内省法「内観」
「ひかりの輪」で、内観の世界的権威の方にご指導いただきながら実践している内省法「内観」についてのコーナーです

実践レポート・体験

内観(自己反省法)の参加者の感想(~2014年)

「ひかりの輪」では、自己反省法・内観を、大学教授の内観専門家の先生にご指導いただき、取りいれています。
定期的に、「1日内観」を中心とした内観セミナーを行っており、一般の方のご参加も受け付けていますので、ご興味のある方はぜひご参加ください。

以下に、2012年10月~2014年に行われた、「一日内観」の受講者の方の感想文をご紹介します。
感想を見ると、集中して行う自己反省法・内観は、たった一日でも、大きな効果を感じてれる方がたくさんいらしゃることがわかります。

内観とは、浄土真宗の一派に伝わる「身調べ」という修行法から派生し、その後、宗教的な要素を取り除いて、誰もができる自己反省法として確立されたものです。学会もあって、海外にも広がっています。

その方法は、至って簡単で、内観専門家の指導のもと、自分がこれまでの生涯で、両親・親族・友人知人に、

① 他人から、していただいたこと
② 他人に、して返したこと
③ 他人に、迷惑をかけたこと

を1つ1つ思い出していくという作業のみを、丸1日~1週間ほど集中して行なうというものです。
なお、親がいない人は、親代わりに育てくれた人を親と見て行います。

 
◆スタッフの感想

◎T・Tさん 50代女性 東日本

1日内観は3回目となります。今回は、祖母・祖父に対する自分の調べを行いました。

祖母に対しては、小さい頃から過干渉で口うるさい人だという印象があり、精神的に負担になったり反発したりすることが多かったのですが、今回内観をしてみて、良い面を見られたと思います。

もう昔のことなので忘れたことも多かったのですが、祖父母の恩恵をあらためて見直すことができました。このような機会を与えていただき、自分が他人の恩恵を見られるようになり、ありがたいと思います。

他人の欠点や悪いところばかりを見るのではなく、良いところや自分に恩恵を与えてくれるところを見る訓練になります。


◎T・Eさん 40代女性 西日本 専従会員

母親について2回目の内観だったので、今回はだいぶ整理して思い出すことができました。
また、思い出す事柄も、色、におい、その時の空気、雰囲気など、以前より鮮明に出てきました。
母にしていただいたことを思うと「無私」という言葉がぴったりです。

本当に母は、自分のことを考えたり、楽しんだりすることは、ほとんどなく、常に子どものことを考え生きてきたのだと、あらためて感じました。
今の私でも母と同じことはできないので、若くして○人の子を守り、育ててきた母は偉大だと思います。

今度は私が感謝を伝えて母を応援して恩返ししたいと思います。
私と母の間のことを思い出すにしても、これだけのストーリーがあり、父、他の家族、出会った人々、すべての方にストーリーや恩がある。
他の人にも、それぞれのご縁やストーリーがあると思うと、他の人生をより尊いものに感じます。


◎T・Eさん 40代女性 西日本
(金額部分/兄弟の人数等は個人情報のため開示いたしません)

養育費の計算(自分が独立するまでに親が費やしてくれたすべての養育費の計算をすること)は、その額にも驚きましたが、お金を払われていることが目には見えないため、これだけ多岐にわたる経費を親が払ってくれていたという自覚が全くありませんでした。

養育費計算は、ざっと○○○○万くらいでしたが、きっと抜けているものもたくさんあり、○○○○万は行っていると思います。私は○人兄弟なので、○人分の その費用を親が捻出したと思うと、決して大きな会社にいたわけではないので、すごい努力をしてくださっていたのだと思いました。

これからは父への恩返しをしていきたいです。


◎S・Yさん 40代女性 東日本

多くのことは思い出せませんでしたが、思い出していくうちに細かい所を思い出してきました。

祖母について思い出していくうちに、いろいろな人にいろいろなことを教えられて、いろいろなことをしていただいて今の自分があるのだと思いました。自分の中にいろいろな人の存在があるのだなと思いました。
していただいたことのほとんどを、当然のことのように考えていたと思いました。

二度目の母についての内観では、色や光の強さ、大きさや、手をつないだときの母と自分の背の高さなどを思い出し、その時の光景の中にひたってしまうことがあり、幸せな気持ちでした。


◎M・Tさん 50代女性 東日本

今回は母親のことについて調べました。迷惑をかけたことなどは、あたりまえのように思っていました。
親のありがたみがわかりました。


◎O・Tさん 40代男性 東日本

自分が今までしたことの中で、今まで気づいていなかったエゴイスティックな一面、また良い意味で「自分はこういう人間である」と思っていたイメージにそぐわない自分に新たに気がつきました。

そして、それは自分の周りの人が持っている許し難い要素と同じであることに気づきました。
日常生活に戻って、自分の心がどれだけ変化しているか楽しみです。


◎M・Tさん 40代男性 東日本

自分が母からしてもらったことがこれだけあるとは、あまり意識していなかった。

それと同時に、自分がしてあげたことがこれだけ少なかったのは、びっくりしました。
迷惑についても、自分自身ではあまりなかったように認識していましたが、思い返すとかなりあったことに気づき、反省しています。

物事の見方が偏っていたことに気づいたのは大きな収穫でした。


◎S・Fさん 50代女性 東日本

母親にしてもらったことは食事、洗濯、買い物、弁当作り、それを毎日という膨大な量を、ずっとやってもらっていたことに気づきました。
それを当然のことのように思っていたのですが、大変なことだったと思います。
今思うと、小学生でも食事、洗濯、買い物はできたので、もっと自分でやっていたらと思います。

父親に関しては、節目節目で黙ってどんとやってくれたという感じで、自分を全肯定してくれていたことに気づき、それは大変ありがたいことだと思います。

本当にありがとうございました。静かな面接よかったです。


◎S・Oさん 60代男性 東日本

今まで親に対する感謝の気持ちが足りなかった。
親の恩恵を忘れず、恩返しをしたいと思いました。


◎Y・Kさん 50代女性 西日本

内観するたびに思うことは、オウム・アレフ時代が、いかに傲慢な考え方、自己中心的だったかということを、思い知らされます。
また、周りの方々にどれだけしていただいたことが多く、して返したことが少なく、迷惑をかけたことが多いかに気づかされます。

今後は、これはまずいなと気づいたことは改善して、できるところから恩返しをしていきたいと思います。


◎Y・Kさん 50代女性 西日本

父に対する自分の内観を行いました。
オウムに長く出家して、多大な心配や迷惑をかけ、最大の親不孝をしました。

それにかかわらず、実家に返れば迎え入れてくれるし、生活などが大変だろうということで、お金まで時々くれる。
ここまで親に心配・迷惑をかけてきたのに、どうしてここまでのことをしてくれるのか。
真実の愛とは何かということを考えさせられる。

私がここまで大きくなるまでに、○○○○万というお金を私につぎ込んでくれた。私はそれを裏切るかのようにオウムに出家してしまった。
さんざん心配をかけているにもかかわらず、よくしてくれることに、感謝してもしつくせない思いです。


◎Gさん 40代男性 東日本

父が大病をし、その後回復しましたが、自分もその時の父と同じ年齢になり、父の労働の苦しみを理解でき、不満を持っていたことが恥ずかしく思えてきました。


◆会員の受講者

◎M・Kさん 50代女性 東日本

今回は父親に対する自分を調べてみました(前回父親が途中でしたので2回目です)。
最初なかなか集中ができず、時間があっという間にたってしまい、いくつかは思い出して調べてみても、もっと思い出したいなという中、次に進んでいきました。

親と一緒にずっと過ごしていたはずなのに、その姿を思い出せないのは、なんて自分は他の家族のことを気にしてこなかったのだろうと思いました。

中学時代まで(想起が)終わった後、先生より「紙とペンを渡すので、そこに今まであなたが自活するまでお父さんから受けた金銭の援助を全て書き出してみてください」と言われました。
出産費用から光熱費や毎日の食事代、細々と書き出していきました。

なぜか書き出す時に苦しかったです。でも一つずつ書き出していくと、お世話してもらって大人になった、育ててもらったのだろうと理解できました。
感覚的には、何となくは、その恩義を感じてはいたのですが、実際に書き出して、どれだけの日々のつながりが大変なことだったのかとわかりました。

自分にはとうていできないことだから。同じことをしようと思ってもできない、父親の像がくっきりと刻まれました。その生活をしながら子どもの成長を助けることを力一杯やっていたのだと、実感をともなって理解しました。

まだ途中なので、続きをやっていこうと思います。この後から、オウムを含めて自分がとても迷惑をかけた時間に入っていきますので。
どうもありがとうございました。


◎T・Kさん 40代男性 東日本

死んだ父親に対する自分を調べました。前回、父親に対する自分を調べたときは、父親に対する批判や不満等、自分の感情が入ってしまい、思い出すのがつら かったり、障害も多かったのですが、今回は前回よりも冷静になって、してもらったこと、してあげたこと、迷惑をかけたことを、事実としてとらえ、列挙する ことができました。

また、先生のご指導のもと、自分が大人になるまでにかかった養育費を計算したことで、仲の悪い親子だったと思っていたものの、多額の費用を働いて得た収入から割いて私を育ててくれていたことがわかりました。

仲直りをする前に父親は亡くなってしまいましたが、多くのしてもらったことを今回認めた上で、父親に手紙(※父親に宛てて出すことを想定して書く手紙)を書くことができました。

まだまだ歩み寄ることはできないのですが、今までは父親の問題点ばかりを主張することしかできなかった私が、自分の問題点にも気づき、認めた上で、父親に 対して反省を述べることができました。相手がすでに死んでいるということもあるのかもしれませんが。

ただ、前回の内観よりも苦しくなくなったので、今後も 内観して、父親とのわだかまりに決着を付け、心から感謝できるようになれたらと思っています。


◎Nさん 60代男性 東日本

子犬をもらい受けて最初の1日だけ添い寝をしたことがありました。過去形で語れば楽しいことでも、現在形では「気が気ではなかった」経験です。

この、気が気ではない思いを母親だけではなく、多くの人々にさせてきた半生を振り返り、大いに恥ずかしい思いをし、多方面に感謝の気持ちを持つことのできた1日でありました。


◎I・Kさん 40代男性 東日本

母に対する自分を調べたのが2回目でしたから、1回目よりも母を一人の人間として客観的に見ることができたのだなと思いました。

そして、母も強い人間で、いつでも僕のことをフォローして下さっていました。
本当に感謝をして、いつか恩返しをさせていただけるだろうと感じております。

たくさんの親不孝と、誤った宗教実践(オウム・アレフ)によって、自分は不幸になってしまったと感じたので、これから一歩ずつ本当の幸せに向かって歩ませていただきます。
今回参加させていただきまして、ありがとうございました。


◎M・Kさん 50代女性 東日本

今回2回目の「1日内観」で、前回と同様に、母親・父親についての自分を確かめてみました。
母親・父親ともに、その当時いつも何を考えていたのだろう?ということすら考えなかったのかもしれない。

父親に叱られたり、よく口論等したが、なぜそうなっていたかが思い出せなかった。しかし、それについて父親がつぶやいた言葉は印象的であり、現在でもよく思い出す。

親は子を注意深く見守っているが、子は特に青年期に入る時期くらいから自分のことに夢中になり、親のサポートに対しての感謝は持たなくなってしまった感がある。

私の場合は、自分が大人になって、初めて親がどれだけ大変な犠牲を払ってこのために生活していたかが見えてきた。

それと今回は、その当時の住まいやテーブルや、父や母の姿が結構すぐによみがえってきた。
特に今回気づいたことで、母親の亡くなる前一緒にいた半年間のことがある。

今まで、自分と母親と過ごした最高に素晴らしい時間だと思っていたが、それは自分が持った思いであり、自分が母親のためと思ってした食養やその他仏教の考 え方(その当時オウムには入っていなかったが、オウムの書籍は読んでいて輪廻転生的な思想であった)によって、母親と一緒に懺悔をして心を軽くしたり等していた。

これは、もともとの母親になかった考え方であり、母を思う娘の心を思って、それをさせてくれてはいたが、当然とまどいなどもあったのではないか? 迷惑をかけていたのではないか?ということに気が付いた。

私が、私が思う「良き事」に集中したことのために、最後に母親がしたかったことをできなかったり、他の人びとに対する感謝の場を奪ってしまったりしたのではないか?と思い当たった。


◎Yさん 40代男性 西日本

・今まで自分が自己中心的な生き方ばかりしてきたことを痛感しました。

・母から今までしていただいたことは、当たり前ではなく、本当に有り難いことであったとあらためて思いました。

・自分はほとんどお返しをしておらず、迷惑ばかりかけてきました。これからの人生は感謝を深めて恩返しをしていきたいと思います。


◎K・Kさん 30代女性 西日本

これまでできていたはずの感謝が全然足りなかったことを思い知らされました。
していただいたこと、してさしあげたこと、ここまではあまり苦しまずに思い出すことができましたが、迷惑をかけたことについて、なかなか思い当たらず驚きました。

感謝の前に、迷惑をかけているという実感が薄かったということだと思います。心から申し訳ないと思うことを見過ごしていた結果だと思います。

「ごめんなさい」と「ありがとう」は対にないと何事もうまく行くはずがないと思いました。
これまで、傷ついたこと、してもらえなかったこと、してほしかったことを、知らず知らず数えていたのだと思います。
してもらうことが実は当たり前ではなく、何かと比べてその差で満足したり不満を持ったりしていたことを、さらにあらためて気づかされました。

私や私の両親達は、その時の精一杯限界まで私を愛し守り大切にしてくれていました。


◎Fさん 30代男性 東日本

内観の流れは、指導員の体験談を見てイメージはしておりましたが、行ってみると、忘れていることの多さ、忘れたがっていることの多さに圧倒されました。

自分がいかに支えられ、無償の愛を受けて育ってきたのか?
父・母・祖父母と各人の時間・金銭・手間をいただきながら、何をお返ししてきたのか?
返してきたのは迷惑ばかりだったのではないか?
と考えるに至り、深く反省を致しました。

慈愛、無償の愛、慈悲と言葉はいろいろありますが、海のように広く、激流をただ静かに受ける滝壺の水面のように、私のわがまま・感情を受け止め養育してく ださった両親・祖父母に、深く感謝するとともに、私の周囲にいてくれた万物に尊敬の念と感謝の心をもって生きようと思いました。


◎Yさん 40代男性 西日本

・今回は、母について、今までの自分を調べました。

・今までしていただいたことが山ほどありますが、自分は、ほとんど当たり前のような感じで意識せずに、他のことにばかりとらわれていたことに気づきました。

・日頃から、視野を広げて、客観的に物事を見られるようにしたいと思いました。

・母から大きな愛情を与えられていることに、あらためて気づきました。ほとんど恩返しはできてていませんが、感謝して恩返しができるように、自分を変えていきたいです。


◎K・Tさん 40代女性 東日本

本日は、父親と妹に対する自分を調べました。妹については少しだけで、父親についてを中心にしました。

その中で、私は生まれてから34年と11カ月の間、父親に対して迷惑ばかりかけていたと実感しました。
死んでしまった今は、ありがとうの言葉一つもかけてあげられないと悔やまれます。

間もなくあの世へ旅だって9年です。こうして父親に対して思いを振り返る機会に時間をいただけたことに深く感謝いたします。
ありがとうございます。


◆一般の参加者

◎I・Sさん 40代男性 東日本

初めて内観を受講いたしました。

母に対して、「してもらったこと」をいろいろ想起してみたのですが、なかなか思い出すことに苦慮しました。少しずつですが思い出してみると、母だけでも、多くのことをしてもらったことに気づきました。

逆に、「してあげたこと」は少なく、自分の恩返しの不足さを痛切に感じ入りました。また、やんちゃな子どもでしたので、いろいろと迷惑をかけたことに赤面の思いです。

一人で思索することがありますが、ただ雑念に追われ、結論もなく無駄な時間を過ごすことが多いのですが、今回参加しまして、真の意味で自省するきっかけになりました。
ありがとうございました。


◎Oさん 20代男性 東日本

振り返ってみると、自分の家族の自分の生まれた環境が、すごく恵まれていることがわかりました。
特に、父に対しては、不器用ながらも自分に対して愛情をもって接していただいたのがわかりました。


◎Y・Hさん 20代男性 西日本

今回「1日内観」に初めて参加させていただきました。

今まで母と父、両親に対して、「してもらったこと」や「迷惑をかけたこと」の多さを知ることができました。
逆に「して返したこと」の少なさに気づくこともできました。

今の私は、両親に与えてしまった迷惑や、していただいたことの多さに気づき、何もして返すことのできなかったことに反省の気持ちでいっぱいです。
今後は、親にして返せることを、して返さないといけないと思っており、そのことを努力してやっていきたいと思っています。

この度は、自分の内側と両親のことを思い出すことができ、参加してよかったと心から思いました。
ありがとうございました。


◎K・Tさん 20代男性 西日本

今回の「1日内観」で、私は母と父に「してもらったこと」、「してあげたこと」、「迷惑をかけたこと」について、3年間ごとに分けて、幼少期から現在まで調べました。

そこで、私は母から、幼少の頃からたくさんの愛情を受けて育てられていたことに気がつきました。小学校の頃、学校で友達とケンカしてしまい、家に帰って母 に抱きしめられて泣いた光景がよみがえりました。

そして、父母には思春期の頃、大変な迷惑をかけてしまったと実感しました。
父母から受けた恩恵に比べ、自 分が両親にしてあげたことがすごく少ないことに気が付きました。
これから親孝行をしていきたいです。


◎Sさん 30代女性 東日本

自分が母にしてあげたことがいかに少ないか、思い知らされました。

文句もいわずやってくださったことの多さに、あらためて気づくことができました。

「してくれなかった」ことばかり記憶に積み重なり、不健全な思考に偏っていたと思います。
終わってすぐなので、まだわからない部分もありますが、数日たって何か心境の変化などがあるのでないかと感じています。
ありがとうございました。


◎M・Yさん 40代女性 東日本

初めての参加、そして初めての試みでした。「内観」という言葉も、ひかりの輪に来るようになってから知った言葉です。

生まれてから今現在まで、ほとんど振り返ることなく突っ走ってきた自分のこれまでをあらためて考え直す良い機会になりました。

おそらく「親だから(子供に)してくれて当たり前」と感謝の気持ちを持たずに暮らしていた部分が大きかったと思います。
自分は結婚せず、子供もおりませんが、ここまでこうして無事に生きてこられたのも、親、特に母親のしっかりしたサポートがあってからこそだと感じました。

食べ物の好き嫌いもなく、大きな病気もせずに生活できていることを、丈夫な体に育ててくれたことを感謝するとともに、今では逆に子供としてなるべく出来る限りのことをしてあげたいという気持ちがよりいっそう強くなりました。

「~してくれなかった」ではなく「~してもらった」と考えることが大事など、いろいろ勉強になりました。機会があれば、また次回も参加したいと思います。


◎S・Sさん 50代女性 西日本

両親のこと、いろいろ思えて良かったです。感謝したなら、ちゃんと「ありがとう」を言える人になりた
いと思います。

若い人たちがいっぱい参加したらよいと思います。


◎T・Yさん 40代男性 西日本

内側を見つめることによって、忘れていた感謝すべきことがたくさん思い出されてきて、私自身は幸せだと感じなかった18歳頃までの時期は、実は母だけでなく、父、兄、二人の姉に随分守られ、愛されていたのだと思うことができ、それだけでも心が軽くなり、感謝の念があふれて感無量でした。


◎K・Sさん 30代男性 西日本

「していただいたこと」には、命に関わることや、現在の自分の思考やあり方を形成していることが多くありました。

今の年齢になり、親孝行という行為を意識してはいましたが、幼い頃のご恩は、これから何十年かけてもお返しできることではなく、両親は一切の利益を考えずに愛情を注いでくださり、とても親孝行という行為だけではお返しできないことに気づけました。

現在も両親は健在ですが、昔から変わらず、いつも体のことを気遣ってくださっています。
いつも当たり前のように聞き流していましたが、内観をきっかけに、いつもの言葉が深い愛情から発せられていることを考えさせられました。

早く親元を離れたいという思いで、親元を離れ、進学・就職をし、忙しさや環境の変化により、両親のことを思い浮かべない日々が続きました。

しかし、私が両親を忘れている時も、両親は私の身を常に案じていたことを思い起こしました。
進学に関わる多感な学生時代に、目で見えないくらい多くの支援をしていただいたにもかかわらず、両親に対し反抗的な態度をとってしまった事が悔やまれます。

内観によって、愛されていたことを感じ、今まで両親に「もっと認めてほしい」と求めていた間違った思いを知りました。

すでに認められ、愛されていて、生まれたときから今に至るまでずっと変わらずに愛情を受けていることを感じることができました。
愛情は生まれたときからずっと受けていて、ただそれを感じることができず求めていました。

両親の体力も低下しているため、早いうちに親孝行をし、一生を通して周りの方々に喜ばれる行為をし、両親からいただいた愛情の恩返しをします。


◎Eさん 30代男性 東日本

「1日内観」を想像すると、そんなに長い時間、部屋に入っていられるのか、とても不安でした。
しかし、始まってしまうと、想像とは全く違う心の状態を体験しました。

過去の出来事をじっくりと眺められる心の状態でした。

普段の生活でこのように過去をじっくり冷静に眺める機会を作るのは、容易ではないと思いました。
また参加したいです。


◎I・Nさん 30代男性 東日本 一般(アレフ体験者)

初めて1日内観をしました。今回は母に対して行いました。

幼稚園の頃で、してあげたことが出てこないのは仕方ないにしても、それ以降も大してしてあげたことは思い出せませんでした。
育てる方は多くの苦労をしているはずだけど、受け取る側は忘れてしまっているというのは、愕然とするところです。

せめて、これからは何かしてあげられる機会があれば、お返しをして、過去の苦労や私の無理解などに対して報いたいと思います。


◎H・Gさん 40代男性 東日本

過去から現在へとさかのぼるやり方が、即現実の人間関係の改善につながっていくと感じました。

今後、家族の中でのわだかまりを「していただいた、迷惑をかけた」などの、今まで気づけなかったたくさんの善意と慈愛を再認識することで、なくしていければよいと思います。特に家族が存命なら、なおのこと。