指導員紹介
「ひかりの輪」の指導員のご紹介です。

指導員のご紹介

山口雅彦/役員、名古屋・大阪教室担当、中国地方担当

 私は現在、名古屋教室大阪教室・岡山を担当しています。東海地区・北陸地区、関西地区・岡谷の窓口となっています。名古屋、大阪、岡山の各地でセミナーや勉強会などを行っています。

心理学部門ヨーガ・気功などの行法部門を担当しています。行法では流体循環気功というオリジナルの気功を作りました。

仏教の開祖、仏陀釈迦牟尼は、「偉大な心理学者」と西洋の仏教学者に言われています。心の仕組みと苦しみの仕組みが説き明かされていて、21世紀の現代にこそ仏教の果たす役割は大きいと思います。

ひかりの輪では、その教えを現代社会の問題に対応すべく新たに説き明かしていくことを目指しています。

仏教の教えと心理学(ユング心理学、トランスパーソナル心理学など)を融合させて、現代人にもわかりやすく、受け入れやすく仏教の法則を伝えていくことが自分の役割であると思っています。

これまで、社会心理学、ユング心理学、トランスパーソナル心理学、認知療法、交流分析、ヒプノセラピーなどを学びました。様々な心理学に加えて、退行催眠療法(ヒプノセラピー)に関しては、全米の認定セラピストの資格も持ち、多くの人々に同療法を施した経験を持っています。

自分自身の瞑想を深め、研究を深めて多くの方々のお役に立てる実践ができたらと思っています。

これまでの現代心理学と、仏教・ヨーガなどの東洋の伝統的な思想の中に見られる心理学の双方を研究した結果として、2019年に「東西心理学総論」講座を開設し、毎月講義を行うととともに、これまでに関連教本(東西心理学総論教本)7冊を発刊しました。

→【動画】心理学講座はこちらでご覧になれます

 

◎経歴

1958年 静岡県生まれ
中央大学で社会心理学を学ぶ
卒業後、知的障害児者の施設で子供・大人の人たちの指導にあたる
1990年6月 オウム真理教に出家
2007年3月 オウム・アーレフを脱会
2007年5月 ひかりの輪の立ち上げの中心的スタッフとなり、役員となり、名古屋教室担当、大阪教室でも会員、一般の方への指導を行っている。


◎連絡先ほか

山口雅彦メールアドレス  nagoya@hikarinowa.net
    @hikari_yama

facebookhttps://www.facebook.com/masahiko.yamaguchi.50

名古屋教室住所

ブログ:ひかりの輪名古屋教室 山口雅彦のブログ

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◎ひかりの輪の教えの実践によって私が得た体験


◆自我意識なき意識状態(2009年5月)

それは、長野県・戸隠神社の宝篋印塔に向かう電車の中でした。電車から外を見ていたとき、ふと、自分がいないということに気づきました。「自分」という思いがないのです。「唯、見ている」だけで見ている人がそこにはいないのです。「私」という意識がなく、唯、気づいている意識だけがありました。どう表現したらいいのか難しいのですが・・・

これは決して、変な体験ではありません。精神的におかしい状態ではありません。
私たちの意識というのは、ただ認識するだけの働きで、それを純粋意識と言います。 それが、日常においては、さまざまな思いが生じ、純粋意識の状態でなくなっています。このさまざまな思いによって苦しんでいるのが人間ですが、普通なかなかそのことには気づきません。瞑想などで心を見つめるとそれがわかってきます。

そして、ヨーガ、仏教においては、この純粋意識を本当の自分であると言います。 イメージとしてろうそくの炎という感じです。自分という考えはなく、ただ、光輝いて、ものを照らしている。何の思考も判断もありません。不思議な感覚でした。

今まで、ミクシィの日記などにも「自我意識なき意識状態」ということを書いてきましたが、実体験はしたことがありませんでした。体験してみると、自分が思っていた感覚ではなく、さらっと軽い感覚で、「自分がない」とはなんと楽なことだろう、というのが感想です。

宝篋印塔に向かう杉並木を歩いているときも、「唯、歩いている」という状態が続きました。「歩いている人」はいません。「見る」も「聞く」も体の「動き」も、何をやっていても、「やっている人」は存在せず、ただ、その物事が起こっているような感覚です。

 そんな状態ですから、宝篋印塔で瞑想したときには、そのまま、自然と融合した一体感を感じました。ちょうど、瓶に入った水が壊れ、大海に溶け込んだような感じでした。「私」という殻が消えた意識状態、枠(輪郭)がなくなった状態です。瞑想時間があっという間に過ぎました。

その日から、一週間はそんな状態、自我意識が薄れたり、また、なくなったりということが続きました。 その後は、これ以前に比べ自我意識が弱くなったと感じます。そして、自我意識が薄くなったり、なくなったりする感覚が時々生じます。

自分にとらわれることは苦しみであると仏教は説きます。これは、少し考えてみると納得のいくことです。 自分が気に入っているものが、壊れたり、無くなったり、盗られたりしたら苦しみが生じます。しかし、とくにどうってことないものが壊れたり、無くなったり、盗られたりしても、どうってことなく苦しむことはありません。好きなもの、気に入ったものが手に入らなければ苦しみます。

しかし、とくに好きでもないものが手に入らなくても、すぐに諦めがつきくるしみません。このように、自分にとらわれることは苦しみですから、自分という意識が弱まることは苦しみも弱まるということになるわけです。

なぜ、このような体験が起こったのかを考えてみると、2008年の夏以降、ひかりの輪で本格的に説かれ出した「縁起の法」「空」に基づいた、ものの見方や瞑想をしてきたからだと確信しています。

自分の体の分子が1年ですべて、食べることや呼吸によって入れ替わってしまうことのイメージ、これは、自分の肉体が固定した自分だけのものであるという錯覚を取り除いてくれます。今、自分でない分子が、食事や呼吸によって体内に入り自分になる。そして、今まで自分の肉体を形成していた分子が体外に排出され自分でなくなる。

このようなことをイメージすることによって、自分の肉体の輪郭がぼやけてくるというか、固定的な実体はない、自分と自分でないものの区別は薄れていきます。そうすると「自分」というものに対するとらわれも弱まってきます。

このように外界と自分との肉体の交流だけでなく、心のレベルでの他人や社会との交流=自分だけの固定した考え・価値観はなく、相互に影響しあったもので、固定された実体はないということを考えること。

また、すべてが網の目のようにつながっていて、自分はその全体のつながりの中で生きていること=孤立した実体のある存在でないこと、を繰り返し想起すること。

また、唯識のすべての事物は根本心であるアーラヤ識の現れであり、それは万人が共有する自と他の区別のない意識であるという教えを何度も考えイメージすること。それらによって、自我意識が少しずつ薄れていったことによる体験だと思います。

この体験をさらにより深いものにしていくためには、「止観」の瞑想が必要だと感じています。
唯識派はヨーガ行=止観の実体験から生まれてきた教えです。また、『ヨーガ・スートラ』においても、心の作用の止滅することをヨーガの定義としています。私たちを苦しめている心の作用とは、自我意識によるものです。ですから、自我意識が薄れていくことによって自分に対するとらわれが薄れ、とらわれが作り出す苦しみが少なくなるということです。 「縁起の法」「空」の理解、唯識の心の理論、そして止観行によって、自我意識が弱まり、止まる状態は生じていきます。

ひかりの輪のヒーリングである聖音法輪を受けると、同様の意識状態になります。この聖音法輪とはドニパトロ(シンギングボウル)の音の回転と、縁起・循環の法則が流れてくるもので、やはり、法則を聞いたり、考えたりすることにより自我意識が弱くなっていくのだと思います。
 

今、私は名古屋教室を担当しています。 そこで接する人に、自分の体験をもとに、何をどのように考え、見ていけば、すべてを肯定できる意識状態=幸福になれるかを話しています。

すべてに生かされていることに気づき感謝すること。それは仏教で縁起と呼ばれている「すべてが関連しあって存在していること」を学んでいくことによって気づいていけます。

そして、すべては仏の現れであり、素晴らしい人と素晴らしくない人の区別、価値ある人間と価値のない人間の差別がないことの実感を得ていくこと。 そして、それは根源ひとつであり自分と他人の区別はないということ。 これらのことを実感していくことによって他との対立のない、そして他を愛する安定した心が得られます。

名古屋教室では、毎月上祐代表の講話会が行われています。 また、日曜日に上祐代表の中継講話と私の勉強会とヨガ・気功を行っています。勉強会では、仏教の法則を自分の体験にもとづいた話や心理学的なものと融合させた話をしています。

すべてがつながって一体であるわけですから、自分の幸福と他人の幸福は一体です。
ですから、本当に幸福になるには自他ともに幸福になるしかありません)、考え方、価値観、人間観、世界観を広めていくこと。 それは自分も他人も認めることができる意識。 それは「すべてが仏の現れ」と実感することができるようになること。

多くの人がそうなれるよう、自分にできることをやっていきたいと思っています。


◎オウムの総括

ひかりの輪が設立されて行った、個人のオウム時代の総括・反省の文章は、オウムの教訓サイト私のオウム真理教総括に掲載しています。