4.日本仏教史の400年周期説と21世紀の仏教改革の展望
この400年周期説は、日本の仏教史にも当てはまるように見える。
そして、それは首都の変遷と連動しているようだ。
①西暦400年頃
この頃、朝鮮等を通して、日本に、私的に仏教が伝来したと思われる。中国では大乗仏教の翻訳・解釈が盛んになり、朝鮮に仏教が伝来したことが確認されている。
なお、公に、朝鮮の王から日本の天皇に仏教が伝来したのは、西暦500年代である(538年説と552年説があるが、百済の聖明王から日本の欽明天皇に仏教の公伝)。
そして、この400年頃と次の800年頃のちょうど中間点の600年前後に、聖徳太子などが仏教を国教として導入し、奈良を中心に、官製仏教がスタートする(594年に仏教の「三宝興隆の詔」を発し、604年に制定した十七条(じゅうしちじょう)憲法でも仏教信仰を推奨)。
②西暦800年頃
空海・最澄が中国・唐に入り(804年)、密教を学び、日本に伝えるという仏教改革が起こる。
同じころ、桓武天皇が、奈良から京都に都を移すが(平安京遷都)、その理由の一つとして、奈良の官製仏教(南都六宗)の僧侶が政治に口を出すことを嫌い、最澄・空海などを後援し、京都に新しい仏教の流れを作ろうとしたという説がある。
また、最澄が開いた比叡山天台宗や空海の高野山真言宗は、日本で初めての私的な仏教教団である(それまでは皆お役人の僧侶の官製仏教であった)。
③西暦1200年頃
鎌倉時代の始まりとともに、鎌倉を中心として、「鎌倉新仏教」と呼ばれる新たな仏教運動・仏教宗派がおこった。
戦争、疫病、飢餓が流行る中、末法思想が広がる中で、主なものとして、念仏で極楽浄土に往生できるという浄土信仰(浄土宗・開祖法然、浄土真宗・開祖親鸞、時宗〈踊念仏〉・開祖一遍)、座禅の修行を主とする禅宗(臨済宗・開祖栄西、曹洞宗・開祖道元)、南無妙法蓮華経を唱える日蓮宗(開祖日蓮)など。
特徴としては、民衆には実践が難しい従来の仏教ではなく、実践が容易であること(易(い)行(ぎょう))。
④西暦1600年前後
戦国時代から江戸幕府の開闢とともに、現在も残る檀家制度が導入され、日本人は(家族単位で)、何かの仏教宗派に属することが義務付けられ、寺院は、民衆の戸籍を作るなど、幕府の役所のような機能を持たされた。
努力なく信者が得られるため、これが後の仏教宗派の堕落・形骸化につながるとともに、役所のようなお寺に民衆の反発が生じ、明治時代になって、政府によって神道と仏教が分離されると、民衆による廃仏毀釈運動につながったという見方がある。
なお、この戦国時代から江戸時代にかけては、戦乱の世であったがゆえに、仏教思想が深く戦争・戦いと結びついた。上杉謙信は仏教の護法神である毘沙門天の化身を自称し、武田信玄は禅宗を実践し、織田信長と激しく戦った一向宗(浄土真宗)は、「戦いに死ねば浄土に行くことができる」として戦意を高め、天下を制した徳川家康は、浄土教の教えを「戦乱のない平和の世を作り、この世を浄土にする」と解釈して戦乱の世に立ち向かったという。
また、戦に用いる剣術の使い手である宮本武蔵や、幼馴染に高僧の沢庵和尚を持った柳生宗矩(やぎゅうむねのり)(将軍家指南役)などの兵法者が、仏教などの宗教思想と結びついて、剣(けん)禅(ぜん)一如(いちにょ)(剣術と仏教の禅定は一つの如し)、活人剣といった新たな思想を生み出すということもあった。
さて、こうして見ると、我々の生きる現在の西暦2000年代は、新たな仏教の変革の時とも考えられる。
そして、「死と再生」と言うように、何か新しいものが現れる時は、古いものが衰退していく現象があると思われる。
実際に、檀家制度や葬式仏教といった伝統宗派の仏教は、特に平成期以来、急速に衰退しており、向こう数十年で崩壊すると懸念する関係者もいるほどである。
また、伝統仏教宗派に基づいて20世紀に始まった、創価学会などの新興仏教教団も同様に、衰退・高齢化の様相を呈している。
この平成期に目立ち始めた伝統・新興双方の宗教の衰退傾向に輪をかけたのが、新型コロナパンデミックである。
疫病退散などの信仰を集めていた以前とは変わって、今回のパンデミックにおいては、人々の中に、「寺社が何もしてくれなかった」という認識が広まり、寺社離れが加速するのではないかと、多くの寺社の関係者が考えているという。
それに追い打ちをかけたのが、昨年2022年以来の旧統一教会批判から始まった宗教問題の再燃である。
統一教会に限らず、他の宗教団体へも批判が広がる中で、今年2023年に入ると、幸福の科学の大川隆法氏が早世し、オウム事件の賠償支払いを逃れるアレフ(旧オウム真理教)に対して、その活動を大幅に規制する再発防止処分が団体規制法の施行以来、初めて適用される事態に至った。
こうして、仏教に限らず宗教界全体において、歴史的な変革の時が訪れようとしているのではないかと思われる。
そうした中で、私が考える21世紀に役立つ新たな仏教思想の特徴としては、以下のような点がある。
①科学合理的であること
現代社会の科学重視の傾向に合わせて、迷信・妄信・狂信を排除した、科学合理的な思想であること。
その意味で、信じる宗教というよりも、実践する心理学・心理療法・人生哲学というべき仏祖釈迦牟尼の直説の初期仏教の思想への原点回帰をベースとして、それを現代的に再創造することが考えられる。
ただし、科学合理的ということは、現在の科学理論が証明も反証もしていない事柄の有無・是非は、今後の科学的な探究に任せるということであり、根拠もなく否定・肯定の双方をしないことである。
これは、従来の宗教思想の妄信を努めて避けることが大前提であるが、科学的な研究を待たずに、はなから盲目的に否定することも避けることが、自らの無知を自覚した、純粋に科学的で、謙虚な姿勢であると考える。
②資本主義競争社会に役立つこと
現在、中国のような政治的に共産主義体制の国ですら、経済面では、資本主義競争社会の体制であり、人類全体に広がっている。よって、今後の仏教思想の解釈は、その社会に生きる人々に役立つものを含むべきであると考える。
競争社会は、さまざまなストレス・心身の病気・問題行動、さらには人と人・国と国の対立の原因となっており、その癒しのために精神世界・宗教・その他を求める人も多くいるが、同時にその利点のために人類社会に広がっていることを踏まえて、理想としては、その弊害を解消しながらも、その利点を活かすことができるような思想であることが望ましい。
③戦争をなくすことを助ける思想であること
核兵器を大量に保有し、二つの世界大戦と冷戦を前世紀に経験した人類にとって、21世紀は、戦争回避が人類存続のための最重要課題である。
人類の歴史を見れば、聖書系の宗教に限らず、一部の仏教宗派を含めて、宗教が戦争を心理的に可能にする、ないしは後押しするために使われた事実が否めない。
その中で、今後の仏教思想は、戦争を抑制し、国際協調・世界連邦を望む人類社会を助けるような思想であるべきだ。
ひかりの輪は、仏教を宗教として信仰するのではなくて、その科学合理的・心理学的な生きる知恵の部分に関して学び実践し、研究発展させようとする学習教室であるが、その立場から、こうした仏教思想の改革の一翼を担いたいと考える。