【8】ひかりの輪の聖地での体験
●ひかりの輪は、聖地巡りの体験から生まれてきた
ここでは、ひかりの輪の団体の発祥に関係する、聖地でのさまざまな体験についてざっと述べたいと思います。
その中には、いわゆる不思議な御縁を感じるものが多数あったのです。
まず、「輪の思想」も、聖地・自然との交感で生まれてきました。
2002年の6月10日、上祐代表は、この思想の一部について瞑想したところ、大きく気づくところがありました。そして、その直後に天空に太陽の周りの虹の光の輪が現れており、合計で七つもの虹が出ていたのです。
これは、上祐代表らに大きな影響を与えました。
ひかりの輪の団体名も、この体験に由来します。
●聖徳太子縁の聖地で不思議な体験が続く
その後、上祐代表らは、繰り返し虹の体験をしていきます。
その中でも特に印象的だったのが、2002年11月の富士山の麓における天に立ち上るような鮮明な虹でした。その直ぐ近くに、偶然にも、聖徳寺というお寺があり、その祭壇に虹の写真がありました。
その理由は、かつて聖徳太子が、この場所で虹を見て、聖地だとされたからでした。
この頃から、巡っていた聖地が、不思議にも、太子ゆかりのものが多かったことに気づき、太子縁の聖地に関心を持って、その一つとして、京都の広隆寺を参拝し、名高い弥勒菩薩半跏思惟像を拝観しました。
その時、上祐代表らは、その仏像の中で、素晴らしい瞑想体験をしました。
それは広大無辺の慈悲の心・慈悲の空間のように感じられました。
そして、これがきっかけとなって、私たちは、それまで所属していたオウム真理教の後継団体である宗教団体アレフを脱会し、「ひかりの輪」として独立するに至りました。
また、日本有数の山岳景勝地である上高地に滞在したときは、毎日ように虹を見て、合計で7回も見ましたが、そこでも、上祐代表らは、いろいろな気づきや精神的な体験をしました。
代表によると、自然は貪らず、あるがままに生きる教師のように感じられ、そう感じたときに、自分が周辺の自然と一体化し、大きく温かい心が一杯に広がったように感じたと言います。
そして、「私」よりも、「大自然」の方に、本当の自分の中心があり、自分は大自然の一部のように感じたと言います。
こうした体験から、感謝と分かち合いや、自と他の一体性を重視する、ひかりの輪の一元論的な思想が温められていきました。
その後、ひかりの輪の教室も、太子と縁があることがわかりました。
長野の小諸市の教室近くには、観音菩薩を祀る真楽寺がありますが、この寺には、太子が立ち寄られたと伝承があります(他に長野で、こうした伝承を持つお寺は見つかっていません)。その境内の気の流れが非常に良いため、よく参拝していたお寺でした。
以前の大阪の教室は、偶然にも、太子が仏教導入をかけた物部氏との闘いの前に勝利する神意を得た場所に立った神社に非常に近く、その神社の分社は、教室のビルの目の前にありました。
その本社にあたる太子信仰のメッカとして名高い四天王寺にもごく近くにあり、その四天王寺を参拝した時も、太陽の周りの虹が何時間も出ていました。
●太子の「十七条憲法」と、ひかりの輪の思想の合致に気づく
その体験をする前後、改めて太子の十七条憲法の思想を研究すると、偶然にも、その中に、ひかりの輪の思想、特に優劣の輪の教えとしたものと、全く同じ内容が、しかも、「輪」という同じ喩えを使って説かれていたことに気づきました。
それは、
「自分はかならず聖人で、
相手がかならず愚かだというわけではない。
...おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。
それは鐶(耳輪)には端がないようなものだ」
というものです(十七条憲法第十条)。
こうして、ひかりの輪の聖地巡りでは、このような不思議な虹の体験や偶然の一致が連続し、最後には、それが、聖地巡りとは全く別のところで温めていた輪の思想と合致するに至ったのです。
さらに、一部の識者の見解として、以下のような意味もあります。
① 太子は、万人が平等という「輪」の人間観に基づいて、
「和をもって尊しとなす」と訓戒したこと。
② 輪の思想は、縄文時代にまで遡る日本の根本思想であること
(縄文時代は、住居を輪のように配置した環状集落やがあり、
上下身分の区別・差別のない共同体だった)。
●親鸞・法然・最澄・空海ゆかりの聖地
他に、私たちが気に入って、毎年のように巡った聖地の中には、不思議と、長野の善光寺・戸隠・鹿島神宮など、後から気づいたのですが、親鸞上人ゆかりの聖地でした。
浄土真宗開祖の親鸞上人は、阿弥陀如来の慈悲は平等であり、悪人も救われる機会があると説いた人でした。これは、私たちには、大きな励みになった教えでした。
その教えを、自己を悪人と自覚することで、正しい教えに巡り会う機会があると解釈すれば、宗教者が慢心を戒め、謙虚さを保つことの重要性を説くものとして、非常に重要だと思います。
また、親鸞上人は、聖徳太子の夢のお告げを得て、その後に師となる法然上人に出会いました。
その法然上人は、別名を「円光大師」といい、名前からして、ひかりの輪とご縁があるように感じています。
名高い伝教大師最澄にもご縁を感じました。
伝教大師は、全ての人に平等に仏性(未来に仏陀になる可能性)があるという思想を広めた人で、ひかりの輪の思想の中核、特に万人を平等に仏の現れと尊重する教えと合致しています。
伝教大師も、自分を聖徳太子の弟子と考え、深く崇敬しています。
その最大の聖地である比叡山の根本中堂は、宇宙の全ての生き物の苦しみを悲しむかのような広く深い慈悲の波動を感じました。
また、ひかりの輪は、仏教の法具を瞑想やヒーリングに多用していますが、仏教の法具を日本で最初に本格的に導入したのは、弘法大師空海です。
その高野山の弘法大師の御廟は、非常に明るく神聖に感じられる空間でした。
そして、そこで、上祐代表が手の平の上に、弘法大師ゆかりの法具を置いて瞑想していた時に、何かのエネルギーが法具から腕を通して入って来て、その後、法具がひとりでに震動を始めたように感じる体験をするということがありました。錯覚かもしれませんが、こうした体験が、日本人が広く弘法大師を信仰する歴史が出来た原因かもしれません。
なお、ひかりの輪は、太子を初めとする過去の聖人も絶対化・神格はしませんので、その点つけ加えておきます。
太子も、「人を神として崇めてはならない」としています(その意味では仏教開祖釈迦牟尼も、同様に戒めています)。
太子が説くように、人は皆平等に尊いという思想を重視しています。
最後に、ひかりの輪の聖地巡りでのさまざまな体験については、詳しくは、このHPの聖地めぐりのところをご参照ください。