3.卑屈さと心のコントロールの関係
●「ヨーガの八部門」
さあ、それでは自己の真の主として、自己を振り回す習慣化された反応パターンをコントロールするための実践方法である、ヨーガの八部門をみていきましょう。
八部門は次の8つです。これはほぼ段階的なものと考えてください。
①禁戒(ヤマ)
②勧戒(ニヤマ)
③アーサナ(体位法)
④調気法(プラーナーヤーマ)
⑤制感(プラティヤハラ)
⑥精神集中(ダーラナ)
⑦瞑想(ディヤーナ)
⑧三昧(サマディ)
では、「ヨーガの八部門」の第1の禁戒(ヤマ)から説明していきます。
1.<禁戒>
禁戒によって、ヨーガの行法を実践しやすくする心の構えを作りあげていきます。日常生活での精神を安定させるものです。悪しきサンスカーラ(残存印象)を形成しない、ということです。
禁戒とはけっして制限・制約ではありません。心を不安定にする行いを止めるということです。心が不安定な状態で自分の心をコントロールできるでしょうか?
禁戒を守ることは、心を安定させて心のコントロールしやすい状態をつくることになります。
●卑屈さと心のコントロール
もう少し突っ込んで戒を守ることと心のコントロールの関連を「卑屈さ」という観点から見てみましょう。
「卑屈さ」は自己信頼とは反対で「自分はダメ」という意識です。自分自身に信頼のない人にとって、自分が本当の意味で自分の主として自分を統御することは難しいことです。
そして、人は悪いことをすると、「自分はダメ」「自分には自分を統御することができない」という思いが潜在意識に蓄積されます。自己評価が下がり、より卑屈になります。それによってさらに自己コントロールは難しくなります。
悪いことをしても卑屈にならない人もいるのではと思うかもしれませんが、それは表面だけを見てのことで深い意識においては「なんて私はダメなんだ」という思いが生じています。心は傷つき卑屈さを増大させています。
卑屈が強まると、より自己コントロールが難しくなり、他に翻弄されやすくなります。
他に翻弄されることによって、あの人のせいで(あるいはあの出来事のせいで)自分はこうなってしまったのだという被害者意識をもち、被害妄想を抱きやすくなります。被害妄想は卑屈さの産み出す自分を苦しめる自動反応です。
卑屈と関連づけなくても、批判・非難が多く、「私がこうなったのは、あなたのせい」と人のせいにする人は、そのとき同時に潜在意識に、「自分には何の力もなく外的現象に翻弄される無力な存在なんだ」という認識が刻み込まれます。
「人のせい」=「人に翻弄される」=「自分で自分をコントロールできない」=「無力」=「卑屈の増大」という図式です。通常、自分でそのことは意識できません。
このように人のせいにすることは、卑屈を増大させることになります。
「自分に起こることは、自分の為した行為の結果である」というカルマの法則に基づいて考えて他人のせいにしなければ、自己責任が強まり、卑屈は弱まります。
カルマの法則に基づいて考えること=自己コントロールを高めると言えます。
「ヨーガ・スートラ」にあるようにヨーガは「心の統御」です。「卑屈さ」はそれとは逆向きの心の統御を弱める道です。ですから、ヨーガを行じる者にとって卑屈さというのは、真の自己に至る心の成長を進めていくうえで非常に大きな障害になってしまいます。
ですから、卑屈さの残存印象をより多く形成することなく、戒を守っていくことは重要なことと言えます。
卑屈が強いと思う方は、日々の生活のなかで、少しずつ戒を守る実践をされることをお勧めします。