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08気の科学・ヨーガ・健康・自己実現 アーカイブ

2021年5月23日

0020気の霊的科学:人類の可能性

以下のテキストは、2016年夏期特別教本『気の霊的科学と人類の可能性 ヨーガ行法と悟りの瞑想』第2章として収録されているものです。教本全体にご関心のある方はこちらをご覧ください。

 


1.気(生命エネルギー)の霊的科学とは

   「気」とは、体の中を流れる目に見えない生命エネルギーである。その存在は、物理学的には証明されていないが、気の思想を前提とし、それを活用する効果は、例えば、中国医学の鍼灸・指圧の治療法のように、長い歴史の中で経験的に広く認められてきた。

   その結果、鍼灸・指圧は、現代では大学で教えられ、国家資格があり、保険医療の対象にもなっているように、WHO(世界保健機関)を含め、公式に認められている事実がある。

   さらに、依然として異端の学会ではあるが、トランスパーソナル心理学会などでは、気の存在を何かしら物理量で表せないかという検討・研究がなされるなどしている。

  この生命エネルギーを表すために、気という言葉を使うのは、中国の思想の道教・仙道・気功・中国医学などである。一方、ヨーガではプラーナ、チベット仏教では風(ルン)などと呼ばれる。

 

2.気の通り道:気道に関して

   体内には、気が流れる道がある。これを気道という。中国医学では、経絡(けいらく)(経脈(けいみゃく)と絡(らく)脈(みゃく))と言われてよく知られている。ヨーガやチベット仏教では、ナーディ(脈管(みゃっかん))と呼ばれる。

   気道の場所も気道の総数も、それぞれの思想・学派によって異なる。中国医学などでは、経脈には、12の正(せい)経(けい)と呼ばれるものと、8の奇(き)経(けい)と呼ばれるものがあるとすることが多い。ヨーガや仏教では、主に3つのナーディがあるとするが、それを含めて72000本ものナーディがあると説かれることが多い。


3.気道の交差点:経穴、気道の密集点:チャクラ

   複数の気道が通る交差点があり、これを中国医学では、経(けい)穴(けつ)(ツボ)という。経穴の総数については複数の見解があるが、例えば、350以上の正穴(せいけつ)と250以上の奇(き)穴(けつ)があるという。

   そして、チャクラとは、ヨーガや仏教が説く、非常に多くの気道が密集しているところである。後に詳しく述べるが、体内の各種の神経(しんけい)叢(そう)や臓器に関係し、様々な能力や煩悩と関係しているとされる。


4.気の強化と気道の浄化の恩恵:心身の健康・悟り

   そして、仏教やヨーガにおいては、①気を強化することと、②気道を浄化して気道の中に十分な気がスムーズに流れるようにすることが、その人の心身の健康、煩悩・心のコントロール=悟りを実現するために非常に役立つと考えられている。言い換えれば、「気」と「心」と「体」が深く関係しているというのである。

  まず、中国医学では、気の流れが悪い部分に、病気が発生すると考える。その意味で、病気という漢字は、「病んだ気」のために体の疾患=病気が生じるという思想を表している。よって、気を調整することで、病気を治したり、予防したりすることができると考えられている。

   また、気と、気持ち=心は、気と体の関係よりも、いっそう深く関係・同期している。気の強さや気道の状態によって、心が大きく変化するのである。気を調整することで、煩悩・心をコントロールし、悟りの大きな助けになるというのである。これについては、後に詳しく述べたい。

   そして、体操や呼吸法などの身体の操作を通して、気のコントロールを積極的に行うヨーガをハタ・ヨーガと呼ぶ。これと同じ技法は、ヨーガと同じインドを発祥とする仏教に関しても、密教の中に取り入れられた(特に後期密教とされる密教の中に)。

   しかし、気のコントロールを積極的に行うヨーガ・仏教の修行法は、日本には、実質上20世紀後半になるまでは、本格的に輸入されることはなかったと私は考えている。


5.ヨーガのナーディの思想

   前にも述べたように、気道(ナーディ・脈管)とチャクラの位置や数に関しては、ヨーガ・仏教の各学派・宗派で異なる。私たちは、それらを総合的に研究してきた。

   その中で、図A・Bは、著名なヨーガ行者のスワミ・ヨーゲシヴァラナンダ師が解説する、3つのナーディと9つのチャクラの図である(『魂の科学』〈たま出版刊〉より引用)。

※図A↓


※図B↓

   まず、三つの主要なナーディは、以下の通りである。

①スシュムナー管
   尾てい骨から背骨(脊髄)を通って頭頂に至る。中央の気道。

②ピンガラ管
   尾てい骨からスシュムナー管よりも右側を通って右の鼻に至る。
   右側の気道。別名スーリヤ・ナーディ。

③イダー管
   尾てい骨からスシュムナー管よりも左側を通って左の鼻に至る。
   左側の気道。別名チャンドラ・ナーディ。


6.ヨーガのチャクラの思想

   次に、9つのチャクラの位置と名前は、以下のとおりである。

①頭頂:サハスラーラ・チャクラ
②眉間:アージュニャー・チャクラ
③咽頭部:ヴィシュッダ・チャクラ
④胸部・心臓部:アナーハタ・チャクラ
⑤肝臓部:スーリヤ・チャクラ
⑥膵臓部:チャンドラ(マナス)・チャクラ
⑦上腹部:マニプーラ・チャクラ
⑧下腹部:スヴァディシュターナ・チャクラ
⑨尾てい骨:ムーラダーラ・チャクラ

   ヴェーダの聖典では、これらの9つのチャクラが説かれているが、現代のヨーガの導師は、その中のスーリヤ・チャクラとチャンドラ・チャクラを除いた7つのチャクラを主なチャクラとして強調することが少なくない。この7つのチャクラの性質に関しては、『ヨーガ・気功教本』を参照されたい。

   なお、ヨーガ行者の体験の中には、これとは異なったピンガラー管・イダー管の位置を体験する者もいる。例えば、ピンガラー管とイダー管が、尾てい骨からそれぞれ直線的に右側か左側を上っていくのではなく、双方ともが左右に蛇行しながら、チャクラの部分でお互いに交差して上っていくものである。これについては、別に解説する。


7.仏教のナーディの思想

   図Cは、チベット仏教の僧侶ツルティム・ケサン師が解説する3つのナーディと4つのチャクラである(『図説マンダラ瞑想法』〈ビイング・ビッグ・プレス刊〉229頁より)。

※図C↓


   まず、3つの気道は以下の通りである。

①ウマ・アヴァドゥーディ(中央脈管)
   下端は性器で、脊髄を通り、頭頂に至る。太さ10ミリ程とも。
   ※下端は臍(へそ)から指4本分下がった所との表現もある。
   ※位置が、脊髄ではなく、背骨の前という表現もある。
   ※管の太さは状況で変わる(右と左の脈管も同じ)。

②ロマ・ラサナー(右の脈管)
   中央脈管の右側を通り、その下端は中央脈管の下端に、
   その右側から繋がり、その上端は眉間の下の鼻の奥に、
   その右側から繋がっている。太さ5ミリ程とも。
   各チャクラで、中央脈管と左の脈管と絡み合っている。

③キャンマ・ララナー(左の脈管)
   中央脈管の左側を通り、その下端は中央脈管の下端に、
   その左側から繋がり、その上端は眉間の下の鼻の奥に、
   その左側から繋がっている。太さ5ミリ程とも。
   各チャクラで、中央脈管と右の脈管と絡み合っている。


8.仏教のチャクラの思想

   次に、4つのチャクラの位置と名称は、以下の通りである。

①頭頂:大楽輪

②咽頭部:受用輪
   正確には、喉そのものの中にではなく、喉から背骨側に入った奥のあたりにある。

③胸部・心臓部:法輪
   正確には、心臓ではなく、両乳房の中央の所から背骨側に入った奥のあたりにある。

④臍:変化輪
   正確には、臍そのものではなく、臍があるところから背骨側に入った奥のあたりにある。

   なお、中央の気道の位置として、背骨・脊髄に加え、体の前面、背中とお腹の中間という3つがあるという考えもある。すなわち、体を側面から見て、前側の気道、中央の気道、後側(背骨)の気道である。


9.チャクラでの気道の詰まりが煩悩を生じさせる

   さて、チャクラの部分で、気道に詰まりがあって、気がうまく流れず、停滞すると、そのチャクラに対応した煩悩が生じる。気道が詰まっているチャクラによって、それぞれ異なる煩悩が生じる。

   ただし、気=エネルギーが不足していれば、気道は詰まっていても、その詰まった部分までエネルギーが届いていない状態になる。この場合は、煩悩は生じない。あくまでも、エネルギーが気道の詰まった部分にぶつかり、その流れが遮られている場合に煩悩が生じる。

   すなわち、煩悩とは、流れようとするエネルギーと、それを遮る気道の詰まりの間の緊張状態が作るストレスなのである。例えば、性器のところのスヴァディシュターナ・チャクラの部分で気道が詰まると、性欲が生じるのである。

   そして、そこで性欲を満たすならば(すなわち射精をするならば)、そのチャクラの部分から、エネルギーが外に漏れだす。その結果として、エネルギーと気道の詰まりの緊張状態は一時的に解消されるから、性欲が消える。しかし、エネルギーが回復して、再び緊張状態が生じると、再び性欲が現れることになる。


10.気道の浄化の重要性:悟り・解脱の道

   仮に、チャクラの部分の気道の詰まりを取り除くことができたとしたら、緊張状態は解消され、そのチャクラを越えて、エネルギーが上昇する。

   そして、すべてのチャクラに詰まりがなくなると、エネルギーは頭頂のサハスラーラ・チャクラに集中する。このチャクラは特別であって、このチャクラにエネルギーが集中すると、悟り・解脱が生じるとされる。

   なお、頭頂に至る気道は、中央気道だけである。よって、中央気道にエネルギーが集まるときに、心は不動となり、悟り・解脱に至るといわれることがある。


11.気と気道の3つの状態

   ここで、エネルギーと気道の状態を以下の3つに分類することで、より理解を深めたいと思う。

①エネルギーが不足している場合
   煩悩は生じない。無気力な状態。意志・集中力も弱い。

②エネルギーはあるが、気道が詰まり、流れが阻害される場合。
   煩悩が生じる。無気力ではないが、煩悩のため心が不安定で、集中も妨げられる。

③エネルギーが強く、気道の詰まりもない場合。
   煩悩がなく、心が静まり、集中力が強い。高い瞑想状態。


12.各チャクラと各気道と煩悩の関係

  さて、次に、各チャクラと煩悩の関係であるが、主な7つのチャクラに関しては、『ヨーガ・気功教本』に詳説したので、そちらを参照されたい。

   残りの二つの副次的なチャクラのうち、スーリヤ・チャクラは、「太陽のチャクラ」ともいわれ、小さな太陽のような形をしており、肝臓の右側にあって、火元素優位だとされる。食物の消化作用を助けている。

   このチャクラの部分で気道が詰まると、怒りが生じるという。それは、実際に怒りを表現せずに、内面に怒り・ストレスをため込んでいる状態の場合もある。この怒りは、ムーラダーラ・チャクラの怒りよりもレベルが高く、単に「嫌だ嫌だ」というのではなく、他人の問題に対して怒る場合などがある。

   チャンドラ・チャクラは、「月のチャクラ」ともいわれ、球形であり、膵臓と脾臓の近くにあり、膵液の分泌に関係しているとされる。

   このチャクラで気道が詰まると、無智の煩悩が生じる。無智とは、仏教では根本煩悩といわれ、物が正しく考えられない状態である。具体的には、単純に物が考えられない愚鈍な状態、動きが鈍い、目先の快楽に偏る、怠惰である、(自己中心で)他に冷淡・無関心といった状態をもたらす。さらに、間違った霊的・宗教的な探求・魔境、イメージ上の性欲、覚醒剤の使用にも関係するともいわれる。


13.3つの気道と煩悩の関係

   中央・右・左の3つの気道が、仏教の3つの根本煩悩である貪(貪り)・瞋(怒り)・痴(無智)に関係しているという考えがある。どう対応するかというと、以下のとおりである。

①中央気道:貪り・執着
   どういう対象への貪りかは、どのチャクラの部位で、中央気道が詰まるかによる。
   なお、この気道だけは、他の気道と異なり、頭頂のチャクラに通じており、どこも詰まっていなければ、解脱・悟り・真理に対する貪り=探求心・求道心が生じることになる。

②右気道:怒り
   どういう性質の怒りかは、どのチャクラの部位で、右気道が詰まるかによる。

③左気道:無智
   どういう性質の無智かは、どのチャクラの部位で、左気道が詰まるかによる。


14.各チャクラの3つの詰まり

   この3つの気道は、各チャクラを通っている。そこで、各チャクラの中央や右側や左側で気道が詰まっているならば、そのチャクラに対応する煩悩に加え、貪り・怒り・無智の煩悩も、加わっている可能性がある。

  例えば、スヴァディシュターナ・チャクラの右側で詰まっている場合は、そのチャクラに対応する煩悩である性欲に関係する怒り、例えば、異性への性愛に絡んだ怒りが生じる可能性がある。

   こうして、サハスラーラ・チャクラを除くと6つの主なチャクラがあるが、それぞれが3つの気道と関係しているので、全部で18か所の詰まりのポイントがあることになる。それに加え、チャンドラとスーリヤの2つのチャクラがある。


15.気道の浄化の方法:身体行法・瞑想・戒律・聖地

   気道の浄化の方法としては、物理的な方法、すなわち、ハタ・ヨーガなどの身体行法によるものと、精神的な方法がある。

   ハタ・ヨーガなどの身体行法として、アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラーが有効である。この詳細は『ヨーガ・気功教本』を参照されたい。

   なぜ有効かというと、気道の詰まりは、経験的に言って、①筋肉や関節をほぐす、②血流を増大させる、③体を温める、④深い十分な呼吸によって浄化することができるからである。よって、アーサナ(体操・体位法)やプラーナーヤーマ(呼吸法・調気法)が有効なのである。

   また、ヨーガ行法以外にも、同じような効果を持つ修行法として、気功の行法、歩行瞑想、(温泉の)入浴などは有効である。また、中国医学の鍼灸・指圧・マッサージなどが、気道の浄化に有効な理由もわかるだろう。

   なお、プラーナーヤーマやムドラーは、尾てい骨に眠っているプラーナ(気・生命エネルギー)の親玉ともいうべきクンダリニー(宇宙エネルギー・根源的生命エネルギー)を覚醒させる効果がある。

   このクンダリニーが覚醒すると、その力強いエネルギーの上昇によって、ナーディを物理的に浄化することもできる。たとえて言えば、詰まった配管を高圧洗浄するようなものである。

   次に、精神的な方法であるが、一つは、煩悩を和らげる瞑想である。気道の詰まりは、煩悩と一体不可分である。よって、何かしらの精神的な作業、煩悩を和らげる効果を持つ思索ないしは精神集中によって、煩悩が和らげば、同時に気道も浄化されることになる。これは、ヨーガでは、ジュニャーナ・ヨーガやラージャ・ヨーガの実践に分類されるだろう。

   二つ目は、日ごろから悪行を慎み、善行に励むことである。宗教的な表現では、戒律を守る、功徳を積むことである。悪行は、煩悩を増大させ、気道を詰まらせる。言い換えれば、気道を詰まらせているものが、煩悩の原因である悪いカルマという考え方がある。

   なお、カルマ(業)とは、過去の行為の後に残存する潜在的な力のことをいうが、悪いカルマは気道を詰まらせ、良いカルマは気道を解放する力・効果を持っているということである。

   よって、日ごろから悪行を慎み、善行に励めば、おのずと気道は浄化される。ただし、それだけでは、十分には浄化できないために、上記の身体行法や瞑想などによっても浄化するのである。

   三つ目は、神聖な環境に身を置くことである。体の中の気(内気)の状態は、体の外の環境の気(外気)の状態と繋がっており、大きな影響を受ける。すなわち、神聖な気・波動に満ちた聖地に身を置くと、内気も浄化することができるのである。

   ひかりの輪では、修行の四つの柱として、①教学(正しい考え方の学習)、②功徳(悪行の抑止と善行の励行)、③行法(身体行法や瞑想実践)、④聖地巡り(や自宅の霊的な浄化)を掲げている。これは皆、気を強化し、気道を浄化する効果がある。


16.善悪を感じる身体への進化:人類の革新へ

   気を強化し、気道を浄化することに成功すると、エネルギーがスムーズに身体を流れていく結果として、心身が軽快で楽になり、心の安定と広がりが生じる。また、クンダリニーの覚醒に成功すると、そのエネルギーによって、内的な歓喜も生じる。

   そして、これは、修行者が悪行を回避し善行を励行する上で、非常に重要な変化をもたらす。というのは、奪い合いなどの悪行をなせば、気道を詰まらせ気を弱めるため、心身が不快となり、分かち合いなどの善行をなせば、心身が心地よくなるからである。

   普通の人は、煩悩・欲望・奪い合いなどは、頭では「悪い」とわかっているが、体や心がそれを求めてしまう。また、逆に、分かち合い・慈悲は、頭では「善い」とわかっているが、体や心は「辛い」と感じる。

   つまり、頭と心と体がバラバラであり、理性と感性が、矛盾・葛藤しているのである。これが、現代の社会になっても依然として、個々人が善悪を十分に分別して行動できない理由であるし、無数の事件・紛争が続いている理由である。

   しかし、気の強化と浄化を進めていくならば、善いことをすれば心身も「気持ちよい」と感じ、悪いことをすれば心身も「気持ち悪い」と感じる状態に、いわば「進化」することができるのである。

   言い換えれば、善悪を理解する頭に加え、「善悪を感じる体」を持つことができるようになる。これは、都市文明が始まって以来、数千年もの間、人類が現在に至っても克服できていない奪い合いや戦争を乗り越えるための決め手になるのではないだろうか。だとすれば、これは、人類の革新・進化であろう。


17.ヨーガや仏道修行の様々な恩恵:高い集中力など

   ここで、気を強化・浄化するヨーガや仏道修行の恩恵を列挙しておきたいと思う。

   第一に、それは、悟り、すなわち、心の安定と広がりを与える。そして、心の安定は、正しい判断力や直観力を含めた智慧を高めることになる。

   第二に、気の状態と密接に関連する心身の健康を向上させる。そして、心身を軽快で楽にして、究極的には、内的な歓喜をもたらす。

   第三に、物事の達成・人生の成功をもたらす。すでに述べた安定した心、智慧、健康に加え、気の強化・浄化ができていれば、前に述べたように物事を実現するために必要な強い意志・集中力が得られるのである。

   特に、仏教・ヨーガの修行が深まると、禅定・サマディなどと呼ばれる深い瞑想状態に至る。それは、心が深く安定し、非常に高い集中力を持った状態である。無心の集中力とでもいうべき状態である。

   これは、スポーツの世界で選手が最高のパフォーマンスを発揮する際の特殊な心理状態である「ゾーン状態」や、心理学で何もかもが流れるようにうまくいく心理状態とされる「フロー状態」に深く通じるものである。

   その状態に入った選手は、勝敗の結果を気にする雑念がなく、無思考の状態であり、流れるように最善の動きをするという。まさに、無欲の極限的な集中状態である。

   そして、これを偶然・偶発的に体験するのではなく、継続的な訓練によって作り出そうとするのが、ヨーガや仏教の禅定・サマディの修行である。

 

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2021年5月20日

0025現世幸福の教え

以下のテキストは、2013年GWセミナー特別教本『現世幸福と悟りの集中修行  不動心・人間関係・健康・自己実現』第1章として収録されているものです。教本全体にご関心のある方はこちらをご覧ください。

 

  ここでは、私が、現世幸福に関する宗教的な智恵と考えるものを、いくつか紹介したいと思う。

これは、巷にあふれるお金儲けや成功術のノウハウを紹介する書籍などとは大きく違い、あくまでも宗教的な智恵の枠組みの中から、現世を幸福に健やかに生きていくための教えを紹介するというものである。

よって、現世の幸福の智恵といっても、際限なく欲楽を貪ることをよしとする価値観に基づいたものではない。ひかりの輪が、その中核の思想として説いている、万人・万物を一体・平等と見る輪の思想や、それに基づく万人・万物への感謝・尊重・愛といった価値観に矛盾しないものであることを、前もってご理解いただきたい。

※「精神的・宗教的な智恵」という言葉についての補足
  ここでいう「精神的・宗教的な智恵」とは、盲信の危険をはらむ宗教の信仰の話ではないことを補足しておきたい。智恵という言葉は、正に叡智・知性・理性に通じるものであることからわかるように、「宗教的な智恵」とは、宗教の思想の中で理性によって納得することできるもの、理性に基づいて再解釈したものである、「宗教哲学」と同じ意味合いで使っている。

  特に、ここでは、仏教の中の悟りの思想哲学に関する話である。悟りの思想は、人の多くの苦しみは、自己に対する過剰な愛着に原因があり、瞑想その他の修行により、過剰な愛着を弱めることで、苦しみを弱めることである。これは一種の高度な心理療法ということもできる。

  たとえば、鬱病やストレスに対する最新の心理療法の一つである「マインドフルネス心理療法」は、仏教の念(=マインドフルネス)の瞑想法の応用であることからも、仏教の説く苦しみ・ストレスを和らげ、悟りに近づく思想と実践は、理性による批判を許さない盲信とは違う、幸福の人生哲学である。


1 不動心の法:苦しみに強く、絶えず前向きな心

  人生は、山あり谷ありで、喜びもあるが、同時にさまざまな苦しみがある。それは、毎日のさまざまな苦しみから、学業・仕事・事業での失敗・挫折・敗北や、失業・倒産・病気・事故を含めた人生の危機まで、さまざまである。

  特に近年の日本は、高度成長期が終わり、バブル崩壊後の停滞する経済の時代となった。リストラ・失業・鬱病等の精神疾患・自殺者は増大した。市場原理主義の導入による競争の激化により、厳しさを増す労働環境の中でのストレスが増大し、勝ち組・負け組といわれる貧富格差の拡大や、若者のワーキングプアといった問題も起こっている。

  今後の社会全体を見ても、東日本大震災・原発事故・地球温暖化に見られる自然災害や環境問題や、少子高齢化・消費増税・巨額の国家債務による財政破綻の危機、さらには、近隣諸国との外交領土問題・安全保障問題など、さまざまな不安要素も抱えている。

  こうしたさまざまな問題に対しては、その解消のために、絶えず個々人から政府までが努力しているが、全てを解消することは、到底できそうもない。よって、こうした問題が起こったとしても、それに対していかに絶望することなく、強くて安定した前向きな心を保ちながら生きていくかという智恵が、非常に重要なものとなる。ここでは、そうした不動心を得るための宗教的な智恵を紹介したいと思う。


(1)私の人生体験について

  まず、その前提として、私自身の人生体験について多少述べたいと思う。一言で言えば、私は、よく「地獄体験」といわれるものを繰り返してきた。

  オウム真理教の時代から、私は、仏教的な智恵を学び、不動心を追い求めてきた。87年に出家した私は、ストイックな戒律の下での生活と極限的に厳しい修行、慣れない海外生活と教祖の与える宗教的な試練の連続に耐え、88~89年頃になると、不動心を得ることに、一定の結果を感じ始めていた。

  ところが、その前後から、教団は教祖を絶対とし、社会を悪魔に支配されたものと見て敵対する狂信的な思想に陥って、犯罪行為を正当化し、実行し始めていた。89年の坂本弁護士殺害事件後には、教祖への盲信などから、自分も同じ間違った思想に陥り、90年にかけて、テレビ出演で公衆の前で教団を守るために嘘の弁明をする緊張した状態を経験した。93年ごろには、一つ間違えば死亡する緊張を伴う生物兵器の製造実験の活動にも参加した。

  その教団は、94~95年にかけて、サリン事件などの重大な事件を起こして破綻するに至り、教祖と同僚の高弟たちは、次々と重罪で逮捕・起訴され、死刑が求刑された。その中で、事件の直前にロシアに赴任した私は、紙一重でその難を逃れることとなったが、教団の破綻は、痛烈な精神的な打撃であったし、近しい同僚が刺殺されるという生命の危機や、社会的に四面楚歌の状況を生み出した。

  さらには、自分も、偽証という比較的軽微な罪であったが、逮捕・起訴され、数年にわたる独居房での勾留・受刑を経験した。受刑中に、麻原の中心の教義だった予言が外れるとともに、麻原自身が奇行・不規則発言を始め、精神的に深く麻原に依存していた私は、独居房の孤独の中で、精神的にも追い詰められていった。

  さらに、99年の出所近くになると、外の信者と地域住民との摩擦が非常に激しくなり、団体を監視する新しい法律が、最高幹部の私の出所を警戒するものとして「上祐新法」とも呼ばれるなどしたために、相当の精神的なプレッシャー・葛藤が生じた。ただ、このプレッシャーに対して、麻原とは関係なく、自分自身の仏教的な思考・瞑想で、自己愛・我執を弱めることで、非常に深く静まった精神状態を体験した。これは以後の自分の精神の安定の土台となった。

  99年末の出所は、社会全体の大変な喧騒・圧力・監視の下となり、出所後も、前と同様に、一歩も自由に外出できない期間が、2000年以降も数年続いた。その中で、私は、自分が主導して、教団名をアレフに変え、過去の事件の関与を認め、謝罪を表明し、被害者賠償契約を締結するなどして、社会との摩擦の緩和に努めた。

  しかし、2003年頃になると、自分なりの思想が芽生えて、オウム時代を反省して、教団を改革しようとしたが、麻原やその家族を絶対視する保守的な人々の激しい反対を受け、結果として、自室に事実上幽閉され、再び勾留同然の状態となった。その中で、自分の今後の方向性に関して深く葛藤・逡巡(しゅんじゅん)した。

  一年半ほどして、2004年の末になると、自分に賛同する人々が増えたことに意を強くして、自分の考えを貫くため、麻原の家族に反旗を翻し、その幽閉状態を破り、独自の活動を始め、教団を割ることになった。その後も、麻原を絶対視する人々からの激しい批判・拒絶・妨害・追放を経験し、2006年には二つのグループを施設や経済の面で完全に分離することになった。

  その後、2007年になると、私たちのグループは、精神的な進化を深め、麻原信仰を払拭して、アレフを集団で脱会し、ひかりの輪として独立した。しかし、その後も、様々な人たちの理解・協力・支援によって、徐々に改善されつつあるが、依然として、社会からの誤解・批判・圧力が続いてきた。

  また、今はすでに収まっているが、この過程においては、団体内部においても、過去の信仰を放棄するという一種の自己破壊のプロセスや、従来の団体の財務を支える仕組みの放棄のために、さまざまな精神的なストレス・動揺・混乱・摩擦・失敗が発生し、一部ではあるが、鬱病にかかる者も現れた。さらに高齢化のために、認知症や身体障害を患った高齢者の介護の問題も生じた。こうして、厳しい財務状態の中で、オウム事件の被害者賠償の履行に四苦八苦した。

そうした中で、昨年2012年に至って、オウムの逃亡犯全員が逮捕・収監されたことを一つのきっかけとして、テレビ・週刊誌などのメディアに復帰し始め、年末に大手出版社から、オウム時代の総括本を出版した。

  その後は、今年2013年は、トークショー・ネット番組・講演会に招かれることが多くなり、東京や大阪ではすでにさまざまな方々や団体にご招待いただき、福岡・札幌・熊本・沖縄などでもご招待いただいている。最近は、宗教関係の著名な映画・書籍の批評の依頼を受けることもままあり、去年に引き続き、間もなく対談本を発刊する予定となっている。こうして、ようやくではあるが、社会復帰の途に着くに至りつつある。

  こうしたわけで、過去20年以上、一種の地獄体験の連続であったが、その中で結果として殺されもせず死刑にもならず、ノイローゼにもならず、賠償負担を負って厳しい中で、何とかではあるが、一団体の代表を務めてきたことは、自分の力ではとうていなく、厳しい社会環境の中でも、さまざまな人々の貴重な手助けがあったからこそであり、さらには、人智を超えたさまざまな幸運のおかげであった。

  そして、以下に私が述べることは、こうした地獄体験の連続を通ってきた者による、実体験・実感に基づいたものである。

 

(2)逆転の法則:苦しみを喜びに変える智恵

  先ほど述べたさまざまな苦境において、私を精神的に助けた大きな要素が、苦の裏に楽があるという考え方だった。これは、仏教開祖の釈迦牟尼の思想でもあり、苦楽表裏などといわれる。快楽の裏には苦しみがあるが、苦しみの裏にも喜びがある。特に、苦しみによって、正法に対する信仰が芽生えると説く。それほど苦しみがない状態では、人は、自らの間違った執着などを反省しないというのだ。苦しみがあってこそ、その原因となっている過剰な執着を反省するという。

  また、受刑中に、昭和の希代の実業家となった松下幸之助(パナソニック・松下電器の創始者)の著書を読んだ。その中には、彼が苦境にあった時に、「この苦しみは、将来の幸福のために必ず役立つ」と自分に言い聞かせてきた体験が切々と書かれていた。そして、彼は、病弱だったから他に頼む術を憶え、学歴がなかったから他から素直に学べ、お金が無かったから丁稚奉公に行って商人の機微を学んだとして、「自分の不遇・苦しみを、逆に活かしてきた」と語っていた。

  そんな中で、私も、オウム真理教の深刻な失敗・挫折に対し、それを重要な教訓として活かし、それを完全に乗り越えた新しい思想、新しい知恵の学びの場を創造することを志すことにしたのである。それは、最初は理解されにくくても、長期的には社会の役に立つはずだと考えた。

  なぜならば、オウム真理教の問題は、オウム真理教に限らない。世界全体の原理主義的な宗教の問題であるし、さらには自己の教祖や教団を絶対視する従来型の宗教に広く当てはまる問題である。そして突き詰めれば、オウム真理教を生んだ戦後日本社会が、依然として乗り越えていない、敗戦までの自国を絶対視した大日本帝国体制にも共通した問題である。

  それがゆえに、この問題を完全に乗り越えた思想を創造することは、オウム真理教的なさまざまな問題を解決するために役立ち、他のカルト教団・原理主義組織に限らず、日本社会全体が過去の過ちを繰り返さない方向にも役に立つと考えた。そして、今そのためにさまざまな取り組みを行い、それが徐々に、前に述べたように、社会の一部に受け入れられ始めている。

  こうして、苦しみの裏に喜びがある。苦しみは、宗教的には執着を捨てる悟りへの道だし、世俗的にも失敗・挫折・批判は、反省と改善を通して成功・脱皮・称賛の始まりとなる。失敗は成功へ、挫折は脱皮に、批判は称賛につながる。

  逆に、苦しみ少なく、楽が多すぎれば、自分を鍛える機会を得にくい。成功の体験ばかりで失敗・挫折の体験がないと、失敗・挫折に対して精神的にもろくなったり、過去の成功体験によるプライドにとらわれたりして、失敗・挫折を直視できずに失敗する。称賛に慢心を起こせば、ゆくゆく批判されるようになる。成功・称賛が、失敗・批判につながる。

  こうして、苦境にある時には、その苦しみばかりに目を向けずに、なるべくその裏にある利点を捜すべきである。必ず何かの利点があると考えるのだ。格言で言えば、人間万事塞翁が馬、ピンチの裏にチャンスあり、死中に活を求めるである。

  この際、苦しみから逃げてばかりいて、例えば自分の失敗を認められなかったりすると、その苦の裏にある利点は見つからないし、失敗を成功の元にする道は見いだすことができない。死中に活という視点では、これまでの自分の死を恐れていては、新たな生=脱皮・進化はできない。人の脱皮・進化とは、死と再生、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれである。

  なお、日常生活でよく経験する失敗・挫折・批判・病気・経済苦といったさまざまな苦しみの裏側に、一般論として、どんな喜びがあるかについては、例えば、前回のセミナーの特別教本(2012年~2013年 年末年始セミナー特別教本)などでも述べているので、その一部を下記に引用しておく。

「個々別々の苦しみを恩恵とみる事例」

① 病気の苦しみ
  病を得て、生活習慣を改め、体を労(いた)われば、健康・長寿を得る機会に変えることができる(いわゆる一病息災)。また、病気になって初めて、自分を支える人の恩恵に気づくことも多い。

② 経済の不安(最近よく聞かれる日本人の苦しみ)
  そもそもが、恵まれている日本人という視点を持てば、貪りや浪費を反省し、質素倹約を培う機会であり、途上国の貧しい人たちへの慈悲を培う機会ともなる。
さらには、自己の所有物ではなくて、大自然など、皆が共有しているものが、真の宝であると悟る機会ともなる。

③ 批判・誹謗
  正しい批判は、自分を改善し、自分の未来のためになるものである。その意味で批判されなければ、自分に良き未来はない。間違った批判は忍耐力を養い、それに動じなければ、長期的には自分の評価を高める機会となる。すなわち、批判を嫌がる心は「今すぐ評価されたい」という欲求が作り出すものである。

④失敗・挫折
  その裏に恩恵がある。努力を続ける限りは、それは、成功・成長へのステップである。むしろ真の成功は、失敗と自己反省から生まれる。失敗は、これでは成功しないことを知るという成功へのステップだ。すなわち、失敗、挫折の苦しみは、すぐに成功を望む欲求が作り出すものである。

⑤怒り・軽蔑の対象
  悪行をなしている他人も、謙虚な心で見れば、自分の反面教師であり、その意味で、助力者である。仮に、全く反面教師なく、自力だけで間違いを避けることができるかを考えるとよい。

  自分の幸福を邪魔するように感じられる妬みの対象も、「感謝の法則①」で述べたように、よく考えれば、実際には、自分よりも必ずしも幸福ではないことがわかる。また、優れた他人に対する妬みの場合は、実際には、その人たちは、自分の見本であり、貴重な切磋琢磨の対象である。そうした存在なく、自分だけの力で向上することができるかを考えるとよい。

 

(3)感謝の法則:苦境の中で自分の恵みに感謝する智恵

  また、苦境に強い人の性格として、そういった状況でも、依然として自分が得ている恵みを意識できることがある。たとえば、失業しても、健康な体と愛する家族がいることに感謝して、絶望せず、それを土台として再び立ち上がっていくとか、病気になっても、支えてくれる家族や知人がいることに感謝して、人間の幅を広げて再び立ち上がっていくなどである。

  しかし、苦境に弱い人は、そういった状況になると、全てを失ったかのように錯覚し、「自分はもうだめだ、おしまいだ」と考えてしまうことがある。しかし、実際に、私たち日本人は、安全・長寿・豊かと三拍子揃った社会に住んでおり、いかなる苦境であろうと、視点を変えれば、大変な恵みにある。

  例えば、民族紛争・感染症・飢餓貧困に悩む途上国の人から見れば、王侯貴族である。途上国では、常に水も電気も燃料も不自由なところもあり、毎日が東日本大震災の被災地のような環境条件である。百年・二百年前の日本の人々から見れば、天国のような恵みに恵まれている。

  この意味では、苦しみ・苦境とは、実際には、比較の問題であって、途上国や昔の人から見れば、私たちが苦境と考えるものは、苦境とは感じられないだろう。あまりに恵まれた私たちが、その恵みに慣れ過ぎて感謝を失っているがゆえに、苦境と感じられるともいうことができるのだ。

  こうしたことを考え、苦境に立ったときに、依然として自分には、さまざまな恵みがあることや、この世界には、はるかに苦境にある人たちが無数に存在することを考えるならば、苦境に強くなることができるのではないだろうか。


(4)無我の法則:苦の根源である自我執着を取り除く智恵

  さて、仏陀の教えでは、全ての苦しみの根本的な原因は、過剰な自己愛である。自と他を区別して、自己を偏愛する心の働き。自我執着ともいう。これは、自分自身(心や身体など)に対する執着(我執(がしゅう))と、自分のもの(財物・地位・名誉)に対する執着(我所執(がしょのしゅう))がある。

  これをわかりやすくいえば、人は、他者よりも自分を愛し、死を恐れ、天寿を無視して、永久に生きていきたいと思うことが多い。だから、自分が老い、病み、死ぬことを恐れる。しかし、自分が生きるには、他の生き物が食べ物などとなって犠牲になる(自分の生の裏に他の死がある)。多くの生命体が死ぬからこそ、多くの生命体が生まれても、地球の生命圏のバランスが取れる。人間が不死となれば、人口が爆発し、飢餓や戦争が起こる。

  さらに、人は、他人よりも、自分の財物・名誉・地位を増やそうとし、その欲望には際限がないことが多い。しかし、それを言い換えれば、いくら得ても満ち足りることがなく、さらには、得られない時の苦しみ、得たものを失う時の苦しみ、他と奪い合う苦しみが生じる。実際に、これまでの人類の歴史の一面は、貪り・争い・戦争の歴史であった。

  このように考えていくと、自分と他人を区別し、自分だけ過剰に愛する自我執着が、苦しみの根本原因であることがわかる。そして、仏陀の教えでは、この自我執着を弱めるためのさまざまな教えがある。その典型が、釈迦牟尼の直説とされる無我(アナートマン)という教えである。

これは、私たちが通常「これが私である」と思い込んで執着する自己の心身について、実際には、身体は老い・病み死ぬものであり、心も絶えず移り変わっていく、無常で実体がないものであることを考え、それらが、本当の意味で私ではなく、私のものではなく、私の本質ではないなどと瞑想するものである。また、これとほぼ同様の四(し)念処(ねんじょ)・五蘊(ごうん)無我といった教義・瞑想がある。

  この瞑想の目的は、自我執着を和らげることであり、一言で言えば、自我執着に基づく思考を減少させることだ。自分のことばかりを過剰に愛して、それゆえに悩み続ける思考を弱め静めていくことである。ようするに、自分のことばかり考えるのを止めてしまうのである。

こう言えば、何か簡単なことに思えるかもしれない。しかし、それは単純なことではあっても、簡単ではない。この単純なこと、自分のことばかり考えないようにすることを阻んでいるのが、自分に深く執着してきた長い習慣であって、そのために、自分のことばかり考えないようにしようとすると、不安・恐怖などが襲ってくることが多い。

 それゆえに、この境地を体得するには、従前から仏教的な思想を学び、無我の瞑想の練習をした上で、自分のことを考えることをやめないことによる苦しみが、自分のことを考えることをやめる不安や恐怖をしのぐような状況、すなわち、一種の試練・苦境を体験する場合が多いと思う。

  私の場合は、前に述べたとおり、オウム時代の初期に、こうした仏教的な考え方の学習や訓練がある程度なされていたので、それに馴染んでいった時期があって、その後、オウムが破綻した後に、元教祖から離れて、獄中で独りで苦悩する中で、あらためて無我の瞑想を行って、それを体得していった経緯がある。それ以来、たいていのことでは動じないようになり、今もそれを訓練し続けようと努めている。

  この瞑想を体得するならば、非常に静かな、静まった意識状態を体験する。不要な思考は停止している。それは、オカルト的な霊的体験とは違った意味で、神聖な感じさえする状態である。

 

(5)無我と直感:静まった意識に生じる直感

  そして、この静まった意識状態においては、現実の問題を突破するアイディア・直感・インスピレーションが浮かびやすい。

苦境にあって、自我執着が強すぎると、例えば、「失いたくない」という不安ばかりが先立って、いろいろと考えてはいても、悩んでいるだけで、エネルギーを消耗するばかり、空回りすることが多い。さらに、不安・焦りなどで混乱・狼狽した精神状態から、さらに苦境を深めるような過ちを犯す場合も少なくない。
 

一方、無我の静まった意識状態では、こうした精神的な混乱はなく、落ち着いて物事を見ることができる。また、こだわりがないゆえに、こだわりによって見えなかった突破口も見えてくる。さらに、不思議なことだが、こうした意識状態においてこそ、直感・インスピレーションが生じやすい。仏教の経典の一部も神通力を説くものがあるが、それは煩悩・欲望が静まった人間の精神に生じる、高度な智恵のことを意味するのではないかと思う。


(6)輪の法則:万物一体、万物を喜びとする悟り

  輪の法則は、無我の法則をさらに推し進めたものだ。先ほど述べたように、自我執着の根本には、自と他を区別する心の働きがある。自と他を区別して、自己を偏愛するのが自我執着だ。 

一方、輪の法則とは、万物が一体平等という思想であり、私たちが日常的になしている自と他の区別とは、厳密には錯覚であって、実際には自と他を含む宇宙の万物は一体であるという真理を示している。

  これは科学的に、自分や他人、自分と外界を観察すればわかる事実・現実である。どんな人間も一人だけで生きることなどできず、絶えず空気・水・食べ物などを外部から取り入れ、排出して、外界と一体となって生きている。人は宇宙の一部であり、「私」とは他から独立した存在ではなく、いわば、宇宙の中に「私」と名付けられた場所があるようなものである。しかも、その場所の範囲は、絶えず変化しており、その内と外に明確な境界はない。

この真理を悟るならば、単に心が静まるだけでなく、自と他の区別を超えた、広く温かな意識が生まれてくる。それは、万物との一体感であり、万物に支えられていることを認識した万物への感謝・尊重を伴う意識である。私は、これが大乗仏教の説く悟りの境地だと考えている。この境地を垣間見るようになれば、自と他の区別に基づく自我執着は相当に弱まっており、さまざまな苦しみも同時に減少する。


(7)サンガの重要性:実際に法則を体得するためのポイント

  さて、これらの法則を言葉で言ってしまうと簡単な面もあるが、実際に体得・実践するのは、一筋縄ではいかない場合もある。それが容易であれば、ある意味では、誰もが苦しみを容易に脱却できているだろう。しかし、苦しみは苦しみ、喜びは喜びと見て区別する、これまでの習慣によって、なかなか苦しみの裏側に、喜びが見いだせない場合もある。

  実際に、苦しみの裏に喜びがあるといっても、こうした法則は、いわば一般論、公式であって、自分の苦しみ・苦難に具体的に当てはめて、自分の場合は、どのような喜び・利点が、その裏にあるかを見いだすことは、また別である。すなわち公式の応用力・適用力の問題があるのだ。

  また、世間一般は、苦しみの裏に喜びを見いだすことがない中で、そのように信じて見いだす努力をすること自体に、本当にそうなのだろうか、本当にそう考えられる自分になれるのだろうか、という心細さを感じることもあるだろう。

  そこで、仏陀が説いたのは、同じ志を持った者が集まり、助け合ったり、切磋琢磨したりすることの重要性ではないかと思う。仏陀の教えは、仏・法・僧と訳される三宝を尊重することを説いた。サンスクリット語では、ブッダ・ダルマ・サンガといわれる。

  ブッダ(仏)は道理・法則に目覚めた人であり、ダルマ(法)はブッダの教え・法則である。そして、サンガは、僧伽(そうぎゃ)・僧と音訳される。その意味を表す漢訳は、「衆(しゅ)」、「和合(わごう)衆(しゅ)」などである。すなわち、サンガの元の意味は「集団」「集会」などであり、古代インドでは、自治組織をもつ同業者組合、共和政体のことをサンガと呼んだ。

  こうして、仏教では、サンガは、仏・法・僧の三宝の一つとして尊重された。サンガは、仏陀の教えを実行し、その教えの真実であることを世間に示し、あわせて弟子を教育し、教法を次代に伝える。なお、狭い意味では、サンガは仏教の出家者の教団を指す。

  ところが、中国や日本では、出家者個人のことを「僧」(あるいは「僧侶」)とする解釈が生じた。そのため、僧という言葉が、集団・集会を意味する本来のサンガ(僧伽)とは、大きく違った意味で用いられるようになった。

  それはともかく、学業や武道をはじめ、どのような習い事も、同じ志を持つ者たちが、道場や教室などを場として集い、先輩後輩の間で助け合ったり、互いに切磋琢磨したりすることは、大きな効用がある。

  法則も、単に頭から知識として学ぶのではなく、それを長く深く実践してきた先輩などと直に接して感化を受け、肌から学ぶ、心と体から学ぶ部分があるのは、いうまでもない。
これによって、独りでは、なかなか法則を体得できず、それどころか、疑問も多々わいて、心細くもあるといった問題を和らげることができる。ひかりの輪も、各地に教室を設け、専従スタッフが運営し、それが良きサンガとなることを志している。

  さらに、ひかりの輪は、サンガの良さをフルに生かしたものとして、「悟り集中修行」というものを行っている。それは、ひかりの輪の支部教室にて、法則を学び体得する者が集い、丸一日ないし数日の間、集中した修行実践をするものである。

  皆がよく集中できるように、一人一人のために一定の個別の空間を作り、その中で、他の用事・雑務を排除して、集中的に法則の学習を行い、法則に基づいた思索を深め(法則を自分の問題に当てはめる)、法則に基づいた思考を修習・瞑想する。

  これは、浄化された空間、同じ志を持った者が集うことによる目に見えない相乗効果、先輩の助言・助力といった環境と、各人が他の用事を排除して法則の体得に一定の長時間の間、専念・集中するといった条件が相まって、法則の体得に、大きな効果を発揮する。

 


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2021年5月25日

0065ヨーガの歴史と全体系

以下のテキストは、2017年夏期セミナー特別教本『気の霊的科学とヨーガの歴史と体系 転生思想と大乗仏教の哲学』第2章として収録されているものです。教本全体にご関心のある方はこちらをご覧ください。

 

1.ヨーガを生んだインドの古代宗教

ヨーガを生んだインドの古代宗教の源として、ヴェーダと呼ばれる宗教文書がある。これは、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称である。なお、「ヴェーダ」は 「知識」の意である。

ヴェーダは、バラモン教の聖典で、バラモン教を起源として後世成立したいわゆるヴェーダの宗教群にも、多大な影響を与えている。長い時間をかけて口述や議論を受けてきたものが後世になって書き留められ、記録されたものである。

ヴェーダは、シュルティ(天啓聖典)と呼ばれ、特定の作者によって作られたものではなく、永遠の過去から存在していたとされ、霊感に優れた聖者達が神から受け取って顕現したと考えられている。

そして、口伝でのみ伝承され、長らく文字にすることを避けられ、師から弟子へと口頭で伝えられたが、後になってごく一部が文字に記されたとされる(ヴェーダ、特にサンヒターの言語は、サンスクリット語とは異なる点が多く、ヴェーダ語と呼ばれる)。

広義でのヴェーダは、

①サンヒター(本集)
ヴェーダの中心的な部分で、マントラ(讃歌、歌詞、祭詞、呪詞)で構成

②ブラーフマナ(祭儀書・梵書)
紀元前800年頃を中心に成立、散文形式で記述、祭式の手順や神学的意味を説明

③アーラニヤカ(森林書)
人里離れた森林で語られる秘技、祭式の説明と哲学的な説明

④ウパニシャッド(奥義書)
哲学的な部分、インド哲学の源流、紀元前500年頃を中心に成立、ヴェーダーンタ(「ヴェーダの最後」の意)を含む。

狭義では、サンヒターだけをヴェーダといい、①リグ・ヴェーダ、②サーマ・ヴェーダ、③ヤジュル・ヴェーダ、④アタルヴァ・ヴェーダ、という4種類がある。ヴェーダは一大叢書(そうしょ)であり、現存するものだけでも相当に多いが、失われた文献をあわせると、さらに膨大なものになると考えられている。


2.バラモン教とは

バラモン教は、『ヴェーダ』を聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神を崇拝し、バラモンと呼ばれる司祭階級が行う祭式を中心とする。

バラモンは特殊階級であり、祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持ち、宇宙の根本原理ブラフマンに近い存在とされ敬われ、生贄などの儀式を行うことができる。なお、バラモンは、正しくはブラーフマナというが、音訳された漢語「婆羅門」のために、日本ではバラモンと呼ばれる。

バラモン教の最高神は一定しておらず、儀式ごとに、その崇拝の対象となる神を最高神の位置に置く。また、バラモン教では、人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命が決まるとされ、悲惨な状態に生まれ変わることに不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める。

バラモン教では、階級制度である四姓制があり、それは、①司祭階級バラモンが最上位で、②クシャトリヤ(戦士・王族階級)、③ヴァイシャ(庶民階級)、④シュードラ(奴隷階級)によりなる。これらのカーストに収まらない人々は、それ以下の階級パンチャマ(不可触民)とされた。

カーストの移動は不可能であり、異なるカースト間の結婚はできない。

バラモン教の起源は、紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程で作られたとされる。紀元前10世紀頃に、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まった。

そして、紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけて、バラモン教の教えを理論的に深めたウパニシャッド哲学が形成された。そして、紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して、宗教としての形がまとめられ、バラモン階級の特権がはっきりと示されるに至った。


3.バラモン教からヒンドゥー教へ

しかし、これに反発して、今も残る仏教やジャイナ教を含めた、多くの新しい宗教や思想が生まれた。これらの新宗教は、バラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤに支持された。こうして、1世紀頃には、バラモン教は、仏教に押されて衰退した。

しかし、4世紀頃にバラモン教を中心に、インドの各民族宗教が再構成されて、ヒンドゥー教に発展し、継承された。この際、主神が、シヴァ、ヴィシュヌへと移り変わったが、バラモン教やヴェーダでは、シヴァやヴィシュヌは脇役であった。このため、バラモン教は、古代のヒンドゥー教と解釈してもよいだろう。

なお、バラモン教(英:Brahmanism、ブラフミンの宗教)という言葉自体が、実は英国人が作った造語である。それは、先ほど述べたように、仏教以前に存在した、ヴェーダに説かれる祭祀を行うバラモンと呼ばれる祭祀階級の人々を中心とした宗教のことを指す。

また、英国人は、バラモン教の中で、ヴェーダが編纂された時代の宗教思想を「ヴェーダの宗教(ヴェーダ教)」と呼んだ。これは、バラモン教とほぼ同じ意味だが、バラモン教の方が一般的によく使われる。

そして、ヒンドゥー教(英:Hinduism)も、英国人が作った造語であり、すでに述べたように、インドにおいて、バラモン教が、民間宗教を取り込んで発展的に消滅して出来た後の宗教を指す。なお、インド人の中では、特にヒンドゥー教全体をまとめて呼ぶ名前はなかった。

なお、ヒンドゥー教という言葉が、広い意味で使われる場合には、インドにあった宗教の一切が含まれ、インダス文明まで遡るものである。ただし、一般的には、アーリア人のインド定住以後、現代まで連続するインド的な伝統を指す。

そして、バラモン教の思想は、必ずしもヒンドゥー教と一致していない。たとえば、バラモン教では、中心となる神はインドラ、ヴァルナ、アグニなどであった。ヒンドゥー教では、バラモン教では脇役であったヴィシュヌやシヴァが重要な神となった。

また、ヒンドゥー教でも、バラモン教と同様にヴェーダを聖典とするものの、二大叙事詩の『マハーバーラタ』・『ラーマーヤナ』、プラーナ聖典、法典(ダルマ・シャーストラ)があり、さらには、諸派の聖典がある。


4.仏教・ジャイナ教

紀元前5世紀頃に、北インドのほぼ同じ地域で、仏教やジャイナ教をはじめとした、バラモンを否定した新宗教が誕生するが、現在まで続いているのは仏教とジャイナ教だけである。

仏教は、バラモン教の基本であるカースト制度を否定し、司祭階級バラモン(ブラフミン)の優越性を否定したが、釈迦牟尼(ゴータマ)の死後は、バラモン自身が、仏教の司祭として振舞うなど、バラモン教が仏教を取り込み、バラモンの地位を確保しようした。

同じように、仏教も、釈迦牟尼の死後は、バラモン・ヒンドゥー教の神を、仏法の守護神などとして取り込んで行った。こうして、仏教とバラモン・ヒンドゥー教は混合していった面がある。なお、その後の仏教は、イスラム教の侵入で、インド国内では完全に消滅したが、現代において、アンチ・カースト活動を背景として再興している。


5.ヨーガの起源・原始ヨーガ

ヨーガの起源には不明な点が多く、成立時期を確定することは難しい。紀元前2500年~1800年のインダス文明に起源があるとの見解もあるが、十分な証拠はない(遺跡の図画をヨーガの坐法と解釈した)。

紀元前8世紀から5世紀には、ヨーガの行法体系が確立したと思われるが、ヨーガの説明が確認される最古の文献は、紀元前350年から300年頃に成立したと推定されるヴェーダ聖典の『カタ・ウパニシャッド』である。

ヨーガは、解脱を目指した実践哲学体系・修行法である。心身の修行により、輪廻転生からの解脱(モークシャ)に至ろうとする。森林に入って樹下などで沈思黙考に浸る修行形態は、インドでは、紀元前に遡る古い時代から行われていたという。

ヨーガの語源は、「牛馬に軛(くびき)をかけて車につなぐ」という意味の言葉(ユジュ)から派生した名詞である。ヨーガの根本経典として有名な『ヨーガ・スートラ』は、「ヨーガとは心の作用のニローダ(静止・制御)である」と定義しているから、牛馬に軛をかけてその奔放な動きを制御するように、人の身体・感覚器官・心の作用を制御・止滅するという意味であろう。

さて、前に述べた通り、ウパニシャッドにも、ヨーガの行法がしばしば言及され、正統バラモン教では、六派哲学のヨーガ学派に限られずに行われた。祭儀をつかさどる司祭(バラモン)たちが、神々と交信するための神通力を得ようとしたともいわれる。そして、4~5世紀頃に、ヨーガ学派の経典『ヨーガ・スートラ』として、現在の形にまとめられたと考えられている。

なお、この六派哲学とは、バラモン教において、ヴェーダの権威を認める6つの有力な正統学派の総称であり、①ミーマーンサー学派(祭祀の解釈)、②ヴェーダーンタ学派(宇宙原理との一体化を説く神秘主義)、③サーンキャ学派(精神原理と非精神原理の二元論を説く)、④ヨーガ学派(身心の訓練で解脱を目指す)、⑤ニヤーヤ学派(論理学)、⑥ヴァイシェーシカ学派(自然哲学)である。

なお、ヒンドゥー教では、これらヴェーダの権威を認める学派をアースティカ(正統派、有神論者)と呼び、ヴェーダから離れていった仏教、ジャイナ教、順世派などをナースティカ(非正統派、無神論者)として区別する。

しかし、ヨーガの行法体系は、ヨーガ学派だけにとどまらず、正統学派全体さえも超え、インドの諸宗教と深く結びつき、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教の修行法ともなった。仏教に取り入れられたヨーガの行法は、中国・日本にも伝えられ、坐禅となった。仏教での漢訳語は瑜伽(ゆが)という。


6.古典ヨーガ・ヨーガ学派

そして、紀元後4~5世紀頃には、今日よくヨーガの根本経典・基本経典といわれる『ヨーガ・スートラ』が編纂された。紀元後3世紀以前という説もあるが、文献学的な証拠は不十分だという。編纂者は、ヨーガ学派の開祖ともされるパタンジャリといわれるが、実際には誰なのかはまだよくわかっていない。

ヨーガ・スートラは、インドの六派哲学の一つである「ヨーガ学派」の経典であり、サーンキャ・ヨーガの経典であるが、四無量心などの仏教思想の影響も大きく受けた内容となっている。また、ヨーガの基本経典といっても、当時は多くの経典があったが、この経典だけが現存しているにすぎない。

なお、ヨーガ学派は、ヨーガを初めて明確に定義した。サーンキャ学派と兄弟学派であって、ヨーガ学派は、その世界観の大部分をサーンキャ学派の思想に依拠している。すなわち、ヨーガ学派の行法実践を、サーンキャ学派の世界観が裏付ける形になっている。

その経典が説く実践の内容は、主に、瞑想によって解脱を目指す静的なヨーガである。個々人の永久不変の本体である「真我」が、世界の万物から独立して存在する本来の状態(真我独存の状態)に戻って、解脱するとしている。

具体的な修行実践としては、アシュターンガ・ヨーガ(八階梯のヨーガ)といわれ、①ヤマ(禁戒・してはならないこと)、②ニヤマ(勧戒・すべきこと)、③アーサナ(座法・瞑想時の座り方)、④プラーナーヤーマ(調気法・呼吸法を伴った気の制御)、⑤プラティヤーハーラ(制感・感覚の制御)、⑥ダーラナー(凝(ぎょう)念(ねん)・精神の一点集中)、⑦ディヤーナ(静慮(じょうりょ)・集中の拡大)、⑧サマーディ(三昧・主客合一の精神状態)の8つの段階で構成される。
この『ヨーガ・スートラ』に示される古典ヨーガは、今日では「ラージャ・ヨーガ」(王のヨーガという意味)とほぼ同義であるとされ、ラージャ・ヨーガが、古典ヨーガの流れを継承している。

なお、この古典ヨーガ、八階梯のヨーガ、ラージャ・ヨーガの詳細に関しては、『ヨーガ・気功教本』(ひかりの輪刊)に解説したので、それを参照されたい。


7.サーンキャ学派とサーンキャ二元論

サーンキャ学派の開祖は、紀元前4~3世紀のカピラとされる。その教義が体系化されたのは、3世紀頃の「シャシュティ・タントラ」とされるが、この文献は現存しない。サーンキャとは、知識によって解脱する道を意味している。これに対して、ヨーガは、行為の実習という位置づけがあり、サーンキャ(知識の実習)とヨーガ(行為の実習)を、共に解脱の道として、両者が結びついてセットとなった一面があったと思われる。

サーンキャ学派の中心思想は、世界の根源として、プルシャ(精神原理・神我)とプラクリティ(根本原質・自性・物質原理)があるとする厳密な二元論である。

プルシャは、本来は物質的要素を全く離れた純粋精神であり、永遠に変化することのない実体である。アートマン(我・真我)と同義と考えられる。プラクリティは、この現象世界の根源的物質であり、すべての現象は、プラクリティが変異したものとされる。

そして、世界の全ては、プルシャがプラクリティを観照することを契機に、プラクリティから展開して生じると考えた。具体的には、プラクリティには、サットヴァ、ラジャス、タマスという3つのグナがあり、最初は平衡しており変化しないが、プルシャがプラクリティ=3グナを観照(関心をもって観察)すると、その平衡が破れて、プラクリティから様々な原理が展開し、意識、感覚器官、その対象など、世界が作られていくとする。

そして、輪廻の苦しみが絶たれた絶対的幸福は、プルシャ(自己)が、プラクリティ(世界)に完全に無関心となり、自己の内に沈潜すること(独存)だと考えた。

前に述べたように、サーンキャ学派は、ヨーガ学派と対になっており、サーンキャ学派の思想は、ヨーガの行法実践を理論面から裏付ける役割を果たしている。ただし、両学の思想は異なる面もあり、ヨーガ学派は、最高神イーシュヴァラの存在を認める点が、サーンキャ学派と異なる。


8.後期ヨーガ

古典ヨーガが成立した後、ヨーガの中に様々な流派が成立した。主なものは、ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガ、マントラ・ヨーガ、ハタ・ヨーガなどである。

この中で、ラージャ・ヨーガが、サーンキャ・ヨーガ、古典ヨーガの系統をひくものである。それぞれのヨーガの流派の概略は、以下のとおりである。

①ラージャ・ヨーガ:
古典ヨーガの流れを汲んだ、心理操作を中心とする瞑想ヨーガである。

②カルマ・ヨーガ:無私の行為・利他の奉仕を実践するヨーガ
日常生活を修行の場ととらえ、見返りを要求しない無私の行為・利他の奉仕を行うヨーガである。

③バクティ・ヨーガ:神への信愛のヨーガ
(人格)神を信じ愛する信仰のヨーガ。この実践者をバクタという。

④ジュニャーナ・ヨーガ:哲学的・思索のヨーガ
高度な論理的な熟考・分析・思索によって、真我を悟るヨーガである。
一般的に難易度が高いヨーガとされるが、うまく実践することができれば、最も高度なヨーガになり得るという見解がある。

⑤マントラ・ヨーガ:真言のヨーガ
マントラ(聖なる言葉・真言)を唱えるヨーガである。
主にサンスクリット語のマントラが広く用いられている。

⑥ハタ・ヨーガ:身体操作を用いる動的なヨーガ
身体生理的操作から心理操作に入るヨーガであるが、後に詳述する。


9.ハタ・ヨーガ

この中でも、ハタ・ヨーガは最も新しいものであり、12~13世紀には出現したとされる。ハタ・ヨーガは、力のヨーガという意味であり、ヨーガの密教版ともいうべき内容のもので、12~13世紀のシヴァ教ナータ派のゴーラクシャナータ(ヒンディー語でゴーラクナート)を祖とする。

ただし、ハタ・ヨーガの経典となると、16~17世紀に出現した著名な『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』や、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』が最初のものとされる。

このハタ・ヨーガは、サーンキャ・ヨーガとは大きく異なる性格をもっている。サーンキャ・ヨーガの修行は、主に心理的な作業が中心であるが、ハタ・ヨーガは、身体的な修行を心理的な修行の準備段階として重視し、その修練が中心となる。さらに「クンダリニー」という原理を重んじており、体内を流れるプラーナ(気・生命エネルギー)を重視する特徴を持っている。

具体的には、アーサナ(体位法・体操)、プラーナーヤーマ(調息法・調気法・呼吸法)、ムドラー(印相(いんぞう)・クンダリニーを覚醒させる高度な行法)、シャットカルマ(浄化法)など重視し、サマディ(三昧、深い瞑想状態)を目指し、その過程で、超能力を追求する傾向もある。
なお、ハタ・ヨーガの思想は、ヒンドゥー教のシヴァ派や、タントラ仏教(後期密教)の聖典群(タントラ)、『バルドゥ・トェ・ドル(チベット死者の書)』の説などと共通点が多い。具体的には、プラーナ(生命の風、気)、ナーディ(脈管)、チャクラ(ナーディの叢)が重要な概念となっている。

このハタ・ヨーガの詳細に関しては、『ヨーガ・気功教本』(ひかりの輪刊)に解説したので参照されたい。

なお、近代インドでは、ハタ・ヨーガは避けられてきた面があり、ヴィヴェーカーナンダやシュリ・オーロビンド、ラマナ・マハルシらの指導者たちは、ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガのみを語ったという。

その背景の一つとしては、これは単なる推察ではあるが、ハタ・ヨーガの体系の中に、男女の性的な交わりを活用する、いわゆるタントラ・ヨーガ、仏教でいう左道密教・タントラ密教が含まれていることがあるかもしれない。ただし、ハタ・ヨーガの実践は、性的行為を不可欠とするものでは全くなく、先ほど述べた行法のみを実践することができる。

一方、現在、「ヨーガ」として世界に広がっているのは、ハタ・ヨーガである。ただし、それは、20世紀に、インドにおいて、近代の西洋の体操を取り入れてアレンジしたものを「ハタ・ヨーガ」の名で世界中に普及させた結果という一面がある。このため、ハタ・ヨーガという名前自体は復権することとなったが、このハタ・ヨーガは、伝統のハタ・ヨーガとは似て非なるものである(場合がある)。


10.クンダリニー・ヨーガ:ハタ・ヨーガの奥義

さらに、ハタ・ヨーガの奥義とされるのが、クンダリニー・ヨーガである。クンダリニー・ヨーガの行法は、ハタ・ヨーガからタントラ・ヨーガの諸流派が派生していくなかで発達した。

ムーラダーラという尾てい骨に位置するチャクラ(霊的なセンター)に眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中のナーディやチャクラを活性化させ、悟りを目指すヨーガである。チベット仏教のトゥンモ(内なる火)などのゾクリム(究(く)竟(きょう)次(し)第(だい))のヨーガとも内容的に非常に近い。

クンダリニー・ヨーガの効果は、他のヨーガに比較しても劇的な面があり、神秘的・超常的な体験・現象や身体的な変調・不調も経験することがある。よって、クンダリニー・ヨーガの実践は、自己流または単独実践は避け、師に就いて実践すべきであるとされている。師とは、単に知識豊富で多少の呼吸法ができる師のことではなく、自身がクンダリニーの上昇経験を持ち、かつそれを制御できる師のことである。

 

11.ヴェーダーンタ哲学と結びつくヨーガ

ヨーガの流派の増大は、ハタ・ヨーガをもってだいたい終息し、独創的な思想の展開は衰え、様々な流派・思想の折衷・調和が多くなり、流派的個性が薄れていった。

そして、哲学においては、ヴェーダーンタ哲学が、インドの本流となり、ヨーガ行法も、ヴェーダーンタ哲学と結びつくようになり、古典ヨーガの哲学であったサーンキャ哲学からは離れていった。ハタ・ヨーガも、ヴェーダーンタ哲学に基づいたものとなっている。

ヴェーダーンタ哲学は、前に述べた六派哲学の一つであるヴェーダーンタ学派の哲学のことである。この学派は、ヴェーダとウパニシャッドの研究を行う哲学派であり、古代よりインド哲学の主流である。なお、「ヴェーダーンタ」は、「ヴェーダの最終的な教説」を意味し、ウパニシャッドの別名でもある。

開祖は、ヴァーダラーヤナで、『ブラフマ・スートラ』『ウパニシャッド』と『バガヴァッド・ギーター』を三大経典とする。そして、ヴェーダーンタ学派における最も著名な学者は、8世紀インドで活躍したシャンカラである。そして、彼が説いたアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学(不二一元論)は、最も影響力のある学説となっている。

 

12.梵我一如・不二一元論という思想

不二一元論とは、ウパニシャッドの「梵(ぼん)我(が)一如(いちにょ)」の思想を徹底した思想である。この「梵我一如」の思想とは、梵(ブラフマン)と我(アートマン)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想である。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。

ブラフマンとは、ヒンドゥー教・インド哲学における宇宙の根本原理である。そして、これが自己の中心であるアートマンと同一であるとされるのが梵我一如の思想である。

ヴェーダーンタ学派では、ブラフマンは、全ての物と全ての活動の背後にあって、究極で不変の真実、宇宙の源、神聖な知性として見なされ、全ての存在に浸透しているとされる。それゆえに、多くのヒンドゥーの神々は、ブラフマンの現われであり、ヴェーダの聖典において、全ての神々は、ブラフマンから発生したと見なされている。

そして、梵我一如を徹底する不二一元論では、世界のすべてはブラフマンであり、ブラフマンのみが実在すると説く。他の存在は、ブラフマンが「仮現」したものであり、実在はせず、そのように見えている(錯覚されている)にすぎないとする。

アートマンとは、ヴェーダの宗教において、意識の最も深い内側にある個の根源を意味し、真我とも訳される。身体の中で、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)と考えられる。それは、主体と客体の二元性を超えており、そのため、アートマン自身は、認識の対象にはならないともいわれる。そして、ヴェーダの一部であるウパニシャッドでは、アートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。

一方、仏教では、アートマン(我・真我)の存在は認めず、無我を説き、無我を悟ることが、悟りの道とされる。また、仏教では、梵(ブラフマン)が人格をともなって梵天として登場するが、これまで述べたように、本来のインド思想では、宇宙の根本原理であり、その後に特定の神の名前となったのである。

 

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2021年5月24日

0070ヨーガの真我の思想と最新の認知科学

以下のテキストは、2019年~20年 年末年始セミナー特別教本『最新科学が裏付ける仏教・ヨーガの悟りの思想』第2章として収録されているものです。教本全体にご関心のある方はこちらをご覧ください。

 

1.ヨーガが説く真我の思想と人間の苦しみの原因

ヨーガでは、真我というものを説く。サンスクリット語では、アートマン(Ātman)である。ヴェーダの宗教(バラモン教・ヒンドゥー教)で使われる用語であり、意識の最も深い内側にある個の根源などを意味する。

わかりやすくいえば、真実の自分、自分の本質といった意味だが、重要なことは、心とは異なるものであることだ。本来、真我は、純粋な認識主体であって、思考・感情・意志・欲求などの心理的な要素は一切含まない。絶えず移り変わる心(の諸要素)と異なり、真我自体は決して変化することがなく、永久不変の平安の状態にあるとされる。

ところが、ヨーガの根本経典(ヨーガ・スートラ)によれば、普通の人の場合は、真我が、心を自分自身と混同・錯覚しているとする。そして、真我が、心を自分自身と錯覚して一体となっているので、心が苦しむとともに、真我が苦しむ状態に陥っている。本来は、真我が認識の主体であって、心は、体や外界と同じように、真我が認識している対象にすぎない。

しかし、映画の観客が、映画の主人公に熱中して、主人公と精神的に一体化すると、映画の主人公の苦しみを、そのまま自分の苦しみのように感じるのと同じように、真我は、心と同化して心の苦しみを感じているのである。映画のたとえを使って、さらに説明すれば、この映画の名前は、21世紀の宇宙・地球・日本であり、それは三次元立体映画であって、その中の主人公は「私」という名前であり、観客席は「私」の体の頭部にあって、観客であるあなたは、体はなく、単なる認識する能力を持った意識である。

そして、あなた=真我は、「私」の心や体を動かしてはいない。あなたは純粋な観客・観察者として、それを見ているだけである。しかしながら、あなたは、「私」の心を自分だと混同・錯覚し、「私」の心や体とともに苦しむのである。

 

(※「真我」について:なお、ひかりの輪では、自分自身の中に永久不変な「真我」があるとする説を絶対視したオウムの教訓として、真我を認めるヨーガの修行では、場合によっては自我意識が肥大化し自己を神であると考える意識状態(いわゆる魔境)に入る恐れがあることを指摘し、伝統仏教にならい自己を特別視しない無我説を重視している)

 

2.ヨーガが目指す心の制御と真我の覚醒 

こうした思想に基づいて、ヨーガが目指すものは、真我が心(や体)を自分自身と錯覚した状態から抜け出して、独立することである。これを真我独存位という。真我独存位に至ると、永久不変の平安の状態に至るとされる。そして、この状態に至れば、インド思想が説く輪廻転生からの解脱(モークシャ)をもたらす。なぜ解脱できるかというと、輪廻・生まれ変わりの原因も、真我が、生き物の心(や体)に執着して、それを自分の物と錯覚することであるからだ。

そして、真我独存位に至るために、ヨーガは、心の働きを止滅することを目指す。実は、心の働きを止滅することが、まさに「ヨーガ」という言葉の本来の意味である(ヨーガは体操ではない)。広くは、心の制御・コントロールとも解釈できるが、ヨーガの根本経典であるヨーガ・スートラには、心の働きを止滅することだと明記されている。

これはなぜかというと、真我が、心を自分自身と混同・錯覚している中で、心の働きを止滅させるならば、真我のみの状態となり、真我はその本来の在り方に戻りやすくなるからである。そして、心の働きを止滅することが、ヨーガと呼ばれるとともに、サマディと呼ばれる深い瞑想・集中の状態である。この詳細に関しては、ひかりの輪のテーマ別特別教本第1集『ヨーガの思想と実践』を参照されたい。

 

(※輪廻転生について:なお、ひかりの輪は、大乗仏教等の宗教・宗派ではなく、思想哲学の学習教室であり、来世や輪廻転生については、否定も肯定もしないという立場(中道)である)。

 

3.最新の認知心理学と真我 

最新の認知心理学・認知科学は、ヨーガの真我と心の関係の思想と、よく似た見解を持っている。それによると、全てないしほとんど全ての思考・感情・意志・欲求は、私たちの意識ではなく、無意識の脳活動が司って形成しているものである。そして、私たちの意識は、実際には、無意識から上ってくるそうした心理作用を、単に見ているだけの「傍観者」であるが、それを自分のものだと錯覚しているという。

これは、意識が単なる観察者で、心理作用は意識のものではないという点で、驚くほど、ヨーガの説く真我と心の関係と一致している。真我は、純粋な観察者・認識の主体であり、心とは異なるものである。また、仏教の無我の思想とも一致している。仏教は、真我説は説かないが、心を含めた一切は本当の私・私の物ではないとする無我の思想を説く。

そして、科学者によれば、過去数十年の目覚ましい認知科学の発展の結果として、従来の伝統的な人の意識・脳・心・精神の概念は崩れ去ろうとしているという。それはガリレオが唱えた地動説のように、人類の人間観・世界観に、革命的な変化をもたらす。

これまでは、「私」の心・体の中心に、「意識」が存在し、人は自分の意志で、心や体を動かしていたはずだった。ところが、科学が描く新しい「意識」や「脳」の概念は、ガリレオの地動説が、地球を宇宙の唯一の中心的な存在から、宇宙のごくありふれた無数の星の一つにしてしまったのと同じような意味合いを持っている。

すなわち、「意識」は、「私」の中心的な存在ではなく、「私」のごく端っこにいる存在であって、しかも「私」に起こることのごく一部を見ているだけの存在であるというのである。こうして、再び科学は、人類の自己中心的な欲求と、それに基づく固定観念を崩そうとしているのだ。

 

4.自己中心性を失った代わりに得る壮大なもの 

地球を世界の中心とした天動説は、人類の自己中心的な欲求を満たせたかもしれない。しかし、それを崩壊させた地動説が与えたものは、天動説による地球を中心とした狭苦しい世界とは比較にならない、はるかに壮大なものだった。

それは、現在の科学でもその大きさが決定できないほどの広大な宇宙空間(無限である可能性もあるらしい)と、その中の無数の銀河・星々であり、いまだ発見されていないが地球と似た知的生命体が存在する星の可能性さえも内包しており、その中で人類は、単に観察するだけではなく、徐々にではあるが、地球以外の天体に旅をし始めているのである。

同じように、私達=「意識」が、「私」という小世界の中心的な存在から、ごく周辺の存在に格下げになったとしても、それを前向きに受け止めて活用するならば、その代わりに、「意識」は、はるかに壮大なものを得ることになる。それについて次に述べたいと思う。

 

5.「私」に過剰にこだわらない生き方への転換へ

認知科学者が言う通り、自分=意識が、「自分の心や体」を主導しておらず、単に自分や他人の心や体の「観察者」であるならば、それは、ヨーガの真我説、仏教の無我説の人間観・世界観を裏付けることになる。そして、この意味合いは、極めて重要だと私は思う。というのは、その見解を確信すれば、自分と他人を過剰に区別し、自分だけを偏愛する意識(自我執着)から解き放たれやすくなるからだ。すなわち、悟りの境地に近づくことが容易になる可能性が高まるのである。

まず、人が、自分と他人を区別する理由の一つは、自分の体は他から独立している自分の自由意志で自分が動かしており、同じように、他人の体は自分から独立した他人の自由意志によって他人が動かしていると解釈するからである。これは、自と他が別のものとして明確に区別された認識をもたらす。

しかし、認知科学の見解によれば、真実は、あなたの意識は、「私と呼ばれる体の脳」に存在してはいるが、「私と呼ばれる脳や体」を動かしておらず、それを含めた「21世紀の世界・日本」と呼ばれる三次元立体映画を鑑賞しているだけである。同じように、彼の意識は、「彼と呼ばれる体の脳」に存在しているが、「彼と呼ばれる脳や体」を動かしてはおらず、同じ映画を観察・鑑賞しているだけである。

そして、あなたの意識も彼の意識も、その映画の観客であって、「私」や「彼」そのものではない。「私」ないしは「彼」だけに過剰にこだわった見方をする義務も利益もない。映画の観客として、「私」や「彼」だけに限らず、様々な者が登場する「映画全体=世界全体」を広く楽しむ権利がある。普通の映画を見に行った際には、誰もが、そうするのではないか。

実際に、「私」や「彼」に過剰にこだわる映画の見方をすれば、その映画は相当に不快なものになる。なぜならば、その映画のシナリオでは、「私」や「彼」は、必ずしも思い通りの人生を送ることにはなっていない。さらには、映画の終盤では、老いて病んで死ぬというバッドエンドを迎えることになっている。だから、「私」ないし「彼」を唯一重要な登場人物だと思い込むことは、楽しい映画の見方ではない。リラックスしながら、様々な登場人物を含んだ映画全体を広く楽しむ方がいい。

そして、「私」という一人の登場人物に過剰にこだわらずに、映画全体を広く楽しむという映画の見方(人生の送り方)は、神の万物への愛(博愛)とか、仏陀の万人に平等な大慈悲といわれるものに通じるものである。

 

6.精神と脳と体は密接不可分 

最新の脳科学は、他にも、仏教やヨーガの思想と合致し、悟りの境地に近づくことを助ける重要な事実を、いろいろと明らかにしてきた。

例えば、デカルトのような昔の科学者は、人の脳と精神は独立しており、精神が脳を動かし、体を動かしているとしたが(有名なデカルトの物心二元論)、現代の科学は、様々な研究・実験・証拠を通して、それを否定するに至っている。人の精神の活動は、明らかに脳の活動と密接不可分であって、脳は体の一部として、体と密接不可分に連動している。よって、体や脳の状態が変われば、我々の思考・感情・欲求は、大きな影響を受けるのである。

この事実は、素人の科学の知識しかなくても、よく考えればわかることかもしれない。しかし、普通の人の常識としては、自分たちに、体の状態からは相当に独立した、確たる自分の意志・感情があるかのように錯覚している。デカルトの物心二元論的な考えは、私たちの常識には合致しても、もはや科学的な事実ではないのである。

さらに、体の中のどこが高次の知的機能を有しているかも、十分に明確にはなっていない。脊髄にも、意外と高度な知的機能が存在する面もあるという。これは、脳とは何なのかという定義自体の問題かもしれない。仮に脳を高次の知的機能をつかさどる臓器というように広く定義するならば、脳の範囲は広がるかもしれない。

そして、仏教やヨーガは、心と(脳と)体の関係を特に強調する思想である。一定の姿勢(座法)や一定の呼吸の仕方を保ちながら瞑想を行うなどの修行法は、まさにこの思想に基づいている。ヨーガは、特に身体と心の状態の一体性を強調し、体のコントロールによって心のコントロールを目指す思想である。特に、ヨーガの中でもハタヨーガや、仏教の中では密教の修行に、その傾向が強い。

 

7.脳と環境も密接不可分 

さらに、第1章で述べたとおり、脳は、体に加えて、体外の環境とも密接不可分に連動している。情報化社会である現代では、特にその傾向は強い。毎日目にするマスメディア・インターネット・街並みや、その様々なお店の様々な商品から、膨大な情報を脳は吸収している。それは意識が自覚しているものもあるが、無自覚で吸収するものも膨大である。そのため、科学者の中には、環境もすべて脳神経の一部であるという主張(いわゆる唯脳論)とか、環境の脳化とか、環境脳という概念を主張する人もいる。

ここでは、「人に自由意志というものがあるのか」という昔からの問題がかかわってくる。自由意志とは、それぞれの個人が、他から独立した自由な意志を持ち、それによって自分の行動を選択しているかということである。そして、近代民主主義社会の思想の下に生きる私達の常識では、自由意志はあることが前提となっており、それに基づいて社会の制度・法律もできている。個々人の行動は、個々人の自由意志によるものであり、本人以外の何者かに強いられたり、操られたり、誘導されたものではないから、個々人の行動の責任は個々人にあるというものである。

これに対して、現在の認知科学や心理学の主流の見解は、自由意志は全くないか、あっても非常に乏しいというものである。そもそも、無意識の脳活動が、私たちの思考・感情・意志・欲求の形成を主導しており、意識はそれにアクセスできず、そうなった理由や過程は、まるでわからない。にもかかわらず、それを「自分のものだ」と意識は思い込んでいる。すなわち、自分の中の他者に操られていることに気づいていない。

そして、それにさらに輪をかけるのが、現代の情報化社会の加速である。毎日のあふれる情報は、無意識のうちにも脳に入り込んでいく。そのため、意識が全く気付かないうちに、私たちの精神に影響を与えている。こうして、精神と脳と体と環境が、以前にもまして、密接不可分に影響し合っているのが現代社会である。この知見もまた、仏教やヨーガが説く、万物が相互依存であって一体であるという、一元的な世界観と合致している。

 

8.悟りを助ける脳科学・心理学の見解

そして、ヨーガや仏教の思想や瞑想を実践した者の視点から見るならば、こうした最新の科学的な知見をフルに活用するならば、ヨーガや仏教の意識感・人間観・世界観を確信することの手助けとなる。その結果として、悟りの境地に至る瞑想を助け、以前よりも悟りの境地に近づきやすくなる可能性もあると思われる。

最新の科学の知見は、依然として常識と解離しているが、時とともに、科学の知見が常識になっていくのが人類社会である。革命的な理論ほど、常識による固定観念の抵抗を強く受けるだろうが、長期的な視点からいえば、それは時間の問題にすぎない。キリスト教の人間・地球中心主義の思想のために、当初は激しく抵抗を受けたガリレオの地動説が、その後認められたことからも、よくわかるだろう。

そして、最新科学が発見した精神・意識・脳・体・環境に関する真実が、常識となって深く浸透する頃には、人類の「意識」には、大きな変革が起こる可能性も期待できるのではないかと私は思う。

現在の人々には、この世界は、何もかもがバラバラに見えて、狭苦しい自己と、他者・外界に大きく分かれている。しかし、今後は、私達の「意識」は、科学が検証した事実を学ぶ中で、「私」や「他人」や「環境」などを含めた全てが一体となった壮大なつながりを持った世界があることを認識して、受け入れやすくなるだろう。これは、ヨーガ(ないしは仏教)が説く「意識の拡大」・「宇宙意識」・「悟りの境地」への接近の土台となることは間違いない。

なお、世界の全てが一体であるとするならば、「本当の私は、世界全体である」ということもできるだろう。「世界の一切が本当の私ではない」と説く無我や真我の思想は、実際のところ、これと矛盾するものではない。というのは、世界の何物も自分ではないという認識があればこそ、世界の何物にも執着することなく、世界全体に意識が広がりやすくなる、ということであるから。その結果として「世界全体が私」ということができる心理状態に近づくということである。

話を元に戻すと、仏教・ヨーガの瞑想修行者が、最新の科学の知見をフルに活用するならば、「意識」が、偏狭な自我執着から解き放たれて、壮大な宇宙に精神的に広がる可能性は高くなるだろう。これまでの習慣である「狭い私」の固定観念がすぐに解消はしないだろうが、科学信仰ともいうことができる現代人の意識には、科学の見解は重要な影響をもたらし、固定観念を突き崩すスピードは上がっていくだろう。

そして、「私」の中の中心的な存在から周辺に回された「意識」が、勇気をもってそれを前向きに受け止めて活用したならば、失ったものの代わりに得るものは、実に壮大なものになる。それは、意識の深い安定と、大きな広がりである。そもそも意識には、形や大きさはない。狭い世界に対する執着から精神的に解き放たれるならば、それは宇宙大ともいえる無限の可能性を秘めている。

 

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2020年1月 2日

0073新型コロナウイルスの感染問題と免疫力の強化

以下のテキストは、2020年GWセミナー特別教本『コロナ感染問題と仏教・ヨーガの思想 人類の未来』第1章として収録されているものです。教本全体にご関心のある方はこちらをご覧ください。

 

1.はじめに:新型コロナウイルスの感染拡大

今年の1月以降、新型コロナウイルスの感染症・新型肺炎の問題が発生した。これを踏まえて、本章では、この問題の現在の状況と、今後の行方と、望ましい対応・対策などについて述べたいと思う。

まず、新型コロナウイルスの感染症は、依然としてそのウイルスの性質および現在の感染状況の双方において、わかっていないことが非常に多い。さらには、これに対する対応策を含めて、極めて複雑な問題をはらんでいる。その中で、自分なりにいろいろな情報・データを調べた上で、その問題の要点をまとめた上で、現時点での中間的な結論を出してみた。

それを端的に言えば、この問題を解決する医療技術上の決め手は今のところなく、少なくとも1年は要する長期戦となる可能性が高いのが現状であり、その中では、政府・民間の双方の対策努力とともに、各人が日常から自分の自然免疫を高めることが重要だと思う。

加えて、高齢者・医療従事者を中心として大変厳しい状況ではあるが、世界的な視点から見るならば、日本は非常に幸運な面も多く、そうした意味でも感謝と助け合いの心が今こそ重要であり、問題解決に向けた、個々人・各国家間の協力・連帯・助け合いが非常に重要になると思う。それでは以下に、この問題と今後のあるべき対策の要点を一つ一つ述べることにしたい。

 

2.日本の現在の感染状況 

現在、緊急事態宣言の発令による外出や営業の自粛の効果もあって、2020年4月の中旬ごろからは、国内の新規感染者が減少してきたことが、政府・専門家会議でも認められるようになった。

しかしながら、政府は緊急事態宣言をさらに一か月延ばそうとしている(2020年5月2日現在)。その理由として、専門会議の提言によれば、①新規の感染者が一定の減少を見ているが、まだ不十分であること、②医療体制がひっ迫していること、が指摘されている。

さらに専門家会議は、今後1年ほどは、何かしらの対策を実行する必要であり、これに対する国民の自粛疲れを懸念し、学校や公園の利用の再開などを提言した。こうして、同会議は、この問題への対処が長期戦となる見通しを初めて示すに至った。そして、今後、現在のような厳しい行動制限を解除する条件としては、①新規感染者が十分に減少すること、②十分な医療体制の拡充、などを上げた。

これまで専門家会議は、2月末の最初の自粛の提言においても、「ここ1~2週間が、感染爆発が生じるか否かの瀬戸際」などと表現して、比較的短期間の目標を掲げてきた。また、4月7日の政府による緊急事態宣言も、期間を1カ月に区切って発令された。

しかしながら、科学者の中からは、最低1年以上は我慢する必要があるとか、一部の研究機関では、断続的に2022年まで外出を自粛する必要があるという主張が多くなされていた。そうした科学的な見解に対して、これまで国民の反応を気にしていた政府・専門家会議が、ついに合わせてきたという状況だろう。よって、この問題が少なくとも1年ほどは長期化することが、確実な情勢となったと考えざるをえないと思う。

 

3.新型コロナウイルスの性質について 

これまでの状況から未解明の部分が多いこのウイルスの性質として、感染力が強く中国の武漢から始まって一気に世界全体に広がった。ただし、その危険性、すなわち致死率(感染した人の中から死亡する割合)の判断に関して言えば、一つ気を付けなければならないことがある。

というのは、感染しても無症状や軽症のために、医療機関を受診してPCR検査(ウイルスの有無を調べる検査)によって感染の有無を確認しない人が多数いると思われるからである。よって、現在確認されている感染者と死亡者の数から算定することはできない。

そこで、ごく最近導入された、過去に感染した経験があるかどうかの有無を調べる抗体検査(感染した後にできる抗体の有無を調べる検査)の結果が待たれてきた。抗体検査の正確度には、依然として疑問があって完全な信頼はできない。しかし、最近発表され始めた初期的な抗体検査の結果を見る限りは、やはり、これまでに確認されてきた感染者の総数を大きく上回る結果が示されている。

例えば、カリフォルニア州の検査では、従来数の50倍から85倍と推定された。ニューヨーク州でも従来数の10倍以上の数値となっている。このニューヨーク州の検査では、無作為抽出で選ぶ検査の対象を、外出する人を中心としたために、感染者の割合が実際よりも高すぎる結果となった可能性もあるものの、ニューヨーク市に限った場合は、すでに4人に1人(約300万人以上)が感染していることが推測される結果となった。

そうすると、感染者の中で死亡する確率=致死率の実際に関しては、WHOは0.66%を推定し、カリフォルニア州の抗体検査に基づけば0.12~0.2%、ニューヨーク州の抗体検査に基づけば約0.5%かそれ以下とも推定される。そして、欧米よりも死亡者総数や単位人口当たりの死亡者が相当に少ない日本に関して言えば、一部の専門医が言うように、最終的にはインフルエンザの致死率である0.1%と大して違わない(ないしはそれ以下となる)可能性もある。

季節性インフルエンザに関して言えば、毎年1500万人ほどが感染し、それを直接的な原因として死亡する人は、近年は3000人ほどであり(実は近年相当増えてきており、以前は百人単位である時期もあった)、その関連死を含めれば1万人と推察されている。これに対して、これまでの日本における新型コロナウイルスによる死亡者は、インフルエンザの死亡者を大きく下回っている。

なお、現状では、新型コロナウイルスの感染(経験)者はよく把握できていないが、それによって新型肺炎を引き起こした死亡者の総数に関して言えば、重症・肺炎になった段階では、患者すべてにPCR検査を行うので、新型肺炎の死亡者の総数はほぼ把握できているというのが政府の見解である。

 

4.新型コロナウイルスによる医療機関への大きな負担・医療崩壊の恐れ 

しかしながら、医療機関を中心として、この新型コロナウイルスの感染への対処として必要なものは、季節性インフルエンザとは大きく異なる。というのは、季節性インフルエンザに関しては、100年前に膨大な被害をもたらしたスペイン風邪(インフルエンザA型)を含め、人類社会が長らく慣れてきたウイルスである。しかし、この新型ウイルスには、人類社会が長年の免疫を持っているわけではなく、今回が初めての流行である。よって、インフルエンザと異なって、感染を予防するワクチンもなければ、感染後にその症状を緩和・解消するための治療薬があるわけでもない。

よって、一気に感染が広がることを予防することは難しく、仮に一気に広がった場合には、治療薬もないために、治療に要する期間・負担は、インフルエンザの比ではないと思われる。さらに、ワクチンがないために、肝心の医療従事者自体の感染を予防することができず、すでに医療従事者の感染が相次いでおり、医療体制を根底から揺るがしている(政権は医療従事者の報酬を増やして対処しようとしているが)。こうして、現場の医療機関の負担は、物心両面において、季節性インフルエンザの比ではないと思われる。

これに加えて、日本では、感染拡大の初期において、無症状者・軽症者までも隔離入院する方針を取り、さらに防護服・消毒薬・マスクなど、医療機関こそが必要とする物資が不足するなどの問題もあった。こうして医療機関への負担は、すでに相当大きなものになっており、専門家会議は医療体制がひっ迫していると報告している。

そして、今後、この負担が医療機関のキャパシティを超えてしまい、新型コロナ感染者の中の重症者や、他の病気や怪我の重症者に対する治療が十分にできない状態が生じて、救える命が救えないという「医療崩壊」の状態を回避することが重要な課題であることは、すでに広く指摘されている通りである。

今後は、これを回避するために様々な政策努力、例えば、軽症者を医療機関ではなくホテル収容して十分な医療従事者を付けたり、防護服・消毒薬・マスクなどの必要物資を医療機関に優先的に配分して医療従事者の感染を防ぎ、退役した医療従事者の現場復帰を要請して人員を補充するなどがなされつつあるから、一定の医療の増強・拡充はなされていくと思われる。

しかし、その改善にも一定の時間は要するし、増強の程度にも物理的な限界がある。よって、予防や治療の決め手となるワクチンや特効薬が開発されるまでは、医療体制が拡充していくとしても、それを上回る感染者を発生させず、医療崩壊を防ぐ必要がある。そのためには、感染者の拡大を一定以内に抑え込むために、外出や営業の自粛といった、人と人の接触を抑制する現在の政策が必要だという見解が主流となっている。

 

5.感染後の抗体・免疫の状態が未だに不明であるという問題

さらに、この新型ウイルスに関しては、感染後にできる抗体による免疫が未だ不明であるという問題がある。すなわち、一度感染して治癒すれば、抗体による免疫が形成されて、二度と感染しないのか、少なくとも相当期間は再感染しないのか、そうではないのかということである。

一般に一度感染症にかかると、その抗体ができて、それによる免疫が生じて、二度はかからない、ないしはかかりにくくなるということが知られている。しかし、実際には、ウイルスによって大きく異なる。例えば、はしかなどは、二度と感染しないが、HIV(エイズ)の場合は、抗体はできるが免疫はできない(よって、HIVは今のところ一生感染した状態が続くが、ウイルスの増殖を抑える優れた治療薬が開発され、一生治療薬を飲み続けなくてはならないものの、先進国では大きな問題にならなくなった。経済的に治療薬が使えない途上国では、現在も膨大な犠牲者を毎年出している)。

そして、新型コロナウイルスの場合は、感染後にどの程度免疫が形成されるか、どのくらいの間は再感染しないのかが、まだよくわかっていない。というのは、治療後にPCR検査で陰性を示して治癒したとされた人が、その後再びPCR検査で陽性反応を示すという事例がよく報告されているからである。

ただし、それは再感染したとは考えにくく、検査で陰性になったのは、ウイルスが潜伏したので検査で発見されなかったためであるとか、単純にPCR検査の確度は完全ではないために検査結果の誤りであるという見解が多いが、この陽性反応の再発の原因は未解明であり、それゆえに感染後の抗体・免疫に関しても確たることはわかっていない。抗体による免疫ができないか、制限されるとすれば、抗体を作ることを目的とするワクチンの開発を遅らせる可能性がある。

また、これに関連して、感染症対策の一つとして、多くの人(人口の60%)が一度感染して抗体・免疫を作るならば、集団免疫というものを形成するので、その集団・社会の中では、流行を防ぐことができるという理論がある。しかしながら、こうして免疫形成自体がいまだ不明である以上、そればかりに頼って感染拡大を抑止せずに突っ込むわけにもいかない。

実際に、ジョンソン首相をはじめとするイギリス政府は、一時この集団免疫政策を実行しようとしたものの、集団免疫の状態に至るまでに数十万人の犠牲者が出る可能性があるという科学的な報告がなされて中止に追い込まれた。さらに、それを提唱したジョンソン首相までが感染して重症となり、一時は生死をさまよったとも報道された。

そもそも、集団免疫を形成するほどに多くの人が感染することを想定すると、それまでの間に医療機関が感染者に対処しきれず、医療崩壊が起きてしまえば、普段であれば救える人も救えないという大きな問題が発生する。さらには、集団免疫理論は、多少の犠牲者が出ることを覚悟した理論であるが、インフル・結核などの他の感染症の通常の年間の死亡者、すなわち数千人から1万人を大きく上回るような犠牲者を出すわけにもいかない。

 

6.ワクチンや特効薬の開発見通し 

こうした中で、長期的な予防・免疫形成の決め手となるワクチンや、感染者の治療・重症化防止の決め手となる特効薬の開発が期待されている。時期としては「今後1年・1年半くらいにも」という報道がよくなされる。そして、先日は安倍総理が「米国はこの秋にも人間に投与する」などと発言した(これは、薬が承認されて一般の医療機関が治療に使用開始できるという意味ではなくて、おそらくは臨床試験の開始を意味すると思われる)。

しかし、本来はワクチンの開発には、数年は要する。しかし、今回は非常事態であるから、開発に時間がかかる従来型のワクチンの開発ではなくて、開発時間を大きく短縮できる遺伝子工学を用いた新しいワクチン開発が試みられようとしている。1年というのは、この新技術を前提にしているとされる。よって、厳しく言えば、これは未だ実績がない開発手法であるから、成功するかは保証の限りではない。

さらに、このウイルスは、頻繁に変異しているとか(変異したとしても変異前のウイルスに対する抗体・ワクチンが変異後にただちに無効になるわけではないが)、抗体ができても免疫ができないHIV(エイズ)ウイルスに、新型コロナウイルスの遺伝子配列が一部似た部分があるといった情報がある。こうして、そもそもウイルスの実態自体がまだわかっていないことも、ワクチン開発における不安要素である。

よって、実際の開発時期がいつになるかは、一部の専門家が率直に指摘するように、見通しが立つものではない。要するに、できてみるまではわからないというのが、科学的な事実だろう。実際に、エイズは発生して数十年が経ち、新型コロナの先輩のSARSは発生して17年が経った今もなお、ワクチンは開発できていないという現実がある。

こうした中で、米国は、第二次大戦で米国の戦勝の決め手となった原爆開発の「マンハッタン計画」になぞらえて、官民総動員の「オペレーション・ワープ・スピード(超高速作戦)」を発動した。これは新型コロナウイルスのワクチン開発を、最大で8カ月短縮して、来年1月に、3億人分を提供可能とする計画である。

これは、ウイルスとの戦いを戦争に見立てて、その決め手となる新兵器を開発するというイメージだろう。これを一種の戦争と見れば、勝つためには、新技術だから開発の保証がないのは当たり前であり、そんなことを言っている暇はないということだろう。

とはいえ、今回は人間にいくらでも打撃を与えればいい原爆の開発ではなく、健康を守る医薬品の開発であり、特にワクチンは副作用があれば大きな問題となるから、スピードばかりを優先すればいいというものではないだろう。

それはともかくとして、今回は、先進主要国が、あたかも戦時体制のように、最大限の資源・資金をワクチン・特効薬の開発につぎ込み、いわば人類総力戦体制であるから、これまでのワクチン開発に比較すれば、次元の違う開発速度を期待してもおかしくはない。

「意思があるところに道がある」という普遍の道理があるし、不可能を可能にしてきたのが人類の歴史である。よって、楽観しすぎるのはよくないとしても、長期戦になることを覚悟しながらも、悲観的にもならずに前向きに考えることが正しいと思う。

 

7.日本のワクチン・治療薬の開発と国家安全保障 

現在、よく調べていないが、ワクチンの開発は、米国、ドイツなど欧米諸国が、やはりリードしているのであろうか。一方、日本について言えば、ワクチンの分野は、近年あまり産業が育っていないという。理由としては、ワクチンを開発したとしても、それを開発費に見合うように使ってもらえる保証が乏しいことや、ワクチンはそもそも病原体を弱毒化・無毒化して用いるものであるから、万が一にも薬害・副作用の問題が出れば、大きな損害が出るというリスクがあるということらしい。

そのため、今回のワクチン開発にも、国際的な競争という視点から見れば出遅れており、むしろ治療薬(アビガンなど)の方に重点を置いているとも報道されている(なお、ワクチンは感染を予防するものであり、治療薬とは感染後に重症化を防いで早期に治癒を目指すものである)。

しかし、ワクチンの有無は、国家の安全保障にかかわることである。よって、国際的な競争に勝利できるかは別として、日本も国産ワクチンの開発を目指してはいる。

世界中に感染が拡大したウイルスのワクチンや特効薬は、単なる医療の問題に限らず、安全保障上の問題にもなる。なぜならば、それを最初に開発した国は、法的にはその輸出を規制する権利もあるし、開発されても増産するには時間がかかるために、どの国に優先的に提供するかという問題も出てくるからである。

よって、日本政府は、国内での開発も資金援助しながらも、それ以上の予算をもって外国の開発計画を資金援助し共同開発をすることで、新規に開発されたワクチンを一定量確保しようとしていると報道されている。

 

8.行動制限の規制の様々な弊害の懸念 

もう一つ考える必要があることは、そうした状況の中で、自粛政策の弊害は、よくいわれる経済の悪化に限らないということである。お金よりも命を大切にすべきであるというのは一面的な見方である。というのは、経済の悪化による失業の増大が、自殺者の増加に結び付くことは、過去の不況時の統計などからも確認できる。

また、外出自粛は、単身者がすでに3割を超えている今の社会においては、社会的な隔離や孤独をもたらす可能性があるが、そうした状態が精神状態を悪化させるなどして、様々な心身の疾患を増大させ、生活習慣病と同じように、ないしはそれ以上に、死亡率を高めることが調査研究の結果として明らかになっている。

また、逆に、これまでは登校・出勤していた家族が、将来の不安・ストレスを抱えながら、外出自粛によって、家庭内により長くとどまることから、家庭内暴力の増大が心配されている。実際にWHOは家庭内暴力がおそろしく増大していると警告している。また、窃盗や暴力犯罪の増加も懸念される。

こうして、人は、新型コロナ感染以外でも病気になるし、死ぬということである。新型コロナ感染による死亡を防ごうとするあまり、自殺やコロナ以外の疾患・暴力・犯罪の増大による死亡者が急増すれば、命を守るという視点から見れば本末転倒になる。

よって、今後の対策においては、そのメリットとデメリット、コスト(リスク)とベネフィットの比較考量という視点が必要となってくる。

これに対しては、日本政府を含めて各国の政府が、かつてない規模の財政出動や金融緩和によって、その影響を緩和しようとしている。しかしながら、すでにいろいろな批判・不満が出ているように、それがすべての休業・失業・倒産などによる収入の減少や債務の不履行といった経済的な損失全てを埋め合わせる(=補償する)ことは、できそうもない。

実際に安倍政権は、休業などによる損失の補償をすることは非現実的として採用していない。さらに、失業・倒産・登校禁止・外出禁止などは、先に述べたように、単なる経済的な損失だけではなく、様々なストレス・精神的な問題・心身の病気・人間関係の問題・暴力犯罪の問題を引き起こす。

そして、事態が長期化すれば、精神状態の悪化もあって、国民の一部には、政府が要請する必要な我慢を放棄する状況も予想される。そうなれば、そもそも強制力が乏しく、国民の自主性に基づく緊急事態宣言による規制政策は機能しなくなる。実際に、すでに「自粛疲れ」という言葉が言われ始めており、意識調査の結果の報道では、必要である限り行動規制をすることができると回答した人は多くはない。

こうした事態に対して、仮に、強制力を持った法規を導入して対処しようとしても、強い反発を招いて社会・国民の分断に至る恐れがあり、そうすれば全体の協力が不可欠であるこの問題の解決に対しては、逆行する事態となりかねない。日本よりも強い規制措置(都市封鎖)が取られている米国では、すでに経済活動の再開を求め、規制する州政府に対しての抗議活動が始まっている。

 

9.感染抑止のための経済停滞による世界的な弊害 

また、日本をはじめとする先進国の経済活動の停滞は、サプライチェーンの問題を含めて、食糧生産の分野にも及んでいる。食糧生産が落ちているのである。その結果、将来的には食糧価格の上昇が予想され、それに伴い、途上国での飢餓の増大が懸念されており、WHOとFAO(国連食糧農業機関)がすでに警告を発している。

食糧生産の不足は、先進国においては、食糧価格の上昇という問題となるが、経済力のない途上国の場合は、飢餓の増大に直結する恐れがあるのである。そして、それは政情・国家体制の不安定化に結び付き、それによる犠牲者の発生も懸念される。加えて、今年は70年に一度ともいわれるバッタの集団発生の被害が、中央アジアを中心に途上国の食糧問題を悪化させているともいわれている。

こうした状況の中で、先進国が、自国の感染問題ばかりに気を取られる中で、途上国への援助に不足が生じるならば、普段にもまして問題が悪化する恐れがある。そして、途上国の飢餓の増大による政情の不安化・紛争の発生は、結果として巡り巡って、世界全体の安全保障や経済の問題につながってくる。

また、もう一つの大きな問題として、世界全体の経済の停滞は、石油の需要を急減させ、原油価格の急落を招いている。これは、国家の財政を石油の輸出に依存する割合が大きい産油国である中東諸国やロシアの国家財政の悪化と、それによる政情の不安定化を招く恐れがある。例えば、中東の政情の不安定化・紛争の発生は、一転して石油生産の急減・価格の急騰・石油不足、すなわち石油危機を招いて、中東に石油を依存する日本のような国々にとっては、大きな経済的な打撃となる可能性がある。これを言い換えれば、原油価格があまりに低い今の状況は、中東諸国において、紛争発生を防止して原油価格の急騰を防ごうとする意欲・動機を損なう面もあるかもしれない。

また、産油国の財務が悪化すれば、世界中に投資されてきた潤沢なオイルマネーが引き揚げられ、今でさえ大きな打撃を受けている世界の株式・金融市場の、さらなる停滞の要因となる可能性もある。また、米国のシェールオイル企業は生産コストが高く、原油安が続けば、それに耐えられずに倒産する恐れがあり、これが金融市場に波及して、米国に金融危機が生じて、さらなる経済停滞を招く恐れも懸念されている。

ただし、この原油の急落の問題の背景には、新型コロナ感染による需要の急減だけではなく、主要な産油国である米国・サウジアラビア・ロシアといった国々の間での石油の産出量・輸出量における世界的なシェア争いの側面がある。そのために、原油価格を維持するために必要な減産が十分にできないという問題である。

こうして、危機に瀕した世界の中で、各国の自国中心主義・エゴによって、問題の緩和が十分に進まないという現実(人災)がある。

 

10.バランスの取れた規制と助け合い、そして新しい生き方の創造の重要性 

こうして、感染抑止のための行動や経済の規制には、様々な損失があることを踏まえれば、今後の方針として、①規制の利益と不利益を十分に比較考量して、バランスの取れた規制とすること、②不利益を最小限にするために、各国の政府・民間・個々人の努力とその間の助け合いが、かつてなく必要とされるということだと思う。

さらに、個々人も事業体も政府社会全体においても、単に早期に元の状態に戻ることを期待するのではなく、この状況がしばらくは続くだろうことを前提とし、この状況の中で健康と経済生活をなるべく両立することができないかを検討することも望ましいと思う。すなわち、この状況に適応して進化するということである。

そもそもが、新型コロナ感染がなかったとしても、人々の生活や経済システムは、時代の流れとともに、無常に移り変わるものである。そして、コロナ問題以前から、例えば経済面でいえば、インターネットや高齢化の時代に向けて、次世代型の働き方・経済システムが提唱されてきた。テレワーク・ネット通販・宅配・オンライン診療・高齢者などを支援するAI技術などは、考えてみれば、感染症を抑止する上でも重要な、人と人の直接接触を必要としないシステム・テクノロジーでもある。実際に多くの識者が、すでに、新型コロナ感染の問題がいったん終息しても、人々の生き方・働き方は、完全には元に戻らずに、恒常的な変化をきたすことを予見している。

こうして見るならば、この機会を逆に利用して、感染終息までの一時的なものとしてではなくて、長期的な、将来的なものとして、前向きに、新たなライフスタイル・ワークスタイル・経済システムを考えることが望ましいと思われる。しかし、適応が進みやすい人も、進みにくい人もいるだろうから、皆がなるべく速やかに、この変化に適応する上でも互いに協力し合うことが、今後の対応において重要ではないかと思う。

 

11.人類社会の問題・弱点を焙り出す新型ウイルス 

これを言い換えれば、新型コロナ感染問題は、少なくとも一部においては、コロナ以前からあった流れをいっそう加速させる現象とも解釈できるということになる。しかし、それは必ずしも発展的な良い流れを加速させるだけではない。これまでも拡大してきた悪い流れ・問題・人類社会の弱点をいっそう拡大して、強く焙り出すものではないだろうか。

例えば、新型コロナウイルスが、最後の新型感染症となる保証はない。実際に、大きな被害に入らなかったが、2003年のSARS、2009年の新型インフルエンザ、2012年のMERSといった問題が、次々と発生してきたことは事実である。その際、日本には被害はなかったが、一部の外国には一定の被害が発生しており、そうした経験を持っている国々は、その後の対策が進み、今回の新型ウイルスの問題に比較的うまく対処ができている(韓国・香港・シンガポールなど)。

また、大きな被害を出したものとしては、前世紀の末のHIV(エイズ)の問題がアフリカを中心に猛威を振るった。そして、あまり報道されることはなかったが、季節性インフルエンザの感染症の犠牲者が、国内外で最近は増大してきたおりでもあった。例えば、米国でもインフルエンザは大流行しており、年間数万人規模の犠牲者(昨年は3万7千人、数年前には6万人超)を出しているという。こうして、新型の感染症が続発しているということもできるのである。

この背景としては、世界規模の無秩序な経済開発や野生動物の売買によって、人獣共通の感染症が発生して、世界全体に拡散していくリスクが増大しているという指摘が専門家によってなされている。また、他には、感染症の治療でよく用いられる抗生物質の乱用・誤用や、金銭主義に基づく低品質の抗生物質の販売などによって、抗生物質の効果が減少していることもあるという(薬剤耐性菌の多発)。こうして、新型感染症は、無秩序な経済活動・金銭主義などがもたらす人災という側面があるということである。本当に怖い敵はウイルスではなく、人間自身であると指摘する識者もいる。

 

12.世界的な視点から見た日本の幸運な状況 

世界に広がる新型コロナ感染の問題に関連して、もう一つ押さえておくべきことは、日本の状況を、世界全体から客観的に見ると、経済の問題などいろいろ大変ではあっても、現状の被害は、欧米に比較して相当に少なく、緊急事態宣言の後は新規感染者も減少しつつあることだ。単位人口当たりの死亡者は、一部の欧米諸国に比較して数百分の一にすぎない。そして、今後とも最善を尽くすならば、欧米の後を追って感染爆発が起こり、医療崩壊や多数の死亡者が出るという可能性は低いと思われる幸運な現状がある。

そして、よく考えてみれば、欧米諸国と比較して、日本は、感染源の中国に非常に近い地理にあって、中国・武漢からの人の流入も相当に多く、さらには中国からの入国禁止も欧米に比較すると相当に遅れた経緯があった。

にもかかわらず、その後、中国はおろか欧米のように都市封鎖もせずに、国民の自主性・自立性に任せた自粛誘導政策で、このような結果を得ていることは、諸外国から見れば、日本の謎とも、油断ともいわれて注目されている。

特に、都市ばかりではなく、政権批判も封鎖され、「国一丸となって全てを我慢して闘え」と言われてきただろう中国の人達は、都市封鎖がないばかりか、普段にもまして政権が批判されるという日本の極めて緩く自由な状況は、(密(ひそ)かな)注目とやっかみの対象になっているとする報道もある。欧米から見てもそうであり、日本の油断なのか、日本の謎・不思議なのか、今後の行方が非常に注目されている。

ただし、歴史を振り返ってみると、強権行使をなるべく避けるこの日本行政の姿勢は、それと全く正反対に全体主義的であった大日本帝国の過去の敗戦の反動である。そして、その意味では、その時に大日本帝国と戦って、その体制を倒した中国や欧米との因縁(おかげ)ということにもなるだろうか。

 

13.なぜ日本は被害が少ないのか:日本の謎か油断か 

この中国や欧米との大きな違いの原因が何かについては、いろいろな意見がある。もちろんその前に、これは単なる何かの偶然であって、油断していれば欧米と同じように感染爆発を招いて痛い目にあう可能性があるという見方は、油断を戒めて最善の努力を尽くすうえでは必要だろう。しかし、違いがある以上は、何らかの科学的な理由があるはずである。これまで指摘されたところは、だいたい以下のようなものである。

①行動習慣

欧米ほどには濃厚でない他人との身体接触の行動習慣や、強制力なしでも、集団の中で必要とされる行動を自らとる日本人の自律的な行動規範。 

②食生活習慣(免疫が強める食生活)

日本の緑茶が、新型コロナウイルスにも抗ウイルス作用を持つカテキンを特に多く含んでいること(紅茶など比較しても)。重症化をもたらす免疫の過剰反応(サイトカインストーム)を防ぐ作用がある海藻類(ワカメ・昆布・もずく)などの消費量が多いこと。味噌・納豆などは、免疫力に非常に関係が深い腸内細菌を整えること。重症患者には過体重の人が多いが、その点に関しても、欧米の食生活に比較し、和食は理想の健康食ともいわれる。

③衛生管理に優れていること

手洗いや入浴などの、そもそもの綺麗好き、衛生的な都市生活環境、さらに新型コロナ問題以前からの毎年のインフルや花粉症の流行から手洗いやマスクの習慣が広がっていたこと。 

④平等性の高い社会構造・医療制度

貧富格差の少ない社会と国民皆(かい)保険(ほけん)に基づく平等で高水準な医療システム。欧米では、黒人などの少数派の人種の被害や、貧民街の住民の被害(シンガポールも)が大きい。

⑥クラスター潰しを軸とした今回の日本政府の対策の効果 

⑦日本人は、すでに一定の免疫を有しているという仮説

日本が義務付けている(欧米は義務付けていない)結核予防のBCGワクチンの接種が新型コロナウイルスにも効果があるという仮説がある(一部の外国は効果を確認する臨床試験を開始している)。また、中国に近い日本には、症状の軽い初期型のウイルス(S型)による感染が昨年末からすでに広がっており、多くの人が部分的な免疫を獲得したという仮説がある(京都大学教授 上久保靖彦氏ら)。

こうした、いろいろな説はあるが、今のところ科学的にはよくわからない。仮に将来において、科学的な理由が判明して、諸外国と分かち合えるものがあるならば、ぜひともそうしたいものである。

それから、何が原因であろうとも、今世界全体の連帯が必要な中で、世界的な視野を持たずに、単に現状に不満ばかりを言うよりは、この得難い幸運をよく認識することは重要に思われる。そして、それを実際に支えているエッセンシャルワーカーなどの人たちに感謝し、さらに、高度な分業で成り立っているこの社会を支える万人・万物に感謝するべきだと思う。そして、感謝のようなポジティブな感情は、免疫力を高めるという医学的な研究結果が確立している。こうして、「情け」ならぬ、「感謝は人のためならず」ということができるだろう。

最後に蛇足ながら、宗教思想家としては、この幸運な状況が、もし上記のような国民性のおかげであるならば、それを作ったご先祖様への感謝もした方がよいような気がする。

 

14.個々人が自分自身の自然免疫を高める重要性 

こうして、私たちは、今のところ決め手がない問題に対する長期戦の中にある。そして、前に述べたように、それを前向きに逆活用して、自分たちの新しいライフスタイルを確立するという考え方がある。

そして、それを考える上で、重要なポイントの一つとして、日常から、個々人が自分の心身の健康=自然免疫を高める努力をすることがあることには疑いの余地はないだろう。

新型コロナウイルスのワクチンや特効薬の開発は、期待はできるが、やはり不確かであり、少なくとも1年は要するし、それ以上かもしれない。また今後、さらなる新型ウイルスが現れる可能性も否定できない。その前に、季節性インフルエンザなどの既存の感染症も、近年は拡大傾向にあって、気づかないうちに多くの犠牲者を出していたところであった。

これらの現象を見れば、現在の社会には、今回の新型コロナウイルスに限らず、感染症一般に関する重大な健康問題が存在することを示していると思う。

 

15.感染予防・免疫の強化の基本事項 

感染予防と免疫強化は、主に二つに分けることができると思う。一つ目は、なるべく体内へのウイルスの侵入を回避することである。二つ目は、ウイルスが侵入しても増殖感染せず、ないしは重症化しないように抵抗力=免疫力を形成することである。

 まず、ウイルスの体内への侵入を回避するための努力として指摘されることをまとめると、以下のとおりである。

① 密閉・密集・密接(いわゆる「3密」)の空間を避ける

換気のない密閉した空間を避ける(なるべく換気する)。人が密集した空間を避ける。他と接近した状態での会話などの発生を避ける。なお、他と接近する場合も、マスクを着用するが、互いが、相手にうつすことは避けやすくなる。しかし、マスクによって、他人からうつされることを防ぐことはできないという。

② 日常の手洗い・洗顔

手の全体をよく洗う。洗い損ねる場所が少なくない。洗うために石鹸・ハンドソープ・アルコール消毒剤の利用が推奨されている。ただし、一部には、消毒しすぎる場合、善玉菌も殺して長期的に逆効果という説も、一考に値する(後に述べるように、体の健康・免疫力が最後の決め手になる)。なお、汚い手で顔を触らないことも、よくいわれる。

③ うがい

うがいの有効性には、十分な医学的な証拠はないとされる(ただし、全くないわけではない)。欧米では推奨されておらず、日本が独自に推奨する習慣である。うがいは喉の奥には届かず、鼻のウイルス感染には無効であるという。

なお、うがいは、口(歯の部分)と喉の「2度うがい」が推奨されることがある。一方、うがい薬の感染症予防の有効性の証拠はないとの報告がある。その逆に、単なる水うがいの方が、うがい薬を用いたうがいよりも有効だったという研究結果がある。その理由は、うがい薬は殺菌力が強すぎて、善玉菌まで殺すためという推測がある。

一口のお茶(特にカテキンの多い緑茶)を頻繁に飲むこと=飲みうがいは、科学的に有効と思われて推奨する医師も少なくない。頻繁に飲んで喉のウイルスを胃に送り込めば、胃酸で殺菌されるため、喉からウイルスが侵入することを防ぐという。

④ マスクの着用

主に他人にうつさないようにするためで、自分の感染予防ではない(ただし、至近距離から他人の飛沫を口周辺に直接浴的に浴びることは物理的に避けられるだろう)。また、使い方としては、紐の部分だけを触ってマスクを脱着することなど、使い方に色々な注意の推奨がある。

⑤ 室内の換気(加湿)

密閉空間はウイルスが溜まりやすいので換気する。加湿に関しては、新型ウイルスの感染と湿度の関係を示す医学的な証拠は十分にはないが、最近の米国の政府機関の発表では、高温多湿の状態の方が、ウイルスの働きが鈍るというものがある。しかし、インフルを含めた感染症全体の予防のためにも加湿は有効だろう。

⑥ 室内の消毒

特に感染が疑われる人と同居している場合は、強く推奨される。ドアノブなど皆の手の触れる所を消毒する。消毒のためには、次亜塩素酸やエタノール消毒剤が推奨されている。ただし、厚生労働省のHPでも推奨されている、次亜塩素酸ナトリウムの漂白剤は、それを十分に薄めて使わなければならない等、使用上の注意が煩雑なために、失敗する人が少なくないようだ。次亜塩素酸水の商品ならば(多少高価ではあるが)、その心配はないだろう。

それから、パソコン・スマホは、よく手に触れるものだが、見過ごされがちである。トイレ・洗面に関しては、糞尿にウイルスが混ざることがあるので、その消毒は重要である。また、トイレの蓋は、閉めた上で水を流すことが推奨される。開けたまま一気に水を流した場合、水の勢いでウイルスが空中に舞い上がる可能性があるからである。

以上は、繰り返しになるが、ウイルスに接触しないようするためか、もしくは接触しても瀬戸際で洗浄して体内への侵入を予防するための対策である。しかし、結果として完全に侵入を防げるものではないので、その場合に備えて、「体の免疫力」を高め、感染・発症・重症化を防ぐことが最終的な防御行動になる。

そのためには、以下のようなことがポイントだろうと思う

 

16.生活習慣・身体的な側面

まずは、免疫を高めるための食事・運動・睡眠といった生活習慣・身体的な側面による免疫の強化について述べる。その中でまずは、飲食の面である。

(1)食事 

① 水分補給

一般に水分が不足し、体が乾燥すると、排尿が衰え、体内の毒素の排泄が滞る。また喉などが乾燥している場合は、そのぶんウイルスが生き残りやすいとされる

② 緑茶

緑茶に多く含まれるカテキンは、新型ウイルスに対して、最高の抗ウイルス作用を持つ食品成分ともされる。一口の緑茶を頻繁に飲めば、喉の乾燥を防ぐとともに、喉のウイルスを胃に洗い落とし胃酸で殺菌できる。緑茶が、お茶の中ではカテキンの成分が最も多いとされる。

③ 緑黄色野菜

βカロテンが免疫を高めるといわれる。

④ 発酵食品

腸内細菌を整えるとされる。味噌・納豆、ヨーグルト・乳酸菌飲料など。腸内細菌は全免疫力の7割ともいわれる。

⑤ 海藻類・フコイダン

ワカメ・昆布・モズクなど。若者の重症化をもたらす免疫の過剰反応であるサイトカインストームという現象を抑制する作用があるとされる。 

⑥ キノコ類(キノコ・シイタケなど)

ビタミンDが含まれ、感染症によい。 

最後に、食べ過ぎによる太りすぎは、新型コロナウイルスの感染においては、よくない。過体重の人が重症化するデータがある。最後に、私的見解ではあるが、以前から和食は理想的な健康食といわれることが多いが、上記の食品のリストを見れば、感染症の予防・免疫強化においても実際にそうだと思う。これを機会に、西洋化した日本の食事を見直してもよいのではないだろうか。

(2)睡眠

睡眠は、リズミカルな睡眠、夜更かしを避けるなどが推奨されている。

また、現代においては、精神的なストレスによる不眠症が増えているので、この点に関

しては、次項の免疫強化に役立つ精神面の作業を参照されたい。

(3)運動

運動は、低強度運動・有酸素運動が良いとされる。生活習慣病の予防も同様である。激しい運動は、体力を消耗して、逆に免疫を弱めるとされている。低強度運動の典型は、ヨーガの体操・ストレッチや、(少し速めの)歩行であろう。実際に、ヨーガのストレッチによって、免疫を構成する抗体の源である免疫グロブリンが増大したという研究報告がある。

また、ヨーガは、単に免疫を強化する低強度運動という物理的・生理的な効果があるだけでなく、それによる精神安定の促進から来る免疫強化の効果を期待することができるが、これについては次項で述べる。

また、野外での歩行は、3密を避けなければならないが、日光を浴びることで、免疫を強化するビタミンDを体内で作成することができる効果もある。さらに、最新の米国政府の研究発表では、新型コロナウイルスが太陽光に弱く、浴びると不活性化するという報告がある。

ただし、強い日光を浴び過ぎると紫外線による皮膚等への被害が出るので、日射しの強い季節には注意を要する。ビタミンDの作成には、20分ほどの短時間の露出でよいとされる。また朝の日射しは柔らかいので、うつ病の治療にも、早朝に日光を浴びる日光療法が推奨されている。

その意味では、次項の精神的な安定の促進による免疫の強化とも関係する。

なお、ここでのヨーガとは、本場インドの源流のヨーガのことである。今流行の巷のヨーガ教室には、ホットヨーガ、パワーヨーガなど、身体的な美・ダイエット等が主たる目的のものがある。それは、心身の健康・心の安定を目的にしたものではなく、時に動きが激しすぎるために、体を痛めたり、肺機能に負担をかけたりして、免疫という点からは逆効果のものも多いので、注意が必要である。

本来の低強度運動としてのヨーガであれば、下記の通り、精神的な視点で免疫を高める効果もある。

 

17.精神面からの免疫の強化:精神状態と免疫は深い関係がある

精神状態と免疫は、深い関係があるとされる。精神の安定やポジティブな感情は、感染した細胞を死滅するNK細胞を活性化させて免疫を高めることが、研究によって確認されている。また、逆にストレスは、免疫を低下させる要因となるという研究報告もある。

その点から見て、ヨーガ・仏教は、そもそも精神を安定させる、肯定的にすることが、その主たる目的ともいうことができる修練体系である。ヨーガという言葉の原意自体が、心の静止ないし制御である(厳密には「心の働きの止滅」)。本章の末尾の資料には、ヨーガによる免疫力の向上を示す様々な研究報告のリストがあるので、参照されたい。

また、仏教が説く「止(し)観(かん)」の瞑想の中の「止(し)」の瞑想は、心を静める、静止させるための瞑想である。禅定の修行も同様である。また、仏教の修行の中には、静まった心を培うためにも、他に対する肯定的な心の働きかけとして、慈悲・利他・感謝と恩返し(報恩)といった瞑想や日常実践が説かれている。こうして、仏道修行は、心の安定と肯定的な心の働きを培うものであり、免疫の強化に役立つものである。

なお、瞑想以外にも、ヨーガや仏教の身体行法は、身体をコントロールすることで、心の状態・生理的な状態を安定させる効能がある。

第一に、ヨーガのアーサナ(体操・座法・体位法)がある。ヨーガにみられる筋肉をほぐす運動(筋肉弛緩法)は、心を安定させることが、身体心理学の分野で実験によって確認されている。また、コルチゾールなどのストレスの指標が改善し、免疫グロブリンが増大して免疫力が強化されることが報告されている。

また、このヨーガのアーサナは、座法・体位法とも訳されることがあり、体操によって心身をほぐして整えて、正しい安定した姿勢で快適に座って瞑想ができるようにするためのものである。身体心理学の研究でも、背筋が伸びた正しい姿勢は、心の安定とも深い関係があるとされている。

第二に、ヨーガのプラーナーヤーマ(呼吸法・調息法・調気法)がある。身体心理学の研究結果においては、単なる深呼吸よりも、息を吸った後に少し止めて、息をゆっくりと出す(長い呼気)が、精神の安定に有効であることが示されている。それとともに、PETCO2などのストレス指標が改善されることが報告されている。また、仏教で説かれる呼吸を意識化する呼吸法や、ヨーガのプラーナーヤーマの呼吸法が、肺結核の感染症の治療を助けるとの報告もある(末尾の資料⑦)。

第三に、ヨーガのマントラ(真言)にも、精神的な効果が認められている。身体心理学の実験では、特定の発声が精神の開放・安定に関係するとの研究報告がある。特に「アー」音などが有効との身体心理学の報告があるが、マントラ・真言には、この音が多く含まれている。

最後に、精神面の所でも述べたが、仏教の歩行瞑想(経(きん)行(ひん))も、心の安定に向けた精神的・身体的な効果があると思われる。

その一つとして、歩行と瞑想を組み合わせたものとして、マインドフルネス・ウォーキングがあるので簡単に紹介したい。

まずは、背筋を伸ばし、体の力は抜く。そうできるように、歩行を開始する前にアーサナ(体操)によって体の各部をほぐしておくとよい。

そして、視線は下向きにならないようにして、姿勢を正しつつ、呼吸のテンポと歩行のテンポを同期させるようにする。

そして、下腹部と足の感覚に注意を集中しながら、下腹を前進させていくイメージで、体や感覚を感じながら歩くようにする。

  

※参考情報1:ヨーガが免疫力を含む健康増進に役立つとの研究報告

ヨーガは、心身の両面から、免疫力を含めた健康の増進に役立つという多くの研究報告がありますので、ご紹介します。

ただし、新型コロナウイルスに関連しての報告ではありませんので、ご注意ください。

「米国精神医学誌」研究報告
「カウンセリング研究」学会誌の研究論

「国際行動医学会」研究論文

「大阪経大論集」(大阪経済大学の研究論文) 

「社会医学研究」学会の研究論文

早大助教授の研究:風邪・インフルの予防

厚生労働省HP:ヨーガと感染症:肺結核

厚生労働省HP:ヨーガと感染症:HIV

米国ハーバード大・メディカルスクールの研究

その他

 

※参考情報2:身体心理学とその研究結果

身体・身体の動き・心の相互作用の視点から、心に取り組む身体心理学というものが、早稲田大学名誉教授である春木豊博士によって提唱されている。春木博士は行動主義心理学、健康心理学を研究し、ヨーガ、気功、禅などの実践もするなかで「身体心理学」を提唱した。

東洋においては、ヨーガや気功など、体と体の動きと心の関係が古くから知られ、心身(しんじん)一如(いちにょ)という言葉もある。心身医学や健康心理学で心身の相関性は指摘されるが、身体心理学は、そこに「体の動き」というものを加え、より体と心の関係を明確にした。そして、身体心理学が目指すところは、ストレスへの耐性を高めること、心身のウェルビーイング(良好な状態)である。

以下は、その研究結果の一部の紹介である。

① 呼吸が生理に及ぼす影響

呼吸と血圧、心拍との関係を示す研究を紹介する。3つの呼吸法で実験を行った。

①腹式呼吸で呼気を長く行う ②腹式呼吸で呼気を短く行う ③深呼吸 である。

実験前に血圧、心拍数を測り、気分評定表のチェックをした。実験直後に血圧、心拍数の測定をし、5分休憩後に再度測定をした。その結果、いずれの呼吸法でも血圧は下がったが、呼気を長く行った呼吸法(長息)が、最も下がり方が大きかった。長息は、血圧が下がった状態が持続したが、他の呼吸法は時間とともに元に戻った。心拍数は、どの呼吸法でも実験後上昇し、5分の休憩で急速に低下した。

このことから、長い呼気が、血圧を下げるのに効果的であること、副交感神経を優位にし、生理的安定をもたらすことがわかる。また、ゆっくりした呼吸と速い呼吸で、心拍数と呼気終末二酸化炭素(PETCO2:PETCO2は呼吸によって吐き出された気体中のCO2の分圧(割合))の量を比較した実験では、ゆっくりした呼吸では、心拍数が下がり、呼気終末二酸化炭素の値が上がった。呼気終末二酸化炭素はストレスあるときは値が下がるので、ゆっくりした呼吸によって生理的緊張状態が改善できることを示している。

 

② 呼吸が心理に及ぼす影響

腹式呼吸の実験において、気分の調査を行った。「落ち着いた--興奮した」「くつろいだ--緊張した」など、気分を表す対になった言葉を示し、その間を10段階で評価してもらった。

その結果、長い呼気では、短い呼気や深呼吸よりも、落ち着いた気分、くつろいだ気分になる傾向が大きかった。腹式呼吸で長い呼気をすると、リラックス効果がもたらされることを示している。

また、意識的に呼気を長くすることで、「タイプA性格」という、怒りやすい、焦りやすいという性格の人たちに効果があることがわかっている。長い呼気を行うと、「時間的切迫感」「焦りを感じて落ち着かない」というタイプAの傾向が低くなることがわかった。

 

③ 筋肉の弛緩法が心理・生理に及ぼす影響

健常者に、ジェイコブソンの漸進的弛緩法(体の各部位を順次弛緩させていく方法。一度緊張させて緩めるという手順をとる)を行い、実験した。事前に、不安尺度、ストレス状態を調べる尺度に回答してもらい、そのときのリラクゼーションの程度も10段階でチェックし、生理的検査として心拍数を測り、唾液を採取した。

この後、被験者は、筋弛緩法を20~25分行った。事後に、事前に行った検査を行った。比較対象として、筋弛緩法をやらないで静かに座っている被験者も同じように検査した。その結果、筋弛緩法を行った被験者は、不安、ストレスの程度が下がり、リラクゼーションの程度が上がった。筋弛緩法をやらないで静かに座っている被験者には、変化がなかった。筋弛緩が、心理的緊張を下げることがわかった。

心拍数は、筋弛緩法を行った被験者は低下し、行わなかった被験者は変化がなかった。また、唾液から抽出されたコルチゾールは、筋弛緩法を行った被験者は低下し、行わなかった被験者は変化がなかった。コルチゾールは。、ストレスが高まると値が大きくなるので、筋弛緩法はストレスを下げたといえる。また、唾液からの免疫グロブリンが、筋弛緩法を行った被験者は増えていて、行わなかった被験者は変化がなかった。

このことから、筋弛緩が、免疫力を高めたといえる。

また、弛緩法が、恐怖心を弱めることができるという実験結果もある。恐怖心と筋緊張が、密接に関連していることを示していて、心の緊張と体の緊張は、同義であるといえる。

 

④ 発声が心理に及ぼす影響

被験者に「アー イー ウ~ン エー オー」を発声してもらい、それぞれの発音に感情評定してもらった。「ウン」は温かい、ゆったりしたという回答が多かった。「ウ~ン」は落ち着いた気分、「アー」は開放的な気分をもたらした。

 

⑤ 姿勢が心理に及ぼす影響

顔の方向が上向き・正面・下向きで、それぞれについて背骨を直立と曲げたものの、計6種類の姿勢をとってもらい、それぞれどのような気分を感じるかを17の形容詞対で評定してもらった(「生き生きした--生気がない」「自信がある--自信がない」「明るい--暗い」など)。首を下向きにすると、他の向きよりネガティブな気分になる、背骨を曲げると、ネガティブな気分になることがわかった。

最もネガティブな気分になるのは、首を下向きにして、背骨を曲げる姿勢である。この姿勢はうつと関係がある。うつ気分になるとうつむき姿勢になるが、うつむき姿勢でうつ気分にもなるといえる。

 

⑥ 姿勢が知覚・心理に及ぼす影響

音楽を聴くときの姿勢が、音楽の知覚にどのように影響するかという実験では、仰向けの姿勢、背筋を立てて正面を向く姿勢、背骨を曲げてうつむく姿勢の3つの姿勢で、行進曲風の明るい曲を聴いてもらった。

うつむき姿勢で聴くと、他の姿勢よりネガティブな感じに聞こえるという結果であった。姿勢は、環境からの情報を受け取る場合に影響を与えるということが示唆される。

姿勢と前頭葉との関係を調べた。直立姿勢とうつむき姿勢で「さ」「み」などからはじまる名詞をたくさん言ってもらう知的作業を行った。そのときの前頭葉の活性度を調べた。

その結果、直立姿勢のときは前頭葉が活性化したが、うつむき姿勢のときは活性化しなかった。うつ状態の人は、知的作業をするとき、前頭葉が不活発であるという研究もある。うつむく姿勢は、うつ気分と関係し、知的活動も低下することがわかった。

また、小学校、中学校で、しっかり座ると腰が立つ椅子を使うことで、従来の椅子と比べ「落ち着く」「生き生きした感じ」「くつろぐ」との評価があった。この椅子を半年間使って、姿勢への意識や学校生活に対する意識がどのように変わったか観察した結果、「授業中に姿勢を気にするようになり」「自分の姿勢はよい」という意識が高まり、「いらいらすること」が少なくなり、代わりに「落ち着いて勉強できる」ようになった。教師たちも、従来より生徒たちのやる気、集中力が増したと評価している。

また、姿勢に対する意識が高まった生徒では、物事に飽きるということが減少し、頭がすっきりする程度も高まった。自己統制力が高まった。そうでない生徒では、そのような結果はなかった。

 

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2021年5月19日

0075心身の健康の鍵: 自律神経の制御とヨーガの呼吸法

下記のテキストは、2021年GWセミナー特別教本『自律神経を制御する呼吸法 大自然・大宇宙の瞑想』第1章として収録されているものです。教本全体にご関心のある方はこちらをご覧ください。

 

1.現代医学の自律神経の理論とヨーガの思想の類似性

現代医学で健康の鍵とされ、最近よく一般向けの健康書籍などで紹介されるのが、自律神経の問題である。皆さんは、原因がよくわからない体調不良があると、自律神経失調症と診断されることなどは聞き及んでいるかもしれない。それほど広く、自律神経の問題は、さまざまな体調不良の原因となるとされ、さらに、それが原因・遠因となって、様々な具体的な疾患につながる。

自律神経には、体の右側を走る交感神経と左側を走る副交感神経があり、この両者が、十分にかつバランスよく機能することが望ましいとされる。どちらも機能しないだけでなく、どちらかが十分に機能せずに両者のバランスが取れていない場合も望ましくないのである。

さて、この理論と非常によく似たヨーガの理論があることが、ヨーガと医学の双方を研究している者たちの間で理解されてきた。それは、ヨーガでは、目に見えない生命エネルギーである「気」(インドのサンスクリット語ではプラーナ)が体の中を流れ、その気が流れる通り道を気道(ナーディ)と言うが、その中で、体の右側を通るピンガラ気道と、左側を流れるイダー気道というものがあり、それぞれが、現代医学・神経学が説く交感神経と副交感神経の働きによく似ているのである。

そのために、日本のヨーガ研究の草分け的な存在である佐保田鶴治氏(故人、元大阪大学名誉教授)によれば、ヨーロッパのヨーガと医学の研究者の中には、交感神経・副交感神経と、ピンガラ気道・イダー気道を同一のものだとみなす人たちがいるほどだという(佐保田氏自身は全く同一だとみなすのは行き過ぎだとしている)。

この分野に関する日本の研究者は多くはないが、やはり同一視する人たちがいる。両者が全く同一ではないにしても、相当に類似しているとすれば、それは、交感神経とピンガラ気道、副交感神経とイダー気道が、それぞれ連動している、つながりがあるという重要な意味を持つだろう。

そして、さらに重要なことは、ヨーガの理論の中には、その身体行法、特に呼吸法(プラーナーヤーマ)によって、現代医学にはないピンガラ気道(→交感神経)とイダー気道(→副交感神経)の制御の方法が説かれているということである。

ヨーガの呼吸法にはさまざまなものがあり、本稿で紹介する十数種類のものも、その一部にすぎない。このさまざまな呼吸法のそれぞれが、双方の気道(→双方の神経)の浄化・活性化・制御において異なる働きを持っており、その意味で、ヨーガの呼吸法は、非常に緻密・繊細に、双方の気道(→双方の神経)を制御する仕組みを持っているのである。

そして、一般向けの健康書の中でも、自律神経の調整の方法が解説・紹介されているが、最近は、自律神経の権威・名医といわれる医師・医学者の中で、自律神経の調整のために、ヨーガの呼吸法と全く同じものを紹介している人が複数見られる状況となった。すなわち、自律神経の医学とヨーガの呼吸法が、融合しつつあるということができる。

よって、現代医学の手法に加えて、ヨーガの呼吸法を学ぶことは、心身の健康の鍵となる自律神経の制御の上で、大いに役に立つと思われる。さらには、その呼吸法は、単なる心身の健康という範疇を超えて、心の深い安定・深い精神の集中といった、ヨーガや仏教が説く、瞑想や悟りといった言葉で表される、高度な心理的な発達の土台となる恩恵もある。

 

2.自律神経とその制御に関する医学的な基礎知識 

そこでまず、現代医学が解き明かした自律神経の仕組みに関して、その概略を解説しておきたい。まず、自律神経とは、人が意志しなくても自律的に働く活動を制御する神経である。例えば、心拍・血圧・発汗・呼吸・血管や気道の縮小・拡大などは、私たちが意志しなくても、勝手に体がそれを調整して動かしている。この自律的な動きを制御するのが自律神経である。よって、心理学的に言えば、無意識の脳活動が制御している神経であると表現することができるだろう。

これに対して、体性神経とは、意志によって動く神経であり、運動神経や知覚神経などが含まれる。そして神経全体の分類から見れば、中枢神経(脳と脊髄の神経)と末梢神経(それ以外)があり、この末梢神経が、体性神経と自律神経に分けられる。

図1:神経の全体像

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  図2:自律神経の概要

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※図1:『きのこらぼ』「『勝てるメンタル』のカギは自 律神経にあり⁉(前編)」より引用 https://www.hokto-kinoko.co.jp/kinokolabo/ jsport/performanceup/40630/

※図2:『MSDマニュアル家庭版』「自律神経系の概要」より引用

 

3.交感神経と副交感神経の特徴

次に、交感神経の特徴について述べる。大まかに言えば、交感神経は、体の右側を走っており、日中活発に働き、心身を活動に導き、緊張・興奮をもたらす神経である。

また、交感神経と副交感神経は対極的な関係にあり、同時には、どちらか一方が活性化し、その働きが、他方の働きに対して優位になる。すなわち、交感神経の活性化は、副交感神経に対して交感神経が優位になった状態である(副交感神経の活性化は、副交感系神経が交感神経より優位になった状態である)。

交感神経が活性化すると、生理現象としては、心拍は速く、血圧は高く、発汗は促進され、気道は拡張し、胃腸(消化)は停滞し、呼吸は速く・浅く、血管は縮小し、血流は抑制され、体温は上昇する。

なお、医学者の中には、体温は低下するという見解もあるが、これは血管が縮小し、血流が抑制される視点からの見解であって、交感神経が活性化するのは、通常は体が活動する時であり、それに伴い体温は上昇するので、上昇するとの見解を優先した。

さらに、覚醒、活動、集中、興奮、緊張、ストレス、脅威の認識とその排除(闘争・逃走)をもたらし、体や頭を動かすエネルギーを消費する。

そして、交感神経の働きが過剰となると、継続的・過剰な緊張・過剰なストレス、不安・恐怖、不眠、血液循環の不足、胃腸の消化・栄養吸収の停滞、エネルギー・疲労回復の遅れ、体温の過剰な低下、免疫の不足・低下、炎症性疾患(癌・胃炎・胃潰瘍・リウマチ)などを招くといわれている。

次に、副交感神経は、体の左側を走っており、夜中(眠っているとき)活発に働き、心身を休息に導き、リラックスをもたらす神経である。

副交感神経が活性化すると(交感神経より優位になると)、生理現象としては、心拍は遅く、血圧は低く、発汗は抑制され、気道は縮小し、胃腸(消化)は活発になり、呼吸は遅く深く、血管は拡大し、血流は促進され、体温は低下する。

そして、睡眠・休息・弛緩・リラックス、エネルギー・疲労の回復・食べ物の消化=栄養吸収をもたらす。

しかし、副交感神経が過剰に働く場合は、集中の欠如・注意力散漫・警戒心の欠如・ボーッとした、昼間の眠気、無気力が生じる。さらに、充血・うっ血などで血液循環が逆に悪化する場合がある。また、体温の過剰な低下、免疫の過剰・暴走、アレルギー性疾患(アトピー・花粉症など)をもたらし、免疫が低下する。

  図3:交感神経と副交感神経の特徴

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  図4:自律神経の不均衡と免疫力の低下

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※図3:『NAGASHIMA ATHLETIC TRAINERS』「コロナ疲れ、外出自粛、テレワークで急増!? 自律神経失調症とツボ押しマッサージ」より引用
https://at-n.net/usual/16152/

※図4:『ナチュラルクリニック代々木』「季節の変わり目にご用心~自律神経を整えましょう~」より引用 https://www.natural-c.com/blog/2018/04/post-134-585425.html

  図5:自律神経と免疫細胞の関係

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 ※図5:『鍼灸整骨院tecu』「自律神経免疫療法」より引用
https://trefleplus.com/tecutecu/autonomic/

 

4.自律神経の乱れとその四つの状態

自律神経失調症など、自律神経の乱れで生じる身体の不調の一例を示したものが図6である。このように、実に多くの身体の不調の原因となる。

ここで自律神経の乱れとは、交感神経と副交感神経の双方が機能していない状態と、交感神経の働きが過剰で副交感神経の働きが不足する状態と、その逆の状態があり、自律神経の不調には3つの状態があるということになる(図7参照)。

ストレスの強い現代人は、交感神経過剰が多いといわれているが、医師によれば、最近は、双方の神経が働いていない状態(トータルパワー不足ともいわれる)の人も多くなったという。また、私の個人的な経験からすれば、副交感神経過剰のタイプの人も少なくないと思うが、それは身体の不調ではなく、性格の問題とされるなどして見過ごされている可能性がある。

これに対して、自律神経が整っている状態とは、交感神経と副交感神経の双方がしっかりと働き、適切に交替して、活動と休息のバランスが取れており、心身共に健康な状態である。

 図6:自律神経失調症の症状

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   図7:自律神経の4つの状態

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※図6:『はり・きゅう・整体 つぼのチカラ』「自律神経失調症」より引用 https://tubotika.jp/hutyou.html

※図7:『ダ・ヴィンチニュース』「あなたの自律神経をセルフチェックしてみよう!」より引用 https://ddnavi.com/serial/685919/a/

 

5.ヨーガの神経生理学:気(プラーナ)と気道(ナーディ)など

次に、ヨーガのピンガラ気道(右気道)とイダー気道(左気道)について解説し、それぞれが、交感神経と副交感神経とシンクロしていることを説明したい。まず、その準備として、ヨーガの基本的な知識を紹介したい。

まず、ヨーガの思想では、気(プラーナ)と呼ぶ生命エネルギーが体の中を流れているとされ、その気が通る道を気道(ナーディ)と呼び、体全体に7万2千本あると説く。そして、複数の気道の交差点があるが、特に多くの気道が交差して密集する点をチャクラという。

また、この思想は部分的な違いはあるが、仏教の後期密教も共有している。さらに、中国医学も、ほぼ同じ気の概念を扱い、気道を経絡(けいらく)といい、気道の交差点を経(けい)穴(けつ)(ツボ)といい、ほぼ同じ概念を共有していると考えられる。

そして、ヨーガの思想では、体の中には、3つの主な気道(ナーディ)の存在が説かれ、それは以下のとおりである。

 ①スシュムナー気道:中央気道

②イダー気道(別名チャンドラ気道):左気道

③ピンガラ気道(別名スーリヤ気道):右気道

次に、具体的な気道(ナーディ)とチャクラの位置を示したものが、図A・Bである。著名なヨーガ行者のスワミ・ヨーゲシヴァラナンダ師が解説する、3つのナーディと9つのチャクラの図である(『魂の科学』〈たま出版刊〉より引用)。

図A

 

図B

図Bにあるように、スシュムナー気道は、尾てい骨から背骨(脊髄)を通って、頭頂に至る中央の気道である。ピンガラ気道は、尾てい骨からスシュムナー管よりも右側を通って、右の鼻に至る右側の気道である(別名スーリヤ気道)。イダー気道は、尾てい骨からスシュムナー管よりも左側を通って、左の鼻に至る左側の気道である(別名チャンドラ気道)である。

なお、この3つの気道の概念は、ヨーガの各宗派と仏教の後期密教が共有しているものの、その気道の具体的な位置は、各宗教宗派でかなり異なる部分がある。ここでは、その詳細は省くことにする。

 

6.ヨーガの右気道(ピンガラ気道)と交感神経との類似性

ヨーガが体の右側を通ると説くピンガラ気道(ピンガラ・ナーディ)は、別名、スーリヤ・ナーディともいわれる。スーリヤとは太陽の意味であり、これは、太陽と月のうちの太陽、昼と夜のうちの昼を象徴し、名称からして、昼・日中に活性化する交感神経と類似している。

その位置は、学派により諸説があるが、共通点として、右の鼻腔を通り(ないしは額に位置するアージュニヤー・チャクラに右側から入る)、腹部の右側に位置するスーリヤ・チャクラ(肝臓に位置するチャクラ)を通るとされる。

このピンガラ気道の特徴は、前に述べた通り、太陽が象徴となっており、陽・日・火・熱・暖・男性などである。すなわち、陰陽の陽である。

ピンガラ気道を活性化させる呼吸法であるスーリヤ・ベーダナ・プラーナーヤーマと呼ばれる呼吸法(プラーナーヤーマ)を行うと、ヨーガの経典によれば、体が温まるので、冬に行うとよいとされる。この点でも、体温を上昇させる交感神経と類似する。なお、ピンガラ気道を活性化させるとは、ピンガラ気道に、より多くの気(プラーナ・エネルギー)が流れる状態である。

そして、ピンガラ気道の良い働きとしては、パワー・エネルギー・活動的な行動・集中力・注意力・神通力の増大をもたらし、左脳と関係する論理的な行動(左脳)に適するという説もある(人体の右脳は、体の左側に関係し、左脳は右側に関係しているためである)。一方、ピンガラ気道の悪い働きとしては、私の経験上、過剰な怒り・嫌悪・ストレス・不安・憂い・恐怖や、体を過剰に熱することがある。

 

7.ヨーガの左気道(イダー気道)と副交感神経との類似性

ヨーガは、体の左側を通るイダー気道(イダー・ナーディ)を説くが、これは別名、チャンドラ・ナーディという。チャンドラとは月の意味であり、太陽と月のうちの月、昼と夜のうちの夜を象徴する。こうして、名称からして、夜中に活性化する副交感神経の働きと類似している。

その位置は、学派により諸説があるが、共通点として、左の鼻腔を通り(ないしは額に位置するアージュニヤー・チャクラに左側から入る)、チャンドラ・チャクラ(膵臓(すいぞう)・脾(ひ)臓(ぞう)に位置するチャクラ)を通る。

イダー気道の特徴は、月が象徴であるように、陰・水・寒・冷・女性などである。陰陽の陰である。イダー気道を活性化させるチャンドラ・ベダナ・プラーナーヤーマと呼ばれる呼吸法(プラーナーヤーマ)を行うと、ヨーガの経典によれば、体の余計な熱を冷ますので、夏に行うとよいとされる。

イダー気道の良い働きは、経験上、静寂(静かさ)・不動心・冷静さ・感情の制御が深まり、瞑想等の安定した静的な行動に適するという説がある。直感を高めるという説もある(右脳に関係する)。一方、イダー気道の悪い働きとしては、私の経験上、無智・眠気・無気力・怠惰・無価値なものへの執着、体を過剰に冷やすことだと思われる。

 

8.呼吸における左右の鼻の使われ方とヨーガの左右の気道

科学的な研究によって、人間は、常に左右の両方の鼻からは均等に呼吸していないことがわかっている。人間は、およそ90分間隔で、左右のどちらかの鼻の穴から強く呼吸をしているという(なお、早朝は、両方の鼻で均等に呼吸しているという説もあるという)。

そして、ヨーガ修行の経験上は、左の鼻の呼吸が優位である時は、左気道=イダー気道(→副交感神経)が優位となっている。これは左気道=イダー気道に、右気道=ピンガラ気道より、より多くのエネルギー(気)が流れている状態だと考えられる。だとすれば、その時間帯は、右鼻の呼吸が優位である時に比較すれば、静的な行動に適しているということになる。

一方、右の鼻の穴からの呼吸が優位であれば、ピンガラ気道(→交感神経)が優位となっている。これは左気道=イダー気道よりも、右気道=ピンガラ気道の方に、より多くのエネルギー(気)が流れている状態だと考えられる。そして、これは、左鼻の呼吸が優位であるときに比較すれば、動的な行動に適しているということになる。

そして、ヨーガの呼吸法では、あたかもこの事実を踏まえたかのように、右鼻ないし左鼻だけで呼吸する呼吸法がある。右鼻だけで呼吸すると、体が温まるとされるが、これはピンガラ気道および交感神経の活性化の特徴である。逆に、左鼻だけで呼吸すると、体の余計な熱を取り除くとされるが、これはイダー気道および副交感神経の特徴である。

また、これに関連したヨーガの理論として、「気道の詰まり」というものがある。悪い行為をすると、それに関連して気道が詰まり、気道の中を気が流れにくくなるというのである。

気・経絡・経穴という概念を持つ中国医学にも、気(き)滞(たい)という概念がある。文字通り、気の滞り、経絡を流れる気が滞り、スムーズに流れない状態をいうもので、ヨーガとほぼ同じ概念を共有していると考えられる。

そして、重要なことは、左気道に詰まりが生じると、左鼻が詰まる現象が起こる。右気道に詰まりが生じると、右鼻が詰まるという現象が起こる。

そして、ヨーガの経典の記載から見ても、私の修行経験からしても、左鼻が詰まっている時に、左鼻を通すように左鼻だけで呼吸すると、左気道の詰まりが取り除かれ、左気道が活性化する。同じように、右鼻が詰まっている時に、右鼻を通すように、右鼻だけで呼吸すると、右気道の詰まりが取り除かれて、右気道が活性化する。

以上をまとめてみると、気道に関してはチェックすべきこととして、第一に、気道が詰まっているか否か(左右のいずれか、ないしは両方の気道が詰まっていないか)ということがある。第二に、右気道と左気道のいずれかが不適切に、過剰に活性化していないか(いずれかに気[エネルギー]が偏っていないか)、それとも両方のバランスが取れているか、ということである。

第一の問題は、気道が詰まっていると、その気道の気の流れが悪くなるため、その気道(と連動する神経)による必要な働きが生じないことになる。第二の問題は、例えば、夜の時間(暑い時)などは、右気道(→交感神経)の働きではなく、左気道(→副交感神経)の働きを活性化させたいのであるが、その時に逆に、右気道が活性化しているならば問題となるということである。

さて、この二つの問題、すなわち、気道の詰まりと気の偏りはつながっている。というのは、左右いずれかの気道に詰まりがあると、詰まりがある側の気道には、気が流れにくくなるので、不適切な気の偏りが生じやすくなるということである。90分単位で左右いずれかの鼻の優位状態が交代するのが、自然な状態であるにもかかわらず、そうならない場合があるということである。

 

9.ヨーガの呼吸法とアニメの『鬼滅の刃』のシンクロニシティ

少し脱線してしまうが、ヨーガの呼吸法に、左右の気道を整えるものがあると言ったが、呼吸法を強調する人気のアニメに『鬼滅の刃』がある。鬼滅の刃は、新型コロナの問題が続く中で、アニメ映画の観客動員数の記録を塗り替えて、社会現象とまでいうべきほど人気になった。その『鬼滅の刃』の中には、「火の呼吸法」と「水の呼吸法」が出てくる。主人公の男の子は、最初は「水の呼吸法」を会得し、徐々に「火の呼吸法」を会得していく。

そして、ヨーガの呼吸法も、これにシンクロする部分がある。「火の呼吸法」にシンクロするものとして、前にも述べたが、右気道(=ピンガラ気道・スーリヤ[太陽]気道)を活性化させ、体を温めるタイプの呼吸法がある。その中には、体を非常に熱くさせ、炎のエネルギーともいわれるクンダリニー(※)を覚醒させるものもある。一方、「水の呼吸法」にシンクロするものとして、左気道(=イダー気道・チャンドラ[月]気道)を活性化させ、体を冷ますタイプの呼吸法もある。

また、『鬼滅の刃』では、人間離れした力を持つため、主人公らが「全集中の呼吸」という呼吸法を取り入れ、血液中の酸素濃度を高め、高い集中力と身体能力を手にするという設定がされているが、ヨーガの呼吸法でも、酸素濃度を高めるタイプの呼吸法や、集中力を高めるタイプの呼吸法がある。

次に、呼吸法の効果と実践上の注意点に関して、まずは医学的な見地から紹介するとともに、加えて数千年もの間、呼吸法を取り入れてきたヨーガの見地からも紹介したいと思う。

(※なお、ひかりの輪では、クンダリニーと関連して、「クンダリニー症候群」という心身の不調についても解説している。詳細は『クンダリニー症候群とその対処法』をご参照のこと。)

 

10.医学者が説く、ゆっくりと吐く深呼吸:副交感神経の活性化

呼吸法は、ヨーガや太極拳に限らず、最近では格闘技やスポーツで重視されるようになった。自律神経に詳しい小林弘幸・順天堂大教授は、①ゆっくり吐く呼吸を心がけることで、自律神経の副交感神経の活動が上がり、血流が良くなり、②血流が良くなると、腸の活動や免疫の働きも活性化し、長生きにつながるという。

小林教授が勧めるのは、吸気と呼気の長さを1対2にして、深い呼吸をする方法である(長生き呼吸法)だ。たとえば2秒吸って4秒吐く。そして、1日3分間でも、時間を決めて毎日行う。こうして、普段おざなりになっている呼吸に意識を向けることが大事だという。

教授は、特に最近は新型コロナウイルスの流行で、現代人のストレスはますます高まり、呼吸も浅くなっているのではないかと懸念されている。ストレスが高まると、呼吸は浅くなり、逆に、ゆっくり吐く呼吸法で、ストレスを解消できるということである。

このメカニズムを詳しく説明すると、呼吸によって取り込まれる酸素は、血液に溶け込み、毛細血管を経由して全身の細胞に届けられる。よって、ゆっくりと深く呼吸をすれば、肺に取り込まれる酸素量が増え、そのため、酸素を運ぶ全身の血流量も増加する。

その結果、全身の細胞の活性化につながる。全身の細胞は、酸素を取り込み、二酸化炭素を排出して、新陳代謝を行っている。よって、体の回復を早くさせたり、力を引き出したりすることができる。

小林教授の研究では、ゆっくりと深く呼吸をすることで、すぐに毛細血管の血流量がアップすることが確認されている。よって、同教授は「呼吸には一瞬で体の状態を変える力があり、呼吸法ほど即効性の高い健康法はありません」と主張する。

また、ゆっくりと吐くことによって、リラックス効果のある副交感神経が、刺激・活性化される。同教授の研究では、ゆっくりと吐く呼吸(吸気2秒・呼気4秒)によって、通常の呼吸(吸気1秒・呼気1秒)に比較して、自律神経の副交感神経が、2.5倍も活性化したことが確認されている。繰り返しになるが、副交感神経が活性化すると、リラックスすることができるのである。

また、春木豊・早稲田大名誉教授は、体の使い方と心の状態には深い関係があるとする身体心理学を提唱しているが、同氏も科学的な実験を通して、ゆっくり吐く呼吸法の効果を確認している。

次に、①腹式呼吸で呼気を長く行う、②腹式呼吸で呼気を短く行う、③普通に深呼吸する、という三つのケースの実験をして、それぞれの実験前後の血圧・心拍数を計ると、①のケースが、血圧・心拍数の下がり方が最も大きく、かつ下がった状態が、一番長く持続したという。

こうして、長い呼気が、血圧を下げ、副交感神経を優位にして、生理的な安定をもたらすことが確認された。実際に、被験者に質問しても、長い呼気では、短い呼気や深呼吸よりも、落ち着いた気分、くつろいだ気分になる傾向が大きかったという。

さらに、意識的に呼気を長くすることは、「タイプA性格」という、怒りやすい・焦りやすいという性格の人たちに効果があり、「時間的切迫感」「焦りを感じて落ち着かない」というタイプAの性格的な傾向が和らぐことも確認されたという。

そして、他にも、ストレスと呼吸の深い相関関係も、実験で確認されている。被験者にストレスとなる作業をさせると、安静時と比較して、呼吸の時間が短くなる傾向が見られた。特に、息を吸った後に、息を吐くまでの間が短くなったという。ストレスがあると、ゆったりした呼吸ができないようである。

また、ゆっくりした呼吸と速い呼吸で、心拍数と呼気終末二酸化炭素(PetCO2:PetCO2は、呼吸によって吐き出された気体中のCO2の分圧[割合])の量を比較した実験を行うと、ゆっくりした呼吸では、心拍数が下がり、呼気終末二酸化炭素の値が上がったという。呼気終末二酸化炭素は、ストレスがあるときは値が下がるので、ゆっくりした呼吸によって、ストレスが減少したことを示している。

以上の結果から見て、呼吸をおざなりにせず、良い呼吸の習慣を作ることは重要である。私たちは、呼吸を無意識に、1日2万回以上しているといわれる。しかし、日常生活では呼吸を意識することはなく、おざなりにしてしまいがちだ。しかし、実際には、呼吸の質の良し悪しによって、さまざまな体調不良の原因にもなる。

一方、小林教授によれば、1日数分でも、上記のゆっくり吐く長生き呼吸法を行えば、誰でもゆっくりと深い呼吸ができるようになるという。ただし、これは、1日だけやればいいというものではなく、毎日続けることが肝心である。ヨーガの修行でも、良いことを繰り返し行い習慣化する重要性(修(しゅ)習(じゅう))が強調される。

さらに、ゆっくりと吐く呼吸法は、自律神経と腸内環境を同時に整えることができる。前にも述べたように、呼吸のときは、吐く時間を長くする。まず、前に述べたように、吐く時間を長くすると、自律神経の中でリラックス効果のある副交感神経が刺激されて、自律神経を整えることができる。

また、ゆっくりと吐く深い呼吸法を行う際には、腹式呼吸で行う。お腹に深く息を入れで出すのである。これは、胃腸を運動させて、マッサージする効果がある。小林教授によれば、胃腸のマッサージによって、腸内環境が良好になるという。さらに、前に述べた通り、全身の血流量も増える。

そのため、ゆっくりと吐く深い呼吸法によって、免疫力の向上も期待できる。というのは、免疫細胞の7割は腸内に存在しており、さらに、血流・血液循環が良ければ、免疫細胞が体全体を巡ることができる。さらに深い呼吸をすると、血流の増大とともに、軽い運動にもなるために、体温が若干向上する(体が温まる)。免疫力は、体温が高いほど向上する。

こうして、ゆっくりと吐く深い呼吸は、①体内の酸素量・血流の増大・血液循環の改善、②自律神経の改善(副交感神経の活性化によるストレス解消・リラクセーション)、③腸内環境の改善、免疫力の向上をもたらす。結果として、小林教授によれば、①疲労回復、②さまざまな生活習慣病の改善、③ここ一番での集中力の向上・メンタルの安定・仕事のパフォーマンスアップなどにも有効だという。

そして、始めた日から頭がスッキリするなど、気分が良くなることがあり、それを毎日の習慣にすれば、意識しなくても呼吸がゆっくりと深い呼吸に変わっていき、病気や不調を遠ざけてくれる健康体を築くことができるということになる。この意味で、手っ取り早い健康法ではないかと思われる。

 

11.ヨーガの呼吸法:プラーナーヤーマの基本

それでは次に、ヨーガの呼吸法について解説したい。そのために、ヨーガの呼吸法に関するヨーガの基礎知識を解説する。

ヨーガの呼吸法は、プラーナーヤーマといわれる。文字通りに訳すと、気を制御する方法(調気法)となる。「プラーナ」とは、サンスクリット語で目に見えない生命エネルギーである「気」を意味する。よって、ヨーガの呼吸法は、この「気」を制御するためのものなのである。

それがなぜ、集中力・精神の安定・心の制御に役立つのか。それには、ヨーガを含めた東洋思想に広く説かれる「気」の霊的科学の思想がある。ここでは、これを呼吸法との関連に絞って以下に説明する。なお、気の霊的科学の全体は、『テーマ別教本第1集「ヨーガの思想と実践」』や『2016年夏期セミナー特別教本「気の霊的科学と人類の可能性」』を参照されたい。

「気」については、前にも述べたが、体の内外に存在して流動する目に見えないエネルギーである。狭い意味では、生命エネルギーであり、広い意味では、物理的な存在を含めた万物を構成する根源的なエネルギーという意味もあり、ヨーガでは、「プラーナ」と呼ぶ。また、気には、体の外にある外気と、体の中にある内気があり、内気にもさまざまな種類があるとされる。

これも前に述べたが、体内には、気が流れる道である「気道」があり(ヨーガではナーディと呼ぶ)、全部で72000本ものナーディがあるが、主なナーディは3つであり、複数の気道が通る交差点があって、特に多くの気道が密集するところを「チャクラ」と呼ぶ。これは、神経が集中する場所(神経(しんけい)叢(そう))でもあり、重要な臓器がある所でもある。一般に、気道と神経と血管・血流は、深く関係しているとされる。

プラーナーヤーマやアーサナ(ヨーガの体操法)は、この気道の詰まりを浄化することができるとされる。気道の詰まりは、経験的にいって、①筋肉や関節をほぐす、②血流を増大させる、③体を温める、④深い十分な呼吸、によって浄化することができる。よって、アーサナやプラーナーヤーマが有効なのである。

また、ヨーガ行法以外にも、同じような効果を持つ修行法として、気功の行法、歩行瞑想、(温泉の)入浴などは有効である。さらに、プラーナーヤーマやムドラーは、尾てい骨に眠っているプラーナ(気・生命エネルギー)の親玉ともいうべきクンダリニー(宇宙エネルギー・根源的生命エネルギー ※)を覚醒させる効果がある。このクンダリニーが覚醒すると、その力強いエネルギーの上昇によって、ナーディを物理的に浄化することもできる。たとえていえば、詰まった配管を高圧洗浄するようなものである。

こうして、プラーナーヤーマによる気道の浄化について述べたが、プラーナーヤーマのもう一つの重要な効果が、気(プラーナ)自体の強化である。すなわち体外の気(外気)を体の中に取り込んで、体内の気(内気)を増量・強化することである。これは、プラーナーヤーマで息を止めている時に起こるといわれることがある。すなわち、保息を伴わない普通の深呼吸では、酸素は体内に入るが、気(プラーナ)は、体内に充填されないともいわれることがある。

最後に、プラーナーヤーマの恩恵を列挙すると、第一に、一般の健康増進の呼吸法(例えば、先ほど述べた長生き呼吸法)と同様に、心身の健康を向上させる。というのは、心身の健康は、気の状態と密接に関連するとされるからである。心身を軽快で楽にして、究極的には、内的な歓喜さえもたらすとされる。

第二に、物事の達成・人生の成功をもたらす。心身の健康、安定した心、強い意志・集中力が得られるからである。究極的には、極めて高い集中力を持った状態(禅定・サマディ)を達成する。これは、スポーツで、選手が雑念なく無思考の深い集中状態に入って最高のパフォーマンスを発揮する「ゾーン状態」や、何もかもが流れるようにうまくいく心理状態とされる「フロー状態」に通じるものである。

最後に、悟り・解脱、すなわち、深い心の制御・安定・苦悩からの解放を与える。そして、その心の安定は、正しい判断力や直観力を含めた智慧をもたらす。

 

12.プラーナーヤーマの実践の準備:環境・服装・姿勢・弛緩

次に、プラーナーヤーマの実践について述べる。まず、その準備についてである。

プラーナーヤーマを行う環境に関しては、静かで換気の良い場所がよい。そうした自然の中で行えればよいが、都会の自宅の中で行う場合には、室内を整理整頓し、換気の良い状態にする。

加えて、できれば、室内に仏画・自然の写真など、見ると心静まるものを置くとよい。さらに、室内に、気持ちの静まる瞑想用のお香や、ヨーガ・仏教などで用いる聖音を鳴らす法具などがあればいっそうよい。すなわち、見て・聞いて・嗅いで心が静まるものである。

次に服装であるが、なるべく体を締め付けないものにする。時計・ベルト・バンド・靴下などは外しておく。こうして、血の巡り・気の巡りを改善し、筋肉がリラックスしやすいようにするのである。

姿勢については、安定した座り方で座る。ヨーガ・仏教の座法を組むことができれば、なおのことよい。そして、背筋を伸ばして、肩・首・腕などの力が抜けるようにする。体の緊張が抜けることが、気や血の巡りを改善するからである。また、顔は下に向けずに前を見て、背筋が曲がらないようにする(視線は下を見てもよい)。

腕については、いろいろなやり方がある。力を抜いて、手のひらを膝に合わせる形で膝に置くことや、仏教の座禅などで用いられる手の組み方(左手の手のひらの上に右手を重ね、座法を組んだ足の上に置く)もよいだろう。

最後に、呼吸法を行う前に、顔・首・肩・腕・胸・腹部の力を十分に抜いておく。体に力が入っていると、気道が詰まりやすくなる。時間があれば、呼吸法を行う前に、各部の運動を行うとよい。ヨーガでは、プラーナーヤーマの前に、アーサナ(ヨーガ体操・体位法)を行うことが多い。

特に現代人が凝っていることが多い首や肩をほぐす。首は、ゆっくりと大きく回す。時計回りに回したら、その後、逆に反時計回りに回す。これを何度か(何セットか)繰り返す。

コツとして、回す前に息を吸い、回している際に息を出すとよい。息を出している時の方が、体は弛緩しやすいからである。人間の体の中で、頭部や胸部に比較して、首の部分が一番くびれて狭くなっているために、気の流れも停滞しやすい。

肩の力を抜くには、肩を前から後ろに大きくゆっくり回し、その後、逆に、後ろから前に回す。この際も、回す前に息を吸い、回している時に息を出すとよいだろう。ないしは、単純に肩を上にいったん持ち上げて、その後、力を抜いて落とすのも有効である。いったん緊張させた反動を使うと、弛緩しやすいのである。

腕も弛緩させておく。肩の筋肉と神経は、腕の筋肉・神経とつながっている。当然、首から肩を通って腕に至る気道もある。腕は、手首・肘などの関節がよくほぐれるように、ぶらぶらと振るとよいだろう。

肩・首・腕がほぐせたら、胸部と腹部を手でマッサージして、ほぐしておくのもよいだろう。特に張りやコリを感じる部分があれば、その部分で気道が詰まっている可能性が高いので、念入りにほぐす。そして、気道の浄化に慣れると、自分なりに、気の流れの詰まりがわかるようになるので、そうしたら、その部分を念入りにほぐすようにする。

 

13.左右の気道を浄化するプラーナーヤーマ

それでは次に、左右の気道を浄化するプラーナーヤーマについて述べる。その前にまず、左右のどちらかの気道が、詰まっているか否かをチェックする方法を述べる。前にも述べたが、その最も簡便(かんべん)な方法は、左右の鼻の詰まり具合をチェックすることである。

右気道(ピンガラ管)が詰まっている場合には、右の鼻が詰まっている。左気道(イダー管)が詰まっている場合には、左の鼻が詰まっていると考えるのである。そのためには、口を閉じて、片方の鼻を押さえ、息の出し入れをしてみればすぐにわかるだろう。

その場合、①右か左かのどちらかが詰まっているか、②右も左も詰まっているか、③どちらも詰まらずにスムーズであるか、という結果になるだろう。たいていの人は、どちらかが詰まっていることが多い。

 

14.右気道(→交感神経)を浄化・活性化するスーリヤ・ベディー・プラーナーヤーマ

右の鼻が詰まっている場合には、左鼻を指で押さえて、右鼻から息を入れて、次に、指を離して左鼻を空けて、左鼻から息を出す。これが、前に少し触れた、スーリヤ・ベディー・プラーナーヤーマである。なお、経典には、これとは別のやり方として、右鼻だけを使って、息を出し入れする方法も説かれている。

そうすると、徐々に右鼻も通ってくるだろう。こうして、このプラーナーヤーマは、右鼻、右気道(→交感神経)を浄化・活性化する。そして、経典によれば、体を温める効果があるので、冬季に行うことが推奨されている。

このプラーナーヤーマの場合にも、前に述べたように、背筋はまっすぐに伸ばし、背中・首・頭は一直線になるようにする。顔を下に向けたり、左右に向けたりせずに、まっすぐ前を見るようにする。鼻を押さえている手が疲れてくると、手が下がって、顔が下や横に向きやすいので注意する。使っている手が疲れたら、もう一方の手に交代してもよい。

息は、腹式呼吸で十分に吸い込み、しばらく止めて、その後、十分に出すようにする。ヨーガの経典には、息が苦しくなるまで止めると書かれているが、少なくとも初心者は、そこまで止めなくてもよいだろう。後に述べる基本呼吸法と同じように、4秒で吸って、少し止めて(4秒ほど)、4秒で出してもよいだろう。

また、呼吸の出し入れの際に、多少の音がするのがよいともいわれる。そのぶんだけ強く詰まりを浄化できるからであろう。最初は、このプラーナーヤーマは、一度には3回ほど連続で行うにとどめ、慣れてきたら、徐々に連続して行う回数を増やすとよいとされる。

また、これを深く行じるならば、クンダリニーの覚醒につながる効果もあるとされる。しかし、クンダリニーの覚醒のためには、経験豊かな指導者による指導・準備・注意が必要なので、そのような指導・準備を経ていない者は、これをあまり激しく行ってはいけない。何事も無理は禁物であるから、息を止める長さも、連続する回数も、徐々に進めていくとよい。

なお、秘訣として、右気道に詰まりがある場合は、このプラーナーヤーマとともに、右の腹部にある肝臓の部分(スーリヤ・チャクラ)をよくマッサージするとよいことが多い。このチャクラは、右気道に深く関係するからである。

 

◎参考資料:スーリヤ・ベディー・プラーナーヤーマについて

『実践・魂の科学』(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著 木村慧心訳 たま出版)360頁より

普段座り慣れた座法で、背筋を伸ばして座ります。まず、右鼻からゆっくりと息を吸い始め、足の爪先から頭頂部まで、身体全体に息が満ち溢れるほどに吸息します。もうこれ以上吸息できないという所まで息を吸ったならば、右鼻を閉じ、できるだけ長く止息し、今度は左鼻から呼息します。

この際注意する事は、吸息する時も呼息する時も、共に呼吸による静かな音が聞こえるようにさせていることです。初心者の場合、まず、左右の鼻を使って往復三回、この調気法を行うようにします。この調気法の回数については、その後一日一、二回ずつ増やしてゆき、最後には、行者の能力に応じて、往復二十一回~三十一回、行じるようにします。

この調気法は冬季に行じる方が良いのですが、体内の体風素と粘液素の分泌が多い者は、夏季にあっても、この調気法を行じても差し支えありません。

≪効果≫

この調気法を行ずると、体内の胆汁液の分泌が増大し、逆に体風素と粘液素の分泌が減少します。また、体内の消化吸収作用を促進させ、発汗作用を引き起こして、体内のすべての不純物を取り除きます。

ゲーランダ・サンヒターには次のように述べられています。『スールヤ・ベディー(原文ママ)・クンバカは老と死を破壊する。また、クンダリニーを目覚めさせ身体内の火を増殖する』(ゲーランダ・サンヒター 五-68)

 

15.左気道(→副交感神経)を浄化・活性化するチャンドラ・ベダナ・プラーナーヤーマ

次に、左鼻が詰まっている場合には、右鼻を指で押さえて左鼻から息を入れ、次に指を離して右鼻を空けて、右鼻から息を出す。これを繰り返す。これが、チャンドラ・ベダナ・プラーナーヤーマである。別のやり方として、左鼻だけから息を出し入れする方法も経典に説かれている。

しばらく続けているうちに、徐々に、左の鼻も通ってくるだろう。これは、左鼻・左気道(→副交感神経)を浄化・活性化し、経典によれば、体を冷ます効果があるとされ、夏季に行うことが推奨されている。同じように、背筋はまっすぐにし、背中・首・頭は一直線、顔を下や横に向けず、まっすぐ前を見る。手が疲れてくると、顔が下や横に向きやすいので、もう一方の手に交代してもよい。

息も、腹式呼吸で十分に吸い、しばらく止め、十分に出す。また、呼吸の出し入れの際に、多少の音がするのがよいといわれる。その分だけ、強く詰まりを浄化できるからであろう。

なお、後の参考資料にもある通り、ヨーガ行者の中には、このチャンドラ・ベダナ・プラーナーヤーマは、スーリヤ・べディー・プラーナーヤーマとやり方が逆であり、息が苦しくなるまで息を止めるとするものもあるが、私の経験・考えでは、左気道(→副交感神経)を浄化・活性化させて、体を冷ます効果を求めるチャンドラ・べディー・プラーナーヤーマの場合は、苦しくなるまで息を止めることは、不合理であると思われる(逆の効果を生じさせてしまう)。よって、基本呼吸法と同じように、4秒で吸って、少し止めて(4秒ほど)、4秒で出してもよいと思われる。

また、左気道に詰まりがある場合は、上記のプラーナーヤーマとともに、左の腹部にある膵臓・脾臓の部分(チャンドラ・チャクラ)をよくマッサージすると、よいことが多い。

 

◎参考資料:チャンドラ・ベダナ・プラーナーヤーマについて

『実践・魂の科学』(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著 木村慧心訳 たま出版)378頁より

背筋を伸ばして、普段座り慣れた座法で座ります。右手の親指を立て、右鼻を押さえ、チャンドゥラ・ナーディーにつながる左鼻から、微かな吸息音と共に息を吸います。身体全体に息を満たして止息し、苦しくなったならば、右鼻からゆっくり呼息します。この調気法を能力に応じて何回も繰り返すのです。

≪訳者註解・・・・・この調気法では吸息は左鼻からだけで行ない、呼息は右鼻からだけで行います。≫

≪効果≫

この調気法は胆汁素の分泌を減少させ、身体の余分な熱を下げます。身体が疲れを感じなくなり、ゲップをすることが無くなります。この調気法は、スールヤ・ベディー(原文ママ)のやり方と逆になっています。ですから、胆汁素の分泌が多い者は、この調気法を夏季に行ずれば良いのです。

もしも、風邪などで左鼻が詰まっている場合には、まず右半身を下にして横になりますと、左鼻が通るようになりますので、それからこの調気法を行じてください。そして、この調気法を行ずることで、左右どちらの鼻が働いているのか、それがわかるようになるはずです。

 

16.両方の気道を浄化するアヌロマ・ヴィロマ・プラーナーヤーマ

次に、左右の両気道を浄化・活性化するアヌロマ・ヴィロマ・プラーナーヤーマを紹介する。まず、右鼻を押さえて、左鼻から息を入れ、次に、左鼻を押さえて右鼻は開けて、右鼻から息を出す。次に、右鼻から息を出し切ったら、同じ右鼻から息を入れて、右鼻を押さえて左鼻は開けて、左鼻から息を出す。そして、再び、左鼻から息を入れて、これを繰り返していく。

なお、姿勢、手の使い方、呼吸の仕方の注意は、前記のプラーナーヤーマと同様である。

このプラーナーヤーマの効果としては、左右の両鼻・両気道を浄化するとともに、鼻・肺を浄化し、さまざまな心身の健康の増進に役に立つとされる。健康に、非常に役立つものである。詳しくは、下記の参考資料を参照されたい。

これは、左右の両気道を浄化・活性化させるので、交感神経と副交感神経の双方をバランスよく活性化させることになる。

 

◎参考資料:アヌロマ・ヴィロマ・プラーナーヤーマについて

『実践・魂の科学』(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著 木村慧心訳 たま出版)373頁より

座り慣れた座法で座り、まず右鼻を押さえて、左鼻から一気に息を吐ききります。続いて直ぐに、同じ左鼻から呼息します。次に、中指と薬指で左鼻を押さえ、右鼻から呼息し、その後直ぐに同じ右鼻から吸息します。このように左右の鼻で交互に二十~二十五回ずつ、速いスピードで呼吸を続けます。

≪効果≫

この調気法により、鼻腔内と肺の不純物が取り除かれます。また、風邪や鼻炎の原因となっている鼻腔内の皮膚や粘膜も取り除かれます。また、呼吸がスムーズになり、左右の鼻を同時に使って呼吸することができるようになります。その結果、精神状態も安定し、肉体も健康になり、また、脳や肺の働きが良くなります。

 

17.ヨーガの呼吸法における保息の意味合い

スペインなどの研究チームが発表した2015年の論文によれば、ヨーガの上級者は、深い呼吸により、大脳の「島(とう)皮質(ひしつ)」と「下(か)前(ぜん)頭(とう)回(かい)」と呼ばれる部分が活性化したという。島皮質は、自分の体の自律神経や心拍などを監視し、下前頭回は、欲望や雑念を抑え、自分を制御することに関わる場所である。よって、深い呼吸で集中力が高まり、物事に動じなくなっていることがうかがえる。

脳科学者の池谷(いけがや)裕二・東京大教授も、「呼吸は、脳活動を間接的に変化させられる。集中力を高めるために、呼吸を利用するのは理にかなっている」という。すなわち、呼吸法を鍛錬することで、集中力を高めるために必要な脳の機能を活性化させることができるということだ。

ただし、ここでの「ヨーガの上級者の深い呼吸」とは、単なるゆっくり吐く深い呼吸ではない。ヨーガの呼吸法には、吸う息、吐く息に加えて、息を止める作業(保息)が含まれている。そして、集中力に関していえば、武術家・スポーツ選手などが経験するように、人は、何かに深く集中している時には、息をしていないことが多い。こうして、非常に深い集中と保息には、深い関係があるのである。

また、深い集中力は、欲望や雑念を制御することと深い関係がある。様々な欲望・雑念があれば、深い集中はできないからである。こうして、ヨーガの呼吸法は、深い集中力を与えるが、これは、ヨーガの本来の目的である欲望の制御を含めた、心の制御による悟り・解脱といったことにつながるからである。

さらに、ヨーガの理論においては、この、息を止めている間にこそ、呼吸法で外から取り入れた気(プラーナ・生命エネルギー)が体内に充填されるといわれることがある。深く息を吸えば、酸素は体内に吸収できるが、外の気(プラーナ)は、吸気に加えて、保息をしてこそ、体内に充填されるということである。これによって、体の外の気(外気)が体の中の気(内気)になり、体内の気が強化されることになる。

そして、この保息の作業は、交感神経と副交感神経のうち、交感神経を活性化させるものだと思われる。なぜならば、集中は、交感神経活性化の一つの特徴でもあり、また、保息は、必然的に心拍・血圧・体温などを上昇させ、交感神経が活性化した状態となるからである。

 

18.保息を伴う最も基本的な呼吸法(基本呼吸法)の仕方

ヨーガの最も基本的な呼吸法は、1:1:1の比率で、入息(吸気)と保息と出息(呼気)を、リズミカルに繰り返すものである。最初は例えば、4秒・4秒・4秒で、入息・保息・出息を繰り返すとよいだろう。

そして、集中力が増大してきたならば、1:2:2の比率(例えば4秒・8秒・8秒)、さらには1:4:2の比率(例えば4秒・16秒・8秒)で行う。保息が長いほど、集中力が高まっている兆候とされ、より高度な実践となる。

なお、精神集中のポイントであるが、最初はまず、息の秒数に集中する必要があるだろう。それに慣れてきたら、同時に、出し入れする呼吸にも集中する。なお、眉間の所に精神集中を行う方法もある。体の上位の部分に集中すると、その分気が引き上がりやすくなるとされる。実行中に、特段の身体的な変化があれば、指導員の指導を受けることが望ましい。

そして、この呼吸法は、交感神経と副交感神経の双方を、バランスよく活性化するものだと思われる。深くゆっくり息を吐くことで、副交感神経を活性化し、保息することで、交感神経を活性化させている。また、深く息を吸うことで、酸素と気(プラーナ)を体内に吸収している。その意味で、ヨーガの基本的な呼吸法である。

 

◎基本呼吸法のやり方のまとめ

①口からではなく、両鼻から息を出し入れする。

②腹式呼吸で、胸だけでなく、お腹も使って行う。

③4秒で息を吸い、4秒息を止め(=保息)、4秒で吐く。

④息の秒数、そして出し入れする呼吸に集中。

 

19.保息を伴い両気道を浄化するスクハ・プールヴァカ・プラーナーヤーマ

このプラーナーヤーマは、まず右鼻を押さえて、左鼻から息を入れ、しばらく息を止めたら、次に、左鼻を押さえて右鼻は開けて、右鼻から息を出す。次に、右鼻から息を出し切ったら、同じ右鼻から息を入れて、しばらく息を止め、右鼻を押さえて左鼻は開けて、左鼻から息を出す。そして、再び左鼻から息を入れて、これを繰り返していく。

なお、姿勢、手の使い方、呼吸の仕方の注意は、前記のプラーナーヤーマと同様である。

入息・保息・出息の比率・秒数は、基本呼吸法と同じで、1:1:1の比率(例えば4秒・4秒・4秒)で始め、集中力が増大してきたならば、1:2:2(例えば4秒・8秒・8秒)、さらには1:4:2(例えば4秒・16秒・8秒)で行う。

保息が長いほど、集中力が高まっている兆候とされ、より高度な実践となる。長く息を止める(保息・クンバカ)ほど、心拍数や血流が増大して体が温まり、気道の詰まりは浄化しやすくなる。ただし、無理はいけないので、気を付けるようにする。特に、心臓疾患・高血圧などがある方は、無理をしないことである。

この呼吸法は、交感神経と副交感神経の双方を、バランスよく活性化するものだと思われる。左右の両気道を浄化しながら、深くゆっくり息を吐くことで、副交感神経を活性化し、保息することで、交感神経を活性化させている。しかも、保息・出息を長くすると、非常に高い集中力・瞑想状態を実現する助けになるとされ、初心者が実践できるヨーガの呼吸法としては、最も高度な完成された呼吸法ではないかと私は考えている。

 

◎スクハ・プールヴァカ・プラーナーヤーマのやり方のまとめ

①右手の人差し指と中指は、額に当てて、

②右手の親指で、右鼻をふさぎ、左鼻から息を入れ、

③右手の薬指と小指で、左鼻をふさいで息を止め、

④右手の親指を離して、右鼻を空けて右鼻から息を出し、

⑤右鼻から息を入れて、

⑥右手の親指で、再び右鼻をふさいで息を止め、

⑦右手の薬指と小指を離して、左鼻を空けて左鼻から息を出し、

⑧最初に戻って、左鼻から息を入れる。以上のサイクルを繰り返す。

⑨4秒で息を吸い、4秒息を止め(=保息)、4秒で吐く。

⑩慣れてきたら保息の時間を延ばしていくが、詳しくは指導員の指導を受けること。

⑪右手が疲れたら、左手に代えてよいことは、他の呼吸法と同じ。

 

20.深い瞑想状態に入るブラーマリー・プラーナーヤーマ

さて、ここで、一番初めに紹介した、ゆっくり息を吐く深呼吸の呼吸法よりも、いっそう深くイダー気道(→副交感神経)を活性化させると思われる呼吸法として、ブラーマリー・プラーナーヤーマを紹介する。

具体的なやり方は、まず、両鼻から十分に息を吸い、その後、蜂の羽音のような「ブーン」といった音を立てながら、なるべく長く鼻から息を出していく。そして、これを繰り返すというものである。この際に、息を止めること(保息)は行わない。これに熟達するならば、心身を深く静め、最も深い瞑想状態であるサマディに入ることができると経典に書かれている。

 

◎ブラーマリー・プラーナーヤーマのやり方のまとめ

①口からではなく、両鼻から息を出し入れする。

②十分に息を吸ったら、蜂の羽音のような「ブーン」といった音を立てながら、

なるべく長く息を出していく。

③これを繰り返す。

さて、ブラーマリー・プラーナーヤーマには、二つ目のやり方がある。私の個人的な見解では、この方が、さらに深いイダー気道(→副交感神経)の活性化につながるのではないかと思う。そのやり方は、左鼻のみで、息を出し入れするものである。その他は、上記のやり方と変わらない(詳しくは以下の参考文献を参照されたい)

 

◎参考資料:ブラーマリー・プラーナーヤーマについて

『実践・魂の科学』(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著 木村慧心訳 たま出版)362頁より

まず、『勇者のポーズ』で座ります。次に、右手親指で右鼻を押さえ、左鼻から吸息します。尾骶骨に到るまで息を吸い終ったならば、暫く止息した後、同じく左鼻からゆっくりと呼息しつつ、喉を使って、丁度、蜂の羽音のような音を出し続けるのです。この時、この音が自分自身の意思と理智という、二つの内的心理器官に響き渡るようにさせ、できるだけ長く呼息を持続させるのです。

この調気法を行ずる際には、高低様々な音を聞き取ると思います。行法に慣れるに従って、行ずる回数を増やすようにします。この調気法は、例えば、落ち着きが無く、気の変わりやすい者や、心をある一点に集中できない者、心の中で真言を唱えられない者などが行ずれば、心が安定して来て、精神の集中力が得られるようになって来ます。私はカンカルに住んでいたラーマナンダという行者を知っていますが、彼は人里離れた静かな場所に座して、実に五時間から六時間もの間、この調気法を行じ続け、三昧の境地に入っておりました。

≪効果≫

この調気法を行ずれば、話し言葉が張りのある美しいものとなります。また、呼吸もゆったりとして、しかも力強いものとなって来ます。また、歓喜を味あわせてくれる聖音オームをはっきりと聞き取れるようになり、意思や理智といった内的心理器官の働きを静め、精神に集中力がつき、三昧の境地へと入りやすくなります。

 

21.両気道を浄化し、交感神経を活性化するカパーラ・バーティ

これは、両鼻から激しく呼息と吸息を繰り返すものである。腹部をちょうど鍛冶屋の使う鞴(ふいご)のように、膨れさせたり、へこませたりさせて行うことが名前の由来になっている。

具体的には、他の呼吸法と同様に、口からではなく両鼻から、腹筋を使って短く鋭く、息を出し入れし、出息と入息を繰り返す。保息は行わない。出息と入息は20回ほど繰り返して、1セットとして終了する。

少し休んだら、同じことを繰り返す。ただし、気を引き上げる力が非常に強いので、一度には20回ほどにしておくのがよい。また、体が熱くなったり、体の一部に多少の痺れを感じたり、多少ぼーっとした感じになることがある。不快な感じが生じたら、出息・入息の回数を減らして加減するか、中止して、指導員の指導を受けることが望ましい。

これは、明らかに体を温め、交感神経を活性化させる上で非常に大きな効果がある、また、気(プラーナ)を引き上げ、クンダリニーを覚醒させる効果もあるとされる。よって、クンダリニーの適切な覚醒のための必要な指導・準備を有していない初心者は、これを激しくやりすぎてはならない。その意味でも、指導者の指導の下で行うべきものである。

 

◎カパーラ・バーティ・プラーナーヤーマのやり方のまとめ

①口からではなく、両鼻から息を出し入れする。

②腹筋を使って、短く鋭く、息を出し入れし、出息と入息を繰り返す。

保息は行わない。「鍛冶屋の鞴(ふいご)のように」ともいわれる。

③出息と入息は20回ほど繰り返して、1セットとして終了する。

④少し休んだら、また繰り返す。

このカパーラ・バーティには二つ目のやり方がある。それは、左右の鼻のどちらか一つを、交互に使って行うものである。この方が左右の鼻に詰まりがある場合は、それを浄化し、左右の気道を浄化する効果は強いと思われる。詳しいやり方は、下記の参考資料を参照されたい。しかし、これは、より体に負担がかかるやり方なので、激しくやってはいけないことが注意されている。

 

参考資料:カパーラ・バーティ・プラーナーヤーマについて

『実践・魂の科学』(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著 木村慧心訳 たま出版)より

〇解説その1:同書387頁より

この調気法の場合は、身体浄化法とかムドラーの章で説明されていますが、調気法の観点から言えば、次の二つのやり方があります。

(ⅰ)『聖者のポーズ』で座り、腹部を丁度鍛冶屋の使う鞴(ふいご)のように膨れさせたり凹ませたりさせて、両鼻から激しく呼息と吸息を繰り返します。カパーラ・バーティと言う名前も、こうした調気法のやり方に由来しているのです。

『鍛冶屋の使う鞴のように、素早く交代する呼吸がカパーラ・バーティと言われるもので、粘液素の分泌過剰からくる疾患を消す』(ハタ・ヨーガ・プラディーピカー二-35)

≪訳者註解・・・・・カパーラ・バーティと言う語は「頭蓋骨の光」を意味する≫

≪効果≫

身体内の粘膜素の分泌不調に起因する、あらゆる病気を癒します。

(ⅱ)『左鼻から吸息し、右鼻から呼息する。次に右鼻から吸息し、左鼻から呼息する』(ゲーランダ・サンヒター 一-56)

慣れるに従い、この回数を増やしてゆきます。

≪効果≫

『息の出入は激しく行ってはならない。これを修得すると粘液素の不調に起因する病気を治すことできる』(ゲーランダ・サンヒター 一-57)

つまり、肺を浄化し、粘液素を除去するのです。また、身体を健康にし、活力を漲らせてくれます。そして、呼吸がゆっくりと長くなるようにもさせてくれます。

 

〇解説その2:同書426頁より

座り慣れた座法で座り、まず、どちらか一方の鼻から息を吸い、次いで止息する事なしに、すぐに他方の鼻から息を吐き出します。このように。鍛冶屋の使う鞴のように、息を止めること無く出し入れする調気法の事を、カパーラ・バーティと呼んでいます。また調気法には二種類のやり方がありますけれど、今説明したやり方が、身体を浄化する上でより効果のあがるやり方になっています。

このやり方の場合、片方の鼻で呼息したり吸息したりする時は、他の鼻は、親指とか、または、残りの指でしっかりと押さえておくことが大切です。このカパーラ・バーティについては、調気法の章ですでに説明しておきましたので参照して下さい。

≪効果≫

動脈内を浄化し、余分な脂肪を取り去り、消化吸収の力を増して、肉体を健康にさせます。身体の動きを活発にさせ、粘液素の分泌不調からくるすべての疾患を癒します。また、生気の上昇を促進させ、クンダリニーを覚醒させる上での助けとなります。また、呼息と吸息だけを繰り返し行いますので、精神の集中力をつける上での助けとなりますし、また、瞑想状態に入りやすくなります。

以上、六種の身体浄化法について解説致しましたが、これら以外にもあと数種類の身体浄化法があります。これらの身体浄化法のいずれも、先の六種の身体浄化法同様、精神集中と瞑想の各行法を行ずる上で、大きな助けとなってくれますので、以下に説明致します。

 

 

[参考文献]

・『読売新聞』「鬼と戦う『全集中の呼吸』、主人公の超人的嗅覚の秘密に迫る」(2020年11月28日)

https://www.yomiuri.co.jp/science/20201127-OYT1T50168/

・『NEWSCAST』「『鬼滅の刃』の「全集中の呼吸」は現実でも使える?? 自律神経の名医が健康効果を検証」(2020年5月19日)

https://newscast.jp/news/148255?fbclid=IwAR0LFhIzt2jy8uAXeW1wdLZ6PpLJkvyC9E-v5TY5bu--2liD-5SySn1awyQ

・『TOCANA』「『鬼滅の刃』全集中の呼吸を「ヨーガの王」成瀬雅春が徹底解説!能力が一気に開花する"超人"呼吸法など伝授」(2020年12月22日)

https://tocana.jp/2020/12/post_191864_entry.html

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