形を変えて(偽装されて)維持されているものと見なした。確かに、このような解釈を引き寄せてしまう余地が少なからずあったとはいえ、「ひかりの輪」の宗教的見解の変遷をアレフ時代まで遡って時系列的に振り返ってみると、そうした主張もまた、事実を正確に捉えたものとはいい難い。
(中略)
2000年から「ひかりの輪」設立前年の2006年まで、上祐氏とその支持者(「代表派」や「M派」と呼ばれていた)のあいだでは、未だ麻原=シヴァ大神信仰の呪縛が強く残存しながらも、そこから離脱するための道が模索されることになる。2002年頃から教団では、現在も続く日本の「聖地巡礼」が開始されるのだが、宗形真紀子氏はその体験から、シヴァ神に対する理解が少しずつ変容していったということを記している。
(中略)
すなわち、シヴァ神信仰の世界的広がりや多様性を実感するにつれ、それを麻原崇拝や終末論に局限して理解する方法が次第に相対化されていった、ということになるだろうか。 上祐氏もまた、「聖地巡礼」の過程で、オウム時代とは異なる神観念を獲得していった。
(中略)
2009年には、オウム時代のヒンドゥー教的シヴァ神からの脱却の象徴、すなわち、「シヴァ神に由来しつつも、シヴァを降伏した仏教の護法神」という位置づけが与えられるようになる
(中略)
以上のような仕方で上祐氏は、「シヴァ神」や「弥勒菩薩(マイトレーヤ)」に対する意義づけを、オウムにおけるそれから根本的に更新していった。こうした一連の流れは、公安調査庁を始めとする外部の人間からは、オウム時代の信仰から依然として連続性を保つもの(「麻原隠し」)と見なされた一方、アレフの主流派からは、教団にとってもっとも重要な麻原への信仰を骨抜きにするもの(「麻原外し」)であると捉えられた。
(中略)
「ひかりの輪」の設立以降も、オウムからの完全な脱却を目指した改革は進められていった。その初期においては、上祐氏の体験したヴィジョンに基づき、「大黒天」や「弥勒菩薩」を含む諸神仏が信仰の対象とされたが、個人の神秘体験を過剰に重視するべきではないこと、神聖なものは外部の対象にではなく一人一人の心に存在していることが説かれるようになり、2013年12月に実施された基本理念の改訂においては、特定の崇拝対象を持たない「宗教哲学」的なスタンスで探求を行うこと、また、自己を絶対視せず、「未完の求道者」の心構えを持ち続けることが明記された。
(中略)
要約すれば、オウム時代以降の崇拝対象の変遷は、大枠として以下のように整理されるだろう。
麻原彰晃=シヴァ大神→ シヴァ神→ 大黒天や弥勒菩薩(三仏) → 崇拝対象は持たない
確かに外部の人間からすれば、オウムはあれほどの惨劇を引き起こしたのだから、どうして一挙に麻原信仰から抜け出せないのかと、苛立たしく感じられる点もあるかもしれない。しかしながら教団内においては、先述したように、麻原による終末予言の呪縛、陰謀論の残存、アレフ主流派の反発、宗教的求道心の迷走等の諸要因があり、麻原信仰からの脱却は現実には、暗中模索の状態で一歩一歩なされざるを得なかった。ゆえにわれわれは、経緯の一部を取り出して早急に判断するのではなく、それら一連の経緯の全体を視野に入れた上で、「ひかりの輪」の現状に対する評価や批判を行う必要があると思われる。
(6)2017年東京地裁判決も政治上の主義の消失と、M派とA派の帰依に対する解釈の違いを認めていること
なお、前記の通り、Aleph時代の早期において、上祐ら「ひかりの輪」(当時のM派)は、前記ないし後記2(40)記載の通り、麻原の予言・復活を信じず、その刑死を受け入れた講話や活動を繰り返しており、本件処分上の政治上の主義である、麻原を独裁的主権者とする政治上の主義の実現など全く考えておらず、麻原が主導した時代のオウム真理教と異なり、無差別大量殺人行為を繰り返す目的・動機が消失しており、それゆえに危険性が消失していたことは明白である。この点に鑑み、2017年東京地裁判決も、
(一連の事件の原因となった)本件の政治上の主義についても、両サリン事件当時には、これがオウム真理教の教義と密接不可分に結びついていたとしても、松本が死刑確定者として長期にわたり収容されている本件更新決定時においても、なおオウム真理教の教義と密接不可分に結びついているとは言い難い。仮に同時点において、本件政治上の主義が存続しているとしても、松本を王ないし独裁者とする祭政一致の専制国家体制を構築するために構成員がどのような行動をとるのかは不明確と言わざるを得ない。そうすると、仮に、原告(ひかりの輪)が、オウム真理教の教義を広め、これを実現する目的を有するものと認められたとしても、そのことから直ちに本件更新決定時における原告とAlephが一つの組織体ないし団体と認められるということはできず(後略)(p94~95)
と述べて、本団体全体においても、無差別大量殺人行為に至る危険性が漸減していることを判示し、さらには構成員によって行動が異なること(例えば当時のM派とA派)を示唆しているのであるから、ましてや「ひかりの輪」においては、その危険性が完全に消失していることは明らかである。
また、2017年東京地裁判決は、初期において現実的・合法的な教団の実現のために麻原の言葉を用いる中で麻原への帰依を表現していたM派と、麻原が説いた通りに麻原への帰依を解釈して麻原の言葉を文字通り実践し違法行為をも容認するA派では、麻原への帰依の解釈が異なり、そのために取る行動が異なってくることを認め、以下のように述べている。
団体において無差別大量殺人行為に及ぶ危険性を内包するものとしても、個々の構成員が行う団体としての行動を一義的に特定する程度に具体的で明確であるとは認めがたい。むしろ、原告が設立される前のAleph内においても、どのような団体運営が松本に対する真の帰依であるかについて上祐派とA派の対立があったのであり、松本に対する絶対的な帰依というオウム真理教の教義の本質的部分でさえ、多義的であり、個々の構成員によって異なる解釈が存在するものであるから、これが構成員としての行動として具現化されるには、組織体として独自の意思を決定し得ることが前提とならざるを得ない。(p94)
(7)まとめ
以上のとおり、上祐及びM派は、初期は、麻原の言葉を用いながら、違法性のない教団運営を実現しながら、徐々に麻原を相対化して、最後には麻原を否定・批判し、麻原・オウムの違法性を完全に否定するに至ったことが、全体を通して見れば、明らかとなるのである。
よって、ある一時期における上祐及びM派の「言葉のみ」をいたずらにとらえて、「ひかりの輪」がAlephと一体となって「麻原の意思」を実現しようとしているという公安調査庁の主張は失当なのである。
一方、上祐及びM派の「実際の行動」を見るならば、公安調査庁等の主張とは正反対に、「ひかりの輪」は、違法行為に関しては、麻原に準ずる存在である松本家の者さえ批判し、公安当局に通報・告発することはおろか、時には協同捜査さえして、信者の違法行為を封じ込め、逮捕・受刑に追い込むことを繰り返してきた。麻原時代の教団から見れば、教団側ではなく、国家・社会側の立場に立って行動してきたために、A派からは「公安のスパイ」とまで噂される状態になったという、揺るがぬ事実が存在する。そして、それは、今後も同様であることが明らかである
。
それを証明するために、以下に、時系列を追って、上祐及びM派の言動を見ていくこととする。【2】オウム脱却から「ひかりの輪」設立の経緯(時系列) (2019年2月28日)
前の記事に引き続き、ひかりの輪が観察処分取り消しを求めて裁判所に提出した書類を、以下に掲載します(読みやすさやプライバシー等を考慮して、一部、削除したり伏字にしたりしている箇所があります)。
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【2】オウム脱却から「ひかりの輪」設立の経緯2,上祐及びM派(上祐派・代表派)の時系列別言動
(1)1989年8月頃 上祐が、麻原はじめオウム真理教の衆院選出馬に反対。
衆議院選挙に出るという麻原の発言を受けて、選挙の是非を話し合う高弟(幹部信者)たちの会議が開かれ、ほとんどの弟子たちが麻原の考えに賛成した。だが、上祐は反対した。反対したのは、ほかには一人だけだった。上祐が反対したのは、到底選挙に勝てるとは思えなかったからである。こうしたこともあって、上祐は教団内から、「自分の考えが強すぎる。修行を進めるには、自分の考えを捨て、グル(=麻原)に帰依することが必要だ」と批判されることが少なくなかった。
1990年2月に衆院選が公示され、教団からは麻原と上祐ら計25人が立候補した。同月18日に投開票され、25人全員が落選した。結果は、惨敗だった。
これに対して、麻原は出家信者多数を集め、富士山の総本部道場で選挙を総括する会合を開いた。麻原はその場で、次のような主旨だと解釈できる講話をした。「選挙の敗北は、選挙管理委員会による開票操作の陰謀だ。合法的な活動では、救済はできないことが明らかになった。ヴァジラヤーナ(テロ活動)が唯一の救済の選択だ」
この時点で、一般信者には「ヴァジラヤーナ」のことは知らされていないので、麻原の説法は抽象的な表現で行われたのだが、上祐には麻原が言っている意味がわかった。
これを聞いた上祐は納得できず、投開票の当日、部下の信者に指示し、出口調査を行った。100人以上の回答を得たが、麻原に投票した人は、一人もいなかった。そこで、上祐は麻原と大勢の信者の前で、この調査結果を説明した。「調査結果からも今回の選挙の敗北は、陰謀だとは思えない」
この発言は当然、教団内で大きな波紋を呼んだ。上祐は意見を聞かれて、率直に自分の意見を言ったつもりだったが、麻原に帰依することが最重要とされる教団で、教祖と高弟の意見が真っ向から食い違った形になったからである。上祐の意見に賛成したのは、一般信者でたった一人だけだった。ほかの高弟たちは、陰謀説を支持するか、黙っているかであった。
この事実は、上祐著『オウム事件 17年目の告白』に詳細が述べられているが、有田芳生氏(オウム専門のジャーナリスト・参議院議員)が、当時の教団内部の議論の録音テープからも、以下の通り確認している。有田:ただ、私は地下鉄サリン事件当時、麻原の指示に反対する上祐さんの声を聞いたことがあるんです。教団施設が警察の強制捜査を受けた際、私も現場に足を運んだのですが、上九一色村の倉庫に、大量のカセットテープが散乱していた。その中から、'90年の総選挙に出馬すべきかどうかという教団内部の議論の様子を録音したものを見つけたんです。そこに、選挙に出ることに反対する上祐さんの声が収められていた。(『週刊SPA!』2012年12月18日号より)
また、当時の議論の現場に居た幹部の野田成人も、以下の通り証言している。そんな状況下で、ただ一人だけ陰謀説に異を唱えた人物がいる。当時正悟師の上祐だ。教祖が多数の信者を前にして「票のすり替えが行われた」と話す中、上祐は「自分独自の電話調査では、麻原彰晃に投票すると言った有権者は、100名中誰もいなかった」と反論した。200人以上の信者面前での反駁である。その時、場の雰囲気が凍りついたのを覚えている。(野田のブログ及び著書より)
以上のことからも、上祐は、この頃からすでに、現実的・合理的な思考に基づく独立心が強く、「自分の考え」を強く持ち、陰謀論を唱える麻原に帰依しきれない傾向を持っていたことを示している。
なお、上祐が、選挙の投票操作の陰謀論を否定したことは、間接的に、教団が武装化路線に集中することに反対する意味もあって重要であった。なぜならば、麻原は、選挙等による民主的・合法的な布教(マハーヤーナ路線)と、教団武装化(ヴァジラヤーナ路線)の二つを行いながら、この陰謀論によって、以下のように述べて、マハーヤーナを否定して、ヴァジラヤーナ路線に集中するように教団を導き、実際にそうしたからである。「今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗、で、何が惨敗なのかというと、それは社会に負けたと。(略)つまり、選挙管理委員会を含めた大がかりなトリックがあったんじゃないか」「今の世の中はマハーヤーナ(合法的路線)では救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナ(武装化路線)でいく」
(2)1989年9月 上祐が、麻原の毎日新聞社爆破計画や教団の敵対者のポア(殺害)に反対し、坂本弁護士事件の疑惑にも不満を呈する。
衆院選出馬にともない、教団が次第に社会の注目を集めるようになるとともに、一部マスコミが教団批判を始めるようになった。そのスタートを本格的に切ったのが、週刊誌『サンデー毎日』だった。
同誌は9月上旬から、教団批判のキャンペーン記事を連載した。これに対する麻原の反応は苛烈なもので、村井と相談するなどして毎日新聞社ビルを爆破するための下見をさせるなどしたことが、麻原への東京地裁判決で認定されているが、この計画を知った上祐は、麻原に対して、強く反対を訴えたのである。当時の教団幹部・野田成人も次のように述べている。「尊師!これは人殺しです、不殺生戒に反します、教団が潰れます!」などと言えた人間は当時誰もいなかった。いや一人だけ可能性あるやつがいた、それは上祐だ。上祐は、「毎日新聞社にガソリンを積んたタンクローリーで突っ込むか」と麻原が言った時に「止めてください」と止めたことがある。(同氏のツイッターより)
また、坂本弁護士事件の前にも、教団の敵対者をポア(殺害)することに関して、強く反対し、自分が関知しないところ起きた坂本弁護士事件の疑惑に対しても、麻原に不満を表している。
麻原から(坂本の名前は出さずに)教団に批判的な存在をポア(殺害)することについて一度意見を求められた際に強く反対しており、そのため、坂本弁護士の殺害に関しては、同じく反対していた石井久子や上祐を除いて、麻原は殺害を謀議、坂本堤弁護士一家殺害事件を起こす。暴力行為ではなく自らの広報活動によって批判による影響を和らげるべきだと考えていた上祐は、教団が起こした事件だと察した際には不満を感じ麻原に電話するも、逆に事件を正当化するよう説得された。
(3)1990年 上祐が、麻原による熊本地検襲撃の発言に反対し、麻原の教団武装化計画に対して協力するも、葛藤が強かったこと。
1990年の国土法違反事件(熊本県波野村の不正土地売買)のときのこと、事件に関与した麻原の高弟たちに加え、一番弟子の石井久子まで逮捕されたとき、上祐は麻原と2人で麻原の自室にいた。麻原がいきなり、「こんなに弟子たちがやられて、熊本地検に重油を積んだトラックで突っ込んでやろうか」と叫んだ。驚いた上祐は、思わず相手がグルであることを忘れ、叫んだ。「それはダメですよ! そんなことしたら教団が潰れてしまいます。逮捕されている者たちは、みんな辛抱しているんですよ!!」
最終解脱者で、「神の化身」である麻原に対して怒鳴ったのである。それを聞いた麻原は、不思議な反応を示した。数秒、呆然とした表情をしたあと、「そうだ、そうだ。お前の言うとおりだ」
と嬉しそうに言った。
麻原に(弟子が)怒鳴ることも、その後の麻原の言動も異例だった。
また、上祐は、麻原が強い意志で進めた教団武装化計画に対しても、そもそもは否定的であり、この事実は、当時の教団内部での麻原や上祐らの高弟の会話の録音などから報道機関によって確認されている。
しかし、当時は麻原に対する盲信が強かったために、炭疽菌製造実験にはまとめ役として協力するに至っている。しかし、その経緯には、「1993年1月(亀戸異臭事件の前)に行われた以後のテロ活動に関する謀議では、参加はしていたものの肯定的でなかったことから麻原に叱責を受けたという」といった麻原の強い働きかけがあった結果であり、本人の内面での葛藤は強かった。
以上のことからも、この頃から上祐は、結果としては麻原への帰依を続けながらも、本来的・本質的には、違法行為をするヴァジラヤーナの活動に対して否定的であり、その点では麻原に反抗する傾向を持っていたことが明らかである。
(4)1995~1999年 一連の事件の発覚・麻原の逮捕と変調・予言の不的中などの結果、紆余曲折を経て、上祐が、麻原を相対化し始めた。
1995年に一連のオウム事件が発覚して麻原が逮捕され、現実として麻原の武力路線が破綻したため、上祐の中で、本来の合理的・合法的な傾向が再び強まり、緊急対策本部長として、教団の運営を主導すると、現実的・合法的な方向に教団を導こうとした(いわゆる上祐の「ソフト路線」と呼ばれる社会融和的な教団運営)。
その一環として、麻原に要請して、信者にこれ以上の破壊活動を禁じる指示を出させ、出頭しない逃亡犯を教団は匿わない意思を明確にするために除名するなどした。
獄中の麻原は、その上祐の方針を破防法対策として、しばらく容認していたが、やはりついには嫌われることとなり、1995年10月に国土利用計画法違反事件に絡む偽証の罪で上祐が逮捕されると、麻原は獄中から上祐のとった路線を強く否定し、上祐に教団運営に関与しないように命じ、教団に上祐色を一切なくし、路線転換するように強く指示した。
また、1996年には、麻原は再び従来の予言を繰り返し、神のような身体(いわゆる「陽身」)を得るとして、死刑にならず復活することを示唆したため、その影響を受けた獄中の上祐は、一時的に再び麻原に対する盲信を深め、1996年の自らの公判などで、麻原への帰依を表明するなどした。
しかし、1997年以降に、麻原のハルマゲドン予言が外れ、さらには麻原が不規則発言や奇行を始めて連絡がなくなったため、上祐の中で、様々な葛藤をしながらも、再び麻原の相対化が進み始めた。そして、この時期の葛藤・心境の変化について、上祐は、国土法違反に関わる偽証の罪で服役中に、自らの考えや心境をノートに記していた(いわゆる獄中ノート)。
公安調査庁等は、この獄中ノートの記載をもって、上祐が当時から「麻原隠し」を企図していたかのごとく主張するが、それは事実に反する。実際、このノートは全て刑務官が検閲するものであり、秘密ノートではない。さらには、麻原の予言が当たらないことから、麻原への疑念を膨らませていった上祐は、実際に、この獄中ノートに麻原への絶対的な帰依などを否定する内容を多く記載しているのである。それは以下の通りである。「麻原を尊重しつつ、(中略)絶対化、唯一化しない(中略)ことも時と共に必要になってくるだろう」「尊師・神々への帰依の否定」「Vヤーナ的教義に関する全情報をシャットアウトすべし(中略)Vヤーナ関係の書籍は廃すしかない」「グル=予言絶対主義から脱却 予言を待つより、自分達で布教すべきである。オウムは進化すべきではないか。」「人間中心、地球生物中心でなく、解脱中心(信仰者中心主義)尊師~95の体制の欠点は、①尊師と弟子のつながりだけでなく②弟子と弟子のつながりの悪さである→ 噴出した。」「組織運営上、独裁権の欠如は良いところがある。オレについて来いではなく大義のために進もう ※ 尊師のケースはこの良さはなかった」
また、当時この上祐ノートを読んだA派の荒木浩は、後に上祐を糾弾するお話会でこの上祐ノートは麻原の死後のことも想定した検討がなされ麻原への帰依に反するとんでもないこととして、徹底批判を行っている。
こうして、獄中ノートの実態は、上祐が、麻原への帰依と否定の中で葛藤しながら、徐々に麻原・オウムの体制を相対化していくプロセスを表していると見るのが合理的である。ところが、公安調査庁等は、獄中ノートはそもそも刑務官が全てその内容を検査するものであるにもかかわらず、このノートの記載が、当局に対して密かに麻原の信仰を隠す団体を構想している証拠だとし、麻原を肯定する部分は上祐の本心の帰依を表し、麻原を否定する部分は仮装であると決めつけている。これが不合理であることは明らかである。
加えて、上祐は、1998年6月に、当時の教団広報担当に送った手紙の中で、破壊活動を行う意思がないことを明確にしている。「又、自分のことが一部報道で言われていたが、私自身も全くそうした事はするつもりはない。(中略)仮に、「尊師に指示されたら?」と言われても、どんな状況にあっても私も誰も破壊活動をすることは絶対にない。」「どんな状況にあっても破壊活動はしない」等と述べている。
(5)1998年 上祐が、獄中から教団に事件の謝罪表明・被害者賠償を勧める。
上祐は、オウム真理教事件の被害者に対して、教団が賠償金を支払うべきだと考え、獄中から教団に対して、繰り返しその意思を伝えた。しかし、それまでに獄中の麻原が被害者賠償を認めたことはない(公安調査庁等が主張するように破産手続に抗うなという指示以上のものはない)。
そのことは、以下の通り、前記教団幹部の野田が、著書やブログで明らかにしている。① 1998年頃、上祐から「パソコン事業で稼いだお金は被害者の賠償に充てたらいい」と提案があった
1998年頃、上祐は獄中から、「パソコン事業で稼いだお金は、被害者の賠償に回したらいいのではないか」と提案してきました。(中略)まだこの時点では、私を含めた多くの幹部は、教団の真理と正当性を固く信じていましたし、予言が成就するであろうという確信から、事件に関する謝罪や賠償はおろか、その意味合いを深く検討することさえも避けていたのです。教団の独善的な考えで正当化していたわけです。
② 1998年頃、パソコン事業の活性化を知った上祐は獄中から「パソコン事業で儲けたお金を被害者賠償に充てたらいい」と進めてきました。しかし私は麻原の予言を信じていましたから、一切耳を貸しませんでした。00年までオウムの金庫番として、被害者賠償に最も強硬に反対し続けていったのです。
③ 1998年頃、上祐から事件の謝罪反省を「教団として見解を出すべき」と伝えた そもそも事件の謝罪反省については、上祐氏が98年頃獄中から「教団として見解を出すべき」と伝えてきました。二ノ宮正悟師などはその上祐氏の見解に即座に賛成表明していました。しかし98年時点で教団見解発表とならなかったのは、まだ小生含めて複数の幹部が全く反省していない事情があったのです。一番腰が重かったのは小生であったと言っても過言ではありません。
④1998年頃、上祐から「儲けたお金を被害者賠償に充てたら」と勧められた
上祐氏は98年頃、獄中から「儲けたお金を被害者賠償に充てたら」と勧めてきましたが、私は耳を貸しませんでした。00年までオウムの金庫番として賠償に最も強硬に反対し、不動産などを購入しました。【3】新団体の理念を説いた2007年以降の上祐の講話等の概要 (2019年2月28日)
前の記事に引き続き、ひかりの輪が観察処分取り消しを求めて裁判所に提出した書類を、以下に掲載します(読みやすさやプライバシー等を考慮して、一部、削除したり伏字にしたりしている箇所があります)。------------------------------------------------------------------------
【3】新団体の理念を説いた2007年以降の上祐の講話等の概要
上祐らは、2007年(平成19)年3月にAlephを脱会し、同年5月に被控訴人「ひかりの輪」を発足させたが、その前後に、上祐は、各地での多数の説法で、オウム事件及びテロ・犯罪を否定し、麻原をはじめとする個人崇拝及び絶対的帰依を否定し、オウム・Alephに対する全般的な批判をし、当時の被控訴人の象徴物・シンボル(三仏など)は麻原とは違うことを含め、麻原・オウム信仰から脱却して辿り着いた新しい思想を述べており、麻原オウム信仰から脱却していることがよく分かる内容となっている。この点、控訴人は、上祐の説法の一部を抜き取って、全体の趣旨を歪めて証拠にすることが多いが、説法全体を見るならば、上祐・被控訴人の脱麻原・麻原否定の真実が明らかとなる。そこで、上祐の2007年前後の各地での説法やメッセージの引用集(※下記参照)を(引用前の原本と共に)証拠提出する。
さらに、加えて、2007年前後から現在2018年に至るまでの上祐の特別教本などの内部向け教材からの引用も、原本と共に証拠提出する。
最後に、以上の被控訴人の発足までの経緯は、被控訴人が2008年に作成した観察処分取消請求書にも、そのさらなる詳細を示した通りである。
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※提出した証拠(上祐の2007年前後の各地での説法やメッセージの引用集)
麻原・オウム・アレフとその教えを否定する
上祐の説法・特別教本等からの抜粋
目次
(1) オウム事件及びテロ・犯罪の否定・・・ p2
(2) 麻原をはじめとする個人崇拝及び絶対的帰依の否定・・・p12
(3) オウム・アレフに対する批判・・・p35
(4) 三仏と麻原は違うこと・・・p45
ひかりの輪
2018年2月14日
(1)オウム事件及びテロ・犯罪の否定
①2007年3月4日・東京での講話(甲140)
・P15
◎終末予言を外界の戦いととらえず、自分の心の中の善と悪の戦いを解釈すべきである
「しかし、われわれが光の神の側に立って、そして、社会は闇の側であって、だから社会を壊さなきゃならないとか、社会をかえ、に打ち勝たなければならないとなったならば、それは全く違う意味を持つというふうに思うんです。
ですから、そういった善と悪の戦いが心の中の戦いなのか、外界の社会における戦いなのか、これに関して取り違えたらば、それは旧教団のようになるし、取り違えないならば最高の教えにもなるという意味で、ゾロアスター教や、それからキリスト教のヨハネ黙示録や、カーラチァクラ・タントラのシャンバラ預言ですね、そういった善と悪の戦いを説いている法則自体が悪いんではなくって、それを解釈する側が、それを心の中の戦いと思うか、外側の戦いと錯覚してしまうかに問題があるんだというふうに、正確には言うことができると思います。」
②2007年3月25日・東京での講話(甲142)
・P26
◎オウムの失敗の過去を未来の教訓としたい
「過去の失敗を一つの糧にして我々が新しい世代を吸収するということは、新しい世代に共産主義や、オウム真理教や、大日本帝国と同じ間違いをさせない智慧を与えながらそのエネルギーをいい方向に使うという意味があるんだろうなあと思います。(中略)オウム真理教にしても、多くの若者を惹きつけ、一定の世間の評価を得たあと、どんどん突っ込んでいくのは、そこに何かの知恵が欠けていたんだろうと、明治維新以来の知恵無き力による繰り返してくる、この日本の思想が、初めて智恵を伴った力となって世界に貢献できるかというのが今後の新団体の意味だと思います。(中略)二元的な思想に共産主義の学生や、オウム真理教の若者が巻き込まれたようなことをしないような形で、我々の経験と若い力を合わせて導いていくという延長上に、その21世紀の最大の問題という宗教テロリズムの解決と、これはもちろんあるわけです」
③2007年5月5日・東京での講話(甲146)
・P3~5
◎自己の宗教を他に強いて争うこと、軍事力・ヴァジラヤーナ的な活動はいけない
「宗教は、今までの人類の歴史を見ても旧教団を見ても、自己の真理というものを世界に広め、それによって世界をすべるという視点から、自己の教義を強いて、そして、その障害に対して争うという傾向があったと思います。それに対して我々はどのように変えていけばいいのか、どういった心構えで変えていけばいいのかということは、それは、信じて待つ以外にはないのではないかな、そういうふうに思います。(中略)旧団体においては(中略)その手段としてそれが為に強いて争うということをしてはいけなかったのではないかと自分は思っているわけです。また歴史を振り返りますと、いわゆるキリスト教が植民地侵略をしたときに、キリスト教の牧師は、植民地侵略をする軍隊とともに、それが神の明白なる天命であるということで、いわゆる、客観的にいうと侵略戦争に同行した形になりました。
(中略)力を持って選別する、排除するという考え方は、アフガニスタンを経てイラクに至って、今現在アメリカの国内においても支持を受けていないという現実、これからも深く学ぶことができますし、それは当然、旧教団が行ったシャンバラ化計画の中で、力をもって、軍事力をもってヴァジラヤーナ的な活動によって理想郷を実現しようという考え方も似ているのではないかなと思います。(中略)力を行使する、暴力を行使して問題が解決するかどうかということについては、それこそが旧団体の一連の事件や最近のテロ事件の全体を見て、我々が学ぶべき、学ばなければならない、一番重要な教訓なんだろうなあと思うわけです。」
④2007年5月20日・大阪での講話(甲147)
・P18
◎社会を壊すことを否定する
「教団と、宗教と社会との関係は敵対的になる、宗教が社会を壊すような部分がある、これも出てくる。ないしは他宗派を壊すというような部分も出てくる。これを我々は否定したわけです。」
・P21~P22
◎力を行使することはしない
「(中略)それを力ずくでやろうとしたら結果どうなるかというと、自分も同じ穴の狢になってしまうのではないかという部分に気付かなければならないということです。力を行使すれば力を行使されますから、そこには闘争の血みどろの世界が生じて、結局目的を果たすのではなくて、やはり殺し合いを増やしてしまう、闘争を増やしてしまうのではないかということです。」
・P23~24
◎ヴァジラヤーナ活動は間違い、賠償と松本の教材の破棄は徹底し、協力しなければ除名する
「一連のヴァジュラヤーナ活動というのは間違いであったという点は鮮明に認めながらも、だからといって社会が今後私たちのような消費主義や物質主義を超越しようとするような団体や宗教が必要でないというわけではないんだということは、やはり主張し続けなければならない。
(中略)過去の一連の事件のような手段は全く間違っていると思いますので、賠償の継続や松本氏の教材の破棄は徹底してやって、それに協力しない人は除名します。」
⑤2007年5月26日・名古屋での講話(甲148)
・P10
◎他を力ずくで変えようとすることは善悪二元論
「旧教団も、その巨悪っていうのを認識して、社会を悪と見て、自分たちを善と見た段階で、どういった問題がおこったか。それは、力ずくで変えようとしても変えられないようなものに対する闘争、これを実行しようとしたっていうふうに、総括することができる。そういった形で大きな悪、これを見たときに、それを自分と区別して力ずくで変えようとする場合、いや力ずくで変えようと発想すること自体が、こういった善悪二元論に基づいたものの可能性がある、ということです。(中略)新団体が説く社会の融和っていうのは、社会を力ずくでは変えません。社会と敵対して、破壊して、それで、社会を変えようとか、自分たちの思想を実現しようとすることはありません」
・P15
◎麻原の予言は無知、現実をありのままに見ていない
「旧団体というのは、(中略)20世紀の末に1990年代に、ハルマゲドンが起こって、キリストが登場して、そういう国が生じるんだ、そういったものの考え方をうみました。これは先ほどの考え方からすれば、無智ですね。現状をありのままに見ていない。でそれを実現するために自分たちの教団を武装化しようとした。それによって解決しようとした。これも同じく無智になると思う。」
⑥「上祐史浩からのメッセージ2007」(甲168)より
(※アレフ脱会直前に書いた、アレフの問題点を指摘する内容)
・P11
◎社会の誤解だけでなく、自分達側の問題を謙虚に考えるべき
「こうして、外部社会が、元代表の指示がなくても、同じような事件を起こす可能性がある、と考えることについては、単に社会が誤解している、とばかりに考えると、問題はなかなか解決しません。
それは、私たちのカルマであり、そう思わせる要因が、自分たち側にあるのではないか、と謙虚に考えることが、自分たちの将来の問題を解消し、かつ、社会の不安を除去する道だと思います。」
・P13~14
◎生き返らせることが出来ない麻原のポアは間違い
「ナローパは、「生き返らせることができる能力がなければ、人の生命を奪うことはしてはならない」と説いている、と言います。(中略)もし、殺しても、生き返らせることができるならば、実質上は殺してはいないことになりますし、(中略)生き返らせることができないのに、他の生命を奪えば、その直接の被害者に加えて、社会秩序が乱れ、犯罪が増大する結果を招くでしょう。この点に関して、教団では、元代表はポワをすることができるから、他の生命を奪っても良いのである、という考え方をしてきた人がいると思います。(中略)グルがポワできるだけで、生き返らせることができないのに、他の生命を奪って良いという法則があるか、ということが問題です。」
・p14~31
◎オウムのヴァジラヤーナの五仏の法則の解釈は間違い
「(中略)私たちが、グルの指示で、人の生命を奪ってよい、という理由はない、と考えるべきではないでしょうか。(中略)一連の事件を肯定するように解釈された密教の法則として、ヴァジラヤーナ五仏の法則があります。(中略)法王は、密教の経典の中には、「文字どおりに受けとめるべきではない教えがある」と説いています。そして、これに、五仏の法則が含まれるのです。」
(中略)武力で仏教が滅ぼされる、という時代においては、いかに不殺生を説く仏教であっても、イスラム教徒と戦うことが、現代的にいえば正当防衛であり自然なことだった、という解釈が成り立つと思います。しかし、そのような時代ではなく、自分たちを現実として滅ぼす軍事的な勢力がいない状況下において、同じ法則を当てはめるならば、これは大変なことになるのではないでしょうか。
(中略)自分の帰依の修行のために、他の人の生命を奪って良い」と考えることは、それ自体が、客観的に見れば、非常に自分勝手な行為であり、自分が特別であり、何か特権を有する、と錯覚している者たちの行為、ということができるでしょう。
(中略)元代表(麻原)や旧教団(Aleph)には、人を殺すまでのことを正当化する根拠はない、と思います。」
※脱会直後のため麻原を元代表、Alephを旧教団と呼んでいる。
⑦「上祐代表書き下ろし講話集① 2007年」(甲169)より
・p3
◎オウムはテロ組織であったことを懺悔して、反省して生まれ変わるべき
「私たちは、客観的に見れば、まぎれもなく宗教的なテロ組織でした。それを懺悔して、新たに生まれ変わる、ということ。宗教は、自己の絶対性を生命線としがちです。また、テロリストが反省して、変わる、ということも極めてまれです。その意味で、私たちは、生きながら、一度死んで、生まれ変わろう、としています。」
・p4
◎麻原とオウムを乗り越える新しい思想を目指す
「私たちの過去には、乗り越えるべき、松本氏、旧教団の一連の事件があります。(中略)その元代表と旧教団の私たちは、多くの人を傷つけてしまいました。そして、今も、世界で、様々な宗教的な対立で、血が流れています。この宗教のはらむ矛盾を乗り越えた、新しい宗教、思想を創る。これが、私たち、新団体が目指す、理想の一つです。」
・p21
「私は、地下鉄サリン事件の起こした波が、ついには世界全体に広がっていた、と感じています。そして、2007年になった今は、教団の起こしたサリン事件などの余波が、イスラム原理主義のテロだけでなく、それを受けた、アメリカの対テロ戦争にさえも、影響を及ぼしていったようにも、感じています。それは、アメリカのイラク戦争の結果を見て思いました。」
・p22~47
◎オウムの事件は、善悪二元論の教義に一因があると総括して、それを乗り越えるべき
「旧教団と日本社会の関係において、旧教団は、そのテロ事件によって、日本社会を善悪二元論に巻き込んでしまったのではないか、と私は思います。(中略)その意味で、旧教団の強烈な善悪二元論が、その大事件によって、日本社会から世界全体まで、その善悪二元論に巻き込んでしまい、闘争・紛争を増大させてしまった面がある、と思います。
(中略)私たちは、旧教団の事件が、その宗教教義に一因があったということを深く受け止め、オウム真理教の宗教教義の総括だけでなく、カルト教団を宗教的な構造から、従来の宗教全般にわたる問題までを分析・検討して、そういった従来型の宗教を乗り越えた新しい宗教ないしは思想を実践しようとしています。
(中略)自分たちの宗教が絶対となると、他の宗教や無宗教の人を否定する結果となり、それが著しくなると、自分たちの宗教を他に強制し、他の宗教や無宗教の人との争いが生じる。しかし、本質的に、人の心は強制によっては変化せず、強制的な行為は、長期的には破綻する。
(中略)ひかりの輪が目指すところは、一連の事件に行き着いたオウム真理教のものとは違い、オウム真理教の経験を教訓とし、かつ、今の新しい時代に合わせた新しい展開です。
(中略)宗教が、「これしかない」という固定観念や、それに基づく他の排除や闘争を続けるならば、科学が進む21世紀において、ますます宗教に対する否定的な見方が広まるでしょうから、それを乗り越える必要があると思います。」
⑧2008年5月25日・東京での講話(甲164)
・P16
◎本来は武力行使に走る麻原を対決するために警視庁に飛び込むべきだった
「しかしながら、一教団がそれを武力をもって行なうっていうようなことは、自分としては合理に考えると、それは、狂信的ではないかというふに思いました。それは失敗するんじゃないかと。しかしながらあの当時はもと教祖の絶対性を信じていたというか、そういったことがあって自分にはそれが完全に否定することが出来なかったんですね。(中略)これは私のエゴだと思います。で、本来ここでなすべき正常な行動は要するに教団を飛び出して警視庁に飛び込み、そして松本氏と雌雄を決するってことだった。」
⑨2008年3月23日・大阪での講話(甲160)
・P13~22
◎オウムのポアや自爆テロなどの宗教テロリズムから脱却すべき
「たとえばオウム真理教では、来世がある、だから今生を殺してしまっても来世を幸福にすればいいのだ、そういったことでポアを行いました。(中略)来世という話が中心に来て、絶対になってしまっているから、輪廻転生、来世の思想の奴隷になってしまって、それによって自分が幸福になる、悪業を為さないようにするのではなくて、ポアをしたり、他人が迷惑を被ったとしてもある特定の人物に帰依したり、または自爆テロをやって天界に行こうとする、そういったこともあるわけです。
(中略)そして宗教の害悪が、テロリズムやその他で、または民族紛争で、起こっているこの時代の中で、宗教が脱皮しなかったら、21世紀以降に宗教というのは若者からはだんだん見捨てられ、そして国際紛争の原因ばかりになって、何か依存性の強い中毒性の強い人たちが寄り集まる、なんと言うか、手に負えない集団の、象徴のようになってしまうかもしれません。」
⑩「上祐代表書き下ろし講話集② 2008年」(甲170)より
・P3~13
◎オウムの独善的な教義の苦い教訓に基づいて、それを越えていくべき
「それは、脱会したオウム真理教において、自分たちの教団がキリストの教団であり、唯一絶対のものである、という考え方によって、社会や他の宗教と対立し て、一連の事件が起こったという苦い教訓に基づいています
(中略)ひかりの輪は、去年発足の際に、教団と社会を区別する善悪二元論を超え、更には、宗教・宗派の対立や戦争、人類と自然の対立という地球環境の問題を超え る、21世の新しい宗教・思想を創造するという目標を掲げました。」
・P31
◎自分たちが最高で唯一絶対という考えはオウムを破綻させた間違った考えである
「自分の宗教が最高であるから、ないしは、唯一絶対であるから、すべての人が、自分の宗教に入るべきであると考えたり、強弁したりすることは、果たしてどうかと考えます。そう考えるが故に、宗教の間には、延々と闘争が続いてきたように思いますし、そして、自分の宗教が唯一絶対である、という考えが、あまりに強ければ、 オウム真理教のように、武力革命を持っても、すべての人たちを信者にしようとして、その結果、信者を巻き込んで、破滅するでしょう。」
⑪「上祐代表書き下ろし講話集③ 2008年」(甲171)より
・P6~7
◎将来の犯罪の抑止の活動が私たちのオウム時代の贖罪である
「私たちが旧教団の実践を真剣に反省したならば、その贖罪として実践すべきは、単に過去の事件の賠償支払いだけではなく、将来の犯罪の抑止であろう。」
(中略)旧教団の経験から、極端な善悪二元論型の思想に基づく集団の犯罪・テロリズムや、人格障害型の無差別殺人犯罪などを抑止する活動が考えられる。そのためには、日本の無差別殺人の流れの始点となった旧教団での自分たちの経験を一つの土台として、最近の犯罪の潮流を分析・研究し、その原因を洞察して、解決策を検討し、それをHPなどで公表することが考えられる。
(中略)外国の国家機関の国防担当者の中で、今後のテロ防止のための研究をしている人たちなどに対して、広報部や代表が情報提供などで協力した実績がある
(中略)ひかりの輪は、オウム真理教の活動の反省に立って、「未来のテロ・犯罪を抑止する」という目標を持っている。
(中略)私たちはオウム真理教の元信者として、日本人として、イスラムをはじめとしたテロ活動がなくなっていくように、何かをする義務があるのではないか」
・P11~12
◎オウム時代を深く反省しなければならない
「ひかりの輪としては、松本氏の被害妄想的な日本社会や米国への敵意と、その結果のテロ行為は、深く反省しなければならないことは言うまでもない。(中略)私たちは妄想的な予言や世界観と犯罪行為といった、オウム教団のさまざまな問題点を十分に反省しつつ」
・P76
◎オウムのマハームドラーの教義は間違い
「オウムの「マハームドラー」のような間違いを犯すことなく、合法的で社会的な活動の範囲の中で、どのように、試練に耐えることによる悟り、というものを追求していくべき」
・P157~166
◎オウムの地下鉄サリン事件はイスラムの同時多発テロに影響を与えた、その贖罪をすべき
「それは、「過去のテロの贖罪」を行うことでもある。(中略)旧団体では、本来、ヴァジラヤーナの教えは、自と他の区別を越えた、智慧と慈悲に基づくべきところ、教団を「善」、社会を「悪」とする、「妄想的な善悪二元論」に基づいて、無差別な大量の殺人に至り、それは、結果として、イスラムのテロや国内の犯罪に影響を与えるに至った。
(中略)テロや犯罪抑止に関する社会貢献に関する考えを簡潔に述べたいと思う。イスラム原理主義などの国際的テロリズムの問題については、①イスラム社会との融和を促進し、未来のテロを抑止する、とともに、どうしても、②米国などの先進国の国際テロ活動防止活動への適切な協力が重要ではないか、と思う。この、「米国などへの協力」というのは、当然、オウム真理教時代の情報提供などが含まれ、すでに米国専門家に対する協力が広報部などを通して行われている。アルカイダは、オウムと同様に、炭疽菌などの生物化学兵器を作ろうとした経緯がある。(中略)オウム真理教の活動の反省に立って、「未来のテロ・犯罪を抑止する」という目標を持っている」
・p189~196
◎一連のオウム事件は仏教教義上の悪業である
「一連の事件は、十悪の中で最初に説かれる、殺生・暴力の悪業である。一連の殺人・傷害事件は、多くの生命の損失と、身体の障害をもたらした。それは、殺生・暴力を否定する仏陀の教えに反している。」
(中略)殺人・傷害事件に伴って、被害者・遺族には、経済的な損失(収入の損失)が生じる。この経済的な損失が、賠償の額の算定根拠にもなっているが、これは、殺生に伴い、他の経済的な利益を奪った行為であるから、偸盗と同じ悪業を構成している。
(中略)一連の事件は間違っていた、これからはやりません」
『2010-11年末年始セミナー特別教本《改訂版》』(乙D245)p55
◎慢心の宗教によるテロ・戦争の否定
「神仏の存在を信じる中で、「神仏を信じる自分は、信じない人より優れているのだ」とか、「自分が信じている神仏こそが真の神仏なのだど」と錯覚すれば、神仏を信じない人や、他の神仏を信じる人を強く見下すようになり、逆に傲慢・誇大妄想を増大させる可能性があります。実際に、その結果、過去に多くの宗教を原因とした争い・戦争・テロも起こってきました。こうしたことには、十分に注意する必要があるでしょう。」
同上p58
◎盲信による宗教戦争・テロの否定
「こうした妄信的な信仰者には、自分では気づかないうちに、さまざまな苦しみが生じます。それは、本来は自分の幸福のためであった信仰に、自分が逆支配されるといってよいかもしれません。例えば、自分たちの信仰を否定する人たちと、単に意見が対立するのではなく、お互いの存在を排除・抹殺するために、戦わなければならない場合もあります。このひどい場合が、宗教戦争・宗教テロであり、多くの血が流されてきた原因です。」
『2013年GWセミナー特別教本《改訂版》』(乙D252)p6~7
◎オウム事件の謝罪・賠償契約の締結の回顧
「99年末の出所は、社会全体の大変な喧騒・圧力・監視の下となり、出所後も、前と同様に、一歩も自由に外出できない期間が、2000年以降も数年続いた。その中で、私は、自分が主導して、教団名をアレフに変え、過去の事件の関与を認め、謝罪を表明し、被害者賠償契約を締結するなどして、社会との摩擦の緩和に努めた。」
『2014年GWセミナー特別教本《改訂版》』(乙D255)p17~18
◎オウム事件の回顧と反省
「宗教を否定したソ連邦の崩壊の後に、世界の各地で、宗教が活発化した。宗教は、それを信じることで、世界の中でも、自分が価値のある存在であると感じることができる。日本で言えば、それはちょうど、バブルの絶頂期、ないしはその崩壊が始まる前後である。
具体的に言えば、日本の新々宗教のブーム、アメリカのキリスト教保守主義の増大、南米国やアフリカでのカトリック教会の増大、イスラム教の復興などがあった。しかしながら、これらの中には、日本のオウム真理教、ブランチ・ダビディアンなどのアメリカの極右系のキリスト教集団、イスラム原理主義など、米国を中心とした既存の権力と対立し、テロや刑事事件に至るものも現れてしまった。」
(2)麻原をはじめとする個人崇拝及び絶対的帰依の否定
①2007年3月4日・東京での講話(甲140)
以下は、上祐らが脱会する際の新団体の設立の説明会での発言である
・P8
◎Aleph・オウムの五仏の法則、絶対的な帰依、グルの殺人の肯定は、密教の間違った解釈である
「すなわち、その経典の言葉をそのまま文字通り解釈してしまって、五仏の法則とか、仏陀を殺せといった法則をそのまま当てはめてしまって社会に適用すれば、それはとんでもないことが起こる。そういったことが、密教、大乗経典にはたくさんあります。そこは、自分で論理をもって判断するしかない。
しかし、五仏の法則、それからグルに対する絶対的帰依といった法則が、もう、そのままむき出しの状態で、ある意味じゃ、原理主義的に適用されていて、で、今でもその状況が一部では継続しているんではないかなと、自分はそういうふうに考えます。
また、グルに対する絶対的な帰依ということで言えば、チベット密教の伝統的な考え方は、弟子のエゴを弱めるためにグルを絶対的にみなすという法則がありますが、グルが絶対的であるという客観的な事実を主張してはいません。例えば、ダライ・ラマ法王は絶対的で、全知全能である。だから、ダライ・ラマ法王は人を殺してもいいのである、サリンを撒いてもいいのであるって、そんな法則は全くありません。 それは弟子とグルの関係の中で、弟子のエゴを弱めるために行なわれることで、ある意味じゃ、その個人的な心の中の実践としてそういうことが行なわれても、しかし、第三者を巻き込んで、その生命を奪うときにまでグルは絶対的だからやってもいいんだっていう考え方になるのは、密教の法則ではないというのが、正確な密教の理解だと思います。
しかし、この教団(Aleph)においてはグルは絶対的、グルの絶対性、グルには何か深いお考えがあってということで、もう、貫き通してしまって、そういった密教の伝統の解釈をはるかに突き破ってしまってこういった状態が起こった。それに対して、充分な対応ができない状態が95年以降展開したんではないかなと、そういうふうに考えています。」
・P9
◎Alephの五仏の法則・絶対的帰依・グルの絶対視・ポア・殺人の肯定は、密教法則の間違った解釈
「五仏の法則を文字通りに解釈してしまったり、グルへの絶対的な帰依を、その目的が分からず、方便だっていうことが分からず、グルの絶対性、グルは絶対だという事実にしてしまったり、それからポワの教えを、人を殺してもいいんだっていうところにもってってしまったりする。そういった、密教の法則のかなり大幅な誤解っていうものが、この教団には、伝統の密教の宗派からみると、あると言わざるを得ないと思います。」
・P13
◎ひかりの輪は、麻原だけを神の現れと見ず、全ての人から学ぶ思想
「教師や反面教師として、仏陀が、神がわたしに与えてくれたものだというふうに他人を見ようというふうに考えるわけです。そうなると、全ての人々が仏陀の与えたグル、全ての人がグルというふうになる。ここに新団体の帰依の対象の変化というものがあるわけです。すなわち、元代表だけを神の現れと見るんではなくて、全ての人から学ぶ、全ての人を導き手とするという、帰依の範囲の拡大と言うのかな、神と神聖に見る範囲の拡大というのが生じているっていうのが、新団体のカルマ・ヨーガの特徴です。」
・P19
◎ひかりの輪は特定の人を神とする考えを越える
「人を神にしたときから戦争が起こるということについて言えば、旧教団において、元代表がキリストになってから事件が起こったことは全く符合しますが、われわれはそういった、要するに人と大自然の関係の中で、人に神を置く宗教がどういった展開を示してきたか。この三千年の間にどういった展開を示してきたか。
わずか、二十年の間に、ある意味じゃ、如実にそれを経験したということができるかもしれません。そういったことですから、新団体のものの考え方、大自然と人の関係においては、一元論的に考えたい、大自然の一部として人がいて、大自然全体に神があって、特定の人だけに神がいて、その周りの信者とそうじゃない非信者を区別して分けてしまうという考え方を超えていきたいということがあるわけです。」
・P19
ひかりの輪は、宗教の崇拝対象を絶対視せず、象徴として位置付ける
「この一元論的な崇拝対象っていうのは、宗教における崇拝対象っていうのは、それぞれの人の中に内在している、神性を引き出す象徴物にすぎないと。つまり、自分の中に神性、清らかな心があって、何かを見たりするときにそれが引き出されるとすれば、それだけであって、その何かを見た、その見た対象に絶対性があるんじゃないっていう考え方です。
例えば、ある人は霊験あらたかな仏像を見ると神聖な気持ちになり、ある人はイエス、ある人はマホメッド、ある人はほかでもいいんですが、その場合イエスやマホメッドや、その仏像に絶対性があるんではなくって、それは自分たちの中の神様、神聖な意識を引き出すきっかけ、呼び水にすぎなくって手段であって方便であって、それ自体が目的じゃないんだっていう考え方です。」
・P20
◎麻原・オウムのイニシエーション・グルのクローンになる考えは正当な密教の教えと違う
「これは、元代表と交流のあった中沢新一氏、チベット密教の日本の権威ですけど、彼も言っていることですが、この教団、旧教団の特徴は、そのイニシエーションの特徴がグルのクローンになるような感じであると。どう、いろいろ教学してもそうだと。
しかし、チベット密教は、グルは呼び水であって、弟子の中の仏性を覚醒させるってとこで微妙に違うのであると。(中略)本来は弟子それぞれに仏性があって、グルの呼び水とするグルのデータや、その他のイニシエーションによって弟子の方の仏性が覚醒していかなければならない。だから、当然、何て言うか、弟子が中心であって、グルはその補助なんだっていう考え方ですね、これは。そういったものの考え方が、要するに、一元論的な考え方だと言うことができます。
しかし、旧教団のニュアンスは、強調された点は圧倒的にグルのコピーになる、クローンになるというとこではなかったか。そこが、先ほどから繰り返している伝統的な密教宗派と旧教団の違いなのだということだと思います。一方、一元論的な教えになると、ここに書いてありますように、信者の仏性の投影としての崇拝対象が存在すると。よって、信者の仏性の覚醒が、これが目的ですね。ですから、崇拝対象はその呼び水と位置づけられるということになるわけです。」
・P21
◎ひかりの輪は唯一絶対の崇拝対象を置かない
「しかし、旧教団はこうではなかった。元代表を信じない人たちの存在を悪業多き魂として認めなかった。現実的にそういう部分があった。これがいいかどうか、それを考えなければならないんだと思うんです。新団体はそれを転換して、やはり、心理学的にも、つまり、科学的にも、歴史を見ても、要するに、ある宗教が、その崇拝対象が絶対で、唯一のものだとすることはおかしいと。
(中略)新団体の崇拝対象の考え方を少しまとめてみますと、ここに書いてあるように、唯一絶対の崇拝対象はない。これは、この数千年間の人類の格闘がその教訓を残してる。二つ目に、人それぞれのカルマに応じて、多様な崇拝対象があってよいと。よって、宗教・宗派は互いの崇拝対象を認め合うべきで、自己の唯一絶対性を主張し他と争うべきではないと。
これは、教団と社会、そしてA派、M派、中間派の中での問題を、かなりこの問題に関係してくる。自分たちが信じるもの、神聖だと信じるものが、時によって、人によって、分かれてしまうことを許さないという硬直した考え方は、必ず、闘争、奪い合い、そして、対立、分裂、崩壊、これに至るんではないかなと自分は思うわけです。」
・P22~23
◎ひかりの輪は、殺人を弟子に強いる麻原のグルイズムを越える思想を創造する
「グルイズムでのグルというのは、一つの仏性の象徴物にすぎない。これが、密教の、仏教の考え方だと思います。ですから、元代表に帰依しないと誰も解脱できないわけじゃなくって、(中略)元代表が唯一のグルであるとかいうことはないだろうと。または、グルへの帰依というのは、弟子のエゴを弱めるための方便だから、元代表の指示があったら人を殺さないと解脱ができないなんて道理があるわけはない。」
(中略)そして、旧教団で言えばサリン、撒きたくない、だけど、グルの、グルへの帰依のためには、結局は自分のためですが、グルに帰依したいという。そういった気持ちで、撒きたくないけど撒いてしまう。宗教が人の良心に反して、または人の本質的な幸福への希求に反して何かを強要するようなことがある。こういった状態を超えなければならないとしたならば、われわれは非常に大きな勇気と智慧をもって、新しい宗教思想の創造に取り組まなければならないというふうに思うんです。」
・P29
◎釈迦は人を神格化しないための象徴である
「中心に釈迦を置いてるのは、人を神格化しないために、釈迦がそう言ったから。そして、いろんな教えを人のために説くために、釈迦がそうしたから。そういった意味で釈迦を置いているんであって、釈迦が唯一絶対の崇拝対象になるべきだというのとは逆さまの理由で置いていて、」
②2007年3月25日・東京での講話(甲142)
・P2~5
◎ひかりの輪は特定の絶対的な対象は設けない
「新団体というのは昔のように、単一の特定の絶対的対象を設置して、それを推進していくということはしません。
(中略)誰か特定の人に自己を投げうって没入して行くっていうんじゃなくて、入ってくる人たちを神聖なものとみてそこに奉仕していく、その奉仕のあり方がその人の心身に浄化、癒し、そして強化といったもの、これを中心にしたものにしなくてはいけないんではないかというふうに思うようになりました。」
(中略)松本氏によるヒーリングの場合は松本氏に自己を投げ打たなければならなくて、その過程でそのプロセスとして事件が起こってしまった、という解釈もできる、そういった投げうつような、誰か特定人物に対する無思考的な帰依というものは無くして、一方的に団体の方がサービスしていく、奉仕していくというような形、これをとっていかなければいけないかなあと、そういうのが道かなあと徐々に徐々に考えつつあります。」
③2007年4月7日・船橋での講話(甲143)
・P5
◎ひかりの輪は特定の信仰対象・絶対視の対象を設けない
「人間とは別の特定の信仰の対象、これを絶対と考えて、そこに没入していくっていうんじゃなくて、すべての人々の中に神聖なもの、仏性、真我といったものを認めて、それに対して奉仕していくという考え方です。
前者の従来型の宗教団体の考え方になると、信者が特定の対象に奉仕するっていう形になります。その極端なものが、その特定の対象のクローンとなるというかな、ロボットとなる形だったではないかと思うのですが。
といった旧団体の傾向とは逆転して、すべての人々に対して団体側が奉仕をするっていう、そういった性格の団体に新団体は軌道修正していこうとしています。
ですから、新団体においては特定の信仰を絶対視して信奉するっていう従来型の宗教的実践は行わない予定で、新団体としては逆に人々の心身を浄化する、癒す為の奉仕をする為の団体というふうに位置づけたいと思います。そして、その手段として様々な宗教的技法や非宗教的技法を用いることを考えている訳です。
従来の宗教団体には単一の崇拝対象や教義、これを信じなければならないという特徴があります。新団体は万人に共通した、唯一絶対の崇拝対象や教義等はない、必要ないっていう考え方で、それぞれの人にあったものを、それを実践すればいいというふうに考えている訳です。」
・P6
◎釈迦三尊像(三仏)は、釈迦などを崇拝するためではなく個々の人を重視する思想のため
「新団体の祭壇には釈迦三尊像を掲げていますが、釈迦を崇拝する為ではなくて、さきほど言いました様に、釈迦自身がシャンカラやラーマクリシュナと共に、その銘々の、個々人の中に最も大切なものがあると説き、また、且つ個々人にあった法則を柔軟に説いたという、そういった経緯がある為、その釈迦の考え方が新団体とマッチするが故に、その釈迦の精神を尊重する為に掲げている訳であって、釈迦自身を釈迦の意志に反して、崇拝する、拝む為にある訳ではないということをお話しておきたいと思います。」
④2007年4月15日・大阪での講話(甲144)
・p6~7
◎日本人の宗教性は、特定の絶対神や教祖ではなく、万物に自然に神聖を見いだすもの。
「日本は、日本人はもともと木とかそれとか石とかそういったものに、まあ、神様を感じてきたわけです。日本人はもともと自然に神様を感じてきたわけです。これが要するに西洋の文化と違います。(中略)まあ、要するに簡単に言うと水とか山とか、それとか海とか、川とか、石とか木とかいった大きくてどっしりとして、寂静の状態にあるようにみえるもの、これに神聖を感じてきたわけです。
これは全然違いますね。ある特定の、まあ、絶対神を持っていて、で、それを語る開祖がいてそういった感じの宗教性ではなくて、万物に自然に神聖を見出す。特にそういった大きなものというか、長く続いているもの、動かないもの、そう、動かないものといったものに神聖を感じてきたという歴史があります。」
・P1~9
◎ひかりの輪が釈迦を祭壇に飾ったのは、釈迦の崇拝のためではなく、特定の絶対者を設けない思想の象徴
「人類の宗教の歴史の中で新団体が祭壇に飾っている釈迦牟尼の開いた仏教というのは、一種、独特の性質を持っています。それは他の宗教、すなわちイスラム教、キリスト教、ユダヤ教に対して、まぁ、そういった一神教に対して仏教というのはなにか特定の絶対神を掲げ、ないしはその開祖である釈迦自身を拝ませるということがなかった。
(中略)これを仏性といいます。これを最大の、ある意味じゃ拠り所、帰依の対象とします。崇拝の対象とするわけです。釈迦は自分さえ拝むなといいました。私は、私の体は老い病み死ぬ、要するに朽ちていく、あの、存在であると、私を拝んで何になろうという、あなた方は自分の、自分自身を拠り所として法を拠り所としなさい。
(中略)新団体が釈迦を掲げているのはそういった意味で釈迦を崇拝する為じゃなくって、皆さんの中の仏性、あの、さっきいった妄想、マーヤを静めたときの神聖な意識、これを一番重視した、その釈迦の精神を重視するためにあります。ですから、釈迦に、崇拝対象が釈迦になるんじゃなくって、この釈迦的な考えを最も重視しようという考え方でここにだしています。
⑤2007年5月5日・東京での講話(甲146)
・P7
◎ひかりの輪は、麻原・オウムの神の代理人による裁きの思想を否定する
「旧教団の宗教性というのは、まさに裁きの神の代理人であるというように松本氏は自己を位置づけたわけです。悪業をなしている多くの魂に対して、自分がそれを裁くと、そのカルマを精算するのであるというふうに説いたわけです。それが慈悲なのであるという考え方です。
それに対して、今新団体がやっていこうとするのは、それに対して怒らずに感謝するという考え方、ないしは許して裁かずという考え方です。
ここで非常に重要なのは、要するに裁くべきものは誰かということです。人が人を裁いてよいか、それとも裁きは神にゆだねるかということ、これが非常に重要になってくるわけです。宗教的には、要するに多くの人間が自分の信仰を土台にして、自分を神の僕として、自分が他を裁く権限がある、そういうふうに認識しました。これが最大のポイントなんですね。自分は人間であって不完全であるから、神ではないから裁く権利はないと考えるか、それとも、自分の信仰の果てに、神の裁きを自分が代理して行うか、これが人類の宗教的な歴史、それは旧教団を含めてそうですが、人が要するに選択を迫られるところだろうなというふうに思うわけです。
新団体はどのように考えているか、つまり、自分たちをどのように位置づけているかということについて、この点について考えなければならないわけですが、要するに新団体においては、人が絶対神を語ること自体に論理的矛盾があるというふうに考えています。人が不完全であれば、絶対神を語ること自体がおかしい。絶対神の絶対の化身でないとき、つまり絶対者でない限り、絶対神を語ることはできないであろうと。全知全能でない限り、全知全能の者を語ることはできないであろうと。
人間という不完全な存在が、絶対で完全な神というものを語ってよいのか、神の意思というものを決めてよいかというところについて、我々は、宗教家として思想家として極めて謙虚に、自分の位置づけというのを世の中に定めなければならないというふうに思うわけです。」
・P8
◎ひかりの輪は、絶対神を説かない、強制しない
「新団体の神様というものに対する考え方、これは二通り、これが可能であろうと。
ひとつめは、昨日もお話しましたが、ひとつめはまず絶対神を語らない。絶対神というのを自分にとって位置づけない。ふたつめは、絶対神を自分にとって位置づけないことはしないけど、それを他に強制しないという考えです。他に強制しない。それは事実上、その絶対神というのは、唯一絶対の神ではなくて、自分にとって向いている絶対神の一種、なんていうかな、イメージといったようなものではないかなあと思うんです。」
・P8
◎三仏(釈迦・弥勒・観音)は絶対ではない
「釈迦・弥勒・観音というのは、自分の神聖な意識を引き出すに自分には合った存在であるが、それが他人にそのまま当てはまるかどうかはわからないといったような謙虚な姿勢が必要であろうと思うわけです。」
・P9
◎ひかりの輪は、唯一絶対神を設けない
「新団体において、21世紀の宗教が可能なふたつのパターンは、ひとつめは絶対神を全く語らないこと、ふたつめは、絶対神という言葉は使うが、それを自分の、自分個人の個性として位置づけて、他の人には、他の人の絶対神のイメージがあって良いというふうに位置づけるかだと思います。ともかく、唯一絶対の、従来型の意味での絶対神を設けない、これが新団体の教義の特徴であろうと思います」
・P14
◎オウム真理教の布教の在り方は、貪り・慢心
「旧教団においては、要するに、松本氏を信仰する者を世界の全体に広げたい、そういった気持ちがあるのは、我々の貪り、そして貪りと関連する自己存在意義の極限、すなわち慢というものがあったと考えざるを得ないと思うわけです。
そういったものを、我々は超えていかなければならない。超えていかなければならない、それは、どういうふうにやっていかなきゃいけないかというと、感謝と奉仕という考え方だろうなあと思うわけです。」
⑥2007年5月20日・大阪での講話(甲147)
・P7
◎ひかりの輪は特定の人物に帰依しない
「新団体において目指すところは、ある特定の人物に帰依する自分といったものになることではありません。旧団体においては、もちろん悟り、解脱が目標でしたが、その実践課程でみなさんが意識したことは、自分がいかに特定の人物に対して帰依することができるかということだったかもしれません。」
⑦2007年8月25日・大阪での講話(甲150)
・P23
◎オウムの密教的な解釈は特殊である。
「そういった密教的修行とは何かというと、ひとりひとりの修行者がグルと合一するんじゃなくて、ひとりひとりの修行者が大日如来、仏と直接的に合一する、むしろ、こういった密教のほうが普通なんだと。(中略)ある人間に合一することを以て、仏様と合一するんだという考え方は、仏教、密教史上においては、それはむしろ特殊なことだと。」
⑧2007年8月26日・東京での講話(甲151)
・P12
◎オウムの現人神信仰は危険であり、ひかりの輪は脱却した
「ともかく、要するに信仰の対象はなんなのか。それは偉大な人間を信仰の対象として、その考え方と一つになっていくのか。でもこのプロセスは先程言ったような危険性がある訳ですね。ようするにこの人が「サリンを撒け」と言ったら撒きましょうという話になる。どんなに嫌でも撒きます。そうじゃないと偉大な人と心が一つにならない。一体になれない、合一できない。だから解脱できない、悟れない。みなさんはそういったことから脱却してひかりの輪にいます。」
⑨2007年11月25日・東京での講話(甲156)
・P8~17
◎釈迦は自己を絶対視させなかったが、オウムを含めたグルイズムは問題がある
「釈迦というのは、--これは彼の言葉そのままではありませんが、わかりやすくすると、イエス・キリストやマホメットなどにキリスト教やイスラム教が与えているように、絶対神の唯一ないし最高の代理人というような位置づけを自分自身に与えなかったという点で、世界における自分の位置づけを全く与えなかったという点で出色の宗教家、というか開祖であると。
(中略)こういったキリストイズム的な、ないしはグルイズム的な宗教は、イスラム教にしてもキリスト教にしても、最近においては旧教団の元代表にしても、アメリカのバグワン・シュリ・ラジニーシにしても、他のグルイズムにしても、必ず社会の中でそれを信じる人と信じない人の対立、摩擦っていうのが不可避的に起こってしまうという問題を持っているわけです。
(中略)旧教団の流れに馴染んだ方にわかりやすい表現で言うならば、ある特定の人を神の表れと見る代わりに、法を拠り所とすることによって、すべての人を神の表れと見る信仰のタイプがあるのだということです。それは、精神を統合する、そして世界を統合する方向に行くが、特定の人を神の表れと見れば、精神を分裂させ、世界を分裂させる方向に行くということがあるのだと、そう言うことができます。」
⑩2007年11月23日・小諸での講話(甲155)
・P1
◎釈迦の教えは、特定の人間を拝まない教えである
「釈迦の直説を伝えているのではないかと思われる初期の経典においては、開祖を神の化身とする宗教に慣れた我々にとっては非常に衝撃的な言葉が語られているわけです。(中略)有名な言葉の中には、「私の肉体は無常で朽ちるものだから、私を拝んではならない。あなたがたは、自己を帰依処とし、法を帰依処としなさい。そうする者が、私の最高の法友である。」
・P3
◎特定の人を神と見るとオウムのような問題が起こる
「神の現れとされる特定のひとりの人と、それを信じる人と、それを信じない人と、さらには信じないどころか、神の現れと信じられている人に対してそれを傷つける人、すなわち悪魔と認識される人に世の中が分裂していきます。よって、信者、非信者、聖と、そして悪魔というものが分かれてきて、そこから数千年間、宗教は戦争を為してきたと自分は考えているわけです。
(中略)旧教団の元代表であろうと、アメリカで布教したバグワンであろうと、またはその他のヒンドゥーイズムのグルであろうと、特定のひとりの人を神の化身とし、そしてその結果、それを信じる人と信じない人の間で社会的に摩擦が起こるということを経験、繰り返してきたわけです。
(中略)それはキリスト教でもイスラム教でも、それだけに限らず、特定の人を神と見て、自分の宗派だけを正しいと見たときに生じる宗教の中での問題、そして宗教と宗教の間の分裂、対立といったようなものでしょう。」
⑪「上祐史浩からのメッセージ2007」(甲168)より
(※アレフ脱会直前に書いた、アレフの問題点を指摘する内容)
・p2~
◎麻原を絶対と見る教えは間違いである今回は、まず、「元代表に対する帰依」という問題について、私がどう思っているかについてお話しします。(中略) チベットなどの伝統的な密教の教えは、グルが本当に完璧である、絶対的である、と説いてはいません。それは、「弟子のエゴを弱めるために、グルを完璧・絶対と見なす、考えるようにする修行法がある」ということです。
ですから、「弟子が自分のエゴを弱めるために、グルを完璧・絶対と見なす修行法を実践する」ということと、「グルが完璧・絶対である」という事実とは、近いようで、非常に大きな違いがあります。
この点をわかりやすくするために、旧教団の一連の事件の問題を例にして取り上げます。「グルが完璧、絶対である」ならば、一連の事件について、「グルがなしたことだから、正しい」、「グルがなしたことだから、何か深いお考えがあって」として、その事件を否定しない、総括しないことが正当化されます。
そして、その延長上に、「将来、グルに指示されたら、事件を行うか」と問われたときに、「私は帰依の実践として、事件を行う」、「帰依を損なうから、事件を行わないとは言えない」と考えることになります。
昨年の新団体の説明会でも、A派の中にこのような考えにとらわれているサマナの方がいましたが、そのサマナの方は、「人を殺したい」と全く考えてはなく、本来はとても優しい人であり、私の代表派と、非代表派との対立の中でも、自らは、非代表派に身を置くものの、私に対する嫌悪も全く感じませんでした。
では、なぜ、自分では「人を殺したい」などとは毛頭考えないような、とても心の優しい彼が、この教団において、「帰依の実践を考えると、場合によって人を殺さなければならない」と考えて、ひどく思い悩まなければならないのでしょうか。
元代表をグルとして絶対とした以上は、自分が嫌でも、人を殺し、多くの被害者が出て、教団と社会が対立するような状況にならなければ、帰依にならず、解脱できないのでしょうか。それが本当に真理なのでしょうか。
◎オウムの密教の法則の解釈は間違っている
しかし、繰り返しになりますが、伝統的な密教の教えは、「グルが本当に完璧である・絶対的である」と説いているのではなく、「弟子のエゴを弱めるために、グルを完璧・絶対と見なす、考えるようにする、修行法がある」というものです。
だとすれば、弟子が自分とグルの個人的な関係の中で、すなわち、自分の心の中で、グルを完璧と見るように努めることは良いとしても、第三者を巻き込んで、グルを絶対として、第三者を殺すことは正当化する教えではない、と解釈するべきでしょう。
そうでなければ、自分の帰依の修行のためには、第三者を犠牲にして良い、ということになり、弟子のエゴを弱めるどころか、逆に、エゴを増大させるのではないか、ということになると思います。(中略)しかし、自分の修行のために、他の生命を奪ってもいい、と考えること自体が、外部社会から見ると、極めて自己中心的で、傲慢の極みと考えられる、という視点を、勇気を持って考えなければならないと思います。
さらに、私たちが、グルを絶対・完璧である、と考えるならば、その瞬間から、私たち自身を、グルの指示があれば、この世の中で、殺人を含めて、何をしてもいい存在にしてしまうことも事実です。
皆さんの感覚では、絶対であるグルには、私たちにはわからない深いお考えがあってのことだから、と考える場合があることは私もよく承知しています。
しかし、元代表を絶対だとすること自体が、外部社会から見れば、信者が自分たちで勝手に決めてしまったことで、信者にそのような権限も能力も認めない、という視点も、また勇気を持って考えなければならない、と思います。
そして、外部社会から見れば、私たちが、
グルに帰依しているとか、グルを絶対としている、というのではなく、
「私たち=信者自身を絶対化している」
というように映ることでしょう。
事実、私や広報担当者が一般の人たちと触れたとき、常々言われることが、
「教団の信者が傲慢である」
ということです。
彼らがそう思う理由は、簡単明瞭で、「サリンによって、虫けらのように、人々を殺しながら、何の反省もしない」からです。
・P5~
◎オウムのグルの絶対視は間違いである
「さらに、私たちが、グルを絶対・完璧である、と考えるならば、その瞬間から、私たち自身を、グルの指示があれば、この世の中で、殺人を含めて、何をしてもいい存在にしてしまうことも事実です。」
(中略)まず、密教が説くのは、グルが絶対で完璧だ、という事実ではなく、あくまで、弟子である自分のエゴを弱めるための修行法として、そのように見なすことである。
(中略)「弟子がエゴを弱める方便として、「グルを絶対とみる」という修行法があるということです。しかし、それが、グルが絶対であるという事実と取り違えられ、グルの絶対性とか、グルは絶対である、という言葉が教団で使われたのは、経典の言葉を文字通りに解釈してしまった結果ともいうことができると思います。
(中略)「元代表を含めて、ある人が、絶対で完璧だ、と判断できるとすれば、そう判断できる人自身が、絶対で完璧でなければならないでしょう。絶対でも完璧でもない人(=私たち弟子)が、どうして他人(=元代表)を絶対・完璧である、と判断することや、そうだと知ることができるでしょうか。
(中略)依然として「グルは完璧であるから、救済は成功する、成功している」と考えることは盲信だと思います。また、犯罪の指示であっても、「それに従わないと、解脱ができない、グルとの縁を傷つける」と考えることも、盲信だと思います。」
・P48~49
◎釈迦は、自分を含め、特定の人を崇めることを否定した
「釈迦牟尼は、「釈迦牟尼を含めて、人を崇めることを否定する教えを説いた」ということが、仏教研究上は、広く認められている事実です。弟子たちに、「めいめいの自己と法則を帰依処とするように説いた」ということです。ですから、「グルがいないと修行できない」というのは、「グルイズムが強調された、この教団の一種の固定観念である」というくらいに考えることができます。」
(中略)次に引用する経典では、釈迦が、「私(釈迦)を仰いでも何の意味もない」と言明する部分があり、釈迦牟尼個人を崇拝してはならず、崇拝すべきは法であることを示している経典として、有名なものです。
・P50~51
◎グルなしで修行ができる
「グルイズムを非常に重視してきたチベット密教において、その最高指導者であるダライ・ラマ法王が、「師ではなく、教えに対する信」を強調していることは、非常に興味深いことだ、と思います。」
(中略)密教とならんで、グルイズムが重視されているのがヨーガですが、それでも、ヨーガ根本経典においては、グルのいない場合の修行の方法が説かれています。」
・P51
◎ひかりの輪は、麻原の信仰はせず、何の位置づけも与えない
「最後に確認となりますが、代表派が予定する新団体では、元代表には特に位置づけをもうけず、元代表への信仰を推進することはありません。元代表の信仰ではなく、多くの人々と分かち合える教えの実践を推進することが、新団体の目的です。」
・P52~53
◎オウムは麻原を神の化身としたことが間違いだった
「旧教団では、元代表を神の化身とすることで、それに従わない社会は、否定されることにもなりました。また、今現在の教団の分裂においても、元代表の過去における言動を絶対とすることに加えて、元代表がいない中で、誰が元代表の代わりの神なのか、誰が一番正しいか、という視点から、多くの人がものを考えているように思います。
(中略)冷静になって考えてみれば、どんなに優れた人でも、人は神ではなく、あくまでも人であって、特定の人を全知全能であるとか、神の化身である、と考えること自体が、もはや盲信であり、誇大妄想である、と言うことができるかもしれません。」
(中略)各々の宗教の信者たちが、自分たちの信じた宗教や教祖を世界の救世主にしようとして、勢力争いを行い続けている、という悲しい宗教的な闘争の歴史だけです。そして、元代表を日本や世界のキリストにしようとして日本社会と戦った旧教団も、その例外ではありません。
(中略)二元論的な宗教は、特定人物を絶対者・絶対神の化身とし、それを信じる自分たちを聖とし、そうしない他を邪とする傾向があります。そして、そういった世界観は、たぶんに、実在しない悪魔や聖者を妄想して、誇大妄想や被害妄想を引き起こし、狂信・盲信となる側面がある、と思います。例えば、イスラム原理主義者が、アメリカがイスラム世界を乗っ取ろうとしている獣である、と考えて、アメリカを攻撃しているのも、そうだと思います。
(中略)グルイズムが目的となり、慈悲の獲得が損なわれてしまえば、それは、本当の意味で仏教ということはできない、と思います。
(中略)グルを完璧と見なす、人と見ないで神と見なす、という密教の修行法の意味を誤解して、松本家の人たちを本当に完璧であり、神である、と考えてしまうことであり、この考え方が続く限りは、一歩間違えば、神とされた人の指示で、非常にラディカルな行動に出る可能性を完全には排除できない、という問題がある、と思います。」
⑫「上祐代表書き下ろし講話集① 2007年」(甲169)より
・p8~
◎ひかりの輪は、オウムの麻原信仰とは大きく違う
「一元論の教えは、旧教団の思想と対極をなします。旧教団は、麻原元代表という特定の教祖だけを世紀末ハルマゲドンの際に現れるキリスト、神の化身と見て、世の中を聖である教団と邪である社会に分ける、善悪二元論の思想がありました。
(中略)新団体の崇拝の対象は、一人ではなく、すべての存在です。すべての人々、生き物、そして、大自然、大宇宙全体です。特定の一人から、すべての存在への大転換ですが、ある意味で、一人か、すべてしかない、とも感じます。
(中略)こうして、元代表のみを師としていた私たちにとって、元代表に代わる新しい師として、立ち現れてきたものがありました。それは、すべての人々であり、すべての生き物であり、大自然であり、大宇宙のすべて、でした。
(中略)旧教団も同様で、日本の中に、日本国家の権威を否定する、元代表という王を信者が認めたとき、さまざまな事件が起こりました。」
・p17
◎ひかりの輪は、いかなる宗教の崇拝対象を絶対視しない
「各宗教で絶対視されている崇拝対象は、その信者たちの中において、神聖な意識を引き出す「象徴(シンボル)」であって、その信者の輪を超えたところでは、象徴・シンボルにならない=絶対ではない、と思います。」
・p18~19
◎オウムのグルの絶対視は間違い
「チベット密教でグルを完璧と見る、という修行があり、それが旧教団に取り入られましたが、これについても同じことができると思います。チベットでは、弟子が自分のエゴ・慢心を弱める手段として、指導者に対する高い尊敬を持つようにしました。しかし、グルと弟子の個人的な関係を超えて、第三者を巻き込んで、グルを絶対者として、グルの指示があれば、第三者の生命・財産を奪っても良い(ないし、奪わなければならない)と考えるならば、逆に、大変な傲慢さをもたらす、と思います。」
(中略)旧教団(オウム)では、そもそも、本来は、誰も弟子は、人を殺したいなどとは考えていないのに、自分の信仰上の義務のために、(教団で言えば、松本氏への帰依のために)、そうしなければならない、と考える信者が出てきてしまったのです。その意味では、私は、本当の意味で、人のための宗教を創造したい、と思います。人のためにはなるが、人を振り回すことのない宗教です。(中略)各宗教・宗派が、自分たちの崇拝対象や教義について絶対化することなく、多様な崇拝対象や教義を認める必要があります。」
・p25
◎ひかりの輪は、人を神としない
「(1)宗教とは実際には人間が作るものであり、開祖である人が完全に神や神の化身であることはない。(2)通常開祖になる人は、通常の人間を超えた霊能力があったり、時には奇跡的な現象を起こす場合が多いが、そうであっても、開祖は人間であって、 神ではなく、不完全である。開祖の語る神も、客観的には、開祖の神体験であって、それが絶対神であるという完全な証拠はない。よって、自己の宗教が絶対に 正しいと考えることは、本質的に、矛盾であり、過信である。」
「(1)人を神としないこと。特定の人間を神ないし神の化身として絶対視しない。一般でいう開祖・教祖を設けない。例えば、新団体の代表は、団体構成員の先輩・先達であり、あくまで不完全な人間である。
(2)各人にあった実践を認めること。人間を神としないだけでなく、観念上の崇拝対象である神格や、実践する教えについても、唯一絶対のものは設けず、人それぞれが自分にあったと思うものを 実践、利用すればよい。よって、表現としては、崇拝対象というよりは、神聖な意識を引き出す象徴物と位置づけて、教えも、その人にあった方便・手段と位置づけるべきである。」
・p32
◎ひかりの輪はグルイズムは行なわない
「まず、オウム真理教の特徴として、一連の事件の主たる原因ともなった程に、強い「グルイズム」であったと思います。それは動かせない事実であり、ひかりの輪は、その現実を直視し、新しい道を切り開こうというものですから、そのような関心のある方に、以下の点を理解していただければと思います。
おおざっぱに言えば、過去の教団の一連の事件を見ても、今現在の松本氏が置かれている状況(死刑判決の確定に基づく死刑執行の見通し)からしても、オウム真理教のように、ひかりの輪が、その修行を「グルイズム」に頼っていくことはしません。」
・p33~38
◎ひかりの輪が、釈迦を重視した理由=釈迦を絶対視していない
「このような思想を持ったひかりの輪が、なぜ釈迦牟尼を重視することになったのか、その関係について説明したいと思います。その一つの理由としては、釈迦牟尼自身が、実は、信者が釈迦自身を崇拝することを否定し、修行者が、自分自身と法則をよりどころ(=帰依処)にすることを説いた宗教家であったということです。(中略)次に引用する経典では、釈迦が、「私(釈迦)を仰いでも何の意味もない」と言明する部分があり、釈迦牟尼個人を崇拝してはならず、崇拝すべきは法であることを示している経典として有名なものです。
(中略)ひかりの輪が釈迦牟尼を重視する動機は、松本氏に代わって、釈迦を「完全者、絶対者、新たな絶対的なグル」として崇めるためということではありません。(中略)第一に、先ほども述べましたが、釈迦牟尼は、自己を拝ませたり、自己を神格化することがありませんでした。さまざまな宗教の教祖と比較しても、自己を絶対者、唯一無二の者とは位置づけなかった度合いが、特徴的であるといわれています。これは、ひかりの輪が、「一連の事件の原因となったグルイズム中心のオウム真理教を超えていこう」という目的と合致しています。
(中略)この教えの特徴をわかりやすく表現すれば、オウム真理教が「一人のグルに対する絶対的な帰依」が特徴であるのに対して、ひかりの輪は、すべての衆生の仏性に奉仕するという意味で、「すべての衆生に対する帰依」が特徴ということになります。そして、実践の中では、オウム真理教が、グルとされる特定の人物のときどきの考えを絶対とするのに対して、ひかりの輪は、教え・法則を重視することになります。(中略)釈迦自身を崇めることを否定し、「自己と法則をよりどころとせよ」と説きました。これは、釈迦が、自分自身を仏陀の象徴と位置づけなかったと解釈することができます。
・p35
◎グルイズムの密教が最高の教えなのではない
「たくさんある仏教の教えの中で、今までの教団の慣習から、「グルイズムなどを強調する密教の教えの実践が最上である」とはたから決めつけてしまうのは、これまでの教団の流れ(過去の一連の事件等)を考えても、今後のひかりの輪の見通しを考えても、不適切だと思います。
(中略)一連の事件を含めたオウム真理教の流れや、現在の教団内部の分裂、そして、今現在の世界の宗教的な対立を考えると、その原因が、「自分たちの宗派ないしは、自分たちの宗教的な考え方が、唯一絶対のものである」と考えることから来ている面が多々あると思います。択法覚支とは、これを乗り越えることができる教えであり、修行上の本質的な目的を重視して、単一の法則を絶対視せずに、時と場合に応じた実践をすることだと思います。この点に関連して、本来はグルイズムを非常に重視するチベット密教の総帥ダライ・ラマ法王自身が、その著作の中で、師ではなく教えに対する信を強調していることを紹介しましょう。」
・p42~44
◎グルを実際に絶対・完璧と見るオウムの思想は間違い
「本来のグルイズムの意味合いです。それは、密教には、確かにグルを絶対・完璧と見るという修行がありますが、それは、「グルが絶対・完璧である」と主張しているのでは決してなく、「グルを完璧・絶対と見ることで、弟子が自分のエゴを弱めるという修行法がある」ということです。すなわち、現実にはグルは人間であって、仏陀そのものであったり、完全無欠ではないものの、弟子の修行のためにグルを仏陀と見るという修行法・手段、一種の方便があるということです。」
(中略)グルとされる存在は、現実は生身の人間であり完璧ではないが、密教においては完璧と見なされる対象にさえなること。これについては上記に述べたとおりですが、20世紀までの宗教の歴史を見ると、現人神〔あらひとがみ〕などの神格化された人物や、その権威の活用によって、戦争までが起こることがあるということがよくわかります。(中略)
神の代理人としての権能を得た聖職者がいれば、それによって、特にその宗教に属さない人たち、他宗教の人たちの生命・財産を奪うことが少なからず頻繁に起き、その結果、21世紀の今日までも宗教的な戦争が絶えません。
こうして、宗教的な勢力や宗教的な国家のトップに、絶対神の化身・現人神を抱くことは、信者にとって素晴らしいことであると思われる一方で、その裏側に、人を罰することができるのが神ですから、その神の権能として、多くの人の生命を奪うという問題が起こり、そのために信者たちは、非信者たちと延々とした紛争・対立関係に入っていくことになります。」
⑬2008年2月17日・大阪での講話(甲158)
・P7~12
◎何人も神ではなく、グルイズムは過剰な依存と傲慢である
「そもそもは人は神ではありませんから、他の人を神だと判断する能力はありません。人は神ではありませんから、何かの宗教が絶対だと判断する能力はありません。
(中略)
「過剰な他に対する依存、これを戒めたということだと思うんです。先程申し上げましたように、釈迦の時代はすでに自分と他人を区別して絶対神に依存するような、そういった宗教がだいぶ流行していた、隆盛していたと思います。そしてそれは、この21世紀まで続いてきていますね。それに対して釈迦は、自分を拝むなと言った。
(中略)グルイズムの傲慢。それは、自分が神ではないのに他人を、すなわち教祖を絶対と、神であると、そういうふうに信じ込んでしまうのもひとつの傲慢であろうと。信じる側が安直に信じるという意味で、傲慢であろうと。」
⑭2008年7月13日・大阪での講話(甲166)
・P5
◎何人も神ではなく、絶対的な帰依の思想は自己絶対化であり、おかしい
「これは要するに人は神じゃない、つまり誰かを神とするてことは、そこに、まだ要するに、その人に頼って自分も神に近づきたいという誇大自己が残っていて、誇大自己に基づいて、それを、安直に満たしてくれる、なんか、絶対的な対象これを求める心があるそれを こうー 根底から防ぐには、まず、自分も他人も人は神じゃないんだと、いう前提が必要です。」
(中略)
「絶対的帰依をしているっていうのはどうしておかしいの、それは自分が信じたグルをもともと、安直に絶対だと信じるということは、自分の判断能力を絶対と見てるんじゃないか、という話を皆さんにしたことがあると思うんです。だから他人を絶対化するということは、自分を絶対化してるんじゃないか、そういったことをお話ししたと思うんですね。」
⑮2008年2月9日・船橋での講話(甲157)
・P16~17
◎グルイズムの問題
「ただここで、グルというものをそこに置くとですね、そのグルというのを、グルがまさに神なんだ、仏なんだという考え方に陥ると、大変なことになるわけですね。そうではなくて、自分が修行したその蓄積をグルが手伝って、自分の仏性を覚醒させてくれるんだという考え方、これが正しいグルと弟子の関係です。チベット密教などでは、グルのイニシエーションというのは、弟子の仏性を引き出す呼び水であって、決して弟子は汚れていてグルの仏性を移入、コピーするんだという、プリントするんだという考えはありません。ただ、旧教団(オウム)では一時期、後期においてちょっとそういった考え方に偏ったかなというところがあって、その点は気をつけなければならない。
(中略)そしてそれが人だった場合はその人を絶対視しますから、ここで旧教団(オウム)のようなグルイズムの問題というのが出てくるわけです。」
⑯「上祐代表書き下ろし講話集② 2008年」(甲170)より
・P50~51
◎オウム真理教の傲慢の反省
「旧団体の反省として、「自分たちの教祖が世界のキリストであり、自分たちだけが救済する集団である存在である」という思考があった。(中略)旧団体のように、「自分たちこそが正しい」「自分たちだけが正しい」という意識が強まり、その結果、「他者との闘争」「他者の否定」が激しくなる。私はこういった思考の結果として、「原理主義者」「過激主義者」「テロリスト」「好戦的」と呼ばれる人たちの中には、その全体ではなくても、少なからずこういったタイプの人たちがいるのではないかと思う。」
(中略)人は皆長所・欠点があり、地球の中の何者かが「神」の使者で、何者かが「悪魔」の権化であるというわけがない。ここには、自分たちに対する「過信・誇大妄想」、他人対する「不信・被害妄想」の問題が生じる。そして、この考え方は、「悪」を打ち倒すという好戦性につながる。イスラムとアメリカは、互いを「悪魔」と見て、自分たちを「神」の意志を行うものと見て、現在、紛争・戦争を続けている。そして、彼らには、いわゆる聖書の終末思想、すなわち「善と悪の戦い」の世界観の影響もあるとよくいわれている。」
・P88
◎オウム真理教のマハームドラーの思想は傲慢であり間違っている
「オウム真理教の「マハームドラー」の前提には、松本氏は、絶対神の化身であり、その意味で、絶対善である、という「思い込み」がある。これは、弟子が松本氏に、たとえば批判されたりして、いじめられて苦しみを感じたときに、松本氏を悪として、批判を返すことをせず、自分の内面の業、精神の弱さを内省するためにはよいかもしれない。
しかし、松本氏が犯罪行為を指示した際まで、松本氏を悪と考えずに、それに従ってしまえば、明らかに「行きすぎ」である。それは、自分の修行のために、松本氏を信奉していないどころか、知るよしもない第三者を巻き込むという、非常に「尊大で傲慢」な行為である。
しかし、客観的には「尊大で傲慢」な行為だが、前提として、松本氏が絶対神の化身であり、日本・世界のキリスト(となる人)である、と「思い込んで」いる信者にとっては、本来は、師と弟子の二人の「個人的な世界の中のしごき」のレベルにとどまるべき修行が、それを大きく逸脱して、社会全体を舞台にした犯罪行為に及ぶことになる。」
・P106
◎麻原は傲慢だった
「元教祖は、「自分は傲慢になりやすい性格であり、自分の考えが正しいと思いこむ傾向があったので、カルマ・ヨーガの実践を行った」と書いている。たしかに、カルマ・ヨーガは傲慢を静めるためのヨーガだと思うが、その後の元教祖も、自らをキリストとして、一般人を悪業多き魂として、一連の犯罪行為を行うという、紛れもなく「傲慢、独善、誇大妄想的な思想と実践」に陥った。」
・P110~114
◎オウムの問題は、麻原を神としたこと
「オウム真理教では別の問題が起こったのである。それは、人はあくまでも「不完全」であり、神の意思を完全には知り得ないという事実に気づかずに、人であるグルを神の完全な化身として、グルの意思=神の意思としてしまったことだ。
すなわち、松本元教祖を、最終解脱者であって、絶対神のシヴァ大神の意思を(完全に)理解すると位置づけ、その指示は絶対神の指示であって、まったく間違いがなく、それがたとえ犯罪行為であったとしても、グルと違って神の意思を理解できない弟子たちは、自分の善悪の判断をせずに従わなければならないという構図ができてしまったことである。しかし、人はあくまでも「不完全」であり神ではない。」
(中略)自分の信じたグルや教団が絶対であると思いこむ背景には、「傲慢と(グルへの)依存=怠惰」があるが、自分は誰からも学ぶ必要がないと考える背景にも、別の意味で「傲慢と怠惰」がある。」
・P123
◎オウムが説く、グルの絶対視は間違い
「チベット密教が説く、グルを絶対的に見る教えは、他から学ぶ上での謙虚さを養い、自己のエゴ・傲慢を静める「方便」である。すなわち、実際に、グルと呼ばれる人が絶対で、完全無欠なのではない。この観念が行き過ぎれば、盲信・狂信になって、詰まるところ、自分自身が信じたものは絶対であると考える、という「傲慢」にもなる。」
・p179
◎ひかりの輪は、盲信を避けなければならない。釈迦も弥勒も神ではない
「われわれは、「偉大なる存在」「神仏の存在」について、旧来のような盲信・狂信は避けなければならない。
・p216~217
◎釈迦も弥勒も神ではない
「私たちは、釈迦牟尼が説いた縁起の法を悟りの教えの中核として、人を神としない原則に基づいた菩薩道を歩んでいる。(中略)弥勒菩薩は修行中の未完の菩薩とされ、人が、自己を神と錯覚しないために非常に重要である、謙虚さと努力の象徴である。」
・P274
◎全ての人に神仏を見る思想は、オウムのような傲慢の問題を回避できる
「すべての人に神仏を見て、感謝するならば、おのずと、自分たちだけを聖とし、他を邪とするような世界観は滅し、オウムのような問題は起こりようがない。そもそもが、すべての人が帰依の対象であることが、オウムのように、唯一の人物を帰依の対象であることと完全に矛盾する。よって、この教えは、傲慢からくる魔境を、完全止滅させることができる。
(中略)「20世紀までの間違った布教は、その教祖が自分こそが唯一絶対の神の化身であるという傲慢のスタイルで、同じような傲慢な人間を集めて、自分たちの集団を、外部よりも上に位置づける形で行われた。(中略)これまでの宗教は、イエスにしても、マホメットにしても、誰か特定の存在を神の現れと信じるものがほとんどであった。その中には、それが唯一絶対の信仰であると盲信・狂信することで、他宗教・他宗派・一般社会と対立し、時によって激しい紛争に至るものであった。」
『2010-11年末年始セミナー特別教本《改訂版》』(乙D245)p59~60
◎自分の崇拝対象を絶対とすることの問題
「従来の宗教の信者は、自分の崇拝対象を信じていくうちに、それが絶対であると(あたかも知っているように)思うようになります。そして、自分の崇拝対象を否定する者が現れると、絶対・完全な存在を否定する者として、「真実を知らない愚か者」と軽蔑するばかりか、場合によっては、「他の何よりも悪いことをしている者だ」と思うようになります(そのように教えられることもあります)。わかりやすく言うと、神・仏を否定しあらがう、悪魔・魔となるのです。
典型的な例が、その宗教で、「その崇拝対象が唯一絶対のもので、他の(宗教の)神は邪神である」とされている場合です(これを唯一神教というのでしょうか)。また、現代社会でよく見られるのが、特定の人物を神と見る場合です。この場合、その人物を神と同等と信じる信者と、そう信じない外部社会の間で、対立が起こる場合があります。
それは、信者は、その人物を「神の化身」などと感じられるのに対して、外部社会には、「神ではない人間」としての色々な疑惑が感じられる場合でしょう。この場合、信者には、「その外部社会の疑惑は、事実無根(の陰謀)である」とか、「全く無視するように」と教えられます。そして、ご存じの通り、いわゆる「カルト宗教」とされるものに、このタイプのものがよくあります。
同上p62
◎オウムのグルイズム、グルを殺人をしてよい絶対的な存在と見なすのは間違い
「チベット仏教が説く、グルを仏の化身等として絶対的な存在と見なす修行は、オウムで信じられたように、グルが他人の生命を奪ってもよい絶対的な存在であるということを意味しているのではありません。そう考えることによって、グルを自分の仏性を引き出す象徴とするものだと思います(他にも、グルに対して謙虚になることで、弟子が自己のエゴを弱める手段とすることもあると思いますが)。」
同上p63~64
◎釈迦は自分を含め人を神としなかった
「釈迦牟尼は、弟子に自分(=釈迦牟尼)を崇めずに、自己と法を拠り所にすることを強調した。いわゆる「自灯明・法灯明」ともいわれる。これは、ひかりの輪の「人を神(=絶対)としない」という原則に一致する。
p65
◎自分の教祖を絶対視するのは過ちの背景、オウムの過去の経験からも
「盲信の背景にある「虚栄心」について考えてみたいと思います。万人が認めない教義を自分たちだけが絶対真理と信じる(盲信する)人には、自分たちが優れているために、他人が信じていないものを信じることができる、という心理が働くことが多いと思います。これは、慢心・虚栄心のエゴだと思います。
そもそも、客観的に見れば、人間は誰しも不完全であり、不完全な人間である信者が、ある宗教やその開祖を完全であると判断する能力があるとはいえないでしょう。にもかかわらず、それらを完全と考えること自体が、すでに慢心・虚栄心が生じているおそれがあるわけです。
しかし、自分の信仰を絶対視するようになった信者は、この単純な事実に気づきません。「他人が理解できない絶対真理を自分は見つけた、理解できた」という思考パターンになることが非常に多いと思います。しかし、客観的には、万人が信じない理由は、誰もが認める客観的な根拠に基づいていないからでしょう。キリスト教が人類全体を信者にできなかったのも、イエスの復活が客観的な事実とは言えないからでしょう。
そして、「自分たちが信じているものは絶対真理」と考えるうちに、自分たちでも気づかないうちに、「自分たちが絶対真理である」という心理が働き始めるおそれがあります。こうして、盲信的な信者は、自分の宗教の神や開祖を絶対と信じる中で、気づかないうちに、「自分自身を絶対化」していくおそれがあるのです。
私の過去の経験からしても、「自分が重要な存在になりたい」とか、「他より優れた存在になりたい」という欲求が、こうしたタイプの信仰にはまり込んだ一因だと思います。そして、これはエリート・勝ち組と呼ばれる人にも、負け組と呼ばれる人にも、その双方に起こります。エリートは、「さらに勝ち組になりたい」という欲求があり、負け組は、「挽回したい」という欲求があるからです。」
同上p68
◎自分の開祖などを絶対視するのは、傲慢による過ち
客観的に見れば、不完全な人間である信者が、開祖を含めた何者かを絶対視する、すなわち、絶対だと判断する能力があると考える方が傲慢であり、さらには、自分の信じた開祖を絶対と見ることで、ついには自分自身を絶対と見る思考パターンに陥るということがあります。
この傲慢には、妄信的な宗教とその信者は気づかないと思います。こうして、信者は開祖やその宗教に対しては謙虚に振る舞いつつ、自分では気づかない傲慢を形成します。それは、主に、先ほど述べたように、信じない人たちを強く見下す傲慢となって現れます。
『2017年夏期セミナー特別教本』〈甲137〉P56
◎オウム事件の再発を防ぐのに必要な心の姿勢
特定の教団・宗教宗派を信じる信者は、自分たちが、非信者よりも聖なる存在(来世幸福になる)と考える慢心・独善・善悪二元論の傾向に陥ることがあるが、これに加えて、自殺や他殺をしても、来世があると考える場合に、今生の命・現世を軽視する可能性、例えば、聖戦を肯定する問題が出てくる(例えば、イスラムの自爆テロ・オウムのポア・その他の宗教戦争)。
これを防ぐには、①妄信・過剰な依存を避けること、②慢心・独善・善悪二元論を避け、合理的・客観的で謙虚な物の見方・姿勢が必要である。
(3)オウム・アレフに対する批判
①「上祐史浩からのメッセージ2007」(甲168)より
(※アレフ脱会直前に書いた、アレフの問題点を指摘する内容)
・p57~59
◎麻原・オウムの社会観・予言は妄想である
「現象を全くありのままに見ることができない、大きな無智が生じると思います。他の言動を自分の心の現れと見ない中で、しばしば、自分は他に不当に傷つけられている、不当に陥れられている、攻撃されている、という被害妄想が生じます。旧教団(オウム)で言えば、「戦いか破滅か」というスローガンのように、教団は社会と闘わなければ滅ぼされる、という考え。
(中略)実際には、予言は成就せず、事件は陰謀ではありませんでした。この事実を率直に受け止めれば、予言は、私たちの誇大妄想として認識すべきだ、と思います。
(中略) 旧教団(オウム)は、「真理が広まらないのは社会が悪い、社会が教団を弾圧している」と考え、「普通の布教では社会は変わらないから、武力によって力ずくで変えよう」という考えが生まれました。しかし、今から思うと、社会が教団を弾圧しているというのは被害妄想であり、辛抱強く、普通の布教を積み重ねて、時間をかけても、真理を広めていく実践が必要だったように思います。」
(中略)終末思想の予言に基づくヴァジラヤーナ活動を行い、その結果、95年に破綻し、その後の予言が成就しない状況の中で、今の教団には、以前にもまして、非現実的な面、妄信的な面が強まっている、と思います。」
②「上祐代表書き下ろし講話集② 2008年」(甲170)より
・P41
◎Alephは麻原を不合理に神格化している
「麻原元教祖について言えば、世間一般の人から見ると、体も太っているし、多くの女性に子どもを産ませたし、自分に都合の悪い者はポワと称して殺してしまうということで、とても人格者、解脱者には見えないと思います。ましてや、今や、勾留中で、重度の拘禁症である、とされていますから、精神的にも弱い人 だと思う人が圧倒的ではないかと思います。
(中略)私が、一連の事件のことを含めて、麻原元教祖(やその家族)を神格化するのは、不合理である、と主張しても、その主張を受け入れない信者が(Alephには)多くおり、私は厳しく批判されました。」
③「上祐代表書き下ろし講話集③ 2008年」(甲171)より
・P4
◎麻原は人格障害型の無差別犯罪者である
「松本氏が主導した教団の事件と秋葉原の事件は、一見違って見えるが、よく分析するならば共通点があると思う。それは、最近の総括作業の中で行った、元教祖や教団信者の人格分析の結果、見えてきているものでもある。中略)これは心理学的にいえば、自己愛(自己正当化)が強く、他の否定・被害妄想が強い、人格障害と分析されるものであろう。(中略)私はこういった現代の犯罪を「人格障害型の無差別犯罪」と呼んだらいいかもしれないと思う。」
・P12
◎麻原は人格障害である
「オウム真理教のテロの場合は、やはり、それを主導した松本氏が、反社会的な人格を有していたことが原因の一つだった。松本氏の社会に対する認識は、自分が予言されたキリストであって、社会はキリストである自分を弾圧しており、それと戦い勝利しなければならないというものであったが、今になって客観的に見れば、誇大妄想と被害妄想であろう。そして、心理学や精神医学上は自己愛、救世主願望、誇大妄想、被害妄想などが強い人格障害と分類される」
・P76
◎オウムの逸脱したマハームドラーの概念と、誇大妄想と被害妄想の世界観の問題について
「なぜ、オウム真理教で、そういった逸脱した「マハームドラーの試練」という概念が生じたかと言えば、それは、そもそも「オウム真理教の世界観」が、教団が善業多き魂で、社会は悪業多き魂で、教団が不当に社会に弾圧される中で、最後には、教団から現れるキリスト(松本元教祖)が、悪の社会に打ち勝ち、悪業多き魂をポアして、キリストの千年王国を作る、という「世界観」があったからである。」
(中略)「教団の世界観」すなわち、教祖と信者の社会の中での位置づけ自体が、すでに思い上がった「自己中心的」なものであったからだ(ただし、より正確に言えば、教祖と信者本人たちには、自分たちの「思い上がり」や「自己中心」に対する自覚はなく、自分たちはキリストの集団である、という「誇大妄想」と、自分たちは弾圧されている、という「被害妄想」があった、ということができる。すなわち、「狂信・盲信」の結果である)。」
・P108
◎オウムのヨーガ行法は問題がある
「オウムのクンダリニー・ヨーガを含めたヨーガ行法の実践が、かなり荒っぽいものであり、心身を痛める危険性があったのではないかと考えている。」「(中略)松本元教祖も師事したことがあるインドの聖者(パイロットババ師)が、松本氏とオウム真理教に絡んだ問題点として指摘(中略)1.松本氏の修行法は行法(右気道の実践)に偏っており(精神的な実践が弱く)2.特に、アナハタチャクラ(=プライド)でひっかかっており、「私が救済する」というエゴを持っていた。3.行法で一時的に煩悩が浄化された(ような)状態になり、霊的な体験をして悟ったと錯覚する問題があるなどである。」
・P108
◎他人に魔境に陥るなと戒めた麻原自身が魔境に陥った
「松本氏がなした妄想的・独善的な活動を見れば、松本氏は、「他人に魔境に陥らないように戒めながら、自分自身はそれを避けることができなかったのではないか」と判断せざるを得ない。」
(中略)松本氏を分析した人の中に、自ら霊的な修行体験があり、京都大学教授の鎌田氏がいるが、彼はその書籍(『呪殺・魔境論』)の中で、「松本氏は、魔境を経験し、魔境を知っていたが、最初の魔境を抜けた後に、自分が最終解脱したという第二の魔境に入ったのではないか」と述べているが、これは非常に興味深い。鎌田教授と同じような見解を持っていたと思われる人物として、松本氏自身が、その初期の雑誌記事の中で紹介した、雨宮氏という修行者(故人)いるが、彼は、松本氏が最終解脱したと主張し始めた際に、強く批判して「大変なことになる(地獄に落ちる)」と警告したという。
上記のパイロットババ師も、松本氏が最終解脱したと主張した1986年の時点で、松本氏が、師から伝授された修行を適切に行っていないがために、破滅にいたることを警告したという。」
・p189~190
◎オウムは殺人事件以外にも悪業があり、贖罪をしなければならない
「いわゆる重大事件とは別に、教団では、まったくの詐欺的な行為に加えて、ハルマゲドンが起こるなどという、特殊な世界観に基づいた強引な布施集めなどがあったが、これらも、その内容によっては、偸盗の悪業に分類されるものだろうから、自分の行動をしっかりと内省すべきであろう。」
(中略)教団の信仰のために嘘をついた妄語の悪業がある。これは私が偽証罪で捕まったり、広報活動で教団の事件に対する関与を否定したりしたことも含まれる。この悪業は、当時のサマナ・信徒に、導きや事業活動などを含めて、相当広く広がっていたはずだ。真理のためにならば嘘をついてもいい、という考え方である。
(中略)松本氏が関与した一連の重大な事件と、松本氏不在の中で、弟子たちが行った行為がある。例えば、事件化されるほどではなかったにしても、観念崩壊セミナーにおける無理な修行による傷害行為、それから、分派したケロヨングループの傷害致死事件や、その他の部署の詐欺的な行為などがある。
これらの悪業を認識しないと、自己を正当化するために、自分は知らなかったという偽善的な意識が形成される傾向があるので、特に注意を要する。例えば、観念崩壊セミナーなどは、多くのスタッフが見聞きする中で、信仰上の理由で、それを止められなかったものであるから、自分たちが知らなかったでは済まされないものであって、その悪業を認識しなければならない。
(中略)私たちが信じた当時の教団の思想・教えは、社会に対して非常に対立的・闘争的であって、犯罪行為を正当化する過激な内容を含んでいた(中略)一連の事件の行為だけではなく、その背景にある信仰の内容自体に、すでに悪業が含まれていた
(中略)謝罪・賠償・教団改革を、その本来の意味に基づいて行うことである。本来の意味とは、アーレフのような、自己の盲信を社会の圧力から防御するための作戦ではなく、自己の過去の過ち=悪業を認識し、その悪業の精算として行うことである。
(中略)被害者遺族の方々が解散を望む背景には、一連の事件の後から、アーレフ時代までの所行があるだろう。第1に、99年までは形上(かたちじょう)も、謝罪・賠償をしなかったこと。第2に、2000年以降のアーレフ時代も、形上の謝罪・賠償にすぎず、それは教団を社会的に防衛する手段であったこと。そして、その賠償も、契約で約束された額を支払うことができなかったことである。」
『2009~10年年末年始セミナー特別教本《改訂版》』(乙D242)p16
◎オウム真理教などの善悪二元論の盲信の過ち
「欠点と長所を区別する考えが強い、すなわち、善悪二元論の世界観の場合は、自己の欠点に対する嫌悪が強まり、完全無欠の存在を求める傾向が強まる。しかし、自分の力では完全無欠の存在などにはなり得ないから、誰かに依存して、そうなろうという心理が働く。その結果が、例えば、オウム真理教などにも見られる、妄信的な信仰を生み出すと思われる。
この場合は、唯一の人物を神の現れと考える傾向に陥る。そのため、人が誰しも、それぞれに、その欠点の裏に長所を有しており、それは神に与えられた個性であって、すべての人々が神の現れである、という一元的な思考には至りにくい。」
『2010-11年末年始セミナー特別教本《改訂版》』(乙D245)p61
◎オウムの開祖=麻原の陥った慢心の過ち
「霊能力・超能力が強くても、それが優れた人格や真実の悟りとは、必ずしも結びつかないと思います。オウムの開祖は、自分が神の化身であるという慢心に陥って、手段を選ばない布教を正当化し、例えば、隠して薬物を与えることで信者に神秘体験をさせ、それが自分の力によるものだと思わせるといった、いわば演出をしました。」
『2010年GWセミナー特別教本《改訂版》』(乙D243)p34
◎自分達を絶対視した狂信的なオウム真理教お過ち
「強い自と他の区別・善と悪の区別があって、自分たちを絶対視する、いわば、狂信的な宗教や思想である。オウム真理教には、この傾向が強かったのではないかと思う。そして、イスラム原理主義、キリスト教保守主義といった、紛争の原因となっている原理主義的な宗教も、このタイプに属すると思う。」
『2013年GWセミナー特別教本《改訂版》』(乙D252)p6
◎教祖を絶対として狂信的な思想に陥ったオウムの一連の事件の経緯と反省
「教団は教祖を絶対とし、社会を悪魔に支配されたものと見て敵対する狂信的な思想に陥って、犯罪行為を正当化し、実行し始めていた。89年の坂本弁護士殺害事件後には、教祖への盲信などから、自分も同じ間違った思想に陥り、90年にかけて、テレビ出演で公衆の前で教団を守るために嘘の弁明をする緊張した状態を経験した。93年ごろには、一つ間違えば死亡する緊張を伴う生物兵器の製造実験の活動にも参加した。
その教団は、94~95年にかけて、サリン事件などの重大な事件を起こして破綻するに至り、教祖と同僚の高弟たちは、次々と重罪で逮捕・起訴され、死刑が求刑された。」
『2012年夏期セミナー特別教本《改訂版》』(乙D250)p28
◎麻原は誇大妄想・被害妄想
「そして、オウム真理教の麻原教祖は、この誇大自己症候群の典型であろう。麻原の場合は、自分がキリストであるのに、それを認めず否定する社会は、キリストを弾圧する悪業多き魂であり、戦わなければ教団はつぶされる運命であり、戦うならば、一教団にもかかわらず、キリストの集団であるがゆえに、勝てる(可能性がある)という誇大妄想と被害妄想に陥ったのである。
麻原のように重篤なケースは、特に幼少期の親子関係に特に深い傷があるのかもしれない。実際に麻原は視覚障害者であり、自分の意に反して、親元から離されて全寮制の盲学校に入れられるなどして、親への恨みが強かったといわれている。」
『2010年夏期セミナー特別教本《改訂版》』(乙D244)p32
◎オウムのマハームドラーの教義の過ち
「なお、忍辱(忍耐)の実践に関連して、オウム真理教では、マハームドラーと呼ばれるグルが与える試練に耐えるという教義があったが、その間違いについて指摘しておく。
オウムが説いたマハームドラーとは、他者=社会を犠牲にした形で、自己満足の世界の中で、自己放棄の修行をしようとしたことであった。このような他者の犠牲をともなう形での試練を自己の忍辱(忍耐)と解釈するのは、明らかに自己中心的な価値観であって、自と他を平等に尊重する大乗仏教の思想に反するものである。」
『2009年GWセミナー特別教本《改訂版》』(乙D240)p16
◎親子関係の問題を解決せず、悪用したオウム
「ところが、現代では親子関係が歪んでおり、親を尊敬していない子供が多くなっている。よって、この親子の問題を乗り越えなければ、仏教の教えの根幹が損なわれる。
一方、オウム真理教は、この問題を解決せずに、この問題を逆手にとった宗教であると思われる。すなわち、末法の世には悪業多き魂が多いとして、教団を肯定しない親は強く否定し、出家制度によって子供を親から隔絶し、教祖のもとに集中させることで、子供が救われるとし、親をはじめとする社会と敵対し、戦って勝利することを教義とした。」
『2013年 夏期セミナー特別教本《改訂版》』(乙D253)p35
◎麻原は精神病理的な状態とアレフの修行の危険性・過ち
「しかし、そのグルであった麻原自身が、今、精神病理的な状態にある。原因が、逮捕後の社会的圧力や拘禁という物理的な環境条件である可能性もあるが、異常を呈する直前に、クンダリニーエネルギーのコントロールに苦しみ、裁判長に訴えていたことが、裁判記録から明らかなため、クンダリニー症候群である可能性が少なくない。
また、オウム時代にも、全体での割合はごく少ないが、信者の中で精神分裂的な症状を呈する人がいたことは明らかである。私が最初期に参加したセミナーにおいてさえ、そうなった会員がいた。その後に行われた「狂気の集中修行」と呼ばれたハードなセミナーでも同様である。(中略)
オウムの精神的な問題は、麻原に近しい人物や高弟たちにも及んでいる。オウム事件後、統合失調症を呈した者がいたが、これは、事件がきっかけであり、クンダリニー症候群ではないかもしれない。しかし、麻原に近い幹部の女性の中にも、幻聴が聞こえ、通院した女性が複数いる。
最近では、アレフ(旧オウム)の幹部の一人が、麻原の声が聞こえるという幻聴状態に至り、それをきっかけに団体から魔境とされ、教団活動から外され、その後に集中修行に入ったが、再び幻聴が聞こえたので、修行を中止したという事態も発生しているという。
さらに、アレフで問題であることは、①クンダリニー・ヨーガの危険性を全く知らせず、「グル麻原がいるからアレフで行う限り危険性はない」と主張し、②その一方で、クンダリニー・ヨーガのメリットをあまりに誇大宣伝していることである。」
『2008年夏期セミナー特別教本《改訂版》』(乙D237)p59
◎妄想的プライドから武装化や薬物を正当化したオウムの過ち
「宗教の場合は、まず、「自分たちが唯一正しい存在である」という妄想的なプライドを持つ恐れがある。これに基づいて、「多くの人が(本質的には地球のすべての人が)、自分の宗教の信者になるべきである」という意識が働く。
ここではすでに相当の支配欲・権力欲が働いているし、競合する他宗教との闘争心も働いている。そこでは、歴史上、しばしば、強制力・暴力・軍事力も用いられてきた。教団武装化や薬物を使ったオウムも、この一例である。」
『2008~09年 年末年始セミナー特別教本《改訂版》』(乙D238)p8~9
◎オウムの麻原は、間違った依存の対象
「例えば、オウムの元教祖の場合のように、依存の対象が犯罪行為を肯定しているなど、客観的に見れば、大きな問題があるにもかかわらず、一部の信者には、「自分で判断して間違えたくない」という気持ちが極端なまでに強いために、間違った対象に依存し続けてしまう、という場合である。」
『2009年2月セミナー特別教本《改訂版》』(乙D239)p30
◎プライド・虚栄心で暗部を直視しないオウム真理教の問題
「しかしながら、競争社会で育ったわれわれは、自分が他人に対して優位であったり、劣っていたりするといった、自と他の比較について、非常に強くとらわれている。よって、自分の長所と他人の欠点はよく見るが、自分の欠点と他人の長所を見ることは苦手である。
また、特に、宗教の実践者の場合は、オウム真理教での経験でもわかるように、みずからの宗教的な実践を誇っている間に、プライド・虚栄心が増大し、そのために、自分の暗部を直視しないという問題も生じることがある。」
『2010年夏期セミナー特別教本《改訂版》』(乙D244)p31
◎麻原・オウム真理教の被害妄想・誇大妄想の問題
次に、「因果の七つの秘訣の瞑想」は、すべての衆生・万物に対する感謝と恩返しを養う教えである。これは、オウム真理教の際に陥った、社会を善業多き魂である自分たちと、悪業多き魂である他者に分けて、「社会が自分たちを弾圧している」という被害妄想や、「その中でキリストの集団となる」という誇大妄想とは、正反対の教えであることは明らかであろう。
そして、この被害妄想の背景になったものと推察されるのが、元教祖の幼少期における不遇であるが、親や周囲に対する不満・被害妄想といった人格の歪みも、法則に基づいて、感謝の実践を行なうならば解消される。
『2011年GWセミナー特別教本《改訂版》』(乙D246)p53
◎オウムは一時的な成功による慢心がもたらした狂気
宗教界では、オウムこそが、一時的な成功による慢心がもたらした狂気でした。教団を聖とし、社会を邪として、世界を二分化する教義・物の考え方に、慢心が潜んでいました。実際には社会に支えられて教団が成立・成功していたのが実際なのに、その社会を否定・破壊して、理想の社会を作るという誇大妄想を抱いた結果、実際には、社会とともに、自らを破壊した形になりました。
『2014~15年末年始セミナー特別教本』(甲128)p31
◎当たらない予言を断言した麻原のようなタイプは精神病理的な部分がある
「麻原彰晃がそうだったように、当たらないことの方がずっと多いのが実態であって、例えば麻原の終末予言のように、特に大きな物事になれば全く当たらないにもかかわらず、それを断言するので、信者と周囲(そして社会)を混乱させ、傷つけることが多い。(中略)
そうしたタイプの人は、精神病理的な部分があって、(自己を神格化する)誇大妄想と(その偉大な自分が、周囲・社会には不当に認められていないと考える)被害妄想に陥りやすく、その意味で、精神的に不安定で、そのカリスマ性と人格は、まったく一致しない(というより反比例さえする)。」
『2014~15年末年始セミナー特別教本』(甲128)p11
◎オウム事件の背景にあった教祖と信者の集団心理:感性の暴走:盲信
「ひかりの輪」が、反省と教訓の対象とするオウム真理教事件は、教祖と信者が感じた「神のようなもの」が、客観的で合理的な根拠がないにもかかわらず、真理だという集団心理が形成されて、起こされたものであった。
『2016年GWセミナー特別教本』(甲133)P22
◎オウムなどの問題の原因は極端な善悪二元論
「そして、オウム真理教や大日本帝国の思想を含め、宗教・政治その他の思想が極端な善悪二元論に陥ると、巨大な暴力が正当化される。善悪二元論とは、自分・自分の集団・国家だけを絶対善として、他を絶対悪とする思想である。」
『2016年GWセミナー特別教本』(甲133)P39
◎輪廻転生を盲信するデメリット=オウムのポアの問題は信者らの来世エゴが原因
「一方、信じるデメリットとしては、今生よりも来世が重視されてしまい、今生が軽視され、破壊されてしまう場合がある。(中略)また、オウム真理教が取り入れた、一部の密教に見られる度脱・呪殺・ポアの思想のように、他人を殺しても、幸福な来世に導けば救済であるという考えの土台になる可能性もある。これは、突き詰めると、「信者の来世エゴ」ともいうべきものかもしれない。自分の来世の幸福にとらわれるあまり、その宗教の教義に従って、自殺・他殺を行なう結果、実在する今生の他者(と自己)を、いろいろな意味で傷つけることになる。」
『2017年GWセミナー特別教本』(甲136)P50
◎オウム真理教の問題:自己特別視、暴力主義、自滅的な暴走
「その本質において、神国日本を唱えた大日本帝国にしても、共産主義の学生運動にしても、オウム真理教にしても、自己の特別視と、対抗者に対する強い否定を含んだ善悪二元論と、暴力主義的な傾向、そして、自滅的な暴走をして破たんした点などで共通点がある。」
『2017年GWセミナー特別教本』(甲136)P56
◎オウムの終末思想と自己特別視の欲求から生じた自己過信による盲信
「こうして、終末思想に、自己特別視の欲求が加わって、自分たちこそが予言された聖戦を担う者であるという自己過信に基づく盲信が生じる構造があることに、十分に注意しなければならない。」
『2017年GWセミナー特別教本』(甲136)P55
◎オウムの予言経典の解釈は非合理的で成り立たない
「また、オウムの事例では、転輪獅子吼経が説く、人類の寿命が平均10歳まで短くなった時に大戦争が起こるという予言や、シャンバラの王であるルドラチャクリンが地上に降誕して、悪の勢力を滅ぼす聖戦を行うという時輪経典の予言が利用された。
しかし、経典を合理的に解釈すれば、弥勒菩薩が今の時代に降誕するという解釈は、あり得ないだろう。また、人類の平均寿命が10歳前後であったのは、縄文時代の時であって、その後は増大をし続けているのだから、今後大戦争が起こる予言は成り立たない。」
(4)三仏と麻原は違うこと
①2007年3月4日・東京での講話(甲140)
・P26
◎観音も弥勒も、麻原を含めた特定の人物とは無関係であり、実在した人物の釈迦も崇拝しない
「旧教団(オウム)と違って、観音にしても弥勒にしても、われわれはそれが具体的な人物であるとか、誰かこの人が弥勒である、観音であるということは言いません。例えば、ある特定の人物、元代表も含めて、この人が弥勒の生まれ変わりであるとか、唯一の生まれ変わりであるなんてことは主張しません。むしろ、釈迦の教説に忠実に従って、弥勒や観音っていうのはおそらくは想像上の存在であるという考え方です。」
「ここで、われわれが、旧教団(オウム)との違いを鮮明にしておかなければならない立場なので申し上げますが、観音や弥勒というのは、皆さんの仏性を引き出す、皆さんの心の中にあるものではあっても、誰か特定の人物だけが弥勒であるとか、弥勒として降誕した救世主であるとかいう考え方は一切とらないし、その背景として、そういった弥勒や観音というのは、大乗仏教の修行者たちが、それを観想させると意識が引きあがるっていう存在として用いてきた、それは素晴らしいけど、実際に釈迦が直接、五十六億七千万年後に弥勒という人間が現れると説いたわけではないから、それを実際の人物であるというふうにすることは、場合によっては危険であるというふうに考えています。弥勒という言葉に関していえば、弥勒という名のもとで多くの血が流れました。」
「弥勒や観音っていうのは、新団体における位置づけは、皆さんの神性、仏性を引き出す、慈悲の心を引き出すには好ましいシンボルとして、日本や中国やインドで長い間、大乗仏教の中で用いられたものとしては尊重するが、それは基本的にそれ以上のものではない。ある意味じゃ、想像上のシンボルなんだっていう考えぐらいを、適当なとこかなというふうに思っています。」
「むしろ、釈迦を崇拝対象にしないために釈迦を掲げています。それはなぜかっていうと、釈迦の教え自体がね、新団体の象徴物の考え方と非常に一致しているからです。釈迦は自己の崇拝対象、神格化を否定しました。そういった宗教家だったわけです。自分を拝むなと言いました。法に帰依せよと。これが釈迦の教えの特徴です。」
②2007年10月21日・大阪での講話(甲153)「基本用語集の解説」
・P25~31
◎全ての人が観音菩薩であり、弥勒菩薩である
「今、我々にはいろいろな法友たち、友人・知人もいるが、悟った境地から見ると、それはみんな仏様です。それはみんな菩薩様です。すべての人が観音菩薩なんです。
(中略)そういった視点からね、観音菩薩の信仰で、すべての人が観音菩薩であるという考え方が出てきます。(中略)すべての生き物を観音菩薩と観想しなさいということがありました。
(中略)皆さんが未来仏、弥勒と同じように、すべての衆生が未来仏だと信じた時、皆さんは未来仏、弥勒に他ならないということ、これが大乗仏教の教え、すべての衆生に仏性がある、すべての衆生が観音菩薩である、すべての衆生が未来仏弥勒である、少なくともその可能性を宿している如来像であるという教えの真骨頂ではないかと思います。」
③2008年7月13日・大阪での講話(甲166)「誇大自己と被害妄想」
・P11
◎釈迦・観音・弥勒の思想は、麻原を含めた特定の人を神としない思想である
「ひかりの輪では人を神とせず絶対視しない形で学ぶ、ふたつめはすべての人々から学ぶ、そして三つ目は大自然を尊重する融合する、三つの考えかたこれが出てきたわけです でよく考えていただければ釈迦観音弥勒の三つの修行です。人を神とせず自己を帰依所とし法を帰依所としと言ったのは釈迦です。ふたつめ、すべての人から学ぶ、すなわち全ての人は観音菩薩であるという教えこれは観音です。三つ目これは私の感覚ではですね、弥勒の教えってのは、宇宙なんだよ仏って言うのは宇宙なんだよー、これが弥勒の教えなんです。なぜなら弥勒ってのは大乗の象徴物ですべての魂を解脱に導くものである。」
④「上祐代表書き下ろし講話集③ 2008年」(甲171)より
◎全ての生き物が観音菩薩である
・P89「観音菩薩の教えの中には「すべての衆生が観音菩薩である」という考えがある。その発端は、観音菩薩が33の化身を有し、どんな衆生の姿形をとっても現れるから、ということらしい。」
・P200「自他の区別を滅するというのは、イメージとしては、三仏で言えば、観音菩薩の教えである。例えば、すべての生き物を観音様と見るという教えがある」
・P257「すべての人々が観音菩薩である、という信仰も生まれた。普通の人、生き物に見えても、観音菩薩が変化したものかもしれないということだろう」
・P257「すべての衆生は、(将来の)観音菩薩ということもできるのだ」
・P264「観音菩薩は、三十三観音といわれるように、いかなる人・生き物の姿形をとることもできるとされるところから、すべての人々が観音菩薩である、という信仰がある。」
・P276「観音菩薩には、すべての人が観音菩薩である、という信仰や瞑想法がある。また、観音菩薩のマントラは、大日如来の光明真言の短縮形でもあるが、大日如来を説く華厳経は、宇宙が大日如来の現れであり、その一部であるすべての衆生も、大日如来の現れであると説く」
・P278
◎麻原らを弥勒菩薩・キリストとする思想は破綻し、ひかりの輪の思想とは異なる。
「オウム真理教時代に、私には、マイトレーヤ=弥勒菩薩という宗教名を与えられ、しかも、当時の松本元教祖自身が、マイトレーヤであると自称していた。その意味で、自分にとっては、弥勒菩薩というものは、いろいろな意味で因縁が深い。
言い換えれば、自分は、真実の弥勒菩薩とは何かを追い求めてきたのかもしれない。オウム時代は、それを松本氏に求めたが、それは破綻するに至った。そして、その後の葛藤の中で、私がつかんだ真の弥勒菩薩のあり方は、まさにひかりの輪の教えと不可分である。
松本氏は、自分こそがマイトレーヤであり、キリストであると主張したが、ひかりの輪は、すべての人々が、仏の現れ、神の現れ、法(=仏法)の現れであると考えて、奉仕するべきであると説くに至った。特定の人物を神・仏の化身と見る考え方から、すべての人々、衆生を尊重する考えに大転換したのである。そして、私は、これこそが、真実の弥勒菩薩の教えであると確信するに至った。(中略)この弥勒菩薩の教えからすれば、この世界を善業多き教団と悪業多き社会に二分したオウムの考えは否定される。なぜならば、オウムの人が体験するこの世界は、オウムの人の心の現れであり、オウムが善で社会が悪という二分化はありえないからだ。」
【4】様々な点で「麻原への(絶対的な)帰依」に違反していること (2019年2月28日)
公安調査庁は、ひかりの輪が、麻原に帰依し、アレフと裏でつながっていて一体であるなどの虚偽の主張を展開してきましたが、実際には、全く正反対の事実が存在し、東京地裁の判決も、公安調査庁の主張を否定しました。
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実際には、ひかりの輪は、麻原への帰依に著しく反し、アレフと一体であるどころか、長年の断絶・対立関係にあります。
そのことを明らかにしている箇所を、ひかりの輪が、公安調査庁の観察処分の取消しを求めて裁判所に提出した書面の中から、以下に引用します(一部、個人名を伏せたり、わかりやすく訂正したりしている箇所があります)。
【4】 アレフ(及び麻原の家族)と激しく対立してきた事実
1 「ひかりの輪」が様々な点で麻原への(絶対的な)帰依に違反していること本項では、一審のひかりの輪準備書面(1)第5の「ひかりの輪が麻原に対する絶対的な帰依に違反していること」における主張を補充するものである。
具体的には、「ひかりの輪」が、アレフ(現Aleph)時代から、麻原への絶対的帰依をせず、麻原の家族への帰依もせずに、合法的な活動等のために、麻原の言葉を用いた時期はあっても、麻原を相対化しており、「ひかりの輪」の発足も、麻原の意思では全くないことについて述べる。
(1)国は、一審の国準備書面(1) 第1の1(2) 、同準備書面(2) 第1の1(1) 、さらには、控訴理由書の第3の2の(1)イなどにおいて、一連の事件を招いたオウム真理教の教義の危険性とは、麻原に対する絶対的帰依、タントラヴァジラヤーナ、五仏の法則、マハームドラーの法則であると認めている。
(2)これは、殺人や麻原に対する不敬行為など、通常はオウム真理教の教義で悪行とされるものに関して、麻原の指示がある場合は、それをなすことが認められるというものであるが、これに関する非常に重要な原則が、その場合は、「麻原の言葉通りに、言葉以下でも言葉以上でもなく」実行しなければならない。ということである。
すなわち、麻原への絶対的な帰依の要素の中には、「麻原の言葉」を絶対とし、麻原の言葉通りに、麻原の言葉を唯一絶対のものとし、似ているものがあってもそれはだめであり、麻原の言葉だけが唯一絶対である、という意味が含まれているのである。
この点に関しては、「ひかりの輪」は一審のひかりの輪準備書面(1) 第5の1~4などで主張したところであるが、この点に関しては、国からの反論は一切ない。
(3)そこで、あらためて、国の主張・証拠も、この原則を認めている点を指摘しておく。
まず、最新の書面である控訴理由書・第3の2の(1) イ(p23)においても、国は、
「松本は、タントラヴァジラヤーナに関する修行方法として、松本が弟子のひとりひとりの煩悩の特質を見抜いて特別な課題・試練を与え、それを弟子に取り組ませることによって、自己の意思を捨てさせ、松本と全く同じものの考え方や見方をさせる「マハームドラーの修行」が重要であることを強調している(証拠)」
と主張している。また、国提出の証拠における国の主張でも、
「麻原は、「タントラ・ヴァジラヤーナ」を実践するためには、グルである麻原に対する完璧な帰依、絶対的な帰依が必要であると説いて、麻原に対する絶対的な帰依を要求するとともに、自己を捨て、グルと全く同じものの考え方や見方をして、グルと合一することであると説いた。」
としている。
かつて麻原は、
「グルの意思とは違うようなね、動きがかなり行なわれていると。で、ここでいったん修正しないと、単なる弟子たちに悪業を積ませてしまうだけであると」
と述べていたことがあり(89/7/20・21の麻原説法・証拠)、グルの意思・指示と異なれば、弟子にとって悪業になることを指摘している。
また、国は、麻原への絶対的な帰依を実践する現Alephの機関誌を引用して、麻原への絶対的な帰依とは、麻原の言葉への帰依であることを強調していることを指摘している。
「真理をこの世に残すに当たってまず大切になってくるのは、グルが説かれた教えの厳密性・純粋性を保持するということである。つまり、真理の教えにしろ経典(仏典)の翻訳にしろ、グルを介して提供されたもののみを拠り所とする-わかりやすく言えば、グルの言葉から外れないようにする-ということなのだ。」、
「このことは、「真理に対する帰依」の意味合いのところでも取り上げたように、それが「グルの言葉に対する帰依」であることからもおわかりいただけるのではないだろうか。」(一審の判決で引用されている証拠)
加えて、念のために、言葉通りの実践が原則であるという点に関して、一審のひかりの輪準備書面(1) 第5などで既に示したにもかかわらず、これまで国が一切反論できていない麻原の説法の内容を改めて適示しておく。帰依ができているということは、完璧にグルの言っていることを百パーセント実践すると。これは百二十パーセント実践しないと。あるいは八十パーセント実践しないという意味だ。百パーセント実践すると。(麻原説法 88/9/22 富士山総本部:証拠)
君たちが、わたしと輪廻を共にする場合、君たちがわたしの変化身として、もし、これからの人生をトランスフォームすることができるならば、必ずや君たちは、来世わたしと共に輪廻することはできるであろう。ではどのようにしたら、わたしの変化身になれるのか。それは言うまでもなく、心においてグルと合一し、言葉においてグルと合一し、そして行動は、グルがなすであろう行動を実践すべきである。(麻原説法 93/10/5 第二サティアン)
グルが与えたね、あなたはこれをやってはいけない、これをやりなさいということに対して、絶対服従することだね。(麻原説法 86/3/21~24 丹沢集中セミナー)
(4)さらに、麻原への(絶対的な)帰依を実践する現Aleph(「ひかりの輪」発足以前のA派)が、麻原への(絶対的な)帰依とは、麻原の言葉通りの実践であることを強調している証拠を追加する①A派作成の教団機関誌「進化」(証拠)
この中で、A派は、以下の通り、グルの言葉通りの実践を強調した。
「わたしたちはグルが説かれた煩悩破壊という最高の世界に至るための教えを、歪めてしまうことなく、時代を超えて継承していかねばならない。それがグルの願いなのである。」(一審の判決p47~48、証拠)
「真理をこの世に残すに当たってまず大切になってくるのは、グルが説かれた教えの厳密性・純粋性を保持するということである。つまり、真理の教えにしろ経典(仏典)の翻訳にしろ、グルを介して提供されたもののみを拠り所とする-わかりやすく言えば、グルの言葉から外れないようにする-ということなのだ。」(証拠)
「このことは、「真理に対する帰依」の意味合いのところでも取り上げたように、それが「グルの言葉に対する帰依」であることからもおわかりいただけるのではないか。」
以上の記載の後、「グルの教えを正しく伝える ○間違ったことを多くの人に伝えることの恐ろしさ」という項目をあげ、グル(麻原)の言葉から外れると大変なことになるという話が続いており、麻原の言葉から外れているM派の活動を暗に批判している〈証拠〉。
また、麻原への絶対的帰依の重要性と教義の変更が不可能であることを強調しており、一審の判決において、A派が
「松本への絶対的帰依の重要性と教義の変更が不可能であることを説いている。」
と認定されている(一審の判決p48)。
②A派幹部の荒木浩主催の「お話会」と称する上祐批判会合(証拠)この中で、A派幹部は、以下の通り、麻原の説法にない言葉は一切使ってはならず、一字一句麻原の決めた言葉通りに、言葉を使うべきなのに、上祐らはそうしなかったと批判した。
上祐は、その説法の中で「空」について「偉大なる完全なる絶対なる空」という言葉を語ったが、このような単語は麻原の説法にない単語で、上祐の造語である。本来オウム真理教の編集部では、麻原の説法にないような言葉は一切使わず、一字一句麻原の決めた言葉通りに正確に扱うものだが、上祐はそれを無視して単語も創造した。
また、以下の通り、麻原の言葉を削除したことは、麻原の絶対性を否定する悪業と批判した。
上祐は、『ファイナルスピーチ』の改ざんの際、重要な「麻原が最終解脱者であり、未来においてマイトレーヤ真理勝者として降誕する」旨の内容を削除したことは、麻原の絶対性を否定するとんでもない悪業だ。今その編集をやり直し始めている。
③ A派幹部による信者教化用の資料「マイトレーヤ正大師(※上祐のこと)の非公式な活動に対する疑問の声」資料(証拠)
この中で、A派は、上祐が、大黒柱・虹・十和田湖等の上祐独自の宗教活動を展開する問題を生じさせたとして、2003年10月14日に全正悟師と師が出席したシッダ・サマージャで、上祐に、正式に修行に専念するよう要請する「嘆願書」を提出、さらに、修行に入ったはずが勝手に出たとして、上祐を激しく批判している。
そして、上祐の問題として、「本来グル(※麻原)しか行ってはいけない行為(経典の解釈)」を行い、「教えの純粋性を損なった」とした。修行を出た後も、麻原が許可していない神社礼拝(戸隠神社礼拝)を行うなど、「尊師から定められたことを守らない運営方針」「尊師外し」「グル化問題」は止まらないと激しく批判している。ここで、麻原のみが経典の解釈ができるということは、弟子は、麻原による経典の解釈を示す教えの言葉によってのみ、教えの実践をするということにほかならない。
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【1】2002~3年の改革の失敗と、マイトレーヤ正大師(上祐)修行に入られた経緯
(2) 改革の弊害 まず社会対策ありきで、宗教性の部分を歪曲してしまった。
(3)「嘆願書」を受け入れて修行に専念へ
◎嘆願書の要旨:・(上祐は、)「本来グル(※麻原)しか行ってはいけない行為(経典の解釈、エンパワーメント)」を行うことを始めとして、様々な問題を生じさせてしまった。教えの純粋性を損なってしまった。
【2】2004年、マイトレーヤ正大師(上祐)が修行から出たことの経緯と問題
・活動再開後も変わらない改革路線(「尊師外し」と「グル化問題」)
・戸隠神社礼拝問題:2005年の3月に上祐とその一行10名が、戸隠神社の鳥居の前で立位礼拝をしたということが分かり、教団内で大問題になった。
【資料・神社礼拝についての尊師説法】
・戸隠神社礼拝と新教義の展開で、麻原以外の信仰形態を取る改革を推進する意図が明らかに。
・尊師から定められていたことを守らない運営方針
【3】本来のあるべき教団運営
(2) 原則に立ち返る~尊師の説かれたことや定められたことを忠実に~
真の意味での救済=解脱・悟り(煩悩破壊)へ至るためには、尊師に対する帰依なくしてあり得ない。対外的には柔軟な対応が必要だが、信仰の面では絶対尊師は外せない。
いかに尊師の意思を外さず、しかも強固な教団作りをするには、このように尊師の説かれたことや定められたことをしっかり守り、原則に立ち返ることが重要なのではないか?
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④ 元幹部・杉浦の証言:グルの言葉を絶対視するAleph教団を裏支配する麻原の妻の方針
オウム真理教で長らく編集部に所属していた元幹部の杉浦は、以下の通り、Aleph教団では「麻原の説法がそのまま教義になる」と語り、麻原の説法のうち一連の事件に繋がったとされる「最終解脱者」「グル絶対」などの部分を伏せ字にすることさえ、麻原の妻は、「グル(麻原)への冒涜だ」として許さず、「グルの言葉は絶対だ。正す必要はない」と述べていたと証言している。
教団では、麻原教祖の説法がそのまま教義になります。平成8年の弁明手続きの際、麻原教祖の説法のうち、一連の事件に繋がったとされる「最終解脱者」「グル絶対」などの部分を伏せ字にしました。
しかし、知子さんは「グルへの冒涜だ」として伏せ字にすることを許しませんでした。(中略)また、平成16年頃、「ファイナルスピーチ」「パーフェクトスピーチ」の編集をしていた際、社会融和を図るため、事件に繋がる記述には、言葉を換えることまではしないまでも注釈を付けていました。(中略)翻訳の部分は正していました。しかし、知子さんは「グルの言葉は絶対だ。正す必要はない」と言い、知子さんと電話で激しい口論をしました。(証拠)
(5)「ひかりの輪」の発足に至った上祐らの言動は、Aleph時代から、麻原の言葉通りの実践ではなく、麻原への絶対的帰依に明らかに違反している。
①「ひかりの輪」は麻原の意思した別団体の実現と国は主張するが、実際には、麻原の別団体の指示は、「ひかりの輪」の発足を想定したものではなく、教団解散の危機にあった破防法適用申請時の対策であり、この点で、「ひかりの輪」は麻原の指示に反している。
言い変えれば、仮にその麻原の指示に言及したことがあっても、それは、自分たちの望む団体を作るために、麻原の言葉を利用したことにほかならないのである。なお、麻原の別団体の指示が破防法対策であることは、控訴理由書の第4の1の(p34~35)を見ても明らかであるが、ここで、その獄中メッセージを出した時に、麻原が、破防法が適用されることを前提にしていたことを改めて以下に示す(以下、獄中メッセージは全て、国提出の証拠より)。
○1996年6月5日の獄中メッセージ(KAMI33・1ページ)
「弟子たちに破防法が適用されても、1999年に真の弟子が集まるとの予言があるのを信じろ。乞食をしてでも信仰を続けろ。忍辱の修行を続けろ。破防法適用は避けられないだろう。「わたしの名ゆえに苦しむ」の予言もある」として、破防法適用が避けられないという認識を示している。
○1996年6月12日の獄中メッセージ(KAMI36)「破防法が適用されたら村岡では持たない。破防法は適用される」
○1996年6月19日の獄中メッセージ(kami39・1ページ)「昨日の内藤先生の話でうちひしがれている。「破防法は適用されるだろう」と言われた→夢で見る」
○1996年6月14日の獄中メッセージ(KAMI37・1ページ、本別紙1・34ページ)「ノストラダムスに99年真理の弟子が集まるとありますから、破防法の適用はこの年までではないでしょうか。したがって3年しのげるような体制作りをしっかり行うべきです。」として、破防法対策の体制は、一時的なものと示唆している。」
さらに、麻原は、破防法対策として教祖を降りるとしながらも、以下の通り、破防法が適用されてしまった場合には、やはり麻原を教祖に担げと指示している事実がある。この事実からも、教祖を降りたり、(麻原を前面に立てない)別団体を作る指示は、あくまでも教団の解散指定を行う破防法を回避するための対策である。
○1996年6月5日のメッセージ(kami003・6ページ)
「・勝義部(座主)- ヴァンギーサ、ウッタマー 教義見解を出す これが機能すれば充分
自分の立場--日本の宗教感覚と違う 霊的な流れ(退くことはできない、そのままに)・信仰の基に自分がいるが、言葉は通じない(拘留されている)
二代目に帰依する--実際の教えを受ける、肌で触れる
ダライラマも仏の生まれ変わり 破防法の手続以外外れる → 自分でなければわからないから・破防法が適用されたら、教団からもう一度麻原を教祖にかつぐ動きを起こすように動いて欲しい
※降りたが適用されたが自分が出なければ教団が壊滅させられる
→事前に発表しておく(中略)・教団が記者会見せよ→なるべく早い方がよい
ドゥルガーあたりが出るのが良い
「破防法が適用された再び尊師が継ぐ」も発表せよ
教団の体制を早く発表した方がよい」なお、このメッセージをよく見れば、麻原は、破防法対策としても、国が主張するような当局に秘して麻原信仰を隠した団体は意思していないことがわかる。それは、破防法が適用されたら、麻原が教祖に戻ることを(破防法の適用の是非の結果が出る前に)事前に記者会見で発表することを繰り返し指示しているからも明白である。なお、この指示に従って、麻原の長女(ドゥルガー)が記者会見を行った事実がある。
さらに、一審のひかりの輪準備書面(3)に詳しく示した通り、麻原が破防法対策として別団体の指示を出していたことの証左として、麻原は、これらの獄中メッセージより半年ほど前の1995年の10月に、「破防法適用が困難」という報道(朝日新聞など)があった時には、それまでの姿勢を一変させて、上祐の進めた社会融和路線を否定した事実がある。その後、破防法の適用の可能性が再び高まったために、上記のメッセージが出ているのである。
② 麻原の指示は破防法対策であったこと以外にも、「ひかりの輪」の発足は、麻原の別団体の指示に様々な点で違反している
すでに、「ひかりの輪」は、一審のひかりの輪準備書面(1) の第5や、同準備書面(3) 第1の1(2) などにおいて、上祐らの「ひかりの輪」の発足が、麻原の破防法対策時の獄中メッセージの指示に様々な点で違反していることを詳細に立証している。ここで、その点を改めて述べた上で、さらに補充する。第一に、麻原の組織分割の提案は、破防法時の対策であって、合意に基づく分割であって、内部対立による分裂などを許すものではない。にもかかわらず、上祐らは、麻原の家族らA派・Alephと分裂して離脱・離反したことである。
○1996年6月14日の獄中メッセージ(kami37・1ページ)
「教団をアレフとオウム真理教のアーと二つに分けるかどうかについては、正大師や妻達と充分に話し合って下さい。」として、教団を分割する場合は、正大師や(麻原の子供を産んだ)妻たちがよく話し合っておこなうことを求めている。
○1996年1月9日の獄中メッセージで(KAMI03・1ページ、別紙1・34ページにも記載)も「破防法に対しては、二つのグループに分かれ、第1のグループは6人が一組になって(中略)この6人がファミリーとなり、教団の課題活動は一切しない。・・第2のグループは、法的に徹底的に破防法と戦い抜く。ただし、第1のグループは第2のグループの敗北が予想されるので、敗北した場合に吸収できるように準備しておく」として、破防法対策として、二つのグループが役割分担することは認めても、教団の分裂は全く認めていない。
この一方で、一審のひかりの輪準備書面(1)第5に示した通り、麻原は日頃から、分割ではなく、対立による教団分裂は大悪業であると説いており、麻原の指示・許可がなければ、教団分裂は麻原の意思・教えに大きく反することはいうまでもない。しかし、「ひかりの輪」は、この麻原の指示・教えに反して、麻原の子供たち・妻と対立して、教団に対して破壊的な分裂・離反をしたものである。
なお、麻原の別団体の指示は、まとめれば以下の2点であるが、そのいずれに対しても、「ひかりの輪」は多くの点で違反している。
一つ目は、別の宗教団体を作る指示・許可として、逮捕される前からの指示として、①(事件の結果、破防法などが適用されて破綻するだろう)オウム真理教とは別の宗教団体を作る。②例えば、シヴァ大神を大黒天と呼び変えるような、衣替えした団体にする、というものがあり、これは、弟子が麻原の言葉を要約したものである。
二つ目は、教団を二つに分割する可能性に関する指示・許可として、破防法が適用されることを前提として、「教団を(話し合って)アレフとアーに分けるかについては正大師・妻たちと十分に話し合ってください」というものがあり、これは、弁護士が麻原の獄中メッセージとして伝言したものである。
しかしながら、「ひかりの輪」の「脱麻原」「反麻原」の活動は、上記の指示・許可を完全に違反・逸脱し、麻原の意思と真逆なものである。
第一の指示(別の宗教組織を許す指示)に関しては、「ひかりの輪」は、
①「破防法」の対策ではないこと。
②「別の宗教組織」ではなく、「哲学教室」に改変したこと。
③「大黒天」を破棄し、さらには「いかなる崇拝対象・祭壇も破棄」したこと。
④「衣替え」ではなく、思想・教義の「中身」を大きく変えていること。
などにおいて、明らかに麻原の指示に違反している。第二の指示(教団を二つに分割する可能性に関する指示)に関しては、
①破防法の対策ではないこと。
②団体名称が「アレフ」でも「アー」でもなく、「ひかりの輪」という名称にしたこと。
③「正大師・妻たちと十分に話し合った」結果ではなく、国も認めているように、
話し合いは決裂したこと
(「正大師」とは、現在Alephに関与する麻原の妻・松本明香里、三女・松本麗華を当然含む)。
③ 麻原の別団体の指示は、他の宗教・宗教家の配下に入ることを許すものではないのに、「ひかりの輪」は、この麻原の指示に違反していること。一審のひかりの輪準備書面(1) 第5に示した通り、麻原は日頃から、他の宗教を「外道」と呼んで、他の宗教・外部の指導者の下に入ることを禁じていたが、獄中からも、以下のメッセージを出して、改めて禁じている。
○1996年1月9日の獄中メッセージ(KAMI03・1ページ)
「破防法について考えてみました。(中略)他の宗教、ヨーガ団体への吸収の話がありましたが、そのようなことで弟子たちの心が乱れることは非常に遺憾であると考えます。」
しかしながら、「ひかりの輪」は、外部監査人の精神的な指導を受け、出羽三山の羽黒修験道の指導者や、浄土真宗の教えに由来する内観の専門家の指導を受けるなど、麻原の指示に違反していることは、一審のひかりの輪準備書面(1) でも述べたとおりである。
④ 麻原の別団体の指示は、北伝と南伝の双方を含まない仏教団体になるような妥協を許すものではないのに、「ひかりの輪」は、麻原のこの指示に反していること
○1996年6月19日の獄中メッセージ(kami39,別紙1・35ページ)
「例えば、弟子が何をしたら破防法違反になるのか。仏教→他の宗派にもある。教団の分解→名称や教えを別にしても脱法行為となるか?(別紙1・35ページにも記載)
チベット仏教とオウムは同じではない。チベット仏教-北伝。オウム-南伝も含む、研究中心、経典収集中だった
だれが対策メンバーに入っているのかが大切。村岡も杉浦もヨーガについて知らない。村岡、杉浦-一方が南伝、他方が北伝。結局、杉浦ぐらいしか全体像をつかめるのがいないのでは。変な形で残ってほしくない--妥協した宗教は必要ない。仏教の一部を仏教と呼ぶのは冒涜、片輪のようなもの」
こうして、麻原は、北伝と南伝の双方を含まない仏教団体になることは、仏教の冒涜として否定したが、「ひかりの輪」は、そもそも仏教哲学の学習教室ではあっても、宗教団体ではなく、さらには、北伝と南伝のいずれの仏教の信仰も含まないために、麻原が否定した形態の団体にほかならない。
⑤ 「ひかりの輪」が、麻原・オウム(Aleph)の教義と活動を内外で徹底的・広範に批判し、脱会支援などAlephに対する反対運動を行っていることも、麻原の指示に違反している。麻原の指示では、麻原は合意に基づく団体の分割の可能性は認めても、新しくできた団体が、麻原への批判や、両団体の相互批判は許可していない。麻原の教義では、グル=麻原を誹謗・中傷することは、無限地獄に落ちる大悪業とされる(一審のひかりの輪準備書面(1)のp247、証拠〈94/3/12麻原説法〉、証拠〈94/3/13麻原説法〉、証拠)。
また、「ひかりの輪」は、Alephの麻原信者の脱会を支援し、入信の未然防止もしているが、麻原は、自分を信じる信者を減らすことを全く許可していない。さらに、Alephの著作権侵害等の違法行為を摘発する協力をしているが、自分の信者を増やすAlephの摘発・解体への協力は決して許可していない。こうして、様々な点において、明らかに麻原の指示に違反している。
(6)さらに、上祐らは、麻原が麻原に準ずる存在とした、麻原の家族への帰依に反しており、麻原の家族らの怒りと、上祐らの批判・教団活動からの排除に繋がったこと。
① オウム真理教の位階制度は、麻原と麻原の子供たちを頂点としていること国も証拠として採用・提出している団体規制法の実務書『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説』の43ページにある通り、教団の位階制度は、麻原(松本智津夫)を開祖とし、麻原の子供を「皇子(こうし)」と呼んで、全ての出家信者(サマナ)の上に置き、その次に(皇子)ではない正大師(石井久子・松本知子・上祐史浩・故村井秀夫)、そして、正悟師(野田成人・村岡達子・杉浦×・杉浦×・二ノ宮耕一)という順列になっている。以下に、これを証明する各事実を述べる。
② まず、1995年3月17日の「尊師通達」において、「皇子(麻原の子女)を全てのサマナより上のステージに置く」とされた(以下、証拠の野田成人のブログより)。そもそも家族とは言っても、三女と麻原妻は、そのステージの差は歴然としている。麻原妻は教団内では正大師の地位にあったが、それでも三女のみならず次女や長女よりもステージ的には下とされた。
この順列は麻原が強制捜査直前に出した通達によるものである。
「皇子を全てのサマナより上のステージに置く」
このような趣旨の「尊師通達」が出されたのは、地下鉄サリン事件直前の1995年3月17日のことであった。サリン事件の実行犯含めた十数名が正悟師に昇格となった。この中には、小生も二ノ宮君も含まれる。
03年6月15日、私は松本家の三女に呼び出されました。(中略)信者には常に高圧的です。「マイトレーヤ正大師(上祐氏の宗教名)のやっていることがおかしいの。彼の言うことを聞かないで、陰で私に協力して」
要は上祐路線の批判でした。麻原をないがしろにして上祐氏が教祖になろうとしている--教祖であり、父でもある尊師の否定は想像以上に苦痛なのでしょう。(中略)ためらう私に三女はこう言い放ちました。
「あんた"重い"わねぇ~。男性の正悟師はやっぱりカルマ(業)が"重い"のかしら。村岡(達子)正悟師なんてすぐハッと気が付いたわよ。目が覚めましたって」
絶対服従。イエスマンになれ。それが「帰依」なのです。
かつて教団内の上下関係は、すべて教祖が決めていました。自分の子供は皇子と呼ばせ、すべての出家者の上のステージに置く。2番手が上祐氏らの正大師、3番手が私たち正悟師と続くわけですが、どんなに頑張っても血筋に勝てない。上には唯々諾々と従う。それが帰依の証なのです。
③ さらに、麻原は、その獄中メッセージで、麻原の長男を中心とした麻原の子供たち=麻原であると位置付けている。
国の証拠(証拠)に存在する麻原の一連の獄中メッセージをみれば、1995年12月21日の獄中メッセージ(KAMI01)で、破防法適用申請があった際に教祖・代表を辞した麻原は、以下のように述べている。鏡暉を中心とした子供たちをわたしと観想してください、それによって、わたしがどこにいようとも、あなた方の霊的な道筋は確保されるでしょう。
こうして、麻原の長男を中心とした麻原の子供たち=麻原である、と位置付けられている。さらに、麻原の息子を教団の中心とすることを指示している。
○1995年10月14日の獄中メッセージ(kami001・1ページ)
教団の運営について(中略) 次男(ギョッコウ)、アキテル、×××を教団の中心として全面に出し、三女麗華、村岡、山本が取り巻く形でやれば教団に力が出るだろう。(注:アキテル、ギョッコウ、×××:麻原の3名の息子の名)
○1995年10月16日の獄中メッセージ(kami001・2ページ)出来るだけ3人で登場(アキテル、ギョッコウ、×××)
運営 - アーチャリー、××、××と山本、村岡、野田
(注:アーチャリー、××、××:三女、長女、二女のこと)
○1995年11月26日の獄中メッセージ(kami001・3ページ)
(息子3人を)「教団の全面に出せるように」協議して決定すること
④ A派は、上記の麻原の指示を教団に浸透させたこと
A派幹部の信者の教化資料である「マイトレーヤ正大師の非公式な活動に対する疑問の声」(証拠)においても、上記の麻原の獄中メッセージの通達・指示が、以下のように強調されており、教団内に浸透していることがわかる。
【3】本来のあるべき教団運営
(1) 霊的な道筋を大切にする
上祐派の方々は、教団を残すことを強調しているが、後継者の方々を尊重せずにして、どういう教団を残そうとされているのだろうか?
目指すべきは、しっかりとした霊的な道筋を受け継いだ教団作りではなかろうか?
◎94年通達
「すべてのステージの上に皇子を置く」
◎96年尊師メッセージ
「鏡暉を中心とした子供たちを私と観想してください。それによって、あなた方の道筋は確保されるでしょう」
尊師の王権継承者(二代目)は、お子様方であるとしっかりとお言葉に残されている。今の状況下では教団に戻って来れないが、いずれは戻ってこれるような教団作りをこれから私達が努力していくべきではなかろうか?
また、国の証拠(証拠・41~44ページ)にA派幹部・××××作成のA派信者教化のための資料「グルと弟子・系譜の方々と弟子のイメージ図」があるが、これは、2004年11月27日付けのA派幹部・××××作成の信者教化の資料「系譜の方々と弟子の違いに関する補足として」(証拠)の添付資料である。
そこには以下の通り、上記の麻原の獄中メッセージが強調されており、教団内部に浸透していることがわかる。
グルのお言葉
・鏡暉を中心とした子供たちを私と観想してください、それによって、私がどこにいようとも、あなた方の霊的な道筋は確保されるでしょう。」
「信仰の基に自分がいるが、言葉は通じない(拘留されている)。2代目に帰依する--実際の教えを受ける、肌で触れる。」
(中略)今回の問題は単なる(A派とM派の)権力闘争ではなく、この問題の本質は、グルへの帰依、信仰のあり方そのもの。
⑤ 麻原は、獄中メッセージで、麻原の6人の子供を麻原と同列の最終解脱者と位置付けた(証拠)。麻原は、1996年6月14日の獄中メッセージで(kami37・1ページ)、「◎六人の最終解脱者・アキテル、ギョッコウ、×××、××××、×××」として、この麻原の6人の子供たちが、麻原と同列である最終解脱者と位置付けた。
また、「◎アーチャリー 正報師まであと一歩 ◎××(四女) もともと正報師 ◎×××、×× いずれ正報師に至るでしょう ◎教団はケイマを正報師に上げて下さい」とする一方で、上祐に関しては、「◎上祐 マイトレーヤの場合、神の創造の瞑想が余り行われていないのではないでしょうか。」などとして、正大師の中でも低い評価を受けている。
⑥ 麻原は、獄中メッセージで、長男次男を教祖とし、三女を座長とする「長老部」を指示した。
○1996年6月5日の獄中メッセージ(KAMI33・1ページ)
・教祖--長男=鏡暉・リンポチェ猊下 次男=璽暉・リンポチェ猊下
・教団運営 ドゥルガーから始まる子供達、正大師・正悟師をミックスして長老 部を設ける
全員が参加して教団運営に当たる
・長老部から排斥する場合
・本人の意思による場合
・派閥争いを避けるため一人でも反対したら不可
だれかをやめさせる場合は全員一致で決定
・座長--アーチャリー正大師
⑦ この一方で、麻原は、獄中から、逮捕後の上祐の教団運営の権限・権威を否定・剥奪していること(証拠)。
○1995年10月13日の獄中メッセージ(kami001・1ページ)
「上祐の権限は消滅した。」
○1995年10月14日の獄中メッセージ(kami001・1ページ)「M正大師(上祐)に対するコメント:教団の運営のことは全く考えるな。現在教団に残っている人が責任を持って運営を考えれば足りる。上祐の考え方や対処の仕方は政治的すぎるし、現世的すぎる(外界に右往左往しているという印象だと思う)。渡辺正次郎は切れ!(麻原から発言があった)」
「(上祐が提案した)自主解散はやらない。もう一度考え直せ!」
○1995年10月16日の獄中メッセージ(kami001・2ページ)
「ジョウユウの方針はいかん。もっと強い態度で教団の運営管理にあたるべきである。上九から引き上げるようなことは絶対にいけない。ソフト路線などは一切してはいけない。 崩壊に追い込むために益々追い打ちをかけて攻撃してくる。自主解散はずっと後のオプションとしては考えてもよいが、すぐ発表すべきではない、とジョウユウに伝えていたはず。警察や公安への陳情など何の効果もない。
教団からジョウユウの色を消すように」
⑧ 以上の麻原の指示がありながら、別に詳しく述べた通り、上祐らは、これらの麻原の指示に反して活動してきた。
すなわち、上祐は、①麻原の家族らの合意を得ずに、独自の教団改革をなし、麻原の家族を初めとするA派(現Aleph)から「グル否定」「大魔境」「地獄に落ちる」と批判されて幽閉されたが、②その後も家族の指示に反して、独自の活動を再開して教団を分裂させ、③Alephを脱会・独立するとともに、麻原と共に家族らAlephを公に批判し、Alephの脱会支援などの反対運動を行っているのである。
(7)国は、控訴理由書のp35~36において、麻原の指示が破防法対策のものであって「ひかりの輪」の発足には当てはまらないというのは非常に短絡的な評価であると反論して、上祐らの言辞を出しているが、これは失当である。
国のこの反論は、この指示が破防法対策のものであって「ひかりの輪」を想定したものではないことを一つの理由として一審の判決が本件更新処分のうち「ひかりの輪」に対する部分を取り消したことを意識した反論だと思われる。
しかしながら、第一に、一審の判決も、「ひかりの輪」の主張も、単に破防法対策にすぎないから「ひかりの輪」の発足に当てはまらないと主張しているのではない。
麻原が指示・許可したことは、麻原の家族を含めた上層部の話し合い・合意に基づいた分割であって、「ひかりの輪」のように、麻原が全ての信者の上に置いて自分に準ずると位置付けた麻原の家族に従わずに、それと対立して分裂・離脱することは許していない。一方、教団分裂は、麻原の教義においては、無間地獄に落ちる大悪業されていることは、一審のひかりの輪準備書面(1)第5において当初から立証している通りであって、麻原の明確な許可がなければ、麻原への帰依がある者は決してできることではない。
この点については、国提出の証拠(証拠の荒木浩陳述書)において、麻原に帰依するA派幹部の荒木が、A派とM派(上祐派)の対立の初期において、M派ではなく、万一、自分達A派が教団を出るようなことになれば、麻原に準じる家族の指示とはいっても、麻原が禁じる教団分裂の罪を犯すことになる可能性をひどく恐れたという(p38-39)ことからも明らかである。
こうした点を踏まえて、一審の判決は、以下のように認定したのであって、それは全く妥当であるというべきである。
原告が設立されるに至った背景には(中略)、上祐派(M派)と反上祐派(A派)が対立するに至るという経緯が存在した(中略)原告(ひかりの輪)の設立に際して、原告に参画する者とそれ以外の者との間で、観察処分を免れるためにAlephを意図的に分派又は分裂させることを合意したなどと認めるに足りる証拠はなく、むしろ、当時、Alephの集団指導体制を構成していた村岡、野田成人、杉浦×及び杉浦×は、上祐の考えに理解を示したものの、中堅幹部構成員らに反発され、その後、脱会や役員の辞任を余儀なくされており、(中略)上祐が説いた(中略)考えが、Alephに残る者の間で広く共有されているというわけではない。(中略)
上祐は、平成17年頃には、Alephとは別団体を設立する考えを表明し、それが松本の意思にも沿うように説明しているのであるが、引き合いに出された松本の発言は、松本の逮捕前のものや、破防法に基づく解散指定請求に際してのものであり、松本がAlephと原告の分派を念頭に置いて発言したものではないことは明らかである。
以上の通りであって、原告(ひかりの輪)の設立は、別団体を組織して、別団体との間で役割分担しながら活動することを求めていた松本の意思に従ってされたものであるとまでは認めることができない」(一審の判決 p93~94)
こうして一審の判決は、オウム真理教の教義・麻原への絶対的な帰依が「言葉通りの実践」であるという原則などもよく把握したうえで、適切な認定をしているということができる。
加えて、対立分裂であるという点だけでなく、前記の通り、「ひかりの輪」の発足とその後の活動は、麻原の破防法対策の獄中メッセージなどに照らせば、他の様々な点においても、その指示に違反しており、単に違反しているばかりではなく、全く逆行したものとなっている。
第三に、国が主張する通り、麻原の破防法対策時の指示を上祐が別の状況に適用しているとすれば、そのこと自体が、麻原の言葉通りに実行するという絶対的な帰依の原則に対する違反が上祐に生じていることの証左であって、上祐が麻原の指示を利用して自分の望む団体を構想している証左である。そして、実際に、当時のアレフは、上祐らの言動が麻原への絶対的帰依に反していると激しく批判したことからも、そういうことができる。
第四に、国が引用した上祐の言辞(証拠と、証拠)に関して反論しておく。このいずれの言辞も、①現状に破防法対策時の別団体の麻原の指示の言葉が正確に当てはまると言っているのでもなければ、②麻原が合意の分割ではなく分裂を認めているとか、さらには、麻原・Alephに対する批判・脱会支援などの反対活動を認めていると主張しているものではない。こうして、上祐らが、麻原の指示の言葉通りに、すなわち、麻原に対する絶対的な帰依の実践をしていないことは明らかである。
(8)さらに、上記以外の点においても、「ひかりの輪」は、麻原に無許可で、麻原・オウム真理教の教義では大悪業になる行為を数多く行っている。
すでに一審のひかりの輪準備書面(1)や前記第6の1などで述べたが、その中には、オウム真理教で問題になった、親族を含めた外部社会との断絶を解消するものがある。あらためてその具体的な事例を要約して述べておく。① 麻原の許可なく、麻原が認めていない一連のオウム事件への関与を認め、それを罪として謝罪し、麻原とその教えを内外で否定・批判し、被害者と賠償契約を締結したこと。
② 麻原の説いた予言や復活の思想を否定し、麻原が刑死すると考えるだけでなく、麻原の死刑執行に賛成して、その必要性を公に語っていること。
③ 麻原が、麻原同様の最終解脱者とした麻原の長男・次男や、全ての信者の上に置くとした麻原の他の家族らに従わずに、内外で批判し、その違法行為を告発していること。
④ 麻原や麻原の家族の指示・許可なく、勝手に教団を分裂させて独立したこと。
⑤ Alephが勧誘した麻原の信者に対して脱会相談などの支援をして、麻原信仰から抜ける手 伝いをしていること。
⑥ 他の宗教家・他の宗教の神社仏閣・外部者から学んでいること(他宗教・他宗派の神社仏閣・聖地を訪問し、その宗教家から学んでいること、また、外部監査委員会を設置し、外部監査委員である修験道の指導者など、外部の精神的指導者の指導を受けていること)。
⑦ 麻原の説いた出家・出家制度をやめ、親族・外部と交流を再開して深め(元オウムの出家者の)専従会員には個人資産を認め、その親の介護を出家よりも優先していること(専従会員多数が、親の介護のために実家に滞在している)。
⑧ 麻原が「悪魔の手先」として戦うべきとした警察・国家権力に対して、麻原・Alephの信者たちの犯罪・違法行為を防止するために、通報・告発・協同監視などの捜査協力を行なったこと。
⑨ 麻原・オウムが否定した国民年金に参加するなどして、麻原がハルマゲドンによって滅びるとした現在の国家と共に歩んでいること。
以上の重要な事実について、国が反論したことは一切ない。
最後に、麻原は、何でもやってよいという白紙委任状的な許可をしたことはないということも、重要な事実である。国の主張は、麻原があたかも観察処分を免れるためならば、脱麻原・反麻原の如何なる行動をも許可したという実在しない前提に基づいている。しかし、そんな証拠は一切ない。その理由としては、そのような白紙委任状的な許可を出すことは、麻原の教義からすれば、麻原と同等のステージであると認めることになるため、ありえないからである。
さらに、仮に白紙委任状的な許可があったならば、「ひかりの輪」が発足した10年前の時点から、麻原への帰依として、観察処分を逃れるために、いち早く「脱麻原・反麻原」を行っていたはずである。
しかし、実際には、大きな団体改革である哲学教室の改編は2013年(平成25年)から、アレフ信者の脱会支援や著作権問題の摘発協力を本格化させたのは、被害者団体の弁護士の助言を受けた2012年(平成24年)から、上祐が麻原・アレフを批判する書籍を発刊し始めたのは、2012年(平成24年)からであるという一連の事実の説明が全くつかなくなる。
(9)以上のことから、「ひかりの輪」発足以前のアレフ時代から、上祐らの言動の本質は、麻原への(絶対的な帰依)ではなく、上祐ら自身の意思(自分達の望む団体のあり方)を実現するために、麻原の言葉の一部を用いた(利用した)ものにすぎない。
実際に、一審の判決は、「上祐は、平成17年頃には、Alephとは別団体を設立する考えを表明し、それが松本の意思にも沿うように説明しているのであるが、引き合いに出された松本の発言は、松本の逮捕前のものや、破防法に基づく解散指定請求に際してのものであり、松本がAlephと原告の分派を念頭に置いて発言したものではないことは明らかである。(中略)以上の通りであって、原告(ひかりの輪)の設立は、別団体を組織して、別団体との間で役割分担しながら活動することを求めていた松本の意思に従ってされたものであるとまでは認めることができない」(判決p93~94)
と述べて、
「(上祐らの意思だけでなく)松本の意思に"も"かなう」とか、「引き合いに出された」
などと表現して、上祐らの意思が最初にある主たる要因であって、それに付随して利用されたのが麻原の指示であるといった、主従関係にあることがわかる表現をしている。
また、上祐らは、麻原に帰依したのではなく、自分達の意思に合うような、麻原のそれと似た指示を引用したということである。さらに、当時の状況を描写した麻原三女・松本麗華の書籍(証拠)にも、上祐らが麻原に帰依しているのではなく、自分達の意思・欲求のために麻原を利用しているというニュアンスがわかる内容がある。
・母の元部下から、上祐さんは本のコピーだけでなく、自分に都合がよくなるような、父の説法の改変もしているということも伝わってきました。(中略)上祐さんに訪ねると、「説法の改変などしていない。社会融和のため、危険だと言われるところをカットしているだけだ」と言われました。(中略)上祐さんの言葉と行動の違いは、わたしを大いに混乱させました。上祐さんは、「尊師のためだ。尊師の教えを広めたくないのか」と言いながら父の存在自体を抹消しようとした。
・なぜ彼は自分の経験したことを説かず、父の名を使って「グルの意思だ」と言いながら、父の書いたもの、父が経験したことを、自分の都合がいいように変えるのだろう。権力、名声を得たいの? なぜ動揺もなく戒律で禁じられた嘘がつけるのだろう。もしかして上祐さんには、信仰がないのだろうか。もしそうなら、なぜ自分で一から新しい宗教を作ろうとしないのだろう。悩んだ末、わたしは彼の言葉ではなく、行動を見ることにしました。
・「さよなら上祐さん」「もう上祐さんの味方ではいられない...」わたしの考えが変わった2003年春(中略)。母(知子)は、オウムは自分が父と一緒に築きあげてきた教団だと思っており、上祐さんが、オウムの後継団体アレフを自分のものにしてしまおうとする姿を見て、自分が関与しなければ教団が変わってしまうという危機感を持ったようです。
最後に加えるならば、国が示した上祐らの如何なる講話・当時のM派の如何なる主張を見ても、上祐らが「M派の社会融和的方針(こそ)が麻原への絶対的な帰依である」と主張しているものは一切ないし、また、麻原の指示・意思にもかなうといった表現はしていても、「麻原の指示通りである」などと表現しているものは一切ないことからも、麻原への帰依ではなく、利用であったと理解することができる。
(10)以上のことから、国が主張するオウム真理教の危険性である、麻原の言葉通りの実践である絶対的な帰依・タントラヴァジラヤーナ・五仏の法則によって殺人を犯すという問題は、上祐らにおいては、「ひかりの輪」の発足以前のアレフ時代に、すでに消失していることがわかる。
それは同時に、上祐らの危険性も消失しており、観察処分の必要性がないことを示すとともに、「ひかりの輪」の発足は、麻原への絶対的な帰依による麻原の意思の実現ではなく、麻原がその創始者ではないことがわかる。【5】ひかりの輪とアレフが長年の深い断絶と対立の関係にあること (2019年2月28日)
前の記事に引き続き、ひかりの輪が観察処分取り消しを求めて裁判所に提出した書類を、以下に掲載します(読みやすさやプライバシー等を考慮して、一部、削除したり伏字にしたりしている箇所があります)。
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【5】アレフ(及び麻原の家族)と激しく対立してきた事実
2 「ひかりの輪」とアレフが、長年の深い断絶と対立の関係にあること
上記の通り、麻原への帰依に反してきた「ひかりの輪」に対して、アレフ(Aleph)は、「ひかりの輪」発足以前の2003年(平成15年)頃から、上祐らを「麻原隠し」ではなく「グル外し(=脱麻原・反麻原)」として厳しく批判・排除し続け、その一方で、「ひかりの輪」も、麻原・alephを批判して、その反対活動を行ない、両者が15年に渡る長年の深い断絶と対立の関係にあることを以下に述べる。(1)「ひかりの輪」の発足以前から、麻原の家族をはじめとするAlephの多数派(=A派)が、上祐ら(M派)の言動をグル外し・グル否定・大悪業・魔境などと厳しく批判し、上祐ら(M派)と、上祐らに一定の理解を示した中間派の者達まで、教団活動から厳しく排除したこと
この点に関しては、一審のひかりの輪準備書面(6)・第1で主張したが、国も、松本家を初めとするA派が、上祐らM派や中間派を厳しく批判し、麻原への絶対的帰依を徹底して行った事実に関しては、多くの自身の証拠(証拠)をもって立証し、これに基づいて、時系列的には、以下のように、一審の判決は認定した。
松本の妻であり正大師の位階にある松本知子が、平成14年10月に刑務所を出所すると、従来の活動形態を維持し、松本を全面に出して活動することが松本に対する真の帰依であるとして「麻原隠し」に反対する姿勢を示して、松本の三女麗華と共に、Alephの組織運営に介入するようになり、上祐の「麻原隠し」による組織運営も新規構成員の獲得や財務運営面で功を奏しなかったことから、上祐の活動方針に反対する者が増加していった。
このため、上祐は形式的にはAlephの代表者の地位にとどまったものの、平成15年6月頃から、修行入りと称してAlephの運営に実質的に関与しなくなり、同年7月頃に麗華と話した際には、麗華は、上祐は修行が足りないので教団運営は任せられない、自分がやると述べた。
(中略)
上祐は、同月28日頃、Aleph幹部70名程度の前で謝罪の意を表明し、以降、麗華を中心とした松本家の組織運営に対する関与が強まっていった。Alephは、平成15年10月頃に、正悟師の位階にある村岡、二ノ宮耕一、野田成人、杉浦×及び杉浦×の5名による集団指導体制(中略)に移行、松本への絶対的帰依を強調し始めた。
(中略)
上祐は、平成16年11月頃から再びAlephの運営に関与するようになり、Aleph内にも、上祐の考えに賛同する者を中心とした一派である「上祐派」(M派)と、上祐の方針に反対する「反上祐派」(A派)が存在し、他方、上祐派として活動するまでには至らないものの、これに理解を示す「中間派」と呼ばれる構成員も存在していた。(証拠)
(中略) こうした上祐の活動に対し、Alephの集団指導体制を構成する5名の正悟師のうち、村岡、野田成人、杉浦×及び杉浦×の4名は、上祐の考えに理解を示すなどし、村岡は、平成18年9月16日、上祐に別団体を組織してほしくないが、組織した場合は、Alephとは持ち株会社のような連合体として役割分胆をしながら活動していきたいという考えを表明するなどしていた(証拠)。しかし、上祐派とA派の対立は決定的なものとなり、平成18年には、東京都世田谷区南烏山所在の複数の施設は、それぞれが別の建物を管理使用することになった(証拠)。
また、村岡ら正悟師による集団指導体制も、師の位階にある中堅幹部構成員らが、村岡らが上祐派に歩み寄ったこと等に反発するなどして、機能しなくなったことから、Alephは、平成18年7月、師クラスの中堅の構成員30名からなる「合同会議」を設置し、Alephの意思決定を行うようになった(証拠)。(中略部分の概要:平成19年3月に上祐らはAlephを脱会、5月にひかりの輪を発足)
Alephでは、中堅幹部構成員らが、上祐派に歩み寄ったとして、二ノ宮耕一を除く4人の正悟師を排除する動きを強めたことから、平成19年7月に杉浦×と杉浦×が脱会し(なお、杉浦×は、教本の編集等を巡って知子と対立していた(証拠)、野田成人及び村岡が役員を辞任し(証拠)、これら中堅幹部構成員らを中心に、大音量で松本の説法の映像を長時間連続視聴させる「特別ビデオ教学セミナー」などを実施するなど、松本への帰依を徹底していった。(一審の判決p45~53)
そして、この事情を一つの理由として、一審の判決は、前に述べたとおり、「ひかりの輪」が麻原の意思として設立されたものとは認められないことを認定した(判決p94の7行)。さらに、この事情に加えて、「ひかりの輪」側も、麻原・Alephを様々な媒体で批判したり、Aleph信者の脱会支援や、著作権問題を追及しているなどの反Aleph活動をしている事実をも含めて、「ひかりの輪」とAlephは対立関係であり、一つの団体とは認められない(同p95)と判断したのである。
(2)麻原の家族をはじめとするA派・Alephが、上祐らを「麻原隠し」と批判したのではなく、「麻原外し」「麻原否定」「麻原に対する帰依に反する」「外道(麻原ではない教え)、大魔境、大悪業をなしている、無間地獄に落ちる」として、厳しく批判・排除したこと。
前記で述べたとおり、アレフでは、麻原の教え・指示に基づいて、麻原の子供が麻原に準ずる存在であり、上祐ら幹部たちよりも上の権限・権威を持っていた。
そして、麻原の家族らは、上祐や、当時中間派と呼ばれた正悟師達も含め、麻原の家族を教祖に準ずるものとして全ての信者の上に置くとした麻原の教え・指示があるにもかかわらず、自分達に従わない者たちについては、幹部信者多数に指示して、教団組織を挙げて、グル外し・グル否定・魔境と厳しく批判して、教団の活動から排除するとともに、上祐らの活動に参加すれば、「グルとの縁が切れる」「無間地獄に落ちる」として、上祐らに接してはいけないという方針を教団全体に徹底していった。
なお、ここで重要な事実は、国は、麻原の家族をはじめとするA派・Alephが、上祐らを「麻原隠し」と批判したのではなく、「麻原外し」「麻原否定」「麻原に対する帰依に反する」「外道(麻原ではない教え)」、大魔境、大悪業をなしているとして厳しく批判・排除した事実を隠していることである。
これは、すでに主張・立証したが、それに加えて、以下の多数の証拠を提示して、補充することにする。以下の通り、麻原の家族やA派の幹部信者、当時の中間派の幹部信者、上祐らM派の幹部、さらには、末端の在家信者の証言など、教団の全体において確認することができる。① 松本麗華:麻原の三女・皇子・正大師
松本麗華は、自身の著書『止まった時計』で、以下のように、上祐が麻原の意思だと言いながら、麻原の名を勝手に使い、自分に都合がよいように変えたり、麻原を抹消(麻原外し)、利用したので、決別したと述べている(証拠)。
○「自分に都合がよくなるよう麻原の説法を改変、麻原の存在自体を抹消しようとした」
母の元部下から、上祐さんは本のコピーだけでなく、自分に都合がよくなるような、父の説法の改変もしているということも伝わってきました。(中略)
上祐さんに訪ねると、「説法の改変などしていない。社会融和のため、危険だと言われるところをカットしているだけだ」と言われました。(中略)上祐さんの言葉と行動の違いは、わたしを大いに混乱させました。上祐さんは、「尊師のためだ。尊師の教えを広めたくないのか」と言いながら父の存在自体を抹消しようとした
○「麻原の名を使って「グルの意思だ」と言いながら、麻原の教えを自分に都合がいいように変えた、上祐には信仰がないのか」
なぜ彼は自分の経験したことを説かず、父の名を使って「グルの意思だ」と言いながら、父の書いたもの、父が経験したことを、自分の都合がいいように変えるのだろう。権力、名声を得たいの?
なぜ動揺もなく戒律で禁じられた嘘がつけるのだろう。もしかして上祐さんには、信仰がないのだろうか。もしそうなら、なぜ自分で一から新しい宗教を作ろうとしないのだろう。悩んだ末、わたしは彼の言葉ではなく、行動を見ることにしました。
○「上祐の味方ではいられない、上祐はアレフを自分のものにしようとしている」
さよなら上祐さん:「もう上祐さんの味方ではいられない...」わたしの考えが変わった2003年春(中略)。母(知子)は、オウムは自分が父と一緒に築きあげてきた教団だと思っており、上祐さんが、オウムの後継団体アレフを自分のものにしてしまおうとする姿を見て、自分が関与しなければ教団が変わってしまうという危機感を持ったようです。
② 野田成人:当時の中間派の正悟師(最高幹部)の一人
野田成人は、国の証拠(証拠)の陳述書の中で、以下のように述べている。
「知子から、上祐は、教団の運営については正悟師会議で決めろという「麻原の指示」を「蔑ろにしつつある」ので、正悟師達が行うよう指示があり、グルを意識できなくなった教団のカルマを変えるため上祐のイニシエーションの中止が決まり、上祐の直属部署をなくすことが決まった。知子は、麻原の言葉「イニシエーションにふさわしくない人にイニシエーションしたのでは地獄に落ちるかもしれない」を挙げて、「外道のイニシエーションをやるとおかしくなる。上祐は自分の教義を構築しようとしている」と言った。」
「2003年7月18日に、三女が上祐の状態をチェックのため会った際、話し合いは長い間続き、一時水を飲みに部屋から出てきた時には、双方が怒って興奮している様子で、会談決裂という雰囲気がありありと伺えました。」
「2003年7月末から8月末に、麻原を表に出さない上祐の改革路線は間違いでグルの意思に合っていなかったことを、上祐に、幹部たちの前で謝罪させる流れになったが、調整には難航、家族らは「上祐とは話しても無駄」との印象を抱いており、双方の間で会話は全くなかった。全く意見が折り合わない上、電話やメールですら直接やりとりしない知子と上祐の間を十往復くらいし、謝罪内容について野田が調整役になった。」
さらに、別の国の証拠でも、野田の陳述において、「2003年、知子は「上祐は麻原に意識が向かっていない(麻原に帰依していない)」という趣旨のことを野田宛にメールで書いていることが確認できる(証拠)。
また、野田は、国も証拠提出している自身の著書『革命か戦争か』(証拠)において、以下の通り述べている。
〇三女は、上祐は教祖を蔑ろにし、自分が教祖になろうとしていると批判
「2003年の6月上旬、私は突然松本家の三女に呼び出されました。(中略)以前と変わらぬ命令口調でした。
「マイトレーヤ正大師(上祐の宗教名)のやっていることがおかしいの。彼の言うことを聞かないで、陰で私に協力して」
要するに彼女の主張は、上祐の教団運営を批判するものでした。教祖である父をないがしろにしていて、上祐自身が教祖になろうとしている、という内容です。嫌な予感が的中してためらう私に、彼女はこう言い放ちます。
三女「あんた重いわねぇー。男性の正悟師はやっぱりカルマ(業)が重いのかしら。村岡達子正悟師なんてすぐハッと気が付いたわよ。目が覚めましたって・・・」
教団内の上下関係は、すべて麻原が決めていましたから麻原の子どもは、すべての出家者の上のステージに置かれていました。その下に上祐らの正大師、さらに 下には私を含めた正悟師と続きます。こうなったらどんなにがんばっても血筋には勝てないというわけです。上には唯々諾々と従う。それが帰依であり、教団内で求められる秩序関係なのです。
「でも具体的にどうすればいいんでしょうか?」
「私が陰から教団に指示をするから、あなたはそれに従って。他の正悟師や師も従うって言っているから大丈夫。マイトレーヤ正大師の言うことは聞かないで。でも指示は私が出しているっていうのは、マイトレーヤ正大師にも秘密よ」
「はぁ・・・?」
「いい?従える?」
〇麻原の妻は、上祐は麻原の家族を裏切ったと批判「この話には正直うんざりしてしまいました。なぜなら、それまでの教団運営で三女ら麻原の娘の意向を優先させたが為に、99年の北御牧村のような騒動を招く ことになったからです。彼女たちが引っ込んで上祐体制になり、やっとまともな運営体制になったと安堵していたところにこの話です。ただこの時点では、まだ 私も麻原の娘に正面切って堂々と断れない情けない状態でした。 「本当にアーチャリー正大師が責任持ってくれるんでしょうか?」
出した指示に対して内部と外部両方に対してきちんと責任を持てなければ、権限をふるう資格はありません。教祖のわがままな娘にそれを期待することは無理だろうなと思いつつも、こう言質を取るくらいしかその時のわたしにはできませんでした。
「うん、私が責任持つから」
「わかりました・・・」
この一週間後、三女に再び呼び出しを受けて出向くと、今度は二女と麻原の妻・松本知子も同席していました。(中略)公判では、「麻原と離婚することも考えている」と発言した松本知子でしたが、そんな発言はどこ吹く風で麻原を担ぎ上げます。
「尊師の教えをきちんと守るなら上祐体制に全面協力するって言ってあげたのよ。それなのに裏切った。尊師を外して自分が教祖になろうとしている。許せない!」
すでにこの時点で、教団の正悟師であった村岡達子、杉浦×、×兄弟、二ノ宮耕一の4人は懐柔され、反上祐派として固まっていました。どうやら私が一番上祐 寄りと危惧されていたようで、説得懐柔されたのは私が一番最後でした。逆に一番過激だったのは、武闘派として知られる二ノ宮でした。「上祐のやっていることは絶対おかしいですよ!」
三女の問いかけに対して、二ノ宮は語気を強めてこう語っていたようです。
(中略)二ノ宮はすでに、主要都市部にある道場長クラスを三女に合わせて、根回しを広げていたのです。(中略)
私を含めた正悟師5人と麻原一家は、何度か会合を重ねますが、内容はほとんど上祐批判です。
「彼(上祐氏)はね、尊師の説法集を骨抜きになるよう編集しているの。「尊師は最終解脱者である」という記述から『最終』を取って『解脱者』にしようとしたのよ!」(中略)松本麗華や二女は「とんでもないことだよねぇ!」」(中略)
○麻原の家族が、上祐の軟禁を決定
「しかし、麻原一家が裏から指示を出すなどという「秘密ごっこ」が、上祐にばれないわけがありません。松本家3人と正悟師5人が会した2003年6月26日の「秘密会議」でのことでした。正悟師5人全員の外出を不審に思った上祐が、次々に電話してきたのです。
三女は会議の存在そのものを気付かれないようにと、正悟師たちには、「シラを切って」と言いますが、私は思わず反論しました。
「こんなことやっていても絶対バレます。教団運営の責任を取るなら、いま電話して、ちゃんとマイトレーヤ正大師(上祐の宗教名)と話してください。お願いします。」
懇願する私の声が、場の雰囲気をぶち壊したようになりました。松本家に逆らうのはなかなか大変です。他の正悟師は声を上げませんでしたが、無言で私を後押ししているようにも受け取れました。
それを感じたのか、三女は渋々席を立ち、一時間ほど上祐と電話で話をしたあとに、私たちにこう告げました。
「これからマイトレーヤ正大師とここにいる全員で話をすることになったから。彼には修行に入ってもらうことにする。みんなでそう言ってね」
教団内では、組織の指示に従わなくなった人間には、修行に入れて籠もらせるという慣習がありました。(中略)外部との接触もできませんから、当然教団運営に関わることもできません。要するにここでいう「修行入り」とは、組織内での左遷のようなものです。逆らう者は帰依が足りない、帰依が足らねば修行するしかない、その間は余計な口出しはするな、というのが教団のやり方でした。(中略)
会議が始まったのは日付が変わった27日。奇しくも松本サリン事件から9年目の日でした。8対1で上祐を責める議論が始まり、まず松本知子が彼を攻撃しました。
「マイトレーヤ正大師(上祐)は、グルへの帰依がなくなっている。もっと修行して帰依を培わなきゃダメ」(中略)しかし、松本家の威光を背に二ノ宮がここぞとばかり上祐を攻撃し、応酬になりました。二ノ宮「事件を疑問に思うなんて帰依が足りないんです」(中略)
こんなバカバカしい話で2時間くらいすったもんだした末に、最後には三女がこう言い放ちました。
「上の人の言うことを聞くのが帰依でしょ。皇子'(麻原の子ども)はどのサマナよりもステージが上だよね。私のほうが上だよね」(以上、同書69~76)
○三女は野田らに対しても、無間地獄宣言をした
「実務的な話に介入するのはほとんど知子さんでしたが、たまに三女も口出ししてきました(中略)いきなり電話をかけてきて、理由も言わず怒鳴ることもしばしばでした(中略)。しかし、私などはまだマシで、三女から「あなた、そんなんじゃ無間地獄行きだね」と宣告されたサマナもいたようです。教団で言う無間地獄とは地獄の中でも最悪の地獄。奈落の底に突き落とされる恐怖なのです。(中略)こんな私は、すでに「無間地獄」を宣告されていることでしょう。」(同書84~85ページ)
○上祐の離反と荒木らの上祐に対する批判活動
「2004年11月頃のことでした。そこから上祐は、松本家批判を展開し始め、自らの支持者を集めていくことになりました。(中略)。「上祐は魔境だ」と。最終的に二ノ宮は、松本家に懐柔され、上祐批判に回ることで、教団の立場を確保したわけです。(中略)上祐からサマナへの説得に対し、松本家側は荒木らを使っての反上祐宣伝を展開します。「上祐派魔境だから話を聞くな」。派閥争いで教団内は殺伐とした雰囲気になりました。」(以上、同書)(同書90~91ページ)
○2005年末、皇子・麗華が、(村岡・××を介し)野田の修行入りを指示・権限を剥奪
「2005年12月26日、執行猶予の判決で教団に戻った私を迎えたのは、村岡正悟師と××××(中略)でした。××は「人権救済基金」という団体を事実上切り盛りする人物です。(中略)その弁護士との絡みで、松本家の抱えたトラブルを処理する弁護士も紹介していました。つまり教団幹部の中で、唯一正面切って松本家とコンタクトできる人物なのです。(中略)「ご家族は今後どういうふうに教団運営されていくつもりなのですか?」「いやご家族はもう教団運営には、全く関与されていないから」
松本家の指示はイエスマンだけで共有される機密事項です。予想したとおり、もう私もカヤの外に置かれてしまっていました。
「そんなはずないでしょう。私の時だって、ずっと裏で松本知子が指示だしていたんだから」「いや今はもう何も指示はないです」「私がどうしたらいいか、聞いてほしいんだけど」「捕まっていたわけですから、しばらく修行していたらいいんじゃないですか?」教団内で「修行に入れ」というのは、運営の現場に関わらないでいてくれ、という意味の別表現です。「私が修行するかどうかは、あなたに指示されるべき話でもないから」
「......」「でもあなたがアーチャリー正大師(麻原三女)と会う機会があって、私のことについて聞く機会があるなら聞いてみてほしいんだけど」「わかりました。聞いてみます」(中略)
だが最高幹部・正悟師の私を封じ込めるには、松本家の威光を借りるしかないのです。次に村岡正悟師に、私が正悟師としてできることはないかと聞いてみました。混乱している教団のことが心配だったからです。(中略)
「いやここだけの話では決められないから」(中略)「いや、いろいろな人と相談しているから」(中略)「じゃあ、誰と相談してそういうの決めるんですか?」「個別に関係する人と相談する」(中略)「いや、それはこちらで後で考えて確認しますから」「......」 要するに責任の所在を特定させないで、ものごとを決めさせない作戦のようでした。(中略)
予想はできたものの、麻原原理主義派の彼らとしては、私に一切の権限を与えたくないようでした。(中略)どういう理由付けをしても、私を排除したい原理派の意図がはっきり読み取れました。(中略)
一日ほど経って××から伝言がありました。三女に確認したという私の処遇は、やはり「修行」という名の軟禁でした。まあこう言われてしまっては、最低一ヵ月は大人しくせざるを得ませんでした。(以上、同書92~97)、(証拠)
○2009年に野田は、麻原家族の指示により、アレフを除名処分・排除される
彼らが考えていたのは、自分の来世のことと教団内での居場所の問題だけでした。つまり松本家を裏切ると、来世地獄に落ちるのではないかということと、現実問題として教団内で「帰依がない」として異端児扱いされることです。(中略)
この後、私は原理派幹部から、教団施設の立ち入り禁止、さらには除名通告を受けることになります。それは2009年3月のことでした。ここに至るきっかけは、私自身が「麻原を処刑せよ」という内容を一般大衆向けに主張したことが契機としてあります。(中略)
原理派幹部は、私の「麻原処刑」の主張を問題発言として取り上げ、除名処分を下したという顛末です。(以上、同書p103~106)
これについては、アーレフ信者にはあまりにも強烈過ぎる内容で出せないな、とは感じていました。アーレフ信者は、教祖が事件の首謀者であったことも含めて、教祖が死刑になるという事実を直視できない精神状態なのです。現実社会において公判がすでに確定し、あとは死刑執行を待つばかりとなっているその事実さえ、教団内ではタブーなのです。(中略)そして、野田に加えて、上祐に一定の理解を示した杉浦×・村岡達子も、麻原家族と対立して、批判され、脱会を余儀なくされる。
○野田の証言:村岡は、麻原家・知子に排除された
四女の話に目を覚ました村岡正悟師は、もはや松本家からはイエスマンとはみなされなくなりました。松本知子には村岡正悟師に次のような言葉を残して、連絡を絶つようになったようです。「あなたは私たちを大事にしなかった」
傍目から見ていても、村岡正悟師が松本家に代わって教団運営の責任を果たしてきた役割は大きかったと思います。しかし、四女の登場を機に、村岡正悟師は、原理派の幹部連中から掌を返した冷たい対応を受けることになりました。かつての上司・恩師も情け容赦なく攻撃するのです。これがカルト教団の怖いところです。(以上、同書p100)
③ 村岡達子(当時の中間派の正悟師(最高幹部)の一人)の証言(脱会した「村岡達子」元アーレフ会長の「さらば麻原一家」(週刊新潮 2011年8月11・18日号)(証拠)
「6月6日付で退会届を出しました。退会時の肩書きはありません」
「3年ぐらい前から私は信者でありながら全く教団に関わっていない状態でした。追い出されるような形で埼玉県吉川市の教団所有のアパートに住んでいたのです。教団から私は、"おかしい人"と思われていたんです。」
そして03年、「麻原の影響を排除する」と宣言するのだが、これに麻原の妻や三女(アーチャリー)が猛反発したのだ。そのため、教団はアーチャリー派と、上祐派に分裂し、お互いに激しく対立するようになる。
「上祐さんが、"尊師のことを全面に出さないように"と、在家・出家の両方の信者を集めて呼びかける一方、三女は"上祐のことを放置しすぎた"と後悔していました。麻原一族は上祐さんに危機感を募らせ、実力で抑えにかかったのです」
その結果、上祐氏は、修行と言う名目で世田谷区のマンションに閉じ込められ、見張り番までつけられてしまう。ところが04年、上祐氏は監禁されていたマンションを脱出、自分を慕う信者を集めると各地の道場を支配下に置き始める。アーチャリー派との溝はもはや修復しがたいところまで深くなっていた。
(中略)その結果(中略)権限を剥奪された村岡氏は、説法会の仕事も回ってこなくなり、沖縄の道場やさいたま市の施設などに送られ、本部から遠ざけられる。3年前からは前述の吉川市のアパートで"飼い殺し"状態に。」
④ 杉浦×(当時の中間派の正悟師(最高幹部)の一人)の証言(証拠)
「私は、平成19年7月に教団を脱会しましたが、脱会の大きな理由は、松本知子さん(明香里)と教義のことなどで対立し、知子さんから疎んじられたことで、教団の役職を外され、居場所がなくなっていったことです。(中略)
平成16年頃、「ファイナルスピーチ」「パーフェクトスピーチ」の編集をしていた際、社会融和を図るため、事件に繋がる記述には、言葉を換えることまではしないまでも注釈を付けていました。(中略)翻訳の部分は正していました。しかし、知子さんは「グルの言葉は絶対だ。正す必要はない」と言い、知子さんと電話で激しい口論をしました。」⑤ A派の幹部信者が、教団全体で上祐らを厳しく批判(証拠)
A派は、上祐について「麻原外し」「上祐グル化」「麻原から定められていたことを守らない」と徹底批判を展開し、同時期に作成・配布されたA派の資料「マイトレーヤ正大師の非公式な活動に対する疑問の声」(証拠)では、以下のように書かれている。
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【1】2002~3年の改革の失敗とマイトレーヤ正大師が修行に入られた経緯
上祐は、2002~3年に改革に失敗、虹や大黒天などの話を持ち出し、上祐の体験(啓示)に基づく独自の日本の聖地巡りを行った。
・出家信者が麻原を意識しづらくなり、麻原への思いを抑圧するようになり、心が不安定になった。
・祝福されていない出来事が頻発した。
・宗教性を歪曲してまで社会対策を行ったが失敗した。
・「本来グル(※麻原)しか行ってはいけない行為(経典の解釈等)」を行い(A派は「上祐グル化」と認識)、「教えの純粋性を損なった」
・グルとその系統(※麻原の子供たちのこと)を尊重する意識の欠如
【2】2004年マイトレーヤ正大師が修行から出られたことの経緯と問題
(1) 修行から出られたきっかけと独走状態
2004年の10月、一部の正悟師方の勧めもあり、活動を再開しようとしたが、多くの師や正悟師の反対に遭い水面下での活動を再開。
しかし、2005年の5月には非公式でサマナ説法会を行い、6月には非公式で信徒説法会までされようとした。
修行に専念せず、改革と同じような活動を再開した上祐のことを、ご家族(※麻原の家族のこと)の方は大変悲しまれている。
・2004年11月に上祐は、麗華を「魔境」と批判した。
・その結果、修行入りになったが、修行に専念せず、2005年の5月には非公式に活動を再開し、独走状態に。
(2) 活動を再開されても変わらない改革路線(尊師外しとグル化問題)
①戸隠神社礼拝問題
・活動再開後も、「グル外し」と「上祐グル化」の改革路線は変わらない。
・2005年の3月に上祐とその一行10名が、戸隠神社の鳥居の前で立位礼拝をしたということが分かり、教団内で大問題になった。
【資料・神社礼拝についての尊師説法】
・戸隠神社礼拝と新教義の展開で、麻原以外の信仰形態を取る改革を推進する意図が明らかに。
・尊師から定められていたことを守らない運営方針
・教団改革は失敗したにも関わらず、その総括を行うことなく、全く同じことを繰り返そうとしていることが問題。
②ご家族に対する敬意のなさ
(3) 上祐や上祐派の人と接することによる数多くの変調体験
不調を来す人が少なからずいるというのはおかしい。多くの人が共通の体験。果たして、上祐派の人達にグルのエネルギーがきちんと降り注がれているのか疑問
【資料・変調を来した体験談】
【3】本来のあるべき教団運営
(1) 霊的な道筋を大切にする
上祐派の方々は、教団を残すことを強調しているが、後継者の方々を尊重せずにして、どういう教団を残そうとされているのだろうか?
目指すべきは、しっかりとした霊的な道筋を受け継いだ教団作りではなかろうか?
◎94年通達
「すべてのステージの上に皇子を置く」
◎96年尊師メッセージ
「鏡暉を中心とした子供たちを私と観想してください。それによって、あなた方の道筋は確保されるでしょう」
尊師の王権継承者(二代目)は、お子様方であるとしっかりと「お言葉」に残されている。今の状況下では教団に戻って来れないが、いずれは戻ってこれるような教団作りをこれから私達が努力していくべきではなかろうか?」
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そして、上祐のような「過ち」を犯さないためには、「原則に立ち返る~尊師の説いたことや定められたことを忠実に」「また、真の意味での救済=解脱・悟り(煩悩破壊)へ至るためには、尊師に対する帰依なくしてあり得ない。(中略)信仰の面では絶対尊師は外せない。」「尊師の意思を外さず、しかも強固な教団作りをするには、このように尊師の説かれたことや定められたことをしっかり守り、原則に立ち返ることが重要」と述べている。この証拠を見れば、麻原の言葉通りの実践をしなかった上祐を批判したことがわかる。
⑥ M派資料からも確認できる、A派がM派を厳しく批判・排除した事実
さらに、2006年5月頃にM派が作成・配付した資料(証拠)においても、A派がM派を「グル外し」「グルを裏切る行為」「魔境」「グルを人間と言うのは言語道断」と厳しく批判・排除した事実・経緯がまとめられている。
旧来の教団(A派):グルを人間ととらえてはならない。現世の常識を超越した神のごとき存在(現人神、生き神的存在)である。グルへの帰依によらねば解脱・悟りが得られないのであるから、その言葉は絶対的なものとして尊重し、一字一句たりとも曲げてはならず、何事にも優先してグルへの帰依を貫くべきである。代表派の主張は、グル外しであり、グルを裏切る行為であり、魔境の所業。グルを人間という代表派は言語道断である。グルに対する扱いがあまりにも軽すぎる。
⑦ A派の機関誌「進化」で上祐らの考えを厳しく批判(証拠)(一審の判決p47~48)
A派は、上祐らM派が活動し始めていた2005年(平成17年)5月~6月、教団機関誌において、M派の活動への批判を念頭に置き、教団機関誌「進化」に、一審の判決に引用された内容を記している(証拠)。
この機関誌の中で、A派は、「◎法則における厳密さ・正しい教えを残す責任 教えの保持-グルの言葉から外れないように」と題した記事で、真理に対する帰依とは、麻原の言葉に対する帰依であるとし、「麻原を介して提供されたもののみを拠り所にする」「厳密性・純粋性を保持する」ようにすることの重要性を述べている。「この世にグルという存在を抜きにしてそれらの教えがもたらされることは、教団の歴史においてただの一度もなかったのである(中略)わたしたちはグルが説かれた煩悩破壊という最高の世界に至るための教えを、歪めてしまうことなく、時代を超えて継承していかねばならない。それがグルの願いなのである。(進化vol.52)
「真理をこの世に残すに当たってまず大切になってくるのは、グルが説かれた教えの厳密性・純粋性を保持するということである。つまり、真理の教えにしろ経典(仏典)の翻訳にしろ、グルを介して提供されたもののみを拠り所とする-わかりやすく言えば、グルの言葉から外れないようにする-ということなのだ。(進化vol.53)」
「このことは、「真理に対する帰依」の意味合いのところでも取り上げたように、それが「グルの言葉に対する帰依」であることからもおわかりいただけるのではないでしょうか?」
さらには、「グルの教えを正しく伝える ○間違ったことを多くの人に伝えることの恐ろしさ」という項目をあげ、グル(麻原)の言葉から外れると大変なことになるという話が続いており、時期的に見て麻原の言葉から外れているM派の活動を暗に厳しく批判している。
この内容をもって、一審の判決では、A派が「松本への絶対的帰依の重要性と教義の変更が不可能であることを説いている。」と認定されている(一審の判決p48)。
⑧ 上祐史浩の証言・上祐史浩個人の総括より(証拠)○松本家の反対で、教団改革が停止される(2003年後半)
私は改革を進めようとしたが、一言でいえば、信者の麻原信仰と、それを維持しようとする麻原の家族によって、2003年の4月頃からブレーキが掛かり始めた。
教団改革を止めた麻原の家族の中心は、麻原の妻・三女・次女であるが、この辺の動きは、当時正悟師という最高幹部の地位にあった野田成人が、月刊誌(『現代』2008年01月01日号)で告白している。
それによると、麻原の家族が、私に秘して、彼ら正悟師に連絡をし、私を教団運営から外すための協力を求められたという。
その結果、麻原家族と、その要求を受け入れた正悟師達の意見の結果として、2003年の6月頃から、私は、教団運営を離れて、いわゆる籠もった形の修行に入らざるを得ない状況となった(いわゆる世間で上祐の幽閉と呼ばれる)。そして、10月の末からは、一切の教団運営から退き、信者の前から姿を消す形になった。
今思えば、仮に、この時点で、私が、強い意思を持って、自分の考えを貫いて、教団運営から身を引かずに、自分に賛同する人たちと共に、自分の道を歩んだならば、後に麻原信仰を脱却していく者達は、より多かったと思う。しかし、その当時 の私は、徐々に変化を始めていたとはいえ、依然として、麻原への依存が残っており、そのために、麻原の家族に従う考え方からも脱却できていなかった。
特に、私が妥協しなければ、教団の中に闘争が起こり、教団分裂に至ることは必然であり、オウムの教義では、教団分裂は無間地獄に落ちる悪業とされていた。また、麻原の家族は、父親譲りの表現で、「戦争だ」「戦う」という言葉で、明確に警告していた。(中略)
そして、家族とそれに従う信者達は、2003年の6月以降、具体的な教団運営において、私に賛同する者や、明確に反対しない者について、「魔境である」、 「悪魔に取り憑かれている」と批判し、教団活動から排斥した。また、信者に対しては、私達と接触しないように圧力をかけ、接触すれば批判し、活動から排斥することもあった。
⑨ 宗形真紀子の証言(「A派(反上祐派)荒木浩のお話会の詳細内容(2004年1月17日)」1)宗形の証言1(証拠)
当時のアーレフ内で、勉強会や説法が行えるのは、オウム真理教の位階制度で、「成就者」とされた、正大師、正悟師、師というステージの者に限られており、これに当てはまらない荒木が、出家信者に対して勉強会を行うことは、これまでの教団内で極めて異例のことでしたが、荒木は、2003年6月に、上祐が麻原家三女・松本麗華の指示により、修行という名目で教団活動から外れてから、「お話会」という名の「上祐批判」を、単独で2004年1月17日までに少なくとも20回以上行っています。
この事実は、さまざまな場所で、上祐派を除く多くの出家信者が参加しているため、周知の事実となっています。
この異例な指導が容認された背景には、その背後に、麻原家という後ろ盾があることを、正悟師、師の上層部が知っており、異例な行いを容認していたためである。
なお、当時まで上祐の秘書をしていた私は、2004年1月17日当日、当時八潮施設の責任者であった野田成人に対し、正悟師である当人が、異例の荒木のお話会を、八潮施設の集中修行に入っている信者の修行を中断させてまで容認・推奨したことについて、麻原家の指示だから推奨している旨を確認しています。
この日、八潮施設一階の通称「男性師部屋」にて、約30人くらいの人数が、2階で行われている修行を中断して、お話会に参加しました。修行を中断してまで行うことは、通常はありません。
荒木は、上祐が、改革という名の下に、いかに麻原を外し、否定し、麻原の意思でない外道の活動を行うという悪業を積んだことにより、上祐の周りの信者ともども魔境に墜ち、教団に災いをもたらしたかについて説明する年表を参加者に配布し、その内容が麻原家の三女麗華も同じように言っていることをほのめかしながらそれをもとに解説を行いました。
2004年1月17日のお話会の内容を、当日とったノートのメモをもとに説明します。
ア 上祐が2002年1月に代表に就任すると同時に、プライド・権力欲の虜となり、麻原になり替わろうとする「グル化」を押し進め、2002年には以下の麻原の意思に反することを行った。
◎麻原の意思から外れている
・「どんな指示でも、犯罪行為の指示でも麻原の指示に絶対的に従う」と明言した幹部信者を除名した上祐は、麻原への帰依のある幹部を排除したこと、麻原が許可していなかった、気学・姓名判断・インド占星学などの占いを使ったこと、麻原が推奨していない日本のさまざまな神社仏閣や自然を旅したことは、外道の実践であり、麻原の意思から外れている。
◎麻原に対する不遜な行為をした
・上祐は、本来、グルである麻原からしかイニシエーション(エネルギー移入)を受けられない出家信者に対して、その立場を超えて、エネルギー移入を行ったことは、麻原と出家信者に対する不遜な行為である。
・上祐がインドの聖者ヴィヴェーカーナンダが自分と似ている話などをして、自己を神格化しようとしたことは、麻原に対する不遜な行為である。
◎麻原の死後のことを言うのはとんでもない帰依に反すること
・麻原がまだ生きているときに、死後のことを想定し何かをいうのはとんでもない麻原の帰依に反することだ。
◎麻原の絶対性を否定するとんでもない悪業
・上祐は、『ファイナルスピーチ』の改ざんの際、重要な「麻原が最終解脱者であり、未来においてマイトレーヤ真理勝者として降誕する」旨の内容を削除したことは、麻原の絶対性を否定するとんでもない悪業だ。今その編集をやり直し始めている。
◎麻原を外し、自らがグル化した
・上祐の書籍や機関誌やイニシエーションのポスターにおいて、強烈なインパクトのある大きな上祐の写真を目立たせたのは、麻原を外し、自らが「グル化」の証である。
イ 荒木は、2003年1月~4月にかけて行われた上祐の教団改革について、上祐が服役中から秘かに企んでいた「麻原外し・麻原否定」を正当化するためのものだと、以下のような趣旨の内容で激しく批判を行った。
◎麻原の死後のことを言うのはとんでもない帰依に反すること
上祐は、麻原を外すことについては、拘留中にノート何冊にもまとめてもともと計画されていたことであり、出家信者の様子を見ながら徐々に実行していったものである。自分はそのノートを見せてもらって詳しく読んでいるので知っている。そのノートには、麻原の死後のことも想定した検討がなされているが、麻原がまだ生きているときに、死後のことを想定し何かをいうのはとんでもない、麻原の帰依に反することである。
(※「ひかりの輪」補足:この上祐の勾留中のノートとは、国証拠の上祐ノートである)
◎大義名分を使い「麻原外し」を実行していった
上祐はいよいよ2003年1月から教団改革に踏み切り、「麻原外し」をいくつかの大義名分を使って実行していった。
◎麻原の言葉を無視し、「麻原外し」をする自らを正当化するために利用した
2月11日と23日に行われた「信徒サマージャ」と「サマナサマージャ」という教団改革の全体会合で上祐が行った「空と四無量心」の説法は、麻原外しを正当化するために使われた内容で、しかも、空についての話は、麻原がしてはいけないと語っていた内容にも関わらず、麻原の言葉を無視して、自らを正当化するために利用した。
◎一字一句麻原の決めた言葉通りに正確に扱わず、造語を作った
本来編集部では、麻原の説法にない言葉は一切使わず、一字一句麻原の決めた言葉通りに正確に扱うが、上祐はそれを無視して、麻原の説法にない偉大なる完全なる絶対なる空という造語を作った。
◎上祐は「麻原外し」の大義名分として、麻原の説法中の言葉の意味を変えた
そして、「四無量心」の概念を「国民に対する愛」という意味で使い、「麻原外し」の大義名分として、国民に対する愛の実践のために、麻原の写真などをなくし、本質の空を観想しようと語った。
◎麻原外し、麻原否定だ、麻原への帰依でない
・すべての上祐の行った行為は、「グル隠し」が、「グル外し」になり、結果的に「グル否定」になったという声を麻原家がかなり言っている。
・すべての上祐の行った行為は、「麻原を外し、教団の安定を求めるという自己保全の悪業」であり、「麻原への帰依ではなかった」。
◎上祐の行いは、麻原の意思から外れた悪業で、教団に災いを招いた
・上祐が「麻原の意思から外れた悪業」を積み、その報いが今、教団に悪業の返りとして返ってきて、教団にさまざまな「災い」が起きている。
・特に、2002年10月の大黒柱の天啓後に富士山で虹を見たり、乗鞍の大黒岳での経験後に大阪道場を取得できたことを、上祐は「祝福」と語っていたが、現実は、特に大阪を中心として、いかに多くの「災い」が起こっているか認識してほしい。
(※具体的な災いについては証拠の年表等を参照(証拠))。
なお、このお話会に、麗華から直々に修行入りを命じられ修行中であったM派の宗形がなぜ参加できたのかの詳細は(証拠)で示す。
2)宗形の証言2(証拠)
○三女から、教団活動を排除され、隔離される
それから一ヶ月ほど経った2003年の6月に、さらに、予想外の出来事が起こりました。ある日突然、わたしに、麻原家の三女から、携帯電話に電話があり、上祐と一緒に、教団活動から外れ、修行に入るよう命じられました。
上祐は実質、麻原家(三女ら)により監視役をつけられ自室マンションに閉じこもる、謹慎のような処遇となりました。三女は、携帯電話で、わたしに対し、一方的で、強い口調で怒鳴り続け、以下の内容の話がありました。
・上祐は、悪魔が取り憑いている。
・プライド魔境、権力魔境、性欲魔境である。
・上祐は、グルに成り代わろうとする野望を持って自らのグル化をすすめ、教団改革と称して、グルの絶対性を否定したり、グルが禁じた「外道」の神社仏閣に行ったり、グルと違う「外道」の教えを説いたりして、グルの意思を外している。
・当然、それを精力的に手伝っていた宗形も、同じように、グルの意思を外し、悪魔が取り憑いた魔境に陥っている。
・上祐が魔境に入ったのは、宗形のせいだ。
・正悟師はその意見に合意し、全員従っている。
・だから、教団活動を外れて修行に入ってもらう
わたしは、 最初は、その突然の、話し合いの余地のない理不尽なやり方に、まったく納得がいかず苦しみました。
上祐が教団に戻ってくる前は、「崩壊寸前の教団を立て直すことができるのは上祐しかいない」とすがりつくように頼り、その後、上祐のおかげで、崩壊寸前の教団をなんとか立て直すことができたにもかかわらず、その恩を仇で返すような行動に出たように感じられて、わたしはとてもショックを受けました。
三女に対し、上記のようなことを述べて、激しく反発しましたが、三女は、以下のようにわたしに言いました。
「宗形も、上祐も、尊師の意思を外している「魔境」に入って、尊師への帰依が足りなくなっているから、今は修行に入って、尊師を観想し、尊師にすがって救ってもらうしかない」
その後、すぐに、三女の指示で、わたしが、上祐と連絡を取り合うことのないよう、持っていた携帯電話やお金やパソコンなどを没収され、何も行動が起こせないようにした状態で、上祐が幽閉されることになった東京・世田谷から、長野県の郊外にある施設へと隔離されました。
長野に移った後も、三女との電話では、わたしが「麻原への帰依」を取り戻すように、麻原に帰依するための「帰依マントラ」を唱えるよう指示があったり、麻原を観想するよう指示があったりしました。
上祐が幽閉中には、三女からの指示を受けた同居する世話役の信者らにより、上祐の日常の動向や、外部との交信を監視され、携帯電話の通話記録までチェックされていました。
○荒木浩が三女と麻原の妻の指示を受けて行動
わたしが教団活動から排除されてしばらくすると、教団の中では、上祐への反発が、いっそう激化していきました。上祐やわたしなどのいないところで「上祐や わたしなどが、いかに麻原の意思を外した魔境であるか」と糾弾する「お話し会」という活動などが活発化していきました。
その中心人物は、信じられないことに、少し前まで一緒に上祐の下で秘書をしていた荒木でした。「どうして荒木君が?」と耳を疑いましたが、以下の荒木のお話会に参加した後、荒木氏に、直接、三女と麻原妻の指示により、行動を起こしていることを確認しました。
⑩ 細川美香の証言・オウムの総括(証拠)
○三女からの電話
2003年に入ると、今までのアーレフのやり方では、よくないのではないかということにより、改革がスタートしてきました。これは麻原色をなくしていく、 というものでした。この改革は、初めこそ、勢いに乗っていましたが、改革への反発が生じはじめ、徐々に動きが鈍くなっていき、ついには、頓挫することになりました。
そして、私にとっては、その頓挫は、突然に起こったのです。2003年の6月の下旬のことです。
その日は、烏山本部に道場のリーダー格の人が集まり、上祐代表とミーティングを行っていました。ミーティングが終わり、その帰り道に仲間の一人と喫茶店に入り、法則の話など、いろんな話をしていたところ、携帯電話が鳴りました。
その電話に出てみると、聞き慣れない声で、「お姉さん、誰だかわかる?」と言われました。初めはわからなかったので、「誰でしょう、よくわかりません。」と答えました。そして、沈黙何十秒後に、「もしかして、アーチャリー正大師ですか?」といったところ、「忘れてしまうなんて、お姉さんひどいね」と言われたので、「そんなの無理ないですよ、7年以上話をしていないわけですから」と言いました。
○三女の「尊師との縁を傷つけたから、このままだと地獄に落ちる」という脅し
アーチャリー正大師とは、麻原の三女で、松本麗華さんのことです。彼女はなにか周りをひどく警戒しているようで、周りに誰かいないかを確認してから、話を始めました。その内容は、まずは、私の個人的な話から始まり、そのことについて、
「お姉さんは、尊師(麻原)との縁を傷つけた。このままだと地獄に堕ちるから、このマントラを唱えたほうが良い」
と言われました。それは、脅しと同じような感じでした。
○三女から、直接会って話がしたいと呼ばれる
その後、三女は、 「シャクティーパットの影響で、上祐代表の調子が悪い、おかしい」「上祐代表を修行に入れたい」「そのために協力して欲しいことがある」 ということでした。
「できれば、直接会って話をしたい」ということでしたので、指定された場所に向かいました。(中略)駅に着いて、アーチャリー正大師を待っている間、生きた心地がしませんでした。なぜなら、この6月には、私のとって大きな変化出来事がありましたが、それについても悩んでいる時期でもあり、アーチャリー正大師の話次第では、どうなるかわからない、と思ったからなのです。「ああ、私はなんてカルマが悪いんだろう」と、半分、泣きそうになる気持ちを抑え、緊張しながら、彼女が来るのを待っていました。
○三女と二人で駅で会う
そして、約7年ぶりにアーチャリー正大師と再会しました。彼女は背が伸びており、女性らしくなっていました。駅の改札を出て、あまり人目につかないところ で、立ち話で2時間くらいだったでしょうか、話を聞きました。その内容は、ひたすら上祐代表の悪口(と思えた)でした。彼女の話は、私が腑に落ちない点が いくつかあったのですが、ここで逆らっても仕方がない、と思い、ひたすら話を聞いていました。
幾分、話をしているうちに、私の緊張も取れていき、十分、話を伝えきれたと思った彼女は、「お姉さん、だいぶ理解したみたいだね。」と言い、「次は、もっとびっくりさせてあげる」と言われ、私を次の場所に連れて行きました。
○カラオケボックスで、麻原妻と二女、村岡、二ノ宮が待っていた
再び電車に乗り、とある駅で降り、そこからしばらく歩いて着いた場所は、カラオケボックスでした。そのまま促され、部屋に入ると、そこには、なんと、次女であるカーリー、麻原の奥さんである、知子さん(現松本明香里)がいたのです。そして、二宮さん、その時、一緒にいた仲間も、すでにその部屋にいました。私たちは久し振りの再会に、多少の世間話や、昔話をしました。その後、現状の話を少しされました。 そして、まだ、「今から人がここに来るから、呼ぶまで、違う部屋で待機しているように」と言われました。
違う部屋に行き、もう一人の仲間と待っていたら、村岡さんが来ました。彼女はこの成り行きを知っているようで、余裕な感じを受けました。呼ばれるまで、カラオケを歌ったり、話をしていました。しばらくすると、先ほどの部屋に呼ばれましたので、行ってみると、そこには数名の道場活動の師の人達がいました。
○三女からの指示
そして、三女が、上祐代表の問題点をいくつか話をし、最後に、「今日、ここで話をしたことは、決して誰にも言わないように。この場所に集まった人達同士でも話をしないように。上祐代表にも、もちろん言わないように」と、きつく言われたのです。
○三女から、長男・次男にお布施するよう言われる
さらに、「せっかくだから、長男、次男に対して、お布施ができる良い機会だから、みんなお布施したらどう」と言われました。私はそれについては、抵抗があったものの、他のみんなが素直にお布施するのを見て、「ここでしないのも、今後、活動がしづらくなるから、形だけでもしておこう」と思い、お布施をしました。(中略)
○三女から、チェックが入る(中略)そして、次の日の朝、ミーティングで上祐代表に会いましたが、昨日の事がバレたら困ると思い、まともに、顔を見ることができませんでした(中略)烏山に着き、上祐代表に会い、私は自分の体験したこと、そこから出た疑念について、質問しました。そして、しばらく話しをした後、違う部屋で待機しているように言われ、待っていました。
そこで待っているとき、三女から何度も携帯に電話が入りましたが、一度も出ませんでした。そして、その日のお昼過ぎ、二宮氏が電話を私に持ってきて、出るように言われたので、出てみたところ、三女からでした。
三女は、私に、「なぜ電話にでなかったか」を聞き、次に、三女に会った人たちがその直後に事故を起こした件について、「上祐代表にその話をしたのは私なのか」と聞かれたので、「そうです」と答えました。」
⑪ 廣末晃敏の証言・オウムの総括(証拠)2004年、三女から私の携帯電話に電話がかかってきました。少なくとも3度にわたり、合計5~6時間ほどの会話となりました。
その頃の私は、オウム事件を直視しようという上祐に対する批判はおかしいと思って、上祐を擁護する意見を教団内の電子会議室に書き込んだり、隔離されていた上祐とひそかに連絡をとりあったりしていました。その動きを察知した三女からの電話でした。
最初は「お兄さん、私が誰だかわかる?」と問いかけてきました。私は話しぶりからすぐに三女だとわかりました。そして、おおむね以下のような趣旨の話を三女は続けました。
◎あなたは自分が何をしているのかわかっているのか?
◎上祐は教団を乗っ取ろうとしているのだ。
◎上祐はシャクティーパットの影響でおかしくなった。
◎上祐には修行をしてもらい、麻原尊師への帰依を取りもどしてもらわなければならない。
◎だから、上祐に接触してはならない。
◎あなたはエネルギーが強くて周囲の人を巻き込む可能性があるから、そういう動きをしていることが心配だ。
◎上祐に会わないという約束をしてほしい。
◎私から電話があったということは絶対に内緒にすること。以上の話に対して、納得できない私がいろいろ反論や質問を重ねたからかもしれませんが、三女はその後も繰り返し私に電話をかけてきて、その回数は前記の通り、少なくとも3回にわたりました。
⑫ 水野愛子の証言・オウムの総括(証拠)○麻原妻と三女の影響力
しかし、麻原の家族を中心として、麻原への信仰が強い者たちが、麻原を外していく上祐氏の改革に強く反対するようになり、6月下旬(2003年)、上祐氏は突然、長期修行入りという形を取った事実上の幽閉、失脚となってしまいました。それほどまでに、家族、特に妻(松本明香里)と三女(松本麗華)らの権力は強かったのです。
私は、突然、二宮氏に呼び出され「マイトレーヤ正大師が大魔境です」と告げられ、一瞬言葉 を失うほど驚きました。それまで、「上祐教でいいんだ」といっていたほどの改革派で、上祐氏のパートナーとして、麻原色をなくした導きを推奨してきた二宮 氏の発言とはとうてい思えませんでした。
○三女からの電話
その頃、他の師たちは三女に呼び出されて、知子夫人や複数の正悟師たちから、上祐氏が魔境である旨をこんこんと諭されたということでしたが、私は三女から一度だけ電話があり、
「グルとの縁を相当に傷つけている。懺悔した方がよい」と言われました。
上祐氏はその後10月頃までは月に一度の支部説法会には出てきていましたが、そのほかは一切の連絡を絶たれ、パソコンも携帯電話も取り上げられ、警備と称しての監視が続けられたということでした。
私は上祐氏に傾倒していて同じく「魔境」とされ、9月頃から京都道場での修行を命じられました。それまで担当していた経理やお金、携帯電話も部署のサマナ (オウム用語:アレフの出家者)の管理となり(私が上祐氏と連絡をとらないよう)、私の動向は監視されているのがわかりました。
24時間なにをしたかの報告を、毎日二宮氏にファクスで送らなければならなかったのですが、なかなか心が向かず修行できないでいると、「なんで修行できないんだ」と怒られたり、抜き打ちで視察されることもあり、ますますやる気をなくしていきました。
○荒木浩の上祐批判は、麻原家族の指示
その後、麻原の妻から、村岡氏を通じて、仕事の指示の変更があったりと麻原の家族が仕事の指示をするようになりました。
また、麻原が決めたステージ制度が絶対の教団の中で、かなりの下である荒木浩氏が、数段階上のステージである上祐を批判するお話会、を教団内で大々的でき たのかは、麻原の家族の指示だったからでした。上祐氏排斥は「グルの意思」だとまで言われました。これらの強制的なやりかたは、教団上層部の本質が変わっていないと感じさせました。
家族は形式上は脱会してはいましたが、教団の意思決定には大いに関わっていたことは、サマナなら誰でも知っていることでした。
なお、この水野の動向が監視されていたことは国の証拠(証拠「SVP師=スッパヴァーサー師:水野のAleph時代の宗教名」)に記載されている。
⑬ 吉田恵子の証言・オウムの総括(証拠)2004年9月に、アレフの二ノ宮幹部から、アーチャリー派と上祐派のどちらにつくのか激しく迫られる電話がありました。それに即答できずにいると、激しく怒鳴られました。
翌日、二ノ宮氏と江藤幹部に、カラオケボックスに呼び出され、わたしの機嫌をとるかのように食事などの接待があり、気持ちがほぐれて来た頃、二ノ宮氏は、三女と電話で話をし、私の様子を三女に報告していました。その場で、携帯電話が渡され、三女から話がありました。わたしは三女の家庭教師をしていたこともあります。
三女は、
「マイさん(上祐)、魔境なのよ、おかしいの。修行に入らなきゃいけないのよ」と言うので、
「上のほうでまとまれないのでしょうか?」と聞くと、
「それは無理!」と言われ、困っていると、
「どっちにつくんだ、すぐ決めろ!」
と怒鳴られ、しばらくの間、怒鳴られ続けました。
一通り三女の怒りが収まったころ、三女は、その場で決められなかった私に対し、
「お姉さん、修行に入ったら?教学(麻原に帰依する教え)をしっかりしたほうがいいよ、こもって修行して。リトリートにとにかく籠もって、誰の電話もでちゃいけない」と指示をしました。
その後、わたしの監視役に江藤氏がつけられ、監視されながら、二度ほど、わたしの様子を確認するために、三女から電話がかかってきましたが、私が三女側に付くと即答できなかったために、自分の側に付かないとわかって以降は、電話がかかってくることはなくなりました。
(3)「ひかりの輪」の発足以降も、今現在に至るまで、約15年間にわたって、現Alephは、麻原の家族を頂点とする教団組織を挙げて、上祐ら・「ひかりの輪」をグル否定・魔境として批判し、信者に拒絶を指導しており、一方の「ひかりの輪」は、別に述べたように、麻原・Alephの批判や、その信者の脱会支援を含めた、Alephに対する反対活動を行なっており、両者は対立関係を深めている。
この点に関して、これらの事実を示す証言の証拠(証拠)をさらに追加し、特に、・Aleph代表派・M派の時代(主に2005~2007年頃)の証言、
・「ひかりの輪」の発足以降の約5年間(2007年5月~2011年ごろ)の証言、
・最近の約5年間(2012~2017年)の証言、
の三つの時期に分けて、以下の通り、立証を深める。
① Aleph代表派(=M派)の時代(主に2005~7年3月頃)の証言(証拠)
◎A派・Alephの幹部信者の×××××が「上祐らは魔境で、地獄で苦しむビジョンを見たと語る」
2006年~7年3月頃、アレフ福岡支部長の×××××から、数回の説得があり、「M派の上祐は魔境であり、苦しんでいるビジョンを見た。彼はグルの王権継承者ではなく、それはリンポチェ猊下(※麻原の息子)」などと語り、M派との連絡を絶つために、携帯電話のアドレス等を変更するよう促された。(ひかりの輪会員の××の証言)◎Alephの東京道場の支部長・幹部信者の×××××、××××、××が「上祐ら・M派に行けば地獄に落ちる」と主張し、接触しないように厳しく指導(2005年5月頃)
Alephの西荻道場で、×××××、××××、××から何度も
「M派に行ったら、死んだときに恐ろしい目にあい、永遠に地獄から抜け出せない」、「いくらM派と接触して、何を言ってきても、彼らは魔境になっているから、自分でも言っていることがわかっていない」、
「M派の言っていることを信じて行動したら大変なことになる」、
「M派に誘われても、言ってはいけない。携帯電話は出ないもしくは着信拒否にするように」、
「あなたがM派に行ったら救済はできないし、もうどうしようもない」、「M派には行かないように。行ったら尊師(麻原)との縁が切れる。縁が切れたらおしまいだ。上祐さんは完璧に尊師と縁が切れているから」、「M派の人達と一言でも口をきいたら、カルマ交換になる。話をしなくても、聞いているだけでデータが入ってくるため、接触もいけない。話をしたりしたら絶対にいけない」
などと言われた。
その後、M派の勉強会に参加したことがアレフ側にわかったようで、「魔境」扱い、狂っていると思われていたようで、東京道場に入れてもらえなくなった。(ひかりの輪会員の×××××の証言)◎Alephの東京道場の幹部信者の××××、××××が、「(上祐らのように)麻原の家族に逆らうと地獄に落ち、上祐ら・M派に会わないよう」に指導(2005年頃)
2003年末から、上祐さんは信徒の前に現れなくなり、「シャクティーパットのやりすぎで皆の前に出られる状態ではなくなっている」と教団から説明があった。
2005年頃、幹部の××××に呼び出され、「東京道場で活動していたアレフ幹部の××はM派の活動をしている。声をかけられも、××、M派の人に会わないように。決してM派の話を聞きに行ってはならない」と告げられた。
その頃、東京道場に行くと、「上のステージの人(麻原の子女)に逆らうと地獄に落ちるという趣旨のビデオ、「私は大丈夫」とM派の話を聞きに行ってはいけないと戒める趣旨のビデオを繰り返し見せられた。
しかし、M派の話を聞き、オウム事件を直視する活動に賛同するようなったことがアレフ幹部に知られると、××××に東京道場の面談室に呼び出され問いただされたが、「話にならないですね」と言われ、その後、東京道場内で他の会員からもあまり話しかけられなくなり、自然と通わなくなった(ひかりの輪会員の××の証言)◎Alephの大阪道場長である幹部信者の××××らの幹部信者が「上祐らは魔境、話をするな」と約束させた(2005年頃)
Alephの幹部が上祐さんを魔境とする指導が終わっており、自分がM派と言ったら嫌悪され、道場長の××から「上祐の話をするな」と強制的に約束させられ、無断でその会話を録音された。
名前が思い出せないが、××以外の師2名も上祐が魔境との認識だった。上祐派であるだけで、ぼく自身も冷たく制限され孤立していった。ひかりの輪の××××も魔境とされ、上祐派幹部の多くが、Alephから排除された(ひかりの輪会員の××の証言)
◎Aleph名古屋道場長の幹部信者の××××が「上祐らに接触しないよう」に命じ、接触を続けると、名古屋教室から排除
A派から、私が上祐派の勉強会に接触をしていると思われた時点で、Aleph名古屋道場から排除された。
名古屋の道場長の××××から「代表派の話を他の会員にしないように」と言われた。
私の実名が書かれた張り紙で、私と話をしないようにと貼られ、名古屋道場から排除された。それ以降、頻繁だったお誘いの連絡は、一切来なくなった(ひかりの輪会員の××の証言)
◎Alephの大阪道場の幹部信者の××××や×が「上祐らは魔境で会ってはいけない」と指導
アレフ大阪道場で、
「上祐、上祐派は魔境でおかしいことを言っているから信じてはいけない、上祐派と会ってはいけない、連絡が来たらすぐに知らせるように」と××××、×から言われた。いかに上祐派がおかしなことをやっているかの資料が配付された(戸隠神社に行ったことなど)。その後、×からも同様のことを聞かされた。それ以降アレフに行っていない(ひかりの輪の会員の××の証言)
◎Alephの名古屋教室の道場長の幹部信者の××が上祐らを魔境と批判し、接触しないように指導(2005年頃)
名古屋の××に、上祐が戸隠神社に行ったりとおかしなことをして魔境である、上祐派と接触しないように言われた。私が上祐派とわかると、道場に入れてもらえないようになり、アレフを辞めた。(ひかりの輪の会員の××の証言)
◎Alephの福岡教室の道場長・幹部信者の×××××が「上祐らは魔境、無間地獄に落ちる」と言い、接触しないように指導(2005~7年頃)
福岡の×××××が「彼らは魔境である」「無間地獄に落ちる」「グルとの縁を傷つけている」「M派に接触しないように」と言われた。何度も聞かされ、そこまで悪口をいうのかとげんなりした。くどいほど、M派に接触しないように言われた。(ひかりの輪の会員の××の証言)
◎Alephの大阪・広島担当の幹部信者の×や××が「上祐らは魔境で地獄に落ちる」から、接触しないように指導(2005~6年頃)
広島市で、×や××××から「M派と関われば魔境になる。上祐は魔境で地獄に落ちるから関わるな!」「M派から電話連絡があれば出てはならない」等言われた(××の証言)
◎Alephの東京道場の道場庁の××・××・××らが「M派は麻原の意思に反した外道」であり、接触をしないように指導したこと(2005年の夏以降)
東京道場で、××××、××××から、「M派の××の誘いを受けましたか?」と聞かれ、受けた、いい印象だった、と答えると、「そんな話を聞いても仕方がない、意味がない」と言われ、「M派の話を聞かないように」と圧力を受けた。
その後、幹部の××××からも「ぶれないように(麻原の意思に反しないように)」と高圧的な態度で言われた。××はM派は外道であると認識していた。A派はM派を「オウム・アレフ以外の宗教」「麻原の意思に反した団体」と認識していたことは明らか。(ひかりの輪の会員の××の証言)
◎福岡の道場長・幹部信者の×××××から、上祐らに接触していため「無間地獄に落ちる」と脅された(2005年頃)
アレフ福岡道場で、×××××より「M派は無間地獄で魔境に墜ちる」「グルとの縁が切れて地獄に落ちる、魔境になる」と脅されていた。脱会時も引き留められ、「グルとの縁が切れて地獄に落ちる、魔境になる」と何度も言われた。(××の証言)
福岡の×××××から「グルの意思に反することや否定すると、無間地獄に落ちてしまいますよ」「グルとの縁が切れてしまいますよ」と脅しとも受け止められることを言われた(ひかりの輪の会員の××の証言)② ひかりの輪発足からの5年間(2007~2013年)(証拠)
◎Aleph東京の幹部信者の××や札幌の幹部信者の××が「上祐らは魔境で、精神異常が出ている」として批判(2008年頃)
アレフの出家信者の××××氏や、札幌支部の××氏とメールでやりとりするようになり、アレフの情報を得ようと、上祐氏ともメールのやりとりをした結果、入会寸前でアレフに入ることを思いとどまった。
××は、
「アレフの方から、ひかりの輪、上祐氏は、魔境と呼ばれている。上祐の教え子も精神異常が出たり、入会はおすすめできない。上祐氏独自の理論で展開しており、解脱のための高度な修業法は教えてくれない」
「上祐氏の考え方は本質的に間違えている」
「Alephに入会したらよいです。そのときは上祐さんは忘れたほうがいいです」
と言ったが、上祐らと接触続けて、入会を思いとどまると、××は、、
「洗脳されましたね。あれほど、切りなさいと言ったのに・・・」
「上祐さんはアレフを出たときから成就者ではなくなってしまいました」
と言い、「これ以上、上祐さんと連絡するなら残念ですが、私とは縁が切れます」
と言って、自分と会うことも拒絶した(Alephに入会寸前のところ、上祐の脱会支援で思いとどまった××の証言)
◎Aleph最高幹部二宮や、幹部信者の××・××・××・××・××らが、「上祐らを魔境、悪魔扱い」し、ひかりの輪に接触しないように指導(2007年~8年頃)
八潮の光音天でのセミナーで、二ノ宮耕一氏が、「上祐君は魔境に入った」と言っていた。
西荻窪道場や光音天は、4人のアレフの幹部達(××××、××××、××××、××××など)が、当然のようにひかりの輪を「悪魔」呼ばわりして、アレフの信徒がひかりの輪の人と接したりしたら、何時間でもお説教をされるという状況でした。
東京本部の××××は「もし、ひかりの輪の人たちから脱会の勧誘があったら連絡しないでくれと言うように」指導していました。(2009年頃、Alephに排除された、現ひかりの輪会員の××の証言)
◎Aleph京都道場の出家信者がひかりの輪を「魔境」と批判(2007年~2008年頃)
Aleph京都道場の出家信者が「ひかりの輪は魔境である」という話を繰り返ししていた(ひかりの輪の会員の××の証言)
◎Alephの東京道場長の幹部信者の××や××が「上祐らは魔境で、会わないように」指導(2009年頃)
東京本部の××師補から「上祐氏は魔境だから修行に入っている」と言われ、2008年に、東京道場の道場長・××××から「ひかりの輪の人に会ったのではないか」と問い詰められ、「魔境だからひかりの輪の人には会わないように」と指示された。(××の証言)
◎Alephの金沢同場長の幹部信者の×××××が、「ひかりの輪は魔境で接触しないように」指導(2011年頃)
警察がきたことで、何かアレフの関係で出来事があったのかと思い、久しぶりに昔の知人であったアレフの信徒に電話すると「Alephの金沢道場の×××××から、ひかりの輪は魔境だから、ひかりの輪の人から連絡があっても関わらないように言われているので話ができない」と言われ、話をすることができなかった(ひかりの輪の会員の××の証言)
◎Alephの幹部信者の××が、麻原を批判する上祐らに接触しないように指導(2013年3月頃)
アレフの覆面ヨガ教室・Alephの××(※××××のこと)に、「ひかりの輪の上祐さんは麻原さんのことを批判しているから、上祐さんが言っていることを見たり、読んだりしたらいけない(ひかりの輪のHPも含む)」と言われました。(ひかりの輪で脱会支援を受け脱会した××の証言)
◎Aleph出家信者がひかりの輪を「魔境」と否定(2013年頃)
アレフの覆面ヨガ教室の先生の女性(Aleph出家信者)から、「ひかりの輪は魔境である」と聞きました。(ひかりの輪で、Aleph(の覆面ヨガ教室)からの脱会支援を受け脱会した××の証言)
③ 最近の約5年間(2013~2017年)の証言(証拠)
◎Alephの福岡道場の幹部信者の×××や××が「ひかりの輪は大魔境・地獄に落ちる」と批判(2016年)
アレフで5年間信者で活動していたSは、福岡の道場で、アレフ福岡道場で、大阪からたまに来る師の×××××や××(男性の出家者)が、「ひかりの輪は大魔境です。あの人たちは地獄に落ちる。グルとの縁を傷つけている」と批判をしていたと聞いた。
そのSが、自分でアレフに導いたHの脱会支援をした際には、Hも「ひかりの輪は魔境。かかわらないように。地獄に落ちる」という批判を数回にわたって聞いた(元Alephの福岡道場の会員のS)
◎Alephの名古屋道場の出家信者らが、「ひかりの輪は魔境」と批判(2017年4月頃)
Alephの出家信者である×と、信徒の女性2名が、ひかりの輪で、Alephの脱会相談を受けて脱会することにした者(××)に、
「彼らは魔境に墜ちた人達だから彼らの言うことをまともに聞いてはいけない」
と厳しく批判(ひかりの輪で脱会支援を受け脱会した××の証言)
◎Alephの福岡幹部信者が、ひかりの輪を「変な道」と批判(2017年7月頃)
福岡の出家信者・×××××が「最近新しい人がひかりの輪に相談して、すぐやめちゃうんですよね。変な道にいっちゃって残念だったよね」と聞いた。
×××は、新しい人が、ひかりの輪の脱会支援で止めることに、非常に迷惑そうにしていた(ひかりの輪が脱会支援し、Alephを脱会した男性R・Iの証言)
◎Alephの福岡道場の幹部信者の×××××がひかりの輪との接触を批判(2017年4月~5月)
アレフの福岡道場の×××××が、ひかりの輪の××に相談して、アレフを辞めること決めたKKに対して「えーどうしてそんなところに相談しちゃったの」となど厳しく批判(ひかりの輪の脱会支援を受けた脱会したKKの証言(証拠))
◎2018年の最新の事例
Aleph幹部複数が、××××に、ひかりの輪との接触を厳しく禁じたこと。しかも、かつて麻原・オウムが悪魔とみなして敵対視しサリンの散布を試みた創価学会(証拠)との接触は許し、ひかりの輪との接触を厳に禁じており、今やひかりの輪がAlephにとって、「創価学会以上の最大の悪魔」と見られていることがわかる(証拠)。
しかしながら、それでもAlephと「ひかりの輪」は同一団体であるという国の主張に基づけば、Alephと創価学会は、Alephと「ひかりの輪」よりもさらに密接な同一団体ということになる。そのような主張が常識から大きくかけ離れた理不尽なものであることは、論をまたない。
(4)A派が上祐らを「グル外し」「麻原の意思に反する」「グル否定」と厳しく批判・排除した事実は極めて重い。
まず、仮に、上祐らの言動が、公安調査庁が主張するような単なる麻原隠しであったり、麻原の意思に基づいたものであるならば、麻原の意思を実践するA派が、上祐ら(および上祐らに一定の理解を示した中間派を含め)を、これほどまでに激しく批判し、教団活動から徹底して排除し、脱会・除名に追い込むはずがない。これは、オウムの教義上、麻原への帰依として大きな悪業になるために、できないはずである。
さらに、Aleph教団の出家信者こそが、麻原・オウム教義の第一の専門家であって、A派は、その中で圧倒的多数=出家信者の8割を占めていることも重要である(当時)。
上祐らM派は、2割ほどに過ぎず(「ひかりの輪」「ひかりの輪」の発足時のメンバーでAlephの元出家信者は56名で、アレフ全体では300名ほど)、当時のアレフの圧倒的多数が、上祐らM派の行動は、麻原の意思・麻原への帰依ではなく、自分達の意思のために麻原を用いた(利用した)ものであり、利用するという形での依存が残っているにすぎないと判断したのである。
この点に関して、たとえオウム・Alephを調査しているとはいっても基本的には部外者にすぎない公安調査庁が、自分たちなりの解釈で上祐らの行動を解釈したとしても、それはA派に及ぶものではなく、過ちといわざるを得ない。
ここでの重要なポイントは、すでに述べたとおり、「麻原への(絶対的な)帰依」とは、通常は大きな悪業とされる殺人や麻原への不敬行為を行う場合は、厳密に「麻原の言葉通りに」に実行しなければならず、さもなければ大悪業になるというのがオウムの教義である。言い換えれば、弟子たちが勝手な解釈をすることは「絶対的な帰依」とはならないということである。
そして、国も認めるように、麻原を頂点とするオウム・Alephの位階制度に基づいて行動するAleph信者は、もっぱら麻原の家族の意思に従って活動することが麻原への帰依となり、そうしないいわゆる中間派はAlephから排除され、Aleph組織全体が結果として反上祐らの体制となる構造がある。
麻原の家族が、国が認めるように上祐を激しく批判・排除し、魔境と言い、上祐らと接するなというので、それを麻原への帰依の一環として、Aleph組織全体がそのように行動することは議論の余地がない。
【6】「麻原を王とする」政治目的を有さず、そのための違法行為を否定してきた事実 (2019年2月28日)
前の記事に引き続き、ひかりの輪が観察処分取り消しを求めて裁判所に提出した書類を、以下に掲載します(読みやすさやプライバシー等を考慮して、一部、削除したり伏字にしたりしている箇所があります)。------------------------------------------------------------------------
【6】「麻原を王とする」政治目的を有さず、そのための違法行為を否定してきた事実
ここでは、これまでに述べた「ひかりの輪」の活動の経緯に基づいて、「ひかりの輪」が、本件観察処分上の政治上の主義を維持しておらず、無差別大量殺人を行う可能性がなく、本件観察処分が全く不要であり、本件被処分団体に含まれないことを述べる。(1)本件の政治上の主義の有無が、被処分団体の危険性の有無の根源・焦点であるにもかかわらず、国は、「ひかりの輪」が政治上の主義を維持しているという証拠を一切示していないこと。
本法第4条1項が規定する通り、「無差別大量殺人行為とは、破壊活動防止法(以下「破防法」という)4条1項2号へに掲げる暴力主義的破壊活動(注・政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する目的を持ってする殺人)」であり、政治上の主義の実現等を目的としたものとされる。
それを踏まえ、国は、自らの一審の国準備書面(1)で認めるように、「両サリン事件は、いずれも松本が独裁者として統治する祭政一致の専制国家を樹立するという政治上の主義を実現するために本団体の活動として敢行された無差別大量殺人行為による事件である」(同準備書面p8)であり、「無差別大量殺人行為が団体が持つ一定の目的達成(=上記の政治上の主義)のために行われている場合には、反復して行われる可能性が高いという特性がある」(同準備書面p8)
とし、本法の主旨・目的とは、「過去に無差別大量殺人行為を行った団体が、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持していると認められる場合に、(中略)公共の安全の確保に寄与するために制定された」と結論した。
これらの国の主張に基づいて、その逆を言うならば、「ひかりの輪」が、無差別大量殺人行為の目的・動機である「松本が独裁者として統治する祭政一致の専制国家を樹立する」という政治上の主義を放棄して離れているならば、無差別大量殺人行為を繰り返す危険性はなく、その危険性を前提にした本件処分は不要であり、違法であるということになる。
しかしながら、極めて重要なことに、一審及び控訴審の国の主張を見ても、「ひかりの輪」が依然として政治上の主義を維持しているという主張と証拠は一切見られないのである。
例えば、一審の国準備書面(1)は、p5以降で、まず、オウム真理教の教義は、タントラ・ヴァジラヤーナ、ポア、マハームドラーの修行、麻原への絶対的な帰依、五仏の法則など、殺人を肯定する教義を有しているとし、p14以降で、「ひかりの輪」が、松本とその教えに帰依をしているなどと主張し、控訴理由書も全く同じ主張・論理構成なのだが、肝心要なこととして、「ひかりの輪」が、単に麻原やその教えをどう思っているかではなくて、本件処分時においても、上記の政治上の主義をオウム真理教の教義と結びつけて維持し、すなわち、依然として「松本が独裁者として統治する祭政一致の専制国家を樹立するために、武力行使=無差別大量殺人を行うという意思・思想を維持している、という点が、一切証明されていないのである。
しかしながら、松本を独裁者ないし王とする祭政一致の専制国家体制を樹立するという政治上の主義という目的・動機がなければ、その実現の手段にすぎない、上記の各危険な教義があったとしても、無差別大量殺人行為が反復されることはなく、その危険性に基づいた観察処分は必要・適法ではない。
わかりやすく言えば、かつて政治上の主義を動機としたいわゆる過激な宗教集団が、時とともに、その過激思想(政治上の主義)から脱して、穏健派に変わることはよくあることであって、それゆえに本法も時の経過とともに本法の廃止を含めた見直しを求めているにもかかわらず、国は、「ひかりの輪」が依然として政治上の主義を維持しているという証拠を一切示すことができていないのである。
(2)関連する一審の判決の認定
この点に関して、一審の判決は、
①本件期間更新時においては、一連の事件から久しく、麻原も長期間収監中であることなどから、武力を行使して麻原を独裁者ないし王とする祭政一致の専制国家体制を作るという本件の政治上の主義が、オウムの教義と密接不可分とは言えず、仮に結びついていても構成員がその実現のためにどのような手段(無差別大量殺人行為)を取るかは不明であり(P94~95)、さらに.
②A派とM派の対立に見られるように、オウム真理教の教義は、その絶対的帰依という教義の本質的な部分さえ多義的であって、各人により解釈が異なっているから、同教義を共有している者たちであっても共同の行動をとるとは言えず、一つの組織としての意思決定がなければ、(無差別大量殺人行為に向けて)、共同の行動をとる一つの団体ということはできないとし(p94)、その上で、(政治上の主義を維持している可能性がある)アレフ=本件被処分団体と、「ひかりの輪」は同一の団体とはいえないと判断した(P99)。
(3)「ひかりの輪」は、Aleph時代から、政治上の主義と違法行為を強く否定してきたおり、それがA派・Alephから脱会・独立した一つの動機となったこと。
本件の政治上の主義は、麻原・オウム真理教の予言的な世界観に現されている。具体的には、1988年末ごろより、麻原が新約聖書のヨハネ黙示録などを解釈して、以下の通り形成されたものである。
① 今の世界は、善業多き魂=オウム真理教などの真理の実践者と、悪業多き魂=オウム以外の社会一般や間違った宗教の実践者に二分化されており、悪業多き魂がこの世を支配しており、善業多き魂を弾圧していること。
これを現実の世界に当てはめて、麻原と教団は、1989年から始まった一連のオウム 事件に対する警察による捜査、マスコミによる教団の批判報道、さらには、1990年の選挙の敗北などを選管の投票操作などとして、陰謀的な弾圧と主張した。
② しかしながら、将来はキリストとその弟子・聖徒である善業多き魂が、力=武力=タントラ・ヴァジラヤーナの実践によって、悪業多き魂を滅ぼして(ポアして)、真理の世界を作ること。
これを現実の世界で実現するために、麻原と教団は、まず1989年に教団に反対する坂本弁護士を殺害し、1990年前後から、教団武装化の研究・実験、いわゆるヴァジラヤーナ活動を始めた。
1992年末前後から、教祖麻原が闇の国家権力から毒ガス攻撃を受けていると主張しながら、1993年頃から教団武装化の研究・実験を本格化し、麻原が1997年までに武力行使して政権を奪取し、麻原が日本の王となる専制国家が樹立することを宣言した。
1994年には松本サリン事件を発生させて、疑似的な戦争状態と認識して、ついには地下鉄サリン事件を発生させるに至った。単なる政権奪取の武力革命ならば政権中枢を狙うはずだが、そうではなく松本や地下鉄の一般大衆を対象としたのは、今の大衆は、麻原が言う真理の実践をしない者がほとんどであるから、予言に従って大量にポアして、善業多き魂の世界を作るという予言の解釈によると思われる。なお、麻原は「97年真理元年」というヴィジョンを見て、1997年までに麻原が政権奪取して年号を真理元年に変更するべきという趣旨の主張・指示を弟子たちにした。
これらは、麻原の裁判での判決、国の主張・証拠、逮捕前の麻原・教団の予言関係の書籍・説法から確認することができる(たとえば、証拠)。
さらに、国の証拠の麻原の獄中メッセージ(証拠)の中にも、①99年に真理の弟子が集まるという予言を信じるべきであること(1996年6月14日の「KAMI 37」の1ページ)②97年がやはり真理元年であること(「KAMI 51」の下から3行目~)、③国の生活保護に依存することは宗教的敗北になること(証拠)、④陽神(神のような自在な身体)を得るから安心すべき(証拠の「破防法について」、証拠、証拠の「マノーサンカンタムッタの質問に答えて」、証拠の「村岡さんへ」、証拠の「伝言」)という主旨のものがある。こうして、獄中からも麻原が信者に、予言を信じるべきであり、自分は刑死せず、復活することを期待させるメッセージを出した。
また、麻原の説法では、
1.繰り返し、警察・マスコミは悪魔の手先であるとしており(証拠)、
2.教団を批判するマスコミや外部の情報を遮断すべきこと(証拠)、
3.教団・出家に反対する親は悪業多き魂として関係を断っても出家すべきこと(証拠〈88/7/31麻原説法〉)、また、一審のひかりの輪準備書面(1)第5(p250)で述べた通り、親(の介護など)を出家よりも優先すべきでないこと(証拠〈88/9/21麻原説法〉)、
4.他の宗教、日本の宗教を外道として、従うべきではないとし、弘法大師・真言宗を否定し、日蓮宗・創価学会を(法華経地獄に落ちる者などとして)否定し、聖徳太子さえも見下している(証拠)。
(4)上祐らは、獄中とアレフ時代から、麻原の政治上の主義と違法行為を否定してきたこと。
前記第6の1で示した通り、上祐は、その獄中ノートで、麻原の予言は絶対視できないこと、麻原を唯一絶対としないことを記載している(証拠)。
そして、前記の通り、上祐は教団に復帰した初年である2000年においても、実際に重要な以下の行動に出る
1.2月に、公に麻原の事件関与を認め、祭壇からその写真をおろし、瞑想家に格下げ。
2.3月に、麻原の奪還を図ったシガチョフを国内外の警察に通報・協力して摘発。
3.7月に、麻原の事件関与を認めた上での被害者賠償契約を締結。さらに、前記第6の1で述べた通り、上祐は、外部向け・表向きではなく、教団内部に裏表なく真実として、麻原の事件関与=無罪釈放の否定を明言し、事件は肯定できず反省すべきだとし、麻原の予言・復活を否定し、刑死の見通しを説法するなどして主張した。時系列的に言えば以下の通りである
1.2000年:出家者には、予言・復活を教団復帰の当初から否定した。
2.2002年:在家信者に麻原の死を前提としたヴィヴェーカーナンダの話を説法。
3.2003年1月頃:国の証拠(証拠:平成15年1月26日の横浜道場での説法)のように、在家信者に対して、麻原が復活せず刑死することを初めて明確に話す。
4.2003年:埼玉県草加の団体施設での全出家者と在家信者多数を集めた総会にて、全信者に麻原の事件関与を明言して陰謀説を否定、事件は反省すべき悪業とした。
5.2004年末以降:上祐派の会合・ブログで、麻原らの事件関与を直視・反省した。これらの事実は、第6の1に示した上祐、「ひかりの輪」の指導員ら専従会員の陳述書、当時のM派の会合資料・ブログの記載などで明らかである。
(5)これらの上祐の活動は、表向きではなく、真実の麻原の相対化だったこと
これらの上祐の言動は、決して外部社会向けの表向きのものではなく、教団内部のものであって、真剣なものであった。よって、麻原を絶対とする麻原家族ら=A派は、グル隠しではなく、グル外し・グル否定であるとして、必死に批判・攻撃・排除することに至った(証拠)。
こうして、本件観察処分の政治上の主義にあたる麻原の予言や復活の否定は、麻原の絶対性の重要な否定であって、麻原の相対化にほかならず、国のグル隠しという評価は根本的な誤りである。
それゆえのA派の激しい反発は、第7の2で詳しく立証したとおりである。麻原家族を教団内で代弁する荒木や××によるお話会や信者教化資料の見解では、上祐らの言動は、グル隠しではなく、グル外し・グル否定であると明言されている。こうして、麻原隠しではなく、真の麻原の相対化であることが事の真相である。
この点にかんして、改めて具体的に要点を説明するならば、上祐は、麻原が事件への関与を否定し、獄中でも予言・復活の説法を継続し、麻原の家族を麻原に準じる教団の最高位に置いたにもかかわらず、それに反して、
1.麻原の事件への関与を認め、
2.その事件を悪業として反省すべきと主張し、
3.麻原が許可していない麻原の事件関与を認めた上での被害者賠償契約を締結し、
4.麻原の家族が称賛した、麻原を奪還を図った信者を「悪魔の手先」であるはずの警察と協力して摘発し、
5.麻原の予言・復活を否定して、刑死を前提とした活動を主張し、
6.違法行為であれば麻原の家族のそれさえも批判している。
こうして、上祐らの言動は、麻原が予言に従って復活し、王となるという政治上の主義を完全に否定するものであり、それは「麻原の相対化」にほかならない。よって、麻原を絶対とするA派が、グル外し・グル否定と解釈したのは当然である。そして、国が、上祐の行為が単に麻原への絶対的帰依を内心に隠している(グル隠し)と評価することは明らかに間違いであって、これは、上祐が三女へのメールで、グルを隠すことはしないと述べていることからも分かる。これは、教団の極めて内部におけるやり取りだから信用性が高い(証拠)。
そして、この経緯の本質をまとめるならば、教団復帰初期の上祐は、麻原への帰依を説法などで表明はしていても、同時に、政治上の主義を否定している。この点においては、麻原の絶対性を否定しているから、麻原を相対化しているということである。
(6)政治上の主義の否定の重要性
前に述べた通り、麻原の政治上の主義への帰依がなく、その意味で麻原が相対化されていれば、その政治上の主義が根源である無差別大量殺人行為の危険性は消滅しており、観察処分は不要と判断されるべきである。
この点が、政治上の主義の存否は不明、教義の本質も多義的・解釈多様であり、麻原隠しか否かは、「ひかりの輪」と(政治上の主義を維持している可能性がある)Aleph・被処分団体との同一性の根拠とならないとした一審の判決の趣旨でもある。
また、国のいうオウム真理教の教義とは、政治上の主義と結びついたものであり、上祐による政治上の主義を否定した相対化された麻原とその教えは、本件被処分団体についていわれるオウム真理教の教義とはいうことはできない。いわば偽オウム真理教の教義であって、上祐らが改訂した教義であり、「ひかりの輪」は、「麻原が教祖・創始者」とも言えず、「オウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、麻原とその教義に従う者」ということもできない。
(7)上祐らの行動は、現実的・合理的・合法的な団体形成のためには、唯一の現実的な手法・行動だったこと
上祐らは、初期段階において、政治上の主義・予言復活を否定しつつも、麻原やその言葉を肯定して、麻原を全面否定せずに、相対化しながら、段階を追って麻原から脱却してきた。
この理由は、
①麻原の予言・政治上の主義は否定し、その意味では麻原を相対化していても、過去の帰依の習慣から、即座に麻原を完全・全面的に脱却することは困難であったことと、
②麻原を絶対とするA派の多数派信者の強い批判・圧力に抗して、教団を合理的・合法的な路線に導くために、唯一の現実的な手段・道程であった。
その中では、信者に(最も)効果の高い麻原の言葉で、政治上の主義・違法行為を否定したこともある。しかしながら、
①上祐らの行動は、前記の通り、度々麻原や麻原の家族への帰依よりも、 政治上の主義と違法行為の否定を優先させるという内実を有していたこと、
②そもそも麻原の性格からして、妄想的・非合法的な教え・指示が現実的・合法的な指示よりも多かったなどもあって、麻原の一部の現実的・合法的な教え・指示を用いる手法も、全体としては無理な面もあった。
結果として、前記第6の1や第7の2に示した通り、麻原の家族・A派の強い反発と上祐の排除=幽閉を招いた。また、前記第6の1に示した通り、「悪魔の手先」である警察と協力したこともあって、公安のスパイという噂がA派の中でささやかれるに至り(証拠)、上祐に毒を盛る話も出たほどである(証拠)。
しかし、前記第6の1で述べたとおり、上祐は、幽閉された後も、麻原の子女に逆らって、違法行為の否定と防止は続け(ケロヨン事件)、やはり自分が合法的な団体運営を進めるべきだということを動機の一つとして幽閉から自力で脱出し、その後は、麻原の家族の違法行為の疑惑をも批判し、本来麻原に準じて従うべき麻原の子女に逆らい続けた。(8)新団体の設立自体が、政治上の主義と違法行為の否定が目的だったこと
そして、前記第6の1で述べたように、M派立ち上げの後も、麻原の家族には、合理的・合法的な団体運営を行う様子がなく、さらに、2006年春には、麻原の控訴が東京高裁で棄却され、さらには、家族が自ら違法行為の疑惑を作り続けた(訴訟詐欺疑惑)。
よって、上祐らは、このままでは、将来的に家族らA派の盲信・狂信と違法行為・集団自殺などに巻き込まれていく恐れが高まったと感じ、もはやA派と同じアレフ教団では、合理的・合法的な活動はできないとして、教団内での改革を諦めて、脱会・独立した新団体の構想の検討を開始したのであるが、この事情は、前記第6の1で示した通り、国自身が証拠提出した、上祐の小諸道場での説法の証拠(証拠)でも明らかである。
よって、この新団体構想の主眼は、観察処分逃れの麻原隠しの団体を作ることではなく、A派の麻原の盲信と違法行為から逃れて、合理的・合法的な活動をする団体を形成することであり、観察処分の脱却は、その自然な結果以上のものではない。(9)「ひかりの輪」の発足後も、政治上の主義と違法行為の否定に努めたこと
そして、「ひかりの輪」の発足以降も、一審のひかりの輪準備書面(1)第3・第4や、前記第6の2・3などで述べた通り、「ひかりの輪」は、以下の通り、政治上の主義と違法行為の否定に努めてきた。
① 発足以来、今日まで、基本理念や団体規約で、麻原とその危険な教えと事件を否定し、違法行為を禁じ、これを浸透させる努力を継続してきたこと。なお、発足初期には、麻原の事件を肯定するなどした会員(現在既に死亡)1名が自主退会したことがある。
② 発足以来、今日まで、多くの説法・メッセージ・教本・書籍・トークイベントで、繰り返し、麻原とその事件、その原因となった予言思想(政治上の主義)や危険な教えを否定してきたこと(証拠)。
③ 発足以来、今日まで、麻原の教えでは「悪魔の手先」とされた警察関係者、報道関係者、オウムに反対した親・他の宗教を含めた外部者と交流をしてきたこと。
具体的には、一審のひかりの輪準備書面(1)の第3(脱麻原の改革)や第4(反麻原アレフの活動)や、前記第6の1~3などで示した通り、
1.警察・公安調査庁への情報提供をし、
2.かつて敵対した報道関係者とも協力して、オウムの反省・総括する情報発信(有田氏・江川氏)や、アレフの諸問題を告発し、
3.内観を導入して、親に対する感謝をふかめ、親との交流を再開して、さらには、専従会員の親の介護に協力し、団体活動よりも優先させ、
4.麻原・オウムが外道として否定した日本各地の宗教・宗派の聖地を巡礼し、様々な宗教家と交流し、それから学んだこと。
5.外部監査委員の出羽山研修も受け、外部の宗教学者の調査を受け入れ、
6.非会員・一般人に開かれた団体を作り、
7、その他一般の識者・その他と交流してきた。① 2008年に、個人と団体の総括で、オウムの政治上の主義と違法行為を否定・反省・総括して、その後(2017年)も再総括を行なった
② 2009年には、被害者団体と賠償契約を再締結し、以降今日に至るまで、その義務を履行し続け、2011年の末に、団体の活動を監査するための外部監査委員会を発足させ、サリン事件被害者遺族である河野義行氏や犯罪更生を専門とする大学教授に監査委員に就任していただいた。
③ 脱会した後も、アレフの違法性に対して告発・解決の努力を続け、1.アレフの危険性・違法性に関 する情報発信をマスメディアを含めた様々な媒体で行い、2.激化したアレフの詐欺的な新しい信者の教 化活動に対しては、脱会支援活動を継続してきたこと(特に2012年から本格化したこと)、2012年からは、 アレフの著作権侵害の疑惑に対して、被害者団体に協力を行った。
(10)その結果として、発足以来、合法的な団体運営を実現したこと
「ひかりの輪」は、発足以来10年の間、専従会員は逮捕・起訴されたことがなく、団体の活動に関しては、一般会員(非専従会員)も逮捕・起訴されたことがなく、その他の民事訴訟の被告にもなっておらず、いわゆる公安捜査のための強制捜査はあったが、不起訴であった。
さらに、「ひかりの輪」は、公安調査庁の違法行為さえも正す努力をしてきている。一審のひかりの輪準備書面(1)の第2で示した通り、公安調査官(風間寛之)が、立入検査の情報を漏らすという国家公務員法(守秘義務)違反を犯し、なおかつその証拠隠滅に「ひかりの輪」の会員を巻き込もうとした際も、同会員が団体の活動を見て改心し(改心した当時は既に脱会)、「ひかりの輪」に告白した。
それを受けた「ひかりの輪」が同調査官を東京地方検察庁に告発して、公安調査庁の違法な調査を正して、法令順守を促すなど、逆の立場にさえなった努力をしている(証拠)。
また、これに関連して、公安調査庁から違法なまでの謝礼金を受け取ることについて、外部監査委員会とも相談して、それを取りやめた努力もしている。一方のAlephは、「ひかりの輪」の発足以来、被害者団体との賠償契約の不履行と著作権に関する民事上の問題が発生し、被害者団体が調停を提起したが、長年の争いの結果、合意を拒否して、昨年末に決裂するに至っている(証拠)。
また、Alephの出家者は、昨年2017年の検査忌避事件(罰金処分)など、団体活動に関連して有罪が確定した刑事事件があり、在家信者も、団体の活動=布教に関連して、有罪が確定した事件(証拠)がある。
(11)政治上の主義と違法行為の一貫した否定は、国の証拠にも明らかである
第一に、国が引用した(上祐の新団体に関する)多くの説法は、よく見れば、麻原の刑死をその前提にした話である(ヴィヴェーカーナンダに関する各説法、2003年1月26日の横浜道場説法〈証拠〉、2006年4月15日小諸道場説法〈証拠〉など)。
なお、ヴィヴェーカーナンダが、自分の師を出さずに欧米で布教した話は、上祐が麻原隠しを構想した証拠には全くならないが、政治上の主義を否定する点では、「ひかりの輪」側の主張の証拠となる。ヴィヴェーカーナンダは、師を前面に出さなかっただけで、師を意図して隠してはいない(証拠)。またヴィヴェーカーナンダが接する人は、その師のことは知らなかったが、上祐の場合は、麻原との関係は、自分自身でも、そして社会全体が明らかにしているから、それを知らずに「ひかりの輪」に参加する人はおらず、上祐が後から麻原の名前を出して再評価を求める意味・現実性は全くなく、逆に、上祐の反省を信じてきた「ひかりの輪」の参加者に、失望を招くだけである。
また、そもそも、仮に多少の再評価がなされたとしても、獄中の麻原が、日本の王になることなどはありえず、さらに麻原が刑死すれば、いうまでもなくそうである。そして、現在は麻原の刑死が間近となり、「ひかりの輪」の参加者は全て、上祐らの反省を信じている者たちであるから、この説法がなされた15年ほど前の状況に比較してもいっそう、麻原を日本の王とする政治上の主義とは無関係であることは明白である。
よって、この話は、信者が麻原の刑死の見通しに失望せずに、ポスト麻原の時代を前向きに受け入れて、上祐らの現実的・合理的・合法的な路線に導く一種の方便であると解釈すべきで、だからこそ、A派は、麻原の死を前提としたヴィヴェーカーナンダの話で、上祐は麻原を外したいだけだと考えたのである(麻原外し)。よって、麻原隠しの根拠とするのは、公安調査庁のみの誤解である。
第二に、国が提出した荒木浩陳述書(証拠)には、上祐が三女に対して違法行為の防止の徹底を主張し、三女の違法行為を批判したメールを出していることがわかるものがある。また、A派の××××のメールには、上祐らが麻原の信者の違法行為の摘発のために公安との協力を行ったことを批判している事実が分かるもの(証拠)がある。
(12)国が主張する麻原隠しは、政治上の主義とは全く結びつかず、「ひかりの輪」の政治上の主義の否定は明白であって、観察処分は棄却されるべきであること。
仮に国が主張するとおり、「ひかりの輪」が麻原隠しの団体であったとしても、前記の通り、国の証拠からさえも、「ひかりの輪」の政治上の主義と違法行為の否定は、明らかとなる。
というのは、前記の通り、麻原隠しの団体は、麻原を日本の王にする政治上の主義とは、明らかに何の関係もなく、その政治上の主義の実現の準備・助け・手段には全くならず、そのための活動とは認められないからである。
そして、本件観察処分の被処分団体における「オウム真理教の教義」や、「オウム真理教の教義を広めて、これを実現すること」という本件の「特定の共同目的」は、本法の無差別大量殺人行為の定義の関係上、本件の政治上の主義に結びついたものでなければならないから、上祐らのアレフ時代の初期段階に行ったこと、すなわち政治上の主義を否定して、麻原を相対化した後に残ったオウム真理教の教義の実践とは、いわば「偽(ニセ)オウム真理教の教義」であって、本件被処分団体のオウム真理教の教義ではない。
さらに、発足後の「ひかりの輪」は、前記の通り、政治上の主義・麻原の予言に関して、明確な論理をもって総括して否定し、政治上の主義=予言の社会観に逆行した行動を多数取っており、さらには、麻原の死刑執行に賛意を示し、一般人が知らない、その必要性を情報発信している(証拠)。
そして、一審の判決の認定の基本となるものも、この「ひかりの輪」の主張と同じ趣旨のものと解釈することができる。
すなわち、一審の判決は、
1.今の時点では、政治上の主義がオウムの教義と密接不可分ではなく、
2.A派とM派の対立のように、絶対的帰依というオウム真理教の教義の本質的な部分さえ多義的であり、個々人の解釈・行動は異なり、
3.「ひかりの輪」の発足は、麻原の意思とは認められず、また長期収監中の麻原がその代表者・主宰者とも認められる状況にはなく、
4.国の主張する、麻原隠し、オウムと類似した教義や麻原に帰依する構成員などは、「ひかりの輪」が、(政治上の主義を維持しているかもしれない)Aleph・被処分団体と同一の団体であるとの根拠にならないと判断している。なお、「ひかりの輪」が麻原隠しか否かについては、その判断基準が不明確であり、内心の自由を侵害し、公安調査庁の組織的性格と相まって、正しい判断ができないことなどを理由として、観察処分の適用更新の理由となるべきではないことは、前記第4の2においても述べたとおりである。
【7】当団体が麻原の死刑執行に賛同し、執行後は危険性がないことを政府も認めている事実 (2019年2月28日)
当団体は、当団体発足前のアレフ代表派(M派)時代から現在に至るまで一貫して、麻原への死刑執行に賛同してきました。そして、死刑執行後、ますます当団体に対する観察処分の必要性が低下していることを政府も事実上認めていることが報道されています。
これらのことを、当団体は、観察処分取消しを求めて裁判所に提出した書面で主張してきましたので、複数の書面から該当部分を抜粋して以下に引用します(一部、個人名を伏せたり、わかりやすく訂正したりしている箇所があります)。
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【7】当団体が麻原の死刑執行に賛同し、執行後は危険性がないことを政府も認めている事実
●2006年9月15日 麻原の死刑判決が確定し、上祐らM派が死刑判決は当然などと報道各社にコメントした。
麻原の死刑判決確定に対して、上祐らM派(アレフ代表派・上祐派)は、以下の通りコメントした(いずれも2006年9月15日の報道からの抜粋)。その際に、麻原の死刑を当然のものとしたM派の者たちの言動は、日本の王となるという麻原の予言の明確な否定・破棄であって、言い換えれば、公安調査庁等が主張する本件の政治上の主義の明確な否定でもあった。
◎日経速報ニュース:上祐代表、死刑「当然」
オウム真理教(アーレフ)の上祐史浩代表(43)は15日、東京都内で記者会見し、「(死刑確定の)結果は当然。元代表が裁かれただけでなく信者が元代表を神格化したことにも問題があり、信者も同罪と反省して新しい道を歩むべきだ。依存からの脱却を加速させたい」と、松本智津夫死刑囚との決別を強調した。(後略)
◎朝日新聞速報ニュース:教団、ぬぐえぬ影響 松本被告死刑確定
(前略)「死んでゆくものは仕方がない」。上祐代表はセミナーで、こんな発言もした。これは、松本被告を指すのか、教団の将来を言うのか。(後略)
◎NNN:オウム松本被告の死刑確定 教団がコメント
オウム真理教・松本智津夫被告の死刑判決が確定したことについて、教団は15日午後、コメントを出した。 現在、教団は内部分裂状態にあり、東京・世田谷区の教団施設でも上祐代表を支持する信者と反上祐グループの信者が別の建物に住んでいる。また、セミナーなどの宗教活動も別々に行われている。 松本被告の死刑を受けて15日午後、上祐派・広末法務部長は「人である教祖を神としたことが事件の原因になった点では、元代表に限らず、多くの信者に責任があることを深く反省し、今後は真実の道を切り開いていきたいと思います」とコメントした。(後略)
◎MBS(TBS系):麻原被告死刑確定 大阪の上裕派信者の反応は...
オウム真理教・松本智津夫被告(51)の死刑が確定しました。アーレフと名前を変えた教団で今も信仰を続ける大阪の信者は、「当然のこと」とあっさりとした反応です。(中略)「当然じゃないですか。ある意味死刑では足りないかもしれないですね」(アーレフ大阪道場・◎◎◎◎広報担当) アーレフ大阪道場では7人の信者が集団生活していますが、特に反応はなかったということです。
以上のとおり、麻原が起こしたオウム事件を直視し、その誤りを総括し、麻原への絶対視をやめていた上祐及びM派にとっては、麻原の死刑判決確定は当然のものとして、冷静に受け止められていたのである。
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●麻原の死刑執行への賛意表明
麻原の死刑執行への賛意を改めて示した。「ひかりの輪」は麻原の意思に従う意思など毛頭なく、逆に麻原の早期死刑執行を訴えているが、麻原の死刑執行にメディアも注目する中で、代表の上祐は、「週刊現代」(2018年1月20日号)において、心神喪失状態であるとして死刑を反対する一部の声があることに対して、死刑を執行しない場合は、Aleph信者の麻原への信仰が深まる特殊な事情があることを指摘して、麻原の死刑が必要な理由を改めて明確に語っている。
上祐は同紙で次のように述べている。
私はきっちり(死刑執行を)やったほうがいいと思っています。麻原を死刑執行しないと国民感情と折り合いがつかない。死刑執行が行われないかぎり、麻原が『処刑されない救世主』として、アレフはさらなる信者を増やしてしまうことになる
なお、この社会一般がよく知らない事情とは、麻原が獄中メッセージで、自分は(自由自在であり、死刑をも超越することができる)神のごとき身体(陽神)を作るなどと主張したことや、オウム裁判がほぼ終結し麻原の死刑執行の可能性が高まってきた2011年11月以降、アレフ内部では、麻原の延命祈願を行っていたところ、その翌月に逃走被疑者の平田信が出頭したということがあったが、死刑執行が長引けば、Aleph内部で、麻原への延命祈願を行った自分たちの麻原への帰依が麻原に届いて、麻原の超能力によって平田が出頭したと思い込む恐れなど、これまでも繰り返しメディアで告発してきた内容である。
以下、上祐がこの件についてマスコミに訴えてきた一例である。
アレフはこのままだと、「自分たちの信仰が奇跡を起こした」という盲信の絶頂に至る恐れがある訳です。 彼らがそう考えているとしたら、社会がやるべき事は何か。
それは当然、麻原の死刑をキッチリ勇気を持って執行することでしょう。しかしアレフの密かな盛り上がりを理解できず、法務大臣・法務省が細かい事に拘って死刑をためらうと、それはアレフを利する事になります。平田の出頭が教団の指示かどうかについては操作を見守るしかないです。でも私の想像というか、当時の状況を考えれば、教団が陰で支えていた証拠は出てこないと思います。でもよく落ち着いて考えれば、出頭が死刑の遅延に繋がるとしたら、その前にビシッと執行しなかったからですよね。それに事件について平田との直接の関係は麻原ではなく、井上です。だから今だって麻原の死刑はできる。後は法務大臣が勇気を持ってやればよいと思います。 結局、法務省が毅然とした態度をとれば問題は解消する。平田が、誰かの指示で出頭したのかしてないのか、証拠もなしに議論しても仕方ない。私は法務省・法務大臣を信じる立場なので、しばらくすると、死刑執行になるのではないかと思っています。『日本のタブー The Max』(ミリオン出版)〈2013年5月27日〉。
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●麻原の死刑執行に賛同する上祐の言動
本年7月6日の麻原への死刑執行以前から、麻原への死刑執行は速やかに行われるべきであると上祐がマスメディアで繰り返し主張してきたことは、すでに立証したとおりである。
上祐は、同様の主張を公開トークイベントの場でも行い、会場にいた麻原の次女から「父を早く殺してほしいという願いが言葉の端々からにじみ出ている」と強い反発を受けていたほどである。
そして、死刑執行当日の上祐は、東京高等裁判所内の司法記者クラブで記者会見を開き、自らが麻原から離反し、批判し、裏切り者であったことから、執行に安堵した旨を述べ、執行への賛意をあらためて表明した。
さらに、麻原の遺骨が、麻原への崇拝に悪用されないようにするために、「海への散骨」にも賛同している。
以上のとおり、上祐は、麻原の死刑執行前も執行後も、そして将来のことにわたっても、一貫して、麻原への個人崇拝を否定し、阻止するための活動に努めていることが明らかである。
(中略)
上祐は、麻原への死刑執行を受けて、記者会見及びマスメディアの取材の場において、次の趣旨のことを公に述べている。
1,Alephの拡大抑止に努めていきたい。
2,Alephは麻原を絶対視し、無罪となって帰ってくるとか、不死の救世主として復帰する等の妄想の中にいたが、これで目が覚めるだろう。麻原の死刑執行はAlephの拡大抑止につながる。
3,麻原の死により、麻原に著作権が帰属した麻原の説法等のAlephの教材をAlephは利用しにくくなり、Alephの拡大抑止につながる。
4,Alephは死刑執行を受け止め、事件関与を認め、反省・謝罪して、被害者賠償の実行をすべきである。
以上のとおり、上祐は、死刑執行を機に、Alephをいっそう強く批判するとともに、執行がAlephの拡大抑止につながることに期待を寄せ、自らもAleph拡大抑止に努めていくと明言している。
このことからも、ひかりの輪が、Alephと激しく対立しており、Alephと「一つの結合体として意思決定をすること」など到底不可能であって(それは麻原を信奉する麻原の次女から上祐が激しい反発を受けていることからも類推できる)、Alephと一つの団体とはいえないことが明らかである。
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●新聞・雑誌インタビューにおける麻原死刑執行への評価
本年7月6日の麻原への死刑執行後に、上祐が、執行を評価する旨をマスコミの取材に応えてコメントしていることは、すでに立証済みであるが、以下の通り、上祐以外のひかりの輪の役員も、同様のコメントをマスコミに対して行っている。
(1)『中外日報』2018年7月11日
ひかりの輪副代表役員の廣末晃敏が、「無責任な戦犯」と題する記事において、「死刑が実際に執行されたことで、麻原も普通の人間だったのかと冷め、意気消沈する人(Aleph信者)もいるのではないか」と死刑執行を評価するとともに、麻原については、「自分にとって麻原は反面教師であり、反省・総括の対象」「事件の主導者である麻原が、弟子に責任を押し付けたまま死んでしまったことについては無責任だと思う」等と批判している。
(2)『週刊アサヒ芸能』2018年7月26日号
ひかりの輪役員の宗形真紀子が、「麻原こそがアレフ信者の帰依の対象です。よって、やはり今回死刑が執行されたことで、これがアレフ信者が妄信をやめる大きなきっかけになることは間違いないと思っています」と述べて、死刑執行を評価している。
(3)『中日新聞(長野版)』2018年7月27日
同じく宗形が、死刑執行について「被害に遭われた方々の心情を考えるとあまりに遅すぎたが、テロの危険がなくなり、ホッとしている」と評価するとともに、麻原が起こしたオウム事件について、「松本元死刑囚の誇大妄想的で独善的な発想によって引き起こされた」と批判している。
なお、外部監査委員も、ひかりの輪内部において、麻原への死刑執行が肯定的に評価されていることを確認している。
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●政府もひかりの輪がテロをするとは考えておらず、公安調査庁の縮小を検討していること
これまで述べてきたようなひかりの輪による一連の「脱麻原」「反麻原」の取り組みからも、ひかりの輪が無差別大量殺人行為等のテロ行為に及ぶ可能性が皆無であることは明らかであるが、それは政府当局者も認めるところとなっており、現に公安調査庁の縮小・廃止論が本格化していると報道されている。
すなわち、「政府関係者やマスコミからも、『今時、オウム真理教や共産党がテロ行為を行うと考えるのはナンセンス。ここを監視するのに予算を使っているのであれば、民主党が廃止候補に挙げたのもうなづける』との声が出るほどだ」と報じられ、また、「麻原彰晃(松本智津夫)らオウム事件首謀者らの死刑執行がなされたことで公安庁は節目を迎えた」として、「法務省の外局・公安調査庁を内局の『公安調査局』へと格下げすることを首相官邸が検討している」ことを政府関係者が明らかにしたと報じられている。
このことからも、少なくともひかりの輪に対する観察処分が不要であることは明らかであり、原判決は、そのことを的確に示すものであったともいえる。
【8】公安調査庁の違法不当な調査・証拠等 (2019年2月28日)
公安調査庁は、ひかりの輪がオウム真理教であるという虚偽の主張を展開してきましたが、その主張を裏付ける同庁作成の証拠は、その内容が捏造・歪曲されたものであるばかりか、作成のプロセスも違法・不当で、極めて不適切なものであることが明らかになっています。
ひかりの輪が、公安調査庁の観察処分の取消しを求めて裁判所に提出した書面の中で、そのことを明らかにしている箇所を以下に引用します(一部、個人名を伏せたり、わかりやすく訂正したりしている箇所があります)。
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【8】公安調査庁の違法不当な調査・証拠等
ひかりの輪への観察処分の基礎となった公安調査庁の証拠作成のための調査活動等には、以下のように違法または不当な点が多々認められる。1.公安調査庁の証拠は、調査対象に対する利益誘導(多額の金品提供)によって作成された信用性のないものであること。
(1)元公安調査官による証言
公安調査庁が作成する証拠は、調査対象に対する利益誘導(多額の金品提供)によって作成された信用性のないものであるが、35年間にわたって公安調査官を務め、現在ひかりの輪外部監査委員を務めるN氏も、その実体験に基づいて、同様に述べている。
すなわち、ひかりの輪は「麻原隠し」をしているという事実に反する決めつけが公安調査庁幹部によってなされると、金銭誘導によって事実に反する証拠が収集される構造があるというのである。それは以下の通りである。
ひかりの輪が観察処分に付されてきた理由に関連して言えば、ひかりの輪は、オウム真理教後継団体であることが明白なアレフと「同一の団体」であると公安調査庁が主張してきたのですが、これも、「ひかりの輪とアレフは裏でつながって役割分担をするという陰謀を巡らしているに違いない」という架空の「陰謀論」を、一部の公安調査庁幹部が信じていたからではないかとも考えられます。
それほどに、陰謀論をたいへん好む幹部がいるのです。
このような架空の陰謀論に基づく結論が先にあって、その結論に沿った情報だけを持ってこいと一部の幹部が現場の職員に命じると、とんでもないガセ情報が大量に集まってきます。
というのも、公安調査庁が取る情報というのは、基本的に「金で買う」情報です。すると、金が欲しい劣悪な協力者(情報提供者)は、公安調査庁が欲しがっている話を勝手に作ってしまうのです。
私は、公安調査庁で国際テロ分野を約20年担当していましたが、その種のガセ情報に引き回された経験は本当に多くあります。
さらには、そのような金目当てのガセ情報を公安調査官が見抜けないばかりか、公安調査官自身が話を作ってしまうことすらあるのです。実際、現場幹部の出世のために、その部下が運営する協力者の情報を実態以上に高く評価することもあったほどですから、そのようなことが起きるのは不思議ではないのです。
以上のように、公安調査庁の調査活動、観察にかかる活動全般、特にそこから作られる証拠が、かなり杜撰であることは否めません。よって、ひかりの輪への観察処分適用の根拠とされる公安調査庁の証拠については、相当に慎重な検討が必要であると、私自身の経験から考えます。〈N氏の意見書より〉
(2)公安調査官に有罪判決が出た事例
関東公安調査局の風間寛之調査官は、2010年~2013年、ひかりの輪非専従会員(当時)Fに対して、渋谷、新橋、銀座などの居酒屋で1回1万円ほどの高額の飲食を提供した。
他にも、カラオケ、サザンオールスターズのコンサート、映画等の遊興に連れ出した。
2012年には、箱根へ1泊2日の旅行に連れ出した。ホテル宿泊費は1人につき2~3万円で、飲食費含めて風間調査官が支出した。
その際は、風間調査官が「温泉に行きたいな」と言って、Fが同意する形で行った。
Fは、風間調査官から示された偽名をホテルの書類に書いて宿泊した。風間調査官も上司の偽名を書いた。
他には、江ノ島にも遊びに連れ出した。
また、銀座のガールズバーにも4~5回連れ出した。酒を大量に提供し、ボトルもキープしていたので、1回について4~5万円を費やした模様。風間調査官が、飲みに行こうと言い、誘い出したのがガールズバーであった。風間調査官はテンションが高く、女性と楽しそうに話をしていた。
他に、銀座のキャバクラや、新橋のスナックにも連れ出した。キャバクラもスナックも、風間調査官が行きたいと言うのでFは行った。
他に、I市にある天然温泉Tにも、数回連れ出した。
金銭の提供は、合計4回ほどである。例えば、2011年に、Fがひかりの輪の聖地巡りのスケジュールを教えたところ、2万円の提供があった。
また、5000円分のクオカードか、図書カードもたまに提供された。
Fは、風間調査官から、「お金に困っているなら何とかするから」と言われており、Fが「結婚式に出席するが、ご祝儀のお金がない」と言ったところ、風間調査官が5万円を提供した。
Fは2013年末にひかりの輪を退会後、ひかりの輪の教材等一式を引き渡し、風間調査官から15万円を受け取った。
なお風間調査官は、Fに対して、ひかりの輪への公安調査庁の立入検査日を漏洩する等の違法行為(国家公務員法違反)をした上、漏洩したメールを消去するようFに指示しており、証拠隠滅罪に巻き込もうとした。
この件でひかりの輪が風間調査官を刑事告発したところ、同調査官は略式起訴され、罰金刑を受けるに至った。
2.公安調査庁の主張・証拠・調査方法に違法不当なものが多いこと
観察処分の更新請求(以下、2017年に行われた更新請求を本件請求と記す)における公安調査庁の主張・証拠・調査方法には、違法不当なものが多く見られる。
(1)ほとんどの供述証拠において供述者の氏名が秘匿されていること
公安調査庁が本件請求を含む従来の観察処分更新請求手続において提出してきた証拠の中には、公安調査官がひかりの輪会員等の供述内容を録取し、かつ供述者本人がその内容の真正を確認せず、供述者本人の署名押印もない調査書(以下「伝聞調査書」と記す)が多数存在する。
そして、公安調査庁が「構成員の言辞」という証拠は、上祐や一部のものを除いては、「(指導部を構成する)出家した構成員」または「在家の構成員」とされているのみで、氏名はおろか、入会者かどうかも明記されていない。
供述者の氏名を明かせば、ひかりの輪が供述者に危害を加えるおそれがあると公安調査庁は主張するが、供述者の氏名が判明した場合においても、ひかりの輪が危害を加えた事例などは1件もない。
一方、公安調査庁側には、以下の通り、氏名を秘匿する動機が多々見られる。
○供述者に違法なほどの多額の金品提供を行っていることを隠したい。
○供述者に職業を偽るなど欺罔して接近したことを隠したい。
○供述者が証言の信頼性が低い高齢者や精神疾患者であることを隠したい。
○供述者が、ひかりの輪が麻原・アレフ信仰の脱却を支援中である非会員であるが、
それを隠してひかりの輪会員の証言としたい。
こうした重要な事実を隠せば、公正な審査は全くできず、非常に不公正である。
そして、そもそも、供述者の氏名が秘匿された伝聞調査書が事実認定の証拠として使用されるべきでないことは、裁判所、公安審査委員会、そして公安調査庁自身も以下の通り認めていることである。
①裁判所の判決
アレフが2000年に提起した観察処分取消訴訟においては、東京地方裁判所は、次のように判示している。
「なお、被告(公安審査委員会)は、平成九年四月以降も教団幹部らが松本への絶対的帰依や一連のサリン事件を含む殺人行為の肯定等を内容とする説法をしていると主張し、それらの一覧表として乙第一二六号証を提出するなどしているが、被告提出の証拠はいずれも伝聞に基づくものであって直接説法を聞いたものの氏名すら明らかになっていないことや説法全体の趣旨を明らかにしたものでないことに照らすと、これらによって説法の内容を認定することはできない。」
②公安審査委員会の認定
また、破壊活動防止法解散指定処分請求手続における公安審査委員会決定(1997年1月31日:疎甲28)も、伝聞調査書については、記載内容の具体性、明確性、迫真性等の諸点、他の証拠による裏付けの有無、程度を併せ考えた上で、格別に慎重な評価を行うべき旨述べた上で、その多くを証拠として採用していない。
③公安調査庁の見解
さらに、このことは、公安調査庁自身においても十分認識していることが、以下の通り、元公安調査官の著作からもうかがい知ることができる。
「そもそも公安調査官の作成する調査書、入調(資料入手調書)は、司法警察職員・検事の作成する供述調書よりも信頼度が劣るのだという。なぜなら、公安調査官の調査に対する一般的信頼度の低さに加え、調査書、入調には、被接触者すなわち協力者の署名・捺印がないからである。極端なことを言えば、協力者の了解を得ずに、調査官は勝手に調査書なり資料入手調書を捏造できるわけである。法律に詳しい職員の中には、調査書や入調には何の立証的価値もないのだと言いきる者もいる。協力者からの情報収集という性格上、伝聞証拠の積み重ねになるからだ。
証明力の疑わしい"立証資料"では、オウムへの規制請求はできない、ということになって、本庁からは、信者の署名、捺印入りの"供述調書"をとるように指示が下りた。この指示によって、設立以来四十数年間、営々と作成されてきた調査書、資料入手調書が、実はほとんど役に立たない紙屑であることが明らかにされてしまったわけだ。ベテラン職員の中には『じゃあオレたちが今まで作ってきた調査書、入調にはどんな意味があるんだ』と愚痴をこぼす者もいた。」(元公安調査官・野田敬生氏の著作より)
(2)公安調査官の身分を秘匿し、相手を欺罔した調査活動
これまでの請求で提出された公安調査庁の調査書作成にあたっては、公安調査官がひかりの輪会員等に、その身分を秘匿して一般人を装って(水商売風の女性に化けたり、偽名を騙ったり等して)継続的に接触し、会員等を欺罔した形での調査活動が行われた。
こうした調査を受けた会員等は、激しい人間不信に陥ることになった。
(3)老人等の弱者や非会員を狙った、極めて偏った調査活動
本件請求に際して、公安調査庁は、ひかりの輪会員等が麻原に帰依しているとの「内心を吐露」させるためとして、①老人・病人等の弱者や、②ひかりの輪がオウム信仰からの脱却を支援している非会員にターゲットを絞った調査活動を行っていると思われる。
すなわち、ひかりの輪では、行き場のない老人や心身の病に悩む病人等の弱者を保護してきたが、公安調査庁は今回、このような弱者に対して、前項で述べる、①職業を偽装した、欺瞞的な手法を用いて接近したり、②違法なほどの金品を繰り返し提供した上で、その真意を歪曲した証拠を本件請求において提出し、当該人らに大きな心の傷を与えてきた。
また、ひかりの輪では、麻原信仰から脱却できていない者に対して、入会は認めないが、その脱却を支援する活動は活発に展開してきた。しかし、公安調査庁はあえてそのような者に的を絞って、麻原への心情を語らせ、それをひかりの輪の「在家構成員」の典型的な心情であると見せかける主張も行ってきたのである。
(4)供述・発言の趣旨を歪曲した抜き取り
本件請求において公安調査庁が提出してきた証拠のうち、上祐をはじめとするひかりの輪会員の供述や発言については、その趣旨が甚だしく歪曲される形で抜き取られ証拠に掲載されているケースが大部分である。このような証拠群が事実認定の根拠に用いられるべきでないことは明らかである。
3.従来の観察処分期間更新請求における公安調査庁の主張・証拠に違法不当なものが多いこと
本件請求のみならず、従来(前回まで)の更新請求における公安調査庁の主張・証拠にも、以下のように違法不当なものが多く見られるので、具体例を挙げて指摘する。
(1)公安調査庁の主張が、自らの元の証拠を歪曲したものであること
公安調査庁の主たる主張の内容には、その元となる証拠を歪曲したものが多々見られる。通常であれば考えられないような露骨な歪曲であるが、元となる大量の証拠群は、ひかりの輪にはごく短時間の閲覧しか許されないため、そのような歪曲でも見逃されると公安調査庁は考えたのではないかと思われるほどである。
いくつかの典型例のうち、第4回観察処分期間更新請求手続の際の以下の2例については、すでに名誉毀損の不法行為に基づく国家賠償請求訴訟を2014年11月7日に東京地裁に提起している。
①ひかりの輪会員がサリン事件を正当化したと歪曲した例
公安調査庁のS調査官ならびにH調査官は、同調査官ら作成に係る2011(平成23)年11月25日付「調査書」の97頁において「『ひかりの輪』の構成員についても(中略)両サリン事件について、正しいものであったなどと述べている。」と記載し、その根拠に「平成21年5月、出家した構成員の言辞」として「サリン事件ですら正しいというふうに、長い目で見たら正しいことっていうのはあるのかもしれないですから。」と記載した。
そして同庁長官は、同年11月28日に公安審査委員会に対して行った観察処分期間更新請求において、同調査書を公安審査委員会に提出した。
しかし、同言辞の原資料である、同会員の供述内容を録音・反訳したA調査官作成に係る同年7月15日付「調査書」を見ると、同言辞は、同会員自身がサリン事件を正当化しているものではなく、殺人を肯定する教義を持つオウム真理教(または、その後継団体であるアレフ)の信者がサリン事件を正当化している事実を同会員が指摘して批判している言辞であることが明らかであった。これは、前後の文脈を無視して、当該部分のみを切り取り、原意と全く正反対の意味に甚だしく歪曲したものといわざるをえない。
②ひかりの輪会員が麻原をグルとしていると歪曲した例
公安調査庁のM調査官ならびにK調査官は、同調査官ら作成に係る2011(平成23)年11月25日付「調査書」の111頁において、「ひかりの輪の構成員等が、現在も麻原を「グル」と認識し、麻原に対する帰依心を保持していること」と記載し、その根拠に、「「ひかりの輪」の中心的構成員であるYの言辞」を挙げ、Yは、その後も麻原をグルとして帰依の対象としており、「ひかりの輪」の活動に「グル」が必要なこと、その「グル」は上祐ではなく麻原であると認識している旨述べており、現在も麻原への帰依心を保持していることは明らかである。」と結論づけている。
そして同庁長官は、上記更新請求において、同調査書を同委員会に提出した。
しかし、同言辞の原資料である、Yの供述内容を録音・反訳したK調査官作成に係る平成23年8月2日付「調査書」ならびに同調査官作成に係る平成23年8月11日付「調査書」を見ると、Yの同言辞は、Yの供述全体の中で、Yが過去のオウム真理教時代に有していた認識について述べた部分のみを意図的に抽出していること、そして、現在のYは、麻原のことを、殺人を犯して人を不幸にした存在で、出会うこともあってはならない存在だとして明確に否定していることが明らかである。これも、前後の文脈を無視して、当該部分のみを切り取り、原意と全く正反対の意味に甚だしく歪曲したものといわざるをえない。
(2)公安調査官による極めて杜撰な会員からの聞き取り調査書(伝聞調査書)
公安調査官がひかりの輪会員等の供述内容を録取し、かつ供述者本人がその内容の真正を確認せず、供述者本人の署名押印もない伝聞調査書については、極論すれば、公安調査官が供述者に無断で勝手な作文(すなわち捏造)をすることすら可能なものであり、現に以下の事例が認められる。
①供述したとされる本人に全く覚えのない内容が記されていた例
A H調査官は、同人作成に係る2008(平成20)年6月2日付「調査書」において、ひかりの輪に出入りする非会員Iの供述として、「今後も、上祐代表が尊師を超えることなど絶対にありませんし、私が上祐代表を尊師の上に位置付けることもありえません」「それに、ひかりの輪の出家信徒からも、尊師に対する帰依心を捨てるよう指導されたことはこれまでに一度もありません」等と記載したが、ひかりの輪を通じて上記調査書を見たIは、上記のような供述は全く行っておらず悪質な捏造であると憤慨し、H調査官に強く抗議したところ、同調査官は調査書作成の事実は認めたものの、押し黙ったままであった。
そこで、Iは陳述書を作成し、上記調査書の内容は虚偽であるから証拠から排除するよう公安審査委員会に申し立てている。
B A調査官は、同人作成に係る2011年12月7日付「調査書」において、ひかりの輪非専従会員Oの供述として、同人が公安審査委員会に提出した陳述書の内容は、同人の意思に基づくものではなく、ひかりの輪の意思によるものであるかのごとき記載を行った。そこで、同人は、そのような供述はしていないとして、公安審査委員会に陳述書を提出している。
②伝聞を何度も重ねた例
A K調査官は、同人作成に係る2009(平成21)年5月28日付「調査書」において、またY調査官は、同人作成に係る2010(平成22)年8月3日付「調査書」において、ひかりの輪会員Fが麻原に帰依している旨の供述をしていると、それぞれ記載しているが、同供述は、同人から直接聴取したものではなく、同人から話を聞いたという第三者から聴取したものであり、同調査官らからすれば又聞きしたものであり、伝聞を重ねたものであり信用できるものではない。
現に同人は、そのような供述はしていないとして、公安審査委員会に陳述書を提出している。
B 公安調査庁は2008年の観察処分期間更新請求手続において提出した証拠「総19」(K調査官作成に係る2008(平成20)年11月28日付「総括報告書」の添付証拠)において、ひかりの輪役員Yが麻原に帰依している旨の供述をしていると記載しているが、同供述は、同人から直接聴取したものではなく、同人から話を聞いたという第三者から聴取したものであり、同調査官からすれば又聞きしたものであり、伝聞を重ねたものであり信用できるものではない。
現に同人は、そのような供述はしていないとして、公安審査委員会に陳述書を提出している。また当該第三者も、そのような供述を公安調査官にはしていないと述べている。
③何ら聞き取りをせずに捏造する旨を公安調査官が述べた例
A S公安調査事務所の氏名不詳の公安調査官は、ひかりの輪非専従会員Sに対して、2006年~2009年に面会した際、「会ってさえくれれば、自分が適当に書類を書くからいいよ」と述べ、公安調査官が供述者の供述内容と無関係に調査書を自ら勝手に作文している事実を露呈した。
B ひかりの輪役員Yが、上記のような公安調査官による調査書の捏造事例を、C公安調査局のM某調査官に話したところ、同調査官は「そういう、手柄を上げたい奴がいるんだ」と述べ、そのような公安調査官による捏造事例がありえる旨の認識を示した。
(3)供述者の氏名が秘匿されている例
前回までの更新請求の証拠においても、その大部分が、供述者の氏名が黒塗りされる等して秘匿されていた。たとえば、上記(1)①記載の「サリン事件正当化」供述をしたというひかりの輪会員の氏名も秘匿されていたのであり、その実在すら、訴訟を提起するまで確認できなかった。
4.違法性を帯びるほどに多額の金品を会員に提供し、調査・証拠作成を行っていること
冒頭でも述べたとおり、公安調査庁は、その調査活動、証拠作成に際して、調査対象であるひかりの輪会員等に対して、多額の金品を提供し続けているが、その中には、以下の通り違法性を帯びるケースも少なくない。
(1)名古屋高等裁判所の判例
公安調査官が調査対象に対して金品を提供することの違法性については、名古屋高等裁判所金沢支部昭和35年2月23日判決が示している。同判決によれば、金品提供それ自体が直ちに違法となるものではないが、そこで示されているケースは、当時(昭和30年代)の貨幣価値で数百円程度、多くとも2000円程度の金品を少数回提供したにすぎないものであり、その一方「金品の誘惑を以て、其の意思の自由を失わしめ」るようなケースであれば違法性を帯びる旨を判示していると解釈できる。
(2)公安調査官がひかりの輪会員等に大金を提供し、または提供しようとした事例
そして、現実に、これまで公安調査官がひかりの輪会員等に対して、実際に大金を提供したり、しようとした事例が以下の通り存在する。
①ひかりの輪専従会員Yに対する事例
以下は、いずれも、ひかりの輪専従会員Yに対する事例である。
A 2007年~2008年、K公安調査局のM調査官は、Yに「200万でも出します」と述べた。
B 2008年~2011年3月、同公安調査局のI調査官は、Yに「君がやめたら200万でも400万でも出すよ。そのかわりやってもらいたいことがある」と述べた。
C 2011年4月~初夏頃、同公安調査局のA調査官は、Yに「30万でも50万でも出してもいいと上司が言うもんですから。観察処分更新前ですから頭を下げた次第です」と述べた。
D 2011年~2014年9月、T公安調査局のK調査官は、Yに70万円や40万円入りの封筒を持参し、「Yさんがいろいろお話してくれたらねえ」と言いながら紙幣を見せびらかした。また、ある時、Yに「先輩たちも100万とか200万とか使っていますよ」と述べた。
②オウム信者に対する過去の事例
1996年には、オウム真理教信者に対して公安調査官が190万円の金銭とバイクを提供し、広く報道されたことがある。
これら高額の金銭提供が違法性を帯びることは、上記判例からも明らかである。
(3)これまでに発覚した一般会員等への金品提供の事例
その他、これまでに以下のような金品提供の事例がある。
①ひかりの輪の一般会員に対する事例
A Fに対する事例
関東公安調査局の風間寛之調査官によるケースは、冒頭で詳しく述べたとおりである。
B Sに対する事例
S公安調査事務所の某調査官(50代男性)は、ひかりの輪非専従会員Sに対して、2006年夏~2009年初めの間、月1回程度、飲食店において、1回6000~7000円の飲食および1万円の現金を提供した。
また、上記調査官から引き継いだ某調査官(当時32~3歳)は、2009年初め~同年夏の間、月1回程度、飲食店において、1回800~1000円の飲食代ならびに2万円の現金を提供した。
C Nに対する事例
K公安調査局のY調査官は、ひかりの輪非専従会員Nに対して、ひかりの輪支部における講話会参加者の氏名を記したメールを送信する等の情報提供を求め、その見返りとして、5万円の金銭を提供した。
D Iに対する事例
K地区担当のK某調査官、H調査官、S調査官は、ひかりの輪の活動に参加することがある非会員Iに対して、1997年~2006年にかけて、年に4~5回、新品ノートパソコン・(子供への)学習セット、金券(クオカード)10000円、映画DVD、高級菓子等を手渡した。
E Tに対する事例
C公安調査局のS調査官は、ひかりの輪非専従会員Tに対して2回、喫茶店において食事を提供するとともに、今後の食事や遊ぶための金だと言って5000円を手渡した。
F Yに対する事例
ひかりの輪非専従会員のYに対して、公安調査官が20年間にわたって金品の提供を続けていた。当初は、A市内の某調査官が、同人に会って話をすると1回に5000~20000円の現金を手渡してきた。その後の2年間は、同じくA市内から来ているというA某調査官が、同人に焼肉食べ放題などの食事を提供している。
G Sに対する事例
T公安調査局のY調査官は、2007年~2008年頃、2カ月に1回、ひかりの輪非専従会員のSに面会し、毎回5000円程度の飲食を提供するとともに、合計十数万円の金銭を提供した。
H Tに対する事例
ひかりの輪の会員ではないがひかりの輪の行事に参加したことがあるTに対して、10年以上前から、T公安調査局のT某調査官が、同人が断っているにもかかわらず、執拗に食事に誘ったり、弁当やカップラーメンを持参することを繰り返した。その後は、K某調査官が、同じく同人が断っているにもかかわらず、1000円~2000円程度の菓子折りや季節の果物、お茶等を持参する等した。
②ひかりの輪の専従会員に対する事例
A Tに対する事例
氏名不詳の公安調査官は、ひかりの輪専従会員のT(現在は退会)に面会および金銭提供を繰り返し、その総額は少なくとも10万円にのぼった。なお、以前の期間更新請求において、Tは虚偽の供述を公安調査官にしたと思われ、同人が供述したと見られる事実に反する内容が記載された調査書が公安調査庁から提出されている。
B Kに対する事例
N公安調査事務所のH某調査官、K公安調査局のI某公安調査官、K公安調査局のT調査官は、ひかりの輪発足以降現在に至るまで、ひかりの輪専従会員Kに対して、多い時は1カ月に1回、少ないときは数ヶ月に1回程度面会し、1回につき1~3万円の金銭を提供した。また、面会の事実はひかりの輪に秘匿しておくようにと述べた。
C Mに対する事例
ひかりの輪東京本部前で監視をしている某調査官は、ひかりの輪会員Mに対して、2010年頃から少なくとも数年間にわたって、月1回程度、飲食店において、1回4000円程度の食事を提供している。
D Sに対する事例
公安調査庁のK某調査官は、ひかりの輪専従会員のSに対して、2009年か10年頃から同人退会までの間、おおむね月に1回程度、主に東京都内でSに面会し、面会の都度、1~3万円程度の金銭を提供した。それまでの受領総額は、少なくとも約50万円である。
E Tに対する事例
公安調査庁の某調査官ならびにY公安調査事務所のO調査官は、ひかりの輪専従会員のTに対して、2007年から同人退会までの間、おおむね1~2カ月に1回程度、Y市内またはO市内で面会し、面会の都度、1~3万円の金銭を提供した。それまでの受領総額は、少なくとも約100万円である。
③金品提供等の濃厚な疑いがある事例
ひかりの輪非専従会員Sは、氏名不詳の公安調査官から依頼を受けて、2012年9月のひかりの輪O支部教室における行事内容と参加者氏名を同調査官にメール送信するとともに、上祐の講話を録音して提供していた。同人は上記の事実を認めた後にひかりの輪と連絡を絶ったが、他の事例からしても公安調査官による金品提供を受けていた疑いが濃厚である。
なお、公安調査庁はひかりの輪が「麻原と似た儀式」を行っていると主張しているが、これが、ひかりの輪がヒーリングと呼んでいるプログラムを指しているとすれば、同ヒーリングの受講者の中に、上記Sなどの公安調査官と不正な関係がある者が少なくないと思われるので、公正な審理のために、この点も指摘しておくこととする。
以上の一般会員に対する金品提供の事例は、氷山の一角にすぎず、実際には膨大な事例が存在すると思われる。なぜならば、金品の提供を受けている者が第三者にその事実を告白することには心理的抵抗があると考えられるからである。また、すでにひかりの輪を退会した元会員の場合は、ひかりの輪が当該元会員からその告白を受けるのは、さらに困難だからである。
(4)金品提供にまつわる様々な問題
以上のようなひかりの輪会員等に対する金品提供には、以下の問題点がある。
①金品の誘惑が供述を歪め、いわば「嘘の供述を買う」ことになる。公安調査庁側に有利な、偽りの証拠が作られてしまい、証拠の任意性・信用性の問題が生じる。これは元公安調査官のN氏が語る通りである。
②酷い場合、金品に操られ、実質的に公安調査庁の工作員になるものが出る恐れがある。金品によって同庁に操られた者が、構成員の立場を利用して、団体の活動に参加し、事実に反した証言など、同庁に有利な証言をすることも考えられる。
③実際に、金品提供などの公安調査官との不正な関係が発覚した後、突然にひかりの輪との連絡と断った者がおり(Sなど)、そうした者は、ひかりの輪との関係が、公安調査庁の不正な関係のみを前提に成立していたと推察されるから、当団体の構成員ではなく、いわば公安調査庁の工作員である可能性がある。
④現場の公安調査官が点数稼ぎの証拠捏造をする動機を強めてしまう。公安調査庁に有利な証拠を得なければ、調査活動費の無駄遣いと批判されるからである。これも、元公安調査官のN氏が語る通りである。
⑤供述者を不健全な夜遊び等に誘惑し、犯罪にさえ巻き込んでしまう。
⑥血税をひかりの輪側に流入させることは国民の意思に著しく反する。公安調査官は、提供した金品がひかりの輪に流入するのを承知して提供している。流入を防ぐ努力は皆無に等しい。その結果、公安調査庁がひかりの輪の財務を支えていることになり、観察処分の弊害の一つといえる。
(5)金品提供は、公安調査庁がひかりの輪に危険性がないと認識している証拠
そして何より、公安調査庁がひかりの輪に多額の金品提供を続けてきたこと自体、ひかりの輪に危険性がないと認識している明白な証拠である。
もし、公安調査庁が表向き主張するように、ひかりの輪に無差別大量殺人行為を行う危険性が存在するのであれば、その準備行為に使われるかもしれないにもかかわらず、多額の金品を提供するはずがない。
実際に金品提供をしている現場の公安調査庁は、ひかりの輪に危険性を感じていないと述べている。
よって、公安調査庁が、ひかりの輪が危険である旨主張するのは、まことに欺瞞的な行為といわざるをえない。
(6)金品提供は、識者・報道機関からも厳しく批判されている
公安調査官による金品提供は、社会一般の常識からしても許されないものである。
現に、ひかりの輪外部監査委員会においても、そのようなことは許されないとの意見が各委員から出され、それを受けたひかりの輪においても、各会員に対して、今後は金品提供を受けないように指導した。その結果は、外部監査委員会の監査結果にも記されている。
また、報道各社も問題視して報道している。
5.立入検査の情報漏洩=犯罪を広範に犯し、検査を形骸化している
公安調査庁は、以下の通り、立入検査の情報をひかりの輪側や第三者に漏洩し、国家公務員法(守秘義務)違反などの犯罪を犯すとともに、自ら検査を形骸化している実態がある。
(1)ひかりの輪非専従会員に情報漏洩した事例
関東公安調査局の公安調査官風間寛之は、2013年6月17日、ひかりの輪非専従会員F(当時)に対して、公安調査庁が翌日ひかりの輪東京本部教室に対して立入検査を実施する旨をメールで告知し、同メールの削除を指示した上、見られたくないものは削除しておくよう指示した。
これは明らかに、国家公務員法(守秘義務)違反であり、しかもFを証拠隠滅罪、立入検査忌避罪に巻き込みかねない行為である(なお前記の通り、Fをキャバクラ、ガールズバー等に連れ回し、温泉旅行の際には宿帳に偽名を書くよう指示する等もしている)
ひかりの輪は、同調査官を、国家公務員法違反として東京地検に告発し、同調査官は略式起訴され、罰金刑を受けた。
(2)ひかりの輪専従会員に情報漏洩した事例
K公安調査局のM調査官は、2008年頃、ひかりの輪専従会員のYに対して、公安調査庁が翌日ひかりの輪F支部教室に対して立入検査を実施する旨を電話で告知した。
また、その他にも、公安調査官と名乗る人物から立入検査実施日の連絡を受けた専従会員が複数いる。
これは、下記の通り、公安調査官個人の資質の問題ではなく、あくまで公安調査庁という組織全体の問題であり、組織の体質が投影された結果といわざるをえない。
(3)公安調査庁全体が、報道関係者には検査情報を恒常的に公然と漏洩している
そもそも、ひかりの輪施設への立入検査の前には、すでに施設前に報道陣が整列してカメラを施設入口に向けて設置しており、そのようなカメラの放列の中を公安調査官が行列をなして施設に入っていくというセレモニー的な光景が常態化している。
そのため、ひかりの輪側は、立入検査実施日の朝の施設外の様子から、検査を事前に察知できる場合が少なくない。
また、報道関係者を通して、ひかりの輪側に直接情報が漏れる可能性もある。実際に、あるテレビ局が、「立入検査の様子を団体施設内部から取材したいが、検査の日取りは公安調査官を取材すれば数日前にわかるので、それを教えるから、事前に施設内部に入らせておいてほしい」とひかりの輪側に申し入れてきた事例がある(なお、ひかりの輪側は検査妨害になる可能性があると危惧して断った)。
(4)立入検査情報漏洩は、公安調査庁がひかりの輪に危険性がないと認識している証拠
以上のように、報道されることを優先して、厳格な検査をせず、検査を形骸化・セレモニー化したのは、実際にはひかりの輪には危険なものはないと公安調査庁が考えているからにほかならない。
実際に、立入検査の際に、多くの公安調査官が「どうせ何もない」という本音をよく漏らしている。
また、関東公安調査局のK調査官も、「長年に渡り、自分が見た範囲では、危険なものはなかった」と話している。
そうであるにもかかわらず、表向きはひかりの輪を危険と主張するのは欺瞞的であり、多額の公金の無駄遣いでもある。
6.調査に際して違法不当な行為をひかりの輪会員に依頼していること
公安調査官は、調査活動に際して、以下のようにひかりの輪会員に対して違法または不法行為を依頼している事実がある。
(1)自らの犯罪の証拠隠滅を会員に指示
前記の通り、風間寛之調査官は自ら送信した立入検査情報漏洩メールを削除しておくよう、ひかりの輪非専従会員のFに指示しているが、これは証拠隠滅罪を犯すことを指示しているものにほかならない。
(2)行事の参加者個人情報を漏洩するよう、金品を提供して依頼
前記の通り、公安調査官は、ひかりの輪非専従会員のNならびにSに対して、ひかりの輪行事に参加した者の個人情報(氏名や性別など)をメールで報告させている。うちNに対しては金品を提供しており、Sに対しても提供している可能性が高い。
これらは、行事参加者のプライバシー権を侵害する不法行為といわざるをえない。
(3)無許可で講話の録音を依頼
前記の通り、公安調査官は、ひかりの輪非専従会員のSに対して、上祐の講話を無断で録音させ、公安調査官に提供させた。これは、著作権を侵害する違法行為といわざるをえない。
7.違法不当な調査活動の背景にあるリストラ事情
公安調査庁がこのような、目的のためなら手段を選ばない違法不当な調査活動を行う背景には、そもそも同庁が常にリストラ対象官庁の筆頭に挙げられてきたという事実がある。
すなわち公安調査庁は、かつて全国各道府県にあった43地方事務所を14に縮小し、約1700名いた人員を約1500名にまで削減するなど、長期的に見れば、明らかに"リストラ"対象の組織である。東西冷戦の終結、共産主義運動の退潮などで、その存在意義を大きく失っていたところを、オウム事件によって息を吹き返したのであり、ほとんど唯一オウム真理教を存立基盤とする官庁といっても過言ではない。
現に、公安調査庁の公式サイトの「報道・広報」のコーナー(公安調査庁の活動を広報するコーナー)は、大部分がひかりの輪とAlephに対する立入検査の結果報告で占められている。その他も、オウム真理教関連の情報ばかりと言ってもよい状況であり、つまるところ、公安調査庁は、オウム真理教関連の仕事しか対外的にアピールできる仕事がないといえる。オウム真理教の仕事をしなければ巨額の予算が全くといっていいほど確保できない状況にあるのである。
このような、ひかりの輪と、いわば利害関係にある立場の公安調査庁が、公平で合法な調査活動を行うことは困難である。
8.上記の問題を長年公安調査庁に務めた元調査官も指摘していること。
上記の問題に関しては、昨年(2017年・平成29年)3月まで約35年間も公安調査庁に務めたN氏による、同庁の調査手法や証拠の信頼性の問題等を指摘する意見書類を作成している。
また、N氏は、ひかりの輪等に対する観察処分期間更新請求手続に提出された公安調査庁の新しい証拠や、本件訴訟における公安調査庁の証拠を具体的に精査して、やはりその信用性がない旨を述べた陳述書を作成している。
以下に、以上のN氏の意見書に示された公安調査庁の主張・調査・証拠の構造的な問題をまとめて示す。
(1)一部の幹部による「先に結論ありき」の体質であること
以下に、N氏の意見書から引用する。
ひかりの輪は2015年に観察処分の取消しを求める訴訟を東京地裁に提起し、本年9月、同地裁は、ひかりの輪の請求を認めて、同処分を取り消す判決を出しました。この訴訟について、公安調査庁の内部では、昨年くらいから、末端職員から幹部に至るまで、「今度のひかりの輪の裁判に関しては(観察処分が取り消されるだろうから)危ないだろうな」という声が、少なからずありました。特に、現場に近ければ近いほど、そういう感覚が濃厚でした。
ですから、今回の判決について多くの職員たちは、「むべなるかな」「出るべくして出た判決だ」と、そんな冷めた反応であるようです。ただ、一部の幹部には「寝耳に水だ」みたいなショックを受けた人もいるようです。
なぜ一部の幹部と多くの職員たちの感想に違いが生じているのかというと、それは、ひかりの輪への調査に限らず、公安調査庁に一般的に見られる、次のような体質があるからです。
公安調査庁という組織は、上の方が「奴はテロリストである」「あそこは危険な団体である」といった風に方針を決めてしまうと、それ以外の情報を受け付けなくなってしまうのです。
「いや、それはどうもガセ情報らしいですよ」ということをつかんで上に報告しても、「現場が無能だからそういう情報しか取れないんだ」とか「奴は間違いなくテロリストなんだから、それを立証する情報だけを持ってこい」とか、そんな反応が平然と返ってきます。
私は、このような公安調査庁という組織に、かなり前から疑問を持っていました。情報というものは、帰納的といいましょうか、小さなパズルのピースをつなぎ合わせて、全体のアウトラインを描くようなものだと思います。しかし、公安調査庁では違うのです。演繹法といいましょうか、先に結論があって、それを裏付けるような情報を持ってこいと言うのです。これでは情報分析とは違うのではないかと思います。
この一部幹部による「先に結論ありきの体質」と関連して、N氏は、その先入観が、陰謀論のレベルにまで至る傾向があると、次のように指摘する。
さらに、一部の幹部には、「共産主義者陰謀論」「中国陰謀論」のような陰謀論を好む者までいます。
ひかりの輪が観察処分に付されてきた理由に関連して言えば、ひかりの輪は、オウム真理教後継団体であることが明白なアレフと「同一の団体」であると公安調査庁が主張してきたのですが、これも、「ひかりの輪とアレフは裏でつながって役割分担をするという陰謀を巡らしているに違いない」という架空の「陰謀論」を、一部の公安調査庁幹部が信じていたからではないかとも考えられます。
それほどに、陰謀論をたいへん好む幹部がいるのです。
実際に、共産主義者陰謀論に関しては、公安調査庁は、日本共産党を監視対象にしているが、日本共産党は「公党たるわが党を監視する事自体が憲法違反であり、不当極まりない」と批判している。時の長官(第11代)・石山陽も、1989年2月18日の衆議院予算委員会で、不破哲三氏から質されたのに対し、「庁発足から36年経つが調査しても暴力革命を企てているという証拠は見つからなかった」と答弁している。同党がいまさら暴力主義革命を行う可能性があるなどという見方は、常軌を逸しており、陰謀説の水準にほかならないことは、誰もが認めるところであろう。
(2)金目当ての協力者がガセ情報を提供する傾向
ひかりの輪も、前記の通り、公安調査官による情報提供者に対する多額の金銭供与の事実を確認しているが、N氏は、以下の通り、そのために偽の情報が集まる重大な問題を指摘している。
このような架空の陰謀論に基づく結論が先にあって、その結論に沿った情報だけを持ってこいと一部の幹部が現場の職員に命じると、とんでもないガセ情報が大量に集まってきます。
というのも、公安調査庁が取る情報というのは、基本的に「金で買う」情報です。すると、金が欲しい劣悪な協力者(情報提供者)は、公安調査庁が欲しがっている話を勝手に作ってしまうのです。
私は、公安調査庁で国際テロ分野を約20年担当していましたが、その種のガセ情報に引き回された経験は本当に多くあります。
また、N氏は次のようにも述べている。
別に提出の私の意見書や陳述書にも記したとおり、公安調査庁の情報は、基本的に金銭によって収集します。ですから、金銭目当ての劣化した情報提供者が公安調査官にたかってきて、公安調査庁が喜ぶような虚偽の情報を持ってくるようになります。
その責任を情報提供者だけに負わせることはできません。公安調査庁の方にも、大きな問題があるのです。
私の現場経験では、日常的な調査活動で使える金(調査活動費)は減らされる一方で、プロジェクトチーム(PT)を立ち上げると途端に多額の金が回り始めるので、PTを立ち上げて、つまらない情報を大げさな情報に膨らませていく傾向がありました(なお、「ひかりの輪」が指摘している関東公安調査局の風間調査官のような、ガールズバーや温泉旅行に協力者を連れ回せるような潤沢な活動費は、PTを立ち上げていたからこそ得られていたはずです)。
そして、多額の金を投入している以上、幹部を喜ばせる情報を得なければならないため、さらに情報を大げさにしていくということが繰り返されていくのです。
一方の情報提供者も、大げさな話であればあるほど、公安調査庁から多額の金銭が提供されるので、オオカミ少年のように虚偽の話を織り交ぜていく悪癖がついていってしまいます。
こうして、多額の活動費を投入している以上、大きな情報を得なければならない公安調査官側と、多額の金銭を得ることができる情報提供者側の利害が完全に一致し、密室で両者が盛り上がって、ありもしない話がどんどん作り上げられていってしまうのです。
どんなに嘘の話を作ったとしても、調査書には供述者の署名押印は基本的になされませんし、仮になされたとしても、その情報の真偽が裁判所などで慎重に検証されることは全くと言っていいほどありませんから、何の遠慮もなく虚偽の話の作り放題となってしまいます。
それだけに、現場から収集された情報の真偽を見分けるのは大変なことでした。私は、そのような情報の真偽をチェックする部署にいたことがあるのでよくわかるのですが、これはもはや「利権の産物」というほかありません。
私がチェックに関わった情報の中には、とてもそんなことを話せるような知識・能力・立場など持ち合わせていないはずの情報提供者が、なぜか極めて詳細な話(それも公安調査庁にとって高評価となる話)を公安調査官にしているものがあったり、公文書偽造といってもよいと思われるような偽装があったりと、現場を知らない一般国民が知れば驚くような情報のねつ造にあふれていたのです。
私個人としては、このような利益供与(金銭提供)によって集められた歪んだ情報は、内閣情報調査室や警察庁警備局などもメンバーになっている政府の情報コミュニティーに上げることなど、とてもできないと思っていました。
このようなことは、オウム調査(「ひかりの輪」の調査も含む)の現場でも同様に行われている可能性が高いので、一つ一つの証拠について慎重に検証する必要があるのです。
(3)調査官の作成する証拠自体が信用性がないこと
前記の通り、公安調査官の証拠は、供述者本人の署名・押印がなく、どういう人がどういう状況でいつ証言をしたのか全く明らかでない証拠が大部分を占めているが、N氏も、その事実を認めており、法廷での検証に耐えられる水準のものではないことを認めている。
私自身もよく承知はしていますが、供述者本人の署名・押印がなく、どういう人がどういう状況でいつ証言をしたのか全く明らかでない証拠が、公安調査庁の証拠の大部分を占めています。もちろん、公安調査庁側の弁明は、秘密保全、供述者防衛のためということなのですが、そのような証拠は、仮に公安審査委員会をパスできたとしても、とうてい法廷での検証に耐えられるものではありません。現に、耐えられないからこそ、昨年9月の東京地裁の判決に至ったのだと、私の経験上も思っています。
さらに、N氏は、次のように、出世目当ての公安調査官がガセ情報を自ら作る傾向さえあるという。
さらには、そのような金目当てのガセ情報を公安調査官が見抜けないばかりか、公安調査官自身が話を作ってしまうことすらあるのです。実際、現場幹部の出世のために、その部下が運営する協力者の情報を実態以上に高く評価することもあったほどですから、そのようなことが起きるのは不思議ではないのです。
以上のように、公安調査庁の調査活動、観察にかかる活動全般、特にそこから作られる証拠が、かなり杜撰であることは否めません。よって、ひかりの輪への観察処分適用の根拠とされる公安調査庁の証拠については、相当に慎重な検討が必要であると、私自身の経験から考えます。
ひかりの輪への観察処分を取り消した本年9月の東京地裁判決も、公安調査庁の証拠を慎重に検討し、その多くを排除した結果として導き出されたものであると感じます。
(4)公安調査官がその調査活動・監視対象に関係して犯罪さえ犯した事例
前述の通り、公安調査庁の主任調査官が、ひかりの輪に対する公安調査庁の立入検査の日程をひかりの輪の本部教室に居住していた男性会員(既に脱会済み)に漏洩し、罪の意識に耐えかねた同会員(告白当時は既に脱会)がひかりの輪に告白し、ひかりの輪の告発を受けた東京地検特捜部が、国家公務員法(守秘義務)違反で同調査官を略式起訴した。この際、同調査官は、男性会員に証拠隠滅を指示し、会員を犯罪に巻き込もうとさえしており、その背景事情として、男性信者と共に、公金でガールズバーなどで豪遊するという問題も起こしており、これも同元会員の罪の意識の一部となっていた。
また、元公安調査庁長官の緒方重威は、(ちょうどひかりの輪が発足した)2007年の4月に、在日日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に対して購入資金があるかのように装って、朝鮮総連中央本部の土地・建物の所有権を自分の会社に移転登記させ、取引に必要な経費名目で約4億8000万円をだまし取った詐欺罪に関する懲役2年10月(執行猶予5年)の有罪判決が確定している。
(5)宗教思想に詳しい者が乏しいために、正しい調査ができないこと。
この点に関して、元公安調査官のN氏は、以下のように述べている。
私は、若い頃から個人的に多くの宗教に触れてきました。神道やキリスト教、その中でも穏健派や過激派など、多くのものに直に、深く接してきました。それだけに、キリスト教過激派など、カルト的性質を有する宗教団体の危険性や、その要素(二元論的世界観等)についても理解しているつもりです。私は、そのような長年の経験や蓄積した宗教的知識に基づいて、「ひかりの輪」への監査を行っていますので、公安調査庁の私への批判は全く当たっておりません。
むしろ、公安調査庁の方こそ、共産主義などの政治思想に詳しい者はいる反面、宗教に詳しい者はおらず、「ひかりの輪」やその他の宗教・思想関係の調査が正確にできるのか、私には疑問です。現に、公安調査庁は「大黒天」や「三仏」(釈迦・観音・弥勒)について「麻原を示す」「麻原の代替物」などとしていますが、これらはいずれも仏教の信仰においてごく一般的に崇拝対象となっているものであり、過去に麻原がこれらの神仏と自分を関連づける話をしたことを挙げて、麻原崇拝をうかがわせる事実の根拠にするとは、牽強付会かつ荒唐無稽というほかありません。
新興宗教団体の中には、教祖が自分を権威付けするために、様々な神仏を自分と関連づける傾向を有するものが多々ありますが、仮にそうした団体が危険な破壊活動に及んだ場合、その団体から離れた人たちが同様の神仏を崇拝したりした場合でも、それがまた危険な団体になるかといえば、必ずしもそうとはいえないはずです。公安調査庁の三仏等に関する強引な主張は、「ひかりの輪」に観察処分を適用することを目的としたものと考えざるをえません。
(6)金銭誘導した協力者からの情報ばかりで、団体幹部から直接話を聞くことがないこと
この点に関しては、N氏は次のように述べている。
今後、公安調査庁が行っていくべきことは、「ひかりの輪」の役員等に直接会って、密に話を聴いていくことだと思います。公安調査庁の調査の基本は、相手に会って話を聞く「ヒューミント」です。
これまでの公安調査庁の証拠を見てもわかりますが、その最大の欠陥の一つは、団体の幹部等に対して直接聞き取り調査をしていないということです。
もっとも公安調査庁は、情報提供者から話を聞いているから大丈夫というかもしれませんが、証拠を見る限り、情報提供者は本当に実在するのか、実在しても法廷に出せるような存在なのかすらわかりません。
団体幹部から話を聴いても建前を話すだけだと公安調査庁はいうかもしれませんが、そういうスタンスはおかしいことです。そのような話の中にも真実は含まれていますし、そうして情報の全体像を組み立てていくべきではないでしょうか。
少なくとも、金銭目的の劣化した情報提供者からの情報に偏重して頼る方が、はるかに危険で、事の真相を見失ってしまいます。
こうして、相手と膝を交えてじっくりと話をし、疑問があれば解明していくことが、私の35年間の公安調査官人生から得た王道だと思っています。
「ひかりの輪」側もそうした公安調査庁からの要望があれば応じると思いますし、私は元公安調査官の外部監査委員として、他の委員とも協議しつつ、その仲介に尽力したいと思います。
(7)公安調査官に接触すること自体が疑問であるAleph構成員の証言を用いていること
この点に関しては、N氏は次のように述べている。
奇妙なのは、Alephの教義を信じ、麻原に心酔しているAleph信者が、なぜわざわざ公安調査官に面会して、供述調書を作成しているのかということです。いわゆる過激派についてもそうですが、その思想や組織に忠誠がある者は、一般的に公安調査官を敵視するものです。
Aleph構成員については、特に公安調査官などと接することは「カルマ(悪業)が着く」として嫌悪する傾向が顕著です。私自身も、公安調査庁を退職後ではありますが、一般の行事で3名の現役Aleph構成員と会う機会がありましたが、私が元公安調査官だと明かすと露骨に避けられた経験があります。
このことから(中略)Aleph在家構成員(の証言)については、その不自然な供述内容から判断しても、公安調査庁による金銭提供等による誘導が強く疑われるところです。
以上のとおり、公安調査庁の調査活動や、その調査活動によって作成された証拠が、違法・不当なものであることは、元公安調査官の証言からも、より明らかであるといえる。
【9】ひかりの輪とアレフの大きな違い (2019年2月28日)
ひかりの輪とアレフ(Aleph)には大きな違いがあり、それが、ひかりの輪がアレフ=オウムと全く別の団体であることを示しています。
これらのことを、当団体は、観察処分取消しを求めて裁判所に提出した書面で主張してきましたので、複数の書面から該当部分を抜粋して以下に引用します(一部、個人名を伏せたり、わかりやすく訂正したりしている箇所があります)。
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【9】ひかりの輪とアレフの大きな違い
1.「ひかりの輪」の性格・活動が、オウム・Alephと大きく異なるという具体的な事実この点に関しては、これまでも詳しく述べてきたが、以下にその一部の要約を改めて示す。
まず、「脱麻原」の諸改革をし、観察処分の被処分団体には含まれないことに関しては、本書の記載に加えて、一審のひかりの輪準備書面(1)で、次の事項を記した通りである。
<1,「脱麻原」の団体改革1:開かれた団体への改革をしたこと>
(1)専従会員・資産の大幅減少と、居住形態・施設の大きな変化
(2)集団居住と大規模施設の解消
(3)オウム型の出家教団の廃止の確認と、専従会員制度の正式な導入
(4)自己反省法「内観」の実践によって、オウム問題の原点=「親との断絶」が解消し、
親族との関係が劇的に変化したこと
(5)外部監査委員会を設置、外部識者の監査・指導を受けていること
(6)様々な機会に、様々な一般人・社会と交流していること
<2,「脱麻原」の団体改革2:宗教団体ではなく、哲学教室へと改革したこと>
(1)哲学教室への改革に至る前の諸改革
(2)哲学教室への転換の契機:2013年夏の上祐と田原氏との対談
(3)2013年12月:基本理念を改正し、正式に哲学教室へ転換を決定
(4)2014年2~3月:哲学教室への改革に合わせた施設改革を開始
(5)2014年5月:エンパワーメント廃止を確認、ヒーリングを導入
(6)2014年9月:哲学教室への完全な転換のための様々な改革①
(7)2014年10~11月:哲学教室への完全な転換のための様々な改革②
(8)一連の改革は団体内外に広く認識されたこと
(9)一連の改革で、公安調査庁が批判した事項は全て解消されたこと
<3.物理的にも様々な意味で、麻原から離脱した状態であること>
(1)「ひかりの輪」の専従会員は、麻原と面会する意思も、法的な権限もないこと
(2)麻原は長年、家族を含めた何人に対しても面会を拒絶していること
(3)麻原は、間もなく刑死し、いかなる意味でも、主宰者たりえないこと
第二に、「反麻原」の諸活動を行い、全力でオウム教義の流布を防ぎ、被処分団体とは真逆の存在であることに関しては、次の事項を記した。
<1,「反麻原」のHP・出版・出演・講演等の広範な活動>
(1)麻原等を徹底批判したHPの記事、会員向けの教本、講話
(2)麻原・オウム・アレフを徹底批判した著作を多数出版したこと
(3)今後も麻原等を批判する出版が多く予定・検討されていること
(4)麻原等を批判する出版物への協力や長編対談記事
(5)テレビ・ラジオ番組での麻原等の批判
<2.アレフ信者の脱会支援・入会未然防止のための活動>
(1)アレフ脱会支援活動の経緯と内容
(2)脱会支援活動の成果
(3)脱会支援活動は、会員の奪い合いではなく、適正・適法に行われたこと
(4)報道機関と連携したアレフ信者の脱会支援・入会未然防止の活動
<3,反麻原の活動3:アレフの著作権侵害問題の摘発協力>
(1)協力の事実の証明:支援機構の理事・弁護士への確認
(2)協力の開始の経緯
(3)協力内容の概要
(4)被害者支援機構とオウム教義流布防止という「共同目的」があること
第三に、アレフ時代から2011年までに行った諸改革と、最近(2015年~2018年)の脱麻原・反麻原・反Aleph活動の徹底に関しては、本書面で先に記した通りである。
2.発足以来の10年、「ひかりの輪」とAlephには、順法精神に明確な違いがあること
(1)「ひかりの輪」に逮捕・起訴された者はいないこと等
2007年の発足以来、「ひかりの輪」は、公安当局の厳しい監視下にありながらも、以下の通り、団体に関係した刑事・民事の双方の違法行為が認定されたことは一度もない。「ひかりの輪」の専従会員(スタッフ)は、誰も逮捕・起訴されたことは一切なく、一般会員(非専従会員)は、「ひかりの輪」の団体活動で逮捕・起訴されたことは一切なく、民事訴訟でも、「ひかりの輪」は訴えられたことはない。
ただし、いわゆる団体に対する情報収集を目的とした「公安捜査」であるが、警視庁の公安部から、旅行業法違反容疑での強制捜査(2014年8月)を受けて書類送検されたが、2015年8月に東京地検により不起訴処分となった(なお、同じ警視庁公安部が、「ひかりの輪」の会員ではなく、「ひかりの輪」の外部監査委員を道路交通法違反(無免許運転)で2016年1月に書類送検したことがある(略式処分))。
(2)Alephは多数の逮捕・起訴事案、有罪判決等があること
一方で、Alephは、以下の通り、出家信者および在家信者が多く逮捕されており、そのうち起訴・有罪判決を受けた事例もある。
○2011年7月14日-公安調査庁の教団施設に対する立入検査を妨害したとして、公務執行妨害の容疑で、Aleph法務部幹部ら信者2人が警視庁公安部に逮捕された(不起訴処分)。
○2012年5月30日-ヨガ教室の入会を装いAlephへ入会させ、入会金を騙しとった容疑で、滋賀県警察にAleph信者3人が詐欺容疑で逮捕された(不起訴処分)。
○2013年12月4日 - アレフに知人を無理やり入信させようとした強要未遂容疑で、アレフ信者の◎◎容疑者が大阪府警に逮捕(後に有罪が確定)。
○2016年3月26日 - モンテネグロで、Aleph信者の日本人4人と55人のロシア人が現地警察特殊部隊に拘束された(間もなく釈放・帰国処分)。
○2016年4月5日 - ロシア連邦捜査委員会は、ロシア国内でAleph信者団体が市民に対する暴力を伴う活動を行っていたとして強制捜査、10人を拘束(間もなく釈放) 。なお、これ以前に、2015年10月21日に、ロシア治安当局が、モスクワのAlephの団体施設を摘発、市民の権利を侵害する団体を設立した疑いで捜査を始めていた。
○2016年9月2日 - 神奈川県警が、同年3月2日の公安調査庁によるAlephの横浜施設への立入検査に対する拒否の容疑で、Aleph信者2人を逮捕。
○2016年9月20日 - ロシア連邦最高裁判所がオウム真理教とAlephをテロ組織と認定、ロシア国内での活動が全面的に禁止された。(※「ひかりの輪」は対象外である)
○2017年1月12日 - 2016年2月4日に公安調査庁が行ったAlephの愛知施設に対する立入検査の際の団体規制法違反の容疑で、愛知県警がAleph信者5人を逮捕、7都府県11カ所の教団施設を家宅捜索(うち1名が罰金刑) 。
○2017年11月13日 - 仏教の勉強会を装った(Alephのための)勧誘活動に関連して、特定商取引法違反(書面不交付)の容疑で、Alephの札幌や福岡の教団施設など5カ所を北海道警が家宅捜索、2018年1月19日に同容疑で信者1人が書類送検された。
○2018年2月7日(本件は団体との関係性は未証明のため参考情報)公共職業安定所(ハローワーク)から失業給付金を不正に受給した詐欺容疑で、宮城県警がAleph在家信者を逮捕、東京と水戸のAleph教団施設を家宅捜索(県警は不正受給した資金が団体に流れたとみて捜査中)。
(3)Alephは被害者組織と紛争状態にあること
また、2012年3月15日に、オウム真理教犯罪被害者支援機構は、Alephによるオウム事件の賠償契約の不履行と著作権侵害の問題で、東京簡裁に調停を申し立てた。
しかし、2017年12月22日に、Aleph側は合意を最終的に拒否し、調停は決裂した。その担当弁護士である伊藤良徳氏によれば、以下の通り、「ひかりの輪」とAlephの対応の違いが明確になっている。
オウム真理教犯罪被害者支援機構は、アレフ、ひかりの輪と間で今後の賠償計画に関する交渉を続けてきました。
2009年7月6日、ひかりの輪(上佑グループ)との間で合意が成立しました。この合意によって、ひかりの輪は、破産手続で債権届出しなかった被害者(実質的には給付金の支給を受けた被害者でオウム真理教犯罪被害者支援機構に配当の申し出があった被害者ということになります)に対しても新たに債務を引き受けて賠償することになりました。賠償金の支払額は、ひかりの輪が年2回オウム真理教犯罪被害者支援機構に提出する財政状況等の報告書を元に最低額を協議して決めることになり、2009年は最低300万円、目標800万円となっています。
他方、アレフとはすでに8年以上にわたって交渉を行っているのにアレフ側から月々ないし年間の賠償予定額がいまだに示されない状態にあります。オウム真理教犯罪被害者支援機構は、2012年3月にアレフに対して民事調停を申し立て、東京地裁で調停が続けられてきました(調停の状況については第三者に公表しないというアレフの要請に応じて、これまでこのサイトでも記載は控えていました)が、その中でも裁判所(調停委員会)からの度重なる要請にもかかわらず、アレフは月々あるいは年間の支払額の案を一度も示さず、2017年11月に裁判所から支払額を示した調停案が提示されるや、アレフは対案や修正案さえ示さずにこれを拒否し、次の調停期日の2017年12月22日には、調停を不調に終わらせました。裁判所は、調停案に沿った調停に代わる決定を行いましたが、アレフはこれに対しても直ちに異議申立をし、調停での解決の道は葬られました。被害者の被害の完全賠償への道はまだまだ遠く前途多難です。
また、Alephは、麻原の長男や、Alephを除名処分となった者などによって、損害賠償請求の民事訴訟を提起されていることも多く、民事上のトラブルも相次いでいる。
3.「ひかりの輪」は、公安調査庁と比較しても、順法精神が高いこと
「ひかりの輪」の一審の原告準備書面(1)第2で述べた通り、公安調査官が、「ひかりの輪」に対する公安調査庁の立入検査の日程を「ひかりの輪」の本部教室に居住する20代の男性会員(既に脱会済み)に事前漏洩したが(国家公務員法・守秘義務違反)、罪の意識に耐えかねた同元会員が、「ひかりの輪」に告白し(告白時は脱会済)、「ひかりの輪」の告発を受けた東京地検が同調査官を略式起訴した。
この際、同調査官は、男性会員に自分の犯罪の証拠隠滅を指示して、同元会員さえも犯罪に巻き込もうとしており、さらには、その背景事情として、同調査官は、公金を使って同元会員とガールズバーで豪遊を繰り返すなど、判例で認められる程度をはるかに超えた違法な金銭・利益供与をしており、何重もの犯罪・違法行為を重ねていたのである。
この問題が発覚解決したのは、元会員が、それ以上の金銭的な誘惑に負けずに、罪の意識を抱いて反省して「ひかりの輪」に告白した結果であって、さらには、「ひかりの輪」が、立入検査を受忍する側であるにもかかわらず、公安調査庁が情報漏えいなどせずに、しっかりと検査を行うようになるためにも、正式に告発したからでもある。
こうして本来は、本来は犯罪を監視すべきである公安調査庁側が犯罪に及び、監視される側の「ひかりの輪」が同庁の違法行為を正すという逆転現象さえ起こっているのが、発足以来10年間の「ひかりの輪」と公安調査庁の実態であるといわざるを得ない。
実際に、事実として、「ひかりの輪」は、団体規制法に違反したと司法機関に認定されたことは一度もないが、公安調査庁側は少なくとも本件で有罪処分(略式起訴)が確定している。さらには、すでに一審のひかりの輪準備書面(1)で述べた通り、公安調査庁には、立入検査のマスコミ等への情報漏えいや、違法なまでの多額の金銭提供の事例が多数存在している。本書面の第5でも述べた通り、公安調査庁の金銭誘導に頼る違法で危うい情報収集の手法・体質は、元調査官の西氏なども厳しく告発している通りである。
特に、「ひかりの輪」のスタッフや会員が、公安調査庁から判例が認める程度を越えた金銭提供を受けることは、一般社会から見れば、到底容認されることではない。例えば、ひかりの輪の外部監査委員会の元委員長である松本サリン事件被害者遺族の河野義行氏を初めとして、外部監査委員の識者は、一般社会から見れば、「公安調査庁が裏でひかりの輪に資金を流し、ひかりの輪に観察処分に相当する(違法)行為を意図的になさせ、両者がグルになって国民を欺いているとさえ解釈されうる」と厳しく批判し、即座に禁止するように「ひかりの輪」を指導した。
そこで、「ひかりの輪」は、会員らが、金銭的な誘惑に負け、公金が不正に使用されることがないように周知徹底を図ってきており、その結果が2014年のひかりの輪の外部監査委員会による監査結果報告書にも反映されている。ところが、依然として金銭誘導による違法で歪んだ証言・証拠に頼る公安調査庁側からは、何の健全な協力も得られていない状態である。
また、元公安調査庁長官の緒方重威が、(ちょうど「ひかりの輪」が発足した)2007年の4月に、(同庁在職中には自分の監視対象だった)朝鮮総連に関連して詐欺罪によって起訴され、懲役2年10月(執行猶予5年)の有罪判決が確定した事例もある。この事案の背景には、緒方が監視対象の総連と癒着して利便を図ろうとした面があることが、よく指摘されているが、同庁の組織のトップにあったものさえ、その業務において、健全な監視のための順法精神を保っていないのであるから、組織全体については言うまでもない。
4.「ひかりの輪」の順法精神は、一般国民の基準からしても高く、政治上の主義は完全に消滅していること
「ひかりの輪」の専従会員の順法精神に関しては、前記の通り、団体の活動に関連した行為においても、純粋に個人的な行為においても、発足以来、一人も逮捕されたことはなく、民事訴訟も起こされたことがない。加えて、本書の第6の3・4に示した通り、法的義務でありながら、少なからぬ国民が履行を怠っている国民年金保険料の納付などに関しても、「ひかりの輪」の専従会員は、オウム時代の未納分を含めて、法的に払えるものは全て払い、その義務を完全なまでに履行している。
なお、前記第6の4で述べた通り、これはオウム時代の政治上の主義の完全な放棄を示す重要な事実である。オウム時代は、同保険料の支払いは全く行われていなかったが、それは、国家を悪業多き魂・悪魔の手先と敵視して信用せず、さらには武力行使で破壊する対象と位置付ける思想(本件の政治上の主義に関係)などを背景としており(ともかく保険料を支払っても戻ってこないという考え)、これを解消し、将来の経済設計を国家と共有する「ひかりの輪」の姿勢は、オウム時代の政治上の主義による危険性の消失を明らかに示している。
5.2017年東京地裁判決が、「ひかりの輪」とAlephの様々な違いを認定したこと
さらに前記の通り、2017年東京地裁判決は、以下の通り、その各所で「ひかりの輪」とAlephが異なることを認めている。
① Alephは被請求団体の一部であり(判決p89)、麻原の意思を尊重し、麻原の意思を慮って団体運営しているが(判決p96)、「ひかりの輪」は被請求団体の一部ではなく(判決p99)、その設立は麻原の意思に従ったものとまでは認められず(判決p93~94)、麻原が原告の代表者及び主宰者ではないとも言い得る(p97)。
② 「ひかりの輪」は、Aleph時代にも、A派(反上祐派)と対立しており、オウムの教義は多義的で異なる解釈が存在し(判決p94)、本件の政治上の主義が今も教義と密接不可分とは言えず(判決p94~95)、「ひかりの輪」がAlephと同一の団体とは言えない(p95)。
③ 「ひかりの輪」は、基本理念で麻原への帰依を否定し、哲学教室への変革を標榜し、Alephは帰依を深めており、少なくとも表面的には「ひかりの輪」とAlephの性格は相当異なっており(P95)、「ひかりの輪」とAlephは役割分担しておらず、逆に対立関係であり(判決p95)、仮に、「ひかりの輪」に、麻原隠し、オウムとの類似点、麻原に帰依する構成員があっても、Alephと同一の団体ではない(p98)。
【10】公安調査庁による「麻原隠し」の主張の誤り (2019年2月28日)
公安調査庁は、「ひかりの輪」のことを、麻原が逮捕後に出した"獄中メッセージ"に基づいて設立された、麻原信仰を隠した「別団体」(麻原隠し)と主張しています。しかし、以下のとおり、その主張は事実に全く反しており、しかも、自己矛盾をはらむ破綻した論理です。
その前に、公安調査庁自身が認めるように、オウム真理教の教えの中核である「麻原への絶対的な帰依」とは、「弟子が自分の考えなどを一切含めず、麻原の指示の言葉通りに行う」ということが大原則です。そのために、殺せと言われれば殺すということで、一連の事件が起こったのです。
しかし、別団体に関する麻原の獄中の指示は、1996年のものであり、その当時、麻原は破壊活動防止法(破防法)がオウム教団に適用されると思い、その対抗策などとして出された指示です。よって、破防法が適用されなかった1997年以降の状況では、そのメッセージによって別団体を行うことは、同じように団体が潰される可能性がなければ、麻原の指示に従ったものとは解釈できません。なお、細かい話になりますが、2000年の団体規制法の導入時に、「団体規制法が導入され、観察処分が開始され、それに基づいて、すぐにでも再発防止処分(解散とまではいかないが、それに近い状態となる処分)がかかるのではないか」と思われた時期が短期間ながらもありましたが、その後、被害者賠償契約を締結することになって、その危機が去ったため、それ以降は、破防法(またはそれに準ずる解散の危機)を前提とした別団体に関する麻原の獄中メッセージに基づいて別団体を行うことは、麻原への帰依に反すると解釈されるものです。
また、麻原の別団体の指示は、いろいろとありますが、その内容を見れば、現在の「ひかりの輪」とはかけ離れていることがわかります。そのために、麻原を絶対と考えるアレフは、上祐らがアレフを脱会する以前から、上祐らの行動は公安調査庁が主張する「麻原隠し」ではなく「麻原外し」(グル外し)だと批判してきました。
さらに、この獄中メッセージは、2000年の時点で、警視庁の強制捜査で押収されており、公安調査庁はおろか、テレビでも放映されたことがあって、その意味で、これを実行しても、とうてい「麻原隠し」にはなりません(「麻原隠し」であることが明らかだから「麻原隠し」にならない)。言い変えれば、麻原の指示通りに行うのが麻原への帰依であるところ、麻原の指示に基づいた麻原隠しは効力がなく、麻原に帰依した「麻原隠し」などはないということです。
よって、この獄中メッセージを前提にすると、
①アレフのように、麻原への帰依を取って、麻原隠しを捨て、
麻原が許していない被害者賠償を拒否し、事件の関与を認めず
に陰謀論を布教し、麻原同様に、社会と対決する方向に行くか、②「ひかりの輪」のように、麻原への帰依を捨てて、
麻原の指示に基づかぬ、脱麻原に向かうか、という二つの選択肢しかないのです。
公安調査庁の主張・証拠にだけ基づいて考えても、この結論が必ず出ます。しかしながら、公安調査庁が獄中メッセージに基づいて「ひかりの輪」を「麻原隠し」と主張するのは、自己矛盾をはらむ破綻した論理です。何が何でも観察処分更新という気持ちから、自己矛盾・混乱に陥っていると考えられます。
ここでは、以上の点に関して、順に詳しく説明します。
1,「ひかりの輪」が麻原の教えや指示に著しく違反し、麻原への帰依を捨てたという根拠のまとめまず、最初に、「ひかりの輪」が、麻原の教えや(獄中からのものを含めた)指示に著しく違反し、麻原への帰依を捨てたということができる根拠をまとめて示したいと思います。以下が麻原の教え・指示に対する重大な違反点です。
(1)重大な違反点1.麻原の指示していない名前・形・中身の別団体
①「ひかりの輪」という名称⇔麻原の指示では、新しい団体の名前は、「アレフ」か「アー」に限られます。
なお、「アー」という名前の団体は、オウム真理教の「アー」とされ、
オウム真理教とは違う団体は、「アレフ」ということになります。
※なお、現在のアレフも、オウム真理教ではないと主張しています。②宗教ではなく哲学教室(特定の神仏・人物を崇拝しない)
⇔麻原の指示では、シヴァ大神の別名の尊格を掲げ、中身を変えず、
衣替えした、別の宗教団体とするように指示されている。
※なお、これはアレフの覆面ヨーガ教室とよく似ています。(2)重大な違反点2.麻原に対する批判
「ひかりの輪」は、その講話、教本、書籍出版、テレビ出演、講演などで、上祐らが、様々な麻原・オウム・アレフ批判(反省)をしています。
⇔麻原の教えでは、グルの批判は、無間地獄に落ちる大悪業とされており、
麻原の獄中メッセージでも、麻原・グルを批判してよいというものは
一切ありません。
「麻原隠し」に加え、麻原批判を認めるものは一切ありません。(3)重大な違反点3.アレフ信者の脱会支援・入会防止・違法行為の摘発
「ひかりの輪」は、アレフ信者の脱会支援・入会未然防止、さらには、賠償契約の不履行や(現在被害者団体が所有するオウム真理教の著作物の無断使用である)著作権侵害などのアレフの違法行為の摘発に協力しています。⇔麻原の教えでは、これは、教団の分裂、真理の否定と解釈されるもので、
無間地獄に落ちる大悪業とされています。(4)重大な違反点4.出家制度の解消と開かれた団体への改革
「ひかりの輪」は、オウム真理教型の出家教団を廃止し、変わって専従会員制度を導入して、以下の活動を行っていますが、これがまた麻原の教えに反しています。①親族等への感謝を育む教えや「内観」などの自己反省法の訓練
これは、親子問題がオウム事件の根源にあると考えたもので、この結果、
専従会員の親族との交流・介護、親族のための脱会が行われています。⇔麻原の教えでは、出家が最高の道であり、出家を妨げる親との縁は、
悪縁・逆縁であり、絶つべきであり、そうしないことは地獄の道とされます。
親達を助けた坂本弁護士を殺害した原因の教えです。②修験道等の他宗教・宗派の聖地、外部の識者からの学び
⇔麻原の教えでは、他宗教・宗派の聖地は、絶つべき地獄の道です。
よって、アレフは、上祐らの聖地巡りに強烈な批判・反発(と恐怖)を
示しました。
③全財産の布施の否定=個人資産の許容(生活費外の給料・不動産・遺産)⇔麻原の教えでは、極限の布施(全財産の布施)が解脱の道とされました。
2.麻原の獄中メッセージの詳細
ここでは、破防法を前提とした別団体の可能性に関する麻原の獄中メッセージをご紹介します。
「別の宗教組織を作るようにという指示
逮捕される前からの指示として、
①(事件の結果、破綻するだろう)オウム真理教とは別の宗教団体を作る。
②例えば、シヴァ大神を大黒天と呼び変えるような、衣替えした団体にする。」
「教団をアレフとオウム真理教のアーと二つに分けるかどうかについては、
正大師や妻達と十分に話し合ってください。」なお、別団体の話では全くないのですが、一部で、以下の麻原の獄中メッセージが、別団体(元の団体と合わせて二つの団体)を意味しているのではという間違った解釈がなされることがありますので、ご紹介しておきます。
「破防法に対しては、二つのグループに分かれ、
第1のグループは6人が一組になって、
内一人は、ステージではなく瞑想修行のできる人、
残りの内二人は瞑想修行が普通に出来る人、
残りの内3人は瞑想修行があまりできない人、
最後の一人は社会的に生きていけない人(=仕事ができない人)
を1チームとして、外的な仕事に5人が従事し、
ただし、しゃべらないでいい職業を選択し、仕事の時間も短く、
一人が月せいぜい10万円稼げばいいでしょう。
この6人が一つのファミリーとなり、教団の拡大活動は一切しない。
そして、次にあげる作業に没頭すべきです。ヴァヤビヤクンバカ、
グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションの7つの詞章、グルヨーガ。
基本経典は6ヨーガで十分でしょう。
20組くらいを一単位として正悟師が管理する。
このグループを作れるだけ作る。
そして、6名の収入の内一人1万円を正悟師の生活費、
活動費として上納する。
第2のグループは、法的に徹底的に破防法と戦い抜く。
ただし、第1のグループは第2のグループの敗北が予想されるので、
敗北した場合に吸収ができるように準備しておく。」また、下記のようなメッセージもありました。
「破防法適用だけでは教団はつぶれない。政治団体と宗教団体は違う。
教祖が存在する限りつぶれない。守るところを間違えるな。」
「小さな寺を作るよう言っていたのに、どうして作らなかったのか。」
「自分が予想したとおり事態は進んでいる。」他にも、破防法への対策に関して、弁護士に質問している内容の中に別団体の可能性を探ろうとするものはありましたが、麻原が質問ではなく、明確に団体に指示したことは以上のメッセージだと思われます。
3.これらの獄中メッセージは「ひかりの輪」には当てはまらないことしかし、以上のメッセージが、「ひかりの輪」が麻原への絶対的な帰依を隠した「麻原隠し」であるという主張の証明にならないことは、以下の点で明確です。
(1)基本的にすべて破防法を前提としたもの
基本的にすべて破防法を前提としたものであるから、破防法の適用の可能性(またはそれに準ずる状態)がすでに存在しなくなっていた「ひかりの輪」発足の2007年には、これらのメッセージによって別団体を発足させることは、麻原への絶対的な帰依--すなわち麻原の指示の言葉通りに行動するものとはならないこと。(2)ひかりの輪の現実・実態は、メッセージに指示された別団体とは遠くかけ離れていること
①上記の一つ目のメッセージ(別の宗教組織云々)に関しては、
「ひかりの輪」は、以下の点で、その内容とかけ離れています。Ⅰ.メッセージにある別の宗教団体ではなく「哲学教室」
にまで改革したこと。Ⅱ.メッセージにある大黒天を掲げず、さらには、
いかなる崇拝対象・祭壇も破棄したこと。Ⅲ.メッセージにある衣替えではなく、思想・教義の中身を
大きく変えていること。Ⅳ.このメッセージの中で前提とされているオウム真理教(アレフ)
の破綻が生じていないこと(アレフが存続していること)。②上記の二つ目のメッセージ(アレフとアー云々)のメッセージに関しては、
「ひかりの輪」は、以下の点で、その内容とかけ離れています。
Ⅰ.アレフとオウム真理教のアーに分けるとされているように、麻原が許した
団体名の中には、このアレフとアーの二つしかなく、「ひかりの輪」という
団体名は許されていないこと。麻原が許していない(麻原の祝福のない)
団体名の団体を、麻原に絶対的に帰依する信者が行うことは非常に難
しい。
Ⅱ.アレフとオウム真理教のアーとされているように、アレフよりも、
よりオウム真理教的な団体がアーとされているが、現状では明らかに
「ひかりの輪」よりも、アレフの方が、はるかにオウム真理教的であること。
すなわち、麻原のメッセージでは、オウム真理教をアーとし、
オウム真理教とは別の団体をアレフとするという意味であること。
そして、実際に、現在のアレフ教団は、自分たちはオウム真理教とは
同じではないと主張しています。具体的には、麻原の教えは信奉
しているが、麻原を主宰者とはしていないとして、観察処分の審議
で観察処分の対象であるオウム真理教ではないと主張しています。
Ⅲ.メッセージでは、「正大師と妻達でよく話し合うように」とされていますが、
「ひかりの輪」の発足は、現在のアレフを裏から支配している
麻原の妻(達)や麻原の三女の正大師との話し合いの結果として発足した
のではなく、こうした麻原の家族が、上祐らの行動を麻原への帰依に反す
るとして激しく批判した結果、上祐らを追い出した面があり、この点は公安
調査庁も認めている周知の事実です。
(公安調査庁は、家族による「上祐外し」と呼ぶ)Ⅳ.メッセージでは、話し合いによる団体の分割ですが、現在の
「ひかりの輪」はアレフ教団と以下のように闘っており、
分割ではなく、対立関係にあること。ⅰ.麻原・オウム・アレフを繰り返し、様々な形で批判していること。
ⅱ.アレフ信者の脱会を広範に支援し、また報道機関とも連携し、
その勧誘手口を告発するなど、入会未然防止に努力をしていること。
ⅲ.被害者支援団体が進めているアレフの賠償不履行や、アレフによる
オウム真理教の著作物の無断使用(現在この著作権は被害者
団体に帰属しているので、著作権侵害の案件)の違法行為の疑いを
告発し、アレフの解体やオウム真理教の教材の使用禁止に向けて
努力していること。③その他のメッセージ(二つのグループに分けるとか、寺を作る)については、
詳しく解説する必要がないほど「ひかりの輪」の現実と異なっていることは明白
なので、説明を省略します。4,麻原の獄中メッセージは破防法を前提としており「ひかりの輪」には当てはまらないこと
これらのメッセージが、1996年のものであって、その当時、破防法が適用されると思われる状況を前提にしており、2007年の「ひかりの輪」発足以降の状況に当てはまるものではないことは、すでにご紹介したメッセージにからも一部理解できると思いますが、当時の麻原が、破防法が適用されると思っていたことがわかる獄中メッセージをもう一つご紹介します(一部、個人名は伏せ字にしています)。
◆96.6.19
(前略)・昨日の◎◎先生との話で打ちひしがれている
「破防法適用されるだろう」と言われた → 夢で見る
(後略)次に、麻原が、1995年の10月のある段階で、破防法の適用請求は困難かと報じる朝日新聞の報道を見て、破防法が適用されないかもしれないと思った時には、それまで許可してきた(逮捕される前の上祐が主導した)社会融和路線(破防法を回避するために宗教法人を自主解散するという考え)を一転して否定したことがわかる、獄中メッセージを紹介します。
なお、多少複雑な話となりますが、この報道の2カ月後に、上記報道に反して、実際には公安調査庁によって破防法適用請求がなされました。そして、麻原が破防法適用を前提にしたメッセージを出すことになります。しかし、最終的には、その約1年後に、破防法の適用請求は公安審査委員会によって棄却されました。
○自主解散について
初めに10/13付、10/14付朝日新聞の記事を伝えた。
自主解散は上祐が提案してきたから、上祐の判断が正しいと思い
了承した。(外にいるものしかわからないと思ったから)
しかし上祐も中に入っており今は自主解散については良いとは言
えない。(自主解散宣言はやらない。もう一度考え直せ!)○10/16
ジョウユウの方針はいかん。
もっと強い態度で教団の運営管理にあたるべきである。
上九から引き上げるようなことは絶対にいけない。
(上祐が行っていた)ソフト路線などは一切してはいけない。
崩壊に追い込むために益々追い打ちをかけて攻撃してくる。
自主解散はずっと後のオプションとしては考えてもよいが、
すぐ発表すべきではない、とジョウユウに伝えていたはず。
警察や公安への陳情など何の効果もない。
教団からジョウユウの色を消すようにこのようにして、破防法適用の危機が去ったと見た麻原は、社会融和路線をとった上祐を非常に激しく批判したのです。
最後に、1997年の1月31日に破防法適用請求は棄却されましたが、その前後に、麻原が不規則発言を始めて、その後は弁護士らとも面会せず、獄中メッセージが途絶えることになる経緯(予兆)がわかる内容の弁護士の接見記録(獄中メッセージを含む)紹介します。
◆97.1.8
(前略)委任状の印も押してくれなかった。
12月27日・1月6日に◎◎弁護士が会おうとしたが
尊師は接見を拒否された。
◎◎弁護士が委任状を看守に渡して読んでもらった。
尊師「結構です」とおっしゃって拒否。◆97.1.28 ◎◎先生接見
手紙を読むも、全部聞かず、受け取りを拒否される。
尊師との会話は半分しか成立せず。
(中略)
突然「今いるのは◎◎先生じゃない。前の◎◎先生じゃない。
前の◎◎先生に会いたい」
--「◎◎ですよ。わかりますか。◎◎ですよ。」
--「ああ前の◎◎先生が少し戻ってきた。」
・「今11月ですよね。」
--「今日は97年の1月28日ですよ。」
--「それは違う。わたしをだまそうとしている。
公安調査庁はわたしをだまそうとしている。」
・結論を伝え、委任状を読み上げる
「副代理人は認められない。日本にそういう制度はない。
◎◎に伝えてくれ。副代理人は抜いてくれ。削除したら作る。」
・「これからはがんがん接見に応じる。」
・「今日は96年の11月30日ですね。そうでないとダメですよ。
わたしは憲法と法律に従った時(徳?)の
流れにしか興味がないんです。」※話をするときは明瞭(以前と同じ)。
独り言をいろいろとおっしゃっている。
意識がいろいろなところに飛ぶ感じ。◆97.2.3 ◎◎先生・◎◎先生・◎◎先生接見
(前略)
・「最後に伝えてほしいことはありますか?」
--あんまりこうだという話にはならなかった。※話の前提として、精神状態が安定していない。一人で問答をしている。
小さな声でぶつぶつ言っている。
話の途中で自分の世界に入っていき、
コミュニケーションができなくなって引き戻す。
こちらに戻ってくる時間は長続きしない。
ただし1月28日よりはいい。
5.ひかりの輪は、麻原に無許可で、麻原の教義では大悪業になる行為を行っていることすでに述べたように、「ひかりの輪」は、麻原の指示・許可なく、麻原の教義では、大悪業とされる行為を数多く行っていますが、ここでは、麻原の説法によって、それがいかに大悪業とされているかをご紹介します。
(1)麻原(グル)への批判
「ひかりの輪」は、前記の通り、麻原・オウムを団体内外で出版物まで出して繰り返し批判していますが、それは、麻原・オウムの教義では、以下の通り「無間地獄」という最悪の地獄に落ちる大悪業になるとされています。
○11.もしあなたが愚かにもグルを軽蔑するようなことがあれば、
伝染病にかかり、有害な霊によって引き起こされる病にかかります。
また、悪魔・ペスト・毒によって悲惨な死に方をするでしょう。
(中略)
14.超期間地獄、つまり痛みが終わることのない地獄等の恐ろしい地獄
のことが教えられるときには、グルをさげすむ者は長い間、の地獄に
とどまらなくてはならないとはっきりと説明されています。
(オウムの教本『グルへの帰依の五十の詩』より)
○わたしに対して仇なした者たちはすべて、
無間激苦地獄へ落ちることは間違いない。
(麻原説法 94/3/12 大阪支部にて)○一人の聖者を冒涜したり、あるいは謗ったりすると、
経典に書かれているように、
激苦地獄への運命を歩かなければならないのである。
(麻原説法 94/3/13 大阪支部にて)(2)アレフを批判し、アレフ(麻原)信者の脱会支援をしていること
「ひかりの輪」は、前記の通り、麻原の信者を増やそうとするアレフを広範に徹底的に批判し、アレフ信者の脱会を支援していますが、麻原・オウムの教義では、麻原の教団の批判をすることや、麻原が説く真理から離れること(他者を引き離すこと)は、大悪業となるのです。
○今、日本においてオウム真理教は徹底的なサンドバッグの状態になっている。
(中略)
オウム真理教に対する彼らのバッシングの狙いは、
オウム真理教を崩壊させること、(中略)
日本を動かしている人たちが、
大悪業のぶどうの房をどんどんつけることであると。
そして、それは必ず落とし、ぶどう酒にし、返さなければならない。
(麻原説法 90/3/11 富士山総本部にて)○今回の国家権力による弾圧は、それはちょうど、
イエス・キリストを弾圧したユダヤが、その後流浪の民となったように、
この日本に大きな大きな災いがふりかかることだろう。(中略)
このような弾圧をやめないと、この日本はとんでもない悪業の蓄積をなす
ことになるだろう。(麻原著『亡国日本の悲しみ』より)○真理から外れるならば、当然、この欲六界の構成というものは、
地獄優位の世界ですから、地獄に落ちることは間違いないでしょうと。
(麻原説法 89/2/2 富士山総本部にて)
(3)アレフ教団の分裂や解体の努力をしていること「ひかりの輪」は、その発足前に、麻原を絶対とする現在のアレフの信者と分裂し、さらには、アレフ教団を解体する結果をもたらす著作権侵害問題の摘発に協力していますが、これも、無間地獄に落ちる大悪業となるのです。
○出家教団〈サンガ〉を分裂させることは、
地獄へ至る五逆の罪に含まれ、教団を分裂させたり、
活動を妨げたりすることも同様に七逆の罪に含まれています。
(オウム教団機関誌の92年6月号より)(4)外部者に従うこと
「ひかりの輪」は、外部監査委員会を設置し、他の宗教宗派や精神修養の指導者の指導を受けていますが、麻原・オウムの教義では、麻原以外の教えは真理ではなく、他の宗教=外道に従うことは、以下の通り、輪廻転生を狂わせ、地獄に落ちるとされています。
○もしわたしたちがここに真理というものがあって、
その真理というものを否定し、正しくないものに、
一時的な結果のために帰依したとしたら、
それはわたしたちの輪廻転生を、
あるいはわたしたちの今後の人生をだ、狂わせると思うか、
それとも狂わせないと思うか。
もう一ついきましょう。はい。
(信徒)輪廻転生を狂わせます。
そうだね。わたしたちの輪廻転生を狂わせるわけだ。
(麻原説法 88/5/29 札幌支部にて)
○一般の凡夫、外道の意識状態はどうかというと
もうそれは計り知れないと。よって、救済は失敗すると。
だからね、君たちは、もっとチャンネルを上げるように
意識を高くするように。
全力で自分自身を、ね、引き上げなさいよ。
そして下向の道をね、歩こうとしている人たちに対しては
絶えず警告を発すると。
「おまえ、その状態じゃ地獄に落ちるぞ」と。
(麻原説法 90/3/17 富士山総本部にて)
(5)出家をやめること(脱会)「ひかりの輪」は、発足以来、オウムの出家者だった専従会員の3分の2が脱会し、そのほとんどは、一般会員にもなっていません。しかし、麻原の教義では、出家をやめることは「下向」と呼ばれ、それは、地獄を含めた低い世界(三悪趣)に落ちる大悪業とされており、この教義が、坂本弁護士事件の発生の原因ともなりました。
○現世にはいい女もいるし、いい男もいるし、
うまいものもあるし、
あるいは地位だって権力だって名誉だってあるじゃないかと。
(中略)
落ちるものは落ちなさい。
わたしが以前から「落ちる」という言葉を使っているのは
仏典の言葉である。
釈迦牟尼は「下向」という言葉を使っていらっしゃる。
これはどういうことかというと、
三悪趣(地獄・餓鬼・動物の低い世界)に落ちるという意味だ。
(麻原説法 90/7/8 富士山総本部にて)(6)親の介護を出家より優先すること
「ひかりの輪」では、オウムの出家者だった専従会員が、親の介護のため活動場所を変えたり、脱会していますが、麻原の教義では、親のために真理の実践から離れることは、自己にとっても親にとっても真理との縁を傷つける大悪業となります。これが坂本弁護士事件の発生の原因となったのです。
○こういう場合には、縁を切ってもよろしい。
例えば、ここに真理というものがあるとしよう。
そして、あなた方がその真理を実践しようとすると。
しかし、親が無智のためにだよ、あるいは子が無智のために、
それを阻害すると。
その場合には、それは切りなさい。
なぜならば、長く引っ張れば引っ張るほど、
相手に悪業を積ませることになるからだ。
(麻原説法 88/7/31 名古屋支部にて)○両親に特別な愛着を持つことが、
果たして利益があるだろうかと、ね。
(中略)、救済する、
これが本当の愛ではないかとわたしは考えている。
(麻原説法 88/9/21 富士山総本部にて)○それは、カーリー・ユガの時代(※現代)ということは、
例えば親子関係や、あるいは兄弟の関係や、
あるいは友人の関係等がすべて逆縁によって
形成されているということである。
もともとこの闇の時代の特徴というのは、
それぞれが嫉妬によって憎み合うということなのである。
つまり、四無量心における称賛の瞑想ができない環境で
皆さんは生活をしなければならないと。
したがって皆さんが到達しうるはずの最高の解脱、
あるいは悟りに対して本来最も喜び、
恩恵を受けなければならないはずの皆さんの肉親や、
あるいは知人・友人が逆に手や足を引っ張る現象が
起きるはずであるということである。
(麻原説法 94/3/13 大阪支部にて)○子供の出家によって苦しんでる両親を、
麻原はほっとこうとしてるのかと。ね。
--そうではないよね。
では、なぜそうではないと言えんだと。
なぜ言えるんだと。(中略)
娘のやったことは、ね、出家をし、
真理を実践することによって、ね、
その果報というものは親に返るわけだよね。
(麻原説法 89/10/10 大阪支部にて)○そしてわたしは、よく修行から現世に帰ることを
"落ちる"という言葉を使っている。
そして、『南伝大蔵経』においても、
仏陀釈迦牟尼は、「下向」--下へ向かう、
つまり"落ちる"と同じ意味の言葉を使っているということだ。
そしてここにおいても、同じように親族が反対し、
現世へ引き戻そうとする。
そして、あらゆることが行なわれた。
今の時代は、そんな状態の比ではない。
そして、わたしはそれについて、大変いいことだと考えている。
なぜならば、わたしに最後の一つの選択しか与えてくれなくなったからだ。
タントラ・ヴァジラヤーナにおいて、四つの選択肢がある。
第一は、相手を幸福にする、そのための修行法を伝授するということだ。
第二は、相手に繁栄を与える、そのための修行法を伝授するということだ。
そして、第三と第四をここで話せないことは残念だが、
四つの選択肢があるということだ。
(麻原説法 90/3/13 富士山総本部にて)○オウム真理教に対して、
「被害者の会」(※出家信者の親達による、オウムに反対する会)
というものがある。
しかし、この「被害者の会」というものは、
本来は「加害者の会」である。
なぜ「加害者の会」なのかというと、つまり、本当の意味で、
自由・幸福・歓喜を得ようとしている自分の肉親に対して、
それを阻む。
完全に地獄へ落ちる道を歩んでいる「加害者の会」と言わざるを得ない。
これは断言しよう。
私が否定しようと、あるいは私がそれはあり得ないよと言おうと、
間違いなく「被害者の会」の者達は地獄へ落ちるだろう。
(麻原説法 90/5/13 杉並道場にて)○本当に親のことを思うなら、(中略)出家の者は、
出家した以上きっぱりと親のことを忘れ、ひたすら修行し、
人間の終極の目的である解脱を得、死を超え、
そして光の子として生まれ変わって多くの者を救済し、
多くの功徳を積んで、その恩恵を親に与えるべきである。
(麻原説法 90/8/14 阿蘇・シャンバラ精舎にて)
6.麻原・オウムの教義での「絶対的な帰依」とは、麻原の言葉通りに実行することすでに述べたとおり、麻原・オウムの教義の中核である「麻原への絶対的な帰依」とは、弟子が麻原の言葉通りに実行することですが、この点がよく理解できる麻原の説法を紹介します。これは公安調査庁も認めていることです。
(1)公安調査庁自身が認めていること
麻原の指示で弟子が「目的のためなら手段を選ばないというタントラヴァジラヤーナ(秘密真言金剛乗)」を実践する場合、麻原に対する絶対的な帰依として--比喩的な表現ですが--「グルのクローンになる」という修行があり、「自分の思考を入れずに、グルの指示にそのまま従うことで、あたかもグルのクローンになる」ということをしなければならないというのが、公安調査庁自身の主張です。
重要なことは、「グルのクローン」すなわちグルと同じ人間になったかのように、グルの指示をそのままに=その言葉のままに実践することであり、言い換えれば、それ以上でも、それ以下でもあってはならないのです。
以下は、1996年のオウム真理教に対する破防法弁明手続の際の、教団側代理人弁護士の発言の引用です。○弁明者(◎◎◎◎)この辺、公安調査庁の主張によると、だれでもこのヴァジラヤーナの教えが実践できるとは、さすがに公安調査庁も言っていないんだけれども、公安調査庁の論法によると、これは証拠の要旨11ページによると「麻原の説く秘密金剛乗はグルを絶対視し、そのグルに帰依し、自己を空っぽにし、その空っぽになった器にグルの経験ないしエネルギーをなみなみと満ちあふれさせること、つまりグルのクローン化をすることである」と言っているわけなんですがね。
つまり、そうやってグルのクローンになれば、自分もヴァジラヤーナが実践できる、という形で能力を取得するという論法なんです。(中略)
この点に関して、あなたの指示があれば、たとえ犯罪でも無条件で私は従いますというような、信徒さんなのか、元の信徒さんなのかわからないんですけれども、そういうふうに要するに自分にとってどういう意味があるのかわからないけれども、麻原さんが言うことであるならば、それは正しいことなんだから無条件に私は従って、殺人でも何でも行いますというようなことを言っている人がいるというふうに公安調査庁は証拠を出してきているわけです。(中略)
結論として、つまり要するに自分では理解できなくても、グル、麻原さんの言うことであれば、それをそのまま従うということが正しい行いであるという、それがヴァジラヤーナの実践になるということ......(同弁明期日調書より)(2)麻原の言葉以上でも以下でもなく実践しなければ絶対的帰依にならないこと
上記のとおり公安調査庁が認めるように、タントラヴァジラヤーナの実践の大前提は、「麻原への絶対的帰依」です。
しかし、「麻原への絶対的帰依」となるためには、以下の通り、麻原の言葉以上でも、それ以下でもなく、「そのままに」行わなければならないのです。○帰依ができているということは、
完璧にグルの言っていることを百パーセント実践すると。
これは百二十パーセント実践しないと。
あるいは八十パーセント実践しないという意味だ。
百パーセント実践すると。
(麻原説法 88/9/22 富士山総本部にて)上記と全く同じことですが、グルの言葉・行動と自分の言葉・行動を完全に同じものとする(合一させること)が、麻原の変化身(=麻原の分身・麻原のクローン)になるためには必要とされます。
○君たちが、わたしと輪廻を共にする場合、
君たちがわたしの変化身として、
もし、これからの人生をトランスフォームすることができるならば、
必ずや君たちは、来世わたしと共に輪廻することはできるであろう。
ではどのようにしたら、わたしの変化身になれるのか。
それは言うまでもなく、心においてグルと合一し、
言葉においてグルと合一し、
そして行動は、グルがなすであろう行動を実践すべきである。
(麻原説法 93/10/5 第二サティアンにて)○グルが与えたね、あなたはこれをやってはいけない、
これをやりなさいということに対して、絶対服従することだね。
(麻原説法 86/3/21~24 丹沢集中セミナーにて)また、「麻原に対する絶対的帰依」のためには、「グルと全く同じものの考え方や見方」をしなければならないことは、観察処分更新手続において公安調査庁が提出した書面からも確認することができる(以下は、公安調査庁の「証5」p12~13より)。
○麻原は、「タントラ・ヴァジラヤーナ」を実践するためには、
グルである麻原に対する完璧な帰依、
絶対的な帰依が必要であると説いて、
麻原に対する絶対的な帰依を要求するとともに(証5-14、24)、
自己を捨て、グルと全く同じものの考え方や見方をして
グルと合一することであると説いた。(証5-25)そして、このようにしなければ、それは悪業になると強調されています。
○グルの意思とは違うようなね、
動きがかなり行なわれていると。
で、ここでいったん修正しないと、
単なる弟子たちに悪業を積ませてしまうだけであると。
(麻原説法 89/7/20・21 富士山総本部にて)