広末晃敏/副代表役員、神奈川、広報・法務担当
私は、ひかりの輪では、副代表役員、神奈川、広報・法務を担当させていただいています。
私は、もともと、歴史上の残酷な事件をなくしたいと思って生きてきたにもかかわらず、オウム真理教に属して自らが起こす側に立ってしまったことに、激しく葛藤し続けてきました。
その結果、オウムの反省・総括に基づく「ひかりの輪」の設立と活動を始めました。
私は現在、主に、オウムの総括を深めるための研究・執筆・講演、報道関係者・官公庁・地域住民の皆さまなど社会の各方面の方々へのご対応、テロ防止のために活動する様々な機関・個人へのご協力などに従事しております。
◎活動分野
・オウムの総括を深めるための研究・執筆・講演(主に、宗教と社会・歴史・平和に関するテーマで)
・報道関係者・官公庁・地域住民の皆さまなど社会の各方面の方々へのご対応
・テロ防止のために活動する様々な機関・個人へのご協力
◎経歴
・1969年、大阪府寝屋川市生まれ。同府門真市などで育ち、1979年に香川県へ転居
・1985年、香川県立高松高等学校入学、翌年、大阪府門真市に戻り、転校
・1988年、転校先の大阪府立四條畷高等学校を卒業
・1989年、オウム真理教(大阪支部)に入信
・1990年、佛教大学(京都)在学中に、オウム真理教に出家(大学中退)
出家後は、教団内で、建築部、外報部、編集部、広報部、法務部に所属
オウム・アーレフ時代の最後の役職は、法務部長
・2007年3月、アーレフを脱会。
・2007年5月、ひかりの輪の設立に参加。副代表、法務部長、広報部長に就任
・2009年より、自己内省法「内観」の学習・実践・研究を始め、内観の国際的権威の大学教授のもとで集中研修を受講し、内観の指導員(面接員)となり、多くの内観者のお手伝いをし、内観国際会議でも発表を行った
・様々な宗教思想の研究を続けており、特に2019年からは、ひかりの輪で宗教思想総論講座を担当。文献に加え、寺社・聖地の訪問によるフィールドワーク、さらには縄文文化とその精神性・宗教性を探究している
◎連絡先
ひかりの輪広報部メールアドレス:koho@hikarinowa.net
◎美しい日本を愛していた
子供の頃から、美しい日本の伝統・文化・風土を愛していました。
中学・高校時代は、日本の平和と安全を守り、皆が心豊かな生活を送れる社会のお役に立ちたいと思い、自衛官か警察官またはその関係の公務員になることを志望していました。
しかし、結局は世界に住む人ひとりひとりの心を安らかにすることがそのための道だと思い、思想や宗教を探究し始め、仏教にめぐりあい、そしてオウム真理教を選んで入信・出家しました。
ところが、そのオウム真理教が、日本の平和と安全、人々の心の安らぎを根底から揺るがし、破壊してしまったことに激しく葛藤し続けた結果、初心に帰ってやり直したいと思い、上祐氏と共に歩む決意をしました。
◎なぜ事件を起こしたのか・・・「善いこと」が「悪いこと」へ
なぜ、あのような事件が起きたのか。いや、起こしたのか?
誰だって最初から悪いことをやろうと思っていたわけではありません。ましてや、悪いことをするためにオウムという教団に入ったわけではありません。
むしろ、それとは正反対に、善いことをしようと思って、入信・出家し、修行してきたのです。
ここに一つのヒントがあるように感じます。
「善いこと」をしようと思っていたら、いつの間にか「悪いこと」をやってしまっていた……。
◎残酷な事件の起きない平和な世の中にしたかった
私はまだ幼稚園児だった頃、テレビで戦争の場面を見て、人間というのは何と残酷なことをするのだろうと思い、子供心に傷つきました。
小学生になると、アメリカの原爆投下や、ナチスのユダヤ人虐殺、大戦中の日本軍による大陸での残虐行為などを知り、驚き、恐れ、こういうことが起きない平和で安全な世の中にしたいと思ったのです。
つい一昔前には、隣国の中国では文化大革命、カンボジアではポルポト革命によって、それぞれ自国民に対する大虐殺が行われました。
なぜ人間はこんな残酷なことを、隣国の人たちだけではなくて、自国民に対してすら行えるのか。
◎歴史上の残酷な事件を、自分たちが繰り返してしまった
しかし、これらのことも、よく勉強してみると、その主導者や追随者は、そもそも当初は「善いこと」をしようと思っていたようなのです。
もっとも、その「善いこと」というのも、きわめて主観的なものだといえます。自分が主観的に何かを「善いこと」だと設定すれば、それに反対すること、従わないことは、ただちに「悪いこと」となり、正義の制裁の対象になってしまいます。
オウム事件に関与した人たち、さらには私も含めて、関与はしなかったけれども事件を一時的にでも肯定したいと思った人たち――それはとりもなおさず自分が実行を命じられていたら実行に踏み切った可能性が高い人たちともいえましょうが――は、こうした歴史の中で繰り返されてきた過ちをまたもや犯してしまったのではないでしょうか。
私を宗教の道に進ませた歴史上の残酷な事件の数々の悲劇を、何と私たち自身が繰り返してしまった。
それを思ったときに、私は、自分がこの身で経験してきたことを歴史上の事例にあてはめて、宗教や科学等の幅広い分野に基づき研究して、今後二度と同じことが起きないようにしたいと考えるに至りました。
◎償いのために少しでも進んでいきたい
「組織が犯した過ちを組織として反省し更生していけるか」
「たとえ自分が直接関わっていない犯罪でも、真剣に自分の問題としてとらえて総括して立ち直っていけるか」
「私たちと同じ過ちを現に犯し、あるいは未来に犯すかもしれない人たちへの教訓を残し、平和と安全に寄与していくことができるか」
これから死ぬまでは、前半生の過ちの償いのための人生となりますが、事件で傷ついた人々や社会のために少しでも進んでいきたいので、多くの皆さまのご指導をいただければと考えています。
◎サリン事件被害者の家族から教えられた自己反省法「内観」
以上のような気持ちを抱きながら、私はオウム事件の総括作業を行ってきました。
ひかりの輪の会員を集めて、オウム時代を反省・総括する会合を繰り返し開催し、その検討結果を私が団体の総括文にまとめました。そして、記者会見で発表したり、サイトで公表したりして、社会にお役に立てようと努めてきました。
すると、地下鉄サリン事件で被害を受けた夫君をお持ちの女性の方が、以上の総括をご覧になり、自己反省の瞑想である「内観」をやってみてはどうかと私に提案してくださいました。
この女性の方は、犯罪者を更生させたり等する役割を持つ準公務員「保護司」でいらっしゃいますが、犯罪者更生に顕著な効果をあげてきた自己反省法「内観」が、私たちの総括をさらに深めるのに役立つだろうと考えて、教えてくださったのです。
内観とは、もともと、自分を反省するための浄土真宗系の一派の修行「身調べ」から生まれたもので、身調べから宗教的な要素を取り除いて、誰にでも実践可能な自己探求法として70年ほど前に確立されたものです。
企業研修や学校教育、心理的な治療の場のみならず、犯罪者更生、更生教育のために、少年院や刑務所等でも指導されてきました。
内観では、一定期間(まずは7日間ほどが望ましい)、外部から自分を遮断した上で、内省に集中し、自分がこれまでの生涯で、
①他人からしてもらったこと
②他人にして返したこと
③他人に迷惑をかけたこと
を一つ一つ思い出していくという作業をします。
その際、内観に通じた面接者の手助けを随所随所で受けることになります。
人はえてして、他人から何かしてもらうことを当然としていて、してもらったことはあまり覚えていない一方で、してもらえなかったことを不満に思い、恨む傾向がある。
実は、他人から非常にたくさんのことをしてもらっているにもかかわらず、自分はその他人に大したことをしてあげておらず、むしろ迷惑を多くかけてきた--こうしたことを、深い意識から想起していくことにより、自分の自己中心性を自覚し、反省し、他者への感謝と奉仕に向かっていくのです。
いわゆる人格障害といわれる状態にある人々(これは広い意味で、ほとんどの人が当てはまるようです)が、こうした内観を通じて、バランスの取れた人格に矯正されてきたそうです。矯正というか、それが本来の人間の在り方なのでしょうから、正常な状態に戻ったという方が適切かもしれません。
内観では、まず母親を対象にして思索をしていくので、親とのトラブルを抱える多くの人たちが、内観によって問題を解決してきたということです。
◎内観で気づいたオウムの過ち
私も、内観の先生のお世話になって1週間の集中内観を行いました。
すると、これまでの生涯で自分が多くの人に支えられて生きてきたということを、すっかり忘れてしまっていたことを涙ながらに実感しました。そして、今まで自分一人で生きてきたかのような傲慢な意識になって、自己中心的になり、周りに多大な迷惑をかけてきたことを実感させられたのでした。
自己中心なるがゆえに独善に陥り、他に迷惑をかけてしまうという、オウムの過ちの一端が、内観をして見えてきました。
特に両親には本当に大きな迷惑をかけたことに気づきました。申し訳ないという感情が高まり、私はオウム真理教に出家して以来、20年ぶりに実家に帰り、両親にお詫びをしました。
私を受け入れてくれた両親の愛を感じたとき、この世界は、私のようなどうしようもない人間でも受け入れてくれて、育ててくれて、見守ってくれる仏のような存在があるのだと実感し、涙が止まりませんでした。
内観の実践により、自分をとりまく万物への感謝が深まり、感謝が深まるがゆえに、必要以上にあれが欲しいこれが欲しいという貪りも少なくなりました。それどころか、いかに周辺に恩返しをしていこうかと考えられるようになりました。
率先して内観を体験した私は、これをひかりの輪の会員に紹介し、ひかりの輪の主要な教えの中に取り入れていくようにしました。その結果、多くの会員が、かつてのオウムの過ちを反省し、総括を深め、感謝と恩返しの実践を行えるようになっていきました。
自らを振り返り、反省・総括を深めることによって、さらにそれを助けてくれる人が現れてくださり、より深い反省と総括そして、他者への恩返しの気持ちを強めることができました。この天と人の恩に報いるために生きていきたいと思います。
以下の私の総括文は、2008年に書いたものですので、その後に体験した内観で気づいたことまでは記されていません。現在、大幅に加筆しています。その際はまた公表いたしますので、皆さまのお役に立てれば幸いです。
◎オウムの総括
広末晃敏のオウムの総括文書「わたしが起こしたオウム事件」はこちらへ