周期説
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歴史学的な周期説

2.日本史の400年周期説

 歴史学者の酒井信彦氏(元東大史料編纂所教授)や中西輝(てる)政(まさ)氏(京大名誉教授)は、日本史の400年周期説を唱えている。

 まず、以下に、酒井信彦教授の見解を引用する。

今回は、私が一応専門としている日本の歴史の話をすることにしたい。私はかねてから、日本の歴史は大体400年という間隔で考えると、比較的理解しやすいのではないかと思っている。現在は、西暦でいって約2000年であるが、この2000年間を400年ずつに、五つに分けて見ることにするのである。それを現在から過去に遡る形でやってみよう。


 今から400年前と言えば西暦1600年頃、1600年はずばり関が原の戦いの年である。つまりこの直後に徳川幕府が開始され、それは長い戦国時代を豊臣秀吉が統一し、その事業を家康が継承して成立したものであった。その後の400年間は、江戸時代と明治維新以後が含まれている。歴史学で言うと、近世(江戸時代)と近代(明治から戦前まで)・現代(戦後)である。

 その400年前は、西暦1200年前後だから鎌倉幕府という武家政権が成立した時期である。この400年間は、鎌倉時代・南北朝時代・室町時代・織(しょく)豊(ほう)時代が含まれているが、歴史学では中世と呼ばれている。ただし織豊時代は普通近世に入れる。この期間は、朝廷や寺社などの勢力が衰え、武士による統一的な封建国家が生み出される過程である。


 更に400年前は、西暦800年頃になる。平安京への遷都が794年であるから、この400年間はすべて平安時代ということになる。一口に平安時代といっているが、平安時代は異常に長い期間であることが分かる。この中間、1000年前後が摂関政治の盛時で、紫式部が生きていた頃である。


 更にまた400年前は西暦400年前後で、近畿地方で巨大古墳が作られていた頃である。これらの古墳は皇室の祖先が作ったと考えられ、大和朝廷を成立させていた。この400年間のちょうど中間に居るのが聖徳太子であり、太子が摂政になったのが593年、法隆寺の創建が607年である。つまりこの400年間の後半の200年間、とくにその更に後半の100年間つまり8世紀に、日本の律令国家は急速なスピードで形成されたのである。


 平城京・平安京に先行する、日本における本格的な都城である藤原京への遷都が694年であって、平安遷都のちょうど100年前になる。この重要な100年間の中ごろに当たるのが、東大寺の大仏開眼で、752年のことである。

 大規模古墳の建設より400年遡れば、西暦すなわちキリスト紀元の始めに到達する。文字のなかった当時の日本では、正確な年次は伝わらないが、シナの歴史書によって、紀元57年に「(わの)(なの)国王(こくおう)」が後(ご)漢(かん)光(こう)武(ぶ)帝(てい)に使いを出して、印綬を受けたことが分かる。江戸時代に志賀(しか)島(のしま)から出土した金印が、その現物だとされている。

 この最初の400年の中間あたりに居るのが、例の卑弥呼である。卑弥呼は239年に、魏に使いを出している。その居住地である邪馬台国の所在が、九州か畿内か長らく論争があったが、最近は畿内説が有力になっている。

 以上の400年区分の内、変化の無かったように見える平安時代は、実は日本の歴史の変化・進歩を考える場合、極めて重要な時代なのである。それは急速に成立した律令国家が、次第に崩壊し変質して別種の国家に成って行く過程である。その変化の目安は、土地制度としての荘園の成立と、軍事組織としての武士の出現である。この変化があったからこそ、律令国家がずっと続いたしシナ・朝鮮とは異なった、日本独自の国家に進化したのである。


「日本の歴史は400年で区切ると分かりやすい」~酒井信彦 元東大史料編纂所)

 

 要点をまとめると、

①西暦1600年頃に、関が原の戦い・徳川幕府の開始があり、近代~現代の流れが始まり、

②西暦1200年前後に、鎌倉幕府という武家政権が初めて成立して中世が始まり、朝廷や寺社などの勢力が衰え、

③西暦800年頃に、平安京に遷都されて、平安時代が始まり、

④西暦400年頃に、大和政権が成立したというものである。

 

 また、首都(政治の中心地)の変遷に注目すると、以下の通り、400年の周期になっているように見える。


  ①西暦1600年頃に、徳川幕府開闢(かいびゃく)とともに、首都が江戸(今日の東京)に移る。
  ②西暦1200年前後に、鎌倉幕府開闢とともに、首都が鎌倉に移る。
  ③西暦800年頃に、平安京遷都で、首都が京都に移る。
  ④西暦400年頃に、奈良を中心とする大和政権が成立した。

 

 次に、中西輝政氏(京大名誉教授)の見解である。ここで注目すべきは、400年周期の中で、100年の戦乱の後に一気に癒しの100年に移行するという点だ。

もう一つ、こういう切り方もあると思います。国際関係や社会における戦争や暴力の頻度、人間の移動、社会的モビリティや文化の体質といった視点から見ていくと、400年ぐらいの周期を切り口として考えることもできるのではないでしょうか。(中略)

戦国期は16世紀ですから、明治の近代化や日清・日露戦争までまさに400年になるわけです。そして、20世紀は前半が大概戦争の連続で、後半は高度成長です。いずれも、人間のエネルギーをほとばしらせ、また世の中がハイ・テンションに推移した世紀でした。こんな100年を、日本史はときどき経験するのです。


 戦国時代から400年遡ると12世紀で、これは古代社会の崩壊とか源平合戦の時代になります。さらに400年遡ると8世紀で、大宝律令をはじめ律令が取り入れられます。非常に論理的なかたちで社会の再構築が始まる時代です。さらに、その30年ほど前には、朝鮮半島から白(はく)村(すき)江(のえ)の戦いで敗れた日本軍が引き揚げてきています。大陸から唐が攻めてくるかもしれないという危機感も高まります。戦乱の時代であり、古代の氏族社会が解体するという、内外ともに強い改革のインパクトが働いた時期というわけです。


 さらに400年遡ると、ちょうど弥生末期から古墳期へ移るころです。クニとクニとが争う「倭国大乱」の時代から、大和国家が確立してゆく時代であり、朝鮮半島に初めて出ていくのもこのころです。3世紀末から5世紀にかけて応神朝、仁徳朝などがくり返し朝鮮へ進出してゆきます。


 このように日本の文明史的サイクルの一つとして、400年周期で歴史はくり返していると考えられるのではないか、というのが、私の「400年周期説」です。そして各400年の内訳を見ていくとおもしろいことがわかります。400年のうち、最初の約100年は先に見た戦国時代やこの20世紀のような「激動の世紀」になります。しかしその時代が終わると、次の100年は一気に「癒(いや)し」や「落ち着き」を求める働きが歴史をリードするようになる。
(『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政 PHP研究所 2000https://sessendo.blogspot.com/2017/11/400.html

 誰しもが期待するものであろうが、二つの世界大戦と核兵器による冷戦の戦乱の世であった20世紀の後に、21世紀が世界大戦・核戦争を乗り越える国際協調の時代となるかが注目される。

《出典:2023年GWセミナー特別教本『覚醒の道:仏教の幸福哲学 400年周期の仏教改革の開始』第2章より》

 

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