周期説
ひかりの輪で紹介している社会学的・歴史学的・経済学的・自然科学的な各種の周期説や占星学の周期思想をご紹介しています

雛型理論とシンクロニシティ

14.大本・出口王仁三郎のスピリチュアリティ:雛型経綸説

 大本の教祖の出口王仁三郎は、「大本に起こったことが日本に起こり、世界に起こる」と主張した。いわば自己の教団が日本・世界の雛型であるということで、大本ではこれを雛型経綸(ひながたけいりん)と言う。

 実際に、下記の通り、偶然にも大本に起こったことが、その6年後の同じ日に日本で起こったようにも見える事例があることが主張されている。

S.9年7月22日:東京九段の軍人会館で昭和神聖会を発足。この時の副総裁は日本右翼運動の創始者、内田良平。以後大本は急速に右翼化。
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S.15年7月22日:東京九段の軍人会館で近衛内閣が組閣される。陸相の東条英機が大政翼賛会を発足。以後、日本は急速に右翼化。

S.10年12月8日:武装警察隊が、松江の宍道湖(しんじこ)近くに滞在していた王仁三郎を奇襲、検挙する。
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S.16年12月8日:海軍の航空隊がハワイの真珠湾(しんじゅわん)に停泊中の、アメリカ太平洋艦隊に奇襲攻撃をする。

S.11年4月18日:綾部・亀岡の聖地所有権が町に移され、ダイナマイト 1500 発にて全国の大本関連施設が破壊され、瓦礫と化した。
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S.17年4月18日:米軍機が東京・名古屋・神戸等の本土上空を空襲、爆撃によって日本の各所が廃虚と化した。

S.20年9月8日:大審院にて大本は無罪となる。王仁三郎は国に対する賠償請求を放棄。
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S.26年9月8日:サンフランシスコ講和条約が結ばれ、太平洋戦争が終結。戦後連合国は日本に対し、賠償を一切放棄した。

さらに、王仁三郎が投獄されていた期間は、昭和10年12月8日~昭和17年8月7日、6年8ヶ月(2435日 閏年2回)であるが、日本が連合国の占領下にあった期間も、昭和20年 8月27日~昭和27年4月27日、6年8ヶ月(2435日 閏年2回)である。

 また、出口王仁三郎は、日本の領土が、地理的・形状的にも世界の雛形であるとも主張した。こうして、部分が全体の縮図であり、逆に言えば、全体が部分に凝縮されるという思想は、科学的理論では、フラクタル理論というものがある。フラクタル理論とは、自然界には、全体と部分の形が似ているという自己相似性があるという数学理論であり、はじめは物理、化学、地理学などの形状解析に導入された。雲の形、山の起伏、動植物の組織など一見複雑な形でも、その一部分を拡大すると、元の図形と同じになる自己相似性を持つものが多い。このような図形を「フラクタル図形」とよぶ。場合によっては、天体の形状に関しても利用されるが、太陽の周りを回る惑星や、惑星の周りを回る衛星の様相が、ミクロの世界である原子核の周りをまわる電子の様相と似ていることもフラクタルな現象かもしれない。

※参考文献
https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB%E7%90%86%E8%AB%96-620758
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB

 大乗仏典にも、「一(いち)即(そく)一切(いっさい)」「一切(いっさい)即一(そくいち)」と説いて、一部が全体と、全体が一部と密接不可分であると説く思想がある。しかし、これらは、あくまでも自然界の形状に関するものであったり、抽象的な宗教教義であったりするので、人間の集団である教団と国家がシンクロするという出口の主張の根拠となるものではなく、出口の主張はあくまでもスピリチュアルなものである。

 しかしながら、同時代の小さな人間の集団と、それを包む大きな人間の集団の類似性があることは容易に予想されるから、全く意味のない理論とはいえないだろうし、心理学者カール・ユングが提唱したシンクロニシティ現象(意味のある偶然の一致)の一環ということもできるかもしれない。


《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》


※編集者注
 
大本教祖の出口王仁三郎が「大本に起こったことが日本に起こり、世界に起こる」と述べ、実際に起きていった事実については上記の通りだが、大本教の信者だった岡本天明(1897~1963年:「日月神示」を自動書記したことで知られる)および同人が代表者を務めた「ひかり教会」に起きたことが、60年周期で上祐や「ひかりの輪」にも起きており、両者・両団体に様々な点でシンクロ現象が起きているように見えるという説もある。
 具体的には、
①「ひかり教会」が発足した1947年からちょうど60年後の2007年に「ひかりの輪」が発足した(なお、入れ替わるように2007年に「ひかり教会」は解散した)、
②両団体の名称の主要部分(ひかり)が一致している、
③岡本が神示を得たとして自動書記を始めたのは1944年「6月10日」だが、上祐がオウム・アレフから脱却するきっかけとなった「七重の虹」体験は約60年後の2002年「6月10日」に起きた、
④岡本も上祐も大きな心境の変化を得るきっかけは京都・広隆寺の弥勒菩薩像の前で得た(岡本はレプリカの仏像、上祐は本物の仏像の前で)、
⑤岡本は東京都渋谷区の鳩森八幡神社の神職をしていたが、上祐もすぐ近くに居住し鳩森小学校に通っていた(なお、ひかりの輪副代表の広末も同神社のすぐ近くに一時居住していた)、
⑥岡本が説いたり体験したりした内容は、上祐のそれと共通点が少なくない(一元思想など)、
など、他にも多くのシンクロ現象と見られる出来事があるが、詳細は別の機会に譲る。

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