周期説
ひかりの輪で紹介している社会学的・歴史学的・経済学的・自然科学的な各種の周期説や占星学の周期思想をご紹介しています

このコーナーについて

  • 1.はじめに:周期説とは?

     このコーナーでは、ひかりの輪が重視する仏教思想に関して、興味深い400年周期の変化があるという説をはじめとして、一部の社会学者・歴史学者が主張する人類社会の周期説に関して、最新の情報に基づく解説をしたいと思う。

     ここでの周期説は、いわゆる「歴史は(形を変えつつも)繰り返す」という類のものである。

     広くいえば、周期説は、「毎日昼夜を繰り返す、毎年四季を繰り返す」といった、天体現象による科学的根拠が明確なものから、ここで扱う、主に社会学・歴史学の周期説のように、そうした根拠は不明ないしは不十分なものまである。

     しかしながら、過去の体験から未来を予想して備えるのは人間の常であるから、人類社会を理解し、未来に備える手助けになる可能性があると考えて紹介する。

                                        2023年5月 上祐史浩

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

     

歴史学的な周期説

  • 2.日本史の400年周期説

     歴史学者の酒井信彦氏(元東大史料編纂所教授)や中西輝(てる)政(まさ)氏(京大名誉教授)は、日本史の400年周期説を唱えている。

     まず、以下に、酒井信彦教授の見解を引用する。

    今回は、私が一応専門としている日本の歴史の話をすることにしたい。私はかねてから、日本の歴史は大体400年という間隔で考えると、比較的理解しやすいのではないかと思っている。現在は、西暦でいって約2000年であるが、この2000年間を400年ずつに、五つに分けて見ることにするのである。それを現在から過去に遡る形でやってみよう。


     今から400年前と言えば西暦1600年頃、1600年はずばり関が原の戦いの年である。つまりこの直後に徳川幕府が開始され、それは長い戦国時代を豊臣秀吉が統一し、その事業を家康が継承して成立したものであった。その後の400年間は、江戸時代と明治維新以後が含まれている。歴史学で言うと、近世(江戸時代)と近代(明治から戦前まで)・現代(戦後)である。

     その400年前は、西暦1200年前後だから鎌倉幕府という武家政権が成立した時期である。この400年間は、鎌倉時代・南北朝時代・室町時代・織(しょく)豊(ほう)時代が含まれているが、歴史学では中世と呼ばれている。ただし織豊時代は普通近世に入れる。この期間は、朝廷や寺社などの勢力が衰え、武士による統一的な封建国家が生み出される過程である。


     更に400年前は、西暦800年頃になる。平安京への遷都が794年であるから、この400年間はすべて平安時代ということになる。一口に平安時代といっているが、平安時代は異常に長い期間であることが分かる。この中間、1000年前後が摂関政治の盛時で、紫式部が生きていた頃である。


     更にまた400年前は西暦400年前後で、近畿地方で巨大古墳が作られていた頃である。これらの古墳は皇室の祖先が作ったと考えられ、大和朝廷を成立させていた。この400年間のちょうど中間に居るのが聖徳太子であり、太子が摂政になったのが593年、法隆寺の創建が607年である。つまりこの400年間の後半の200年間、とくにその更に後半の100年間つまり8世紀に、日本の律令国家は急速なスピードで形成されたのである。


     平城京・平安京に先行する、日本における本格的な都城である藤原京への遷都が694年であって、平安遷都のちょうど100年前になる。この重要な100年間の中ごろに当たるのが、東大寺の大仏開眼で、752年のことである。

     大規模古墳の建設より400年遡れば、西暦すなわちキリスト紀元の始めに到達する。文字のなかった当時の日本では、正確な年次は伝わらないが、シナの歴史書によって、紀元57年に「(わの)(なの)国王(こくおう)」が後(ご)漢(かん)光(こう)武(ぶ)帝(てい)に使いを出して、印綬を受けたことが分かる。江戸時代に志賀(しか)島(のしま)から出土した金印が、その現物だとされている。

     この最初の400年の中間あたりに居るのが、例の卑弥呼である。卑弥呼は239年に、魏に使いを出している。その居住地である邪馬台国の所在が、九州か畿内か長らく論争があったが、最近は畿内説が有力になっている。

     以上の400年区分の内、変化の無かったように見える平安時代は、実は日本の歴史の変化・進歩を考える場合、極めて重要な時代なのである。それは急速に成立した律令国家が、次第に崩壊し変質して別種の国家に成って行く過程である。その変化の目安は、土地制度としての荘園の成立と、軍事組織としての武士の出現である。この変化があったからこそ、律令国家がずっと続いたしシナ・朝鮮とは異なった、日本独自の国家に進化したのである。


    「日本の歴史は400年で区切ると分かりやすい」~酒井信彦 元東大史料編纂所)

     

     要点をまとめると、

    ①西暦1600年頃に、関が原の戦い・徳川幕府の開始があり、近代~現代の流れが始まり、

    ②西暦1200年前後に、鎌倉幕府という武家政権が初めて成立して中世が始まり、朝廷や寺社などの勢力が衰え、

    ③西暦800年頃に、平安京に遷都されて、平安時代が始まり、

    ④西暦400年頃に、大和政権が成立したというものである。

     

     また、首都(政治の中心地)の変遷に注目すると、以下の通り、400年の周期になっているように見える。


      ①西暦1600年頃に、徳川幕府開闢(かいびゃく)とともに、首都が江戸(今日の東京)に移る。
      ②西暦1200年前後に、鎌倉幕府開闢とともに、首都が鎌倉に移る。
      ③西暦800年頃に、平安京遷都で、首都が京都に移る。
      ④西暦400年頃に、奈良を中心とする大和政権が成立した。

     

     次に、中西輝政氏(京大名誉教授)の見解である。ここで注目すべきは、400年周期の中で、100年の戦乱の後に一気に癒しの100年に移行するという点だ。

    もう一つ、こういう切り方もあると思います。国際関係や社会における戦争や暴力の頻度、人間の移動、社会的モビリティや文化の体質といった視点から見ていくと、400年ぐらいの周期を切り口として考えることもできるのではないでしょうか。(中略)

    戦国期は16世紀ですから、明治の近代化や日清・日露戦争までまさに400年になるわけです。そして、20世紀は前半が大概戦争の連続で、後半は高度成長です。いずれも、人間のエネルギーをほとばしらせ、また世の中がハイ・テンションに推移した世紀でした。こんな100年を、日本史はときどき経験するのです。


     戦国時代から400年遡ると12世紀で、これは古代社会の崩壊とか源平合戦の時代になります。さらに400年遡ると8世紀で、大宝律令をはじめ律令が取り入れられます。非常に論理的なかたちで社会の再構築が始まる時代です。さらに、その30年ほど前には、朝鮮半島から白(はく)村(すき)江(のえ)の戦いで敗れた日本軍が引き揚げてきています。大陸から唐が攻めてくるかもしれないという危機感も高まります。戦乱の時代であり、古代の氏族社会が解体するという、内外ともに強い改革のインパクトが働いた時期というわけです。


     さらに400年遡ると、ちょうど弥生末期から古墳期へ移るころです。クニとクニとが争う「倭国大乱」の時代から、大和国家が確立してゆく時代であり、朝鮮半島に初めて出ていくのもこのころです。3世紀末から5世紀にかけて応神朝、仁徳朝などがくり返し朝鮮へ進出してゆきます。


     このように日本の文明史的サイクルの一つとして、400年周期で歴史はくり返していると考えられるのではないか、というのが、私の「400年周期説」です。そして各400年の内訳を見ていくとおもしろいことがわかります。400年のうち、最初の約100年は先に見た戦国時代やこの20世紀のような「激動の世紀」になります。しかしその時代が終わると、次の100年は一気に「癒(いや)し」や「落ち着き」を求める働きが歴史をリードするようになる。
    (『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政 PHP研究所 2000https://sessendo.blogspot.com/2017/11/400.html

     誰しもが期待するものであろうが、二つの世界大戦と核兵器による冷戦の戦乱の世であった20世紀の後に、21世紀が世界大戦・核戦争を乗り越える国際協調の時代となるかが注目される。

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

     

  • 3.水害(地震)に関する科学的な400年周期説

     一方、水害や地震の自然災害に関しては、あまり望ましくない400年周期説が、以下の通り、科学者によって報告されている。

     総合地球環境学研究所の中塚武氏の論文によると、数千年育った古木の調査から、気候変動には400年の周期性が存在することが確認されている。

     年輪の中に含まれる酸素同位体から、降水量の増大した時期を割り出せるそうだ。このデータに注目した、元前橋工科大教授の濱嶌良吉氏(地殻変動解析学)が言う。


    1600年ごろから1700年代初めにかけ、たびたび著しい洪水が発生しています。気になるのは、地盤を刺激する豪雨と巨大地震の連動性が、あらゆる機関の研究結果から指摘されていることです。

    1611
    年には北海道沖でM9クラスの大地震(慶長三陸地震)が発生している。この地震は400年サイクルといわれ、中塚先生の400年に1度の水害予測と時期が重なっている。

    400年前は大地震が相次いだ時代で、近い将来、大水害と同時期に起こりうることが考えられるのです」

     確かに、2000年に入ってから、世界で"前代未聞"の自然災害が続いている。05年には、アメリカで風速82メートルのカトリーナ(ハリケーン)が発生。

     13年には、フィリピンで6000人以上の死者を出したスーパー台風(台風30号)が起きた。日本でも台風や竜巻被害が深刻になっている。

     変動期が来ていることは否定できない。

    「地震では、中央構造線とその延長線上で1586年に天正地震(M7.9クラス)、1596年に慶長伏見地震(M7クラス)が発生している。

    その後、1605年には南海トラフ地震のひとつである慶長地震(M7.9クラス)、1611年の会津地震(M6.9クラス)など、巨大地震が相次ぎました。

    地震が連鎖すれば被害ははるかに大きくなりますし、ここ数十年はあらゆるリスクが重なった時期にあるのです」(濱嶌良吉氏)(専門家が警告 400年に1度の"大水害+大地震"危機到来か 日刊ゲンダイ 公開日:  2017/09/13 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/213378

     樹齢数千年の古木を調査したところ、なんと気候変動には400年の周期性が存在することがわかったというのだ。

     そして現在は、その400年に1度のタイミングに突入し、今後さらなる大地震・大水害の発生が懸念されるようだ。


     これは「総合地球環境学研究所(地球研)」の中塚武教授による研究成果だが、今から400年前を調べてみると、ちょうど慶長地震をはじめとする一連の大災害シリーズがあった時期と重なる。

     では、これから日本のどこで、どのような災害が起きる可能性があるのか、過去を紐解きつつ検討してみたい。


     地球研は京都市にある国立研究所で、生物地球化学・古気候学(こきこうがく)を専攻する中塚武教授は気候適応史プロジェクトのリーダーだ。

     同プロジェクトは、過去の気候変動などが当時の社会にどれだけ影響を与えたか調査するもので、その中に「古気候学グループ」が含まれる。

     この古気候学とは、あまり聞き慣れない分野だが、過去の気候変動を研究し、今回のように古木など自然の遺物から災害発生のサイクルを見出したりする。


     中塚氏の研究について見解を求められた元前橋工科大学教授の濱嶌(はまじま)良吉氏は、1600年頃から1700年代初頭にかけて著しい洪水が頻繁に発生していたことを指摘した上で、「1611年には北海道沖でM9クラスの大地震(慶長三陸地震)が発生している。

     この地震は400年サイクルといわれ、中塚先生の400年に1度の水害予測と時期が重なっている」(日刊ゲンダイ 2017913日)と語る。


     濱嶌氏が指摘する慶長三陸地震は、1611122日に発生したM 89クラスの巨大地震と考えられているが、奇しくもちょうど400年後に同じ三陸沖で、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災、M9.1)が発生した。

     この400年サイクル説がもっと早く注目されていれば、三陸沖の巨大地震に対して防災意識を高めておくことができたかもしれない。


     では、今後の動向を探るためにも、400年前に内外(主に環太平洋火山帯)で他にどのような大災害が起きていたかデータ化し、以下に要約して示す。

    【約400年前に起きた大災害】


    159691日:慶長伊予地震、M 7.0、中央構造線断層帯。
    159694日:慶長豊後地震(大分地震)、M 7.07.8、死者710人。
    159695日:慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震)、M7.5前後。
    1596年夏:関東甲信越など各地で100年ぶりの大雨・水害。
    1600219日:ペルー沖で地震、M 8.0
    1600228日:ペルー沖で地震、M 8.2
    160523日:慶長地震(南海トラフ津波地震説など諸説あり)、
              M 7.98、死者1万~2万人。
    16054月~1612年:駿河・遠江・美濃・尾張・関東など諸国で大雨・洪水。
    1611927日:会津地震、M 6.9、死者3,700人。
    1611122日:慶長三陸地震、M 8.1M9、大津波による死者約2千~5千人。
    1619214日:ペルー・トルヒーヨ沖、M8.5
    1619年:諸国で洪水。
    161951日:肥後(熊本)八代で地震、M6.0
    16191130日:フィリピンで地震、M8
    1620年:近畿など諸国で大雨・洪水。
    1625721日:熊本で地震、M 56、死者約50人。

     このように、特に慶長年間(15961615)は大地震や大洪水が相次いだ時代だった。

     文禄5年に大地震が相次いだことで慶長に改元されたのが1596年だが、その後も災害の連鎖は止まらず、1615年に元和と改元された。

     通常「慶長大地震」といえば慶長年間に起きたこれらの連鎖を指すが、単に「慶長地震」と呼ぶ場合は、160523日に起きたM 7.98の大地震を指す。

     なお、この地震は南海地震(南海トラフ)、南海沖・房総沖の連動など、震源や規模に関して諸説ある。

     また、この時期の水害などについては、断片的に記録に残るだけで総合的な実態を捉えることはできないものの、全国的に台風などによる大洪水が長く続いたようだ。


     400年サイクルに従い、さらに古い大災害を調べてみると、大地震は断片的に記録されているのみ。水害に至ってはほとんど記録が残っていない。
    (
    「大地震・洪水の連鎖が400年周期で起きる」国の調査で判明! 現在サイクル突入中、
     3つの危険地帯はどこ?
     Tokana 2017.10.08  https://tocana.jp/2017/10/post_14676_entry_2.html)


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 4.日本仏教史の400年周期説と21世紀の仏教改革の展望

     この400年周期説は、日本の仏教史にも当てはまるように見える。

     そして、それは首都の変遷と連動しているようだ。


    ①西暦400年頃


     この頃、朝鮮等を通して、日本に、私的に仏教が伝来したと思われる。中国では大乗仏教の翻訳・解釈が盛んになり、朝鮮に仏教が伝来したことが確認されている。

     なお、公に、朝鮮の王から日本の天皇に仏教が伝来したのは、西暦500年代である(538年説と552年説があるが、百済の聖明王から日本の欽明天皇に仏教の公伝)。

     そして、この400年頃と次の800年頃のちょうど中間点の600年前後に、聖徳太子などが仏教を国教として導入し、奈良を中心に、官製仏教がスタートする(594年に仏教の「三宝興隆の詔」を発し、604年に制定した十七条(じゅうしちじょう)憲法でも仏教信仰を推奨)。


    ②西暦800年頃


    空海・最澄が中国・唐に入り(804年)、密教を学び、日本に伝えるという仏教改革が起こる。

    同じころ、桓武天皇が、奈良から京都に都を移すが(平安京遷都)、その理由の一つとして、奈良の官製仏教(南都六宗)の僧侶が政治に口を出すことを嫌い、最澄・空海などを後援し、京都に新しい仏教の流れを作ろうとしたという説がある。

    また、最澄が開いた比叡山天台宗や空海の高野山真言宗は、日本で初めての私的な仏教教団である(それまでは皆お役人の僧侶の官製仏教であった)。


    ③西暦1200年頃


     鎌倉時代の始まりとともに、鎌倉を中心として、「鎌倉新仏教」と呼ばれる新たな仏教運動・仏教宗派がおこった。

     戦争、疫病、飢餓が流行る中、末法思想が広がる中で、主なものとして、念仏で極楽浄土に往生できるという浄土信仰(浄土宗・開祖法然、浄土真宗・開祖親鸞、時宗〈踊念仏〉・開祖一遍)、座禅の修行を主とする禅宗(臨済宗・開祖栄西、曹洞宗・開祖道元)、南無妙法蓮華経を唱える日蓮宗(開祖日蓮)など。

     特徴としては、民衆には実践が難しい従来の仏教ではなく、実践が容易であること(易(い)行(ぎょう))。


    ④西暦1600年前後

     戦国時代から江戸幕府の開闢とともに、現在も残る檀家制度が導入され、日本人は(家族単位で)、何かの仏教宗派に属することが義務付けられ、寺院は、民衆の戸籍を作るなど、幕府の役所のような機能を持たされた。

    努力なく信者が得られるため、これが後の仏教宗派の堕落・形骸化につながるとともに、役所のようなお寺に民衆の反発が生じ、明治時代になって、政府によって神道と仏教が分離されると、民衆による廃仏毀釈運動につながったという見方がある。

     なお、この戦国時代から江戸時代にかけては、戦乱の世であったがゆえに、仏教思想が深く戦争・戦いと結びついた。上杉謙信は仏教の護法神である毘沙門天の化身を自称し、武田信玄は禅宗を実践し、織田信長と激しく戦った一向宗(浄土真宗)は、「戦いに死ねば浄土に行くことができる」として戦意を高め、天下を制した徳川家康は、浄土教の教えを「戦乱のない平和の世を作り、この世を浄土にする」と解釈して戦乱の世に立ち向かったという。

     また、戦に用いる剣術の使い手である宮本武蔵や、幼馴染に高僧の沢庵和尚を持った柳生宗矩(やぎゅうむねのり)(将軍家指南役)などの兵法者が、仏教などの宗教思想と結びついて、剣(けん)禅(ぜん)一如(いちにょ)(剣術と仏教の禅定は一つの如し)、活人剣といった新たな思想を生み出すということもあった。

     

     さて、こうして見ると、我々の生きる現在の西暦2000年代は、新たな仏教の変革の時とも考えられる。

     そして、「死と再生」と言うように、何か新しいものが現れる時は、古いものが衰退していく現象があると思われる。

     実際に、檀家制度や葬式仏教といった伝統宗派の仏教は、特に平成期以来、急速に衰退しており、向こう数十年で崩壊すると懸念する関係者もいるほどである。

     また、伝統仏教宗派に基づいて20世紀に始まった、創価学会などの新興仏教教団も同様に、衰退・高齢化の様相を呈している。

     この平成期に目立ち始めた伝統・新興双方の宗教の衰退傾向に輪をかけたのが、新型コロナパンデミックである。

     疫病退散などの信仰を集めていた以前とは変わって、今回のパンデミックにおいては、人々の中に、「寺社が何もしてくれなかった」という認識が広まり、寺社離れが加速するのではないかと、多くの寺社の関係者が考えているという。

     それに追い打ちをかけたのが、昨年2022年以来の旧統一教会批判から始まった宗教問題の再燃である。

     統一教会に限らず、他の宗教団体へも批判が広がる中で、今年2023年に入ると、幸福の科学の大川隆法氏が早世し、オウム事件の賠償支払いを逃れるアレフ(旧オウム真理教)に対して、その活動を大幅に規制する再発防止処分が団体規制法の施行以来、初めて適用される事態に至った。

     こうして、仏教に限らず宗教界全体において、歴史的な変革の時が訪れようとしているのではないかと思われる。

     そうした中で、私が考える21世紀に役立つ新たな仏教思想の特徴としては、以下のような点がある。

    ①科学合理的であること


     現代社会の科学重視の傾向に合わせて、迷信・妄信・狂信を排除した、科学合理的な思想であること。

     その意味で、信じる宗教というよりも、実践する心理学・心理療法・人生哲学というべき仏祖釈迦牟尼の直説の初期仏教の思想への原点回帰をベースとして、それを現代的に再創造することが考えられる。

     ただし、科学合理的ということは、現在の科学理論が証明も反証もしていない事柄の有無・是非は、今後の科学的な探究に任せるということであり、根拠もなく否定・肯定の双方をしないことである。

     これは、従来の宗教思想の妄信を努めて避けることが大前提であるが、科学的な研究を待たずに、はなから盲目的に否定することも避けることが、自らの無知を自覚した、純粋に科学的で、謙虚な姿勢であると考える。


    ②資本主義競争社会に役立つこと

     現在、中国のような政治的に共産主義体制の国ですら、経済面では、資本主義競争社会の体制であり、人類全体に広がっている。よって、今後の仏教思想の解釈は、その社会に生きる人々に役立つものを含むべきであると考える。

     競争社会は、さまざまなストレス・心身の病気・問題行動、さらには人と人・国と国の対立の原因となっており、その癒しのために精神世界・宗教・その他を求める人も多くいるが、同時にその利点のために人類社会に広がっていることを踏まえて、理想としては、その弊害を解消しながらも、その利点を活かすことができるような思想であることが望ましい。

     ③戦争をなくすことを助ける思想であること

     核兵器を大量に保有し、二つの世界大戦と冷戦を前世紀に経験した人類にとって、21世紀は、戦争回避が人類存続のための最重要課題である。

     人類の歴史を見れば、聖書系の宗教に限らず、一部の仏教宗派を含めて、宗教が戦争を心理的に可能にする、ないしは後押しするために使われた事実が否めない。

     その中で、今後の仏教思想は、戦争を抑制し、国際協調・世界連邦を望む人類社会を助けるような思想であるべきだ。

     ひかりの輪は、仏教を宗教として信仰するのではなくて、その科学合理的・心理学的な生きる知恵の部分に関して学び実践し、研究発展させようとする学習教室であるが、その立場から、こうした仏教思想の改革の一翼を担いたいと考える。

     

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 5.関西などの多極構造の日本の未来の可能性

     ところで、これまでの歴史では、400年周期で首都が移ったサイクルがあるが、現在の社会情勢を見ると、引き続き東京一極体制が続きそうな予想もある。


     実際に国全体の人口が減る中で、他の都道府県に比較して東京圏の人口が大幅に増える当局一極集中は、新型コロナのためにいったんブレーキがかかったが、2022年、再び加速し始めたことが判明している(※参考文献:日経新聞「人口の東京一極集中が再加速」2023年130日  https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA300JW0Q3A130C2000000/)

     しかしながら、以前から、東京一極集中は、人口過密によるハンデミック被害の激化に限らず、都市生活環境の悪化、パンデミック対応や大地震などへの災害対策、さらには国家安全保障の視点から望ましくないことがあり、20年前頃には盛んに首都機能移転の動きがあった。


     実際に、米国を見れば、東海岸のニューヨークと西海岸のサンフランシスコ・ロサンゼルスの二極体制であり、両者から離れて首都ワシントンがある分散体制であるが、この方がさまざまな意味でのセキュリティ対策としては優れている。

     そして、今年になって旧統一教会問題でスポットライトを浴びた文化庁が、日本の歴史的な宗教・文化のセンターである京都に移転したことが最近報道された。

     さらに、人口が減少する中で、経済を活性化させる政府の政策の一つがインバウンド(外国人観光客・労働者)の増大であるが、日本の古都として著名な観光地を持つ京都・奈良・大阪などの関西への人的流入や経済の活性化をもたらす。

     さらには、中国をはじめとして21世紀の世界経済の拡大のセンターとなるアジア地域に地理的に近いのが関西である。

     そもそも、明治中期まで東京府の人口は150万人足らずで(東京都に改組されたのは1943年)、全国都道府県の第9位で、その後、他の地域よりも2倍近いスピードで、急速に成長したものであるが、その期間は中国大陸の諸国の経済は弱かった(※参考文献:https://news.yahoo.co.jp/articles/1878712429c1189e68bbc6c9c3ed9609365196a9?page=1

     こうした中で、今後、東京を中心とした東日本ばかりではなく、西日本の地域が活性化し、東京圏と関西圏の二極体制となっていく可能性もあるのではないかと思う。

     例えば、最新の政治情勢の特徴は、大阪都構想を掲げた維新の会の躍進が目立ち、次回の国政選挙で野党第一党をうかがうとする報道も少なくない。

     この背景としては、自民党の農協・遺族会・医師会、公明党の創価学会、立憲民主・国民民主党の労働組合、共産党の党員といった、旧来の政党の伝統的な支持母体が一様に弱体化していることがある。

     これに対して、維新の会という新興政党は、関西という特定地域を支持母体に持つ新たな形態の政党といえるのかもしれない。

     そして、東日本と西日本という大きなくくりで見るならば(静岡まで西日本とすれば)、人口(=有権者)の比率は、ほとんど11で拮抗している(※参考文献:https://kansai-sanpo.com/west-japan-east/

     また、先ほど紹介したと都道府県別の2022年の人口の増減に関しても、東京一極集中の再加速とともに、大阪・滋賀・福岡という西日本で主要都市の人口は増加している。

     さらに偶然かもしれないが、現在の政界の要人を見れば、自民党総裁の岸田氏、副総裁の麻生氏、躍進する維新の馬場氏や吉村大阪府知事が西日本出身であり、退潮傾向の共産党・立憲民主党の党首は、東日本出身である(加えて、東京都知事の小池氏なども西日本)。

     さて、400年周期説は、次に述べる800年周期説のちょうど半分であるため、両者を結び付けて論じる識者もいる。

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》


    ※編集者追記:2024年10月2日に、鳥取県を選挙区とする石破茂氏が第102代首相に就任した(総裁選で次点だった高市早苗氏も奈良県が選挙区)。
     次項で述べる「800年周期説」に関連して、世界文明の中心地が800年の周期で規則的に、東洋の都市と西洋の都市とで交互に繰り返されているという見解があり(千賀一生氏「ガイアの法則」)、それによれば、今後の世界の中心地の経度は、日本の関西地方に来るという。

  • 6.世界文明の800年(1600年)周期説

     日本の文明研究家の村山節(みさお)氏(故人)は、世界史年表を作成する過程で、様々な地域・時代の歴史に共通する、文明の盛衰の周期を発見したと主張し、これを文明法則史学、人類文明800年周期説などと呼んだ(※参考文献:文明法則史学http://bunmeihousoku.com/bunmei)。

     それによると、

    ①世界各地の文明史には1600年の盛衰周期が存在し、
    800年の低調期と800年の高調期に大別でき、両者は文明創造力や社会の活力において大きな差をもち、
    1600年を周期として準備→開花→成熟→崩壊の過程を繰り返し、あたかも1600年周期の四季をもつように振る舞っている

    という。

     さらに、この周期は、東洋と西洋の2系統に大別される二極構造をもっており、両系統は互いに逆位相の関係にあり、一方が低調期の時に他方が高調期となり、世界史は800年毎に文明の交代期を迎える。

     西の文明は、古代エジプト系統・ヨーロッパ系統であり、東の文明は、西アジア系統・インド系統・中国系統・日本系統を含むという。

     そして、 過去の周期性がそのまま再現されると、21世紀は西の文明が崩壊し、代わって東の文明が夜明けを迎える文明交代期となるという。

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》


    ※編集者追記
     上記の「800年周期説」に関連して、世界文明の中心地が800年の周期で規則的に、東洋の都市と西洋の都市とで交互に繰り返されているという見解があり(千賀一生氏「ガイアの法則」)、それによれば、今後の世界の中心地の経度は、日本の関西地方に来るという。
     この説は、西日本の関係者から政治家等の有力者も輩出されることを予測しているが、実際に、最近の与党・自民党の有力者は、不思議と西日本出身である。菅元総理以外は、岸田文雄前総理(広島選挙区)、麻生太郎元総理(福岡出身・福岡選挙区)、安倍晋三元総理(山口県出身・山口選挙区)、そして、2024年10月2日に新たに第102代の総理となった石破茂氏は鳥取県を選挙区としている(総裁選で次点だった高市早苗氏も奈良県が選挙区)。

  • 7.精神世界の周期説:天体の周期運動・占星学との関連

     村山氏の文明法則史学と同じ800年周期説をとりながら、作家の千賀一生(ちが かずき)氏は、スピリチュアルな体験をきっかけとした歴史分析で、以下の主張をしている。

    (※参考文献:https://taocode.jimdofree.com/
    https://chiga.jimdofree.com/%E3%82%8F%E3%81%AE%E8%88%9E%E3%81%A8%E3%81%AF/

     

    ①人類の文明の中心地が、800年周期で東西に交替して現れるが、各中心地は、経度にして225度の間隔をあけて存在する。


    ②現在は欧米を中心とした文明の最中で、中心地はロンドンで、副中心がワシントン

     だが、21世紀に始まる新しい800年の文明は、東経135度(=日本・明石・淡路他)上に、中心が来る。それは、精神性・一元性・女性原理を重視した文明である。

     これに基づいて、千賀氏は「わの舞」という踊りを提唱して普及活動をしているが、なぜ800年周期になるかというと、回転する駒が首を振るように、地球の地軸が25800年ほどの周期で「歳差運動」をしている結果であるという(25800年の32分の1がおよそ800年となる。また360度の16分の1が上記の225度である)。

     しかしながら、歳差運動が人類の活動の変化に影響を与える因果関係は当然示されていない。

     なお、千賀氏は、惑星直列の周期である9年を重視し、9年周期説も説いているが、9年周期といえば、日本の伝統文化の中では九星気学がある。

     また、その倍数である18年周期説、72年周期もあるとしている。

     また、18年の周期に関しては、千賀氏以外にも、近年の経済問題が、1973年オイルショック → 1991年バブル崩壊 → 2008年リーマンショックと、ほぼ18年ないし17年周期だと見る人がいる。

     また、72年周期に関しては、1923年関東大震災 → 1995年阪神淡路大震災、1929年大恐慌 → 2001911同時多発テロ事件などである。

     こうして、これらの説は、天体運動の周期性と連動しているのが特徴であるが、それは、占星学との共通点である。

     占星学は、複雑な周期説の総合ということもできる。

     というのは、天体の運動は、全く周期的であり、それゆえに太陽や月や惑星の地上から見た位置(天球上の位置)も周期的である。

     そして、占星学は、星の天球上の位置と、地球上の人間や国の状態がシンクロしていることを前提としたものであり、それを前提として、過去の天体配置と似た天体配置が、未来に周期的にやってくる中で、ある天体配置の時に起きたある出来事が、未来の似た天体配置の時にも起きると考えるものである。

     なお、星の天球上の位置と、地球上の人間や国の状態とのシンクロニシティに関しては、統計学的な手法による科学的な検証が試みられたことは乏しい。

     その中で、ソルボンヌ大学の心理学者・統計学者ミッシェル・ゴークランは、人の誕生時の火星の位置と、その人の職業の膨大な統計をとり、両者には相関関係があると結論づける論文を発表した。

     これに対して、疑似科学に対して科学的な調査・批判を行う米国の国際的非営利団体CSIは、この論文を否定できると決めつけて活動したものの、調査して得た結果は予想に反して、この論文を不本意ながら追認せざるを得ない結果になったという(※参考文献:占星学の科学的な検証事例 Wikipedia「占星術」)。

     とはいえ、このゴークラン氏の研究では、検証範囲が著しく限定されており(火星に限定)、占星学が前提にするシンクロニシティ全体を検証するには、全く質量とも不十分なものであり、それは今のところ科学的に証明されたということはできないだろう。

    ※付記:
    天体現象と地上の現象の相関関係を扱う科学的研究

     科学の研究で、この天体現象と地上の現象のシンクロニシティを扱うものが、わずかではあるが存在する。

     例えば、太陽活動は、周期的に強くなったり弱くなったりしているが、その結果として、地上にも周期的な現象が生じることである。

     例えば、太陽活動が減少すると、太陽の磁力線が弱り、その磁力線が妨げていた地球への宇宙線の放射が増大する。

     すると、地球上の雲が増大して寒冷化するとか、因果関係は不明であるが、地震や火山噴火の増大と時期的に非常に濃厚な相関関係があることがわかっている。

     この逆に、地球や他の惑星の引力が、太陽の表面の流体の動きに影響を与えることがある可能性があるという研究報告もある。

     その結果、地球等が引き起こした太陽活動の変化が、今度は地球等の惑星に影響を与える可能性があるから、太陽と地球を含めた惑星は相互に影響を与え合っており、その意味で、私たちが知る以上に、両者はシンクロしている可能性はある。

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

     

社会学的な周期説

  • 8.日本社会の大変動の80年周期説

     第5代気象庁長官だった高橋浩一郎氏(1913~91)は、その著書『気候変動は歴史を変える』(1994年刊、共著、丸善)のなかで、日本は80年ごとに大変動に見舞われると指摘した(※下記参考文献1)。例えば、1620年の江戸幕府の確立を起点と考えるなら、1700年は享保(きょうほう)の改革、1780年は寛政(かんせい)の改革、1860年は幕末、1940年の戦争の時代ということであり、詳細は下記の通りである。

    (なお、下記参考文献1は、2018年に公表されたもので、2020年の大変動を予期しているが、当然新型コロナ問題を予見はしていない。下記の表の2020年代の部分は、私が付け加えたものである)

    中心年

    日本

    海外

    1620年

    1615年:大坂夏の陣→豊臣家が滅び江戸幕府が固まる

    1620年:宗主国スペインの金融危機で伊ジェノアの低金利が終焉

    1700年

    1703年:江戸大地震

    1707年:イングランドとスコットランドが合併

    1707年:宝永大地震、富士山噴火→元禄時代の終わり、享保の改革へ

    1780年

    1783年:浅間山噴火、天明の大飢饉→寛政の改革(1787年)へ

    1775年~83年:米国独立戦争

    1783年:アイスランド・ラキ山噴火、1789年:フランス革命

    1860年

    1853年:黒船来航、1854年:安政東南海地震、1855年:安政江戸地震

    1853~56年:クリミア戦争→ロシア農奴解放など近代化

    1868年:明治維新

    1861~70年:イタリア統一戦争

    1861~65年:南北戦争→奴隷制廃止

    1870~71年:普仏戦争→ドイツ統一、フランス第三共和政に

    1940年

    1931年:満州事変、1937年:日華事変、194145年:太平洋戦争

    1933年:ルーズベルト政権、ヒトラー政権が誕生

    1939~45年:第二次大戦

    1950~53年:朝鮮戦争

    2020年?

    2011年:東日本大震災

    2020年:新型コロナパンデミック

    2020年:新型コロナと米中対立

    2022年:露のウクライナ侵攻と冷戦


    ※付記

    ①80年周期といっても、実際にはプラスマイナス10年くらいの幅・期間があり、80年とは、その中心くらいと考えるべきという見解がある。

    ②享保の改革(1716年)、寛政の改革(1787年)、幕末も、天変地異が関係している。享保の改革では、富士山の噴火と宝永地震(ともに1707年)、寛政の改革では天明の大飢饉(1783年)が、災害の影響で逼迫した幕府財政を再建する政策に結び付いた。幕末も、1854年に安政東海地震と安政南海地震、その翌年に安政江戸地震が発生し、これに黒船来航が加わって、同様に幕府の財政も破綻している。

    ③1460年代の応仁の乱(1467年)、1540年代のポルトガル商人の種子島漂着と鉄砲伝来(1543年)も付け加えると、「80年周期の大変動」はさらに遡ることができるという見方もある。

    ※参考文献1:https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226265/092600296/

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 9.米国でも注目される80年周期説

     さらに、この80年周期説は、日本のみならず海外にも当てはまるように見える。米国では、1780年の前後に独立戦争(1775~83年)があり、その約80年後の1861年~65年に南北戦争があり、そのちょうど60年後に日本等と戦った第二次世界大戦があり、2020年は新型コロナパンデミックが発生した。そして、新型コロナでは、米国が最大の被害国となり、トランプ元大統領らは、ウイルスとの戦い、第三次世界大戦などと解釈し、国防省は戦時体制を取っているともされた。また、その後、コロナの発生が中国であったことなどから米中対立が激化し、2022年にはロシアによるウクライナ侵攻が発生し、中台紛争の危機もささやかれるなど、欧米と中ロの冷戦の復活の様相も呈している。

     そうした中で、米国でも、今、80年周期説が注目を集めている(※下記参考文献2)。米国の80年周期説も、日本と同じように、以前から唱えられていたそうである。そして、トランプ政権を初期に支えたスティーブ・バノン氏や、共和党有力政治家のニート・ギングリッチ氏が傾倒していたという。それが、2020年になって、コロナパンデミックが起こって、ニューヨークタイムズなどの有力メディアで再び注目されることになった(※下記参考文献3)。

     米国の80年周期説の支持者の中では、2020年は、合衆国の4回目の大転機「4th Turning」と呼ばれているという。それは、国難を伴う転機なので、2020年になるまでは、不吉で非合理的な予言として、忌み嫌う人が多かったという。すなわち、1780年代の独立戦争(日本は「寛政の改革」)、1860年代の南北戦争(日本は幕末明治維新)、1940年代の第二次大戦、そして、2020年のコロナパンデミックと中国やロシアとの対立の激化というように、ほぼ80年周期で、大きな転機・国難と、その後の大きな発展があるというのである。そして、バノン氏などによれば、今度は中国を打ち破って、米国がさらなる発展を遂げる転機と解釈するらしい。

     また、民主党・バイデン氏が勝利した2020年の大統領選は、非常に重要な意味を持つとされた。ここで大統領を出した政党(民主党)が、過去の歴史・周期説によれば、向こう50年ほど支配的になると推測されるからだそうだ。例えば、第二次世界大戦以来の民主党や、南北戦争以来の共和党のように。なお、黒人奴隷解放のために南北戦争を戦ったリンカーン時代の共和党は、黒人解放を掲げたリベラルな政党であり、米国を主導したが、第二次大戦後は民主党に主導権を奪われる形となったという。

     さて、2020年の新型コロナのパンデミックの発生の80年前の1940年は、第二次世界大戦の直前・前年であった。そして、安倍元首相は、新型コロナ問題の発生に伴い、ジャーナリストの田原総一朗氏に「第三次世界大戦は核戦争だと思っていたが、この新型コロナウイルスが第三次世界大戦だった」と漏らしたという。また、2020年の東京五輪が2021年に延期になった事実も、80年周期の現象ということができる。80年前の1940年にも、東京五輪が日中戦争の膠着(こうちゃく)のために中止(日本政府が返上)になっている(※下記参考文献4)。

     しかも、その日中戦争の膠着の原因は、1938年の「武漢」での作戦とされる(※下記参考文献5)。80年の時を経て、同じ武漢での出来事で東京五輪が中止ないし延期になったということである。なお、この東京五輪の延期も、80年周期説の視点から、あらかじめ一部で、その可能性が指摘されていた事実がある(※下記参考文献6)。

    ※参考文献2:https://toyokeizai.net/articles/-/356585
    ※参考文献3:https://www.nytimes.com/2020/05/28/us/politics/coronavirus-republicans-trump.html
    ※参考文献4:東京五輪:https://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
    ※参考文献5:武漢作戦
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E6%BC%A2%E4%BD%9C%E6%88%A6
    ※参考文献6:2020年の東京五輪の延期・中止の予見
    https://lite-ra.com/i/2015/09/post-1456-entry.html
    https://ameblo.jp/takejiro100/entry-12541051596.html

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 10.近代日本社会の80年周期説

     そして、この80年周期説に関しては、中心年の2020年、1940年、1860年などの前後だけでなく、日本の近代の歴史の全期間において80年の周期が見られるという見解もある(※下記参考文献7)。その一部を紹介すると、以下のとおりである。

    1868年:明治維新 → 1945年:第二次世界大戦敗戦
    1877年:西南戦争・官僚制開始 → 1955年:自民党政権発足
    1912年:大正に改元 → 1989年:平成に改元
    1914年:桜島が破壊的大噴火 → 1991年:雲仙普賢岳で大噴火
    1915~1919年:第1次大戦バブル → 1985~1989年:平成バブル
    1920年~:大正バブル崩壊~昭和金融恐慌 → 1990年~:平成バブル崩壊~金融不安
    1923年:関東大震災 → 1995年:阪神淡路大震災
    1929年:世界恐慌 → 2008年:リーマンショック
    1933年:昭和三陸地震の津波 → 2011年:東日本大震災による津波
    1940年:東京五輪の中止 → 2020年:東京五輪の延期 
    1941年:太平洋戦争開始 → 2020年:新型コロナパンデミック

    ※参考文献7
    https://ameblo.jp/takejiro100/entry-12342950675.html
    https://ameblo.jp/takejiro100/image-12598900551-14762857139.html
    http://www.fukkatu-nagoya.com/book/80nensyuki-mokuji.html
    http://www.fukkatu-nagoya.com/book/80nensyuki-mokuji_files/80nen-shuki.pdf


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 11.80年周期説の背景にある社会構造

     米国では、80年周期説の背景に、軍事専門家で評論家でもあるマイケル・ホプフ氏が著書で紹介した「人間社会の4サイクル」が内包されているという。その4サイクルとは、以下のとおりである(※前出の参考文献2参照)。

     1 HARDTIMES CREATE STRONG MEN(苦しい時代は強い人間を生む)
     2 STRONG MEN CREATE GOOD TIMES(強い人間は楽な時代を生む)
     3 GOOD TIMES CREATE WEAK MEN(楽な時代は弱い人間を生む)
     4 WEAK MEN CREATE HARD TIME(弱い人間は苦しい時代を生む)

     この4つのサイクルの1つの期間が、人間が成人する20年であり、1つの世代の傾向を形成する期間だとすると、4サイクルで合計80年の周期になる。

     なお、日本の80年周期説の支持者の中にも、似たようなことを主張する人がいる。その場合は、親子三代のサイクルが80年というものである。初代が苦労して大成し、二代目がそれを維持するが、甘やかされて育った三代目でつぶれるという経験則である。これが、社会全体にも当てはまるだろうというのである。

     また、日本にも、この80年周期を4つのサイクルに分けて、それぞれ20年単位の社会の再生・成長・停滞・破壊の循環があると説くものもある。


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 12.もう一つの近代日本の周期説:60年周期説

     哲学者の柄谷(からたに)行人(こうじん)氏(元法政大学教授)などが、近代日本社会の60年周期説を唱えた(例えば「歴史と反復」『定本 柄谷行人集5』)。下記の表は、同氏と対談した高澤秀次氏(現苫小牧駒澤大学教授)が作成したものである(※参考文献8)。

     明治日本と昭和戦後の歴史的反復(60年周期の再現前)

    1905:日露戦争終結(ポーツマス条約)→ 1965:日韓条約調印(韓国進出の契機)
    1906:満鉄設立(金融資本大陸進出) → 1967:資本自由化・GNP世界3位
    1907:足尾銅山・暴動罷業 → 1960年代後半:公害社会問題化(水俣)
    1908~11:第二次桂太郎内閣とアナキズム → 1967~70:第二次佐藤内閣と全共闘運動
    1909:自由劇場起こる(新劇)→ 1969:アングラ演劇運動全盛
    1911:大逆事件・関税自主権の確立 → 1971:三島由紀夫自決・変動相場制に移行
    1912:明治アナキズムの敗北と啄木の死 → 1971:全共闘運動終息と高橋和巳の死
    1917:石井・ランシング協定 → 1977:日中平和条約・米中国交正常化
    (中国の領土保全・門戸開放)

    ※参考文献8:http://web.nagaike-lecture.com/?eid=911119

     また、社会学者の大澤真(ま)幸(さち)氏(元京都大学教授)なども同様の主張をしている(※参考文献9)。

    ・憲法の発布
     1889 年 大日本帝国憲法発布
     1946 年(57 年後)日本国憲法公布

    ・国家の権威の回復
     1894 年 日清戦争:戦勝で世界システムの中のまともなメンバーと認められる
     1951 年(57 年後)サンフランシスコ講和条約:日米安保条約で主権を回復する

    ・国威・自信の高揚
     1904 年 日露戦争:強国に勝利して自信を高める(神風信仰)
     1964 年(60 年後)東京オリンピックで、自信を高める

    ・反体制派のイメージが悪化し、閉塞感をもたらした事件
     1910 年 大逆(たいぎゃく)事件
     1972 年(62 年後)連合赤軍事件

    ・外交上の重大課題の解決
     1911 年 不平等条約改定
     1972 年(61 年後)沖縄返還

    ・国家転覆の試みと宗教団体の解体
     1935~6 年 大本教事件+2.26 事件
     1995 年(60 年後) オウム事件

    ・米国への奇襲攻撃と世界戦争の始まり
     1941 年 日本が対米戦争に突入(真珠湾奇襲攻撃)
     2001 年(60 年後)米国が対テロ戦争に突入(同時多発テロ=米国に航空機で奇襲攻撃)

    ※参考文献9:https://bookmeter.com/books/515246

    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 13.オウム事件と9・11テロ事件で再び注目された60年周期説

     そして、この60年周期説は、1995年のオウム真理教事件と、2001年の9・11テロ事件によって、あらためて、大澤真幸氏などの識者から注目されることになった。その事情は、以下のとおりである。

     1936年に2・26事件という武力革命のテロ事件が起こり、その前年の1935年には大本という宗教団体が危険視されて摘発されているが(実際は冤罪)、ちょうどこの60年後の1995年に、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こっている。

     2・26事件を起こした集団の首謀者とされたのは(偶然にも麻原と似た)隻眼の霊能者の北(きた)一(いっ)輝(き)という人物であった。事件に参加した青年将校の中には、大本教団のシンパがいたという情報もあったようだ(情報の真偽については議論がある)。ただし、大本教団の教祖・出口王仁三郎は、北一輝からの協力要請を一蹴して断ったという。

     出口は、大本教団の摘発の際に冤罪で逮捕されたが、裁判では無罪となって保釈されており、さらに、逮捕によって大日本帝国の戦争に協力せずに済み、恒久平和を唱える宗教家として神に守られたと語る平和主義者だった。

     次に、1941年に第二次世界大戦が始まったが、ちょうどその60年後の2001年に、9・11同時多発テロ事件が起こっている。9・11テロが発生した直後の米国メディアは、「2回目の真珠湾攻撃」と騒いだ。これは、イスラム原理主義者の宗教的動機に基づく航空機による自爆テロが、60年前の大日本帝国による真珠湾に対する航空機による奇襲攻撃や神風特攻隊と重複したからだと思われる。

     なお、ジャーナリストの立花隆氏は、9・11テロに結び付くイスラム原理主義者の自爆テロは、元をたどれば、日本赤軍が中東地域で行った自爆テロをイスラム教徒が見たことがきっかけであるとしている。

     さらに、9・11テロでは、早朝の大都市で複数の公共交通機関を使用した同時多発のテロが行われたが、その形態が地下鉄サリン事件の形態と酷似していることから、そこから影響を受けた可能性も指摘されており、大日本帝国の対米戦争も合わせて、9・11テロに対する日本の影響が指摘されている。


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

雛型理論とシンクロニシティ

  • 14.大本・出口王仁三郎のスピリチュアリティ:雛型経綸説

     大本の教祖の出口王仁三郎は、「大本に起こったことが日本に起こり、世界に起こる」と主張した。いわば自己の教団が日本・世界の雛型であるということで、大本ではこれを雛型経綸(ひながたけいりん)と言う。

     実際に、下記の通り、偶然にも大本に起こったことが、その6年後の同じ日に日本で起こったようにも見える事例があることが主張されている。

    S.9年7月22日:東京九段の軍人会館で昭和神聖会を発足。この時の副総裁は日本右翼運動の創始者、内田良平。以後大本は急速に右翼化。
     ↓
    S.15年7月22日:東京九段の軍人会館で近衛内閣が組閣される。陸相の東条英機が大政翼賛会を発足。以後、日本は急速に右翼化。

    S.10年12月8日:武装警察隊が、松江の宍道湖(しんじこ)近くに滞在していた王仁三郎を奇襲、検挙する。
     ↓
    S.16年12月8日:海軍の航空隊がハワイの真珠湾(しんじゅわん)に停泊中の、アメリカ太平洋艦隊に奇襲攻撃をする。

    S.11年4月18日:綾部・亀岡の聖地所有権が町に移され、ダイナマイト 1500 発にて全国の大本関連施設が破壊され、瓦礫と化した。
     ↓
    S.17年4月18日:米軍機が東京・名古屋・神戸等の本土上空を空襲、爆撃によって日本の各所が廃虚と化した。

    S.20年9月8日:大審院にて大本は無罪となる。王仁三郎は国に対する賠償請求を放棄。
     ↓
    S.26年9月8日:サンフランシスコ講和条約が結ばれ、太平洋戦争が終結。戦後連合国は日本に対し、賠償を一切放棄した。

    さらに、王仁三郎が投獄されていた期間は、昭和10年12月8日~昭和17年8月7日、6年8ヶ月(2435日 閏年2回)であるが、日本が連合国の占領下にあった期間も、昭和20年 8月27日~昭和27年4月27日、6年8ヶ月(2435日 閏年2回)である。

     また、出口王仁三郎は、日本の領土が、地理的・形状的にも世界の雛形であるとも主張した。こうして、部分が全体の縮図であり、逆に言えば、全体が部分に凝縮されるという思想は、科学的理論では、フラクタル理論というものがある。フラクタル理論とは、自然界には、全体と部分の形が似ているという自己相似性があるという数学理論であり、はじめは物理、化学、地理学などの形状解析に導入された。雲の形、山の起伏、動植物の組織など一見複雑な形でも、その一部分を拡大すると、元の図形と同じになる自己相似性を持つものが多い。このような図形を「フラクタル図形」とよぶ。場合によっては、天体の形状に関しても利用されるが、太陽の周りを回る惑星や、惑星の周りを回る衛星の様相が、ミクロの世界である原子核の周りをまわる電子の様相と似ていることもフラクタルな現象かもしれない。

    ※参考文献
    https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB%E7%90%86%E8%AB%96-620758
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB

     大乗仏典にも、「一(いち)即(そく)一切(いっさい)」「一切(いっさい)即一(そくいち)」と説いて、一部が全体と、全体が一部と密接不可分であると説く思想がある。しかし、これらは、あくまでも自然界の形状に関するものであったり、抽象的な宗教教義であったりするので、人間の集団である教団と国家がシンクロするという出口の主張の根拠となるものではなく、出口の主張はあくまでもスピリチュアルなものである。

     しかしながら、同時代の小さな人間の集団と、それを包む大きな人間の集団の類似性があることは容易に予想されるから、全く意味のない理論とはいえないだろうし、心理学者カール・ユングが提唱したシンクロニシティ現象(意味のある偶然の一致)の一環ということもできるかもしれない。


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》


    ※編集者注
     
    大本教祖の出口王仁三郎が「大本に起こったことが日本に起こり、世界に起こる」と述べ、実際に起きていった事実については上記の通りだが、大本教の信者だった岡本天明(1897~1963年:「日月神示」を自動書記したことで知られる)および同人が代表者を務めた「ひかり教会」に起きたことが、60年周期で上祐や「ひかりの輪」にも起きており、両者・両団体に様々な点でシンクロ現象が起きているように見えるという説もある。
     具体的には、
    ①「ひかり教会」が発足した1947年からちょうど60年後の2007年に「ひかりの輪」が発足した(なお、入れ替わるように2007年に「ひかり教会」は解散した)、
    ②両団体の名称の主要部分(ひかり)が一致している、
    ③岡本が神示を得たとして自動書記を始めたのは1944年「6月10日」だが、上祐がオウム・アレフから脱却するきっかけとなった「七重の虹」体験は約60年後の2002年「6月10日」に起きた、
    ④岡本も上祐も大きな心境の変化を得るきっかけは京都・広隆寺の弥勒菩薩像の前で得た(岡本はレプリカの仏像、上祐は本物の仏像の前で)、
    ⑤岡本は東京都渋谷区の鳩森八幡神社の神職をしていたが、上祐もすぐ近くに居住し鳩森小学校に通っていた(なお、ひかりの輪副代表の広末も同神社のすぐ近くに一時居住していた)、
    ⑥岡本が説いたり体験したりした内容は、上祐のそれと共通点が少なくない(一元思想など)、
    など、他にも多くのシンクロ現象と見られる出来事があるが、詳細は別の機会に譲る。

  • 15.オウムと大日本帝国のシンクロニシティ

     こうした視点からは、オウム真理教が大日本帝国とシンクロしているという見方ができなくはない。そもそも、私が、麻原・オウム真理教からの脱却・反省・総括の過程で気づいたことが、麻原・オウム真理教と大日本帝国の類似性であった。共に宗教的思想を教団・国家の中心とし、神の教団・国家として、反米的な活動・対米戦争を行った。

     それに加えて、麻原の重要な教義のハルマゲドン予言自体が、大日本帝国の歴史と60年周期で重複する事実があったのである。このことはオウム時代の反省・総括を著した拙著『オウム事件17年目の告白』でも述べたとおりである。

     1997年:日米決戦のハルマゲドン →1937年に日華事変、日米対立が激化
     2001年:日米決戦のハルマゲドン →1941年に太平洋戦争開戦
     2006年:2006年までに広島に核が落ちる →1945年に広島原爆投下

     また、麻原・オウムの活動の経緯が、大日本帝国の歴史の縮図のような様相も呈している。オウム真理教の1年を日本の10年として見ると、類似点があるようにも見える。

     1986年前後:オウム神仙の会の設立 →1868年:明治維新
     1989年:宗教法人オウム真理教の設立 →1890年大日本帝国憲法の施行
     1989年:坂本弁護士事件=最初の重大事件 →1894年の日清戦争
     1990年:国土法事件=第二の重大事件 →1904年日露戦争
     1993年:教団武装化の本格化 →1930年代の大陸進出の本格化(満州事変・日中戦争)
     1994・95年:松本・地下鉄サリン事件 →1940年代の対米戦争


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 16.オウムと世界のシンクロニシティ

    (1)オウム事件と6年後のイスラムテロの連鎖

     こうした中で、以下の通り、オウムとその後のアレフに関しても、約6年の間隔で、類似した世界的な現象にシンクロしている(拡大投影されている)とも見える現象がある。それは、地下鉄サリン事件が、911テロに連鎖・シンクロして、対テロ戦争に発展したのではないかというものである。

     1995年:地下鉄サリン事件→幹部逮捕・宗教法人解散請求・破防法適用申請
     →6年後:2001年:9・11テロ、有志連合がアフガニスタンに侵攻

     この二つの事件の関連性に関しては、著名なジャーナリストの故立花隆氏などの識者が、地下鉄サリン事件が9・11テロに連鎖したことを指摘している。双方とも、反米思想を持った原理主義的な宗教集団が、大都市で早朝に、複数の公共交通機関を使って起こした同時多発テロである等の共通点があるからだ。


    (2)ロシアのアレフ事件の6年後のロシアのウクライナ侵攻の連鎖

     2016年に、ロシア当局がロシアのアレフ教団の信者を拘束、刑事事件で摘発し、禁教とすると、ロシア連邦最高裁が、オウム・アレフをテロ組織と認定し、国内活動を全面的に禁止している。そして、そのちょうど6年後の2022年に、ロシアのプーチン政権がウクライナに侵攻している。

     ロシア当局によるアレフの摘発と、ロシア政府によるウクライナ侵攻には、直接的な関係はもちろんない。しかしながら、宗教学者の島田裕巳氏によれば、オウム(アレフ)のロシアでの活動が、ロシアのウクライナ侵攻の遠因の一つといえなくもないという。ロシアでも勢力を伸ばしたオウムがサリン事件を起こしたことなどが、プーチン政権が外国宗教への寛大さを弱めて、ロシア正教に特化する流れをつくる一つの要因となったからである。

     なぜこれが重要かというと、ロシアのウクライナ侵攻は、9・11テロと同質の宗教戦争の側面があるからである。具体的には、歴史的に、ロシア正教の(モスクワの)指導下にあって、東方正教会の仲間であったウクライナ正教が、ロシア正教から離れて西欧キリスト教会に近づくことへの宗教的な動機の怒り・怨念が、戦争の一因という見解である。

     ロシア正教は、プーチン氏をチーフ・エクソシスト(筆頭悪魔祓い師)に任命し、戦争を全面的に支持し、国民に「死を恐れずに国のために戦え」と説いた。こうして、9・11テロと同様に宗教戦争の意味があるというのである。こうして宗教を中心とした異なる文化圏の間の衝突(「文明の衝突」論)は、オウム事件直後の1996年に、冷戦後の世界の紛争の性質として発表され、主にイスラム文化圏・中華文化圏が西欧文化圏に挑戦・対立するとされたが、東方正教文化圏も取り上げられたことがある。

     もちろん、実際には、ロシアへの影響は、オウムの影響よりもイスラム勢力のテロやチェチェン紛争の方がはるかに大きいだろう。また、ロシア正教重視の姿勢の原因には、拡大する様子を見せた西欧・EU・NATO諸国と、そのキリスト教勢力への反発・対抗という意味もあるだろう。

     ただし、イスラムのテロと対テロ戦争自体が、オウムのサリン事件が連鎖した9・11テロを契機に激化し、その後に欧州やロシアにイスラムテロが起こったという前後関係を考えれば、オウムとイスラムや同年代の宗教テロリズムは、ソ連崩壊後に世界規模で生じた原理主義的な宗教テロリズムとして一括りにできるかもしれない。それと、ロシアのウクライナ侵攻が、同質の反欧米的な宗教戦争だという見解である。

    ※参考文献:ロシアのウクライナ侵攻は宗教戦争
    https://www.asahi.com/articles/ASQCL3QB9QC1UCVL01Z.html
    https://diamond.jp/articles/-/299578
    https://diamond.jp/articles/-/299767
    https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220824/se1/00m/020/001000d
    https://www.sankei.com/article/20230222-G7NAFMLWTJOEPJXDRK4ANXLIEM/
    https://dot.asahi.com/aera/2022041900018.html?page=1
    https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20220323-00287889
    https://shimbun.kosei-shuppan.co.jp/news/55220/
    https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/10/post-99972.php


    (3)アレフと国との間の対立激化と、その6年後に予見されている大国間紛争の激化の連鎖

     さらに、被害者賠償金の支払いに消極的になったアレフに対して、被害者団体が支払いを求める裁判を2018年に起こした結果、アレフは2022年頃から資産隠しを始め、2023~2024年にかけて、国がアレフに活動の大幅な規制(再発防止処分)を始め、アレフと国・被害者団体との間での対立が深刻化したのだが、ちょうどその6年後の2030年に大国間の紛争が激化することをインド占星学の最高権威が予見していることも、6年間隔で広がる紛争の雛型的なシンクロニシティの見方と奇妙に一致している。



    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より(一部改訂)》

  • 17.60年周期説の背景となった文化や社会構造

     60年周期説には、いろいろな背景がいわれている。そもそも日本・中国の文化には、干支60年の伝統文化がある。また、60年は明治などの近代の日本人の平均寿命に近い。よって、一世代を経て、過去と似た過ちと成功を繰り返すのではないかという説もある。

     なお、干支60年は、古来中国において、木星の公転周期が約12年であることが知られており(正確には11.86155年)、古代中国の天球分割法である「十二次」を司る最も尊い星として「歳(さい)星(せい)」と呼ばれていたことと関係があるという説もある。12の倍数が60であるからだ。古代バビロニアでも、木星は神マルドゥクと同一視され、木星の黄道に沿う約12年の周期を用いて黄道十二星座の各星座を定めていた。こうして、12は占星学の基本数になっている(※下記参考文献10)。また、前述の120年周期説も、まさに12の倍数である。

     また、木星に次いで太陽系の中で大きな惑星の土星は、公転周期が約30年(正確には29.53216年)であり、木星の12年と土星の30年の最小公倍数が、60年であることが関係しているという説もある。一部の占星学では、木星と土星という太陽系の中の最大の惑星の影響を重視する思想がある。なお、一部には60年周期説の半分の30年周期説や、80年周期説の半分の40年周期説を主張する人もいる。

     なお、中国には「中国が2020年にひどい目に遭うのは天命だ」という説があるという(※下記参考文献11)。2020年は干支60年の中の庚子(かのえね)の年であり、庚子の年には、中国には大乱が起こるという。具体的に庚子の年の中国に、過去に何があったかというと、以下の通りである。

     1840年 アヘン戦争(イギリスにひどい目に遭わされた)
     1900年 列強8カ国による北京進撃(列強にひどい目に遭わされた)
     1960年 毛沢東の大躍進運動による大飢饉(毛沢東にひどい目に遭わされた)
     2020年 新型コロナのパンデミックの武漢での発生、及び大洪水

    ※参考文献10:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%98%9F
    ※参考文献11:https://money1.jp/archives/18612


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 18.複数の周期説は波のように重なり合うという考え

     ここで80年や60年といった複数の周期があるのは、矛盾ではないかという見方があるかもしれない。しかし、この周期説は、定期的に繰り返される波と同じように考えることができて、物理的な波と同じように、複数の波を総合して見ることができるのではないかという考え方がある。

     すなわち、2つの異なる周期の波がある場合は、その両者の波が共に高くなったり低くなったりする時を「両者の波が共振する」というが、その時は、波はいっそう高くなったり低くなったりする。よって、共振する時は、現象がより明確に起き、逆に両者の波が相反する時は、現象は不明確になると考えるのである。

     そして、物理的な波だけではなく、経済学の分野でも、好景気・不景気の周期的な循環が複数あるとされている。古典的な景気循環論として、キチン循環(40カ月)、ジュグラー循環(10年)、クズネッツ循環(20年)、コンドラチェフ循環(50年)という4つの周期的な循環があるとされ、ここでも循環は「波」とも呼ばれる(※下記参考文献12)。

    ※参考文献12:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E6%B0%97%E5%BE%AA%E7%92%B0


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

周期説としての占星学

  • 19.インド占星学の予見とパンデミックや今後の戦争

     シンクロニシティの存在は別にして、それを前提とするならば、占星学は、統計学的な色彩を持つことになる。占星学が社会的に高く評価されているインドでは、インド占星学(ジョーティシュ占星学)の大学、教授、学会誌などがあり(※下記参考文献13)、統計学的な手法で研究されている。

     そして、インド占星学の最高権威のK・N・ラオ氏が、2013年に「2020年にインドは東京五輪には行けないだろう」と予言したことや(※下記参考文献14)、インドの14才の天才少年アビギャ・アナンド君が、2019年に「2019年末から2020年前半にかけてウイルスパンデミックが起こる」と予言したことが(※下記参考文献15)、予言が的中したのではないかと一部で注目を集めた。

     そこで、私の方で厳密に検証してみると、当たっている部分とそうでない部分の双方があった。ラオ氏の予言に関しては、五輪に行けない原因が、国際的な緊張とされており、また、インドが五輪に行けないとしているが、五輪自体の延期には言及がなかった。

     また、アビギャ・アナンド君の予言は、パンデミックの発生時期は的中したように思われるが、終息の時期を、2020年5月末から7月と予言していた。しかし、現実は、その時点では、インドを含めた世界全体で依然として拡大・再拡大していたので、的中しなかったと判断するべきだろう。

     今後に関しては、ラオ氏が、2025年頃から大国間紛争が起こり、2030年にそれがピークに達する可能性があるとし(※下記参考文献14)、アナンド君は、2029年から2032年に第三次世界大戦が勃発する可能性が高いという予見を発表している(※下記参考文献16)。

     なお、誤解がないように強調しておくが、両者とも大国間の紛争の可能性を予見してはいるが、ラオ氏が強調するように、いわゆるハルマゲドン・人類の終末は明確に否定している。すなわち、あくまでも部分的な破壊である。

     しかし、ロシアのウクライナ戦争が勃発して、核使用の危機も言われ、さらには、中台紛争の可能性が言われるようになった今日の現実の情勢を見れば、これはもはや占星学の話ではない。最近の報道では、米軍司令官が、2025年に中国の戦争が始まることを直感し、その準備を指示したという事実が報道されてもいる(※下記参考文献17)。

     すなわち、こうした予見が的中することがないように、現実に全力を尽くさなければならない状況であることはいうまでもない。そして、そもそもインド占星学は、運命決定論では決してなく、その予見に基づいて、悪いことは起こらないように努めるべきものであると解釈されている。

    ※参考文献13:インド占星学の学会誌HP:http://www.jyotishajournal.com/
    ※参考文献14:
    https://ジョーティシュ.com/current/india-not-participate-in-tokyo-olympic
    ※参考文献15:https://tocana.jp/2020/04/post_151308_entry.html
    ※参考文献16:https://yorozoonews.jp/article/14595554
    ※参考文献17:https://www.afpbb.com/articles/-/3448875


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • 20.終末を否定して希望ある未来を展望する占星学の未来観

     さて、占星学にも、歳差運動の25800年周期に基づく周期説がある。これは、天球上の春分点にある星座に基づくシンクロニシティの周期説である。今現在は、春分点に位置する星座は、魚座であり、魚座の特徴とシンクロした人類の文明となっているが、間もなく水瓶座に変わるので、人類の文明も変わるという。

     その結果は、一部の精神世界が主張する終末・ハルマゲドンなどとは異なって、人類は黄金時代を迎えるというものである。そして、この水瓶座の新時代・ニューエイジの到来を期待する精神世界の潮流が、ニューエイジ・ムーブメントと呼ばれている。

     なお、一説によれば、水瓶座の時代が本格的に到来するのは、24~25世紀とされているが、それは800年周期説において、21世紀から始まる東洋(ないし東経135度線上)を中心とした文明の絶頂期と、偶然にもほぼ時期が重なる。

     なお、地球の歳差運動が2万5800年であり、天球には12星座があるので、一つの星座の期間は、だいたい2000年ほどとなる。現在の魚座時代は、ちょうど紀元前後に始まったとされる(キリスト教の時代とシンクロ)。各時代の間には、明確な境界線はなく移行期があり、20世紀末から21世紀に、次の水瓶座の時代の影響が現れ始めて、24世紀ごろまでに完全に水瓶座の時代となるという説がある(※付記1参照)。

     なお、最近流行った盲説として、マヤ歴が終焉する2012年頃に、人類がフォトンベルトなるものに突入して大破局・終末と意識次元の上昇(アセンション)が起こるというものがあった。この説は、歳差運動の周期にあたる2万6000年弱の周期を説きながら、それを太陽系の銀河の公転周期と取り違えるという間違いを犯したため、科学的には全く不合理な説となっていたが、一部の人の間でそのまま広まってしまったようである(※付記2参照)。

     なお、初めて米国に定着してヨーガを広めたヨーガ行者であるパラマハンサ・ヨガナンダの師匠である、高名なスリ・ユクテスワも、インド占星学を扱い、天体運動に基づく計算から、人類文明の2万4000年ほどの周期説に基づいて、人類社会の未来を予見したことで知られる(その科学的な根拠はよく理解できないが、事実上、歳差運動とつながっていると私は理解している)。

     そのスリ・ユクテスワの人類文明には、1万2000年の上昇期と1万2000年の下降期があるとするが、今は上昇期であり、さらには終末や崩壊にはほど遠く、そのような心配は全くないという(※付記3、パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』(森北出版)、スワミ・スリ・ユクテスワ『聖なる科学』(森北出版))。

    ※付記1:春分点にある星座

     春分点とは、天球において、黄道(太陽の見かけの通り道)と天の赤道との2つの交点のうち、黄道が、南から北へ交わる方の点=昇交点のことであり、この点を太陽が通過する瞬間が、春分となる。この春分点の位置は、地球の歳差運動によって西向きに移動し、その周期は、約2万5800年である。そして、春分点の存する星座がその時代(1つの星座で約2千年)を象徴するという説がある。
     春分点は、紀元後1世紀から20世紀までは「うお座」にあり、20世紀末ごろに「みずがめ座」に入ったとか、現在移行中という説がある。うお座の時代の次は「水瓶座の時代 (the age of Aquarius)」と呼ばれ、変革を象徴しているなどと考えられ、何らかの世界的変革があると主張される。実際に春分点が「みずがめ座」に入り込むのは、500年以上後のことである。
     なお、十二宮と違って、星座の領域は不均等なので、「~座の時代」の期間は、2000年とは限らない。なお、カール・ユングは、独自の計算で水瓶座の時代の影響の開始を1997年としたという。

    ※付記2:2012年のフォトンベルト・マヤ歴終焉に伴う終末説の盲説

     この説は、地球が太陽とともに公転する銀河系には、それを横断するフォトンベルトという帯状の領域が存在し、公転周期が2万数千年であるから、その半分の1万数千年に1度の周期で、それに入ると主張した。しかし、太陽系がある銀河系の公転周期は、実際は10億年程度であって、科学的に全く間違っている。恐らくは、地球の地軸の歳差運動と、太陽系がある銀河系の公転運動を、取り違えてしまったと思われるが、それに気づかない一部の人たちが妄信してブームとなった。

    ※付記3:スリ・ユクテスワの人類文明の2万4000年周期説

     スリ・ユクテスワの人類文明の周期説は、1万2000年の上昇期と1万2000年の下降期によって構成され、より詳しくは以下の4つの期間に分かれているという。

    ①カリ・ユガ=鉄の時代:西暦500年~1700年の1200年
     唯物主義
    ②ドワパラ・ユガ=青銅の時代:西暦1700年~4100年の2400年
     電気と原子力の発達=空間を克服する技術
    ③トレータ・ユガ=銀の時代:西暦4100年~7700年の3600年
     精神感応の能力発達=時間を克服する技術
    ④サティヤ・ユガ=黄金の時代:西暦7700年~12500年の4800年
     高度な知性・神のみ心にかなった行動

     なお、上記の周期は歳差運動に近いものの、ユクテスワは(天文学が未発達な時代に生きたためか)太陽系が天体Xの周りを公転していると想定して、その周期と考えた。

     また、終末思想のインド聖典の「カリ・ユガ」は上記の周期のものとは異なり、それよりはるかに大規模な43億56万年周期のものであり(聖書の創造のみわざの1日)、宇宙の寿命は314兆1590億年であって、これがブラッマの一時代となる。よって、地球にまだ多くの上昇・下降の周期を繰り返す寿命が残っており、まだ崩壊する時期には来ていないという。
    (※参考文献 パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』(森北出版)、スワミ・スリ・ユクテスワ『聖なる科学』(森北出版))


    《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

  • インド占星学:その鑑定カウンセリングと貴石によるレメディ(開運法)


    1 インド占星学とは

    インド占星学は、インドに伝わる占星学であり、別名をジョーティッシュと言います。インド本国の他、ネパールやチベットなど周辺の地域でも行われています。

    そして、インドにおけるインド占星学の社会的な評価は極めて高く、大学学部、教授、学会、学会誌が存在します。日本での占いの社会的な位置づけとは大きく異なります。

    そして、インド占星学の最高権威とされるKNラオ氏などによって、科学的・統計学的な研究によっても、その確からしさを検証する試みが行われています。

    インド占星学学会誌のHPとその編集委員会の教授の方々については、こちらでご覧いただけます。

    https://www.jyotishajournal.com/

    もとは、白道上の月の位置に着目したナクシャトラ(白道二十七宿)を用いたインド土着の占星術でしたが、ヘレニズム時代にギリシアの占星術を取り入れ、ナクシャトラと黄道十二宮を併用した形になり、現在の形のインド占星学となったといわれています。

    また仏教に取り入れられたものは、『宿曜経』 にまとめられ、密教の一部として中国に伝えられ、平安時代には弘法大師によって日本にも伝えられて、宿曜道となりました。


    2 インド占星学の精度の高さ

     最近になって、インド占星学の精度の高さは、日本でも知られるようになりましたが、西洋占星術と比較しても非常に精度が高いと評価されています。例えば、西洋占星術家でもあるイングリッド・ノイマン博士は、「インド占星学の精度の高さは、西洋占星術には匹敵するものがないほどである」と語っています。

     また、米国ヴェーディックアストロロジー協会・初代会長のフローリー博士も、インド占星学の第一人者であるK・N・ラオ氏が、イングリッド・ノイマン博士のチャートを見るだけで、「その性格や両親の特徴を含め、これまでの人生について実に驚くべき詳細さで言い当てることができた」と語り、感嘆しています。

    ※参考資料: KNラオ氏などのインド占星学の関連書籍のご紹介


    3 インド占星学が鑑定・カウンセリングできること

     インド占星学は、実に多様なテーマについて鑑定することができます。例えば、

    ① 基本的な鑑定 :あなたとあなたの人生の基本的な特徴

    ② テーマ別の鑑定 :あなたの下記のような、さまざまなテーマに関する鑑定

    『身体・健康・病気  精神的な特徴・意志・学習  結婚・婚期・配偶者
     家族 子供 対人関係 友人関係 仕事 名誉 地位・権力 解脱・悟り』

    ③ 未来鑑定(時期別鑑定):あなたの特定の時期の特徴。あなたの今後の人生の特徴

    ④ 親族関係(あなたの親族の特徴)や相性鑑定(あなたと相手の相性)

    4 インド占星学と出生時刻

    インド占星学は非常に精密な占星学で、その鑑定には、まず、あなたが生まれた生年月日に加えて、その時刻が詳しくわかっているほど、正確に鑑定することができます。

    ですから、母子手帳などを見て、出生年月日時刻を調べておくとよいでしょう。

    なお、どうしても正確な時刻の記録がない場合は、あなたの人生の経緯をお聴きして、インド占星学の技法を使い、時刻を推定することもできます。

    syussei.jpg



    5.鑑定に基づくレメディ(開運法)

    インド占星学では、鑑定で示される運命は絶対的なものではなく、改善することができるものだと考えています。では、どのようにしたら、運命を変えることができるのでしょうか?

    インド占星学を熟知する高名なヨーガ指導者であるスワミ・ユクテスワ師は、次のように語っています。

    「いっさいの人間苦は、宇宙法則に対して、何らかの違反を犯したことから生ずる。人間は神の全能を信ずると同時に、自然法則をも満足させなければならないと聖典は指摘している。

    だから人間は、苦難に直面したときはいつも、『神よ、私はあなたを信じます。あなたは私をどんな苦難からも助けてくださることができます。しかし私もまた、自分の犯した過ちを償うために最善を尽くします』と言わなければならない。

    過去の過ちがもたらす悪い結果は、いろいろな方法によって――すなわち、祈りによって、意志の力によって、ヨガの瞑想によって、聖者の助けを借りることによって、また、星学の腕輪をはめることによって――最小限にくい止めたり、あるいはまた、全く避けることもできるのだ。(パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝」森北出版)』

    こうして、インド占星学は、インドのヨーガの修行に付随するものであるために、その修行によって、開運を図ることが第一となります。しかしながら、ヨーガの修行を進めていくには一定の時間もかかり、日本人の一般の方には、馴染みにくいものです。

    そこで、師の言葉の中にある星学の腕輪を含めて、あなたの良い要素を引き出し、悪い要素を弱める効果を持った何らかの守護物を身につけることがあります。

    この点について、師は、以下のように詳しく述べています。

    「家を、避雷針によって落雷の危険から守ることができるように、人間の肉体も、いろいろな方法によって、外的影響から守ることができる。

     宇宙には、いろいろな電気的あるいは磁気的放射線が、たえず循環しており、それらは人体に良い影響や悪い影響を与えている。

    大昔、われわれの聖賢たちは、人間が、それらの宇宙から来る霊妙な悪い影響力を征服するにはどうすればよいかという問題に取り組んだ。そしてついに、純粋な金属から発散している霊的放射線が、星の陰性の引力を強く打ち消す力をもっていることを発見した。また、ある種の植物を組み合わせても同様の効果があることや、2カラット以上の無傷の宝石が特に有効であることも知った。(中略)

    また、ほとんど知られていないことだが、どんなに適当な宝石や金属や植物を用いても、それが必要な重量を持たない場合、また、直接肌に密着させていない場合には効果がない。(パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』森北出版)」

    この思想に基づいたインド占星学の開運法が、あなたの良い要素を引き出すと思われる貴石を用いるものです。

    望ましい種類の貴石は、人によって違い、インド占星学の教義に基づいて、厳密に鑑定して選択します。場合によっては、複数の貴石のミックスとなる場合もあります。

    そして、師の言葉にあるとおり、それは肌に直接身につける必要があります。

    そこで、ひかりの輪では、仏の象徴とされている「数珠」の形の貴石を用いて、ブレスレット、ネックレス、レッグバンドなどを作って(貴石数珠ブレス)、ご希望の方にお渡しています。


    6 貴石数珠ブレスの選定と授与

    ひかりの輪では、以下のような形で授与を行っています。

    (1) 貴石を個別に選定

    希望された方には、その方のインド占星学上の鑑定用のチャート(誕生日の年月日時刻における特定の星の天球上の配置を示した図)を作成し、インド占星学の伝統の教義・思想に基づいて、その人に合った貴石を慎重に選定します。人によって、選ばれる貴石が1種類の場合もあれば、複数となる場合もあります。

    一方、巷では、その人の願望や、その人の誕生月によって、身に着けるに望ましい貴石が決めたりしていますが、インド占星学の立場から見ると、それはほとんどでたらめに近いものです。インド占星学では、その人だけの個人のチャートに基づいて、時間をかけて緻密な検討に基づいて選定します。


    (2)ご希望のタイプを選択
              
    貴石の選定が終わると、以下のご希望のタイプに応じて作成します。

    可能なタイプとしては、①ブレスレット型(片腕ないし両腕 ②ネックレス型があります。

    細かなご希望のある方は、ご希望をお聞きしながらの制作が可能です。

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    7 数珠ブレスの浄め方について

     定期的に、以下のように浄めるようにして、清浄な状態を保つようにすることをお勧めします。

    ① 流水など水で浄める。
    ② お香で薫陶する。
    ③ 太陽の光に当てる。


    ●鑑定カウンセリングの料金

    ・一般鑑定:35000円
    ・特別鑑定:50000円

    ※特別鑑定に関して

    インド占星学は、一つの鑑定(出生)チャートではなく、それから発生した合計なんと16枚の鑑定チャート、及びその時々の運勢を知るためのダシャー・トランジットによる鑑定を行うのが、最も完全と言われています。特別鑑定は、事前に相当な時間をかけて、これらを鑑定を網羅的に行った上でその鑑定結果を報告します(しかし、相当な時間を要するため、インドでも近年一般には余り行われることがなくなったと言います)。

    ※鑑定に必要な情報

    ①生年月日 ②出生場所 ③出生時間

    ご注意:出生時間がわからない場合は、鑑定の前に時間調整の作業が必要となるため、鑑定料とは別に1万円必要となります。

    ※面接鑑定・カウンセリング時間:1時間~1時間半

    鑑定者は事前に鑑定チャート等を作成して鑑定を行なって準備し、その結果をもって、クライアントの方と直接(ないしビデオ通話などで)面接しながら、鑑定を完成させて、鑑定結果を伝えたり、クライアントの方のご質問に答えたりしながら、カウンセリングを行います。

    ●貴石数珠ブレスの価格:数千円~数万円 
    貴石によってお値段が変わるため、ご希望の際にはご相談ください。

    ◆お申込み・お問い合わせ先

    ひかりの輪・東京担当:細川美香
    担当者携帯電話:080ー2273-3588
    メールアドレス:tokyo@hikarinowa.net

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