指導員紹介
「ひかりの輪」の指導員のご紹介です。

指導員のご紹介

細川美香/副代表役員、東京教室および関東地区各連絡所担当

   hosokawapro.jpg 私は現在、東京本部教室(東京・千葉・埼玉など関東近県)を担当しております。

他には、名古屋、大阪支部教室で行われるセミナーや年3回行われるセミナーなど、全国各支部教室のお手伝いを行っています。

教室活動の中では、イベントに参加される会員や一般の皆様のご相談をお受けするなどの対応をさせていただいています。

 

このような機会の中で、多くの人に支えられていることを実感しているわけですが、支えてくださっている方々に感謝をし、多くの方のお役に立つことができるように、日々、自他の区別を超えるよう努力をし、慈悲の体得に向けて邁進したいと思います。

このサイトで紹介されている他の指導員の方々は、さまざまな宗教や精神世界に関する深い知識や、ヒーリングの専門技能を持っています。しかし、私自身は、支部教室活動が中心ということもありますが、昔から、色々なことに関心があり、色々なことをそつなくこなしていますが、これといって、自分の専門分野とか、特殊才能がないのが特徴です。いわゆる器用貧乏とでもいいましょうか。

◎経歴

1966年3月 愛知県で生まれ、岐阜県で育つ
2007年3月 アレフ(オウム真理教)を脱会。
2007年5月 オウムの反省のもと立ち上げたひかりの輪で、 スタッフとして人生を再スタート。ひかりの輪では、副代表に就任。

2022年4月 東京本部教室に指導員として在住しています。千葉地区主任
関東全域を担当しており、名古屋、大阪など、全国各地の支部教室を訪問してます。
上祐史浩のセミナー・勉強会・個人相談・聖地巡りの開催、更には、アレフ脱会支援の相談に従事しています。

2019年より、「上祐史浩・ひかりの輪Youtubeチャンネル」の主任担当となり、2021年10月には、上祐に引き続き、Youtubeチャンネル「街録」に出演しました。

「トマホークチャンネル」(2022年4月)にも出演させていただきました。


(オウムに入信・出家・脱会するまで(2007年)まで、いろいろなことがありました。ここまでのプロセスはオウムの教訓サイト『オウム・アーレフの総括』でご覧いただけます。 ご興味のある方はどうぞ)


◎連絡先

メールアドレスtokyo@hikarinowa.net
電話番号:080-2273-3588

 hosokawa_mika

facebook:http://www.facebook.com/profile.php?id=100002113583973
ミクシィ:https://mixi.jp/show_profile.pl?id=10324646&from=account_menu

ブログ:東京本部教室(千葉・横浜連絡所)/細川美香のブログ
日々のできごとや東京本部教室(千葉・横浜連絡所)のお知らせをつぶやきます。
東京本部教室のご紹介

 

 ◎私の好きなこと

以下は、私の技能でもなく、担当分野でもなく、単なる趣味としてですが、

(1)自然が好きです。
オウムに出家する前から、よく各地の自然・聖地を観光しました。ひかりの輪のナチュラルヒーリング(聖地・自然の中の癒し)は気に入っています。

(2)物を作るのが好きです。
細川家の伝統です。陶器の製作家や、作曲家などがいます。ひかりの輪のホーリーアートヒーリング(宗教芸術による癒し)のお手伝いをしています。

(3)京都、そして、奈良吉野の天河が気に入っています。
仏像が好きです。好きな仏像は、広隆寺の弥勒半迦思惟像と、熊野那智の青岸渡寺の如意輪観音です。素晴らしい仏像は、最高の癒し効果があります。

(4)良い香りが好きです。
名前の通り、美しい香りが好きです。ひかりの輪も、アロマテラピー、自然で神聖な香りによる癒しを取り入れています。

(5)きれいな物が好きです。
例えば、花が好きです。私の東京本部教室もきれいです。(^^)
美しい心は、整理整頓からがモットーです。ぜひ本部教室にお越し下さい。

(6)上祐代表は......
愛もあるし、 面白いところもあるし、厳しいところもある人です。

こうして、平凡・器用貧乏・癒し系の私ですが、最大の特徴は、不思議なことに、優れた友人、知人に恵まれる運があることで、皆さんに感謝して生きています。ひかりの輪の中では、潤滑油的な役割を果たして、ご利用下さる皆さんに奉仕させていただければ、と思います。
 

 


◎オウム脱会から現在までの道のり 

2014年1月でひかりの輪となり7年になりつつありますが、振り返れば、瞬く間に過ぎ去ってしまったような印象を受けます。アレフと対立していた代表派時代から含めれば、もう少し長いですが。

2004年~2007年までの代表派、そして、オウム・アレフを脱会し、ひかりの輪の活動をしていくなかで、いろんな気づきや、大自然の中などで心が広がっていくなどの体験を行っていきました。  

 

代表派の活動を行いながら、私は「麻原が作り上げた何かを超えていかなければいけない、壊していかなければいけない」という思いに駆られるようになり、その思いは、どんどん膨らんでいきました。最初の頃は、それが何であるのか、わかりませんでしたが、今では、このようなことであると考えています。

それは、オウム真理教の教えは、麻原を神として絶対視し、私たちこそは選ばれた魂であって、それ以外は凡夫・外道という選民思想。オウムが善であり、それ以外は悪であるという、究極の善悪二元論でした。その先に事件がありました。

今から思えば、これは、非常に傲慢であり、おかしなことだ、と思えることばかりです。

しかし、その世界に浸っていると、それが普通になってしまい、罪悪感すら湧かなくなってしまうのですから、非常に怖いことだと思います。

それに対して、それを超えて、今私が実践しているひかりの輪の教えは、二元論ではなく、すべては自分の心の表れでありつながっているという、一元思想に基づいています。

それは、すべてに仏性が宿っており、特定の魂だけに仏性があるものではない、すべてが神仏の現れであり、感謝する、という教えが中核になっており、善悪二元論ではありません。


何かを壊していかなければと思いつつ、その何かがわからず悶々としていましたが、ひかりの輪で一元思想を学ぶ中で、乗り越えていくもの、壊していくものは、二元的意識だったのだと、それが必要なことなのだとわかり、非常に心がすっきりしたことを覚えています。  

オウム真理教時代は、自他の区別をしないところか、完全な自他の区別による教えを中心として、プライドを増大させ、傲慢になり、自分こそが偉大であると思い、自分一人で生きているかのような錯覚に陥っていたように思います。心が縮こまっていたと思います。

ひかりの輪では釈迦牟尼が説かれた縁起の法をはじめとして、一元的な思想を中心としています。例えば、自分と他人はつながっている、他人は自分の心の現れであること、苦楽表裏であること、善悪表裏であること、自他の区別をしないことなどが、教えの中心となっています。

そして、万物を神仏とみなして、すべてに感謝をするという教えは、自分一人だけで生きているのはなく、多くの人たちによって生かされており、そのように思うだけで、意識が大きく大きく広がっていく感じがし、それが心地良く感じます。

 ひかりの輪のもう一つの特徴として、聖地巡りというものがあり、これまでに、さまざまなところを訪れてきました。私が気に入っている場所は、長野の上高地や、諏訪、そして、奈良の天川、高野山も好きです。もちろん、これ以外にも、優れた多くの聖地はたくさんあり、甲乙つけがたい状況ではありますが。

聖地を訪れることによって、特に自然の中に入っていくことにより、聖地・大自然と自己が別々ではなく、一体となって生じる体験などがあり、そのような体験が生じるときには、自我意識(エゴ)が弱まっています。

私が自然の中で特に感じるものは、「水」というものがあります。ひかりの輪の音楽の中に「水の神」という歌がありますが、その歌詞の中に、「清らかなものも けがれたものも、すべてをつつんで はぐくみ育て」と「清らかなものも けがれたものも 川の流れに すべてをつつみ」というのがあります。

水をみての初めての体験は、2007年の10月に屋久島に聖地巡りに行った際、そこで訪れたヤクズギランドでの川の流れを見ながら、瞑想していたときでした。

しばらく、川の流れを見ていたら、上記の歌詞が自分の脳裏に浮かんできて、「ああ、すべては許されてるんだな」と思え、それと同時に申し訳ない気持ちがこみ上げ、涙を止めることができませんでした。しかし、その後は、非常に心がすっきりとしており、すがすがしい気持ちになりました。

他の聖地でも、いくつかの体験を与えていただきました。長野の諏訪を訪れたときの経験をご紹介させていただきます。

諏訪にある小袋石というところ(古代からの磐座)で瞑想をしていたときのことですが、そのときの自分の瞑想のテーマは、「他の喜びを自分の喜びとすること、育む、受容」というもので、そのときもそれらについて瞑想していました。

すると、瞑想している自分に小袋石が迫ってきました。そして、石が自分に迫って来ただけでなく、自分からも石に近づいて行きました。目の前に小袋石があり、自分では何が起こったのか事の次第が飲み込めませんでしたが、そうしているうちに小袋石の中に自分が溶け込んでいきました。

そして、溶け込み、広がって自分というものがなくなってしまいました。自我意識がなくなってしまったのです。時間の感覚もなくなっていたので、どれくらいその状態が続いていたのかわかりませんでした。自分がなくなり、同化していくのは、なんだか不思議な感じですが、固定された自己がなくなるという感覚は、すべてから開放された感じで、心地良く気持ち良く、暖かい感じがしました。

また、同じく諏訪のミシャクジ(諏訪の古層の精霊)でのことですが、ミシャクジの湛えの木の近くで瞑想していたとき、木から出ているたくさんの枝が腕のようになって、多くの衆生を抱きかかえているように感じました。そして、すべてを受容している、すべては許されるんだなと思いました。自分がそれを得るには自他の区別を超えていかなければいけないと思いました。このときの瞑想も、育む、受容、安心、宇宙母といったものがテーマでした。

自分という意識に執着し、自分のことを中心に考えることより、自他の区別をなくし、自分も他人も同じであり、一体であるという意識のほうが、遙かに意識の広がり、そして、暖かさを感じることができます。

次は、聖地での体験ではなく、日々の仏教実践の中での体験となりますが、私自身の中では、ひかりの輪の法則の理解が深まった印象的な体験となりますので、ご紹介させていただきます。

2009年に行った内観をしていたときのことです。本部教室にて、内観に3日間入らせていただきました。内観とは、①していただいたこと、 ②して返したこと、③迷惑をかけたこと、この3つの事柄について、身近な人、例えば母親、父親という順番に、自分の小さい頃からのことを思い出し、内側を見つめていく作業をいいます。

私も例に漏れなく、母親から順番に3つの項目について見つめていきました。そして、父親、弟、祖父、祖母などと順番に行っていく中で、実は、していただいたことと迷惑をかけたことはつながっていて、表裏の関係であることが理解できました。

そして、さらに進めていくと、自分と他人のつながりがどんどんと見えてきて、循  環しているのがわかり「これが縁起の法なんだ」とより深い納得が生じたのです。そういった中でふと、「私って今までどれくらいの多くの人と出会って、支えられてきたんだろう」と思い、生まれてきてから知り合った人を順に書き出してみました。そうすると、子供の頃から今までほんとうにたくさんの人と出会い、その一人一人から恩恵を受けていたんだということを実感しました。

そして、「ああ、私はこんなに多くの人に支えられて生きてきたんだ」「今まで自分ひとりの力で生きていると思っていた私は、なんて傲慢だったんだろう」、そう思った瞬間のことです、強い感謝の思いが湧き、同時に霊的なエネルギーが身体の中を上昇し、そして、ワーッと広がっていきました。暖かく包み込むようなエネルギーが一気に広がって、自分の内側にある他人との壁のようなものがなくなり、大きく広がっていきました。「これが自他の区別を越えた先にある心の広がりなんだなあ」と思いました。

仏教の唯識思想には依他起性(えたきしょう)という教えがあり、その意味は「すべてが相互に依存し合って存在していて、本質的には一体である」というものですが、このときの体験は、まさにそれを言葉ではなく、感覚的に実体験したものだと思います。そういう意味でも、このときの体験は、私の中で、ものすごくインパクトが強く、印象深いものとなっています。

最後に、今後の抱負を述べて締めくくりたいと思います。
今後は、さらに自分を見つめ直し、反省、総括を深化させ、2度と同じ過ちを起こさないよう、一元思想の体得に努力したいと思います。

私自身の実践として、上記の経験をもとに、心の広がりを体得していくこと、そのために、すべてが自分の大恩人であることを理解し、すべての衆生への感謝と慈愛に基づいて、恩返しの心を培いたいと思います。
そして、自分と他人の幸福、不幸を区別せず、他の苦しみを引き受け、他に喜びを与えることができるような自分になっていくことをテーマとして、日々の実践に励みたいと思います。

ひかりの輪は、物に限らず、心の幸福のために、仏教などの東洋思想や心理学などの東西の幸福の智恵・思想哲学を学習・実践する教室です。 さまざまな学習プログラム、ヒーリングプログラムを展開し、利用者の方々の心身の癒しのために奉仕させていただきたい、と思っています。

そして、ネットなどを駆使し、多くの方と交わり、法則を分かち合うことができるように、お手伝いさせていただきたいと思います。

   

 

◎オウムの総括

細川美香個人の、オウムの総括文書は、
「オウムの教訓--オウム時代の反省・総括」
『オウム・アーレフの総括と今後の抱負』で、ご覧いただけます。