(3)男性在家信者死亡事件(真島事件)における新事実
(2018年10月08日)
当団体は「オウム教団内部の信者死亡事例の情報」の提供を求めて窓口を先日設置したところですが、早速この窓口に、オウム真理教の元出家信者Aさんから情報提供がありましたので、以下にお伝えいたします。
それは、事件自体はすでに公になっている「男性在家信者死亡事件」――いわゆる「真島事件」に関する新しい情報です。
1,真島事件について
この事件は、1988年9月に発生したもので、オウム真理教教団における初の死亡事件で、初の違法行為と位置付けられているものです。
東京地裁による麻原に対する判決文の中では、次のように記されています。
在家信徒である真島照之が奇声を発するなど異常な行動に及んだことから,被告人(麻原)の指示に基づき,真島に水を掛けるなどしていたところ,誤って同人を死亡させてしまった。被告人は,この件を公にすると教団による救済活動がストップしてしまうことを恐れ,警察等に連絡しないこととし,岡﨑らに命じ,ドラム缶に真島の遺体を入れ護摩壇で焼却した。
この事件の大まかな事実関係については、すでに当団体の「オウムの教訓」サイトの記事(こちらの記事の中の「■初の違法行為――真島事件」)にも掲載していますし、また、ウィキペディア等にも記載されています。
上記の通り、この事件については、これまでは、薬物中毒のために異常行動に出た真島さんの「頭を冷やす」ために、麻原の指示のもと、岡崎一明や新実智光(両名とも麻原と共に本年7月に刑死)等の幹部信者らが水をかけていたところ、真島さんが死んでしまったものとされています。
2,新事実――C幹部による傷害致死か?
しかし、この現場に居合わせた出家信者のBさん(Aさんと親しく、その後オウムを脱会。Aさんにこの話を打ち明けた)によれば、表に出ていない事実があるそうです。
それは、ほとんど名前が出ていないC幹部による積極的な関与の事実です。以下は、BさんがAさんに告白した内容です。
最初、岡崎や新実が真島さんに風呂場で水をかけていたときは、まだ真島さんはおとなしく従っていました。しかし、その後から現場を引き継いだC幹部は、真島さんの頭を鷲づかみにして、笑いながら風呂の水に漬けるなどし、まるで江戸時代の拷問のようなことをしました。
そして、C幹部が「彼(真島さん)を風呂場から出すんじゃないぞ!」とBさんら下級信者に言い残して現場を去った後、真島さんの様子がおかしいことに気づいたBさんが、真島さんを風呂場から出したところ、真島さんは痙攣を始め、死亡してしまったのです。
蘇生措置をしたものの、無駄でした。
知らせを聞いて現場にやってきた麻原は、動揺した様子で、
「とうとう教団が、人を殺してしまったか!」
「この件を警察に報告すると、教団が大きく後退するが、みんなは、どうするべきと思うか?」
と、現場にいた信者一人一人に聞いていきました。
その場にいた信者は皆、隠すべきと主張したものの、Bさんは「どちらでもいいです」と答えました。すると麻原は、「いや!それは困る。この件を警察に言った場合、最も罪が重いのは、お前だからな?」と言ったため、Bさんも隠ぺいに同意することになりました。
その後、真島さんの遺体は、新実がドラム缶に入れて運び去りましたが、その際、新実はBさんに対して、「てめえ!何処かに消えろ!」と激怒して、この事件の全ての責任がBさんにあるかのような雰囲気が作られたのでした。
もしBさんが話す通りであれば、実際の責任はC幹部にあり、C幹部による傷害致死ともいえる事件ですが、Bさんは「C幹部らの『(修行の)成就者』は、神様に近い存在だと思っていたので」、そのような主張はできなかったということです。
以上が、BさんがAさんに告白した真島事件についての新事実です。
なお、Aさんは、自分独自でも事件を調査しようと思い、岡崎に手紙を出して事実関係を尋ねたところ、岡崎もC幹部の関与を認める返事を送ってきたので、ますます確信を深めたそうです。
3,重大事件の捜査のために真島事件をあえて立件しなかった公安当局の事情
Aさんは、地下鉄サリン事件が起きた後(その当時すでにAさんもBさんもオウムを脱会していました)、公安警察に連絡をとり、C幹部が深く関与した真島事件の事実関係について話をしました。
Aさんは公安警察と何回も会って話をしましたので、この事件は当然に立件(刑事事件化)され、C幹部等の刑事責任が追及されると考えていました。
しかし、Aさんは、最後に、公安警察から、この事件は立件しないという趣旨のことを伝えられ、以下のように言われました。
「いいか? C幹部のこと(C幹部の刑事責任を追及すること)は、我慢しろ」
「警察が最優先するべき事件は、警察庁長官狙撃事件であり、平田(逃走中の平田信容疑者=狙撃事件への関与を疑われていた)の逮捕だ」
「こんなの(真島事件)でも、長官狙撃事件の捜査のために見逃されているんだから」
このような説明を公安警察から受けたAさんは、真島事件が立件されなかった理由について、「平田と出身地が近いC幹部に平田から接触があるかもしれないと考えた警察が、C幹部の逮捕を見逃したかったからでは?」と思ったそうです。
これらのことから、真島事件は、「女性の幹部信者Yさんの殺害事件」と同様、教団内部での事件であり、C幹部らに傷害致死の疑いがあっても、平田と出身地が近いC幹部を見逃して泳がせることで、平田の逮捕による長官狙撃事件の解決という、より重大な目的を優先させる姿勢が公安当局にあったことが推測されます。
また、公安当局が平田の迅速な逮捕を優先させようとした目的としては、長官狙撃事件の解決だけでなく、共犯者の裁判が終結した後が原則である麻原の死刑施行を迅速に行う目的があったとも考えられます(実際に、平田らの逮捕が遅れたために、麻原の死刑執行が今年まで遅れたという事実があります)。
この真島事件の事実関係については、さらに新しい事実がわかれば追記の予定です。